2014年8月28日木曜日

こぼれ話1 : 帰国して3週間が経って

JR赤羽駅西口あたりの風景

8月5日に、赤羽の自宅に到着して、早くも3週間が経った。
3年近く空室にしていた自宅マンションに再び息吹を入れ込み、銀行や役所や郵便局で諸手続きをして回り、電話やインターネットを整備して日常生活が始まった。
ふるさとに帰省し、老親や親戚や友人たちとの再会を楽しんだ。

東京生活再開でいちばん手間取ったのは、通信情報網の設定だった。
電話がなければ何もできないことを痛感した。

わたしたちがまずしたことは、近所の携帯電話ショップに行き、スマートフォンを入手したことだった。
わたしのパソコンはキンシャサで処分したので、慣れないスマートフォンをいじくって友人たちにメイルを送った。とはいえ、慣れないスマートフォンの上、画面が小さくて、目が疲れて頭痛はするし、普段の何倍も時間がかかった。
夫のパソコンが使えるときは、スマートフォンのテザリングを使ったりも。
まだ、お礼を済ませていない友人たちもたくさんだ。
少しずつ、少しずつ。

わたし用に購入したパソコンがやっと届き、昨日からまたパソコンからネットが使えるようになった。
その設定も夫頼みで、頭痛がしてストレス貯まりまくり!!、だった。
(この3年近くの間に、日本のネット環境が一新し、浦島花子状態だ。)

それにしても、日本の生活の中で痛感することは、時間、空間、サービスなどあらゆる面で息が詰まるほど緻密なこと。それが便利でもあるのだが。

街中でいたるところに貼られる広告の多さに目を回す。
電車に乗っても、吊り下がる広告をはじめ、車内のすべての空間に広告が貼られている。
(キンシャサで走り始めた路線バス内にこんなにも広告が氾濫しているだろうか。わたしは残念ながら乗車したことがないからわからない。)

キンシャサの街中では、店舗の看板以外は、道路脇に立つ大判広告塔が遠くに見えるくらいだった。
キンシャサでは、わたしの視線ははるか遠く数十メートル先にピントを合わせていたのだなあ。
東京の街中では、数十センチ先の車内広告から数メートル先と、狭い空間の中でピントがクルクルと動いて、本当に目が疲れてしまう。

とはいえ、レトルト食品、冷凍食品、惣菜、半惣菜といった便利食品が並び、簡単にご馳走にありつけることに感謝するのだが!(キンシャサでの手間取った食事準備をなつかしくも思ったり。)


JR赤羽駅 北改札口



ということで、またこうやって、”キンシャサ便り・こぼれ話”を更新できて、ありがたき幸せ~!
もうしばらく、お付き合いください。

2014年8月3日日曜日

L’éléphant vert: スイミーと、キンシャサのンブンジ

キンシャサのゴルフ場でいつも出会う、ンブンジという小人のような小さな小さな小鳥がいる。そして、かれらはいつも集団で飛んでいた。
そんなかれらの姿と重なるのが、「スイミー」の物語だった。
そんなことをキンシャサからの最後のブログにつづってみた。

8月3日、今夜の便でキンシャサを発ちます。
まだまだ書いておきたかったことは、キンシャサ・こぼれ話として、更新していきたいと思います。
もうしばらく、お付き合いくださいませ。
2年半ちょっとの間、どうもありがとうございました。


L’éléphant vert: スイミーと、キンシャサのンブンジ: 娘が小学校2年生のときの光村図書出版の国語の教科書に「スイミー」の話が載っていた。 黒い小さな魚のスイミーは、とても賢く泳ぎも得意だった。 かれだけ黒くて、兄弟たちは赤い。 ある日、兄弟たちが大きな魚に食べられてしまい、スイミーひとりぼっちになってしまう。 ひ...

2014年8月1日金曜日

ゴンベ郵便局私書箱3118号

コンゴ民主共和国の郵便局は機能していない。
2年半前にキンシャサに到着したとき、そう聞いていた。

だから、手紙は投函できないし、郵便物も受け取れないのだと。
確かに、6月30日通りにデン!と建つ郵便局本局は立派だけど、中身がスッカラカンっぽく見えて機能しているとは思えなかった。

ところが、キンシャサに着いてすぐ中村寛子シスターにお会いしたとき、シスターからゴンベ地区の郵便局だけは機能していて郵便物は出せないけれど、私書箱を設けていれば郵便物を受け取れるということを聞いた。
(長くコンゴに在住されたシスターには、郵便局のことだけでなく、布地屋,文具屋などの日常生活情報、コンゴの食事や文化の話など色んなことを教えていただいた。)

そして、シスターに連れて行ってもらい、ゴンベの郵便局長さんに紹介してもらった。


2012年10月のフランス語圏会議を機に入り口に鉄格子が入りペンキも塗り替えられたゴンベ郵便局

シスターの話では、ゴンベは外国人が多く居住している地域で、その地区の郵便局は航空便で到着した郵便物を私書箱に入れ続けることでゴンベ郵便局の私書箱は機能していると認識されれば独自に外国人から私書箱代や小包に対して手数料、税金を回収できる、ということを学んだ局員が働き始めたのだ、と言うことだった。
(週に2,3回の航空便が届く日以外は、いつ行っても局員たちは入り口に椅子を出して日向ぼっこで井戸端会議を楽しんでいるのだったが。)

シスターに連れられてゴンベ郵便局に足を踏み入れたときは、局内は埃だらけで雑然としているし照明も付いていなくて暗く、果たして本当にここは郵便局として機能しているのか、と疑問に思ったものだ。
私書箱番号を書いていない郵便物は局内の棚の上に山積みされて放置されていた。

シスターは以前、ボランティアでここの郵便局で郵便物処理の仕事を手伝ったことがあるのだそうだ。だから、局長さんとは顔なじみで、シスターの修道会の私書箱に郵便物が入ると電話をくれるのだと言われていた。
局長さんは、小柄な穏やかそうなムッシュだった。
局長さんの部屋には日本の外務省が配る生け花のカレンダーが飾られていたことを思い出す。


そうして、わたしたちはキンシャサのゴンベ地区の郵便局内に私書箱を持つようになった。
私書箱設置では、最初に鍵代金や設置料を取られ、3ヵ月毎の使用料支払いということだった。
最初の設置時には使用料を多く請求され2倍くらい払わされた、とは夫の話だ。
でも2回目の使用料支払いでは、半分の3ヶ月16米ドルになったのだと言う。
1ヶ月で500円ちょっとだ。


扉が無かったり壊れたりするところもある私書箱コーナー


私書箱コーナーには、当初鉄格子が無く、外部から侵入することは簡単で、よく私書箱前の通路に人がごろりと横たわっていたりした。涼しくて風通りも良く、昼寝には格好の場所だった。

2012年にキンシャサで初の仏語圏会議は開催され、他国からの来賓もあるというので、ゴンベ郵便局にも手が入り、ペンキが塗り替えられ鉄格子が付き、外部からの侵入ができなくなった。
さらには、ゴンベ郵便局前の片側2車線の道路の間に横たわる草むら空き地がグリーンベルトに整備され、庶民の憩いの公園になった。
(今では、キンシャサの恋人たちのデートスポットだし、結婚写真の撮影スポットになっている。)
また、郵便局沿いに歩道も確保されて、郵便局界隈は見違えるようにきれいになっていった。



我が家の史書縛3118号

ある日、我が家の私書箱に、宛名は日本人だけど明らかに他人の郵便物到着通知書が入っていた。
通知書は我が家のものではないと局員に言うと、郵便物保管の部屋に通され小包を提示された。驚いたことにキンシャサの通り名と番地が書かれたキンシャサの住所と日本の建設会社名と個人名が記入されていた。
途上国で、私書箱を通さずに郵便物を受け取れる国をわたしは知らないので、本当に驚いた。
事情を聞くと、日本からの郵便物なのだから、3118号の日本人の私書箱に通知を入れておけば、同じ日本人同士ということで郵便物の当人に知らせが行くだろうという算段だったらしい。
関税という名目で現金徴収につながると考えたのは明らかだった。
運よく,夫のプロジェクトに関わる方の郵便物だったから、すぐ連絡は付いた。
その後、わたしは郵便物(建設の専門書だった)の価格を尋ねられたりして(日本円表示だった。)、結構な額の関税を取られた。
その税金が政府に回って国の運営資金になるのだったら喜ばしいことだが、そこは??

さらにまたある日、本当にコンゴ国内から郵便物を出せないのかと思い、局員に訊いてみたことがあった。
案の定、郵送機能は動いていなくて、切手すらなかった。
ただ、ザイール時代に使用されていたという鷲の図柄のたった一種類の切手があった。
その切手の価格の部分がシルバーのインクで訂正されていて、ザイールフランの表示がコンゴフラン表示になっていたが、現在、使用できないということだった。

キンシャサの会社組織やプロジェクトから書類を送るときは、DHLなどのプライベート会社の郵送手段を利用しているようだ。(各国大使館は独自の郵送システムを持っているようだ。)

最近、キンシャサ本局から郵便小包EMSを海外に送れるという話を小耳に挟んだ。
キンシャサ本局から日本に荷物を送ったら2週間で届いたというのだった。
何ヶ月か前にキンシャサ本局前を、EMSと書いた軽トラックが通るのを見たことがある。
少しずつ,少しずつ、本当に少しずつでもコンゴの国が改善されていくのはうれしいことだ。


ともあれ、わたしたちがキンシャサのゴンベ地区郵便局に私書箱を持って2年半近く、たくさんの手紙を受け取ることができた。
私書箱を鍵で開けて、手紙を発見したときのうれしさは格別だった。
郵便小包も届いた。
北九州の八幡でひとり暮らしする90歳の父は、海外暮らしで手紙を受け取る喜びはひとしおだろうと言って、こまめに手紙を送ってくれた。
季節のこと、新聞記事のことなど、たあいの無いものだったが、2年半の間に受け取った父からの手紙は36通だった。
ありがとう、お父さん!
ありがとう、友人たち!
ありがとう、ゴンベ郵便局私書箱3118号!