2015年1月25日日曜日

こぼれ話10 : コンゴ・ブラザビルのサプール(SAPEUR) 文化 ~ NHK 地球イチバンを観て

2015年になって、もう1カ月が経とうとしている。

あらためて、新年おめでとうございます。
今年も良い年となりますように。

さて、我が夫は正月休み明け早々、またキンシャサに出発していった。
昨年、日本の無償援助でポワルー産業道路の舗装拡張工事が完成した。
その沿道に街路灯を取り付けようというプロジェクトが新たに計画され、その調査のため、1か月の予定で出かけた、という訳だ。
ところが、キンシャサ市内で、数日前から大統領選絡みでデモ隊と政府側との衝突があり、夫たちはこの1週間、自宅待機となった上に、インターネットもツイッターも政府の策略で不通になっている。
アフリカ諸国は、盤弱な政府組織に加え、欧米諸国の思惑(?)が渦巻き、なかなか安定しない。


さて。
昨年末、12月5日夜、NHK総合テレビ、「地球イチバン」で、コンゴ共和国、ブラザビルで取材された、”SAPEUR”についてのとても興味深い番組を観た。

「世界一、服にお金をかける男たち」というタイトルで、”サプール(Sapeur)”と呼ばれる、ブラザビルに住む庶民たちが低賃金の中でお洒落を楽しむ集団の取材番組だった。


ブラザビルのSAPEURたち(HPより)

ブラザビルのSAPEURたち(NHK地球イチバンより)

ブラザビルのSAPEUR 長老ムッシュ(NHK地球イチバンより)


”La Sape”
これは、 Societe des Ambianceurs et des Personnes Elegantes の頭文字を取ったものだ。
直訳すれば、「洗練された環境と人々の共同体」、だ。

La Sape の信奉者を "Sapeur" と呼ぶ。


NHK「地球イチバン」の”世界一服にお金をかける男たち”によると、"Sapeur"とは、
”武器を捨て、エレガントに生きる、世界一服にお金をかけ、世界一エレガントな男たち”、
という定義になるらしい。

お洒落で優雅で、平和な男たちの集団。
ヨーロッパのブランド品をまとい、あくまでもヨーロッパ風の身だしなみだ。
ただ、色使いは、アフリカの明るい陽ざしに負けないきれいな色使いだけど。
(取材の中では、グループに女性はいなかったが、女性だってバービー人形顔負けのお洒落な人たちをキンシャサにはわんさか見かけたものだ。)
通りを闊歩するサプール(Sapeur)たちに沿道の人々から憧れの視線が注がれていた。
もちろん、サプール(Sapeur)たちも通りを”見えを切って”歩き、注目を浴びることを楽しんでいる!!


サプール(Sapeur)。かれらの言い分は。

サプールとは、上品な着こなしをする、平和な人間のこと。
サプールとは、暗闇を照らす明かりのようなもの。
サプールになると、別の精神が宿る。
着飾って歩くと、日常生活の厳しさを忘れられる。
服は品位を高める。
着飾っているときにとても幸せ感に満ちている。人に対して、罵ったり、悪いことをしたりしなくなる。良心的になる。
着飾っているときに喧嘩したり武器を持って戦うと、服が破れたり汚れてしまう。だから、喧嘩はしないし、戦わない。
週末にまた輝くために、月曜日から仕事に出て働くのだ。
素敵な衣装を買うためには、サプールでいるためには、お金が必要だ。だから、しっかり仕事をするのだ。

なるほど。平和のためにも、経済のためにも、とても良いサイクルが見えてくる。

平均1日131円で生きるコンゴの人たち。
コンゴ共和国;ブラザビル・コンゴ(仏領コンゴ)も、コンゴ民主共和国;キンシャサ・コンゴ(ベルギー領コンゴ、旧ザイール)も似たようなものだろう。

サプール(Sapeur) -上品な着こなしをする平和な人間ー かれらは、給料の40%(平均)を衣装代に使うという。すごい人は、収入の半分、60%、という人もいるそうだ。
かれらの平均月給は、3万円。
しかし、給料の大半を衣装代に費やしてしまう、というのは無理があるような気がする。
サプールの奥さんたちは、変なものにお金を使うより、衣装代に使う方がいいわ、と夫たちの着道楽を諦め気分で受け入れているのかなあというインタビューも番組の中で聞いた。

納得できる!
キンシャサでも、それは痛感することであった。
日本人の友人が本国に休暇帰国するとき、運転手から靴を買ってきてほしいと頼まれたと言う。運転手に、靴の値段はあなたに支払う給料とほぼ同額なのよと説明すると、それでも買ってきてほしいと頼まれ、呆れてしまったという話を思い出す。
わたしの仏語の女性教師も、それはお洒落を楽しみ、靴は必ず着ている服の何かと同じ色だったし、バッグもベルトもピアスもこだわりを持って選んでいた。収入の大半をファッションに費やしていたと思う。(かのじょは独身女性ではあったが。)
(余談だが、キンシャサの街を歩く女性の99.9%がかつら、あるいはエクステ(付け毛)だった!まるで、帽子を被るような感覚で!)

しかしなあ。
我が国の歴史の中にも、似たような言葉があったような・・・。
日本でも、”京の着倒れ、大阪の食い倒れ”という言葉がある。
さらには、奇抜な身なりをする、という意味の、”かぶく(傾く)” という言葉も。
人目を引く、しゃれた身なりをする男、という意味の、”伊達男”という言葉も。

ブラザビルやキンシャサの着道楽、履き道楽の文化、格好つけの文化と、わたしたち日本人が辿ってきた文化と、どこか共通点があるのかもしれない。


番組中で、ブラザビルの、"La Main Blueu"というサプールが集うバーが紹介されていた。
着飾って、エレガントなサプールたちが週末の夜に集まってくる。
サプールの聖地だ。
サプールたちがセンスを競い、磨く場だ。
そして、また来週の再会を誓って、新しい週に向かうのだ。

サプールの歌、"La Sape"というのもあるのだそうだ。
ブラザビル・コンゴの独立記念日、8月15日のお祭りの行進に、サプールたちも参加してる映像もあった。
番組を観ていると、ブラザビルという都市において、サプール文化が一つの文化として広く認識されているように感じた。


果たして、サプール文化の起源をどこに見出すことができるのか。

コンゴ共和国(ブラザビル・コンゴ)は、1880年から1960年までフランスの植民地だった。
Wikipediaによると、"La sape" は、アフリカの、特にブラザビルとキンシャサの植民地主義の時代に起源を見ることができるという。
フランス植民地政府の使命は、服文化を持たない、独自の文化の中で生きるアフリカ人たちにヨーロッパ文化をもたらすことだった。
部族の首長たちに取り入ろうと、本国から多くの中古の洋服を持ち込み、ブラザビルはまもなく、植民地政府の人々や白人にとって、最も整った環境を持つ地域になった。
白人の下で働くハウスボーイたちは、報酬として金銭の代わりにヨーロッパからの中古の洋服があてがわれ、かれらはヨーロッパ文化の旗手となっていく。そうやって、サプールの下地が形成されていったのだ。

1990年代にわたしたちが暮らした中央アフリカ共和国もフランス領だった地域だ。
当時、そこで出会った一人の年取った中央アフリカ人のハウスボーイを思い出す。
70歳はゆうに過ぎた年代のムッシュは、少年の頃からフランス人の家庭でボーイとして働き、エレガントな立ち居振る舞いに加え、フランス料理のレパートリーも幅広かった。
歳を重ねた当時も、かくしゃくとしてプライド高いかれは、ボーイとして現役だった。
今、思い出してもまさにかれは、サプール(Sapeur)だった。
かれはいつも山高帽を被り、おしゃれな背広姿で現れ、温厚な紳士だったなあ、と懐かしく思い出す。1930年代にフランス文化に触れ、ヨーロッパナイズされていったのだろうと想像される。

わたしたち夫婦が暮らしたキンシャサ・コンゴはというと、ベルギーの植民地だった。
隣国の首都、ブラザビルとはコンゴ河を隔てて目と鼻の先の対岸にあり、現在も2つの首都が合わさって一つの経済圏を作っていると考えられる。
公正な目で見て、明らかにキンシャサのほうが大きな都市だ。ヨーロッパからの衣料を扱うブティックも断然多いはずだ。だからもちろん、キンシャサにもオシャレ人間をあちこちに発見する。ジュリーもどき(時代が古いだろうか。全盛期の沢田研二もどき、ということで。)のムッシュたちや、バービー人形もどきのマドモアゼルたちはいとも簡単に見つけられる。
でも、テレビ「地球イチバン」のサプール(Sapeur)たちの取材はブラザビルに限定されていた。


どうしてだろう。
サプール(Sapeur)文化は、ブラザビル限定なのだろうか。

まず、キンシャサにはオシャレ人間はいても、徒党を組んで闊歩するという人たちを見ないことは確かだ。

そして思い出すのは、わたしのオシャレな仏語女性教師が言っていたことだ。

~わたしたちの国はベルギーが宗主国だった。ベルギーは芸術を伝授したり、保護、育成してくれたりすることはなかった。だから、レベルの高い芸術が育っていない。フランスの植民地だったところは、軒並み素晴らしい芸術文化が育まれているのに。なんとうらやましいことだろう。~

これもまた、うなずける。
セネガルなどの西アフリカには、かれらの独特の文化が保護され宗主国からの影響を受けつつ、魅力的な芸術が醸成されてきたように思える。

そう考えると、ブラザビルに、お洒落を意識高く文化にまで高めて組織された集団が現われた理由が見えてくる。
フランス人がもたらした服のセンスは、仏領だった時代のハウスボーイたち、事務員たちが旗手となって広まり、アフリカの強烈な太陽光線の下で、発酵熟成していったのかもしれない。

かれらの、鮮やかな色と色を組み合わせるパワフルな色合わせは、ヨーロッパモードに逆輸入され、影響を与えているのかもしれない、とさえ番組を観ていて感じた。


サプール文化は、1990年代、内戦で危機に陥る。
1人のサプール・ムッシュが自身の経験談を話していた。

内戦の時、大切な服が盗難に遭うことを恐れ、土中に埋めた。数年後、自宅に戻って来て土中の服やベルトを掘り起こしてみると、ボロボロに劣化していた。

かれは、戦いはいけない、としみじみ言うのだった。

ナイフや銃を持ったサプールはいない。
サプールは平和主義を貫く。

戦争は失うものばかり。
武器を捨て、エレガントに生きる。
暴力反対がサプールの精神。


人から見られることを常に意識する。
そして、人を敬う。
人を敬うと、自身も人から敬われるようになる。
美しい所作は大切なポイントだ。
自分を信じる。不安がってはいけない。誇りを持つ。

人を敬い、自分を信じ、誇りを持つ。

ジャケットをひるがえして、ブランドのタブを見せびらかし、格好つけるサプールたち。
その中には、KENZOもあった。
コサージュ、ベルト、サングラスも小粋に取り込んでお洒落を楽しむサプールたち。。

サプールの年輩のムッシュは、若輩のサプールたちに、"La Sape"のエスプリを講釈していた。
そして、遂にサプールとしての合格点を出したとき、年輩者は、若輩サプールに大枚をはたいて、サプール仲間として品位のある衣装をプレゼントしていた。
何と誇り高いサプールなのだろう。

サプール文化の根源は、旧宗主国フランス人たちが植民地に持ち込んだフランスからの中古服だった。それが上層ではなく、事務員やハウスボーイたちにもたらされ、洗練され、そのうち、かれらの主人たちの中古服を拒否し、パリからの最新ファッションを入手して彼ら独自の色遣いのセンスを加味して着こなしを楽しむために、着道楽と履き道楽のために、貧弱な賃金を費やし、平和的な徒党を組んでかれらの休日を楽しむ、という文化がブラザビルの土地に育まれてきたのだ!