2012年1月29日日曜日

ポール親方

昨日の午後、数日間にわたっての網戸の取り付け工作(・・といいたくなるような工事!)が完了した。
ポール親方の力作だ。
上の写真は、ダイニングからベランダに出る、下までのアルミサッシ窓に取り付けられた開閉扉式の網戸。
他に、台所のよろい戸式ガラス窓の所に取り付け、リビングの大きな窓、二つの寝室の窓にも作ってもらった。計5箇所だ。
それで、材料費と制作費、設置費合わせて300米ドル(23000円くらいかな。)をポール親方に払った。
彼の工作(!)道具一式は、5㎜角くらいの方眼メモ用紙、握るとこだけにしかプラスティックの外カバーが残っていない残り少ないインクの黒ボールペン、木切れに巻いた紙やすり、金槌、釘抜き、のこぎり、形ばかりの直角になった金属性定規(なんて言ったっけ?)。以上。
それに網戸の材料として、金属製の網、くぎ、薄い板、角材、そして扉式のところの蝶番と錠。以上。
シンプルなこと、この上なし!
くぎは大量に袋に残っていたが、用意された薄板と角材は見事に使いきってしまった。



はい。これがポール親方ご愛用ボールペン!

これで、板に印を付けたり、請求書書いたり、カッコ良いサインもしていた。

ボールペンの先のほうしか、プラスティックカバーがない。



我が家は日本式の3階。リビング窓と2つの寝室窓のところに網戸を取り付けるとき、ひょい!っと窓を乗り越えた。ぎょっとして覗くと、下の階の窓の庇(ひさし)が50㎝ほど突き出ていてポール親方はそのわずかなスペースでトンカン取り付け工事を始めた。

「気をつけてー、でないと落ちるよー」

「Oui♪ moi♪  je ne tombe pas ~♪」わたしは落ちないよー♪・・・どこまでも陽気なポール親方だ。

いざ、というときはポール親方の腕をさっ!とつかまえるんだ、と我が心に言い聞かせた。


「ポール、ここに隙間があるよ、蚊が入ってくるじゃない。」

「Oui, les moustiques entrent dans la chambre ♪」蚊が入ってくるよー♪ 

木切れを適当にバキリ!と折って、穴を塞ぐ。大きい空間のときは木をのこぎりで切って横板を渡して釘で留めて空間を塞ぐ。なんでもござれ!定規で測る、なんてことは知りませーん。すべて目測だ。


ベランダに散らばった木屑や木粉は手で集めてゴミ箱へ。

集められなかったごみや、曲がった釘はポイポイ、下へ投げ捨てている。

「誰かが下を通ってて頭に当たったよ。」

「Oui, quelqu'un marche ♪」 誰かが下を歩いてるー♪

なんでも歌になるポール親方。


「ポール、網戸を取り付ける前に、庇のごみを取って。窓ガラス拭いて。」メイドもこの時とばかりにポール親方に頼んでいるが、いやな顔ひとつせずに Oui ♪ Oui♪ 

きちんとした仕事をしてくれる。


さあ、ポール親方の仕事もこれで終わりだ、というときに、アルミサッシの窓枠の上部に灰色の土でできた蜂の巣が何十cmも繋がってできているのを発見。明らかに空っぽの巣だけど、発見してしまったからには撤去するしかない。

「ポール、蜂の巣があそこに!」Oui ♪ Oui♪  はいよっ♪

見上げて、彼の頭の上にぽろぽろ蜂の巣の土を落としながらきれいに取ってくれた。


何度かの作業のたび、ほぼ正確な時間に現われて一生懸命仕事をした。ある日、わたしが今出かけるところだから帰ってきたら来てください、30分か40分後かに帰宅します、と言って出かけ、わたしが門番に帰宅したとポールに伝えて、と言い忘れてしまったときも、

「わたしは危うく昼寝をするところでしたよー」

と言いながら現われて作業を始めたこともあった。


ポール親方、ありがとう。仕事が終わるとさっさと玄関ドアを開けて帰ってゆく後姿に、

「仕事以外に庇を掃除してくれて、窓拭きをしてくれて、蜂の巣を取ってくれて。どうもありがとう。」

ポール親方にちょこっと余分にお駄賃を払った。

Merci . C'est gentil. Merci.

このときは歌わずに笑顔で挨拶した。


これがポール親方!目を閉じて写っているけれど、もっと生き生きした表情で筋肉モリモリの体格の背高の親方だ。

40歳なんですって。歳を取りすぎたね、って。

ポール親方が帰っていって、ひょい、っと物干しロープを見ると。

この親方の着ていたランニングがぶら下がっていた。

なんでこんなとこに薄汚れた親方のランニングがあるわけ!!?

なんと。その黄ばんだランニングの裾に、乱雑な見慣れた字で「S」と書かれていたのだった・・・。





2012年1月25日水曜日

コンゴの avocat アボカド

アボカドの話。
キンシャサに来てお世話になった会社の宿舎の寝室からたわわに実ったアボカドが見えて、少し形が違うぞ、と思っていた。日本で見るアボカドと中央アフリカで食べていたアボカドは同じ形だったが、こちらのは、楽器のマラカスのような形で、枝に付いているほうが長細くなっている。
夫は、コンゴのアボカドはマズイ、と言っていたが、この前、ここのローカルマーケット”ZIGIDA”に行った時、アボカドの皮の色が茶色に変色して食べ頃のように見えたので、買ってみた。

まあ!!なんとおいしい!!
アボカド大好きな娘には気の毒だけど、本当においしいアボカドだった。
どのようにして食べたか、というと。
じゃーん!!
キンシャサのスーパーで、シンガポール製のキッコーマン醤油と、はるばる日本から来た(のかな)S&Bのわさびが買えるのだ。 それで、日本で食べるのと同じようにアボカドのおいしさを楽しむことができたというわけだ。

野菜や果物をスーパーで買おうとすると、しなびて腐れかかってるのかと思われるようなものしか手に入らないし、種類も少なくて悲しくなるが、ZIGIDA市場には、新鮮で種類も豊富な野菜や果物が山積みだ。しかも、安い!ただし、地元の市場は治安が悪いからという理由で行くことを勧めていない。

わたしはしっかりZIGIDA市場のことを把握している知人が、サントーカという現地の用心棒兄さんを案内人にして連れて行ってくれたからこそ2度訪ねることができたのだと思っている。
市場の中は、外に屋根付きの「見せ棚」が迷路のように並んでいる空間で、売主は全員オバちゃんたちだから(驚くことに彼女たちもほぼ100%カツラかエクステ愛用者!!)、活気があるし不衛生ではあるけれど、怖さは感じない。
キャベツ、じゃがいも、たまねぎ、にんじん、なす、、ピーマン、大根、中国農園からのきゅうりに青菜に青ねぎ、さといも、さつまいも、山芋(自然薯!)、オクラ、トマト、にんにく、しょうが、マンゴー、パイナップル、アボカド、ランブータン、マンゴスチン、その他の果物等。わらびやキノコを見つけるときもあるらしい。そのうち豆腐を作ってみたいと思って(にがりがなくても、酢と塩でできるのだそうです。)、わたしは大豆も買ってみた。
夫は、ZIGIDA市場に行ったことに良い顔をしない。やはり外国人にはリスクを伴う現地市場なのかもしれない。
スーパーマーケット前で外国人向けに賢く売っている屋台のおばちゃんのところで買うのを楽しみとしたほうがいいのかもしれない。

2012年1月24日火曜日

ソファに虫が湧いた!!

我が家のリビングに、3人掛け、2人掛け、1人掛けのソファが計3個置かれている。
引っ越してきた翌々日、その3人掛けソファの下に黒い粉が2,3箇所山盛りになっていた。
なんじゃ、これ??「ああ、これは虫がソファの中の木を食べて出た木粉ですよ、マダム。」
いやーん!!ソファに虫がいるの!?
「3ヶ月間、空き室になっていたから、虫が居ついたんですよ。」簡単に言うなあ、この人は。

それから毎朝起きると、料亭の玄関脇の山盛り塩のように黒い木粉の山が2,3箇所できていた。
メイドが、スプレー式殺虫剤を買ってきてソファをひっくり返して裏に張っている布地の間から撒き散らせば問題なし!、と言う。「今日は底の布地の汚れだけ、ほうきで拭っておくから。」金曜日午後2時過ぎにメイドは帰って行った。

夫が、ならばバイゴンだ!と言って買ってきたのが、「BAYGON Multi insect killer」という緑色の缶スプレー式殺虫剤だった。どこで製造されているか分からないが、メーカーはJonsonとある。キンシャサで殺虫剤の代名詞のようになっているBAYGON。

月曜日にメイドが来たら一緒にスプレーしてもらおう・・・なんて思っていた土曜日の朝、リビングに大量の昆虫の小さな羽が散らばっていた!黒い木粉も相変わらずてんこ盛りになっている。そして!!数ミリの茶色い幼虫が数匹床を這っているのを発見!!もうこげ茶色のソファ全体が虫に覆われているように思えた。知人に聞くと、家具付アパートなんだから修理か交換の権利があるよ、きちんと主張しなさい、と言う。夫は、「やだよ、そんなこと言えないよ、我慢しろ!ここはアフリカだ!!」
ふんだ!誰が夫になんか頼むもんかい!!

そして待ちに待った今週月曜の朝、メイドと二人でソファをひっくり返し底の布地の切れ目やら隙間からバイゴンをスプレーしまくった。しばらくすると、何かの幼虫やら⑤(名前も書きたくないので。最高に大嫌いな害虫・・)の子供みたいなのやら出るわ出るわ・・・ポロン!と転がって出てきた丸いものに驚いて、きゃー虫の卵だあー!と騒いだら、「マダム、とうもろこしだよ、これ。」とメイドは笑っている。何で、とうもろこしの粒まで出てくるわけ!?プンプン!!

メイドがこのままにしておいて、このアパートの管理人に見てもらおう、と管理人を探して連れて来てくれた。おっと、あなた、靴脱いでくれますか?私が言うと、メイドがリンガラ語かなんかで、多分、マダムは日本人だから汚いのが嫌いなんだ、とか何とか言っている。

「見て下さい。ソファの中が虫だらけです。もうこんな汚いソファ要らないから、換えてください!お願いです!」わたしは何度も繰り返し懇願したら、管理人青年、「まずは、家具修理人にソファの中をきれいに掃除してもらいましょう。その上で、このソファはだめだと判断したとき、ソファを換えますから。」

ホントかな??わたしは、「だったらいつ掃除してくれるの。ここで掃除するのはいやだからね。もし、ソファの中に虫がいっぱいいたら換えて下さいね。今日、来てくれるの?」・・・管理人「今日は無理です。明日かな、明後日かな。今週中には手配しますよ。」「いやーん!明日来てー!」思いっきり懇願した。
帰宅した夫は、「ま。来週来てくれたらラッキーと思え。ここはアフリカだ。」昨夜のことだ。

そうしたら、何と今朝(翌朝ということ!)、網戸製作をお願いしていたMaitre Paul(直訳するとポール親方、かな)が現われた。ソファの修理に来ましたよ~♪ へ?あなたは何でもするの?はい、わたしは網戸枠作りからソファ修理から家具製作までなんでも作りますよ~♪
そして彼はアパートの掃除人を連れてきて一緒にソファをアパート踊り場まで出して、ソファの底布地を外し・・・わたしは何が出てくるか怖いもの見たさで見張りをすることにした。私の予想ではわんさか出てくる予定だった⑤は小さな死骸が数匹、小さな黒い粉大量。あとは木屑と綿埃と、ビールの蓋とビーズと、なんと破れた百フラン札だった。
結局、ソファの中から出てきたのは、ちりとりにあふれんばかりの山盛りのごみとわずかの虫の死骸だった。

ひょうきんでひょろっと背高のポール親方は、私がじいいーーっと見張っているから(?)それは丁寧にほうきでごみを掻き出し、我が家のBYGONを持って来させてこれでもかー!っと言わんばかりにスプレーを浴びせ、その後、害虫を封じ込めるかのごとく木の部分にニスをたっぷりたっぷり塗って、そしてまた、おもむろに布地を四方八方釘でぴったり張って打ちつけてソファの短い足をねじ込み!そして、金槌を針に持ち替えて、糸で肘もたれの破れまで縫ったのだった。糸結びするのも不器用な手さばきではあったが。
ほーら♪完成♪ と言わんばかりに満面の笑みでわたしを見返したのがお昼12時半過ぎ。
めでたく、ソファは交換されることなく、我が家のリビングの元の位置に収まった。
2時間弱の作業だった。

「あの、ほかの2人掛けと1人掛けのソファも中身が気になるんだけど・・・」
「Pas de problem♪ また、粉とか虫が中から出てきた時、わたしを呼んでください。わたしはすぐ来ますよ。」今度は信じてあげよ、かな。

わたしは、金輪際、夫を当てにしないことにした。

2012年1月20日金曜日

混沌とした都市 キンシャサ

 キンシャサの町並みです。信号が「赤はあと22秒」と点滅しているのが見えます。中国からのプレゼントだそうです。大きな看板もあります。もっとすごいビルが建ち並ぶ通りもあります。キンシャサのメインストリート、6月30日通りです。片側4車線もある広い通りです。2年前くらいまでは片側2車線で通りの両側には街路樹があって風情があったんだがなあ・・・と夫は言います。
この建物、一見、近代建築のように見えるでしょ。でも、他の建築中のビルを見て仰天します。
鉄筋とか鉄骨が入ってるの??と心配になるくらい、セメントブロックが積み上げられているだけの構造にしか見えないのですけど・・。

こんな首都キンシャサで、スーパーは10店を下らず、ヨーロッパ製品やら中国製品やらが並べられ、
ローカルマーケットではコンゴ製のプラスティック製品やら布地やら、女性の100%が着けている!!と断言できるカツラ(韓国のカツラ工場がキンシャサ進出でぼろ儲けとか!)やら壊れかけの盗品まがいものまで何でもかんでもが商品となり、ビニールごみが土に同化できずに惨めな残骸として残り、もう混沌とした様相の町を、私の小さい頃に流行ったバービー人形のような格好をした女性や、「勝手にしやがれ」時代のジュリーもどきの男性が闊歩し、もう秩序も何もないコンゴ民主共和国の首都、キンシャサの賑わい。
そんな国の東のほうでは未だに紛争が絶えず、まだ年端も行かない少年兵がその戦いの中にいるというのです。
もう、何もかもが混沌とした国、コンゴ民主共和国。というか、アフリカ大陸、といってもいいかも!

今夜、食事が終わってやれやれ・・とお茶を飲もうとしたら、灯りが揺らめいて停電。
停電になったら、アパートなので水も出ないことが発覚。この地区で3日間電気がストップしていた話を思い出してぞーっとしましたが、C'est la vie. それもまた運命。
まだ夜8時にもなってないのに、寝るしかないねえ・・・とベッドでうつらうつらしていたら、照明がぱっと灯り、ラッキー!とばかりに、思いつくまま、ブログに向かった、というわけです。

本当に摩訶不思議な都市、キンシャサ。
もっと観てやろう、もっと聴いてやろう、この国が抱えている現実を。そんなことを停電の最中思っていました。
とりとめのない内容になりましたが、今夜はこれにて。
おやすみなさい。

2012年1月18日水曜日

引越しました




               1月16日に引っ越したアパート・Residence Ochidee

ゴンベ地区コトー通り




             夫の会社のキンシャサ宿舎

            SAFRICAS という建設会社敷地内に建つアパート。

            同じ敷地内にWWFの事務所もある。


 キンシャサからこんにちは。

1月1日(日)のキンシャサ到着以来お世話になった会社の宿舎に別れを告げ、1月16日(月)に夫と二人で住むアパートへ引っ越しました。

いよいよキンシャサでの生活が本格的に始まります。

宿舎から引越し先のアパートまで車で5分くらいですが、掃除と引越しに5日間を要しました。

我が家はアパートの3階で玄関入ってすぐリビングダイニングがあり、奥に2つの寝室があります。


現在、南回帰線より南側を太陽が通るのでリビングに日が差し込み、夕日がきれいに見えます。

宿舎からはアボカドの木が見えましたが、このアパートからはなんだかもみの木のようなすーっと伸びた木が見えます。熱帯雨林にもみの木??のはずはありませんよね。



アパートの庭に孔雀が一羽放し飼いにされています。優雅な孔雀です。

このアパートのオーナー女性はモブツ元大統領のお妾さんだったそうで、今でもとても有名人なのだそうです。彼女はこのアパートの最上階、5階に住んでいますが、まだ会っていません。旅行にでているようです。

このアパートには日本の方も住んでいます。

引っ越して初めての夜中にものすごい稲光と雷鳴で目が覚めました。激しく降る雨に、そうだコンゴはただ今、雨季だった!と思い出しました。それくらい今季は降雨量が少ないのだそうです。



引越しに伴い、我が家にもメイドさんが登場。

フロランスという一男四女の母。夫の事務所の運転手の奥さんです。

彼女の子供たち4人はカトリックの私立学校に通学。5人目の4歳の女の子も来期から幼稚園に通園予定だと言っています。彼女のイメージは賢母!

良い出会いでありますように。

2012年1月10日火曜日

向かい合う二つの首都

わたしたち家族が中央アフリカにいた1992年の12月。
首都バンギの空港からブラザビル経由でケニア旅行をしたときのこと。
当時運航していたAir Afriqueでバンギから赤道を越えて南南西に1時間足らずでコンゴ共和国(旧・フランス領コンゴ)の首都ブラザビルに到着した。そのときは夜中で、空港で3,4時間待ってEthiopien airに乗り換えただけだった。

そしてナイロビからの帰路、5歳の息子がマラリアを発症し、ブラザビルのホテルに入って1泊したのだった。マラリア薬を服用して症状が落ち着き、ホテル近くの中華レストランで夫が事情を話して料理をテイクアウトして来た。一息ついてホテルの窓から飛び込んできた景色に目を奪われた。
ブラザビルの町から雄大なコンゴ川の向こう岸に蜃気楼のようにふ~っと霞んで見えた大都会。
こんなアフリカ大陸の奥地にビルが林立する大都会が存在していること自体が奇跡のように思えた。
それが初めて見たキンシャサの町だった。

コンゴ共和国(旧 仏領コンゴ)の首都ブラザビル(西岸)と、コンゴ民主共和国(旧 ベルギー領コンゴ、後にザイール)の首都キンシャサ(東岸)。
この二つの首都がコンゴ川を挟んで両岸に位置し、肉眼で見えるのだ。
隣り合う国の首都同士がこんなに近接しているのは世界でここだけだと思う。

キンシャサ中心街のビルの上階の「マンダリン」という中華レストランの窓から、夜のコンゴ川風景が望めた。真っ暗なコンゴ川の向こうにささやかにまたたく町の灯り。キンシャサと比べるとこぢんまりしたブラザビルの町が確かに存在していた。きっと、キンシャサ直陸寸前の飛行機のわたしの座席からも見えていたはずだ。

そして、今日昼間、キンシャサ側から対岸のブラザビルを見た。
わたしの視野に一面、茶色く濁ってとうとうと流れるコンゴ川が入ってきてその向こうに濃い緑が見え、高いビルこそ見えないが、確かに発展するブラザビルがあった。

コンゴ川上流からキンシャサあるいはブラザビルまで河川での運搬運航が可能で、コンゴ盆地各地からコンゴ川を通って物資が集散される河港として両首都は栄えてきたのだそうだ。
両首都から下流に存在するリビングストン滝を迂回するため、キンシャサからはマタディ・キンシャサ鉄道によって河港マタディへ、またブラザビルからはコンゴ・オセアン鉄道によって海港ポアント・ノアールへと運ばれるという。(wikipedia)
確かにキンシャサ市内には鉄道の中央駅があり、確実に老朽化しているが鉄道が存在する。現在どのくらい鉄道が活躍しているかはわからないが、キンシャサもブラザビルも河川交通網の結節点として重要な役割を持つ都市なのだと理解できる。

ブラザビル←→キンシャサ間の川の距離4km。ジェットフェリーで10分ほどなのだと聞いた。
この二つの都市で大都市圏を形成し、両都市はお互いに活発な経済活動で結びついているそうだ。
人口は圏内で約900万人とか。カイロ(エジプト)、ラゴス(ナイジェリア)に次ぐアフリカ第3位なのだそうだ。

キンシャサ、水事情

今日は1月10日。
今日も朝からどんより曇っていて冴えない空模様だけど涼しい。

先日の断水は、水道局の整備工事のための計画的断水だったということを日本の援助で水道整備に入っている建設会社の方から聞いた。ラジオで断水の日時を流したそうだが、如何せん、ラジオを聴く者が周りにいなくて情報は届かず!
1992年~95年に暮らした中央アフリカでは、町行く人々がラジオに耳をくっつけて聴きながら歩いている光景をよく見かけたし、我が家のボーイ、フランソワおじさんもアイロンかけをしながらラジオを聴いていた。険しい顔をしてラジオを耳に当ててじっと聴き入っている時もあって、夫はよくフランソワおじさんから情報をもらっていた。毎日、伝言板コーナーというのもあって、冠婚葬祭のお知らせなど電話を持たない庶民には唯一の情報源だったように思う。
ところが、20年近くも経ち、携帯電話が普及したせいなのか、ラジオを耳に当てて歩く人なんて皆無。
この国でもラジオ離れが進んでいるのか。
ここのブリジットおばさんも仕事中に携帯電話が鳴って大声で話していたりするが、ラジオは聴かない。

さて、今日も水がちょろちょろとしか出ず、いつまた止まるのかと心配になってきた。
ブリジットおばさんはどうしたものか今日はまだ現れず。

水道整備の日本の援助で来ている方の話だと、キンシャサはコンゴ川があるから水源は豊富。地下水もたっぷりあるのだそうだ。それなのに水道水の出方に勢いはないし、水道の蛇口をひねっただけで錆び臭さが漂う水道水。
幸いなことに、今ではこの地でもミネラルウォーターが買えるし、大きなプラスティック容器に入ったろ過水も買える。
日本の援助で浄水場の大掃除や整備が進んで、濁りのない錆び臭のない水道水になるといいなあ。

2012年1月6日金曜日

キンシャサの日常生活が始まる

キンシャサへ来て6日目。
日本大使館に在留届けも出し、バンギ(中央アフリカ)時代の方との懐かしい再会も果たし、JICAで安全対策についての説明も受け、夫の現場事務所の方々にも挨拶を済ませた。
どなたもフレンドリーな方たちばかり。ほっと一安心だ。

JICAから「安全対策マニュアル」と「市内リラックス・ガイド」という冊子をいただいた。
後者はとても楽しい冊子でグルメ編、お買い物編、レジャー編と嬉しい情報が盛り込まれている。スポーツ施設や語学学校の紹介もあって、これから心強い情報源になるなと嬉しくなった。

大使夫人からも市内スーパーマーケットの紹介冊子をいただく。
既存の情報に、夫人自らがこの3ヶ月間で知り得た情報の一言コメントが添えられていて、こちらにも感謝。

そして、今朝、初めてメイドのブリジットさんと対面。
バンギでは年配のボーイのフランソワおじさんだったので、女性のメイドさんにちょっと緊張。くるくるとよく働いていて、彼女の仕事の邪魔にならないように、わたしは本やノートを持って部屋を移動して回っている。

外では♪ピエトロピエトロ、ピエトロピエトロ♪、と機嫌よく小鳥がさえずっている。
窓の外にはアボカドの木が緑の葉を茂らせ、おまけに緑のアボカドがごろごろ実を付けている。
アボカド好きにはたまらない話だろうが、美味しくないのだそうだ、ウソかホントか知らないけど。

木々の間からさわやかな風が部屋を吹き抜けて心地よい。
雨季だから空はどんより曇っている。こんな天気だから、じめっと湿度が高いのかと思っていたが、しっとりとした空気ではあるが、さらっと軽い風だ。半そででいると肌寒いくらい。
カーディガンを羽織った。
ひんやりしてとてもしのぎやすい天候だ。
Wikipediaによると、キンシャサの1月の平均最高気温は31℃、最低気温は21℃。
降水量135mm、平均降雨日数11日。
雨季が続く5月半ばまでが一年で一番暑い季節らしい。
確かに太陽が顔を出すと外は強い日差しで肌を刺すように暑いけど、部屋の中はさらっとして涼しいし、エアコンは必要ない。日本の夏より断然イイ!

ところが。
今朝から水が出ない。やれやれ。
飲み水に関しては大きなプラスティック容器にミネラルウオーターのストックがあるから問題ないが、食器洗いやトイレにはバケツに溜めておいた水を汲んで使った。
いつまで断水が続くんだろう。

市内でも、断水や停電が頻発する地区とそうでもない地区があるそうだ。
アパートを見て回ったときも、停電と断水のことが話題に上ったし、停電時のための自家発電機が装備されていることも住居選択の重要な決め手だと聞いた。

そんなふうにして、お昼になった。
夫たちは現場におにぎりを持参したり、近くのパン屋でサンドイッチを買って事務所で過ごすそうだ。
だからわたしも適当に食べよう。

今日は午後から大使夫人と日本人シスターを訪問する予定。
息子の通った中学高校の保健室の先生の叔母様に当たる方だ。10月初めからずっと預かっていた薬品類をやっと手渡せる時がきた。

それでは、また。

2012年1月5日木曜日

北緯49度のパリから、南緯4度のキンシャサまで

もう一つ、パリからキンシャサ間の飛行機から見えた地上の景色について、どうしても書いておきたいことがありまして。もう一度、1月1日に時計の針を戻します。

1月1日AM10:55 パリ発エアフランス便に乗り込む。パリは雨。気温5度とか6度とか。
北緯49度。AM11:30 機体は離陸。

パリ上空は厚い雲に覆われていた。ずっと雲が地上の景色を阻んで見せてくれない。

ところが南フランスのところで突然、雲のじゅうたんが消えた!!
地中海沿岸は太陽サンサン!!
娘の夫が英国の会社勤務なのにロンドンでもパリでもなく地中海沿岸に住んでいるのは温暖で太陽あふれる地中海の気候の中で暮らしたいから、という理由がよく理解できる。
PM12:30 地中海へ出る。太陽いっぱいの天国のような世界が広がる。

PM13:15 アフリカ大陸上空に突入。アルジェリアのアルジェの町かな。
ようこそ、アフリカ!・・あれ?違うな。
おひさしぶり、アフリカ!!
大陸入ってすぐは山岳風景。右手にはアトラス山脈。てっぺんに雪を頂いた山々も見える。

ほどなく土漠風景に変わってゆく。
そしてさらさら砂漠へ。
一眠りして、窓から見下ろすと、きれいな一面の砂地の世界になっていた。PM2:30。
昼間のサハラ砂漠は灼熱の空間だ。
PM3:30 一面さらさらの砂地の風景が続く。雲なんかかけらも、ない!
サハラ砂漠上空はいつも機体が大きく揺れるが、やっぱりシートベルト着用サインが点灯。
PM4:00 パリからの距離3700kmの表示。
高いところにうっすらだが雲が出てきた。一面、まだ砂地。機内もむっと暑い。
なんと巨大なサハラ砂漠!!

そろそろ緑の熱帯雨林の風景になるかと思っていたら、下界は厚い雲に見事に隠されてしまっている。
いつもだったら、ブロッコリーのようなジャングルに蛇行した川が見え、ワニがあんぐり口を開けてそらおいで!!と私たちを見上げているかのような深い緑の熱帯林が横たわっているはずなのに。
現在、雨季だと聞いた。

PM6:00過ぎ 静かに赤道通過。機内アナウンスも、客席からの拍手もない。
ひとり赤道の向こうに沈む夕日をまぶしく(!)見つめていたら、お隣のおじさんから「窓閉めろぃ」!
おじさんの顔に当たらない程度に窓をちょい開けして、赤道の夕日をPM6:15日没まで見つめ続ける。
機体が高度を下げ続け、厚い雲の下まで降りてきたとき、キンシャサの町が顔を現す。
暗闇に広がる熱帯雨林の町。コンゴ川の側に広がった町。
ところどころに町の明かりが見え隠れしている。

PM6:50 キンシャサへランディング。
南緯4度19分30秒。気温28℃との機内アナウンス。

樺太と同じ緯度である北緯49度のパリから、フランスの国を縦断し地中海を経てアフリカ大陸へ。山岳地帯から土漠へ、そしてサハラ砂漠を越えて熱帯雨林に入り、赤道を越えてたどり着いたコンゴ民主共和国、キンシャサの町。
パリ→キンシャサ間、6100km。
およそ7.5時間のフライト中、地球が見せてくれるパノラマ飛行は、どんなフィルムより見ごたえがある。

機上から見た赤道の夕日

こんばんは。キンシャサ4度目の夜を迎えています。
今日も夕方6:20頃、西の空の建物の向こうに日が沈んで行きました。
バンギにいたときは、熱帯雨林の緑の中に夕日が呑み込まれてゆく、という雄大な風景を毎日見とれたものでしたが、キンシャサにいる限り、熱帯雨林の中にいるというイメージが湧きません。
どちらを向いてもおんぼろ建物か、あるいは外見だけは妙に粋で洒落た、でも、粗雑な作りの建物が目に入るだけの雑然としたアフリカ独特の都会風景が広がるキンシャサです。

1月1日、エアフランス機内でのこと。
もうじきキンシャサ到着かと思われる18時頃、機内パソコン画面の地図で私たちの乗った機体が赤道近くに差し掛かっているのを発見。わあ!もうじきこの機体が赤道を通過するぞー!
いよいよ18時過ぎ赤道通過。もちろん赤いラインなど見えるはずもなく、よくもまあ人間は地球に赤道なるラインをぐるり!と巻いたものだ、と感心していたら、ちょうど機体からほぼ垂線を引いたところに太陽が隠れようとしているではありませんか!!
ああ、なるほど、あの方向が真西で、機体から垂線を引いたその垂線こそが赤道なのだ、と理解できました。
なんと、飛んでる機体から赤道に沈む太陽を拝めるとはありがたい!!
赤道に沈む夕日をわたしたちに見せるために設定された「10:55パリ発キンシャサ行き」便のようなありがたーい気持ちになりました。
うっとり赤く沈み行く夕日を見つめていたら、通路隔てた隣席のおじさまが、「まぶしい!窓を閉めろぃ!!」と手振りで不愉快さをあらわにしました。黒地に白い縞模様の背広がだぼだぼの、それでも一生懸命おしゃれしているのだろうなあと、その心意気がいとおしくなるようなアフリカのおじさまでした。

世界中、いろんなところで繰り広げられる夕日の光景。
ひとつひとつの光景を大切に胸に刻んでゆきたいと思います。

2012年1月2日月曜日

バイバイキーン! と、キンシャサへ !

キンシャサから第一報。
18:30過ぎ、すっかり日没した中をゆらゆらと飛行機は高度を下げてゆき、熱帯雨林の緑とミルクティ色をした大河・コンゴ川がしっかり眼下に広がり始め、とうとうキンシャサに着陸。
機体がアフリカ大地に接触したドーンという音が聴こえるや、機内から拍手が起こる。
わたしも拍手にご相伴!
2012年1月1日18:50、16年ぶりにアフリカの大地に降り立った。
何もかもがわたしの以前のアフリカの記憶と一致する。違和感は微塵もない。
夫から、アフリカの人々の間に携帯電話が驚くほど普及しているということを聞いていたから
それにもびっくりしなかった。
空港から街中に出る道路から、あちこちから人々の生きるダイナミックな鼓動がずんずんと私の体に響いてくる。ゴミ箱をひっくり返したような混沌としたアフリカの町。
会社の宿舎に着いてすぐ、何も考えずにベッドに吸い込まれて熟睡。
出発前になってわたしはインフルエンザにかかってしまい、その菌やら迷惑菌やら色んな菌をばらまいてキンシャサに来たんだなあ、と心から友人、家族のありがたさを思い返している。
ただ今、コンゴ時間5時半過ぎ、夜が明け始めた。
1時間前から小鳥の陽気なさえずり声が聞こえ始める。
鳴き方こそ違うが、バンギでも夜明け前から小鳥が狂ったようにさえずっていたことを思い出す。
もう一度、寝ようかな。
やっぱり54歳のしかも病み上がりの体には、東京ー(9730㎞)→パリ、そして6時間待ちで乗り換えて、パリー(6100㎞)→キンシャサは遠かった。
キンシャサ第一日目。どんな出会いがあるかな。
それでは、またキンシャサ便りを送ります。