2019年6月21日金曜日

さよなら、リヨロさん

 コンゴ民主共和国出身の彫刻家、Liyoloさんが今年4月1日に奥さんの故郷のオーストリア、ウィーンで病気のために亡くなった。75歳だったそうだ。
それからもう3か月近く経ってしまったが、リヨロさんを偲んで、ふり返ってみようと思う。


Alfred Liyolo Limbe(2015.7.14.Radio Okapiより)

わたしがキンシャサ女性の会の会員たちとリヨロさん夫妻のお宅を初めて訪ねたのは2013年2月だった。
現役で彫刻家として活躍するリヨロさんと、陶芸家のマダムのお宅はキンシャサ郊外にあり、モダンな建物で、緑とかれらの作品の溢れる、まるで美術館のような佇まいだった。


リヨロ氏宅玄関前で(2013.2.)

リヨロ氏宅の庭に置かれた自作のオブジェ(2013.2.)

キンシャサ女性の会会員たちと歓談するリヨロ氏(右)、左奥のサングラスの女性がマダム(2013.2.)


オーストリアからリヨロさんの元に嫁いで、モブツ大統領の怒涛の時代もこのアトリエで苦労を共にし、二人三脚で歩いてきたマダムも魅力的な方だった。彼女自身も陶芸家として素晴らしい作品を生み出し、自宅の中にセンス良く飾られていた。
かれは日本でも個展を開き、当時の天皇陛下夫妻とも会談し、とても日本びいきなのよ、とはマダムから聞いた話だ。
その後に一度、日本からの友人と一緒にかれらの自宅を訪ねたことがある。

わたしが、リヨロさんの作品を初めて知ったのは、キンシャサ大学近くに立つ女性の賛美像だった。


キンシャサ大学近くに立つリヨロ氏作の女性賛美の像

左下に男性が小さく見えるのが分かるだろうか。この女性像はそれほど大きな作品であった。”2011年 LIYOLO作”、と台座に記されている。


わたしが知っているリヨロさんの新作は、キンシャサ中央駅前の噴水の四隅(二隅だったかも?)に立つライオン像だ。

リヨロ氏作ライオン像

わたしが2017年にキンシャサを離れる前後の頃、リヨロさんは病気療養のためにマダムの故郷に行っていると聞いた。

キンシャサ在住の友人の話では、4月1日にリヨロさんが亡くなったことは、キンシャサでは当日のトップニュースだったらしい。
4月30日に埋葬されたときのかれの告別式には多くの関係者が集まり、盛大な見送りだったとキンシャサのラジオ局、RadioOkapiのネットニュースで読んだ。

リヨロさんのお宅を訪ねた時に、かれのアトリエの壁にデッサン用の炭で書かれたいたずら書きのようなものがあったことも思い出される。
リヨロさんは、ふふっと笑って茶目っ気のある表情で言った。
”わたしのアトリエに入ってきてわたしの子どもたちが遊んでいた時代もあった、そして、今では、孫たちのあそび場にもなるんだよ、そこで、ここはわたしの神聖なる場所なのだから静かにね、っと書いてみたのさ。”


リヨロ氏のアトリエの壁の彼自身が書いた落書き

リヨロさんの作品は、キンシャサじゅう(コンゴじゅうかな)のいたるところで町の人たちの誇らしいシンボルであり続けるはずだ。

この落書きの残る、リヨロさんのアトリエは、そして、あの素敵な美術館そのもののようなお宅は今、どうなっているのだろう。

リヨロさん、ありがとう。