2014年10月4日土曜日

こぼれ話7 : 20年前のパミンドゥさんの木彫り人形

 
中央アフリカ共和国・バンギから来た、パミンドゥ作の木彫り人形

これは、20年前に中央アフリカ共和国・バンギの人形作家パミンドゥさんが制作した木彫りのアフリカの人形たちだ。


わたしたち夫婦がまだコンゴ民主共和国・キンシャサにいる頃、 東京のマンションの管理をお願いしていた友人から荷物が届いているという知らせが入ったのは今年4月か5月頃だったろうか。
差出人の名前を見て、夫は以前の勤務先の会長からで、きっと老人施設に入るからお礼の意味のものだろう、と言っていた。

それから程なく帰国し、その荷物を解いてみた。
中からは、20年前に中央アフリカ共和国・バンギをかれが訪れたときにわたしたちからもらった(と記された)木彫り人形10体ほどが出てきた。
老人施設に夫婦で移るので、20年間楽しませてもらったあなたたちからのアフリカ人形をお返しします、という内容の手紙が、当時の懐かしい写真のコピーと共に入っていた。

はて?
こんなにたくさんのパミンドゥさんの人形をプレゼントしたっけ?
かれの人形は一体でも結構金額が張った。
これだけ全部をプレゼントしたとは思えなかった。
ま、いいや。
でも。
木が割れて、壊れた人形まで入っていたのは悲しかった。

わたしは、家のスペースのことも考えて一体だけ人形を選んで、残りの人形は近くの赤羽神社で人形供養をしてもらって処分しようと考えた。

今回、キンシャサのわが家で活躍した太鼓(ンブンダと言ったな。)を日本に持って帰れなかったので、そのンブンダを叩く人形を選んで、わが家に残した。


アフリカの太鼓を叩く、パミンドゥさんの人形

人形の埃をとってきれいにしてから、最初に赤羽神社に持ち込んだとき、社務所はお盆時期で閉まっていた。
人形を最終的に持ち込んで、供養をお願いできたのは、8月17日。
事情を話して、人形供養をお願いできて、ほっと安心した。
人形の供養料は、三千円だった。


当時、バンギからのお土産に、わたしたちは好んでこのパミンドゥさん作の木彫り人形を選んだ。
パミンドゥさんも喜んでくれて、いろいろと工夫して技術も上達していったように思う。

あるとき、このパミンドゥさんの楽隊の人形を3,4体セットにして日本の友人に贈ったことがあった。
何日かして、その友人はわが家にはこの人形たちはマッチしないからお返しします、と言って返してきたことがあった。

そんなことを思い出しながら、わが家に残った一体のパミンドゥさんの人形を見てしみじみ思ったこと。
人形をお土産にするということは難しいな、と。 


今回も、キンシャサでずいぶんのオーギーさん作のタンタン人形をプレゼントした。
はたして、喜んでいただけたのだろうか。
人形を贈ったことで、迷惑がかかっていないだろうか。

8月5日、赤羽の自宅に戻り、いちばん最初に対面した、20年前のパミンドゥさんの人形たち。
2日かけてたどり着いた自宅で、荷物の包みを開けて中から出てきた人形たちに再会し、正直、わたしは寂しさと共に疲れを感じてしまったのだった。