2014年7月23日水曜日

2014年度第4回キンシャサ日本大使杯ゴルフコンペ優勝!!!

第4回キンシャサ日本大使杯ゴルフコンペ優勝カップ

さかのぼること、2011年9月。
前々任大使の離任ゴルフコンペとして開催されたのが初回日本大使杯ゴルフコンペだったと聞く。
前々任大使は夫妻でゴルフを楽しまれていたそうだ。
そして前大使が赴任されたのが2011年10月。
前大使もゴルフの上手なかただった。
そのまま、日本大使杯コンペは毎月開催で引き継がれた。

わたしたちが2012年1月1日にキンシャサに到着して、夫は早々の2012年1月30日開催の第5回コンペに初参加している。
わたしは、翌月2月開催の第6回コンペに初参加。
もう心臓バクンバクンの緊張しまくりの初参加で、結果はスコア146。
多分、ブービーメーカー。ビリだったと思う。
女性は他に、在コンゴ民・日本大使館現地職員のゲルダさんがいた。
かのじょは若くてドラコン賞常連の上級ゴルファーだった。
初参加では、ゲルダさんと参事官の3人で回り、どれだけ気遣いいただいたことか。

プレイ後の、成績発表を兼ねた食事会がまた楽しみだった。
ゲルダさんや、大使、参事官、JICA所長、無償プロジェクトで滞在中の企業の方々の和気あいあいとした雰囲気が心地よくて、以来、毎月のキンシャサ生活の”要”だったと思う。
(その後、ゲルダさんは小さいお嬢さんの育児のため、午後開催になった大使杯コンペに参加できなくなった。)

次の第7回コンペ(2012年2月)でも、わたしのスコアは139で、大した進歩なし。
キンシャサの街中は徒歩禁止だったから、緑豊かなゴルフ場は格好の散歩コースだった。
最初は、そんなすばらしい自然の中でのゴルフコースを歩くだけで満足,幸せだった。

その年の5月に、キンシャサ・オープンゴルフが開催され、前夜祭に参加したことで,来年はわたしもオープンゴルフに参加したい!、という意欲が出た。
それからかな、少しずつゴルフを楽しみ始めたのは。

とはいえ、初参加1年後の2013年の2月のコンペのスコアは、144。
それでも、韓国人の友人ソリムさんはゴルフプレイを誘ってくれて、クラブコンペに参加することを勧めてくれ、いろんな人たちとのプレイを楽しみ始めた。

2013年5月には夫婦でオープンゴルフに初参加。
何も分からないままに3日間プレイし、朝から夜までお祭り気分を満喫した。

それから、スコアは130台になり,時々120台を出すようになった。
8月に、韓国に帰るという友人夫婦と最後のプレイをしたときはなんと114を出した。
でも、その後、スランプ状態で伸び悩む。
紆余曲折の後、レッスンプロ(キンシャサ・ゴルフクラブには3人のレッスンプロがいる。)のカップンバさんに行き着く。
カップンバさんは、南東部の銅山都市ルブンバシ出身で、わたしが幼い頃は日本人が町にたくさんいました、と懐かしそうに話し、あいさつのときはボンジュールと言ってお辞儀をするのだった。
カップンバさんは、上手な英語も話す。
キンシャサの3人のレッスンプロのうちで唯一のスポンサーの付くゴルファーだそうだ。
レッスンのとき、わたしが疑問に思うことを尋ねると、まずいつも通りに打ってごらんと言ってフォームをチェックする。その後、理論を持って説明してくれ、だからあなたの場合はここに気をつけてプレイしてみなさい、と的確なアドバイスをくれるのだ。
納得のいく説明だから,すとんと腑に落ちて実践できる気がした。

日本大使杯コンペに参加して2年目の2014年2月のスコアは127。
そして、新しくゴルフ仲間になったミョンスさんという韓国人マダムと毎週ゴルフを楽しむようになり、かのじょのゴルフに対する姿勢に鼓舞されたように思う。
スコアの数え方も、「各ホール、7平均で回る」という数え方から、「各ホール、ダブルボギーで回る」という考え方に変えた。

スコアのカウントの数え方を変えただけで、先月から110台が出るようになる。
7月13日の日本人のポワルー道路完成記念コンペでは、109という新記録を出す。
初めて110を切ったのだ。

そして、翌週の21日。
私たち夫婦にとっては最後のキンシャサ日本大使杯コンペだった。
朝から緊張していたが、1995年7月、中央アフリカ共和国・バンギでの最後の月例・鹿島杯コンペでどうしても優勝したくて、がんばって優勝したときのことを思い出していた。
あのときも、緊張しまくったが、自分を信じて淡々と集中してプレイしたら想いが叶ったではないか。

夫に緊張するから握手してと頼んだ。
こっそり握手してもらってパワーをもらって、さあ出発だ。

仲間2人も優勝を狙う若者とムッシュ。
淡々とプレイをする姿にわたしも集中して心地よく楽しむことができた。
なにより、キンシャサ最後の大使杯コンペで自己記録を更新することだけを考えた。
緊張して硬くなって、納得のいかないプレイをすることはやめようと思った。
日本に戻ってずっとずっと後になって、最後のコンペでのプレイを後悔することはしたくないと思った。
その日は乾季のキンシャサとしては日差しのあるちょっと蒸し暑い日だった。
それでも、緑の中を吹き抜ける風は本当に気持ちよく、これから先の人生で、この日の、この瞬間の、この幸せ感溢れてプレイするわが身のことを懐かしく思い出すのだろうなあ、と思ったりして、独りで感動するのだった。


キンシャサ・ゴルフクラブ9番ホール左のパームヤシ林


順調だったわけではない、大ピンチのときもあった。
それでも自分に言い聞かせたこと。
1コース、1コースを丁寧に集中してプレイすること。
コースを終えたら、忘れて次のコースに集中すること。
ひとつ、ひとつ、乗り越えていこう。

18ホールを終えたときの達成感は心地よいものだった。

そして、スコアを計算してみると,108。
自己記録を更新!!

やったー!!

楽しい2年半のキンシャサでのゴルフの締めくくりとして、最高の結果をいただけたことを誇りに思い、またゴルフを通して楽しい交流をいただいたたくさんの友人たちに心からお礼を言いたい。

ゴルフ仲間の皆さん!
キンシャサを離れていった友人も!
そして、キンシャサゴルフコースにも!

この2年半、楽しいゴルフをありがとうございました!!!!!!!!!!


キンシャサ・ゴルフクラブ14番ホール池から13番ホールを望む



キンシャサ・ゴルフクラブ最終ホール右向こうを望む





2014年7月20日日曜日

近所のカフェへモーニング!

この前の土曜日、近所のパン屋&カフェ、エリック・カイザーへ、朝7時開店めがけて夫と歩いて出かけた。


朝7時 自宅前Avenue de la paix を歩いてカフェに向かう
朝7時 エリック・カイザー前 (向こうの建設中の建物は完成時期不明のヒルトンホテル)

ひんやり肌寒いくらいの朝の空気に浄化されたような、清清しいキンシャサの都会の通り。
通る人はまばら、車もほとんど見かけない。
一日の活動が始まる前の、半分寝ぼけ眼のようなひっそりしたキンシャサの顔を初めて見た。
そんな朝の空気の中をのんびり、ゆっくり歩いて、エリック・カイザーに到着する。


朝7時、開店直後の店内パンの棚 香ばしい香りが漂う

朝7時ちょっと過ぎ、カフェ店内はすっかり開店準備を終え、客の到着を待ち構えている。
パンの棚にもフランスパンやクロワッサン、菓子パンが並び始めている。
パンの香ばしい香りに食欲をそそられる。
店内は、パンを買う客が2,3人いるくらいだ。

わたしたちは、その日初めてのカフェの客となり、ウェイトレスににこやかに迎えられて通り側のテーブルに着席。

モーニングセットのメニュー


ウェイトレスによると、毎朝5時からパン職人はパンを焼き始め、ウェイトレスたちは6時から店内の準備を始めるのだそうだ。

わたしたちは、これからのゴルフプレイを考えて、あまり重いモーニングセットは避けようと、夫はL'ORIENTALを、わたしはL'EQUILIBREを注文。
本当は、わたしはパンとジュースとカフェオーレのセットが欲しかったのだから、LE PARISIENを注文すべきだったのに、と大後悔する。
というのも、L'EQUILIBREとは、”バランス、平衡”とかいう意味で、ダイエットメニューだったのだ。
テーブルに並んだのは、コーヒー、ヨーグルト、ハチミツ、シリアル、そしてフルーツサラダ。
エリックカイザーの美味しい焼き立てのクロワッサンを食べたかった!
ということで、わたしはウェイトレスにパンを追加注文する。

夫の注文したL'ORIENTALは、中東のベジタリアン向けのようなメニューだった。

モーニングセットの並ぶテーブル イメージした内容と違っていて戸惑う著者?!

ともあれ、キンシャサで迎える朝とは思えないような雰囲気のカフェで、オシャレに朝食が取れて満足!!
次回は、メニューの最後に並んだ、きっとカフェ推奨のLE KAYSERを注文するぞ、と心に誓うが、時間切れかな。


窓際のテーブルから、テラス席とキンシャサ大都会風景を望む

窓際テーブルから、テラス席と正面通りを望む

朝7時のエリック・カイザーでの朝食。
キンシャサ大都会が持つ違った顔も見られて、そんな空間をゆっくり歩いて堪能する。

一石三鳥の土曜の朝の時間。
ここ、キンシャサの商業地区中心地での生活を楽しみ始めている。

2014年7月15日火曜日

自転車競技 Tour de France と、 Tour de Congo

昨夏,7月初旬に娘たちの宗教的結婚式(教会での結婚式)のために、娘の夫の故郷、サンジャン・ド・モリエンヌを訪れたとき、フランスの自転車競技である、”Tour de France”が開催中で、そのサンジャン・ド・モリエンヌの街を通過するということで町中が静かに盛り上がっていたことを思い出す。

”Tour de France”.。
今夏は、7月5日(土)から7月27日(日)までの開催で、101回目なのだそうだ。
1903年、フランス人の自転車選手兼ジャーナリストのアンリ・デ・グランジュが創設した、フランスを舞台にした国際的規模のロードレース。
2度の世界大戦時以外は毎夏開催される、フランスの夏の国民的行事となっている。
ジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャと共に世界三大ロードレース(グランツール)といわれる。
コースは周辺国のベルギー、イタリア、ドイツ、スペインも含む約3600km。
それを約20のステージに分け、1チーム9選手で3週間ほどをかけて走るのだとか。平坦な舗装道路から山岳地帯の急勾配の傾斜面のコースもあり、テレビを見ていると怪我で棄権する選手も出て過酷なレースだ。
通算成績を毎日集計し,全ステージの総合タイム首位の選手が優勝。
勝者には名誉の”マイヨ・ド・ジョンヌ”と呼ばれる黄色のシャツが贈られる。

わたしたちが5月に南アのヨハネスブルグから喜望峰に飛んだとき、”Tour de Cape”という自転車競技があることを知った。
アップダウンの続く断崖絶壁の、強い海風に当たりながらの海岸線のコースはかなり厳しいレースだろう。それでも、海外からの(日本人も!)参加もあって盛況だそうだ。


そして。
ここ、コンゴにもなんと、”Tour de Congo”なるものがあった!

”Tour de la Congo”のマーク


今年で2回目の開催。
6月18日から25日まで、コンゴ民主共和国内の703kmの距離、7つのステージを走り抜く自転車競技だった。

Tour de la Congoスタート (FecocyのH.P.より)

まず、コンゴ南東部のコルウェジ→リカシ→ルブンバシ(カタンガ州)へ。
第1ステージのコルウェジ、リカシ間は、シマウマ、鹿などの動物が見られるようだ。
第2ステージでは鉄橋を渡っていた。

そして、第3、第4ステージ。
西部→キンペセ(バコンゴ州)→キンシャサへ。
キンシャサでは、スポンサーなのだろう、選手たちは”Hotel KWILU”というホテルに泊まっていた。
”KWILU”といえば、わたしたちの贔屓のコンゴ産さとうきび焼酎のメーカーだ。
そのKWILU直営ホテルなのだろうか。
確かに、KWILUは直営のバーも持っているし。
なかなか感じの良いホテルだったが、キンシャサのどこにあるのか。

話を元に戻して、最後の第5、第6、第7ステージ。
東部→ケンゲ(バンドゥンドゥン州)→セレ→キンシャサへ。
第7ステージでセレからキンシャサ入りし、トリアンフ通りのサッカースタジアムがゴールだったようだ。
トリンフ通りのサッカースタジアム前のTour de la R.D.Congoゴール(fecocyのH.P.より)

北部の赤道州や、停戦になったばかりの東部の南・北キヴ州はルートに入っていなかった。

わたしは、このツール・ド・コンゴの自転車競技をフランスからの衛星放送、”TV5”の特集番組で知った。
思えば、ここ1,2年でキンシャサ市内を競技用自転車で疾走する選手たちをよく見かけるようになった。しっかりしたスポンサーが付かなければ、自転車も競技用スーツも入手できないはずだ、と思っていた。

テレビ番組で観る限り、競技ルートは舗装道路(国道1号線がメインルートだった?)を走っていたし、動物保護の自然公園、そして、キンシャサ郊外にあるボノボ保護園辺りも通り、コンゴ観光PRも兼ねたようなルートだったように思う。
それでも、過酷なコースだったのは間違いなく、タイヤが外れる事故が起こったりしていたし、もちろんバイクや自動車の伴走が続いていた。
Total(石油),Scole(飲料),RawBank(銀行),Bank Africa(銀行),AVIA(レンタカー)など多くのスポンサーも付いて、沿道の人々の声援を背にツール・ド・フランスと比べて見劣りしない盛り上がりだったように感じる。
参加国も、コンゴのチームはもちろん、フランス,ベルギー、アフリカからは、コート・ジボワール、ルワンダ、ブルキナ・ファソ、タンザニア、ガボン、マダガスカル、そして嬉しいことに、中央アフリカ共和国からの参加チームを見つけた。

この自転車競技大会の正式名称は、
”Tour Cycliste International de la R.D.Congo”

主催は、
La Federation Congolaise de Cyclisme (Fecocy)

この国、コンゴ民主共和国に平和が続く限り、(少しずつかもしれないが)発展を続けると確信する。
平和が続いて、この ”Tour  de la R.D..Congo”の自転車競技も続いて発展し、立派な国際競技大会に育つことを祈り続けたい。



ポワルー四車線完成記念コンペ

昨夜は、ワールドカップ・サッカーでドイツが優勝して沸きに沸いてワールドカップ・サッカーが閉幕した。
キンシャサのいくつかのホテルでも、大型スクリーン観戦と飲み物,軽食付き入場チケットが販売されたりして(どこかのホテルのチケット料は50米ドルだったとも聞く。)、ドイツ対アルゼンチンの試合に盛り上がったようだ。
ドイツ大使館での決勝戦観戦ではきっと大興奮の渦だったのだろう。
というのも、準々決勝くらいからか、ドイツの試合があるたびに、ドイツ応援観戦のためにドイツ大使館の庭に大型スクリーンを置いて開放していたのだそうだ。
観戦のための来訪者が多すぎてスクリーンが見えずに自宅に戻ったという友人の話も聞いた。

ヨーロッパの人たちはワールドカップのサッカーの試合に本当に熱くなる。
ドイツの今回の優勝が24年ぶり,4回目というのだから、歴史の深さがうかがい知れる。

今回のベルギーのチームでコンゴ出身のルカク選手が活躍していて、キンシャサの大型スクリーンを設置するレストランやカフェでは、かれを応援するためにやはり盛り上がっていたらしい。


優勝ということで、今日はこんな話題を・・・。


ポワルー道路四車線完成! photo by Sho.Inoue


夫がコンサルタント業務として携わってきたプロジェクト、ポワルー道路四車線拡幅改修工事が無事、完成した。

わたしがキンシャサに来て2年半、工事が進むにつれ、キンシャサ在住の人々から道路の素晴らしさ、工程の素晴らしさを褒められ、わたしは日本人としてどれだけ鼻高々だったことだろう。
本当にすばらしい四車線舗装道路が完成した。
それと連動するかのように、ポワルー道路入り口の中央駅前広場もきれいに生まれ変わったし、近々,広場横に新しいホテルも開館するようだ。


そのポワルー道路の完成を記念したゴルフコンペが日本人ゴルフ仲間で行われた。
道路施工会社の北野建設の主催の、仲間内のお祝いコンペだった。

朝の(寒いくらいに)ひんやりした日本の夏の高原を思わせる緑多いキンシャサ・ゴルフ場で、8時半にスタート。
4グループに分かれて、わたしは3番目のスタートだった。

わたしは、それぞれのコースのパーより2打多い”ダブルボギー”でプレイすることを目標にし、スコア110を切りたいという思いも胸に秘めてのスタートだった。
連続の池ポチャもあって、試練に立たされる場面もあったが、歯を食いしばって(ホントに!)乗り越えた。
集中してプレイを続けられ、また楽しみながら回れて、終わってみるとわたしのスコアは109!
目標達成できた自分に祝福した!
もうそれだけで十分だった。

成績発表で、同スコアのかたがもうひとりいた。
さらに、ハンディキャップの少ないかたで、ネットで同スコアになったかたもいた。
でも、なぜだか、わたしが優勝してしまった。

きっと、日本人女性の(色あせても)紅一点で頑張ってきたマダムに花を持たせてくれたのだな。なんと幸せなことだろう。
ゴルフ仲間の皆さん、どうもありがとうございました!

ゴルフ場のパイヨットで表彰式が行われたとき、わたしがレッスンを受けるコンゴ人レッスンプロのカップンバさんを見かけたので、109のベストスコアを出したことを報告した。
わたしがゴルフで分からなくなって質問をするたびに、しっかりと理論を持って分かりやすく説明してくれて練習を付けてくれる、いつも紳士的なゴルファーのカップンバさん。
かれも満面の笑みを浮かべてとても喜んでくれた。


・・・ということで、思いもかけずに、日本人のゴルフコンペで優勝してしまった、という話でした。
キンシャサでの良い思い出がまたひとつ持てました。
再度、ゴルフ仲間の皆さんに。
心から、どうもありがとうございました。


2014年7月14日月曜日

パルミエの木

乾季に入ってそろそろ2ヶ月。
キンシャサ上空は厚い雲に覆われ、太陽が出ないから気温が上がらない。
今年の乾季は例年よりも冷えると誰もが言う。
今朝も運転手が長袖のトレーニングウエアを着て、ファスナーをしっかり首の上まで閉めて肩をすぼめて運転席に座っていた。寒い寒いといいながら。


さて今日の本題へ。
ヨウムのぽんを養子に出して3週間が過ぎた。
ぽんの大好物のひとつが、パルミエpalmierの実 ”noix de palme”だった。
この脂質たっぷりの赤い実のお蔭で、ヨウムのしっぽの鮮やかな赤色が保たれるのだと聞いたことがある。
(パルミエの実からできるパーム油は、コンゴ人の食生活において欠くことのできない食材だ。)


パルミエの実 poix de palme


コトー通りのアパートの隣人、清水ドクターのお宅にもヨウムがいて、清水ドクターがパルミエの実は種なのだから、土に埋めたら芽が出るはず、と思って植えたら、はい、芽が出ました~、と言われて、ドクターが日本に帰国されるときに鉢植えのパルミエの幼木を譲り受けた。
最初、縦じわを持つ濃い緑色の広い葉が1,2枚出ているだけだった。
8ヶ月ほど前のことだ。


左の鉢植えがパルミエの幼木(6月中旬)

そんな感じで、葉はパルミエ(日本ではパームヤシ?)とはほど遠い形だった。
蘭の葉のようだったし、寿司の盛り合わせに使われる”バラン”の葉を彷彿とさせた。

ところが、そのうちに葉の先端が二つに分かれ、それから葉のすじが深くなって、下部から細く割れていったのだった。

最初、バランのような一枚の葉だった!
しばらくして、葉の先端が2つに分かれてきた!
先端が2つに分かれたと思ったら、下のほうから葉が細く割れていった!


なんとびっくり!
ここまできたら、やっぱりこれはパルミエの木(パームヤシ)だ、と分かってくる。

現在住んでいるアパートのお隣の通路にも、パルミエの木の植木が置かれている。


隣人の通路に置かれたパルミエの木

もうしっかり葉は細く割れている。
(わたしのパルミエの幼木も、これくらい大きくなるまで手元に置いて育てたかったな。)

コトー通りのアパート敷地内にもパルミエの木が植えられていた。
キンシャサ中、あちこちでパルミエの木を見かける。

コトー通りのアパートのパルミエの木

また、ゴルフ場には、パルミエの木がたくさんだ。
下の写真は、ゴルフ場18番ホールのティーアップスペース近くに理路整然と続くパルミエの並木道だ。

18番ホールティーアップスペースから眺めるパルミエの並木道

9番ホール左側のパルミエ林


キンシャサのゴルフコースの土地は、コンゴ政府所有の土地で、政府から借り受けているものだそうだ。
その昔、ここは、パームヤシ油採取のためのプランテーションをしていたのではないか、という人もいる。それくらい、たくさんのパルミエの木が等間隔に整然と植林されている。
そして、ヨウムの好物のパームヤシの赤い実がたくさんあるから、ゴルフ場には野生のヨウムが集まってくる。
赤い実がたわわに実ると、人が木に登ってどっさりと丸ごと実を取って荷車に載せて運んでいる。


また、10mくらいまで伸びたパルミエの木の下枝の処理のために、コンゴの人は幅広の帯状の布を輪にしたものを枝に付けてひょいひょいと体重移動してその帯をずらしながら木によじ登っていき、枯れた枝を切り落とす作業をしている。
枝処理をしていかないとまっすぐ伸びていかない、とか?

ゴルフ場には、まだ子どもの背丈ほどのパルミエの木から、幹に苔が生えたり、寄生植物が生えたりして10mほどに伸びた老木まであちこちに立っている。

ある程度まで大きくなったパルミエの木の枝の真ん中から新しい枝が出ているが、しっかり硬い枝だ。幼木の蘭のような柔らかい葉からはほど遠い、”硬い尖った棒”のような新しい枝が出ている。


清水ドクターからパルミエの芽の植木を譲り受けていなかったら、パルミエの最初の葉が割れていくことなんて知らないままだったはずだ。自然の不思議だ。
その、自然の不思議に深く感動し、その感動をおすそ分けしたくてブログに書いてみた!


2014年7月12日土曜日

うれしい合格!!

先月27日、キンシャサのフランス学院で実施されたDELF(Diplome elementaire de langue francaise)のB1レベルの試験に再挑戦した。


キンシャサ・フランス学院中庭~6月27日朝~携帯電話の小屋モニュメントとDELF受験者たち


初めて受験した2月の試験で、わたしは聞き取り問題にまったく歯が立たず、合格を果たせなかった。


わたしのフランス語の出会いは、1992年7月から滞在した中央アフリカ共和国のバンギでだった。
8歳の娘と4歳の息子を伴って夫の仕事で滞在したバンギは、フランス語オンリーの空間だった。だから、子どもたちも、フレンチスクール通学という選択肢しかなかった。
週に2回、子どもたちのためにフランス語の家庭教師に来てもらって学校の授業の補習をお願いした。
わたしは、日本大使館経由で送付される、海外子女教育財団発行の日本の学校カリキュラムに沿った教材を子どもたちと一緒に勉強するほうを担当した。

自身のフランス語学習は、日本から持ってきた「フランス語の最・初歩」とかいう文法書で自学自習。フランス語でのコミュニケーションの難しさに辟易した。


1995年7月に帰国して、娘は海外子女枠での中学受験の準備に忙しくなり、娘の受験が終わったら今度は息子の一般枠での中学受験の準備で忙殺され、フランス語のことなど、どこかにふっとんでしまった。

子どもたちが引き続きフランス語を学習できる環境に入ると、わたしもまた細々とNHKラジオ講座のテキストを買ってフランス語の勉強を再開した。
ラジオ講座の週の前半の3日間が基礎編だったので、その3日間だけでも聴講しようと決心したが、子どもたちの学校の行事などで聴けない日が続いたりもした。

子どもたちの学校のフランス語の教材を覗いたりもした。
地元の公民館のフランス語教室に通ったこともあった。
そんなふうに細い細いフランス語の道を通ってきた。

そして数年経って、わたしは頭の手術を受けた。
2、3年ほど、わたしのフランス語自学自習は途絶えた。

その間ずっと、夫は仕事でアジアやアフリカに調査に出かけた。
フランス語圏の仕事が多かった。

わたしは、子育てもそろそろ終了の時期に来ていて、何かを見つけなければと試行錯誤を始めた。
三回の夏と、冬の一回に、期間限定の絵本屋を開店したのもこの時期だ。

絵本のことと平行して、いつかまたアフリカのフランス語圏に夫に同伴して行きたい、滞在したい、という夢も持ち続けた。
夢を持ち続けて、また細々とフランス語自学自習を再・再開した。

それから。
娘が縁あって、フランス人と結婚し、フランスに家族ができた。
これはもう、フランス語をやるしかない。
時期を同じくして、夫がキンシャサに一緒に行こうと言ってきた。


娘たちを2011年の12月初めにフランスに見送り、大晦日にわたしたちはキンシャサに旅立った。

今回がわたしの人生最後のアフリカ滞在になるかもしれない。
それに、今回の滞在は子どもたちがいないのだから、自分自身に目標を持とうと思った。

・ たくさんの人たちに出会おう。
・ ゴルフをがんばろう。
・ フランス語をしっかり勉強しよう。

この3つだった。

そして、2012年2月からだったか、友人の紹介で週2回のフランス語の個人レッスンを受け始めた。
その先生とは、しっかり話すために、まず文法を復習した。
書くこと、読むことも重視する先生だった。
わたしは、もともとおしゃべりな性格だから、持っている語彙で話すことは好きだ。
でも、聴く姿勢を持っていなかった!

「エステの好きなヒロコサン。エクテの苦手なヒロコサン。」
とごまかしてきたが、本当に聴くことが苦手だった。


フランス語学習の一つの指針として、キンシャサで受験できるDELFにトライしてみたら、と夫が提案した。
フランス語教師に受験のことを話すと、B1レベルに挑戦してみたらと言う。
フランスに行ったときに、DELFの過去問題集を買ってきた。

今年2月。
過去問題集にまったく手を付けられないまま受験し、聞き取り問題で失敗。
ショックだった。
もう二度と受験はしないとも思った。

でも夫は、一度や二度の失敗でへこたれるなと言って、6月末に再挑戦することを勧めた。
フランス語教師も受験を続けるべきだと背中を押した。

そうだな、カッコつけてもしかたない。
等身大でいこう、合格するまで受験し続けたらいいんだ。
でもなあ。
キンシャサでの2年半のフランス語学習の集大成として、何らかの形に残せたら幸せだろうなあ。
ともあれ、今の実力でトライあるのみ!

6月27日、朝。
上のレベルを受験する夫と共に、フランス学院へ向かう。

難しかった。
やっぱり聞き取りができない。
でも、耳の穴全開!、で聴き入る。
読解、フランス語作文は何とか奮闘。
昼食時間を挟んで、口頭試問。
口頭試問での試験官二人とのやり取りは楽しめた。


そして、今日7月11日。
午前中、夫から電話が入る。

「ふたりとも、合格してたよ。おめでとう。」

しばらくして、事務所の夫から、わたしのパソコンに合格証が添付されて送信されてきた。



DELF B1 合格証

2014年7月9日水曜日

パン屋&カフェ Eric Kayser in Kinshasa

今朝もキンシャサは冷えた。
乾季のキンシャサのこのところの最低気温は天気予報では20℃という表示が出ている。
我が家の温度計は朝7時半で21℃を指していた。

さて。
キンシャサにおしゃれなパン屋&カフェ、"Eric Kayser"がオープンして1年経つのか、2年近く経つのか・・。
キンシャサの商業地区の中心部に店を構えるエリック・カイザー。
2軒隣には外国人御用達のスーパー、"City Marcket"。
その前には、やっぱりおしゃれなパン屋&カフェ"Nouvelle Patisserie"。
この”ヌーベル・パティスリー”は、6月30日通り沿いにキタンボ・マガザン方面へ向かったところにあるフランス大使館の隣にもあって、こちらのほうが店内がゆったりして人気があるように思う。

また、コンゴ庶民に浸透するパン屋"Victoire"(ヴィクトワール)も、あちらこちらにカフェ"Chez Victoire"を展開し、価格も安く設定されて現地の人々に根強い人気がある。


この商業地区中心部にある"Eric Kayser"は、外国人にとって、キンシャサで一番人気のあるパン屋でありカフェなのではないか。

キンシャサのエリック・カイザー入り口

上の写真は、エリック・カイザー・キンシャサのH.P.から拝借したものだが、実際は、店の前の駐車スペースは車と野菜売りの人たちでごった返している。

わたしたちがこのエリック・カイザー裏手に引っ越してきて早くも2週間が過ぎた。
それ以来、何度となくここのカフェを利用しているが、ここにいるとキンシャサにいることを忘れてしまうほどゆったりのんびりしてしまう。


エリック・カイザー店内奥のテーブル

この写真もH.P.から拝借した。

昨日は、この一番左の窓際のテーブルで韓国の友人とランチを楽しんだ。
コーヒーや紅茶と共にパン、フランスパンのサンドイッチ、ホットサンド、ベーグルサンド、ピザなどが取れるほか、各種サラダや、オムレツ、スパゲティーなどの軽食もメニューにある。
モーニングセットも5種類くらいメニューに並んでいる。

現在、夏のバカンスシーズンが始まり、キンシャサの外国人マダムがゴソッといなくなったから、昼時に行ってもゆったりと席が確保できる。(とはいえ、教育されたウェイトレスたちがすかさずコップや皿を下げにくるから、再注文しなければならなかったりするのだが。)
近くにアメリカ大使館の各種機関があるらしく、その関係の人たちのランチにも利用されているようだ。
オーナーのお嬢さんとか噂に聞く若い白人女性がにこやかに店内を挨拶して回っている様子も感じが良い。

わたしが引越し準備のときにランチに訪れたとき、すぐそばに着物の柄のようなとてもきれいなアフリカンドレスをまとった女性が座った。あまりのしとやかさに、ちょっと盗み撮り。(失礼。)


着物の柄のようなアフリカンドレスの女性 店内のランチ時間に

もちろん、パン屋エリック・カイザーのいろんな種類のフランスパンも、クロワッサンも美味しい。
わたしは、ここの渦巻きレーズンパンがお気に入りだ。

ちょっとしたお土産にも良いビニール袋詰めのクッキーやマドレーヌもあってとても美味しい。1袋2000フランから3000フランくらいだ。(約200円から300円)
100グラム2500フラン(約250円)の砂糖をまぶしたミニシューがお勧めだ。

ケーキだって種類豊富だ。
昨年のわたしの誕生日のとき、友人のショウコさん夫妻がゴルフ場でサプライズ誕生日を開いてくれて、ここのケーキを用意してくれたことを懐かしく思い出す。

パンの陳列棚 左にはたくさんのケーキの並ぶ冷蔵ケースが!

キンシャサで人気のアイスクリーム屋、"NiceCream"と経営者が同じだそうで、このエリック・カイザー店内でもNiceCreamのアイスクリームを食べることができる。

また、夫の転勤でキンシャサに滞在するジュリーさんの特製ジャムも買える。コンゴの果物を組み合わせて香辛料を混ぜるかのじょの特製レシピのジャムはキンシャサの女性の会のメンバーたちにも好評で、ジャム瓶のふたに巻かれるアフリカ布地のアレンジがおしゃれだ。


今朝、ふとキンシャサのエリックカイザーは朝何時から開店してるのだろうと思ってH.P.を見てみた。
月曜日から土曜日まで、朝7時から夜7時まで。
日曜日は朝8時から午後2時まで、とあった。

キンシャサを発つまでに、一度、開店と同時に行って、カイザー・モーニングセットを頼んでみたいなあ。

2014年7月8日火曜日

万太郎!と、美太郎!

今日は七夕さま。
コンゴの文化研究をする日本の青年がキンシャサ入りし、仲間のコンゴの青年たちと一緒に我が家を訪ねてくれた。
楽しい夜だった。
かれらが帰るとき、アパートの門扉まで見送った。乾季のキンシャサは毎日厚い雲に覆われているのだが、今夜は少々おぼろげながら月が出ていた。
でも、天の川は見えなかった。。
コンゴの青年たちは、天の川を見たことがないと言う。
はて。
都会のキンシャサでだけ、天の川を見ることができないのか?


さて、今日の本題へ。
20年近くも前のこと、バンギ生活のある夏、日本へ一時帰国のときに、フランスのサヴォワ地方の友人を訪ねたことがある。
アルプスの夏とはいえ、暑い日々で、のどを潤そうとカフェに入るたびに、あちこちから「マンタロー、シル・ヴ・プレ」、「マンタロー、シル・ヴ・プレ」という声が飛び交っていた。
へえ~。
「万太郎」?

焼酎っぽいネーミングだけど。
どんな日本の飲み物だろ??

観ると、氷の浮いた透明の鮮やかな緑色の飲み物だった。


「万太郎」くん! 夏のフランスの風物詩?ミント水

なんとなく、小さい頃、夏になると食べに行ったかき氷屋を思い出す。
緑や赤や黄色があって、練乳かけのかき氷もあったな。
鮮やかな、というか毒々しいほどの色彩が小さい頃はうれしくて、幸せ気分にしてくれた。

さて、こちらの「マンタロー」。
なんのことはない。
”menthe a l'eau” (aにアクソンが付く。)
ミント水。
ミントのシロップをミネラルウォーター又は、ソーダ水で割ったものだった。
フランスの夏では定番の夏の飲み物らしい。

我が家では、「万太郎」!

フランスのスーパーで、いろいろな果物のシロップが売っているのを見かける。

Citron vert(緑レモン)のシロップ (だれぞの足が。失礼!)
何種類ものシロップが存在しながら、フランスで「マンタロー、シル・ヴ・プレ」としか、聞いたことがないなあ・・・。


さて、(とりあえず)南緯4度の常夏の国、キンシャサではいかがか。
こちらでは、「ビタロー、シル・ヴ・プレ」となる。

「美太郎」くん! ”VITAL'O” コンゴ定番飲み物

「美太郎」!

コンゴに2社あるビール会社のひとつ、BRALIMA社製の”VITAL'O”だ。
”grenadine”。
フランス語辞典には、「ザクロの香味を真似たアルコール飲料」とあるが、BRALIMA社製の”VITAL'O”(Grenadine)はアルコール成分は入っていない。
ザクロのシロップを水で割った飲み物だ。
上の写真の美太郎くんは、ガラス瓶のもので、ちょっとレトロっぽい。

ペットボトルの美太郎、のほうが一般的。

ペットボトルの”VITAL'O” 未開封なのに量が微妙に違うところがコンゴ製造の証し!?

今日、来宅したコンゴの青年のひとりはアルコールを飲まない。
で、かれはなにが好きかと言うと。
この「美太郎」くんだ!

実は、”VITAL'O”というブランド名で、ミネナルウォーターと、ソーダ水も出ているらしい。
でも、「ビタロー、シル・ヴ・プレ」と注文すると、このザクロ色の美太郎くんが来るそうだ。

コンゴの青年に訊いてみた。
子どもたちの一番人気のノンアルコール飲料って何?
間髪入れず、「ビタローです!」

フランスの夏の定番ノンアルコール飲料、万太郎!
そして、(とりあえず)常夏の国コンゴの定番ノンアルコール飲料、美太郎!


フランス語がリエゾン(連音)するお蔭で、発音が楽しく(!)なったり、奇妙になったりする。

まったくの余談だが・・・。

”これなあに?” は、”Qu'est-ce que  c'est? ”  ケスクッセ?(スをツに換えたら・・・)
”ダイニング”は、 ”salle a manger.”  サラマンジェ~ (初めて聴いたとき、バンチョウサラヤシキ、を思い起こして、独りゾォーっとしたものだ・・)
以上!

2014年7月4日金曜日

マダム・キムの料理教室

キンシャサ生活で豊かな彩りを与えてくれる友人のひとりに、ヴェトナム系アメリカ人のマダム・キムがいる。

かのじょは、ご主人の赴任地キンシャサに滞在して3年が過ぎたらしい。毎年、12月に入ると早々に、子どもたちや孫たちが近所に住むというカリフォルニアの自宅に戻り、長いクリスマス休暇を経て、4月が近づいたころキンシャサに戻ってくる。

かのじょは本当に料理上手、もてなし上手の、わたしより一回り近く年上のおしゃれなマダムだ。

そのかのじょがときどき、かのじょの居心地抜群の台所を開放して、かのじょのレシピを紹介する料理教室を開いてくれるのだった。


春雨サラダの作り方を説明するマダム・キム

あるときは、かのじょからヴェトナム風生春巻き、揚げ春巻きの作り方を習った。
かのじょは大量に揚げ春巻き用に春巻きを冷凍するコツを教えてくれた。
冷凍する前に、オーブンで焼いて焦げ目をつけてから冷凍すること、食するときは、予め自然解凍してから、熱する前の食用油に入れてゆっくり揚げることを教えてくれた。

あるときは、彼女自身も知りたいからと、サムサの専用コックを招き入れて、一緒にサムサの作り方を習った。

デザートのレパートリーも広いかのじょから、独自のココナッツシロップのかかるキャロットケーキも伝授してもらった。

かのじょの台所は、真ん中に大理石の調理台が備え付けられている。
そして、巨大な冷凍庫と、がっしりした電気オーブンコンロが鎮座している。
それから、今日は料理の日と決めて一日台所で過ごす彼女のために、エアコンとテレビとDVD,CDデッキも備わっている。
音楽やかのじょの好きな韓国ドラマを楽しみながら明るく衛生的で涼しい環境の中で料理をして過ごす一日がかのじょにとって至福のときなのだそうだ。
そうやって調理されたものがジップロックに入れられてきちんとかのじょ自慢の冷凍庫に並んでいる光景は圧巻だ!
(かのじょがカリフォルニアで過ごす数ヶ月間、かのじょの夫はこの冷凍庫のストック品のお陰で豊かな食生活をキープできるのだそうだ。)

今回の料理教室は、かのじょが作る奥深い味のサラダドレッシングとタイ風春雨サラダの作り方を教えてほしいとお願いしたことから企画してくれたクラスだった。

今日の生徒は、わたしを含めて3人だ。

かのじょは、まず料理教室の前に、美味しいコーヒーを入れてくれる。
一息ついたところで、スタート。

かのじょから、今日のランチには牛肉のファーを用意しているからね、とアナウンスが入る。
どうりで。
玄関に入ったときから、美味しい香りが漂っていたもの!

ドレッシングも、春雨サラダのタレもわたしは味見しながら調味料を足していくから分量は分からないのよ、だから、しっかり何を大さじ何杯入れたかをチェックしておいてね。
サラダドレッシングには、たっぷりとマスタードを混ぜた。
春雨サラダのタレには、レモンの新鮮な絞り汁と魚油と赤唐辛子を使った。
どちらにも、かのじょは結構な量の砂糖を混ぜた。
そして、かのじょはどちらにもハンドミキサーを使った。

ふ~む。
かのじょの台所には、いろんな調理道具が並んでいる。
調理台の下には、ざるやボウルがきちんと整頓されて収納されいる。
茹で野菜を洗う専用の水として、ペットボトルに湯冷まし水を入れて何本もストックされているのが並ぶ。
茹で麺を急速に冷ますためには、巨大冷凍庫に巨大製氷皿が入っていて大量の氷をストックしている。
どれも見習いたい、アフリカ生活の中での料理の知恵だ。

今日は遅めのランチになるからと、かのじょは合間を縫って、自然解凍していた揚げ春巻きを用意してくれ、揚げたての春巻きをいただく。

春雨を、かのじょはまず浸水しておいてから、熱湯で茹でた。
ほんの1,2分茹でて、茹で状態をストップするためだと言って、大量の氷水に茹で上がった春雨を流し込んだ。

春雨サラダに混ぜる野菜として、たまねぎのクシ切り、現地セロリの葉(アジアセロリの代替品かな)、青ねぎ3cmカットのものが用意されていた。

かのじょはキャロットケーキの作り方のリクエストに応えて、大量のにんじんのせん切りも用意していた。
キャロットケーキの作り方の説明を受けながら(わたしには復習となりながら)、温まったオーブンにケーキを入れたところで、わたしは、依頼を受けていたミルクゼリーの作り方を披露した。
タヒチの友人からもらった冷凍ストックしていたバニラを半本混ぜ合わせて寒天を溶かし、砂糖と牛乳を混ぜてタッパーウエアの容器に入れて冷蔵庫で固めるだけというシンプルレシピで、すぐに終了。

キムさんは、さあここでわたしが作っていたケーキで休憩にしましょう、と言う。
すべて調理台の周りでいただく休憩の楽しみ。
ほやほやふっくりのシフォンケーキのなんと美味しかったこと!

台所の調理台に載ったキャロットケーキ(左端)とシフォンケーキ(右端)


サラダドレッシングも、タレの混ぜられた春雨サラダも、キャロットケーキも4等分されて、お土産としてお持ち帰りにしてくれる。
うれしいな!

それから、かのじょは、牛肉を丁寧に処理して(筋や膜を本当に丁寧に薄くそぎ落として赤身肉だけにした!)、牛筋を一晩かけて煮込んで旨味を取ったスープにいろいろな調味料をてきぱきと混ぜて塩で味を調えて掛け汁を準備する。
最後に、米粉でできたファー麺を茹で、ヴェトナムの麺料理、ファーが手際よく出来上がったのだった。

マダム・キム特製の牛肉ファー

なんと美味しかったことか!
深い味わいのスープには一滴の醤油も魚油も入れられなかった。

かのじょの料理教室では、いつもかのじょの調理の知恵満載で、目からうろこ状態になる。
そして、料理の間にかのじょが用意してくれている休憩スナックがまた楽しみだ。
さらには、夫たちに、とお土産として用意してくれる。

もちろんキムさんは、特製の牛肉スープとファー麺と具を別々にしてお土産にしてくれた。
このお土産に、わが夫は本当に幸せそうに舌鼓を打つのだった。


マダム・キムは、二人の子どもたちを育てながら、32年間ずっと夫の赴任地のアフリカ各国を渡り歩いてきた人だ。
この32年間ずっと、この調理器具と共に家族のために料理してきたのよ、とさっぱりと言う。

でも、わたしはかのじょから聞いたことがある。
ずっとずっと前、かのじょの夫がアメリカ留学中に、祖国で政変が起き共産勢力が入り込み、夫も祖国に戻れず、かのじょと子どもたちも祖国から脱出できず、かのじょは友人一家と小さな舟を買って、夜の海をひっそりと子どもと友人一家と脱出。嵐に巻き込まれながら、着いたところはマレーシアだった。マレーシアでは受け入れてもらえず、オーストラリアなどを渡って、夫も家族の行方を探し、7年振りだかにアメリカで再会を果たしたという話を。

そんなかのじょは、よく子どもたちの話しをする。
アメリカに渡って、アメリカ人として生きてきて、いろいろな困難にも遭ったことだろう。
32年間ずっとアフリカ勤務だったというのだから。
そんな環境で、お嬢さん、息子さんを立派に育て上げている。
息子さんは母の、医者になってほしい、という希望を実現して、カリフォルニアで医師として活躍しているそうだ。おじょうさんもキャリアウーマンとして子育てと仕事を両立していると聞く。
二人とも料理が得意なのだとも聞く。
わたしは、かのじょのそんな自慢話が鼻に付くと思ったことはない。
一生懸命生きてきた真摯な彼女の姿勢を感じるからだろう。

かのじょもかのじょの夫もとても温厚な夫婦だ。
70歳代後半の夫は、現在も現役で勤務を続け、この前も数組の友人夫婦を自宅での夕食に招待してくれた。
昨年の満月の夜には、かのじょたちの住むアパート屋上のパイヨットでのお月見夕食会を企画して接待してくれた。ヴェトナムでもお月見を楽しむ習慣があるのよと言って。
夫婦そろっての温かいおもてなしがとても心地よくて楽しい。


いつもいつも、ありがとう、マダム・キム。
東京で、そしてかのじょたちの住むカリフォルニアでの再会が楽しみだ。