2012年2月27日月曜日

BRALIMAビール工場見学

2月23日(木)、IWC(Intaernational Women's club)の企画で、キンシャサ市内にあるBralimaビール工場を見学した。
(コンゴ民主共和国には、もう一つ、ブラコンゴ社というビール会社があるらしく、そこでも数種のビールが製造されていると聞く。)
参加者20数名が数台の車に分乗して集合地のグランドホテルから出発。ラッシュに合わずに15分ほどで到着した。夫たちのプロジェクトのポアルー・ストリート方向に進み、少し手前を右折したところに工場はあった。道路から、円筒形の建物に缶ビールに見立てて描かれた看板がそびえ立っているのをわたしは何度か見ていた。
工場敷地内に入ると、Bralima社の看板ビール「PRIMUS」のロゴの入った車やバイクがあちこちに駐車されていて敷地内もきれいに整備されているな、というのが第一印象であった。

まず、社屋に入って(多分、平屋だったような・・)、社長室に通された。見るからに有能で迫力ある、紺色パンツスーツ姿のコンゴ人女性秘書が出迎えてくれる。彼女もロングヘアーのかつらを装着している。
社長はベルギー人男性。かれもやっぱりビール腹か。
IWCは英語のグループだから英語で話しましょう、と。それでも、わたしには理解が難しい。
Bralima社は、1929年にキンシャサで生産を開始。今ではHeineken internaitional Groupの傘下にあり、Kinshasaのほかに国内5ヵ所の地方都市Boma,Mbandaka,Kisangani,Bukavu,Lubumbashitに工場を持ち、コンゴ国民に労働の場を提供していると強調している。さらに、2007年に「FONDATION BRALIMA」を設立し、教育分野の支援、職業訓練、孤児支援、病院設置、米作支援などを行っているそうだ。
ビールの原料の米は国産だという。今後、アジアからの米を輸入することも考えているとも。モルトはアフリカでは獲れないからヨーロッパから輸入。水は地下水でも川からの水ではなく(中央アフリカ共和国・バンギのMocafビールは地下水を汲み上げて使用していた。)、水道局の水を使っているのだとわたしは理解した。
工場見学は、敷地内のビール博物館から始まった。
そこには生産を開始した1926年当時のビール生産の機械が展示されていた。
当初、ビールは手動で瓶に詰められ、生産高は一日に千本だったそうだ。
今では、(わたしの聞き間違えでなければ・・)1時間
に4万本が生産されているとか。


その後、メンバーたちは工場に案内された。工員の控え室から工場に行くところに、「装着確認点検」イラストを発見。


こんなイラストで点検すれば忘れ物もないかも。
途中に、月別生産高の棒グラフや、月別事故発生の棒グラフなどが掲示されている。工員達には一目瞭然。経営者側の、雇用者労働意欲向上の努力が垣間見える。

これは、月別事故発生の棒グラフ。





また、工場入り口にこんなユニークなものもあった!

ブラシの置き場所が違いますよー!!


向こうにもグラフが見える。”製造工程表”というのかな。ビールの原料の入った紙袋が木製スノコの上に積まれている。







                              ※ brassin・・(ビール用)麦芽汁の原料
※ gain・・獲得、勝利、利益

「BRALIMA-キンシャサ コンゴ民主共和国
2007年11月に千回目の麦芽汁原料

2006年、年間通して44日の獲得

200の麦芽汁原料ー12万HLの獲得

感謝」

とあり技術工場長の名が記されている。

何のこっちゃ??ビールの製造過程が分かってないから意味不明だけど、とにかく何かすごい偉業を達成したのだろう。そんな、コンゴの誇る銅製のプレートが工場内に掲示されていた。




工場はもちろんすべてオートメーション化されている。操作盤を見つけた。








操作盤には、こんな貼り紙がある。

PRIMUS,MUTZIGなど、Bralima社で製造される5銘柄のビールの、(左から)モルト、米、砂糖の分量表だった。

ちなみに夫は大瓶72cl(72ml)PRIMUS派で、わたしは小瓶入りのMUTZIG派。

MUTZIGには砂糖が入ってないのだ。
街中で瓶持参(鉄則!)でどちらも1100フランとか1200フランとか(100円ちょっとくらい)で買えるらしい。レストランで飲むと、2000フランとか2500フランになる、とは夫の話だ。

                          

赤い看板には、「透明ビールの入った6本のタンク。各容量10万リットル」とある。
大きな円筒形のタンクだった。







ここの工場では、ビールのほかに、トニックウォーター、スプライト、ファンタオレンジ、コカコーラも製造されている。私たちが見学したのはペットボトル入りコカ(フランス語圏では”コカ”と言う。ヤバイ言い方!)のオートメーション工場だった。





わたしは、常々、瓶の洗浄は大丈夫なのかな?と心配していた。ここは、瓶の洗浄工程の場所。
2階の通路から見下ろせた。赤外線のような機械を通過させて瓶の中をチェックしている。大量の水で瓶の紙ラベルを剥がしているが、ラベルがついたままだったり割れた瓶はマンパワーではじかれていた。




敷地内には、新しい工場棟も建設中だった。









道路から見える、プリムス、ミュジグビールのロゴ看板。手前に見えるのは、山積されたコンテナ。

オランダ人の友人が、「NileDutch」のコンテナを見つけて、わたしの国から辿り着いたんだわあ!、と懐かしんでいた。
ここの工場はコンゴ川沿いではない。

この辺り一帯は工場地域で、いたるところに土に半分以上埋もれてしまった古い2本のレールが、工場敷地内へと続いているのが見つかる。昔は、ヨーロッパからの大型船が大西洋からコンゴ川を上ってマタディー河港まで来て荷降ろしされ、120キロの道のりのキンシャサ・マタディー鉄道を通ってキンシャサにある工場近くの駅まで来たコンテナをトロッコか何かで各工場へ運んでいたのかなあ、と想像してみる。あくまで想像だが。

今では鉄道輸送はなくなって、トラック輸送になっているのかもしれない。

いずれにしても、ビール原料のモルトははるばるヨーロッパから輸入されると説明を受けた。

こんなトラックでは巨大なコンテナは運送できないが、懐かしい型のTOYOTAの古いトラックが停まっていた。わたしが小さい頃にガタゴト排気ガス振りまいて走っていたノスタルジックなトラックだ。






さて、瓶の洗浄工程を工場内2階通路から望んだあと、そのまま直進して右折したところのドアが開いて招き入れられた。さあ、次は試飲していただきましょう、と言って。

今までは無味乾燥な工場と検査室風景ばかりだったが、なんと、そこだけ血の通ったような温かみのある空間があった。

カウンター、テーブル、椅子などが置かれ、木の温かみのあるバーで、ビール、コカ、ファンタが運ばれ、色んなオードブル(串かつまで登場)、パンが振舞われた。社長と秘書の話が再びあって、皆で乾杯。わいわいがやがや、ランチタイムの宴会のようになり、このような企画を立ててくれたメンバー役員と、工場見学を受け入れてくれた社長、秘書のかたにそれぞれ感謝の拍手が起った。小さなデザートまで用意されて、ランチ付きの工場見学だったねえ、などと話している。

そして、秘書の方が、皆さんにお土産です、と大きな包みが配られた。


後ろのコカのロゴ入りの赤い保冷箱も大きいですがどうぞお持ち帰りください、と用意されていたが、もちろん全員が喜んでいただいて帰った。

ところで、1929年に初めて(premier)製造されたビールだから、”Primus"なのだそうだ。

このバタ臭い、アフリカの空気バリバリの色合いとデザイン!!

この色合い、どこかで見た色合いだぞ・・・・・・・とずーっと考え続けて閃いたっ!!


そうだ、コンゴ民主共和国の国旗の色合いと同じだった。調べてご覧ください、マセ!!

2012年2月22日水曜日

コンゴの置き物

キンシャサにある、「ドロボー市場」に行った。
IWC(International Women's Club)発行のガイドブックによると、現地の人々には、”Marche des Valeurs”とも、”Marche des Voleurs"とも呼ばれているらしい。
「valeur」は、価値、値打ち、能力という意味で、「voleur」は泥棒という意味。一字で意味ががらりと違ってくる。
で、日本人の間では、「ドロボー市場」。

いわゆるアフリカの土産物店が集まる市場として一番に挙げられる場所だが、品質は良くないという評判だ。他に、ボボト文化センター(Centre Culturel Boboto)、ドイツ人夫妻経営のSymphonie des artsのことも耳に入るが、ドロボー市場に一度は行ってみたい、そして、バンギにいるときに買った、クバ族(コンゴ)の織物や”ンチャック”と呼ばれるアップリケが施された布地がどれくらいあるか見てみたい、という思いから夫と出かけたのだった。
ドロボー市場は、6月30日通りをソシマット交差点から中央駅方面へ向かうと右側にある。市場の入り口にはたくさんの油絵が並べられている。ケニアのティンガティンガ派の絵のような強烈なインパクトはない。素通り。
内部にはZIGIDA野菜市場のように小さく仕切られた店棚バラック小屋が並んでいた。新しいものからアンティークのものまで品物が雑然と並べられて店が2列の狭い通路の両側に続いている。
クバ族の織物にもアップリケにも食指の動くものはない、というか雑然とし過ぎてじっくり見ようという気になれない。しかも、ちょっと品物に手を伸ばせば興味があるとみて、執拗に追いかけてくるからおちおち手も出せない。
木彫りの置き物やマスク(お面)もある。ネパールでもバンギ(中央アフリカ共和国)でもマスクをいくつか買って東京の我が家のリビングの壁に掛けている。マスクを買うときの心得として、どんな祭りや儀式のときに使われたものかを訊くこと、と教えてもらったことがある。呪いのマスクだったら大変だ。
コンゴの銅山で大量に採取されるという縞模様の入った緑色の石、マラカイトの彫刻品も並んでいる。

せっかく来たのだからと思って、東京の狭い我が家を想定して小さめのかわいい置き物を見つけた。
胸が膨らんでいて腰周りがふくよかだ。高さ27センチ弱。像の右半身に横線が等間隔に彫られていて白く塗られている。店の人は、女性の幸せを願うためのものだと言う。まあそう言わなきゃお客は買わないよなあ、と思いつつ、今夏出産予定の娘のためにちょうどいいか、とも思って持ち上げて見る。
そうしたらもうずーっとわたしにへばりくっついて、いくらだったら買うのか、30ドルだこれは、とか喚きながら追いかけて来る。無視していたら、停めている車まで来た。「いくらだ、いくらなら買う」、と繰り返すので、わたしは「10ドル」とだけ言ったら、しかたないという表情でOK,と言って来た。
OKを出されては買うのが仁義だ。よっしゃ。
「また、そんなの買って。無駄遣いばかりしおって。」と目が物語る夫から10ドル札もらって入手したのが、上の写真の木製置き物だ。
どこの部族のものでいつ頃のもので、何に使われたのか・・・そんな質問は知識がなくてできず。
ただ、「これで何をしたのか。」→「女性の幸せを願うものだ。」これだけ。

わざと傷つけたり,土に埋めて古くしたりして骨董品に見せかける、と言う噂も聞くが、知識がない分、選択基準はあくまで自分の感性に触れるものかどうかということ。

かくして、初めてのコンゴプリミティブアートの品を入手したのであった!!

2012年2月20日月曜日

第6回日本大使杯ゴルフコンペ

2月19日(日)、キンシャサゴルフクラブで第6回日本大使杯ゴルフコンペが開催され、夫婦で参加した。夫は、2回目の参加、わたしは初参加だった。
キンシャサは雨季真っ只中だというのに朝から太陽が照りつけ、和気合い合いとした中にも緊張感がぴりりと効いて14人が5組に分かれてスタート。
夫は3組目。初参加でハンデ29をもらい、密かに優勝を狙って気合が入り過ぎてOBからのスタートとなった。
わたしは4組目でスタート。前日の練習でわたしは不調の極みで最高に緊張したが、皆さんにリラックスさせてもらい二人の楽しいメンバーに恵まれ快調な滑り出しとなった。
しかし!
キンシャサゴルフクラブでコースに出た経験は4回のみ。今日で5回目の身には、池とバンカーがそこここに散りばめられたコースは容赦なくわたしに厳しい試練を与え続けたのだった!

とはいえ、緑豊かなよく整備されたコースで、池には蓮の花が咲き誇り、耳には、可愛らしい鳥のさえずりが聞こえてくる最高の環境だ。
9ホール回ったところで、休憩できて喉を潤せる。
時折り吹いてくる風が心地良い。




わたしは中央アフリカのバンギでゴルフを始めたが、16,7年のブランクの間にゴルフクラブも格段に進化し、キンシャサ赴任の今回、その格段に進化した娘のお下がりを譲り受けたのだった。

今日も試練の時は、娘の握ったゴルフクラブでできる幸せを思って乗り越えた。
そして、娘夫婦が宮島旅行で買ってきてくれたしゃもじお守りを身につけ、それが心のよりどころとなった。

結果は、スコア150。池ポチャも2,3回。バンカーも吸い込まれるように数回。汗で化粧もはげ落ち、腕は日差しにさらされ続け、走る場面もあったが、それでも楽しいゴルフができた。楽しい仲間と組めたのは感謝感謝だ。



さて。OBスタートの夫は、前半で大幅に崩れ、後半は逆に「優勝」が頭から消えてリラックスできたのか持ち直して、「大波賞」を獲得。
包み紙の上からの感触で、ゴルフボールっぽいね、と話していたら・・・。

・・・開けてみると、入浴剤!
湯船にでもつかってリラックスできるなあ・・・と思ったら、中から出てきたものは・・・・。
キンシャサゴルフクラブで池ポチャしたボールを”クロコダイル”と呼ばれるおじさん(池に胸まで浸かって足でまさぐってボール拾いをしている!)が集めて売っているのだが、そのリサイクルゴルフボール6個がピッタシカンカンで寸分のすき間もなく収まっていたのだった!!
お見事!!
クロコダイルおじさんのボールをぴったりマッチした入浴剤空き箱に入れて景品にしてしまったアイデア&心意気に、夫婦で唸ってしまった~素晴らしいユーモア!!
こんな景品も楽しみのひとつだ。前回優勝者とブービー賞者の二人の幹事のアレンジにも感謝。

ゴルフ終了後は、近くの「マンダリン」という中華レストランで恒例の、昼食を取りながらの結果発表と表彰式だ。
炎天下でのゴルフのあとのビールとご飯はまた最高においしかった。

帰宅後、シャワーを浴びて、キンキンにエアコン効かせて午後のシエステ・・・****。
バンギ時代は、子どもの勉強もあっておちおち昼寝なんてできなかったが、子どもも成長して独立し、夫婦二人だけの赴任で、心置きなく昼寝できるなんて「ああ、幸せ~!」などと思ってしまう。

そして、しばらくして夫婦して、足がつって「イテテテー!!!」で目覚めたのだった。
わたしは両足が同時につった、なんて初体験!もう頭の血管が爆発しそうだった。
エアコン消して、ソックス履いて、疲れたのでまた再シエステ。

今、夜10時半。早々と寝た夫は、先ほどまた「いてて~」!。夢の中で足がつっていたのか、ホントにつったのか。
キンシャサでの楽しみをひとつひとつ重ねて、また明日から1週間が始まる。

2012年2月15日水曜日

動物園に行った

この前の日曜日の昼過ぎ、キンシャサの街の中心地にある動物園に行った。
サファリパークではなく、”動物園”がキンシャサにあったのだ。
入り口の鉄の門扉は閉まっていたが、「大人1人1000フラン、子ども1人500フラン」(900フランで1米ドル)と表示されている。
運転手が入場方法を訊いてくる、と言って車から降りていった。結局、私たちは1人2000フラン、運転手と車はそれぞれ1000フランを支払って入場した。

なんだか懐かしい動物園だ。
動物が入れられている檻や網は古いし、カラフルな飾りもないし、もちろんメリーゴーランドのような乗り物も売店もない。それでも、わたしが小さい頃よく連れて行ってもらった郷里の動物園に雰囲気が似ている。
そうだ、家族連れがあちこちで目に付くのだ。そういったのどかな、平和な空気が漂っているから懐かしいのかもしれない。家族連れは両親と子ども達2,3人が一単位で、みなパリッとおめかししているところが微笑ましい。弁当はどの家族連れも持ってない。音楽会にでも行くかのような格好だ。それとも、教会もミサの帰りに立ち寄ったのかもしれない。

ワニの前でお母さんが小さな子どもに何か言っている。「いい子にしてないとワニさんに食べられるよー!」とでも言っているのだろうか、子どもは顔をこわばらせて母親の後ろに隠れている。どこでも同じような会話なんだろうなあと和んだ雰囲気が漂う。

入ってすぐ、ワニのいる檻がいくつか並んでいる。檻の中に池があるが、手入れが行き届いてないのが一目瞭然。ワニが動かない!もしかしたら餌ももらえず干からびてるの?・・・と思ったら、目が動いた。運転手もなぜだか嬉しそうに一緒に来ている。餌をもらえないから可哀相だ、とかなんとか言っているらしい。
上の写真は、赤い垂れ幕に、「アントワネットとシモン。ナイルワニ。動物園開園のときからの年取ったわに。」とあるが、1938年に開園したのか、1938年に生まれたのか?写真の垂れ幕も見えないし確かめようがないが、戦前からの動物園とは思えない。ベルギー領だったときだ。もしかしたら、74歳のワニカップルなのか?
写真に写っているような首にチーフのある中学生くらいの男の子達もよく見かけたが、ボーイスカウトなのかな。
まだらの大蛇もいた。表示プレートにはインド産とあるから、この動物園で飼育されているのは、コンゴの動物だけではないらしい。

「キンシャサに動物園がある。」と教えてくれた夫と同じプロジェクトに勤務する方が、「腕枕で寝そべる、人間のようなおっさん猿がいて、こちらがジイーっと観られているような不気味な猿だった。」と教えてくれた。
おっさん猿、か・・。

見え難いかもしれないが、ほんとだ!前身毛むくじゃらだし顔も手も黒いけど、人間みたいにスラーッとからだが真っ直ぐで格好がまるで厭世観漂う”おやじ”だ。







映画”猿の惑星”の猿人より人間に近い容姿に思える。
それにしても、うつろな表情だ。こんなとこに入れやがって、もうどうでもええわい、といった風情のおっさん猿だった。
これこそが、「ボノボ」じゃないの?と思ったが、一度キンシャサ郊外でボノボ擁護団体、”Le Paradis des BONOBOS"を訪れた夫は、「ボノボはもっと小さかった。」と言う。そこは、森ではぐれた孤児ボノボを保護して、成長したら森に帰れるようなプログラムを持つところなのだから、子どものボノボしかいないのは当然だ。ボノボは50歳くらいまで生きるらしいから、このおっさん猿はボノボかも。
もう一度。
ほら、もう、世を捨ててる感じ。
おっさん猿をよく観たい、目が合ったら話しかけてみたい、と思ってどんどん檻に近づいておっさん猿の世界に入り込んでいたら、ツンツン、と肩を叩かれた。 思わず、猿から小突かれたかと思って叫んでしまった。「キャー!!」ボーイスカウト風のスカーフを首に巻いた男の子達だった。笑っている。檻に近づき過ぎると引っかかれるよ。そうだったね、Merci!

こんな猿もいました。まるで、絵本のおさるのジョージ だ。チンパンジーだと思うのだけど。
息子の小さいときを思い出して胸キュン。






こんな猿もいたけど、名前もわからないし、コンゴに生息しているのかも不明。









この猿はなんだっけ?



これもチンパンジー??あれ?このお猿さんがボノボかな?

顔も手足も真っ黒。無言で静かに手を差し出す姿が胸に突き刺さった。あんた餌もらってないの? と訊くとコクン、と頷いたような気がした。



猿の種類が続いた後、こんな大きな鹿のような動物もいた。やはり、どんな動物かという案内表示がない。










森の賢者、ふくろうも発見。







動物園の奥のほうに動物園事務所のような建屋が見える。結構な入場者がいたが入場料は餌代に回らないのだろか。動物の住む環境整備に問題を感じたし、動物の入っている檻や網が壊れかけていたり、空っぽの檻も目立つ。それでも、家族連れや友達グループとすれ違うたび、平和な憩いの場所がコンゴにもあったのだ、とうれしくなった。
こんな子ども会のような団体が来ていてゲームをしたり、音楽にあわせてダンスをしたりして楽しそうにしていた。皆、お弁当や水筒を持ってきていて、一日、ここで過ごすのだろう。


コンゴの東の地域では未だ紛争が絶えず、少年兵の存在を知ってからはますます、この国の子ども達のことを憂えていたが、家族仲睦まじい場面や、子ども会のレクレーション場面に出会い、日本と同じように子どもたちが大切に保護され育成されている様子に心が温かくなり、コンゴの国の将来にかすかな光を感じた。

アフリカで見た初めての庶民の憩いの場だった。

でも、あのおっさん猿が気の毒でならない。

2012年2月8日水曜日

きゃあー!!出たあー!!

まあ!なんてきれいな台所でしょう!
どこのお宅の台所かしら?って思ってしまうくらい、きれいに撮れてる。きれいに見える!
これが、コンゴマジック!!
外見はよくて、内実はがたがたの作り。
ここは我が家の台所。
実際の我が家の台所事情は、上部扉も下部扉も変形していて扉が閉まらないか、あるいはパカパカ開いてしまうような粗悪な代物。
そこで夫は、どこから拾ってきたのか、誰から教わったのか、彼の大好きなサバイバルグッズ(生きる知恵だとか言ってガラクタをストックする夫です。)のわんさか入っている引き出しからタイヤの(かな?)薄いゴムを引っ張り出してきて、四角に切って短い釘で扉の下部に打ち付けて扉のすき間を無くして固定したりしてやっとここまで来ました。(夫は喜々とした表情でやっておりました。)
下部扉の内部はもう恐ろしい状態で、立て付けがお粗末だから棚や床板がぴったりはまってない!穴だらけのすき間だらけだから、わたしの嫌いな虫の巣窟となっていること間違いなし!という状態。内部を可能な限り掃除して日本から持ってきた何とかダンゴを目いっぱいぶち込んで塞いで、下部扉は”開かずの間”にしようと決めました。それなのに、夫はビールとソーダの瓶入れのスペースがほしいと言い出しました。仕方がない、いちばんマシな棚のところの扉2枚分だけ専用スペースにしたのでした。
引っ越した当日には、水を流すと排水パイプから水が漏れて、床が水浸しになったり(これも夫が誰に聞いたのかゴムを細く切って排水溝の接続部分に巻き付けて修理。)、絶望的な台所でした。
台所上部の棚の扉がないところと窓に、ピンクのギンガムチェックの布地でカーテンを作ってもらって取り付けたり、工夫してやっとこんな台所になりました。

さて。下の写真は我が家のサロンです。カーテンの洗濯までまだ手が回らないし、重厚なカーテンはわたしの趣味ではないので、こうやって結んで隅っこに追いやっています。夜も、レースのカーテンだけを閉めています。
いつもは、朝起きてレースのカーテンを開けるとそれらもくるっと結ぶのですが・・・。
今日は、恐ろしいものに対面したので、そのままにしていました。

このサロンも、手前のソファに湧いた虫退治を終え、やっと落ち着いたように思いましたが、窓枠の下のエアコン室内機と室外機を結ぶ線が数本通る穴が壁に空いていてすき間があるのが気になっていました。変なモノが外から入ってきたらイヤですもん。
でも、まだすき間は空いたままの状態です。
さて、今朝、ここのレースのカーテンをさーっと開けた途端、ボトン、ジョロジョロジョロ~、っと黒いものがわたしの視界をかすめました。
ッギャャアア!!わたしの大大大の大っ嫌いなゴのつく虫でした。フランス語でカファと言うので、カファと呼ぶことにします。もう怯んではだめだ、とバイゴン(写真中に緑のボトルの殺虫剤が確認できるでしょうか。)を取って来て敵に振りかけようと戻ってみたらいない!!ちなみにと室内機をゴン、と足で蹴るとジョロジョロジョロ~!もう死に物狂いでバイゴンスプレーのおみまいだあー!
息絶えたのを確認して、わたしは寝室でメイドのフロランスおばさんの来るのをひたすら待ちました。
9:15過ぎ、彼女は堂々の重役出勤!
フロランスー、黒くって大きなカファが出たあ、死んでるから捨ててください。まだカーテンにカファがいるように思うから、解いてカーテンを確かめてください。
ハハハー、日本にはいないの?(いるけど・・)バイゴンをカーテンの上からスプレーしてみましょ。もしカファがいたらボトンボトン落ちてくるからね。(へえ、同じ擬態語使うんだ。)シュー!!ほーらカファはいないってことだよ。
よかった、追加はありませんでした。


しかし、会社の宿舎の方は、キンシャサには小さいカファしかいないよって、それに日本のみたいに逃げ足が速くないしって言ってたのに。同じアパートに住む日本のおじさん達も、ここのはのろいから殺しやすいし、恐い虫だって思わないで「タロウが出た」って僕らみたいに呼んでごらん、って。
確かに初期のころ台所で出くわしていたカファは小さくて薄茶色でのろかったから、まだ悲鳴も「きゃ!」で済んだ。でも今朝のは、本当に「んっぎゃあああー!!」だった。
ああ、カファなんてへっちゃらだい、っていう強靭な心境にならないかなあ。ヤモリは結構平気なんだけどなあ。
しばらくは、朝のカーテン開けは夫に頼もう、っと。
老後はカファのいない国に住みたいな。

2012年2月7日火曜日

アフリカの布地

小さな写真でごめんなさい。
キンシャサの町に、メインストリートには面していないものの、ひときわ目立つセンスの良い店がある。
この写真では見えにくいかもしれないが、”VLISCO”というアフリカの布地の店だ。
銀座にそのまま出店しても遜色ないような店構えだ。(もしかするとわたしの目がアフリカの目になっているのかもしれない・・。)
キンシャサの街中に何箇所か、特大の看板を掲げて宣伝しているし、TV衛星放送「France 24」でCMも流れている。
"VLISCO"の店舗は、HPによると、アフリカ大陸内ではベナン、トーゴ、象牙海岸、ナイジェリア、そしてコンゴ民主共和国に、そしてヨーロッパでは、アフリカ布地発祥の地、オランダにあるという。
バンギ(中ア)で布地の露天商が「これは、Wax Hollandaisだ。」と自慢げに言っていたのを思い出す。確かに、アフリカ製の布地に比べてしっかりした織り地だった。
今もヨーロッパで唯一、オランダに店を構えていることはとても興味深い。

"BLISCO"店内入ってすぐ左のスペースに古典的なアフリカプリントの布地が壁面に飾られ圧倒される。古典柄もいいものだ。
右側には、モダン柄の洗練された、それでもやっぱりアフリカっぽい布地が並べられて、店のコンセプトがうかがえる。
すべてヤール幅の1反6ヤード売りだ。(1ヤード=約90cm)1反ずつ紙テープで留められている。この単位は以前と変わらない。もちろん綿100%。バーゲン品で1反20米ドル。正価だと40米ドル近くする。バーゲン品のコーナーに2ヤード分の布地がリボンで結わえられているバスケットがあるのを発見。ありがたい。

さらに進むと、もうそれは色とりどりの布地が、見やすく手にとって選べるようにズラーっと陳列されている。店の奥は、既製品がハンガーに掛けられて並んでいる。ワンピース、スカート、バッグもある。男性のアロハシャツのようなものもあって豊富な色合いだ。
手に取ってみたら、がっかり。縫製が良くなかった・・・。あらら。こりゃ、銀座出店は夢と消えました。
それでも、布地コレクションは圧巻だ。

これはほんの一部。VLISCOのホームページから採った画像だ。店で布地を購入すると、お洒落なビニール手提げ袋に入れてくれる。その手提げ袋にHPアドレスが載っていたので検索してみたら、本当に楽しい未知の世界が広がっていた!
www.woodinfashion.com
ぜひご覧あれ!

モダン柄は、古典柄に比べて柄が小さい。古典柄は、度肝を抜かれるくらい派手な大柄のものが多い。





右の写真で、布地の端にプリントされたブランド名が見える。”Woodin”、”COTE D'IVOIRE"と記された布地は、わたしがVLISCOの店で購入したものだ。

バービー人形のようなマネキンのような店員のお姉さんがツン!と可愛くすまして、「ここの商品はコートジボアールからのものです。」と説明してくれた。


この写真の一番下の緑&茶の布地は、”DaViva”というブランドのもので、スーパーマーケット”HASSON et FRERES"内の一角に店がある。ガーナ製とのこと。テーブルクロスにするのにちょうど良い小さい模様が多い。アフリカの古典柄は店内一周したが見当たらなかった。

それでも、やっぱり1反、6ヤードで売られている。

古典柄のプリントといえば、夫が前回の滞在時、地元の市場で買っておいたという布地がそれだ。

右の写真は、その余り布でわたしが作った財布だ。
コンゴ民主共和国(DRC)では、アメリカドルとコンゴフランが「1:900」のレートで2本立ての通貨流通となっている。米ドルで支払ってコンゴフランでおつりをもらうのだが、わたしには計算できない。スーパーマーケットではすべてPCで処理されている。コインは使われていないから端数切捨てなのだろう。

だから、わたしの財布は、米ドルとコンゴフランの紙幣だけ。印刷も見えないくらいぼろんぼろんの紙幣には驚く。

すべて手縫いだけど、愛着があって、使い勝手もなかなか良い・・と自画自賛・・。







アフリカ古典柄の布地は、キンシャサから隣国、コンゴ共和国の首都、ブラザビルへ向かうフェリー乗り場の近くの布地横丁で買える。狭い路地に露店を営むマーケットマミーが、通りかかる客にけたたましい声で呼びかけている。

"BLISCO"や、DaViva"の半値から3分の1の値段で買えると思う。


現地の布地横丁はこんなところだ。こういう空間で選ぶのもまた楽しい。

中央アフリカ、バンギにいたときは、こんな露店で古典柄の布地を買っていた。

一反=6ヤードのうち、2ヤードでロング巻きスカートにし、2ヤードでブラウスを仕立て、残り2ヤードを使ってある女性は腰に巻いてボリュームを出したり、ある女性は頭に巻いて帽子風にしたりしてお洒落の個性を競っていた。赤ちゃんのいる女性は残りの2ヤードで赤ん坊をくるんでおんぶしていた。

それが1992年~95年にバンギで見かける女性の服装だった。

今、キンシャサでは、そんな格好をする女性はまず見かけない。

町行く女性は、普通のワンピースやスカート、またはパンジャプドレスのようなパンツスタイルとなり、頭に巻いていた布地の替わりに「カツラ」か「エクステ」になってしまっている。


下の写真は、夫の会社の現場の秘書の女性。お洒落でしょー!!(撮影者=夫!)


初めて彼女に会った時は、ロングヘアーのジーンズ姿だった。今日はショートヘア。

体も縦横、厚みともしっかりあるので、見栄えがする。

彼女が言うには、20米ドルあれば、布地購入&オーダーまでできるのだそうだ。

かれらの独特の色使い、センスの良さは一体どこから来るのだろう。

2012年2月1日水曜日

サロンからの風景

こんな風景が、我が家のサロンの大きな窓の外に広がっている。
いつか話した背高の針葉樹林が4本。
このアパートの5階と同じ高さなのではないか、と思う。
わたしはこのサロンからの景色が気に入って、このアパートに決めてもいいよ、と夫に言ったのだった。
我が家は日本式の3階にある。サロンは南に面しているから、朝日から夕日まで見える。
そのまま目線をしたに下ろすと、バナナの木のような、大きな葉が扇状に広がって付いている木がある。いかにも熱帯の植物だ。昨日、2,3本の大きな幹を斧で切られて、ずいぶんとさっぱりした。

そして赤レンガの小道を辿ってゆくと幅7,8メートル、長さ20メートル弱のプールが見えるが、
誰一人泳いでいるのを見たことはない。
階下に住むアフリカの家族の子どもたちが午後遅い時間にプールサイドで遊ぶ声が聞こえる。
17,8年前の我が家の子どもたちがいたら、きっと良い友達になっていただろうな、と思う。

さて、もっと遠くに視野を広げると、古いけどちょっと洒落たクリーム色の5階建てアパートが左右に2棟見える。2つのアパートの間のスペースには芝生が広がり、子どもたちの遊具が2,3見える。
どちらのアパートにも、屋上に衛星放送用のアンテナがいくつも立っている。
我が家にも先日、パラボラアンテナが届き屋上に設置したが、業者のお兄さんが屋上にはアンテナがいっぱいだった、と言っていた。
そしてアンテナの白い引込み線が屋上からタラン~と本当に無造作にぶら下がっているのがサロンに座っていて見えるのだ。
あんな超イージーな取り付けでいいの?って思うけど、大丈夫なのだそうだ。
キンシャサは、地震も台風も突風も豪雨もない穏やかな気候だから大丈夫、なのだそうだ。
ちなみに、遠方に東京タワーみたいなのが見えるが、近くで見ると、小学生の夏休みの宿題で作った竹ひご工作みたいな、突風でも吹いたらパタン!と即座に倒れること請け合いの粗末な塔だ。
そんなことからも、ここの穏やかな気候が推して知れる。

そしてその横に見える10階建てか11階建ての建築中のビル!!
これがまた、本当に恐ろしい。
左端のベランダの塀は赤レンガを積み上げてセメントで塗っているだけのもので、最上階の塀が未完成のまま、赤レンガが抜けた歯のように欠けている。
屋上からその欠けたままの赤レンガ塀を通ってロープが吊るされ、ロープにはゴンドラがぶら下がって作業員がセメントを壁に塗っているのだが、もうホントに足はブルブル、息詰まる光景なのだ。
見なきゃいいのだろうけど、見てしまう。
この写真では上階の部分だけクリーム色に壁が塗装されているが、あっという間に最上階を残してこちら側全面の塗装完了。ただし、作業員が片手でローラーを使ってごろごろ手作業で縫っているから、塗りムラがあってみっともないことこの上ない。
さあ、これからどんな展開があって、ビル(多分アパート)が完成するのか、ハラハラしながら見てゆくのだろう。
そして、一日が暮れようとする頃、サロンの窓から左の空を見ると、それは美しい真っ赤な夕日が拝める。下の写真は、夕日に焦点を当てたから回りの景色がぼやけてしまった。
バンギで毎夕見ていたときのような真っ赤なでっかい夕日、を想像していたが、キンシャサのは予想より小ぢんまりし過ぎるくらいの夕日だけど。なんでだ??


今日もまた一日が暮れてゆく。

2月1日。8年前亡くなったわたしの母の誕生日。

そしてわたしたち夫婦がキンシャサへ来て1ヶ月が無事に過ぎた。

今夜は、夫と共にポアルー道路工事プロジェクトに携わる日本の方たちを食事に招待する。

キンシャサで買った布地でテーブルクロスも作った、というか周囲をまつっただけだけど。

キンシャサに何種類もあるビールも冷やしている。

さあ、最後の仕上げをしなきゃ。