2013年5月25日土曜日

キンシャサでいちばん最初の教会ー再考ー

 
キンシャサでいちばん最初の教会

キンシャサでいちばん最初に建てられた教会 (la premiere chapelle )のことをもっとよく知りたいと思って、キンシャサ・オープンゴルフが終わって、2日ほどここへ通って調べてみた。
"la chapelle"ということだから、わたしもチャペルと呼ぶことにする。


車から降りてチャペルの周りを回ってみた。
すると、思いのほかコンゴ河がチャペルの後ろに迫っていることがわかった。
コンゴ河岸の草の生えた低地部分から50メートルほど入ったところで土地が一段高くなっていて、そこにチャペルが建っていた。

錠のかかった鉄扉から覗くとチャペルの後ろに広くゆったり流れるコンゴ河の川面が見えるのだった。

コンゴ河岸から一段高いところに建つチャペル


チャペルの奥行きは正面の幅より長い。
長方形の建物だ。


チャペル側面


2度目に来たとき、わたしが車から降りてチャペルを覗いていたら、チャペル前の道路を隔てた正面の扉が開いて、1人の年寄りのコンゴ人男性が現れた。
チャペル関係者だと言う。
チャペルの中に入りたいのなら、20米ドルを払いなさい、と言う。
20米ドルというのは約20000コンゴフラン!!
そんな高い入場料を言ってくるなんて。
今度来たときに見せてください、といって断る。
(というわけで、チャペル内部を見ることはできなかった。)


チャペル正面扉左の塀に埋め込まれた説明パネルをもう一度読んでみる。


"PREMIERE CHAPELLE

DE LEOPOLDVILLE

CONSTRUIT EN 1891

PAR LE REVEREND SIMS AARON

REPRESENTANT LEGAL DE

L'A.B.F.M.S."


「レオポルドヴィルのいちばん最初のチャペル。

1891年、ABFMS公認の代表者、シムス・アーロン牧師によって建立される。」



さて。ABFMSとは何の略語だろう。

"American Baptist Foreign Missionary Society"

(アメリカ・バプテスト外国宣教師協会)

なんとこのチャペルはカトリックではなく、プロテスタントのバプテスト派の礼拝堂だったのだ。
しかもシムス・アーロン牧師はアメリカ人かどうかはわからないが、アメリカ・バプテスト外国宣教師協会からの派遣者だったのだ。

また、レオポルドヴィルというのは、1966年以前のキンシャサの都市名だ。
(1966年にモブツ大統領が国名をザイール、首都名をキンシャサと改名している。)


インターネット情報では、このチャペル名を"la Chapelle Sini"、或いは"la Chapelle SIMS"としているが、上のパネルにはチャペル名は書かれていない。

このチャペルのことを知っている我が家の運転手に訊いてみた。
かれはこう言うのだ。

このチャペルに名まえなんてない。
ただ、"Premiere Chapelle"と言うだけだ。

またかれは、ABFMSのreverend(牧師)によって建てられた、とあるのだから、この教会はプロテスタントだ、と最初から言っていた。
(彼自身、熱心なバプテスト派の信者だ。)

当初、このチャペルの屋根は藁葺きだったようだ。
でも建屋は当時のままのはずだ、と運転手は言う。
この教会は、もう現在は礼拝には使われていないだろう、とも言う。
そして、このチャペルのことを知っているコンゴ人は少ないだろう、とも。

コンゴ河で川幅がぐっと広がっている地点、そしてすぐ下流に滝があって船が下流へは進めない、言い換えるといよいよこの地点から上流のキサンガニまで船旅が始まるという地点の河岸に百年以上もひっそりと建つ小さなチャペル。

キンシャサの中心地区から外れた,緑深い住宅街の一画に建つ"le Premiere Chapelle"、第一チャペル、再考、でした。

2013年5月21日火曜日

第15回 キンシャサ オープン ゴルフ !!

5月17日、18日、19日の3日間、キンシャサ・ゴルフクラブで、第15回キンシャサ・オープンゴルフが開催された。

キンシャサ・ゴルフクラブ入り口そばのパイヨット




キンシャサ・ゴルフクラブ入り口に立てられたスポンサー掲示とキャディ

わたしの昨年のキンシャサ・オープンゴルフのブログ中でつぶやいた願いが叶って、夫婦で初参加を果たした。


”15e OPEN GOLF DE KINSHASA 2013”は、5月16日(木)7時からの前夜祭カクテルパーティーで幕が上がった。

ルブンバシからの参加チームはお揃いのスコットランド衣装で登場

コンゴ南部にある大鉱山都市ルブンバシから20名ほどがお揃いのスコットランド民族衣装で参加し注目を浴びている。1人のメンバーに、あなたはスコットランド出身なのですか、と訊くと、南アフリカ出身です、という答えが返ってきた。
皆とても陽気だ。
オープンゴルフに参加しないクラブメンバーももちろん出席できる。わたしの刺繍のフランス人の先生夫妻もいる。ご主人がスポンサー企業の携帯会社Orangeのキンシャサ駐在員なのだ。

ヨーロッパ、アフリカ、もちろんコンゴ両国から集まったプロと、第1、第2、第3の各カテゴリーに分かれてアマチュア・ゴルファーも参加するキンシャサ・オープンゴルフだ。
今年で15回目という。
聞くところによると、アフリカの他の国でもこういったオープンゴルフを開催しているのだそうだ。
ただ、ナイロビ・オープンゴルフはプロだけの参加だそうだ。


プロと第1カテゴリーの参加者はstroke play。普通の数え方でスコアカードに記入していく。最終日には、パター回数を競う企画もある。
日本人は冨永大使と無償援助浄水場プロジェクトのコンサルタント業務に携わる柳田さんの2人が参加している。

第2,第3カテゴリーは、stable-ford。ハンデにより各ホールのパー数が決まっていて、各パー数より2打オーバーしたところでプレイ打ち切りとなる。
参加者が全部で200人近くともなるとそういった方式になるのだろう。
わたしたち夫婦、大使館勤務の日本人青年はこのプレイ方式での参加だ。

前もってオープンゴルフ参加費を払い、そのときにいろいろな参加グッズをもらう。
3日間分の朝食券、3日間分の飲み物券とサンドイッチ券(その2種類にはキャディ分チケットも付いている。)、3日間分のキャディ券のチケット綴りも入っている。
それから3枚のポロシャツがあり、各日の着用ポロシャツの指定を受ける。




ルールブックやティー、筆記具などのこまごまとした参加グッズを眺めていると緊張感が一気に高まるのだった。


和気あいあいとしたパーティー会場だったが、翌日のスタート時間が発表されると、皆の表情が引き締まった。
いよいよ明日から3日間のキンシャサ・オープンゴルフが始まる。
明日に備えて、早めのパーティー終了だった。(かな?)


さあ、初日。
5月17日(金)はコンゴの祝日だ。
今日はハイネケンが担当スポンサーだ。
夫は早朝から落ち着きがなく、オープンゴルフの朝食風景を見に行ってくるといってゴルフ場に向かう。

配布された3枚のポロシャツのうち、紫色のポロシャツを参加者は着用のこととなっている。
わたしは12:50 10番ホールからスタート。(夫は12:00 1番ホールから。)
スコアカードをもらい、パートナーと顔合わせ。
スコアカードを交換する。
1人欠席で、BCDC(ベルギーの銀行)勤務のベルギー人、パトリックさんと2人でのプレイだ。
初参加なので緊張しています、と言うと、かれも初参加なのだという。
リラックスしてやりましょう、と言われとても紳士的で楽しい相棒だった。
2人ともステーブルフォード式プレイなので、スコアカードに結構な数の×が記入されていく。
太陽がぎらぎらと照りつける。
プレイ前の緊張と炎天下にいることで疲労困憊。
それでもゴルフを楽しむことができた。
8番ホール終了のとき、小高い丘から見た真っ赤な大きな夕陽の感動的だったこと!!



2日目、18日(土)はBCDC(ベルギーの銀行)が担当スポンサー。
着用ポロシャツは白とグレーのもの。
今日は12:10 1番ホールからのスタート。(夫は12:50 10番ホールスタート。)
スラッとして短パンの良く似合うレバノン人マダムのグラディスさんと、オランダ人のキュートなヴィヴィアンさんの女性3人グループでのプレイだ。

この日がいちばん緊張した。
わたしが最初にティーアップ。
なんと初球からバンカーへ。
1ホール目からスコアカードに×が記入された。
飛距離はないが直球でフェアウエイをキープするグラディスさん。
飛距離抜群なのにあちこちに曲がるヴィヴィアンさん。
皆,一生懸命だ。
グラディスさんはプレイ中も煙草を離せない。

半分プレイ終了のときに、プレイ時間オーバーの注意を受け、休憩なしで後半のプレイへ。
この日のスコアカードには×が随分並んだ。
自分のゴルフをする、と言う課題なんか完全に吹っ飛んでしまっていた。
とてもフレンドリーなマダム達なのに、なぜか気を遣ってしまっていた。

それでも、終了後にわたしたち同じレベルだから、またゴルフをご一緒しましょう、と言って電話番号の交換をした。



最終日、19日(日)はフランスの携帯会社Orangeが担当スポンサーだ。
着用シャツは紺とオレンジ色のものだった。
朝早く7時に10番ホールスタート(夫は7:40 10番ホールスタート)ということで、二人で朝6時半に自宅を出発。


朝6時半頃の6月30日通り オレンジ色の朝日が!


6月30日通りをゴルフ場に向かって進みながら、右前方にきれいなオレンジ色に輝く朝日が見え続ける。
よーし、今日こそ、悔いの残らないように自分のゴルフをしよう、と朝日を拝みながら決意する。
3日目だというのに体は軽い。

10番ホール前で2人のムッシュと顔合わせしてスコアカードの交換。
体も声も大きなベルギー人ディディエさんと、小柄で穏やかなフランス人ブルノーさん。
楽しい雰囲気がうれしい。
とにかくしっかりと自分のボールを見続けよう。
いくつかのラッキープレイといくつかの奇跡的なロングパットが決まり、最終日のスコアがいちばん良かった。

最終ホール,最終プレイのあとのなんと清々しかったことだろう!
わたしを支え続けてくれたキャディのデビおじさんに感謝の言葉と心付けを渡すととても喜んでくれた。
来年も腕を磨いて参加できたらな。
もう来年のオープンゴルフのことに想いが移る。


楽しい3日間のゴルフだった。

3日間とも夜には成績優秀者の表彰式とスコアカードでのくじ引きというお楽しみがあった。
初日と2日目は、思い思いのドリンクを片手に、ゴルフ会場に張られた大型テントの下で行われた。
成績優秀者にはその日の担当スポンサーからの賞品が授与され、くじ引きでも担当スポンサーからの提供品に加え、ブリュッセル航空からキンシャサ~ブリュッセル往復航空券が、コロンゴ航空からはキンシャサ~ルブンバシ往復航空券が各日、提供されていた。


最終日の夜は8時から(実際の開始は9時すぎていたけれど)、ゴルフクラブ内のホールで着席ディナーパーティーがあり、参加者は着飾って会場に現れた。
150名以上はいたように思う。
ルブンバシチームのメンバーは、やっぱりスコットランド民族衣装姿でバグパイプ音楽にあわせて踊りながら入場。

会場のテーブルは、国別に分かれていたように思う。
韓国のテーブルには10人(うち4人はマダム)が、日本のテーブルは5人が座った。インド人参加者も目を引いた。アラブ系の参加者も目立つ。アフリカ各国からのプロゴルファー参加者もちらほら目に留まる。日米親善コンペで顔なじみになった面々もいる。
でも圧倒的にフランス人、ベルギー人が多いようだった。


後夜祭ディナーパーティー


いよいよ総合成績優秀者発表が始まる。

プロの1位は、ベルギー人、2位はわたしがレッスンを受けるコンゴ人ジャンクロード、3位はやはりキンシャサゴルフクラブ所属のプロ、カップンバだ。

一般参加男性成績優秀者にKASHIWAさんというアメリカ人がいた。両親のどちらかが日本人だそうだ。かれは第3カテゴリー部門で1位だった。

一般女性部門1位、そしてパター部門1位に輝いたのは第1カテゴリーに属する韓国人女性のキムさんだった。かのじょのパター数は18ホールで24パター。各ホール1パターちょっとで沈めたことになる。すばらしい。

シニア部門1位に輝いたのは、われらが日本の冨永大使だった。
カテゴリー1に属する大使は3日間の成績は良くなかった、と肩を落とされていたから、名まえを呼ばれた時はキョトン!、とされていた。
アフリカの良木で作られたゴルファーをかたどったトロフィーを抱えて本当に嬉しそうだ。
タンタン作家として知られるメートル・オーギー作のトロフィー。
おめでとうございます!!

そして、最後に10数名ほどの名前が呼ばれた。かれらは木製のティーアップしたゴルフボールのトロフィーを手にしている。

いいなあー。

わたしはよほどウットリ羨ましげな眼差しをしていたのかなあ。
ティーアップゴルフボール・トロフィーを手に着席された冨永大使が、ぼくはこのシニア部門1位のゴルファーのトロフィーをもらったから、こっちのゴルフボールトロフィーはマダムにあげよう!、と言われて、わたしにくださった!!!

わーーーい!!!!!



”OPEN DE KINSHASA-2013
17-18-19 Mai 2013”


これからのわたしの人生の中で、2013年 キンシャサ・オープンゴルフに夫婦で参加できた、とても良い思い出のトロフィーになることだろう。
冨永大使、ありがとうございました!


最後に今日、ゴルフクラブから夫のところに送信されてきた「2013年 キンシャサ・オープンゴルフ
結果」を見てみよう。

プロ部門参加者      10人 (女性0人)
第1カテゴリー参加者   30人 (女性3人)
第2カテゴリー参加者   35人 (女性4人)
第3カテゴリー参加者   43人 (女性15人)

総参加者数         118人(女性22人)

夫が言った。
この3日間、どこかに旅行していたような感じだったなあ、と。
元気に夫婦で3日間のプレイをまっとうできたという幸福感でいっぱいだ。
心から参加してよかったと思えるキンシャサ・オープンゴルフの3日間だった。

この企画に関わったすべてのかたに感謝します。
ありがとうございました。

2013年5月17日金曜日

キンシャサ最古の教会

キンシャサでいちばん古い教会


今週火曜日、IWC(国際女性クラブ)の造船工場見学のあと、フランス人メンバーの車に便乗して帰宅する途中で、近くにキンシャサ最古の教会があるからその前を通って帰ろうということになった。
そんな教会が今も残されていたなんて。
知らなかった!


コンゴ河岸からすぐの一段高くなったところにこの教会は建つ。

キンシャサからコンゴ河を下流に向かって行くとすぐに滝があってこれ以上は下流に船を進められないという地点からほど近いところ。
言い換えると、上流のキサンガニ~キンシャサ間の滝のない区間だけ船の運航が可能だというキンシャサの最終地点からほど近いところ。
さらに付け加えると、1870年だか80年代にベルギー人探検家スタンレーがコンゴ河を探検したときに基点にしたという地点からほど近いところ。

そんな場所に、1891年に教会が建てられた。


とてもこじんまりしたかわいらしい教会だ。
20m四方くらいしかないのではないか、と思うくらい小さい。
屋根に十字架は立っていない。
その代わり、中央入り口ドアの上の三角部分に十字架模様の鉄枠がはめ込まれている。
アメリカの絵本の”ちいさなおうち”(岩波書店)を思い出させるような外観だ。

辺り一帯、今では住宅地になっていて、近くにはドイツ人一家が経営する雑貨屋、”SYMPHONIE DES ARTS”もある。
緑深い地域だ。
百年前はなにもない場所だったのだろう。
何人の神父がどのようにしてここへたどり着いたのだろう。


わたしたちが中央アフリカのバンギにいたころ・・・1994年だったと思う。
キリスト教布教百年祭がバンギのノートルダム大聖堂で開かれた時のことがよみがえってくる。
コンゴ河の支流のウバンギ川を遡って2人だか3人の神父が1894年に上陸した。
その地点に初めて建てられた教会がサンポール教会で、赤レンガの質素な美しさを持つ建物がその当時、ウバンギ河の傍に建っていた。
百年祭ミサが行われたバンギ・ノートルダム大聖堂の壁には、ウバンギ川に浮かんだ小舟からまさに上陸しようとする2,3人の神父を描いた垂れ幕が大きく掲げられていた。


キリスト教のキンシャサ上陸はそれより3年前だったのだ。


中央アフリカ共和国もコンゴ民主共和国、そしてコンゴ共和国も、カトリック、プロテスタント合わせてキリスト教徒が多い。
1960年の独立時点で、コンゴのカトリック教徒は四百万人に上り、全人口の40%近いものだったと言われる。

この春、キンシャサの大司教であるローラン・モンセングオ・パシンヤ枢機卿がローマ教皇庁の改革の仕事において教皇を助ける8人の枢機卿のうちの1人に選ばれている。
もちろん、この8人の枢機卿のうち,モンセングオ枢機卿はただひとりのアフリカ出身者だ。
モンセングオ枢機卿の人となりをコンゴの人たちに尋ねると、読書家で勉強熱心な人だという答えが返ってくる。コンゴ人からの信望も厚いのだなあと感じる。
「モブツ・セセ・セコ物語」の本の中でも、モブツ大統領に対して厳しい提言をし続けてきた人物として描かれている。


キンシャサ最古の教会を後にして、そんなこんなを思い出しながら帰路に着いたのだった。


鉄扉の左側の銅版に教会の説明書きがある


2013年5月13日月曜日

英国大使館のガーデンバーベキューを楽しむ

2012.7.27  BBQの夜  in 在キンシャサ英国大使館 


キンシャサのグランドホテルを過ぎてコンゴ河沿いの道を一つ入った通りは、ゆったりとした区画が続き、とてもきれいに整備されたところだ。

その辺り一帯のコンゴ河沿い道路はキンシャサ市内で唯一、外国人の徒歩が可能な場所だ。
朝や夕方には、散歩やジョギングを楽しむ外国人たちが行き交い、ごみごみしたキンシャサの街中とはだいぶ雰囲気が変わる。
そこにはアメリカ大使公邸、英国大使館と官舎、ドイツ大使館、おしゃれなアパートなどが並ぶ。



そんな治安の良い地域にあり、白い壁に囲まれて威厳のある構えの英国大使館内の庭で、毎週金曜日の夜、ガーデンバーベキューが設営され、一般に公開されて食事を楽しむことができるのだ。

もちろん、英国大使館敷地内に入るのには、門衛のゴルカ兵たちの厳しいチェックを受けなければならないし、英国大使館が発行する"Oasis Club"会員カードを持つ人と同伴でなければ入場できない。
敷地内の庭はとても良く手入れされていて、個人宅の庭のようなアットホームな空間が広がる。
ここのガーデンバーベキューはわたしたち夫婦がキンシャサで唯一楽しめて憩える場所だ、と胸を張って紹介できる。


夫はまず最初に、Oasis Club会員のコンゴ人の知り合いに連れてきてもらったのだそうだ。
そして、夫婦で英国大使館のゆったりした庭でバーベキューの夜を過ごすために、Oasis Clubの会員になった。
会員になるには、所定の用紙に必要事項を記入して、年会費とともに英国大使館に提出すれば問題なく会員カードを発行してもらえた。
それが、昨年の4月28日なのだった。

それからほぼ月1回のペースでここを訪れている。
メニューは毎回同じだ。
生野菜のサラダ、バーベキューと相性抜群のピラフ2種、野菜煮込み料理、パン、そしてソーセージ、キャピテンという白身の川魚、鶏肉、豚肉、牛肉のバーベキューに、最後はフルーツポンチとケーキ2種で締めくくられる。
バーベキューの味付けがとても美味しく、ピラフとのコラボレーションを毎回楽しんでいる。

まず、会員はひとり20ドル、非会員だと25ドルを払って、チケットを買う。
ビール、ワインの飲み物は別に買わなければならない。20ドルの飲み物チケットを買って、希望の飲み物と交換にチケットにパンチで穴を空けてもらう。
ビールはどのビールも3ドルだからビール1本につき3つの穴が、ワインは赤も白もグラス1杯5ドルだからグラス1杯につき5つの穴が空けられる。
チケットに20個の穴が空くと終了。
また新たに飲み物チケットを購入しなければならない。

ここの食事で唯一残念なのは、デザートの時の紅茶がない、ということだけだ。
本場イギリスの美味しい紅茶があったら満点なのになあ。


昨年7月27日金曜日は、ちょうどロンドンオリンピックの開会式と重なった。
そのときの様子をブログに書いたが、敷地内の建物の白い壁が大スクリーンとなって開会式画面が映し出され、臨場感溢れる開会式を楽しめたのはとても良い思い出になった。

初めて夫婦でここを訪れ、Oasis Clubの会員となって1年が過ぎたなんて驚きだ。
先週の金曜日にBBQに出かけて、2年目の会員継続手続きをした。


そろそろキンシャサも雨季が明ける。
金曜のBBQの庭で、わたしはひんやりとした乾季の空気をキャッチした。

 「乾季来ぬと目にはさやかに見えねども、空気の軽さにぞおどろかれぬる」

運転手が言った。あと1週間うちにも乾季が始まるよ、と。

昨年、乾季の頃、BBQの庭でバッタに会った。

BBQの夜の庭で出会ったバッタ
6月、7月の英国大使館のBBQの夜が今から待ち遠しい!

2013年5月8日水曜日

コンゴの彫刻家 Liyoloさんのこと

キンシャサ大学近くに建つ女性像 撮影:Dr.Shimizu

先月初めだったろうか。

”こんな大きな女性像がキンシャサ大学近くに建っていますよ。”

我が家の隣に住む日本人ドクターが、一枚の女性像の写真をfacebookで紹介していた。

キンシャサ市内の広場にはいろいろな像を発見するが、こんなインパクトの強いものが市内に建っているとは。
以前に書いたが、キンシャサ大学ってなんでこんな辺ぴな場所に建っているの??、と思うほどキンシャサの奥まった高台にあると聞くから、なるほど、わたし達の目に触れないのは当然なのかもしれない。


頭に載せたボトルは一見すると大砲のようだと感じたり、いやいや、頭の丸っこいのは葡萄でボトルはワインの瓶かも、とか呑ん兵衛の発想になったり。


台座正面に、”HOMMAGE   Aux MAMANS MARAICHERES” のプレートがはめ込まれているそうだ。


台座正面のプレート  撮影:Dr.Shimizu



「 畑仕事の女性たちに捧げるオマージュ(賛美)」


この女性像は、野菜作りに勤しむ女性たちへの賛辞を表していたのだ。
この国の女性は、結婚すると、畑仕事と子育てに振り回される生活なのだ、とわたしのフランス語の先生(コンゴ人女性)が言っていたのを思い出す。

もう一度女性像を見ると、この女性の上向き加減の眼差しに、開かれた未来を信じる力強いものを感じる。


女性像の首元のところに”Liyolo 2011”と刻まれているのも見える。

”Alfred Liyolo”

かれこそが、このコンゴ女性へのオマージュ(賛美)の像の作者なのだった。



わたしがキンシャサでLiyoloさんに初めて会ったのは、昨年3月11日にキンシャサの日本大使公邸庭で開かれた東北・北関東大震災慰霊一周忌式典会場だった。
とても人懐っこい笑顔で,ブロンズ像を制作する者です、と自己紹介された。
側にいたかれの友人が、かれは東京でも個展を開き、皇居に招かれて天皇夫妻とも歓談しているんですよ、と教えてくれた。

それからほどなくして、IWC(国際女性クラブ)のランチ会で、オーストリア出身のショートヘアが似合う上品なマダムと隣り合わせに座ったのだが、かのじょがなんとLiyoloさんの奥様だった。
わたしの夫は、日本を訪れて天皇皇后両陛下にお会いして以来、日本びいきになってしまったのよ、と話していた。

その後、わたしはLiyoloさんの名前を忘れてしまっていた。


そして、今年2月。
IWCの見学企画で、キンシャサに住む芸術家夫妻の家を訪ねる、というのがあった。
キンシャサ郊外にあるという。
我が家の運転手に訊くと、慶応大学プロジェクトのアカデックス小学校に向かう途中にあり、コンゴ人だったら知らない人はいないくらい有名な芸術家なのだ、というのだった。


そんなふうにして、またLiyoloさん夫妻に再会したのだった。


自宅庭で談笑するLiyoloさん



自宅玄関前でメンバーに説明するLiyolo夫人


彼らはキンシャサから車で1時間ほどの郊外に住んでいた。
二人は、ウィーンで出会い、1968年に結婚。
1970年にコンゴに落ち着く。
当初のかれらの住まいはキンシャサ中心地に構えていたそうだが、雑踏を逃れて現在の地に移る。
引っ越した当時は、電気も水道も来ていなかったと言う。

Liyolo夫人、Friederike Liyoloさんは陶芸家として活躍している。
彼女は教育学を専攻していたらしく、現在も、土をこねる、創造するという活動を通して障害を持つ子どもたちの教室を主宰しているのだそうだ。
かのじょはまた、結婚でコンゴに渡り、その後、キンシャサ芸術大学で陶芸を改めて学び深め、3人の子どもの母親として、芸術家の妻として、また自身も芸術家としてキンシャサで暮らしていると、TRUST MERCHANT BANK(商用信託銀行 ルブンバシが本社で支店数はコンゴ1番という。)の文化振興組織、”LE MONDE DES  FLAMBOYANTS(火炎樹の世界)”の展覧会パンフレット2010年5月版で紹介されている。



”LE MONDE DES FLAMBOYANTS”2010年5月パンフレットの表紙



”Friederike Liyolo ”紹介ページを開く

マダムのこの白い女性像は、持ち抱えられないくらい大きい。
かれらの住まいのリビングに、このマダムの作品が置かれていた。


また、同じパンフレット中に、”Maitre Liyolo”(巨匠 リヨロ)という見出しで10数ページに渡ってかれの作品の写真もふんだんに掲載して紹介されている。



”Maitre Liyolo”紹介ページ冒頭部分



「かれは、偉大な旅人であるかのような彫刻家だ。大地から大地へ、海から海を渡るのではなく、素材をさまよい求める旅人なのだ。」という文から始まっている。

「かれは素材に向き合い、その中に、表現されたがっているいくつもの顔の存在を感じ取り、そこに静かに揺らめく可能な限りの形を素材の奥底から持ち帰り表現しようと決心しているかのようだ。」

「コンゴ民主共和国のバンドゥンドゥという地方に生まれ、かれの作品の中にアフリカ人としての血を感じる。」


Liyolo夫妻の住まいの内も外も、アトリエも、そこここに点在するかれらの作品もひっくるめて、敷地内は一つの美術館だった。
部屋の中は、かれらの作品と、旅で出会い収集された芸術品がほどよく調和し、落ち着いた空間が広がっていた。



プールへと続く扉!


庭の仕切りにさりげなく掛けられた金属の大きな葉っぱ2枚!



敷地内には3つのアトリエが存在した。
息子さんの、木工作品が制作されるアトリエ。
マダムの、大きな窯が据えられたアトリエ。
そして、奥にムッシュLiyoloのアトリエ。

その空間を何人ものお孫さんが、その日がちょうど休校日だったらしく、にぎやかに飛びまわって遊んでいた。



ムッシュのアトリエの壁に書かれたメッセージ!



ムッシュLiyoloさんのアトリエの壁に、ユーモアと威厳に満ちたメッセージを見つけた。

”静粛に!
ここには創作の崇敬が宿っているー”

ここは、ものを作り出すことの崇高な気配がみなぎっているところなのだから、静かにしてね、とはにかんだ表情のLiyoloさんが心で叫んでいる、そんな気がした。


Liyoloさん夫妻がコンゴに居を移した1970年と言えば、悪名高きモブツ政権真っ只中の時代だ。
1980年代後半から90年代前半のコンゴ政府崩壊状態の時期、かれらの住まいも何度かの略奪に遭い、壊滅状態になったそうだ。そういう危機を乗り越え、二人で力を合わせて再建し創造してきた素晴らしい空間なのだ。

創作の静かな意欲が溢れる空間。
家族の愛情が溢れる空間。

Liyoloさん夫妻の穏やかな”今”がどのように醸成されてきたかを感じる。

これからも、Liyoloさんの芸術家としての旅が続きますように。

2013年5月3日金曜日

おつかいありさん

20年前のバンギの生活では、蟻との闘いだった、と言っても過言ではないくらい、蟻には悩まされた。小さな蟻だったけれど。

蟻は甘いものに集るだけではなかった。
肉を解凍するために、ちょっと台所の流し台に置いておくだけで、黒山の蟻集り、だった。
食卓テーブルの上に置いた食品にも蟻は集った。
テーブルの脚に輪ゴムをはめると、蟻の道が遮断されて蟻防止になると聞いて試したが無駄だった。
だから、密閉容器は必需品だったし、食料は全て冷蔵庫か冷凍庫に保管した。

当時、バンギで一軒家に住んでいた日本人から聞いた話だが、1ヶ月の休暇が終わって帰宅してみると、なんと玄関に蟻塚が天井に届かんばかりにそびえ立っていた、というくらい、蟻の生命力はすごかった。

それに比べると、キンシャサでは、”身の毛もよだつ”くらいの蟻の群集は見かけない。
台所に肉を置いていても蟻は寄ってこない。
ただ、甘いものにはもちろん蟻は”道”を作って遠路はるばる我が家までお越しになる。
ビスケットの粉などをぽろぽろこぼす夫の足元は要注意だ。
キンシャサの蟻は、やはり小型だ。


でも、ゴルフ場の大木の幹の木肌には蟻がうじゃうじゃ。
この蟻たちはちょっと大型だ。
甘い木の実のかけらを運んでいるのか、木の汁を運んでいるのか。



大木の陰に隠れてゴルフの順番を待っているとき、いつも幹を昇ったり降りたり、忙しく働く蟻の姿を見かける。
蟻は一筋の道を通るから、鉢合わせになってはどちらもがちょこっとずつ譲って通り抜けてゆく。


多くの木が並ぶキンシャサのゴルフ場 9番ホール


そんなときに思い出すのが、童謡の”おつかいありさん”だ。


♪ あんまり いそいで こっつんこ
  
  ありさんと ありさんと こっつんこ

  あっちいってちょんちょん

  こっちきて ちょん


  あいたた ごめんよ そのひょうし

  わすれた わすれた おつかいを

  あっちいって ちょんちょん

  こっちきて ちょん



わたしがこの詞の中で大好きな部分が、
「あいたた ごめんよ そのひょうし。 わすれた わすれた おつかいを。」
のところだ。
作詞者も、物忘れの名人だったのかな、とか想像するのも楽しい。
童謡、って日常生活のひとコマをしっかり織り込んでいて、それでいて子ども目線を盛り込んでいるところが魅力なのだ。
(童謡については、また別の機会に。)

蟻どうしが鉢合わせしたところを見たときは思わず、そ~ら、何をおつかいしていたか忘れただろう~、と話しかけたくなる。

キンシャサで、まだひどい蟻被害に遭っていないから、こんな悠長な目線でいられるのかもしれない。感謝、感謝。

ところで、この国にも、日本の”童謡”のような歌があればいいな。

2013年5月1日水曜日

日米ゴルフコンペ

蓮で覆われたゴルフ場の池


この前の日曜日、4月28日朝8時から、キンシャサのゴルフクラブで第1回日米ゴルフコンペが開催された。
天気にも恵まれ、各チーム2人1組になって5組で競うコンペだった。

2人それぞれがショットし、打ったボールのどちらか良いほうを選んで進む、というやり方で、わたしの相方は無償援助プロジェクトの旧知の所長さん(といえどもわたしより年下!)だったから、さらにリラックスできて、その上、アメリカ側の2人がまたユーモアのある優しい青年だったので、本当に楽しいムードで18ホールを回ることができた。

アメリカのこの2人の若者はもうじき在キンシャサのアメリカ大使館での任務を終え、本国に帰国するそうで、うち1人は、この日が最後のプレイだとのことだった。


当初、ゴルフをする唯一の日本人女性(・・で、しかもいつまで経っても初心者という・・)のわたしは今回の日米コンペに出場しなくていいと言われていたので安堵していたら、突如アメリカチームに女性が1人いることが判明したので出場してほしいと連絡が入ったのだった。

しかし、”バレットさん”という名まえは女性ではなく男性、しかもスポーツマンタイプのがっしりした青年だったのだ!

「わあ、バレットさんって女性かと思ってた~!そちらには、女性はいないのですね。」というと、相棒のエリックさんが、「ぼくのゴルフの腕は女性みたいなものだから大丈夫ですよ。」
女性はあなた1人ではないですよ、大丈夫ですよ、と言わんばかりの優しい眼差しで和ませて(!)くれたのだった。


上の写真は、わたしと相方の第一打の写真だ。キンシャサのゴルフ場が緑深い美しいコースだということが分かると思う。

わたしたち2つの組は最後の最後までスコアを競り合って、そして結局、わたしたちの組が2点差で勝ったのだった。

チーム全体として、グロス(元々のスコア)ではアメリカチームが勝っていたが、ハンデを加算して日本チームが勝利を収めた!!



勝利チームには、カリフォルニアワインとアメリカ大使館のロゴマーク付きのゴルフボールと、そしてこんなかわいい賞品をいただいた。

勝利チームの賞品!

”UNITED STATES EMBASSY ☆ KINSHASA”と書かれたティーシャツを着た、手のひら大のマウンテンゴリラのぬいぐるみだった!!
(マウンテンゴリラは、コンゴ民主共和国からウガンダ、ルワンダに棲息する希少動物だ。アメリカ人動物学者らの研究により生態が明らかになったそうだ。現在、絶滅危惧種に指定されている。)

あー、日米コンペに参加できてよかった!!

その晩、わたしは最高に幸せな気分で床に就いたのだった。(単純マダム!)