2013年12月31日火曜日

キンシャサ騒然!クーデター未遂事件!?

静かで自然豊かなキンシャサゴルフクラブ10番ホール


12月30日。
多くの外国人がクリスマスと新年の休暇を本国の家族たちと過ごすためにキンシャサを留守にしているこの時期は、街中もゴルフ場もスッカラカンとなる。

そんなゴルフ場の朝8時。
ゴルフ仲間とプレイの約束をして、1番ホールに集った。

雨季中でフェアウエイに広がる水溜りを避けながら、和気あいあいとプレイを進めていた3番ホール、グリーン近くで、突然、何発かの発砲音が響いた。
それは確かにゴルフ場ほど近くから聞こえたものだった。
8時半過ぎ、9時前のことだった。

キャディーたちは耳を澄ませ、表情をこわばらせた。
銃撃音だ、とかれらはすぐに言った。
マダムたち、すぐにパイヨットに戻ったほうがいい。
パイヨットに戻って、情報を得ましょう。

見渡すと、ゴルフ客、キャディーも、そしてコースで作業をしていたキャディーたちもぞろぞろとパイヨット目指して引き上げているのが見えた。

いろんな情報が錯綜して、真実がつかめない。
どの情報も、ひとつの「噂としてのもの」、というカテゴラリーに入れて「疑問符」を付けて処理をしておくに留めておくことにする。
公務員の不満からのものだ、とも、警察官が政府決定事項を不服に思っての反乱だという情報も耳にした。
政治的野心を持つプロテスタントの牧師が放送局に仕掛けたものだ、という情報もキャッチした。

ともあれ、首謀者は分からないが、ゴルフ場近くのラジオ局、テレビ局からの発砲音らしい。
街中の道路も閉鎖され始めているとの情報も耳にする。

キャディーたちの尋常ではない脅えかたに驚くが、かれらは、2006年にゴルフ場近くで起きた銃撃戦の悲惨さを目の当たりにしているのだ。


日本人連絡網から自宅待機の連絡が入ったと夫からの電話で知る。
様子を見て、状況を判断して、一番安全だと思われるルートで速やかに帰宅する。
キンシャサ大通りは確かに交通量はまばらだったが、閉鎖箇所はなかったように思う。
沿道の住民がぱらぱらと少人数で集まって、心配顔で辺りを見守っている、という風情だ。

いつの間にか、雨が降り始めている。

道路工事現場にいる夫とも電話で頻繁に繋がる。
現場は危ない様子はないが、重機類を全部現場から引き上げて車庫に入れ、事務所を閉めてから、日本人スタッフと共に隊列を組んで引き揚げるから心配無用との連絡も受ける。

10時、11時と時間が過ぎていく。

我が家アパートから程近いところに大統領私邸があるが、その方角からなのか、あるいはその先にある大統領府からなのか、断続的に発砲音が聞こえてくる。
一時は、市内道路に戦車も配置されたようだ。

ラジオからニュースが流れてくる。
わたしレベルの仏語力では、伝える内容を聞き取れない・・。

ラジオからのニュースでは、テレビ局で人質を1人だとか2人だとか取って占拠されたと伝えているらしい。キンシャサのンジリ空港でも何名かの発砲犠牲者が出たそうだ。
コンゴ国内南西部の大都市ルブンバシでも発砲犠牲者が出たことを伝えているらしい。
防衛省でも銃撃戦があったらしい。

そのうち、政府スポークスマンから、謀反者は国民を動乱に陥れるために起こした事件であったと発表がある。。
政府は謀反者たちを強行的なやり方で対処したので、庶民たちは日常の生活に戻るように、と電波を通して国民を促していた。
この発表で、ずいぶんのキンシャサ住民が落ち着きを取り戻しただろうと想像できる。

強行的なやり方、というのは銃殺を意味するのだろう。
(後のテレビニュースで、放送局、空港、防衛省、そしてコンゴ南西部のルブンバシでも謀反者グループ40名ほどが銃殺されたと知る。)


耳を澄ますと、道路から車が通る気配がしてくる。
昼12時過ぎころだったろうか。
街が再び息を吹き返した、という印象だった。
キンシャサ、12月30日午前中3時間ほどの間に起きたクーデター未遂事件(と言えるのか?)だった。


そして、今、夕方6時,日没前。
我が家から聞こえてくる、人々の日常の生活音はいたって平穏だ。
これで、このクーデター未遂事件は幕を下ろしてくれたらいいのだが。


コトー通り我が家アパート前に建つアパート群



明日は、2013年の大晦日。
そして、明後日は、2014年、新しい年が始まる。


アフリカ大陸のいたるところで、きな臭い状況が勃発している。
民族の違い。宗教の抗争。天然資源の争奪。

国が平和に統治されることの難しさを考えてしまう。


2013年12月27日金曜日

BILEMBOのクリスマス市場~ Marche de Noel a BILEMBO


今年もクリスマスイベントは終わった。
日本はいよいよお正月に向けての準備全開の街風景なのだろう。


キンシャサ、12月半ば過ぎのこと。
タンタン人形作家のオーギーさんから、BILEMBOでクリスマス市場~Marche de Noelが開催されているよ、と聞いた。
BILEMBOとは、今年6月終わりにオープンしたアート展示スペースだ。
UTEX布地工場の建物の一部をそのまま利用して、1階、2階部分を備えた、とてもおしゃれな空間に仕立てられている。

早速、BILEMBOのクリスマス市場に行ってみた


BILEMBO夜の入り口風景 by Alain Huart

BILEMBO クリスマス市場のチラシ


1階入り口に足を踏み入れた途端、クリスマスモードの広がるスペースが目に飛び込んできた。
浮き浮き感がアップする!


BILEMBO クリスマス市場 場内

入ってすぐ右側に広がる緑格子戸に囲まれたスペースには、サンタ姿のタンタン人形を始め、ビン蓋やインスタントコーヒーミニカップの再利用品で作られたアクセサリー、アフリカ布地のタペストリー、小さいサイズの油絵、水彩画などが並べられている。
冒頭のBILEMBOの写真を送っていただいたAlain Huartさんの写真集や写真も展示販売されている。
かれは、確かベルギー人で、長くコンゴに滞在しながらこの国の人々にレンズを向け続ける写真家だ。

左側に目を移すと、いつもの展示室だった。
ポップなカラーの女性の壁画が目を引く。


入り口を入って左側に広がるアフリカモードの展示室


入り口正面をまっすぐ進んだコーナーには、コンゴ人画家の油絵大作ばかりが展示されていた。

BILEMBO入り口正面の油絵大作が展示されたコーナー

原色使いの、はっきりした輪郭を持った作品ばかりで、東京の我が家に飾ったら、とんでもなくチグハグになりそうな大作ばかりだ。

特に真正面にデン!と掛けられていた作品は、列強の政府トップがご馳走(資源?)てんこ盛りのコンゴの国を奪い合わんばかりに食指を動かす風刺画だった。
米大統領、仏首相、中国主席はわたしでもばっちり分かる似顔絵だ。英民族衣装姿のおじさんもいたけど、もちろん、日本の首相はどこにも見当たらなかった・・・。

期間中、BILEMBOの2階に上がってみたが、いつもの展示スペースで変わりなかった。


さて、1階のクリスマス市場全体を見回すと。

BILEMBO クリスマス市場 緑格子戸内スペースから油絵作品を望む


BILEMBO クリスマス市場 緑格子戸内スペース壁側

22日でBILEMBOのクリスマス市場~Marche de Noel は終了したが、浮き浮きするような雰囲気の場だった。
キンシャサ生活において、こんなわくわくするような、気持ちを開放して楽しめる場所があることに感謝、だ。


最後のおまけ!
我がタンタン作家、オーギーさんの作品スペースも覗いてみよう。

タンタン食卓編 ちなみに150米ドル 高っ!!!

タンタン コンゴを行く編 やっぱり高っ!!!
ということで、楽しいBILEMBO Marche de Noel の1週間だった。
ここへわたしは友人たちと共に何度通ったことだろう。

2013年12月25日水曜日

キンシャサのクリスマス風景

今日は、クリスマスイヴ。
世界でどんな時間が繰り広げられているのだろう。

キンシャサは、いたって長閑。
同じ国内の東部で起こっている悲惨な戦闘状況なんて、キンシャサにいると微塵も感じられない。
買い物に出ると、通りすがりの人々が、「Bonne fete!」,「おめでとう!」と言い合っている。


キンシャサ中央駅前の広場は、この一年で、とてもきれいに整備され、噴水の二角に向き合うようにブロンズのライオン像が立っている。コンゴの有名な彫刻家、Liyoloさんの作品だ。
今年はクリスマスツリーが立たないのかなあと思って寂しく広場を見ていたら、20日、帰宅した夫から駅前広場にツリーが立ったことを知らされた。
よかった!
なんだか、ここに立つクリスマスツリーはキンシャサの平和の象徴にも思える。

キンシャサ中央駅前広場のメインクリスマスツリー


キンシャサ中央駅前広場噴水横にもう一本のツリー準備中


今年は、キンシャサの街中にクリスマスの飾りつけが少ないように思えた。

最初に見たクリスマス飾りは、市内中央部にあるCity Marcketというスーパーマーケット内だった。


City Marcket内で、ツリーとコンゴ女性の対比がおもしろい?


今月初めに友人たちとお茶に行ったヌーベルパティスリーというカフェ店内にもピンク色のクリスマスツリー飾りを見つけた。

ヌーベルパティスリー店内


さらに数日経って、しょう子さんから教えてもらった焼き鳥屋に行った。
”ママン・コロネル”という店で、夫が、中央アフリカ、バンギ時代によく行った”ミランデラ”のようなところだよ、きっと、と言ってゴルフ帰りに行ってみたのだった。

日暮れてからの焼き鳥屋外テラス

日が暮れてから入った店内にはきらきらと光るクリスマスツリーが飾られていた。
(夫の予感は当たっていた!この焼き鳥屋のことはまたの機会に。)


さて、さらに数日経って。
もうクリスマス3、4日前だというときに、冒頭のキンシャサ中央駅前広場に大きなクリスマスツリーが設置され、そして、ゴンベ郵便局とキンシャサ教員大学ISPの間を走る道路の緑地帯公園にも、クリスマス準備が整ったのだった。

ゴンベ郵便局とキンシャサ教員大学の間の公園

大小何本かのクリスマスツリーと、トナカイやソリの電飾、そして、人形アニメ映画が映し出されている大型スクリーンも整えられて、クリスマスモード全開だ。
ここにも、家族連れ、カップルたちがそぞろ歩いて楽しんでいた。
平和を絵に描いたような光景が広がっていた。

この緑地帯公園もこの1年の間できれいに整備され、樹木や花が植えられ、ベンチが置かれ、外灯が灯り、噴水が涼しげなきれいな公園だ。
この緑地帯公園のすぐ近く、コンゴ川寄りのところにも、小規模だがやはり噴水のある公園があり、そこにもクリスマスツリーが立っているのを見つけた。


6月30日通りからCityMarcketに入る角に立つ大きなサンタの看板


6月30日通り沿いには、こんなサンタの看板も立っている。
”B.I.C.”とは、コンゴの銀行だ。
キンシャサ中央駅前広場の大クリスマスツリーのスポンサーも、昨年同様,コンゴの銀行
”RAWBANK”だ。

明日12月25日はコンゴでは祝日となる。
だから、今日は我が家の給料日だった。
我が家の家政婦は2日ほど前から鼻風邪を引いている。
それでも、遅刻してでも這うように出勤してきた。
そして、かのじょは言った。
今日は体調が悪いから、アイロンだけかけたら帰ります。
かのじょは給料を受け取ると,帰っていった。

まっすぐに家に帰って、今日も明日も家でゆっくりしていなさいね。
わたしが言うと、クリスマスのために娘たちの服を買いに行かなきゃ・・・。
かのじょはつぶやいた。
まっすぐ帰りなさいと言ってはみたが、着道楽のコンゴの人たちは、クリスマスミサにぱりぱりに着飾って出席することを楽しみにしているはずだ。
そして、プロテスタントのかのじょは、きっと今夜から夜通し、教会で過ごすだろうね。
かのじょを見送りながら、運転手は言うのだった。

2013年12月22日日曜日

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2013年12月17日火曜日

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2013年12月11日水曜日

突然の休日

12月9日朝、まだベッドにいるときに電話が鳴った。
6時半前だ。

アロ~・・・。

寝ぼけた頭で携帯電話を取ると、我が家の家政婦からだった。

今日、キンシャサは休日になったから、わたしはそちらに行きません!

それだけ言って、ぷつりと切れた。
コンゴの人は、ワン切り、さっと用件を言って即切り、を得意とする。電話代節約のためだ。

何がなんだかわからないまま、家政婦に今度はわたしから電話をする。
彼女が言うには、今日は有名な歌手が死んで葬儀の日なので、前日夜にテレビでキンシャサのトップが翌日は休日にする、と発表したのだそうだ。
かのじょの言い分が妥当なものかどうか、わたしには判断できない。
夫に代わってもらった。


ところが、夫はかのじょの休日の要求をすんなり受け入れて電話を切った。
キンシャサの公的機関が休みにする、と発表したのだったら仕方ないな。夫はそう言うのだった。


前日夜に公的機関が、突然、翌日を休日にする、と発表するなんて日本では絶対に考えられない措置だ。
しかも、有名なコンゴ人歌手の葬儀だから、という理由で。

意地悪く言ってしまうと、人の葬儀でもなんでも休日にして仕事を休みにしてしまうというコンゴ人の怠惰振りに呆れてしまう、というのがわたしの本音だったと思う。


かのじょが休みになったお蔭で、わたしはその日の友人たちとの外出を心置きなく楽しめたのだけど。
他の国から来ている友人たちも、口々にどうして有名歌手の葬儀で市の機関も銀行も会社も工場も学校も休みになるんだか、意味不明~!!!、と開いた口がふさがらない、といった面持ちだった。



その有名なコンゴの歌手とは、”Tabu Ley Rochereau”タブ・レイ・ロシェロという、いわゆるシンガーソングライターだった。

タブ・レイ・ロシェロ

かれは1940年コンゴ民主共和国のBandundu生まれ。1958年から歌手活動を始めている。
音楽ジャンルはアフリカン・ルンバ。
モブツ大統領時代には、米国、ベルギーに亡命し、反モブツの政党を立ち上げている。
モブツ体制崩壊後に祖国に戻り、歌手活動をしつつ政治活動も始め、2005年にはキンシャサの副知事(?副代表)になっている。
46歳の時点で3000曲以上の歌を作り、多数のディスクを売り上げている。
2013年11月30日、ブリュッセルの病院で死去。73歳。
(Wikipediaより)


9日に普段と変わりなく出勤してきた我が家の運転手に訊いてみた。
彼ってそんなに偉大な歌手だったの?

運転手が言うには、ロシェロはコンゴ国民誰もが知っている人気のある歌手だったのだそうだ。また、私の好きなコンゴ独立の歌、”Independance cha cha”も歌っていたと言うのだ。
そして、ロシェロは歌手であり政治家でもあったと言い、キンシャサの副知事をしていたとも説明した。
かれはずっとキンシャサで音楽活動をしていたが、数年前に脳血管障害で倒れて以来ベルギーの病院に入院していたのだそうだ。
かれの遺体がキンシャサに着いて、今日(12月9日)、国会議事堂でかれの葬儀とミサが行われるということも知っていた。

我が家の運転手に、たかだか有名歌手が亡くなったというだけで、突然キンシャサじゅうを休日にするとは、奇妙なことねえ、と言うと、かれは政府の仕事もしていましたから、と言うのだった。


さて。
そして今朝、12月10日。
普段通りに家政婦が我が家に9時に到着。
わたしも意地悪だから、かのじょに、たかがコンゴの一有名歌手が亡くなってかれの葬儀の日だからといって、突然、前夜にテレビで次の日は休日にします、と発表するなんてコンゴって変な国ねえ、と言ってみた。

政府が決めたのだから、それに従うだけでしょ。
学校だってどこだって、休みだったんだから。
いつも権利をはっきり主張してくるかのじょらしい言い方だった。

さらにわたしは、かれはそんなに偉大な歌手だったの?、と訊いてみる。ロシェロは、パリのオリンピア劇場でアフリカ人で或いはコンゴ人で初めてコンサートを開いた歌手なのだとも聞く。
 
まあ、かれは政治家でもあったから。
日本だって、偉大な政治家が亡くなったら、休日にして故人のためにいお祈りするでしょう?
と当たり前の顔で言う。

そりゃあ、功績のあった人の葬儀のときは、それぞれが故人のために祈るけど。
でも日本はそのために学校や仕事を突然休みにはしないわよ。

私の返答に、かのじょは、「薄情なんだねえ、あんたたちの国は。」と言わんばかりの薄ら笑い浮かべている。

逆に軽蔑されてしまっていることに憤りを感じてしまう。

あなたは、ロシェロのことが好きだった?、と質問を変えてみた。
すると、運転手とは違ってしかめ面をして、答えを渋った。

わたしは、ロシェロを好きじゃなかった。
人格的にもね、ということを付け加えた。
モロトーは大好きだったけどね、とも。
コンゴ人歌手、モロトーも今年亡くなっている。(毒を盛られたのが死因だという噂もある。)
かれもとても人気のある歌手で、追悼DVDがコンゴで発売されたくらいだ。
でも、かれの葬儀の日は休日にはならなかった。
かのじょは、ロシェロの回りには女性がいっぱい、子どももいっぱいいたと呆れた顔で言うのだった。(新聞"Parisien"によると、かれには68人もの子どもがいたのだそうだ。)


いろいろ聞いて調べてみたが、ロシェロは政府の要人だったということで、かれの葬儀の日を休日にしたのだろうなと思う。
それにしても、前日の夜にテレビで、「明日は休日です!」と突然発表するというのは、やっぱり奇妙に感じるのだった。

2013年12月9日月曜日

きのこの季節、再び

ゴルフ場フェアウェイににょきにょきと生えてきた白きのこ

一昨日、金曜日夜から翌日の昼過ぎまで降り続けた雨。
その雨の影響でコースコンディションが悪くなり、土曜日のコンペは中止になった。

そして、今日12月8日、日曜日。
ザーザーと降り続けた雨だったから、今朝から青空の広がる暑い一日となった。
そんな中で、クラブ企画のゴルフコンペが行われた。

プレイの最中、先週までは見かけなかった白きのこがゴルフ場フェアウェイのあちこちに顔を出しているのに気づく。この雨ですっかり元気付いてにょきにょきと伸びてきたのかな。
前回の雨季以来、数ヶ月ぶりの再会だ。

さっそくいつものキャディがビニル袋いっぱい入れて、売りに来た。
10cm×15cmのビニル袋一杯で500コンゴフラン(約55円)。

この白きのこ、美味しいのだけど、丈が4cmほどと短くて、地面近くに生えるせいか、やたらに砂や芝生がくっついている。
何度も何度もしつこいくらいに水を替えて洗って、しっかりと砂を洗い流さないと砂やゴミが残ったりする。せっかくの美味しいきのこ料理を味わっていて、ジャリっと砂を噛んだ触感と音を聞くと食欲が一気に失せてしまうから要注意だ。


洗面器一杯に採取された白きのこ


洗面器一杯の白きのこを抱えて売りに来るキャディ


丈4cmほどの白きのこを洗面器一杯になるまで採取するのに、どれほどの根気がいることだろう。
ゴルフ場のキャディには、充分有り余るほどの時間が取れそうなのだ。


キンシャサの”キャディ”という仕事を考えてみよう。
ゴルフ場は土日こそゴルフ客で賑わうが、平日はマダムたちがちらほらとプレイをするくらいだ。
今日のコンペでは、4人グループで18ホールの各ホールから一斉スタートして、参加者一人にキャディが一人ずつ付いていたから、4人×18ホール=72、少なくとも80人はキャディがいると考えられる。

そのキャディたちのうち、平日に他の仕事に就いているのは、片手で数えるほどしかいない、と言うのだ。
キャディとして一回18ホール回ると、10米ドル稼げる。
顧客が毎週土日にプレイしたとしても、単純計算で一ヶ月に80~90米ドルしか稼げないことになる。

キンシャサで一家4人で一ヶ月に100米ドルあれば、どうにか食べていける、とも聞く。
それに、マーケットマミーと呼ばれて、女性たちが市場で物を売ったりして一家の重要な働き手になっているとも聞く。(アフリカの女性たちは本当にたくましいと感じる。)
そう考えると、キャディの月に稼ぐ80米ドルとか90米ドルという金額は、決して少なくはなのかもしれない。

でも、と考える。
欧米人たちは、4月のパック(復活祭)休暇、夏休暇、クリスマス休暇で本国に戻ったり、旅行に出たりする。その時期のゴルフ場は、プレイ人口が減って、土日でもゆったりとプレイが出来るものだ。
そんな休暇シーズンに入ると、キャディとしてさっぱり稼げなくなるのは想像に難くない。


キャディたちの生活を想像すると「待ちぼうけ」の歌を思い出す。
ウィークディには、プレイ客をひたすら待つキャディたち。
だったら煙草代稼ぎに、きのこ狩りでもしましょうか、となるキャディがいるのも想像できる。
時間はたっぷりあるのだから、地道にきのこ狩りができる、というわけだ。

でも、白きのこを売りに来るキャディさん、ってこの上の写真のおじさんしかいないように思うのだけど。

ひたすら、待ちぼ~け♪、待ちぼ~け♪のウィークディや休暇シーズンを送るキャディたちと、雨季にしか姿を現さないこののんびりニョッキリの白きのこの姿とがだんだん重なってきてしまうのだった。


2013年12月8日日曜日

クリスマスモード、見つけた

雨季真っ只中のキンシャサでは、毎日のように雨が降る。

ここの雨の降り方は、ザーっと降って、さっと止む、というスコール型ではないように感じる。
昨夜は、我が家でお客さんを迎えて夕食を囲んでいる時に、多分8時頃に、強い風が吹き始めた。と思ったら激しい雨になる。その雨は一晩中降り続けた。
朝にいったん止んだと思ったらまた雨雲が来て、結局、午後2時近くまで結構な本降りが続いた。

予定されていた今日のゴルフクラブのコンペも中止となる。
でも、キンシャサに滞在してアルティメット(フリスビーを使った競技)普及に挑戦し続ける大川晴くんが企画したアルティメット競技大会は、土砂降りの中を、キンシャサで一番大きなサッカースタジアムで予定通りに開催されたのだそうだ。
(わたしたちが午後2時過ぎにスタジアムに到着したときには、すでに競技は終わっていて残念だった。)


さて。
12月に入って1週間が経ち、クリスマス休暇前のランチ会の予定がここのところ立て続けに入った。
多くのキンシャサの友人たちが、クリスマスと新年に向けて、それぞれの国に帰国する、或いは旅行に出ていく時期となり、”しばしのお別れ&Bon voyage!&Joyeux noel!”の意味を込めたランチ会があちこちで開かれる。
キンシャサの外国人がどっと減る時期到来だ。

さて、そんなキンシャサの街中で、12月だというのに、一向にクリスマスモードにお目にかからない。昨年、中央駅前広場に立った大きなクリスマスツリーを今年は見られないのかなあ。
街頭のショーウインドウも素っ気ないままだ。


ところが、今日、午後から出かけた市中心街にあるシティーマーケットで、やっとクリスマス風景に出会えたのだった。

ギターを弾きながら腰を振って踊るサンタ人形

店内奥の肉売り場のところでギターを弾いてクリスマスソングを歌いながら陽気に 踊るサンタ人形に、小さな子どもたちが寄ってきて嬉しそうに触っていくのを眺める。

知っている歌になると嬉しくなってわたしも一緒に歌いながら買い物を続けるのだった。

クリスマスのお菓子が並ぶコーナー


クリスマスプレゼント用のお菓子の容器もかわいらしく、つい立ち止まって見てしまうコーナーも特設されていた。

クリスマスツリー売り場も発見!


キンシャサでも2番目か3番目に大きなこのレバノン人経営(!)のスーパーマーケットには、おもちゃコーナー、衣料品コーナー、そしてペットコーナーもある。
そして、クリスマスツリーコーナーも見つけた。

暑い国のクリスマスはピンとこないけれど、よくよく考えると、寒い国のクリスマスなんて、欧米しかないんだよな、とかぶつぶつ考えながら店の外に出る。
やっぱり、クリスマスモードとはほど遠い、雑然としたキンシャサの町並みが広がっているばかりだった。

2013年12月6日金曜日

キティさんからのベーグル The Bagel from Kitty

 
キティーさんからもらったニューヨークのベーグル


同じ時期にキンシャサで生活を始めて、キンシャサ国際女性クラブで出会って仲良くなった香港系アメリカ人のキティさん。

電話を掛けるたびに、「ハロー、キティー!」とおどけて言うけれど、わたしよりちょこっと年上の、小柄なマダムだ。

11月末。
かのじょのホームタウン、ニューヨークから久しぶりでキンシャサに戻ってきた。
1ヶ月以上ぶりかも。
キンシャサの中心街にあるカフェ、”ERIC KAYSER”でかのじょとランチの約束をした。

ここのベーグル、美味しいのよ、とわたしは蒸しチキンのベーグルサンド、”ベーグル・カリフォルニア”と紅茶を注文した。
注文品がテーブルに運ばれてきたとき、キティさんが、ホントにこれってベーグル?、と手を伸ばしてきた。
一口ほおばって、
「ん! これはベーグルではなーい!」
と顔をしわしわにして抗議した。

あなた、ホントのベーグルってものを知らないのね。
わたしは、今回、ニューヨークからベーグル好きの夫のために10個のベーグルを持ってきたから、試してみなさいー!

そして、先週末、我が家での昼食にアジア仲間が集まったとき、アルミホイルに包まれた一つのベーグルをキティさんが持ってきてくれた。
無言で差し出すかのじょの顔に、これこそがベーグルなんだから!!、というサインをわたしはしっかり見て取った。


「ベーグル」という項目をわたしの電子辞書の現代カタカナ語辞典で調べてみた。

”ベーグル;本場ニューヨークの味とされるパンの一種。
作るときに、バター,卵を使わずに茹でるのが特徴。
どっしりと重い。
元は、17世紀末頃、ポーランドが発祥。19世紀末にアメリカに広がる。”

ふむ。ニューヨークが本場なのか。
英和辞典では、”ユダヤ人の伝統的なパンである。”という説明書きも見つけた。


さて、どうしよう。
わたしはとりあえず、キティさんからのベーグルをアルミホイルのまま冷凍庫に入れた。
ああ、すぐにでも食べたい~。
でも、もったいないなあ。
いつ食べようかなあ。
わたしだって、ベーグル大好き人間なのだ。

そして、昨日。
よし、今日こそ、ベーグル試食のときだ。
独り昼食に向けて、ホイル包みのベーグルを自然解凍のためにテーブルに放置した。
いよいよ、正午。
温めたフライパンに、ベーグルをホイルごと置いて、鍋蓋をした。
窯で蒸すように裏表ひっくり返して、焼きたてベーグルの再現に尽力!

できた!
ほかほか熱いベーグルをかじる!

なんと~。

ゴマやらピーナッツやらの細かい木の実も香ばしい。
なにより、もっちり、重い!

わたしには、日本の”ベーグル&ベーグル”を思い出させる美味しさだ。

シアワセ~!

ニューヨーカーのベーグルは日本のよりひと回りは大きかった。
夫のためにニューヨークから運んできた10個のベーグルのうちの大切な1個をわたしにくれたキティさん!
キンシャサで、こんなもっちりしたベーグルを口に出来るなんて思ってもいなかった。

ありがとう、キティさん!!!

(名誉のために。キンシャサERIC KAYSERは、およそキンシャサのパン屋&カフェとは思えない内装とサービスと品揃え。フランスのパン屋だから、色んな種類のフランスパンが買える。ケーキ、クッキーの種類も豊富だ。たしか、セネガルの首都ダカール、南アフリカに継いでアフリカで3番目の支店だとも聞く。)


The photo of the opening is the bagel from New York.
It was also one of the  ten rolls of bagel that my friend,Kitty brought for her husband from her hometown..
When we were taking a lunch together at the cafe in Kinshasa,and when I got a roll of bagle, she told me to try to eat  "real bagel" brought by Kitty from New York.
In several days, I got it !
How nice !!
The bagel given to me by Kitty made me so happy!
Thanks a lot, Kitty!! Hiroko

2013年12月4日水曜日

国際女性クラブのクリスマスバザー

クリスマスバザー会場入り口を望む
クリスマスバザー会場を奥に進む

わたしがキンシャサに来て2度目の、国際女性クラブ主催クリスマスチャリティーバザーが11月30日(土曜日、11時~17時)に開催された。
雨季真っ最中のキンシャサだが、晴天に恵まれた一日だった。
今年は、ドイツ大使館の広い庭でのバザー会場だったせいか、ゆったりと外気に触れながら、家族連れが散歩気分で楽しんでいる光景が見られた。


わたしも参加しているクロスステッチクラブのメンバーたちが夏の休暇後から制作していたシューズ袋と、スーパービニル収納サックがテーブルに並べられた。
馴染みのリサイクル品アクセサリー作家、天然石のアクセサリー作家、木製品の作家、バッグ作家、画家たちもそれぞれの作品をそれぞれのブースで売っている。

今年も、クラブ会員からの寄付の品物を籠に詰めてラッピングしたものが大量に用意され,売られていて圧巻だ。

大使夫人グループも、お国柄の出た持ち寄り品や、手作りお菓子を売っている。
熱心なカトリック教徒の友人は、キンボンドの養護施設支援のために、木陰でマルセイユ石鹸を毛糸で編んだ袋に入れて売っていたし、ある修道会のシスターたちは手作りのクリスマスオーナメントを売っていた。


てるてる坊主のようなくろんぼオーナメント人形


会場内は、カラフルに飾られて、”緑の中のマルシェ・ド・ノエル(クリスマス市場)だなあ”、と浮き浮きしてしまう。


入場料は二千コンゴフラン(約二百二十円。子どもは半額。)。
飲み物チケット一枚1千コンゴフランも入り口で売られている。
ソフトドリンクは一枚で、ビールは二枚と引き換えに会場内2箇所で飲めた。
もちろん、大使館ゲートのところで、ひとりひとり厳重なチェックを受けての入場だ。


国際女性クラブのボランティアたちは、サンタ帽子を被って各売り場に就いていた。
夏の休暇後にクラブでボランティア員をメイルで募り、毎週会議を開いて準備を進めてきたメンバーたちだ。
わたしは、会議に参加するのに自由に使える車を持っていないし、11月は帰国休暇も挟まったので、今年もボランティア員には応募できなかった。残念。

それでも、当日、何か手伝いますよ、と声をかけていたら、飲み物係を午前中の1時間ほど頼まれて、飲み物コーナーで手伝えたのはよかった。

それ以外は、日本の友人たちへのお土産になりそうなものはないかなと会場を見て回り、友人たちに会ってスナックをつまみながらおしゃべりを楽しんだり、ゆったりした時間を過ごし、午後の早い時間に会場を後にした。


売上金はすべて国内のNGO団体に寄付される。
皆で楽しいクリスマスを迎えよう、というキリスト教の考えからのバザーだろう。
だから欧米の人々はこのクリスマスバザーにひと際熱心に関わるのだろうとも思われた。

今年は、バザー会場で”tombola(トンボラ、福引)”が一枚5米ドルで売られた。
これは、お楽しみという面と、寄付するという厚意が掛け合わさったものとして、寄付金を集める時によく使われる手段だ。

キンシャサの各企業に協賛を呼びかけて、航空券、レストラン食事券などが集まった。
さらに、バザーに寄付された品物たちの中で芸術性のあるもの、景品として相応しいものが選ばれて、福引景品に提供された。
このトンボラ(福引)の景品にも、バザーボランティア員たちのアイディア工夫を感じた。

わたしも一枚買っておいたら、レストラン食事券に当たったよー!、と夕方近くに友人からメイルが届いてびっくりした。
(そして今日、当選の景品をもらって開封してみると、あるレストランの特大ピザの無料券なのだった。)

今月初めのクラブのニュースレターには、会長からのバザー協力へのお礼が早速載っていた。
また、バザー後の初めての会合である今日の”コーヒーモーニング”でも、会長の御礼スピーチがあり、続いて会計係から売上金額の報告があったとき、皆から大きな拍手が沸き起こったのだった。


わたしは、もっとしっかりクリスマスバザーに関わってみたかったなあ、やっぱりボランティアとして働いて初めてバザーに参加したという満足感が得られるんだろうなあ、そのためにはしっかりした語学力が要るなあ、などと思いながら帰路についたのだった。

2013年11月30日土曜日

ボージョレー ヌーボー Beaujolais nouveau  試飲会へ

11月28日。
キンシャサは、朝から重い雲が垂れ込め、とうとう午後からひどい雨になってしまった。
こりゃあ、翌朝までこの雨は降り続くかもなあ。

そう思っていたら、夕方、日が暮れるころに雨はぴたりと止んだ。

この日は、フランス大使公邸でのボージョレーヌーボー試飲会の夕べだった。
友人夫妻がわたしたちを招待してくれたからこそ出席できる試飲会。
初めてのフランス大使公邸とボージョレーヌーボー試飲会に夫婦共々、興味津々であった。

午後からの雨で、夜の空気はひんやり爽やか。長袖長パンツ姿で心地よい気温だった。

公邸前の道路は、次々に乗りつける車と人で混雑していたが、どの人も晴れやかな表情をしている。足元のぬかるみに気をつけながら、門の中に入っていく。

こんなにキンシャサには外国人(おそらくほとんどがヨーロッパ人?)がいたのか、と驚くほど公邸庭は人々で溢れかえっている。
IWC(国際女性クラブ)の会員やゴルフ場で出会うマダムたちも夫婦で出席している。
ムッシュたちは、キンシャサの民間企業に勤務する人たちと見受けた。或いは自営業のムッシュもいるかもしれない。キンシャサで土産物店とレストランを経営するドイツ人母娘も来ている。
アジア系の人は、わたしたち夫婦ともう一組見かけたくらいだった。

夫が、東京でも、きっとボージョレーヌーボーの季節が来ると、こうやって在京のフランス人がフランス大使公邸に集まって試飲会の夕べが開催されているんだろうなあ、ぼくたちの知らない世界だなあ、と言う。本当にそうなのかもしれない、とわたしは相槌を打ちながら、アペリティフのビールを飲む。
アペリティフは、ビールかジュースのみ。いくつもの種類のカナッペがトレイにきれいに並べられて、頻繁に運ばれてくる。

フランス大使公邸は、コンゴ川沿岸のキンシャサの閑静な高級住宅地区にある。
庭はコンゴ河に向かって開かれていて、対岸のコンゴ共和国の首都、ブラザビルの街の明かりが川面に映って美しい夜景を提供してくれている。


隣国の首都・ブラザビルの街の明かりが肉眼で楽しめる



いよいよ、ボージョレーヌーボー試飲会が始まる。
今年の新酒の出来栄えはどんなものだろう、とフランス人たちは心躍る一瞬なのかもしれない。
ボージョレーヌーボーは、かれらにとってひとつのお祭りなのだろうと感じる。
パン、ハムやパテ、サラダ、そして多種類のチーズもテント下のテーブルに並ぶ。
やっぱり、新酒は味に深みがないね、などと日本人の分際(!)で意見を交し合ったり。
夫が、2011年産ワインを持ってくる。
やっぱり、こっちのほうが断然おいしい。
チーズとパンで飲む赤ワインはホントに美味しい。
シアワセ!!

夫が撮った写真のてぶれのひどいことったら!!!

ボージョレーヌーボー試飲会の会場

相当、酔っ払ってるぞ。

と思ったら、どっこい、わたしも負けていなかった。


盛大な試飲会パーティー



余談だが。
先週末には、キンシャサの馬場で開催された馬術競技会にも出席させてもらった。
やっぱり、友人夫妻がわたしたちを招待してくれたのだった。
どちらも良い経験をいただいた。
競技場周囲に設けられた各スポンサー企業の観覧スペースで競技を楽しみながら軽食やアペリティフを楽しむ家族たちの姿を垣間見て、日本にはない風景だなあと、興味深い目で眺め、楽しんだひとときだった。
(競技場にベルギー国旗が掲揚されていたのは何故だろう?わたしたちが出かけたのが最終日だったからなのか、競技者たちはヨーロッパ人ばかりだったと思う。)

キンシャサの企業や団体が色んな企画をして、夫婦や家族で集う機会を持ち、キンシャサライフにメリハリをつけて楽しむヨーロッパ人たちの世界に入り、遊び心を持つ、コミュニティを作って楽しむっていいなあ、と羨ましく思ったのだった。

多くの企業がスポンサーについたキンシャサ馬術競技会

あるフランス企業の馬術競技観覧会場

2013年11月27日水曜日

L’éléphant vert: 和菓子のほん

L’éléphant vert: 和菓子のほん: ちょっと、いやなことを夫から言われてわたしの小さなプライドを傷つけられ、焼酎を一杯飲んでの投稿で失礼! 雨季と乾季しかない常夏の国、コンゴに住んでいて思うのは、四季の移り変わりを体で感じ、暮らしに工夫を凝らしてきた日本人の”繊細さ”と”智恵”の素晴らしさだ。 高温多湿の...

2013年11月26日火曜日

キンシャサの手芸部活動

キンシャサの日本人女子会で開かれていた手芸部活動についての話だ。

女子会メンバーに洋裁パタンナーの専門家がいて、かのじょの厚意で、わたしたちはよく週末に作りたいものの材料を持ってかのじょのお宅に集まり、かのじょの指導を受けながら手芸制作の時間を持っていた。
と過去形になったのは、指導者のかたが今月半ば、わたしたちの一時帰国休暇と入れ替わるようにキンシャサでの任務を終えて帰国され、かのじょの指導の下での活動が終了したのだった。

楽しい集まりだった。

現在、キンシャサには大使館、JICA,国連に勤務する日本人女性が十人ほどいるのではないかと思う。ここの厳しい環境でしっかり任務をこなす日本人女性をすばらしいと感心する。
そして主婦をする女性も六人ほどいる。
そんな日本人女性で手芸、裁縫をしたいと希望する女性たちに開かれた場所だった。


ある日の手芸部活動


ミシンは、裁縫指導をしてくれたかたがキンシャサで購入した手押しミシン。購入後、調子を整えるまでずいぶん苦労したはずだ。
わたしたちには、とても使いやすいミシンだった。
そしてとても重宝した。
それもこれも、ミシンの持ち主がわたしたちにいやな顔一つせずにわたしたちに使わせてくれたお蔭だ。ありがたいことだった。


ワイドパンツ制作に没頭する筆者

わたしは、お蔭様で、アフリカの布地でワイドパンツ3枚とブラウス1枚を制作することができた。
裁断するときにどのように柄を出すかという貴重なアドバイスを毎回受けた。
いかんせん、アフリカの布地はダイナミックな柄だから、柄の出し方は重要なポイントだと思われた。

今、思い返すと、実際の活動期間は1年もなかったし、ミシンが登場したのもその途中からだった。
でも、ぺちゃくちゃとお喋りしながら、しっかり手を動かして何かを作り上げていく、という楽しさを味わえた。

”味わう”で思い出すのが、裁縫指導のかたが作ってご馳走してくれた、モロッコ家庭仕込みのクスクス料理の美味しかったこと。

また、いつか手芸部活動が再開されることを楽しみに。

そして、裁縫指導をしてくださったかたに心から感謝したいです。
ありがとうございました。
次の任地でもどうぞお元気で活躍されますよう!

2013年11月23日土曜日

モリンガ・バナナヨーグルトジュースで始まる一日


今年の夏、オーストラリアに行ってしまった韓国人の友人から、ミキサーを譲ってもらった。

それから、我が家ではバナナ、自家製カスピ海ヨーグルト、りんごやマンゴ、あるいは南アフリカ産の果汁100%Ceresのグァバジュースなどをミキサーに放り込んで作るジュースを飲むようになった。
毎朝、と言いたいところだが、寝坊すると、バナナ入りヨーグルトになったりもする。


9月だったか、キンシャサからガーナに転勤して行った友人がfacebookに投稿した「モリンガ」についてのコメントがきっかけで、夫婦の間で俄然、「モリンガ」に脚光があたり始めたのだった。

それと前後して、キンシャサのスーパーストアで紅茶コーナーの隣に、モリンガのプラスティック瓶入り錠剤を見つけた。ところが、女性用、とか、男性用とかがあって、ちょっといかがわしい感じがして、見るだけに止めた。

以前に、アンゴラやコンゴ民主共和国に長く在住された日本人シスターから、モリンガの効用について聞いたことがあった。
モリンガという低木の葉を乾燥して粉にし、その粉をご飯に混ぜて食べると栄養満点だ。
無味無臭。
モリンガの葉を粉にしたものを市内の薬局で購入できる。
教会でもモリンガの木を植えていたりする。
地方のイタリア人経営の病院では、苗木を育てて、希望者にあげている。
そんな話だった。

夫に薬局に走ってもらった(帰国前だったもので!)が、薬局で見つけることはできなかった。

さらに、夫が事務所のコンゴ人スタッフに話すと、早速に葉と種を持ってきてくれた。

葉は見るからにマメ科の植物だと分かる丸っこい葉だ。
キンシャサの樹木は、ただでさえマメ科の樹木だらけだ。
事務所のコンゴ人運転手と、アカシア(ニセアカシア?)といったマメ科の植物の葉っぱと全く違わないのに、どうやって、モリンガの葉っぱだと断定できるんだろうね、などと話したのだった。
種は、長ひょろい、やっぱりマメ科の種だとわかる形状だ。


モリンガの葉


モリンガの木 (中央)

わたしは、モリンガの葉全体(茎の下部の太目のところは除去して)を茹でてお浸しにして食べてみたが、茎が思った以上に硬くて美味しいとは思えなかった。
そこで、日本帰国休暇の前に、わたしは軽く茹でたモリンガを小分けにしてラップに包み、冷凍庫に保管しておいた。

そして、ここ1週間ほど、バナナヨーグルトジュースに、凍ったモリンガのラップ小分け1個分もミキサーに混ぜてジュースにして飲んでいるのだが、これが結構美味しい。


モリンガ・バナナ・ヨーグルトジュース!


変な話、お通じも良好だ。

夫が勤務するキンシャサ事務所の日本人の技術員は、モリンガの葉を乾燥させて(多分その前に蒸す作業が入る?)、いぶして、緑茶にしたのだそうだが、このお茶がまた美味しいのだそうだ。


ところが、このお茶を飲み続けて3日目に事務所の全員がお腹を壊したと聞いた。
ふむ・・・。
葉の含有成分の何かが強すぎるのか。
あるいは、体が清掃された証拠なのかも!
わたしもぜひ試飲してみたい。

わたしは、モリンガの葉を軽く茹でたのだが、茹でることで殺菌できる、そして茎が幾分でも柔らかくなる、という理由なのだが、茹でることで何かの貴重な(或いは厄介な?)成分が流失した、とも考えられる。実際、茹で汁は濃い茶色をしていた。


何と驚いたことに、このモリンガ。
すでに日本で製品になって販売されているようなのだ。
すごい!脱帽!!

2013年11月22日金曜日

キンシャサ生活、再開!

 
キンシャサ我が家のベランダから 火焔樹の花真っ盛り

ただいまー!

二週間ちょっとの帰国休暇を経て、再びキンシャサに戻ってきて、今日でちょうど1週間。
寒い東京でしっかり風邪をひいてトルコエアに乗り込み、イスタンブール経由で雨季のキンシャサにランディング。

翌日にはイタリア大使公邸のバザー。半月ぶりの英語と仏語の会話に戸惑い!
その翌日には日本大使杯コンペ参加で、棒(!)の振り方を忘れていたらどーしよー・・、という危惧もどうにかクリア!
キンシャサ生活日常茶飯事の停電も断水もしっかり思い出させてもらい、ようやく、キンシャサの穏やかな日々が戻ってきたように思う。

夫が言った。
キンシャサに帰って来た、って感じだなあ。
ここが僕たちの「家」になってしまっているんだなあ。と。


落ち着いた目でもう一度周囲を見回したら、我が家のアパートの庭にはオレンジ色に燃えるような火焔樹の花が咲き誇って迎えてくれていた。
ほぼ毎日降る雨は、キンシャサの緑を深く鮮やかにしていた。

9月、10月の頃、満開だったゴルフ場のウェンゲの紫色の花々もすっかり実となり、たくさんの莢(さや)がぶらぶらとぶら下がっている。

ゴルフ場のウェンゲ(アフリカ黒檀)の木にぶら下がる”さや”

さあ、夫の従事するプロジェクト終了まで一年を切ったキンシャサ滞在だけど、いろんな出会いを楽しみにキンシャサの日々を過ごしていこう!

2013年10月21日月曜日

コンゴフラン紙幣に描かれた動物たち~その4(最終編)

今回で、「コンゴフラン紙幣に描かれた動物たち」シリーズ(!)の第4回目。最終編だ。

今まで、20000コンゴフラン新紙幣のカンムリヅル、コンゴキリン。1000コンゴフラン新紙幣のオカピ、ヨウム、100コンゴフラン旧紙幣のマルミミゾウ、50コンゴ旧紙幣の川魚について書いてきた。


ではまず、5000コンゴフラン(おそらく以前から存在した紙幣)の図案から始めよう。

すぐ下の写真はホロホロチョウと、コンゴ料理のリボケ、シクワンガが描かれている。
ホロホロチョウはアフリカ大陸に分布する食用鳥だ。滑稽な様相と体の水玉のような模様がおもしろくて装飾用置物のモチーフに使われたりする鳥でもある。
ホロホロチョウと一緒に描かれているのは、代表的なコンゴ料理のリボケ(単数形でリボケ。複数形はマボケというらしい。)とシクワンガだ。
「リボケ」は、大きな葉に川魚、アンティロープ、赤道州のほうでは蛇などの動物性たんぱく質を使い、トマトなどの野菜と共にスープストックなどの旨味成分と塩味を加えて調味し、紐で結わえられて蒸し煮のあと、火にかけられて蒸し焼きされる。
紙幣に描かれたものは、蒸し焼き中のマボケたち(複数)だ。
そばにゴロンと転がっている、「シクワンガ」は、現地の人たちの主食、マニョックを練って大きな葉に包んで蒸された、日本の”ちまき”のような食べ物だ。リボケのスープをつけながら食べるとなかなかイケル。
ホロホロチョウを傍に持ってきたところを推測すると、このリボケのホロホロチョウ入りも美味しいですよ、というメッセージにも受け取れる。(ような気がする。)


5000コンゴフラン紙幣裏:ホロホロチョウと、コンゴの食物・リボケ

5000コンゴフラン紙幣表:シマウマと、木彫り民芸品


そして500コンゴフラン紙幣の片側に描かれた動物は、シマウマ。
シマウマと言っても、よく観ると、縞の幅が太いのが分かる。
これは、グランドシマウマの中の、アッパーザンベジシマウマという種類のように思われる。
コンゴ民主共和国、アンゴラ、ザンビア西部の限られた地域に棲息する種類だということだ。



さて、次に10000コンゴフラン紙幣の中の動物を見よう。

新紙幣のこの中には、バナナの木とバナナ(普通のバナナは規則正しい方向性を持って、ずらっと下に房が並んでいる。これは料理用のバナナであるバナナ・プランテのように思われる。)と、くちばしの長い、そして尾も長い、黒っぽい小鳥が描かれている。
最初、わたしは、この鳥はハチドリだろうかと思っていた。中央アフリカのバンギには、胸の部分が赤と青の美しい毛を持った体の真っ黒の、そしてくちばしが長い、小ぶりな体の小鳥が、我が家のアパート周辺のマンゴの木によく集まっていた。
この紙幣のイラストだけでは真っ黒なのか、或いは色が入っているのかはわからないが、おそらく”タイヨウチョウ(サンバード)”の一種だろうと思われる。
タイヨウチョウについて調べてみた。

”アオノドタイヨウチョウ”
スズメ目タイヨウチョウ科。全長14cm。
カメルーン南部からコンゴ民主共和国、ウガンダの一部まで分布。
森林、河辺林、木々の茂る庭園などに棲む。
全体はほぼ黒色で、喉と額のみ、緑色の金属光沢をもつ。

”ニシキタイヨウチョウ”
タイヨウチョウ科。全長14cm。
西アフリカ南部からコンゴ共和国北部までの熱帯雨林からサバンナに分布。
頭部から胸にかけて緑色に青紫がかり、胸に赤い太い帯がある。腹部と翼は黒い。

”ブロンズオナガタイヨウチョウ”
タイヨウチョウ科。全長22cm。
ケニア、ウガンダ、タンザニア、アンゴラ、ジンバブエの1000mから2800mまでの山地の常緑の森林の林縁部や、隣接する草地に断続的に分布。
日光を浴びると、緑から金色の金属光沢が現れる。
全身は黒色でくちばしと尾羽は長い。

これらのどれかではないかと思うのだが、どうだろう。

10000コンゴフラン新紙幣裏:タイヨウチョウと、バナナ

10000コンゴフラン新紙幣表:水牛と、木彫り民芸品


片面には、水牛が描かれている。この水牛もコンゴ民主共和国に棲息する特有種なのだろうか。



動物の絵ではない紙幣のイラストとして追記すると・・・。

200コンゴフラン紙幣(旧)には、必ず一村に一台は設置されていたという情報伝達用の伝令太鼓(LOKOLE)をたたくコンゴ人の姿。
片面には、くわを持って農地を耕す青年と若い女性の農作人”L'AGRICULTURE”の姿だ。
手前に、胸に当て布をし、腰にパーニュ(腰巻)を巻いている若い女性が描かれている。
我が家の家政婦は、おそらく夫婦だろう、そして赤道州の米作農地だろう、と言うのだが、彼女の推理は当たっているか。ともあれ、この若い農作人の姿にこの国の希望を見る思いがする。


200コンゴフラン紙幣 裏表


500コンゴフラン紙幣(旧)には、この国の主要輸出鉱物の一つ、ダイヤモンドの採掘風景とカットされたダイヤモンドが描かれ、片面にはどこかの村落の様子が描かれている。

500コンゴフラン紙幣 裏表


また、同じ500コンゴフラン紙幣には、独立50周年記念紙幣もある。
この国の独立は、1960年6月30日だから、この50周年500フラン紙幣はおそらく2010年発行のものだろう。
これには、コンゴ河の河口から約150km上流、アンゴラとの国境近くに位置する港湾都市マタディMatadi港が描かれる。
片面はというと、何故だか、"pont de KINSUKA"と小さく説明書きが添えられた橋の図案が載っている。何の変哲もない、普通のコンクリート橋に見えるのだが、何か、50周年紙幣に採用されたにふさわしい意味合いがあるのだろうか。
500コンゴフラン独立50周年紙幣 マタディーMATADI港
500コンゴフラン独立50周年紙幣 キンスカKINSUKA橋


以上、コンゴフラン紙幣に描かれた動物たちを中心に見てみた。
川魚(50CF)、マルミミゾウ(100CF)、ヨウム、オカピ(1000CF)、ホロホロチョウ、グランドシマウマ(5000CF)、タイヨウチョウ、水牛(10000CF)、コンゴキリン、カンムリヅル(20000CF)。

マウンテンゴリラとボノボが描かれていないのは寂しい気がするが、いつかの登場を楽しみに待ちたい。

2013年10月19日土曜日

木材として~熱帯アフリカの樹木たち

三種の木で作られたゾウの置物 Auguy作

この写真のゾウの置物はどれも熱帯アフリカ産の木で作られている。

左の黒いゾウは、「エベンヌ ébène 」(黒檀)の木でできている。カキノキ科の樹木だ。

真ん中のグレーっぽい木のゾウは、わたしはコンゴで初めて見たのだが、「ébène gris」、灰色黒檀を使っているのだそうだ。カキノキ科の樹木だろう。

右のゾウは、茶色っぽくて木目がはっきり見える木でできている。
これこそが、ウェンゲ(アフリカンブラックウッド、アフリカ黒檀)の木だ。マメ科の樹木で、キンシャサ・ゴルフクラブで満開だった、あの美しい大木だ。

ウェンゲの木で楽器を作ると音質が良いといわれ、クラリネットやオーボエなどの木管楽器製作にも使われる。いつか、わたしがタムタム(リンガラ語で”ンブンダ”)、アフリカンドラムを作ってもらおうとして遂に入手できなかった苦い経緯を書いたことがあるが、そのときのわたしの注文内容が、「材質はウェンゲの木で。」、というものだった。


もう一度、材質をじっくり見てもらおう。

エベンヌのゾウ



グレーのエベンヌのゾウ



ウェンゲのゾウ
エベンヌのゾウは、黒い色をして、手に持つといちばんずっしり重い。














グレーのエベンヌは、希少価値があるかも?
キンシャサで初めて出会った木だ。
木目も見える。











ウェンゲ。アフリカンブラックウッドとも、アフリカ黒檀とも言われるようだ。
黒檀より硬く、材面は滑らだという説明書きが見られる。
しっかりと木目が見える。
黒檀ほどではないが、しっかり重量を感じる木材だ。







これらの木製置物のゾウを作る工房は、キンシャサのフランス大使館近くにあり、作者はオーギー(Auguy)さんというコンゴ人男性だ。
本来は、ベルギーの漫画絵本、「タンタン TINTIN」の冒険シリーズの登場人物を木製人形で忠実に再現する木製人形作家で有名な人だ。
彼の工房には数名の若いコンゴ人が手を休めることなく制作に励んでいる。

色々な種類の木材を扱うオーギーさんに、まず、木材の値段のことを訊いてみた。
高価な順に、
① エベンヌ ノワール (黒檀)
② エベンヌ グリ    (灰色のエベンヌ)
③ ウェンゲ (アフリカンブラックウッド)
④ ボワ ルージュ (bois rouge 赤い木/ iroko)
⑤ ボワ ドレ    (bois dore)  ※ どんな樹木だかは不明。
⑥ アカシア     (acacia)

なのだそうだ。

”iroko”の木が上位に入って、ちょっと誇らしい気分を味わう。
わたしとフランス語で同じ名まえの木、だから。
(Hirokoの”h”はフランス語では発音されない!)
”bois rouge”が示すように、赤っぽい木だ。

いつか、オーギーさんに、あなたの名前の木でブレスレットを作ってみたよ、はめてみてサイズがあえば、プレゼントしよう、と言われて、ぴったり!
素敵なオーギーさんからのプレゼントはわたしの宝物になった。

赤っぽい”iroko”の木でできたブレスレット オーギーさんからのプレゼント


オーギーさんに、あなた個人として、どの木がいちばん好きですか、と尋ねると、木を扱う者としてどの木も好きだよ、どれかひとつなんて選べないよ、と言った。

世界三大熱帯雨林のひとつ、コンゴに広がる広大な森林で伐採される木材たち。
大型トラックで、何本もの大木を載せて港町へと運ばれる光景をよく見かける。


今日、日経電子新聞の記事で、三度の伊勢神宮の式年遷宮に携わった宮大工のかたの話が載っていた。
遷宮で使われる木材は、現在3割くらいが神宮の山の木なのだそうだ。
基本的には木曽からの木だという。神様が住む神宮には、木曽の木がいちばんなのだそうだ。
ヒノキは色が、肌が白いし、工作にも良いし、ヒノキを使っていると、杉は使えない、と語る。
年輪300年から400年の木。色は赤くなくて、色つやの良い、白い木。目がよく込んでいて、くせのない、アテ(?)が全然見当たらない木。
そんな木が、神様の家、神宮作りに適しているのだ、と宮大工のベテランは語っている。


熱帯アフリカの木材と、日本古来の建築物の木材と。
ちょうど、このブログを書く前に出くわした日本の新聞記事を読み、とても興味深く比較したのだった。