2014年5月30日金曜日

ポワルー道路沿いのテント床屋~道路完成に寄せて

わたしがキンシャサに来て間もない2012年1月。
夫が従事するプロジェクト、舗装と拡幅の道路工事現場沿いには、20年前のバンギで見慣れた青空床屋や木の下床屋ではなく、ピンク色のテント床屋が点在していた。
どこかの整髪料の広告を兼ねたテントで、きっと整髪料の会社が一定量の商品を仕入れた理髪師に無料で提供した床屋用テントなのだろうと推察された。
テント床屋とは進歩したものだ、整髪料会社も良いところに目を付けたものだ、と感心して見入ったものだった。

(余談だが・・・。)
ポワルー道路沿いのセメント壁には直にペンキで描かれた商品広告が汚れながらもカラフルに描かれ、アフリカンポップ・アートだとさえわたしには思える区間がある。
セメント壁の向こうには朝夕の数往復の通勤電車が運行されるだけの鉄道が走っている。
沿線にはもちろん駅舎もあり、乗降客の往来も見られる。
ポワルー道路は本来、産業道路だから交通量も多い。
ということで、セメント壁の広告効果大だと見た。
セメント壁に直に描かれたペンキ広告は庶民の日常グッズ、食料品や、ちょっとした工事現場の機械の広告が目に付く。
この広告料は、鉄道を運営するオナトラ社に入るのだと聞く。



2012年初頭、ポワルー道路沿いに並ぶテント床屋
2012年初頭、ポワルー道路沿いのテント床屋と街頭カフェ

写真でも分かるように、歩道は土道で、あちこちにゴミが山積されていた。
当時は舗装完了区域のほうが少なくて、拡幅するためのスペースも確保されていない時期だった。



月日が流れて、2014年5月。
昨日、5月28日、プロジェクト区間すべての舗装工事、拡幅工事が終了したそうだ。
歩道も一定幅で舗装され、雨の日も歩行者は安全に気持ちよく通行できるようになった。
拡幅は、沿線スペースを考慮して、単線道路の右側を拡幅したり、左側に広げたりして、全て片側二車線になった。

そして、あの、わたしを唸らせたテント床屋が2年半の歳月の流れの中で、骨組みしか残らずにうら寂れてしまっている姿に、プロジェクトの紆余曲折のあった2年半(実際には初期調査から6年が経過しているそうだ。)の長さを感じずにはいられないのだった。


2014年5月ポワルー道路沿線の、物寂しさを感じるテント床屋
2014年5月ポワルー道路沿線のテント床の風雨に耐えてきた果ての姿

また整髪料会社の提供で広告を兼ねたカラフルな床屋用テントが支給されないかなあ。
風雨に晒されて劣化したビニルからぼろ布(失礼)に替えて健気に(再度、失礼!)開店しているテント床屋には、それでもしっかり客が入っていて、ほっと胸を撫で下ろした。



ポワルー道路の入り口付近も道路の完成に平行するかのようにきれいに整備されている。
道路の入り口横に位置する中央駅前には広場が拡張整備され噴水の泉も設置され、その二隅にはコンゴ人彫刻家のリヨロさん作のブロンズ製レオパード(豹)像が向かい合って立っている。
庶民が和やかな表情で行き交い、写真を撮っている光景にも出会い、庶民の憩いの広場となっていることが感じられる。



リヨロさん作ブロンズ製レオパード像


そして、また、道路入り口傍にホテルらしきお洒落な建物が完成に向かって建設が進んでいる。(反対向こうには、ずいぶん前から巨大な複合ビルが建設中だが遅々として進んでいない。)

さあ、これからポワルー道路沿線はどのように発展していくのだろうか。
まずは、この国の平和が保たれることが根本となることはいうまでもない。

道路工事のプロジェクトが進むに比例して、多くの人々から賞賛の声が聞かれた。
日本の技術の素晴らしさはもちろん、理路整然としたスムーズに運ばれる工程の進捗状況を目の当たりした人々の賞賛の声だった。

日本の資金と技術の援助、そしてまたコンゴの国家予算からも出されて完成したポワルー道路。
コンゴ民主共和国のみなさん、ポワルー道路を大切に、末永くかわいがってください!

2014年5月26日月曜日

第16回 キンシャサ・オープン・ゴルフ 2014

”第16回 キンシャサ・オープン・ゴルフ 2014”のポスター


5月16日、17日、18日の3日間、わたしたち夫婦にとっては2回目の参加となる”キンシャサ・オープン・ゴルフ”が、キンシャサ・ゴルフ・クラブで開催された。

4月に入ると、ゴルフコースの整備が始まった。
コースに林立する樹木の枝が切り落とされ、コースの見晴らしがグンと良くなった。
クラブの壁のスポンサーの広告のペンキ画が描きなおされ、クラブ内の見栄えがグンと引き立った。
各コースの表示板の下の協賛企業の広告板が新しく入れ替わった。

コース表示板とゴミ箱

わたしのお気に入り、コンゴ産ラム酒”KWILU”もコースの広告プレートに初登場

オープン・ゴルフは他国からも、そしてコンゴ東南部の都市ルブンバシからも、プロも、アマも参加する。参加者は160名で打ち切られると聞く。
大会2ヶ月前くらいからメイルからでも申し込めたらしい。(わたしは夫任せ!)

大会2日前に、参加費一人150米ドルを支払いにクラブまで行き、それと引き換えに、3日間分のポロシャツ三枚、帽子、タオル、ボール、ティーセット、筆記具。それから、飲み物、朝食、サンドイッチ、キャディーフィーのチケット綴り、をもらってくる。
(後夜祭ディナーチケットは別途料金だった。)
お隣のノブさんが、いよいよですねえと頬を紅潮させんばかりに、参加グッズを抱えて我が家にやってきて、お互いに胸の高鳴りを感じあったりして。
夫も帰宅して、しばらく昨年のオープンゴルフ参加時の経験などを初参加のノブさんに話していると、ワクワク感が身体じゅうにみなぎってきたりして。

オープンゴルフのスポンサー企業は、今年も仏電信電話会社Orange,独飲料会社ハイネケン、ベルギー資本の銀行BCDCの3企業だった。
3色のポロシャツが配られ、着る色がそれぞれの日で指定された。
夫はわたし用にSサイズをもらってきたが、サイズが大きすぎて体がポロシャツの中で泳いでいた。ジュニアサイズでよかったのに・・と、交渉してくれなかった夫をわたしはうらめしく思うのだった・・。


胸にスポンサー名とクラブマークが刺繍された3枚のポロシャツ

そして、いよいよオープン・ゴルフ前夜祭カクテルパーティーが15日夜、開かれる。

オープンゴルフ前夜祭カクテルパーティーで

昨年のルブンバシからの参加チームはスコットランド風衣装に身を包み華やかだったが、今年は目立つことなくひっそりとしていた。それでも、参加者の家族たちも来場して大盛況の前夜祭だった。

そして、大会初日を迎える。

大会初日のコース・スター前の光景

参加者のハンデは最多で28だ。わたしのキンシャサゴルフクラブでの通常のハンデは36だから、いつもより8もハンデが少なくて相当厳しい状況だった。
初日は、同伴者の一人が欠場して、12歳のアフリカ系米国人少年と2人で回った。
この少年の前向きなこと!おませさんなこと!
楽しく回れたが、ゴルフに集中できないまま初日終了。
2日目からは、前日の成績順にスタートして行くので、否応なしに自分の順位が見えてきてがっかりする。
キンシャサIWC(国際女性クラブ)で顔なじみのマダムと2日目、3日目ともに同じグループでのプレイだった。かのじょが全身でライバル心を押し付けてくるからタジタジとなる。なかなか平静心が取り戻せず、3日目も自滅モードとなりちょっと苦しむ。
笑う門には福来る!。
どんなときも笑顔を忘れずに。
いろいろと、我がモットーを掲げてみるが、どうもうまくいかない。
自分のゴルフを忘れてしまっていた。
3日間ともに、いつもより5~10ほどスコアを落としてしまう。

雨季と乾季の境目にあるこの時期のキンシャサで、大会2日目の午前中に降雨が見られたが、天気にもほぼ恵まれた。


今年も、毎日、夜の成績発表に出かけ、翌日のスタート時間を確かめて帰宅するという3日間だった。
ただ、初参加だった昨年に比べ、いろいろなものが見えてきたのもあるのかもしれない。
また、日本人参加者がわたしたち夫婦とノブさんの3人だったという寂しさもあったかもしれない。
昨年だって成績不振だったのは同じなのだが、今年はちょっとお祭りモードには浸れなかったように思う。

それから、昨年は総合成績優秀者にはタンタン人形作家で知られるオーギーさん制作の木製トロフィーが授与されたのだが、今年はそのトロフィーがなかった。
どうしたのだろう。
今年も、ゴルフクラブからトロフィーの注文が来たよと、オーギーさんのアトリエではスタッフが制作に取り組んでいたというのに。
もちろん、わたしは上位入賞にはほど遠い立場なのでトロフィー授与の絡みもない。
でも、オーギーさんの木製トロフィーや記念品が並ぶ光景は圧巻だった。
昨年は、日本人仲間がシニア部門で優勝して、オーギーさんの大きな木製トロフィーが授与され、共に喜んだことを懐かしく思い出す。


後夜祭パーティー スポンサー企業の多くの賞品が並ぶ

後夜祭パーティー隣席はルブンバシからの参加者たちだった

今回も思うような成績は残せなかったが、わたしたちのキンシャサ生活で2度のキンシャサ・オープン・ゴルフに夫婦で参加し、多くの参加者たちと交流できた。
何より、3日間を通して元気にプレイできたのはキンシャサでの良い思い出になることだろう。

キンシャサ・オープン・ゴルフに、心から、ありがとう!!!!!


2014年5月17日土曜日

 南アフリカ共和国からの写真集   ”SOUTH AFRICA”

ケープタウンで買ってきた写真集、”South Africa”のページをめくりながら、南ア旅行をふり返ってみた。また訪れたい、そしてもっといろんなところを見てみたい、と思わせる魅力的な国だった。

L’éléphant vert:  南アフリカ共和国からの写真集   ”SOUTH AFRICA”: 5月の連休時に、夫婦で訪れた南アフリカ共和国のケープタウンとヨハネスブルグ。 帰りのケープタウン国際空港の本屋で一冊のきれいな写真集を見つけた。 写真家 Gerald Hoberman が著した”SOUTH AFRICA”だ。 南ア・ケープタウンで見つけた写真集 ”...

2014年5月13日火曜日

やもりの赤ちゃんとベランダで

今朝は、起きたときからシトシトと雨が降っていた。
決してムッとする湿度は感じないが、あちこちから降ってくる鳥の鳴き声を聴いていると、小さい頃に訪れた動物園の熱帯植物園のドームの中の空気を思い出す。

どのコンゴ人も、「雨季は5月15日まで!」と言う。
これは名残の雨かも。

今朝、洗濯機を回そうとダイニング横のベランダに出ると、チビやもりがじーっと動かずに床にたたずんで(!)いるのを発見。
わたしの足音にも動じない。
目線をズームしてみると・・・。
なんとチビやもりの足先が欠けているではないか。
わー、わたしがベランダに出るときに(建て付けが悪くて)こじ開けた網戸ドアに挟まれたのかなあ。
ごめんねえ~。
なんだか、我が孫娘や我がヨウム(コンゴオウム)のポンのいじらしさとダブってくる。


今朝ベランダでご対面のチビやもり 体長5cm! 左前足が欠けている!!


やもりは、”守宮”とも、”家守”とも書いて、害虫を食べてくれるのだよと小さい頃から聞いているし、わたしの大大ダイッ嫌いなあの虫みたいに、台所まで侵入してこない礼儀正しさも備えているから、わたしは決してかれらに悪いイメージは持っていないし、また決して殺したりもしない。
むしろ、我が家を害虫から守ってね、とお願いするくらいだ。

やもりの尻尾は切れても切れても再生されると聞くが、足はどうなのだろう。
再生してくれるといいのだけど。

ちょっと手で突いてみた。
チビやもりは、びっくり仰天した様相でひっくり返りながら直径20cmの円内でぱたぱたするのみ。
3時間以上経つのに、まだベランダの同じ場所にたたずんでいる。
どうしちゃったんだろう。
足が1本でも欠けると平衡感覚とかもなくなるのかなあ。

じっと観ていると、出汁用いりこのようにも、おたまじゃくしのようにも見えてくる。


また、やもりは、英語でも仏語でも、 ”gecko” と綴り、発音は英語はゲコゥ、仏語ではジェコと読むらしい。
キンシャサの日本料理屋でお鮨も刺身もメニューにある「GEKKO'S」の商標は箸が添えられた皿の上にやもり”gecko”が載っている。
わ、やもりの足の指って4本なんだと、ベランダのチビやもりを確認しに行ってあらためて思う。

キンシャサの日本料理の店、”GEKKO'S”の商標


イギリス系ユダヤ人とかイギリス系アラブ人とか聞くオーナーマダムがもし、家を守る”家守”と、”月光”との掛詞みたいな意味合いでネーミングしたのだったら、大したものだ!!、と思うのだがいかがだろうね、マダムさん。


とか、なんとか、どうでもいいようなことを、雨降りの朝に考えたりして。
天国のようなケープタウン、ヨハネスブルグの旅から帰って、キンシャサで現実に戻され、連日の断水でゲンナリし、夫のダウンでまたまた心配し。
南アの旅のこともまとめたいし。

お!
外が明るくなってきたぞ。
今日も暑い午後になるぞ。
ファイト!!

2014年5月6日火曜日

再びキンシャサライフ、ポンと共に

昨日、5月4日、予定通りに南ア、ヨハネスブルグの空港をA.M.9:45に離陸し、約4時間後にキンシャサ、ンジリ空港にランディング。
4泊5日のわたしたちのケープタウン&ヨハネスブルグの旅は無事、終了したのだった。


わたしたちの搭乗機、”South Africa Airways”は、着陸後、キンシャサ空港のやたら奥まったところに移動したなあと思っていたら、現在キンシャサ入りしているアメリカのケリー国務長官とカビラ大統領がどこかへ国内視察旅行に出るらしい。 

※ という情報は同乗していたインテリコンゴ人マダムからの自慢げな情報であったが、アメリカ大使館情報によりと、その時まさに、米国務長官はキンシャサを離れるときであったとのこと。国務長官はキンシャサを1泊しただけの過激スケジュールであったとか。

かれらが乗る飛行機が飛び立つまでの一時間ほど、わたしたちは機内とバス内で待機させられたが、その後は、何事もなく、午後3時ごろには自宅アパートに帰着した。


飛行場からの道中、こんなにもキンシャサがムッとする湿り気のある暑さだったか、ということと、こんなにもゴミだらけの薄汚れたキンシャサの街だったか、ということを車中、夫と話しながら帰って来た。

1年ほど前、国家予算でドイツから大量購入して整備した路線バスがキンシャサを走り抜けていると言うのに、未だに活躍する古い乗り合いバン。
ノーマルなバンは3列の座席しかないのに、改造してギュウギュウ詰めの5列木製座席にして乗り合っているキンシャサ市民の表情を観て夫は言った。

同じくらいの乗車代を払っていながら、キンシャサ市民の乗車状態のひどさは、悲しいなあ。

こんなゴミだらけの、ムッとする暑さの中で、市民はよく耐えていると思うよ。


それくらいに、今回訪れた南アフリカ共和国の都市ケープタウンもヨハネスブルグも美しく整った近代都市であった。
南ア南部に位置し、海に面した、商業都市でもあり農業都市でもあるケープタウン。
国内最大の商業都市のヨハネスブルグ(首都はプレトリア)。
アフリカ人居住地区に車で入り込んだときには、治安の悪さも感じたし、南アの未だに抱える不自然な二面性も感じたが、南アの国内総生産(GDP/国民総生産から海外での純所得を差し引いたもの。国内の経済活動の指標として用いる。)はアフリカ大陸においてナイジェリアに次いで二番目だと聞く。
やはり、コンゴ民主共和国の国内状況は酷いものだと思えてくる。



わたしたちの今回の旅は、日付の変わった4月30日深夜にキンシャサ空港を離陸し、未明にヨハネスブルグ空港に到着。
そして、1時間半ほどの乗り継ぎ時間を経て空路2時間ほど南下してケープタウンに到着する。
アフリカ大陸の最南端の都市は本当に美しい、ブドウ畑の広がる自然の残る(国立公園としてしっかり保護されている。)土地だった。ここで、わたしたちは、新鮮な海の幸とワインと、それからゴルフを楽しんだ。
冬に入りかけたこの時期の気候はケープタウンもヨハネスブルグもとても爽やかで気持ちの良いものだった。毎日、長袖シャツで過ごし、日の出前、日の入り後にはちょっとしたジャケットが必要なくらいだった。

わたしたちが5月4日まで滞在した南アフリカ共和国の二都市、ケープタウンとヨハネスブルグでのことは次回に回したいと思う。


さて。
今回のわたしたちの南ア旅行の4泊5日の間、我が家のヨウム、ポンは運転手一家のところに預けられた。
4日に我が家に到着して、運転手がすぐにポンを連れてきてくれた。

ああ、ポン!大きくなってー!
(って、たった5日間で大きく変わったわけでもないのに。)

ポンは、大きく体毛を膨らませて喜びを表現した。


我が家のヨウム、”ポン”ちゃん


夫の事務所のコンゴ人技術者によって我が家に連れて来られたのが一昨年の12月19日だったから、もう1年4ヶ月が過ぎた。
言葉も芸も何にもなし!、なんて思っていたが、見ていると色々な表情をすることに気づく。
今日になって、自分でかん高い声で「Pyon!」と言っているんだか、「Pon!」と言っていることにも気づいた。
それが単なる泣き声なのかもしれない。
親ばかのぬか喜び、なのかもしれない。
でも、確かに「Pyon!」とか、「Pon!」に聞こえる。

なんだ!
ポンちゃん!
自分の名前が言えるようになったんじゃない!
よしよし!
帰宅してからずっと、リビングのサイドテーブルに置いている。

自然に近い自宅ベランダのテーブルに置いておくのがいいのか。
自然から隔離されてしまうけど、わたしたち家族の傍に置くのがいいのか。
悩むところだけど、しばらく、室内で共に暮らしてみよう。

ベランダの鉄の檻は重いし大きいから、初期の頃の、ちょっと小さめのブルーの鳥かごに入れられたままだけど。

昨日も早速、ソプラノリコーダーを出していろいろと日本の歌を演奏して聴かせた。
今日もすぐ近くで聴いてもらった。
リビングの中で演奏すると音響効果抜群で上達したように聴こえて、ちょっと自己感動してしまう。

そうだ、あれだ!
ヨハネスブルグの息子(と勝手に思っている青年)からお土産にいただいた”ブブセラ”を吹いてあげよう!


南アフリカ共和国の国旗の色模様のブブセラ!


4年前だかに南アフリカ共和国で開催されたサッカー・ワールドカップで一躍知れ渡った、南アのラッパ、”ブブセラ”。
「ぶぅっ!。」
「ぶぅっ!。」
すごいしっかり音が出るけど、連続で吹けない。
南アの文化プンプンの音色のような気がする。
でも。
ポンは、一向に驚かないし、不快な表情もしない。
淡々と、平然としているだけ。
さすが!ポンはアフリカ文化に長けているんだなあ・・って、ポンはアフリカ生まれだし。

ポンを相手にするのは楽しい。
でも、かごから出せないし、長い爪を見ると、引っ掻かれるのが怖いとも思ってしまう。
あーあ、情けない。


到着早々、洗濯機のところと台所の水道水が出なかった。
今日は午後からひどい雷雨(あともうちょっとで雨季も終了!)で、停電になるし、落雷だかそのショックで水ポンプが故障して断水になるし。
しっかりと、キンシャサライフの難しさも復習させてもらった。

キンシャサ在住の外国人マダムたちが口を揃えて言う。
南アフリカ共和国はもはやアフリカではない。
ヨハネスもケープタウンも、気候、食べ物、買い物、病院、すべてが良くて天国だ。
なるほどな。
本当に行ってみて納得した。

天国のようなところに4日間ちょっとだけだったが滞在を楽しんで、すっかりリフレッシュされた。
(いつか再訪できますように。)

さあ、あと残り2ヶ月のキンシャサでの生活をポンと共にしっかりと楽しんでいこう、と思えてくるのだった。