2012年5月31日木曜日

乾季、到来!!

5月21日朝 大雨直前のポワ・ルー(Poids  lourd)道路 今雨季最後の雨となった


・・・そして、乾季到来を知らせる うろこ雲の広がる空

いよいよ、キンシャサに乾季到来。

目にはさやかに見えねども~、ひんやり感の空気のそよぎでそれと知られる~。

先週の月曜日(5月21日)は朝から大雨だった。雷も鳴り渡り、朝だというのに、まるで夕方日没後のような暗さで、雷も伴い、下水機能の悪いキンシャサの道路は川のようになっていたらしい。
冒頭の写真は、夫が朝の出勤途中に工事現場のポワ・ルー道路で撮影した写真だ。
重たい雨雲で街中が暗くなり、直後に大雨となった。

それが今年の雨季の、最後の雨だった。

コンゴ人の誰もが、雨季は5月15日まで。それから乾季が始まるよ。皆が口を揃えてそう言う。
何を根拠に、”5月15日まで”なんだ??
”au millieu du mois de mai” (5月中旬に)、という言い方をせずに、きっぱりと、”5月15日に”と、日付で言うコンゴの人たち。
家政婦のフロランスも、5月15日朝、いつものように10分遅れで到着したとき、開口一番、マダム、今日からsaison seche だねえ、と言った。

先週の金曜日(25日)にフランス語の先生が来た時、第一声が、「空気がひんやり新鮮(frais)だって感じない?」だった。
あ、ほんと、ひんやり、さわやかだ。

「でしょう。これが、わたしたちの”saison seche”(乾季)なのよ!」

とってもうれしそうに言った。

感覚として、暑い夏の後にやってきた季節だから、わたしには日本の”秋”と重なる。
朝の気温は南向きのベランダでほぼ25℃。
今は6月20日か21日の夏至に向けて太陽は赤道を越えて北回帰線目指して北上中だから、南向きの我が家からは太陽は見えない。
(今、キンシャサの太陽は北側を通過する。)

そして、上の2枚目の写真のように、朝8時くらいだっただろうか、天気の良い一日になるぞー!と空を見上げると、なんと、日本の秋の空のように”うろこ雲”が天高く広がっていた!

さわやかな朝だ。

乾季は9月15日までだと言う。

中央アフリカ、バンギにいたときは、コンゴと雨季と乾季が逆だった。
バンギでは、雨季の始まりにテルミットという羽虫が、終わりには「キンダゴゾウ」というまるでどこぞのゴンベエさんのような名前で呼ばれるバッタが大繁殖し、どちらも庶民の貴重な動物性蛋白源として食用虫だった。
バンギでは、4月に日本の春雨のように”マンゴー雨”と呼ばれる雨の季節がちょこっとあり、その雨でマンゴーが実ると言われていた。アカシアやジャカランダの花もこの頃一斉に花開いたと記憶する。
そして雨季は5月から10月。そして11月から4,5ヶ月の間、乾季で雨が降らないのだが、不思議なことに12月1日の独立記念日だか何かのナショナルデーにだけ決まって雨が降るのだと人々は言っていた。
それを、人々は”独立の父、ボガンダさんの涙”と言い表していた。
国の独立を国中の人々に知らせるために飛行機で国内を飛び回っていたとき墜落事故に見舞われ、志半ばで亡くなったボガンダさんの無念の涙なのだと。

赤道を挟んで雨季と乾季の時期がずれることで、中央アフリカとコンゴの境界を流れるウバンギ川などいくつもの支流を持ち、赤道を上下しながら流れるコンゴ河は、いつも水量が豊富で一定なのだと聞いたことがある。


乾季となり、今はさわやかな澄んだ空気で満ち満ちているが、そのうち、雨が一滴も降らなくなると、街の草木の緑色が消えていって、街中が埃っぽくなってゆくのだろうか。
そう考えると、今が一番良い季節なのかもしれない。

”♪ Mabende na zo somba~ ♪” 

リンガラ語で、鉄くず、買うよ~、と節をつけて歌うように言いながら、オペラ歌手顔負けの美声を張り上げて、今朝もおじさんが通り過ぎてゆく。

2012年5月26日土曜日

初めての病院

CPU(私立救急センター)で点滴治療を受ける


今回は、キンシャサ滞在で初めての病院行きのことを書いてみようと思う。

この前の日曜日は、キンシャサ・オープン・ゴルフ開催中ということで久しぶりにのんびりした朝を過ごした。
午後から1時間だけゴルフの打ちっぱなしの練習に行ったほかは、夜の来客のための食事準備をする。

そして、さあまた1週間がんばるぞ、と思って月曜の朝目覚めたら、ドシャ降りの大雨。
しかも、乗り合いバスが全く動いていないと家政婦のフロランスから電話が入る。半信半疑ながら、バスが動いたら来るようにと伝えたが、結局、その日は彼女は現れなかった。

事務所からの夫の電話で、キンシャサじゅうの乗り合いバス運転手のストで交通機関がマヒして動いていないことを知った。
乗り合いバス運転手の運転モラルの悪さに警察の取り締まりが入り、それに抗議した運転手たちのストだということだった。

確かに乗り合いバスはぎゅうぎゅう詰めに乗客を乗せて、ガラスが割れていても扉が半開きでも、まだ乗客が乗り込んでいなくても発車して、我先にと渋滞の道をかすめ通っていく。
そんな乗り合いバスのことを、キンシャサの人々は” Esprit de Mort ”(死の霊魂)と呼ぶのだそうだ。
死を覚悟して乗るほど乱暴な運転ということなのか。

運転手側にしてみれば、バスの持ち主に割の合わない高い賃料を払わないといけないから、なるべく多くの乗客を乗せ、なるべく多く循環回数をこなしたいと思うのだろう。いくら警察がモラルを改めるよう注意を促したところで、だったら我らの生活を保障してくれるのかー!!と怒りが爆発するのも理解できないでもない。

そして火曜日。
今日は、乗り合いバスもそしてタクシーまでもが動いていないとフロランスから電話を受ける。
しかたがない。バスが動いたら来るように言って電話を切ってから、そうだ!丸3日間、掃除していないことに気づく。
それから部屋じゅう、窓枠じゅうに汗だくで、普段は使わない掃除機をかけた。
結局、フロランスは2時間近くかけて徒歩で我が家に到着。洗濯物のアイロンかけが溜まっているから来たとのこと。思わず、”Bienvenue!”(ようこそ!)

それからだ。お腹がゆるくなり、熱っぽくなったのは。

高熱ではないが、節々が浮いた感じだ。キンシャサではちらほらとマラリア発生の話を聞く。
夜、我が家に常備していたマラリア判定キットを試してみることにする。
針で指先を突いて垂らした血をキットの中の受け皿に注いだ。このセット、デンマークの製薬会社の製品だが中国製だ。小学校の時に毎月届くのが楽しみで、将来はキュリー夫人のような科学者を夢見た、学研の「科学」の付録のようで懐かしさが湧いてくる。
マラリア判定は「白」だった。
そんなに熱は高くないから、一晩、様子を見ることにする。

そして水曜日。
フロランスは普段どおりに到着する。交通機関の混乱はまだ少し続いているようだ。
やっぱり、お腹の不調と発熱が続く。夫が、病院に行ってみようと言い出す。
キンシャサには、月に1人分50USドルを払い続けると24時間体制で診療を受けることが出来る病院があり、わたしたち夫婦はそれに加入していた。夫が事務所から早めに帰宅してから出発する。

キンシャサのごみごみしたバザール界隈、サンポール書店の近くにその病院はあった。
CMK(Centre Medical a Kinshasa)の中にある救急センター、CPU(Centre Prive Urgence)に行くように指示され、入り口に到着。午後4時半。

どのくらい待っただろう。現れた医師は、何とびっくり、知り合いのフランス人だった。
医師から喉が真っ赤だと言われる。
マラリア判定キットで検査したらマラリアではなかったことを伝えると、医師はあれはあてにならないと言う。
マラリアを含めた血液検査、便検査、胸のレントゲン、血圧を調べ、結果が出る間、脱水症状のための点滴を受けることになった。
それが、冒頭の写真だ。
看護士もテキパキと働き、施設内も清潔だといえる。(ただ、レントゲン機械だけは古かったけど。)
ちょっと安心。

検査結果が出て、何も問題になる項目はないとのこと。
今、キンシャサで流行っているという感染症だろうということで、処方箋をもらう。支払いは不要だった。
夜10時まで開いている、町の薬局で抗生物質と下痢止めを買って帰宅したら、夜9時近かった。

疲れが出たのかな。先週は1週間のうち、2日もゴルフへ行き、1日に2コース回り(その上、人の1.6倍は確実にクラブを振りまくり)、という驚異的なことをしたり、来客もあり、部屋じゅう窓枠じゅう掃除機をかけたりもした。
ちょっとがんばり過ぎたかも。

20年前のアフリカ滞在のときとは違うんだから。自分でも絶叫するほど、驚きの年齢になっている。

ペースダウンして、キンシャサ生活を楽しもう。

2012年5月23日水曜日

第14回 2012年 OPEN de GOLF

KINSHASA GOLF CLUB の入り口

KINSHASA OPEN 前夜祭
5月18日(金)から3日間、キンシャサ・ゴルフ・クラブで、”第14回OPEN de GOLF”が開催された。

総勢何人の参加だったのだろう。ここのクラブ会員だけで130人が参加したと聞く。その上に、国内南部のルブンバシから、また海外からカメルーン、隣のブラザビル・コンゴ(という言い方をするそうだ)などからも来場し、プロも15人が参加していたそうだ。

ハンデによって3グループに分けられていて朝7:30~13:30の間に順次スタートする。
ゴルフクラブのキャディーたちにも参加権利はある。参加費用が高いから、いつも付くパトロンに援助をお願いするキャディーもいた。ちなみにわたしのような下手くそも参加可能だとのこと。 
参加費用は、3日間でランチ、キャディー代、飲み物代含めて150ドル。参加賞にオリジナルポロシャツが2,3枚付いたようだ。

開催2週間前くらいから、ゴルフ場の壁のスポンサー広告のペンキ塗り直し、パイヨットのわら葺屋根張替え、芝生手入れ、植木手入れなどが始まり、前々日にはゴルフ場のテラスの椅子とテーブルがスポンサーのハイネケンビールのものに総入れ替えされたり、テントが各所に張られたりして準備が着々と進められた。
表門とゴルフ場入り口にはビーチボール様のアーチで飾り付けられ、観ているだけでお祭り気分が高揚してくる。
スポンサーは新しく、ハイネケンビール、CCT(通信会社)、BCDE(銀行)となり、ゴルフ打ちっぱなしのボールカゴ、キャディーユニフォームなども新しくなっている。
コースの途中には、キンシャサの高級ホテル”メムリン”や、オランダの商船会社”Nile Dutch”などの垂れ幕が置かれている。
わたしは、オープン前日のゴルフ場の光景を見ていて、小学生のころの運動会前日のお祭り気分を思い出していた。運動神経の鈍いわたしでも、運動場に白ラインが引かれたり、生徒待機席、父兄観客席にロープが張られ、入退場門が飾り付けられ、翌日の運動会を想像してわくわくしていた。
まさに、ゴルフ場の人々は、多分あの時と同じ、高揚した幸せ気分で浮かれている。

余興として、前日の17日午後からは、8番ホールでドラコン大会が企画された。
男女ひとりずつ2回ティーアップして球を打ち、機械で距離を測って競う、お祭りゲームのようなものだ。
その日、わたしは日本人仲間数人と午前からランチを挟んで2ラウンド回っていたが、最近、周囲から、さんざんフォームの姿勢が悪いだなんだと言われて頭が混乱状態だった。
他の人たちのフォームを見て研究しよう、そう思ってドラコン会場に赴き、参加女性のフォームを見ていた。
きれいなフォームの人、独特のフォームの人。それぞれの打ち方があっていいのだ!どんなフォームであれ、皆さん飛ぶわ,飛ぶわ!!老若男女、我こそは、という人ばかりが参加しているのだから当然なのだが。
参加賞なのだろうか、赤いリボンのパナマ帽を粋に被って登場するムッシュたちが目に付く。

14歳だというアメリカンスクールの男子生徒が登場すると、”将来のタイガー・ウッズー!!”とアナウンスされ、一際大きな拍手がおこる。
わたしと夫が見ていると、すみません、と言ってひとりの中国人女性が頬を上気させてデジカメを構えて私たちの前に来た。さきほど、挨拶された女性だ。その男子生徒と夫は以前、コンペで一緒に回ったことがあり、ゴルフがとても上手だと絶賛していた。コンゴ人の父親と中国人の母親のハーフだと話していたそうだ。
あれ?ということは?
あなたの息子さん?はい、そうです。ゴルフがとっても上手だと夫から聞きましたよ。ありがとう。
クリクリ巻き毛のハンサムな浅黒の少年だ。

ところで、あの少年のお母さんはいったいどこでお会いした女性だったっけ???
ずーっと考えて、その日の夜にふっとひらめいた!
そうだ、前日にIWC(国際女性クラブ)のランチ会で行った中華料理レストラン”JIN YAN”のマダムだった。
JICAの近くにある中華屋なので”チカチュウ”という愛称で日本人の間で知られている。他に建物にピカピカ点滅ライトの電飾のある中華レストランは”ピカチュウ”!もちろん、日本人間だけでの愛称だ。(ちなみに、キンシャサには中華レストランが6店もある。)

さて、そんなゴルフゲームで盛り上がった前日の夜7時から、クラブのホールで前夜祭カクテルパーティーが催され、ゴルフクラブ会員全員が招待された。
ドラコン大会参加者は皆、赤リボンのパナマ帽で盛り上がっている。本当に陽気で、明日からのオープン・ゴルフを心待ちにしているのが伺えて楽しい雰囲気がみなぎっている。

日本人で一番ゴルフが上手でゴルフに対する真摯な姿勢が素敵な柳田さんと、わたしたち夫婦で参加した。
同じテーブルに、BRARIMA社の社員が来ていた。夫の好きなPRIMUSやハイネケンビールの製造会社だ。わたしたちがBRARIMA社を見学したいというと、わたしに電話してください、と言って電話番号と名前を残してくれた。彼のおじさんが日本に勉強に行っていたことがあり、日本びいきのコンゴ人男性だった。
アメリカ大使館勤務だという若い男性や、妻子を本国に残して単身赴任だという韓国大使館勤務の男性とも同じテーブルになった。この二人は、翌日からのオープンゴルフに参加するのだという。
アメリカ大使館員の男性は、金曜日は有給休暇を取っての参加だそうだ。
夫がしきりに羨ましがる。
来年は参加したいなあ、とつぶやいている。

またまた脱線するが、キンシャサのアメリカ大使館はモダンな7階か8階建ての白いビルが丸ごとだ。他にも米国国旗がはためく区域もあり、モブツ前々大統領の時はCIAが暗躍していたり、コンゴの地下資源を自在に操っているとか何とか(第2次世界大戦時の長崎原爆の材料はコンゴからのものだというのは有名な話だ。)。
英語の勢力も伸び、先週の仏語授業で、先生は現在、コンゴでは英語を話せないと仕事は無い、と断言した。そんなアメリカ大使館にはいったい何人のアメリカ人が勤務しているのかと訊くと、60名かな、80名かな、よくわからないという返答だった。
日本大使館は日本人の勤務者は10人もいないと思う。

さて閑話休題。
金、土、日、とオープンゴルフ大会は盛況のうちに進んだ、らしい。
わたしは、日曜日にゴルフ場に行ってみたが、コースを終了したゴルファーたちがテントの中でリラックスして自己成績を見せ合って、ビールで喉を潤していた。3時で試合は終了だと聞いて、わたしたちはコースを回る予定でクラブに行ってみたのだが、結局4時になっても試合は続いていて、コースを回ることはできなかった。

また来年♪
来年のキンシャサ・オープンのときは、わたしたちはどこにいるのかな。
はて。わたしや夫は、参加することができるのだろうか♪♪

2012年5月18日金曜日

B.P.3118に手紙が届いた!!

今週5月15日、夕方。
夫が、奇跡が起こった!!とか何とか、わあわあ言いながら仕事から帰ってきた。

「ほら、これ!!」
顔を上気させて差し出したのが、この2通の手紙だった。

一通は、都内に住むわたしの友人からだ。きれいな日本の切手たち!
桜の封筒に入っていたのは、桜満開のきれいなカードだった。ああ、この国には、さくらのような淡い色合いのはかなく上品なイメージの花がないのだなあ~とあらためて気づいたりする。
消印は”Tokyo  27.ⅳ.12  JAPAN”と読める。2週間ちょっとでキンシャサに届いたのだ。

もう一通は南フランスに住む娘夫婦からの、わたしたちの結婚30周年のお祝いカードで、消印は”FRANCE 18-04-12”とある。なんと4週間かかって到着している!

ちなみに、娘が、キンシャサでわたしたちが住むアパートの「コトー通り」の番地とアパート名だけを書いて南フランスで投函した絵葉書はまだ届いていない。

Gombe郵便局長さんに日本人シスターが直々に事情を話して、コトー通りのこの住所のアパート名で差し出されたはがきが見つかったら教えてね、とお願いしていたのだが・・・。

いつだったか、わたしがGombe郵便局に行って私書箱を開けて手紙が入っていないのを確かめ、うなだれて帰ろうとしたら、郵便局長さんが哀れんだのか、わたしに「そうだ、あなたのお嬢さんからのはがきを探さなきゃね、あなたの住所はコトー通りの何番地でしたかな?」と声をかけてくれてたことがあった。それから何人かであて先不明の手紙の束をあちこちから取り出してきて手分けして探し始めたのである。

「探しておいてあげる。」という言葉を鵜呑みにして待つだけではだめなのだなあ、たまには「わたしの娘からの葉書が見つかりましたか?」と催促しないと探してくれないのかも。
しかも、あて先不明の手紙の束が局内あちこちに分散されて放置されている状況を見ても、行くたびに声をかけよう、と心に誓った。
同じアパートに住む日本のお医者様のところには、パリから投函されたはがきがアパートの住所だけで届いたそうなので、あきらめないぞー!

というわけで、めでたく「B.P.3118 Gombe」に初めての手紙が届けられた。

” ♪♪  祝・貫通!! 海外→キンシャサ間!! ♪♪ ”

2012年5月17日木曜日

日本人として・贈り物考

千代紙で作った楊枝入れ

VLISCOのカタログ紙で作った箸袋
キンシャサで友人宅にランチやディナー、カクテルパーティーに招待を受けた時、さて手土産はどうしょう・・・と悩むところだ。

キンシャサには、ナイロビなどから空輸されるバラなどを扱う、ポルトガル人経営の”ZIMBALI  FLOWERS”という花屋もあるが、ちょっと大げさ過ぎるし、何かささやかだけど日本らしいプレゼントはないかなあ、と思っていた。

そんなときに、日本から訪ねてきてくれた青年が、「千代紙でシャツ型楊枝入れを作ってみました~母より」というメッセージと共にキンシャサまで持って来てくれたのが最初の写真のものだ。たくさん作ってセロハンに小分けして箱にぎっしり入れてくれていて飛び上がるほどうれしかった。
大切に数枚ずつのセットにしてプレゼントしていたら残り少なくなってきた。

そして、そうだ!とひらめいて作ってみたのが、二番目の写真の鶴が折り込まれた箸袋だった。
いつかのときのためにと友人が雑誌から作り方をコピーしてくれていたのを、わたしの料理レシピファイルに入れてキンシャサに持ってきていたのだった。
ところが、手ごろな大きさの和紙とか千代紙を持ってきていなかった!

どうしよう・・・。
そしてさらにひらめいたのが、VLISCO(高級アフリカ布地のブランド)で購入した時にもらってストックしていた、奇麗なファブリックカタログを使って作ってみる、ということだった。
折ってみると、白地にアフリカらしいデザインと色合いが効果的に出てきて、自画自賛!!
いかがでしょ♪♪

今日は、ンガエリエマ修道院の中村寛子シスターからキンシャサの文具屋に2軒連れて行っていただいた。
6月30日通りという大通りに面したペルーストア斜向かいの"POP SHOP"という、これまた店内にいるとキンシャサにいることを忘れてしまいそうなちょっといい感じの文具屋で色んな紙質の包装紙を見つけた。
今度、ここで紙を選んで作ってみよう。
また、奇麗な包装紙や雑誌のページ、カタログなどもこれはと思ったら取っておこう。
そんなことを思うと作る楽しみが湧いてきた。

このような日本文化をそっと伝えられる贈り物になりそうな、手作りのものをご存知でしたらぜひ教えてください。

2012年5月14日月曜日

コンゴで作るアボカドの料理

キンシャサで買うアボカドは、日本で買うメキシコ産(?)のものより二~三まわりも大き い。
完熟するまで室内に置き、皮が黒っぽく変色すると食べ頃だ。わたしたちが1月1日にキンシャサに到着して以来、いつもおいしいアボカドが食卓に載っていた。
さて、今日は、アボカドを使った料理を2,3、紹介しようと思う。


”アボカドのシーチキンサラダのせ”

種をくり抜いたところに、シーチキン、たまねぎのみじん切りを水にさらして塩もみして水気をとったもの、ゆで卵みじん切りなどをマスタード少々とマヨネーズで和えたサラダを入れてパセリを添えて彩りよくして、前菜にする。アボカドをすくいながら、マヨネーズで和えたサラダと共に食べる。


丸い完熟アボカドを半分に切って種を除いたもの


初めて出会ったアボカドは天狗の鼻のような形だった

          ”アボカドとショートパスタのサラダ”

アボカド(日本のもの)1個・・・縦半分に切って種を取り,実を取り出してしっかり(!)つぶす。
粒マスタード      大4
レモン汁        大2・・・レモン汁はアボカドの変色を防ぐ。
豆乳         120cc
塩,こしょう      少々

ボウルにアボカドを入れ、粒マスタード、レモン汁を加えて混ぜる。
豆乳を少しずつ加えて混ぜ、塩、こしょうで味をととのえる。

このアボカド豆乳ソースと、茹で上がった熱いショートパスタを混ぜる。



   ”アボカドとじゃがいものサラダ”

アボカド    1個  ・・・・・・ 縦半分に切り種を取り、実を取り出して粗く(!)つぶす。
酢        大1強 ・・・・ アボカドのきれいな緑色を保ってくれる。
オリーブ油   大2強
塩      小1弱
こしょう    少々
じゃがいも  4個(600g)・・・よく洗い、皮付きのまま電子レンジで10分ほど加熱。熱いうちに皮               をむいて大きめに粗くつぶす。

えび     8尾   ・・・・・・ ゆでて殻をむき、背ワタを取る。
サラダ菜   適量

粗くつぶしたアボカドに酢を加えて混ぜ、オリーブ油を混ぜ、塩、こしょうで味をととのえる。
さらに、大きめにつぶしたじゃがいもを加えてあえる。
えびと合わせて器に盛り、サラダ菜を添える。


以上、我が家でよく作るアボカド料理を列記してみた。
もちろん、アボカドを縦半分に切って種を取り出し、そこにわさび&しょうゆを入れて混ぜ合わせて、すくって食べるのが我が家の手抜きアボカド料理であり、一番シンプルでおいしい食べ方かもしれない♪♪

コンゴの人の言い方では、明後日(5月15日)で雨季も終わり。
アボカドの季節ももう終わったそうだ。
また次の季節だね、アボカドは。我が家の家政婦のフロランスはさっぱり言う。

これからは、オレンジがおいしいのだそうだ。
乾季は温度が下がり、キンシャサでもベストシーズンを迎えるのだそうだ。
ツチ族、フツ族の民族紛争後に難民キャンプ地として有名になったゴマや、フロランスの故郷のバコンゴのバンザングングでは雪が降るくらい寒くなると彼女は言うのだが、ホントかなあ・・・。
そこでおいしいオレンジが取れるのだそうだ。
オレンジの季節が来るよ。フロランスは嬉しそうに話す。

フロランスの話を聞いていると、季節、季節の旬をしっかり味わい、楽しむ暮らしぶりがうらやましくなる。

2012年5月12日土曜日

コンゴの食材を使って~さつまいも編

キンシャサでも現地の市場、”ZIGIDA Marcket"に行けば、日本のさつまいもとほぼ同じものが手に入る。これが、コンゴ版さつまいもだ。



こちらのさつまいものほうが固くて白っぽいように思う。加熱時間も長くかかるようだ。
さて、このさつまいもを使ってわたしがよく作るのが、”石垣もち”というか、”芋まんじゅう”だ。

わたしの母の故郷が城下町の大分県中津市で、中津駅から祖父母の家までの間に数多くの和   菓子屋があり、店頭には必ず丸い芋まんじゅうが売られていて、母もわたしが小さい頃よくおやつに作ってくれた。 母のは大きいサイズで蒸し、蒸し上がってから数cmサイズに切っていた。      



<芋まんじゅうの作りかた>

さつまいも 中2本(300g)・・・1cm角にカット→水に浸す

小麦粉・130g + ベーキングパウダー・数g?・・・ふるっておく

A (水・大4、 卵1個、 さとう・大6、 塩・小1/2強)


さつまいもの水気を切って、粉をまぶす。それに、Aを合わせ少しずつ加える。
クッキングシートの上に12等分してこんもり盛り、湯気の上がる蒸し器に入れて蒸す。
(あるいは、大きく一つに広げてこんもり盛って蒸してもよい。)

なんだか、適当な分量の上に作り方も簡単に表していて、娘から、しっかり教えてよ~、と叱られてしまいそうだけど、いつも適当に作るものでお許しあれ!

上の写真の芋まんじゅうには、熟したバナナをみじん切りにしたものをAの中に混ぜて生地に入れ込んだが、バナナとさつまいもの風味が合わさって、夫には好評だった。
また、Aの水の代わりに、牛乳や豆乳でもよいと思う。もし生地がまとまらなくて流れるようだったら、わたしはその時点で小麦粉をパラっと混ぜて調整している。

さらに適当なことを言えば、蒸し時間は40~50分くらいかなあ・・???
キンシャサのさつまいもは、アクが強くて煮えにくいから、1時間は蒸す・・かも。
とにかく、生地に箸を差してみて蒸し状態を確かめる、さらに、さつまいもが柔らかく蒸されているか確かめてから火から下ろす。(蒸し器の下の水がなくならないように注意!)

家政婦のフロランスにも好評で、さつまいもが入っていて栄養あるし、子どもたちのおやつにわたしも作ってみよう、と言っていた。コンゴでは、シクワンガやフウフウなど蒸した料理が多く、主菜のマニョックも粉を蒸して食べる。「蒸す」ということは一般的な調理法なのだ。

さて、次回は、そろそろ時期も終わりだと聞く、アヴォカド編。乞うご期待♪♪

2012年5月8日火曜日

コンゴで話される言語

これはキンシャサ中心部、Avenue du Commerce(フランス語で商店通りとか、商人通りの意味)にある、”サンポール書店”の店内だ。カトリック団体の経営で独自の出版物を取り扱っている。日本では、”女子パウロ会出版”で知られている。

わたしは、この書店で、「Republique Democratique du CONGO」、「Atlas du Jubile d'OR de la RD CONGO」、「Un Croco a Luozi」を買ったことがある。コンゴの歴史の本、コンゴ独立50周年(?)の地図帳、そして漫画形式で描かれたコンゴの昔話。どの本にも”Imprimerie MEDIASPAUL Kinshasa”  ”Imprime en RDC”(印刷所・メディアポール キンシャサ、コンゴ民主共和国で印刷)と記され、フランス語で書かれている。

わたしが今住んでいる国、コンゴ民主共和国は、1885年、ベルギー国王・レオポルド2世が個人で領有するコンゴ自由国となり、1908年にベルギー国の植民地となる。ベルギー支配は1960年6月30日に独立するまで続く。(隣国のコンゴ共和国は旧フランス領。)
そんなわけで、コンゴ民主共和国の公用語はフランス語、と明記されている。フランス語といっても、話されているのはベルギー人の言い回しの、アフリカ訛りのフランス語だけれど。

しかし、キンシャサの現地人同士の会話は、リンガラ語だ。怒鳴りあっているような、けたたましい言い合いのように聴こえるリンガラ語。ビールやコーラのラベルにも、アルファベット表記のリンガラ語が書かれている。

我が家の家政婦、フロランスは、フランス語はコンゴ民主共和国の”Langue officielle”(公用語)であり、リンガラ語、スワヒリ語、チルバ語、キコンゴ語の4言語は"Langue nationale"(国家語)だ、という言い方をする。

リンガラ語はキンシャサと、赤道州で話され、スワヒリ語はコンゴの東半分、5州で話される。チルバ語は中央の2州、キコンゴ語が南部の2州の言語だ。

彼女の話によると、子どもたちの学校では、どの教科もフランス語で授業を受け、フランス語を国語のように学習するそうだ。
英語の学習は12,3歳から始まるというから、日本と同じだ。
キンシャサの流通言語はリンガラ語だが、学校ではリンガラ語は学習しないそうだ。彼女の言い分では、リンガラ語は独自の文字を持たずアルファベット表記であり、文法も簡単なので学校で習う必要は無いのだそうだ。学校では、フランス語だけが飛び交うことになる。しかし、子供同士の会話になるとリンガラ語になるとは興味深い話だ。

フロランスはバコンゴの出身だからキコンゴ語が彼女の母語。夫もバコンゴ出身だが、夫婦の会話はリンガラ語だという。理由はキンシャサに住んでいるから。ところが、子どもたちとの会話はフランス語にしているそうだ。日常でもフランス語で話していると、子どもたちがフランス語授業に入りやすいから、というのが彼女の言い分だ。

またフロランスの説明では、郡部のほうの学校では、仏語での授業の比重が軽くなり、現地語での授業が増えてくるようだとも言っている。

キンシャサに住むコンゴ人でも皆が流暢なフランス語を話すわけではないようだ。会話、読み書きなどフランス語の学校教育をしっかり受けてきた人とそうでない人の差だろう。
中央アフリカのバンギにいた頃に受けた印象では、植民地時代にしっかりしたフランス語の学校教育を受けた年配の人のほうがはるかにしっかりした読み書き能力を備えていたように記憶している。

フロランスは現在45歳。独立後に生まれてはいるが、コンゴ動乱の前に初等、中等教育は終わっている。彼女はキコンゴ語、リンガラ語、フランス語を話す。フランス語に関しては読み書きも一応できる。そんな彼女の思考言語は面白いことにリンガラ語なのだそうだ。

さて、1992年から1995年まで滞在した中央アフリカ共和国(旧フランス領)の首都バンギでは、英語は全く通じなかった。外国人子弟のための学校もフレンチスクールのみだった。

現在のキンシャサでは、結構、英語も通じる。フレンチスクールもあればアメリカンスクールもある。日本大使館の子どもたちは皆さんアメリカンスクールに行かれている。

キンシャサに存在する、もっとも大きな女性の会は、”International Women's Club” と、”Kin Accueil”
があり、前者は英語圏女性の会、後者は仏語圏女性の会の集まりだと言える。わたしは、前者に入会しているが、月1回のアメリカ大使公邸でのモーニング・カフェの集まりが象徴するように、英語が第1言語の会だ。といっても、仏語しか理解しないメンバーのために、必ずミーティング時とメイル案内では仏語訳も入る。後者はベルギー大使館参事官夫人が中心の活動らしいが、現在、参事官夫人が不在だと聞く。わたしの印象では、現在、前者のIWCのほうが活況があるように思う。

家政婦のフロランスは、大学出の夫が英語ができないことを残念がっている。彼に英語能力があれば職業選択も有利なのにと。英語はフランス語の次に(!)大切だと言って憚らない彼女は、子どもたちの英語教育を重視している。
英語の比重が重くなっているのは世界じゅうの傾向なのかもしれない。

アフリカ大陸はヨーロッパ列強の陣取り合戦で勝手に分割され植民地にされていった。その時の単位のまま独立し、国家となった国々。宗教や言語の異なる部族が同じ国民となり、旧宗主国の言語を公用語とする国が多く存在する。
去年、スーダンが南北に分かれたが、マリ共和国もそれに続くのか。これから、国家の分割が進み、”本来の単位”になってゆくのかもしれない。

途上国支援で教育の重要性が説かれる中、根本の国語教育はどのように考えられてゆくのだろう。

2012年5月1日火曜日

コンゴでアルティメット競技普及に尽力する日本の若者たち

キンシャサの教員大学で日本語を教える慶応大学の学生たちがいることを先月のブログで紹介した。その中の2人の若者、大川晴くんと森裕紀くんが、コンゴにアルティメット競技を普及させるべく政府に働きかけ、ついにアルティメット競技をコンゴで開催することが決まったそうだ。

上の写真はキンシャサ生活を綴る、大川晴くんという慶応大学の学生のブログ、「コンゴでコンゴ。」から拝借した写真だ。
コンゴ政府スポーツ省の体育教師研修の中で、実際に彼らの指導の下でアルティメット競技をしたときの映像だそうだ。

コンゴ民主共和国政府のスポーツ省との間で、今夏、キンシャサで500人~1000人規模の大会を開催する、などが決まり、フリスビー200~300枚が必要だと試算。彼らは、5月初旬を目途にフリスビーを日本で集めているそうだ。
そして、5月中にコンゴ民主共和国にディスクを送ろうとしている。

そういう彼らの感動の歩みが、大川晴くんのブログ、「コンゴでコンゴ。」に綴られている。
また、一枚でもいいのでフリスビーを送って欲しい、と呼びかけ、ブログ中に3つの送り先が記されている。ぜひ彼のブログを一読していただきたい。

どうぞ、彼らの夢が実現しますように。
ご協力をよろしくお願いします。

「コンゴでコンゴ。」
http://haruohkawa.wordpress.com/