2017年10月19日木曜日

キンシャサ便りよもやま話3 わたしは、フェリシテ

映画「Felicite」より

今日、わたしは、映画「Felicite」の試写会に行ってきた。

上の写真が、この映画の主人公、フェリシテ。
キンシャサのバーで歌手として生きる、誇り高く、どっかりたくましく生きるコンゴ人女性だ。かのじょは、一人息子を持つシングルマザーでもある。

映画は、かのじょが生きるキンシャサの夜のバーの音楽場面から始まり、しょっぱなから、もうキンシャサの空気満載だ。
(バーで演奏する面々は、世界的に活躍し、「原初的かつマジカルな響きで世界中の聴き手を魅了してきた」と評されるカサイ・オールスターズ。パパ・ウェンバの出身地でもあるコンゴ南部のカサイ州出身の、個々のメンバーから集まって2005年に結成されたグループなのだそうだ。~映画パンフレットより)
冒頭部分だけではなく映画全編がキンシャサそのものだ。
気だるく目覚める主人公の住む地区界隈の朝。ゴミ箱をひっくり返したような町で、交通ラッシュの中に身を投じるエネルギッシュなキンシャサ市民の暮らし。コンゴ人の小金持ちの、中心地よりちょっと離れた高台?に建つ邸宅。夜の飲食街・・・。
映画全体にキンシャサの空気が流れる。
監督が、まだ若いフランス系セネガル人で、キンシャサロケにこだわったと聞いて納得した。

そんな、貧しくも図太く、助け合いながらも欺き合い、プラスとマイナスが背反して存在する、全てがカオスのアフリカ大都会に生きるキンシャサの人々の中で、女性たちこそ、いちばんたくましく生きているのではないかと思えてくる。
そのひとりが、この映画の主人公、フェリシテ。

中古のオンボロ冷蔵庫を言葉巧みにつかまされたばかりにさっそく修理して大金をつぎ込まなければならなくなったと嘆くかのじょのもとに、一人息子が交通事故で大けがを負い、病院に運ばれたと連絡が入る。
入院費用と手術費用になりふり構わずに東奔西走するフェリシテの姿をカメラが追う。
もちろん、ゴミ溜めのようなキンシャサの町を背景にして。
貧しい町で生きてゆくには、誇り高くも、口八丁手八丁、ついでに足八丁さらには心も張っていかなくてはならないのだ。

そんな町で生きる、たくましいフェリシテにも、ふ・・っと萎えてしまう時がくる。
その心の葛藤を描く、詩的な映像の美しさ。
熱帯ジャングル、というより優しい心の森でもがくフェリシテと戯れる生きものが、コンゴ民主共和国にしか棲息しないと言われるオカピ。美しい絵のような場面だった。

映画に使われるリンガラ音楽と対照的に、キンバンギスト交響楽団の演奏するクラシック音楽も効果的に使われている。
この交響楽団は、映画「キンシャサ・シンフォニー」(ドイツ・2010年)で団員の日常生活が描かれたことで世界的に知られるようになった。キリスト教系の教会に属する、サハラ以南のアフリカで唯一のアマチュア交響楽団だ。

「幸福」という名を持つ主人公は、どのように自身の幸福にたどり着くのか。

邦題 「わたしは、フェリシテ」

東京では、12月16日から、渋谷と有楽町で上映予定だそうだ。
この映画は、2017年ベルリン国際映画祭で銀熊賞を取っている。

監督に、どうしてこの映画の舞台が ”キンシャサ” でなければならなかったのかと問うたとき、「キンシャサには音楽があるから。」と答えたと聞く。



2017年10月4日水曜日

キンシャサ便りよもやま話2 コンゴ週間 in 新宿


先月9月23日から今月1日までの9日間、新宿丸井1階のイベントスペースで、慶応藤沢湘南の長谷部葉子先生の研究会主催で、第1回の「コンゴ週間」が開かれた。

これは、キンシャサの外れで、シングルマザー自立を目指して運営される職業訓練学校の洋裁教室で技能を身に着けた女性たちが制作したエプロン、ブラウス、バッグやポーチ、クロスなどを商品として日本に持ち込み、販売し、彼女たちの現金収入を目指して、また学校運営の活動支援のために開催された商品ブースだった。

その職業訓練学校と、そしてまた学校に通うことの困難な児童たちのための初等教育の学校を運営するコンゴ人女性のママセシールが、今秋から医師として勤務が始まる息子さんを伴って私費で来日。連日、店内で接客をして交流し、また日本での商品展開事情の視察を兼ねた来日だった。本当に、ダイナミックな女性だ。

丸井で、”店”として企画展開することから、六百数十点を、長谷部葉子先生とママセシールの厳しい目で点検して商品管理をし、今夏、コンゴに滞在した慶応の学生たちなど関係者が日本まで運んできた商品だった。
もちろん、アフリカのカラフルで大胆な元気いっぱいのプリント地を使っての商品だ。

店内の飾りつけも慶応の学生たちのアイディアで制作された作品や、ティンガティンガのペンキ画のSHOGENさんの作品で色鮮やかなスペースが出現した。






わたしたち青猫書房は、アフリカを舞台にした絵本、物語、随筆、写真集など27点を店内で展示して来場者に紹介し楽しんでもらい、アフリカへの視点を多角的に持ってもらう、という役目ができたのではないかと自負する。また、選書27点を紹介するために、コメントを載せたリーフを作成して店内に置き、選書に興味を持たれた来場者にコメントリーフを持って行っていただいたことも嬉しいことだった。

SHOGENさんのペンキ壁画も2点、会場でライブで描かれ、多くの方が足を止めて見入っていた。


また、開催期間中、丸井屋上で、コンゴ出身の打楽器奏者が中心になって、アフリカンリズムを作り出すワークショップなどもあり、賑わっていた。

今回は、ママセシールの学校運営の日本での支援バザーの第1回目だった。
慶応藤沢湘南の長谷部葉子先生のゼミも、キンシャサで現地の子どものための学校運営と大学構内で開講される日本語クラスの活動が10年続いて、すばらしい架け橋を作ってきている。その活動を通して出会った、コンゴ女性、ママセシールの職業訓練学校と初等教育学校運営の活動。彼女の、その活動を、長谷部葉子先生とゼミ生が支援しようと東京で企画された、「コンゴ週間」だった。
本当にすばらしい企画だった。

来年もまた、ぜひ何らかの形で手伝いができたらと思う。
これからも、ずっとずっとこのような草の根のコンゴとの繋がりが続きますように。

2017年6月20日火曜日

キンシャサ便りよもやま話1 帰国しました

帰宅すると、生さださんからプレゼントが!

6月4日夜便でキンシャサを発ち、翌朝パリ着。乗り継いで、リヨン・サンテグジュペリ空港到着が5日昼前。
そして娘一家の暮らすシャンベリーに数泊滞在し後、9日にパリ経由で東京へ。
10日夜に自宅に無事戻った。

キンシャサでは、多くの知人から、あなたはまたキンシャサに戻ってくる気がするよ、などと言われ、わたしもその気になって、”A la prochaine! ~またね!”、と軽い気分でキンシャサを後にしたのだった。


そして、赤羽の自宅の戻ってみると。
留守宅を整理してくれていた友人がまとめてくれていた郵便入れの中に!
見つけた!NHK「今夜も生でさだまさし」の番組からの封書を!!

NHK「今夜も生でさだまさし」番組の中で葉書が採用された人に送られてくる、”画伯”がホワイトボードに描いた風景画と、特大ボードに描かれた桜の大木に出演ゲストが書き込んだサインを絵葉書にしたセット。
やっぱりうれしいプレゼント。
こうやって、丁寧に番組が作られているんだなあという想いも伝わってくる。
前回採用された時のプレゼントはゴンべ郵便局の私書箱宛てに郵送してくれたんだったな、ということも思い出された。
本当にありがとうございました、スタッフの皆さん。

5月半ばだったか。
キンシャサで日本に帰国するという出張者のナオコさんに生さださんへの葉書を託した。
そして、その葉書がさださんによって読まれたときには、日本の友人からメイル、LINE、メッセンジャーに続々と、今あなたの葉書が読まれているよー、という連絡が舞い込んできた。
その実況中継もどきのメイルたちに狂喜乱舞せんばかりにわたしは喜び興奮した。
こんな写真を添付してくれた友人も!

NHK「生さだ」でわたしの葉書が読まれた!

この葉書は、3月に訪ねた「ローラ・ヤ・ボノボ」というベルギー人女性が運営する、森で仲間からはぐれた成人ボノボ、親が捕獲されて孤児になった赤ちゃんボノボの救援施設で買い求めたものだ。
さださんは番組中で、かれの知識でボノボのことも話したと聞く。
コンゴ民主共和国の一部の森にしか生息しないボノボのことを日本の視聴者にも知ってもらえたかな。
5月28日のことだった。

今年1月、生さださんに葉書をキンシャサのゴンべ郵便局から投函したのだが、不採用だったのか、番組に葉書が届かなかったのか。
最後にもう一度、ゴンべ郵便局から投函にチャレンジだ、と思っていたら、帰国前のてんやわんやの日々に郵便局を訪れる時間も持てないままキンシャサを後にした。

ならば、機上で、月夜のサハラ砂漠上を通過中に、星の王子さまとサンテグジュペリさんの対話姿を見つけて(!)、さださんに報告葉書を書こうと意気込んでいたのだけど、結局、席がど真ん中で、窓際席全てが満席の上に、最後部の窓も塞がれて、サハラ砂漠の”サ”の字も見えず仕舞いだった。
せっかく、満月間近の月夜だったのに。

でも、パリから乗り継いで降り立った空港が、”リヨン・サンテグジュペリ空港”だった!
リヨンは、サンテグジュペリさんの故郷だったのだ。
空港で見つけた星の王子さまの絵葉書に、わたしは、またまた性懲りもなく、生さださんに便りをしたため、帰路のサンテグジュペリ空港で投函したのだった。
そんなに何度も読んでもらえるはずもないのだけど、サハラ砂漠のことを書きたくて。
生さださんに葉書を投函するのが日常化してしまったかな。
今月から、生さださんをしっかり視聴することができる。

そうやって、小さな喜びをたくさん見つけて、東京暮らしも楽しもう。
来月はまた、夫が別案件の調査で4週間ほどキンシャサに戻る予定だ。
そんなこともあって、またしばらく、今度は、「キンシャサ便り よもやま話」ということで、ブログでキンシャサのことを綴っていきたいと思う。
もうしばらく、お付き合いください。

2017年6月4日日曜日

キンシャサ便りふたたび37 ありがとう!キンシャサゴルフクラブ

キンシャサゴルフクラブの午後の打ちっぱなし練習場(2017.5.30.撮影)
2012年1月1日にキンシャサに降り立ち、途中で2年東京に戻り、また2016年9月にキンシャサに来て、キンシャサとのお付き合いも足かけ5年以上。
自由に歩き回れないキンシャサに暮らし、何が楽しかったか、って。
色んな人たちに出会えたこと。
日本とは違う、興味深い文化を見聞きする楽しみを持てたこと。
そして、自然の中でゴルフを満喫できたこと。

ちっとも上達しなくて、しょんぼり落ち込んだこともあったけど、3回のキンシャサオープンゴルフにそれぞれに3日間、元気に参加できて、ゴルフを通してもたくさんの国の方たちと出会えて。
何より、自然の中で、より元気をもらったように思う。
ゴルフを週に3、4回も楽しめた体力と機会を持てたことは最大の感謝だ。
すべてのこと、すべての方たちにありがとうございました!!!

5月30日。
早めに仕事を終えて帰宅した夫と、最後のキンシャサゴルフクラブで打ちっぱなしの練習へ行く。
うれしい汗をかいて、ふっと見上げると、陽が傾いて、練習場が心なしか寂しげに映ったのは気のせいか、な。
5月31日。
夫と最後のコースを回る。
キャディーはいつものオリビエ。夫はジョゼと共に。二人とも、とても穏やかな礼儀をわきまえたキャディーだった。かれらにも、ありがとう。


10Hグリーンに向かう夫 白い鳥の群れがいつも楽しげだ(2017.5.31.撮影)
キンシャサは乾季に入り、空いっぱいに雲が広がり太陽が隠れている分、過ごしやすい気候になってきている。これから3か月は絶好のゴルフ日和が続くだろう。

コースのあちこちにこんもりした小山みたいな盛り土があって、わたしは勝手に「初恋の丘」とか名付けてわざわざその盛り土の上に立って空を見上げて雑念を振り払うのが好きだった。
そんなときに、ふうっと爽やかな風が吹きわたろうものなら至福の瞬間となる。
本当に心洗われる時だった。

コースの前半は池だらけで、気が抜けない分、後半は風景を楽しんだ。

8Hから9Hへ向かう途中に咲いていたハイビスカス(2017.5.31.撮影)

9Hが終わって休憩所に向かうところのアボカドの木からも美味しい実をたくさんもらった。

左の円形建物が休憩所 右奥に新しく建った男女別トイレも!(2017.5.31.撮影)

10Hが終わったところには、たわわに実ったパパイヤの木があって、これまた美味しかったな。
採っても採っても、次から次に実が付いて、さすが常夏の国のパパイヤの木だと思った。

10Hグリーンから11Hに向かうところに立つパパイヤの木(2017.5.31.撮影)

13Hは「キンシャサ富士」がティーアップ位置から一直線のところに聳え立ち(でもないけど。標高数十センチ?!)、富士山越えー!っと叫んでドライバーを振ったものだった。
16Hは、「ハイジの丘」と呼ぶ、なだらかな下り坂のコースで、ボールの行方を追いながら気持ちよくプレイのできるコースだった。左のラフには数本の高い椰子の種類の木が並び、柿の親分みたいな実が成っていたが、食用ではなくて、室内に置いて芳香を楽しむ果実だと教えられた。そして、グリーン方向に進んだラフの決まった場所に、ティーアップしたボールと同じ白いキノコがにょきにょきと生えるのだった。雨季最後の頃のキノコは、ボールよりはるかに大きなお化けキノコがお目見えした!

ティーアップボールより大きく育ったキノコ~手前に置いた白ティーと比較してみて!(2017.4.29.撮影)
食べられないよ、と聞いたので放っておいたら、しばらく経つと、干しシイタケそっくりに枯れていて、これまた美味しく見えるのだった。

17Hは、以前にブログで紹介した、「月は東に日は西に」コース。
日本人ゴルフコンペで陽が沈みかけの頃に最終組のわたしたちのグループが17Hに着いたとき、まさに陽は西にオレンジ色に輝きながら沈みかけ、ふっとグリーン向こうを見ると、まん丸お月様のてっぺんがちょうど顔を出したところだったのだ。
わたしは、幻想の世界を独り、スコーン、スコーンとウッドを振り続け、グリーンに来た時、大きな満月の全景を拝んだのだった。まさに、神がかりのような時間だった。

そして、18H。
左右にウェンゲの大木やピンク色濃淡いろいろの花を付けた大木が並び、最後まで自然の中で鳥のさえずりを聴きながらのキンシャサゴルフクラブのコース。

18Hをグリーン横から眺めた風景

尾だけ朱色で体はグレーの、コンゴのオウムであるヨウム。鮮やかなブルーの色で、まさに”幸せの青い鳥”だと思えたコルドンブルー。これまた華麗で美しいブルーのカワセミ。小人すずめ?みたいな”ンブンジ”はいつも群れを成して飛んでいたところが、物語「スイミー」を連想させた。それからカナリアのような黄色い小鳥もいたな。

18Hからクラブテラスを望む

わたしを元気にしてくれたキンシャサゴルフクラブ全てにありがとう!
また逢う日を信じて。
さようなら!!!

2017年5月30日火曜日

キンシャサ便りふたたび36 カサブブ地区のバーベキューレストラン

5月26日。先週金曜日の夜、夫の仕事絡みで、また個人的にも大変お世話になっているコンゴの方に招待されてカサブブ地区にあるレストランへ。
そこでうれしいことが二つあった!

バーべキューレストラン風景 中庭から
一つ目!
金曜日の夜はライブ演奏で楽しめるレストランだった!
夜7時に到着した時にはすでにライブは始まっていて、天国の響きのような柔らかいリンガラミュージックが緩やかに漂ってきた。
そして、わたしが、独立祝歌”Independance cha cha”をリクエストすると、さっそく演奏してくれたのだ。
キンシャサでおそらく最後になるだろう、ライブで聴くコンゴ独立の祝い歌。
本当に、何度聴いても、独立に希望を抱いてうれしく歌い踊るコンゴの人々の心意気が伝わってきて、幸せになる。このときの気持ちを忘れずに国造りにまい進してください、応援してますよー!なんて、ひとり熱くなるのだった。(幸せな人!)
ちなみに、このレストランのそばには、初代大統領カサブブさんの像の立つロータリーがある。


中庭のステージを囲むようにテーブルが点在する

夫がリクエストした、パパウェンバの歌、”サイ サイ”(Sai Sai)は却下された・・・。古すぎたかな?


二つ目!
このバーベキューレストランに来た時から、どこか、こんな雰囲気の場所にきたことがあるぞと思った。
もちろん、初めての場所だし、カサブブ地区という場所柄なのか、外国人客はまったく見かけない。
そして、招待してくれた方が、このチケットを持って、あちらのテーブルから並んでください、と案内してくれたとき!
閃いた!!!
あ、このスタイルは、わたしたち夫婦が大好きで、以前よく通った金曜日夜だけの会員制("Oasis Club"と言ったなあ。)の英国大使館B.B.C.パーティーとそっくりだ、ということを。

お皿を持ってサラダを取り、ピラフを選び、焼き肉のコーナーまで進んでいって、まさに英国大使館庭でのB.B.C.のスタイルそのままだと思ってうれしくなった。
今回の二度目のキンシャサ生活で、英国大使館のB.B.C.パーティーのことは聞かれなくなっていて、すでに存在しないとも聞いていた。
もう、英国大使館内の解放的な広々とした庭でのバーベキューを楽しむことはないんだなあ。そう思うと、ちょっと寂しくなったものだ。
会員になると一人20米ドルでバーベキュー料理を楽しめた。デザートも付いての料金だったが、飲み物は別で、やはりチケット制だった。キンシャサに長期で滞在する慶応大生たちを一緒に連れて行くと彼らは本当に幸せそうに何度もお替りをしていたな。日本からのお客さんもよくお連れしたな。
いろいろな思い出と共に英国大使館B.B.C.パーティーの夜が懐かしくなる。

そうそう、この夜、招待してくれたコンゴのムッシュとも、英国大使館B.B.C.パーティーでよく出会っていたんだった!
それをかれに伝えると、そうだよ、このレストランは英国大使館B.B.C.パーティーを運営していたムッシュがやってるんだよ。
へえー、どうりで!
焼肉コーナーで料理する白い服のコックさんは、英国大使館B.B.C.にいたムッシュだ!
(ちなみに、夫情報によると、このレストランの経営者はコートジボアール人だとそうだ。)

こんなところで、また、あのときのバーべーキューの味と雰囲気を楽しめるなんて!
こういう形での再会にしみじみ感謝感動する夜だった。

やっぱり、ここに住んでいる人たちからの情報って貴重だな。

テーブル席から中庭を望む

このカサブブ地区のバーベキュー屋さん、ADELIZE。

駐車場で降りて、レストラン ADELIZEへの入り口


毎週金曜日夜にライブ演奏があるよと言って、手書きの案内をくれた。
Orchestre L-MOD
Chaque vendredi
Chez ADELIZ
En concert
No, contact 0900926006/ 0810160249

わたしたちの隠れ家レストランにしておきたい気もするけど。
せっかく良い雰囲気で料理もおいしいレストランだから。
レストラン情報をおすそわけしましょう。
キンシャサにお寄りの時はどうぞ。

乾季に入ったキンシャサの、ひんやり涼しい夜の和やかな会食だった。

余談として・・・。
このグループの女性のボーカリストが、なんとなく、今回のベルリン映画祭で銀熊賞だったかを受賞したキンシャサを舞台にした映画、”Felicite”の女性主人公と重なってしかたなかった。勝手にだけど。

映画”Felicite” 至福という意味の仏語で、主人公の名前。

キンシャサ便りふたたび35 地図を見つけに本屋へ行く

 2020年の東京オリンピックなんて未来のことだ、と思っていたら、もう3年後のことになってしまった。

 東京都の教育委員会は、2020東京オリンピックを国際交流体験の良い機会だと捉えて、東京都の幼稚園から高校まで、一つの学校が一つの参加国を応援する運動を提案し、活動を始めたと聞いた。
そして!なんとうれしいことに!
友人のご主人が勤務する練馬区立石神井小学校が、このコンゴ民主共和国の東京オリンピックサポート校になったのだそうだ。

わたしの周りの日本人やコンゴの友人たちにこのことを触れ回った。
そして、このキンシャサから石神井小学校に持ち帰れるイチバンのお土産ってなんだろうと考えた。
そして、ひらめいたのが、アフリカ大陸とコンゴ民主共和国の地図だった。

購入した地図2枚を持つ店員女性さんたち
コンゴ民主共和国の全国地図を持つ店員さんたち 左端は責任者のムッシュ

地図はどこで買えるかな。
Justice通りでよくカラフルなコンゴの地図を広げて売り歩くコンゴ人を見かけるけど。
普通の一般的な地図がいいな。
やっぱり本屋さんだろうなあ。
キリスト教出版のパウロ書店以外、キンシャサに存在する本屋は、6月30日通りのこのL.G.L.書店と、以前に住んでいた平和通り近くの本屋しかわたしは知らない。
3年ちょっと前に南アのヨハネスブルグに駐在する商社マン青年がキンシャサの我が家を訪れた時に、訪問国の地図を現地で購入することを趣味にしているというので、案内したのがこのL.G.L.書店だった。その青年は、店の奥から出してきてくれた数種類の地図から1枚を選んでコンゴ民主共和国の地図をうれしそうに持って帰ったことを思い出した。

そうだ、L.G.L.書店に行こう。
今回もやっぱり、店頭には地図は置かれていなくて、尋ねてやっと倉庫から段ボールごと運ばれて見せてくれた。
地図の種類も枚数も少なくなっていて心もとなかったけど、アフリカ大陸全体地図とコンゴ民主共和国の地図と、わたしがイメージしたものが見つかった。

わたしは書店の店員さんたちに、「友人のご主人が勤務する東京の小学校で、あなたたちの国の2020東京オリンピックに参加する選手団を応援することになったので、あなたたちの国のことを学校全体で勉強しようということになり、わたしはその小学校の児童たちのプレゼントとしてこの2枚の地図を選んだのです。」と説明した。とても喜んでくれて、ここの支店の責任者を呼んでくれて、10米ドル安くしてくれて持たせてくれた。
そして、最後に地図を持った店員さんたちと撮影をし、石神井小学校の皆さんに紹介しますと約束してお別れしたのだった。
L.G.L.書店の皆さん、ありがとうございました。

本屋 Livres Pour Les Grands Lacs の案内パンフ




























石神井小学校の皆さんが、この地図でコンゴ民主共和国のいろいろなことに興味を持ってくれて、アフリカ大陸のど真ん中に位置するこの国のことを身近に感じてくれたらいいな。

2017年5月25日木曜日

キンシャサ便りふたたび34 のどの痛みに”ンドンゴ”さん!

小さい頃よく耳にした、”ノドの痛みに龍角散!”(ちょっと違う?)、とかいうCMのキャッチフレーズを思い出す。
調べてみると、二百年も前から存在する東北地方由来の生薬だとか。


コンゴの龍角散? ”ンドンゴ”


先週、金、土、日の3日間、わたしたち夫婦にとって最後になるキンシャサ・オープンゴルフに参加し、疲れ切ってプレイを終えた途端に、わたしは喉をやられてダウンしてしまった。
最初は、手元にあったトローチと葛根湯で乗り切ろうとしたけど、効き目なし。
PL錠を探し出してのみ始めた時、我が家のボーイ兼わたしのゴルフキャディーのオリビエが、喉の痛みにとっても効くからと500コンゴフラン(50円弱)を渡して買ってきてもらったのが冒頭の写真の”ンドンゴ”だ。
かれは、紙に「mudongo」と綴った。
ちょうど大きさも形もニンニクのような種袋が汚い木串に三房刺されていた。
日本でも団子三兄弟だけど、この国でも三房が串に(でも本当に汚い木串!)刺されているということに、ちょっと感動!
で。
これは木に成る花の種子なのだとオリビエは説明した。
一つの種袋を手で揉みほぐすと、小さな赤茶色の粒がたくさん出てきた。
串に刺された種の房は、しっかり干されて、乾燥している。

ンドンゴの粒(爪楊枝のサイズと比較して)

この粒がンドンゴという木の種なのだそうだ。
言われたとおりに、粒を3,4個口に含んでカリカリと歯で噛んでみる。
おおー!
ミントの極みのようなヒンヤリした刺激が口に広がった。思わず、昔懐かしい銀色の”仁丹”と重なった。仁丹よりさらにぴりぴりくる。
オリビエは、そのピーマン胡椒のような刺激成分が喉の毒を洗い流してくれる、という言い方をした。
粒を3,4個カリカリと噛んで呑み込むと、確かに喉に心地良い。
そして、その後に水を飲むように言われた。
水を飲んで毒を流すのだとかれは説明した。
それを10分から20分毎に繰り返す。一房が一日分。
かりかり歯で潰して吞み込んで水を飲んで毒を洗い流す。だいたい、一日で喉の痛みは治まるよと。残りの二房はストック分だと言った。
団子三兄弟の三房なのか、薬といえばだいたい三日分の慣わしなのか。

最初の2回くらいで、喉の痛みが和らいでいくのが分かった。
そして、本当に昨日の一日で喉の痛みが消えてしまった!

オリビエが言うには、本来は森の中の大木だったンドンゴだが、今では、あちこちに植えられ、ンドンゴの種子の房が串に刺されて道端で売られているのだそうだ。
皆、知ってるよ、喉が痛いときにはンドンゴだ、ってね。

それぞれの地で育まれてきた生薬やお茶。
わたしたち夫婦はキンシャサで、モリンガのお茶、ブルグトゥのお茶も楽しんでいる。

コンゴの人たちは、昔から受け継がれてきた生活の知恵を今も活かしていると感じる。
まさに「身土不二」(人間の身体とそこに暮らす土地とは切り離せない関係にあるということ。)の考えだ。
ずっと昔から伝えられてきた、わたしたち日本人の生活の知恵を見直して、取り入れて暮らしたいなと改めて思う。