2018年2月14日水曜日

キンシャサ便りよもやま話5 マタディ橋キンシャサ会

2月11日、渋谷エクセル東急ホテルで開催された、マタディ橋建設当時の関係者のキンシャサ会に夫婦で出席する機会に恵まれた。

マタディ橋は日本の援助で約35年前に完成した、全長720mの吊り橋だ。
河川港としてコンゴ河の入り口から三番目の港となるマタディ港近くに架かっている。世界第2位の流域面積を誇るコンゴ河に架かる唯一の橋でもある。
わたしたちも2013年にこの地を訪れたことがある。

コンゴ河に架かるマタディ橋 全長720m (2013.8.9.撮影)

マタディ橋入口 日本とコンゴ民主共和国の国旗モニュメントを発見(2013.8.9.撮影)
マタディ橋上からのコンゴ河マタディ港を望む (2013.8.9.撮影)

マタディ橋の工事が始まって37,8年。
詳しいところは知らないが、調査も含めると、コンゴ民主共和国とのかかわりはもう40年も前に遡るのかもしれない。
キンシャサ会には、当時、現場で工事に携わった技術者と家族、大使夫妻、商社の方たちが多く参加され、当時の貴重な話を聞くことができた。
70歳代、80歳代になられても皆さんはつらつとされて、若さを感じるかたたちばかりで、また皆さんの長い親交に感動をいただいた。

これまでコンゴ民主共和国の道路公団職員たちにより維持管理がしっかり続行され、また3年ほど前に別の日本の支援プロジェクトとして大規模改修工事も実施されている。
わたしたち夫婦が2013年8月に訪れた時、管理の行き届いた吊り橋の雄姿に大きく心動かされ(大規模改修工事はその後だった)、橋の周辺には厳かなオーラが漂っているようだった。

思い返せば、マタディ橋のお陰でわたしたち夫婦は恩恵をいただいてきた。
まず、2011年の東北大震災直後に商船会社に入社し、社員寮に入った息子の話から。
息子が入寮した寮長さん兼コックさんが、なんとマタディ橋の建設資材を運搬した船にコックとして乗船し、資材の積み下ろしのためにしばらくマタディに滞在したというかたで、息子が両親がキンシャサに出発する(わたしたちは2011年大晦日に出国している。)と話したら近しく感じてくれて、いろいろと温かく目をかけてくれたのだそうだ。

また、わたしの知人が、マタディ橋建設のために家族で滞在していた友人を訪ねてはるばるマタディまで1981年に訪れている(キンシャサからマタディまで約400kmの距離がある)。知人は、わたしたちがキンシャサに行くことを知ると、当時の思い出を懐かしく語ってくれたものだ。

ある年のキンシャサゴルフクラブのオープンゴルフ大会前夜祭で出会ったビール会社のコンゴ人社員が、わたしたちが日本人だと知ると、かれの叔父さんがコンゴ人技術者でマタディ橋の維持管理のための研修で日本に行ったことがあるらしく、叔父さんから日本滞在の良い思い出話をよく聞いていたと言って喜んでくれた。後日、ビール会社工場内にある売店に案内してくれて、そこでしか買えないグッズを買えたということもあった。


マタディ港はコンゴ河の河川港としてキンシャサへの最終の積荷港で、そこからは陸路でキンシャサまで運送される。マタディ橋は陸運の要衝として経済活性化に寄与していると聞き、コンゴ民主共和国における日本の援助の象徴といえる存在だ。

その建設に30数年前に携わり、完成30周年記念式典がマタディで盛大に行われたときには7人の日本人が私費でマタディを再訪している。その「七人の侍の武勇伝」は、かれらの”誇り”そのものだと思った。
その時、わたしたち夫婦はキンシャサにいて、かれらの高齢の身での長旅を押しての再訪を感動して聞いたものだ。

これからも、マタディ橋キンシャサ会が盛況でありますように。
心から願って、会の締めくくりにわたしもエールを送った。

2018年1月18日木曜日

キンシャサ便りよもやま話4 三度目の「フェリシテ」


先日、夫とヒューマントラストシネマ有楽町へ映画「わたしは、幸福(フェリシテ)」を観に行ってきた。夫は2度目、わたしは3度目の鑑賞だった。
3度見ても、新たな発見があって、叙情詩的な奥深い映像と音楽はやっぱりすばらしかった。
わたしはいろいろな見方をしてみようと決め、今回も映像をまた違った方面から理解してみようと思った。

映画「わたしは、幸福(フェリシテ)」の日本版ステッカー(画・南Q太)


キンシャサの酒場で歌手として生きるフェリシテのかたくなな表情が何度もアップされる。
ゴミ箱をひっくり返したような混沌とした街で、もちろん道徳も理性もなにもかもが吹っ飛ぶような、すべてが混沌としたアフリカの大都会、キンシャサ。
その街で一人息子を抱えて肩で風を切るように生きる女性。フェリシテの歌う歌も強く熱情がほとばしるようだ。
交通事故で手術をしなければならなくなった息子のために、かのじょはプライドを押し込めて、ありとあらゆる人を訪ね歩いて手術費の工面をする。
一人息子の父親であり、フェリシテの元夫のところにも行く。
その元夫は、「お前は一人で生きていくと強がって出て行ったんじゃなかったのか。その挙句に一人息子は不良少年になり、バイク事故を起こしただと!知ったことではない。」
激怒してフェリシテを追い返す。
さらに、かのじょは叔母を訪ね、叔母から「一度は死んだお前に、親の思いを込めて命名した”フェリシテ~幸福”という名まえなのに。」とかのじょを侮蔑の目で見る。
フェリシテという名の”幸福”とは無縁のような暗く突っ張った表情に、叔母は冷たくわずかなお金を突き出す。(叔母も苦しい生活なのだ。)
どんな手段を使ってもお金を集める無表情のフェリシテを見て、こんなに硬く生きる女性がいたのかと改めて思う。

かのじょの職場の仲間が、フェリシテのためにいくらかでもお金を寄付してやろうとグループの長老が声を掛けても、フェリシテは仲間に懇願することはしない。あくまでも、誇り高い女性の姿勢を崩さない。
健気、という言葉の対極にあるような女性、フェリシテ。

フェリシテの歌う酒場の常連客にひとりの大酒飲みの男性がいる。
かのじょが大枚をはたいて手に入れた中古の冷蔵庫が運ばれてきて早々に壊れ、やって来た修理屋がこの男性、タブーだった。
タブーは、本当の修理屋かどうかはわからない。キンシャサには偽りも真実さえも混沌としている。
生き方さえ適当なように思われるタブーがフェリシテに思いを寄せる。いつからなのかはわからない。
母親の生き方に呼応するかのようにかたくなに生きるフェリシテの一人息子が交通事故で足を失い、荒れた生活を送って来たであろう息子もさらに心を隠し、無表情のままだ。生きる力さえ無くしたようだ。
その母子を、ちゃらんぽらん人間?のタブーがかれなりの愛情でかれらを包む。

フェリシテの心情を描く、イマジネーションの映像で、フェリシテは、ただ森の中をさ迷うだけだった。水の流れの音だけが聞こえる映像。
それが、あるとき、フェリシテは川だか、水の中に身を入れて進む。そして、森の中で、オカピという動物に出会う。(冒頭に載せた写真、映画のステッカーにも描かれている。)
そして、ついにフェリシテはオカピと触れ合う。

フェリシテの心が和らいだ瞬間だったのか。
オカピの”虚像”がフェリシテの歌う酒場にも見え隠れする。
”幸せ~フェリシテ”が見えた、のだ。

キンシャサで購入した木工のオカピの置物


フェリシテはいつもエクステの編み込んだ長い髪を、歌う時は垂らして、強がった虚栄の姿勢になるときは、髪を後ろにひとまとめに上げてさっそうと歩いていた。
そんなフェリシテがエクステ(付け髪)を外して、自然の地毛だけにして、再び歌い始める。
フェリシテが虚栄の鎧を外したのだ。(とわたしには受け取れた。)

キンシャサでは、98パーセントの女性が(と言っても過言ではないほど)カツラかエクステを付けて、頭にボリュームを持たせる。
1990年代に中央アフリカ共和国のバンギにいたころは、アフリカ布地の一反6ヤードの1/3を使って頭に巻いて地毛を隠して華やぎを出していた。1/3はブラウスに、1/3は巻きスカートにしてアフリカンプリントでお洒落をしていたものだった。
それから25年が経ち、アフリカンプリントでワンピースに身を包むか、ジーパンとTシャツ姿の女性たちの頭は、まるで帽子をかぶるかのような感覚で(カツラだとバレバレの)カツラか、エクステでヘアーファッションを楽しんでいる。地毛の短いアフリカの女性は長髪が憧れなのだろうな。


そんな中、フェリシテはすっぱり、エクステを止めて地毛で歌を歌い始めた。
一時期は歌を忘れたかのような状態だったフェリシテが、地毛のまま、”天国の歌”のような柔らかいタッチのリンガラミュージックを歌う姿があった。
自然体のフェリシテを見たように思えた。
フェリシテが”脱皮”したのだ。

退院してきた息子を祝うために集まってきた近所の人々に、退院してきたばかりで疲れが出ているからとさりげなく近所の人に帰ってもらう気遣いをみせるタブー。
ぼくはいつもフェリシテ、きみのそばにいるよ、と言い続けるタブー。
自分の生き方をしてこなかったフェリシテの一人息子が足を失い、もぬけの殻になっていた青年に自然に寄り添い、アルコールを飲むかと誘い、一緒になってふーっと息を抜くことを伝えるタブー。
そんなちゃらんぽらんだけど、優しく柔らかい風船(身も心も!?)のようなタブーの気持ちが、フェリシテ母子の硬い心をやわらげたのかな。

1月26日まで、ヒューマントラストシネマ有楽町で上映されるようだ。ただ、上映時間が日によって変更になるからチェックが必要だ。
そのあとは、全国で上映が始まると聞く。

キンシャサの今の様子がちりばめられた映画。
一般庶民の住む地区は、もっと汚くて治安もさらに乱れていると想像される。庶民が通う公立の病院も、もっと非衛生的なのだろう。2012年から2016年の間、4年ほど住んだキンシャサで、自由に徒歩で歩くことはできなかったし、庶民の居住地区に踏み込むことも禁止されていたから、深いところでの本当のキンシャサの姿は分からない。
それでも、キンシャサをはっきり感じる映画だ。
はるか遠い、アフリカ大陸の大都会で繰り広げられる普通の人々の日々の生活を観て、何かを感じてほしい。
これからの上映情報はこのHPで。
http://www.moviola.jp/felicite/theaters/index.html
DVD化されますように!

2017年10月19日木曜日

キンシャサ便りよもやま話3 わたしは、フェリシテ

映画「Felicite」より

今日、わたしは、映画「Felicite」の試写会に行ってきた。

上の写真が、この映画の主人公、フェリシテ。
キンシャサのバーで歌手として生きる、誇り高く、どっかりたくましく生きるコンゴ人女性だ。かのじょは、一人息子を持つシングルマザーでもある。

映画は、かのじょが生きるキンシャサの夜のバーの音楽場面から始まり、しょっぱなから、もうキンシャサの空気満載だ。
(バーで演奏する面々は、世界的に活躍し、「原初的かつマジカルな響きで世界中の聴き手を魅了してきた」と評されるカサイ・オールスターズ。パパ・ウェンバの出身地でもあるコンゴ南部のカサイ州出身の、個々のメンバーから集まって2005年に結成されたグループなのだそうだ。~映画パンフレットより)
冒頭部分だけではなく映画全編がキンシャサそのものだ。
気だるく目覚める主人公の住む地区界隈の朝。ゴミ箱をひっくり返したような町で、交通ラッシュの中に身を投じるエネルギッシュなキンシャサ市民の暮らし。コンゴ人の小金持ちの、中心地よりちょっと離れた高台?に建つ邸宅。夜の飲食街・・・。
映画全体にキンシャサの空気が流れる。
監督が、まだ若いフランス系セネガル人で、キンシャサロケにこだわったと聞いて納得した。

そんな、貧しくも図太く、助け合いながらも欺き合い、プラスとマイナスが背反して存在する、全てがカオスのアフリカ大都会に生きるキンシャサの人々の中で、女性たちこそ、いちばんたくましく生きているのではないかと思えてくる。
そのひとりが、この映画の主人公、フェリシテ。

中古のオンボロ冷蔵庫を言葉巧みにつかまされたばかりにさっそく修理して大金をつぎ込まなければならなくなったと嘆くかのじょのもとに、一人息子が交通事故で大けがを負い、病院に運ばれたと連絡が入る。
入院費用と手術費用になりふり構わずに東奔西走するフェリシテの姿をカメラが追う。
もちろん、ゴミ溜めのようなキンシャサの町を背景にして。
貧しい町で生きてゆくには、誇り高くも、口八丁手八丁、ついでに足八丁さらには心も張っていかなくてはならないのだ。

そんな町で生きる、たくましいフェリシテにも、ふ・・っと萎えてしまう時がくる。
その心の葛藤を描く、詩的な映像の美しさ。
熱帯ジャングル、というより優しい心の森でもがくフェリシテと戯れる生きものが、コンゴ民主共和国にしか棲息しないと言われるオカピ。美しい絵のような場面だった。

映画に使われるリンガラ音楽と対照的に、キンバンギスト交響楽団の演奏するクラシック音楽も効果的に使われている。
この交響楽団は、映画「キンシャサ・シンフォニー」(ドイツ・2010年)で団員の日常生活が描かれたことで世界的に知られるようになった。キリスト教系の教会に属する、サハラ以南のアフリカで唯一のアマチュア交響楽団だ。

「幸福」という名を持つ主人公は、どのように自身の幸福にたどり着くのか。

邦題 「わたしは、フェリシテ」

東京では、12月16日から、渋谷と有楽町で上映予定だそうだ。
この映画は、2017年ベルリン国際映画祭で銀熊賞を取っている。

監督に、どうしてこの映画の舞台が ”キンシャサ” でなければならなかったのかと問うたとき、「キンシャサには音楽があるから。」と答えたと聞く。



2017年10月4日水曜日

キンシャサ便りよもやま話2 コンゴ週間 in 新宿


先月9月23日から今月1日までの9日間、新宿丸井1階のイベントスペースで、慶応藤沢湘南の長谷部葉子先生の研究会主催で、第1回の「コンゴ週間」が開かれた。

これは、キンシャサの外れで、シングルマザー自立を目指して運営される職業訓練学校の洋裁教室で技能を身に着けた女性たちが制作したエプロン、ブラウス、バッグやポーチ、クロスなどを商品として日本に持ち込み、販売し、彼女たちの現金収入を目指して、また学校運営の活動支援のために開催された商品ブースだった。

その職業訓練学校と、そしてまた学校に通うことの困難な児童たちのための初等教育の学校を運営するコンゴ人女性のママセシールが、今秋から医師として勤務が始まる息子さんを伴って私費で来日。連日、店内で接客をして交流し、また日本での商品展開事情の視察を兼ねた来日だった。本当に、ダイナミックな女性だ。

丸井で、”店”として企画展開することから、六百数十点を、長谷部葉子先生とママセシールの厳しい目で点検して商品管理をし、今夏、コンゴに滞在した慶応の学生たちなど関係者が日本まで運んできた商品だった。
もちろん、アフリカのカラフルで大胆な元気いっぱいのプリント地を使っての商品だ。

店内の飾りつけも慶応の学生たちのアイディアで制作された作品や、ティンガティンガのペンキ画のSHOGENさんの作品で色鮮やかなスペースが出現した。






わたしたち青猫書房は、アフリカを舞台にした絵本、物語、随筆、写真集など27点を店内で展示して来場者に紹介し楽しんでもらい、アフリカへの視点を多角的に持ってもらう、という役目ができたのではないかと自負する。また、選書27点を紹介するために、コメントを載せたリーフを作成して店内に置き、選書に興味を持たれた来場者にコメントリーフを持って行っていただいたことも嬉しいことだった。

SHOGENさんのペンキ壁画も2点、会場でライブで描かれ、多くの方が足を止めて見入っていた。


また、開催期間中、丸井屋上で、コンゴ出身の打楽器奏者が中心になって、アフリカンリズムを作り出すワークショップなどもあり、賑わっていた。

今回は、ママセシールの学校運営の日本での支援バザーの第1回目だった。
慶応藤沢湘南の長谷部葉子先生のゼミも、キンシャサで現地の子どものための学校運営と大学構内で開講される日本語クラスの活動が10年続いて、すばらしい架け橋を作ってきている。その活動を通して出会った、コンゴ女性、ママセシールの職業訓練学校と初等教育学校運営の活動。彼女の、その活動を、長谷部葉子先生とゼミ生が支援しようと東京で企画された、「コンゴ週間」だった。
本当にすばらしい企画だった。

来年もまた、ぜひ何らかの形で手伝いができたらと思う。
これからも、ずっとずっとこのような草の根のコンゴとの繋がりが続きますように。

2017年6月20日火曜日

キンシャサ便りよもやま話1 帰国しました

帰宅すると、生さださんからプレゼントが!

6月4日夜便でキンシャサを発ち、翌朝パリ着。乗り継いで、リヨン・サンテグジュペリ空港到着が5日昼前。
そして娘一家の暮らすシャンベリーに数泊滞在し後、9日にパリ経由で東京へ。
10日夜に自宅に無事戻った。

キンシャサでは、多くの知人から、あなたはまたキンシャサに戻ってくる気がするよ、などと言われ、わたしもその気になって、”A la prochaine! ~またね!”、と軽い気分でキンシャサを後にしたのだった。


そして、赤羽の自宅の戻ってみると。
留守宅を整理してくれていた友人がまとめてくれていた郵便入れの中に!
見つけた!NHK「今夜も生でさだまさし」の番組からの封書を!!

NHK「今夜も生でさだまさし」番組の中で葉書が採用された人に送られてくる、”画伯”がホワイトボードに描いた風景画と、特大ボードに描かれた桜の大木に出演ゲストが書き込んだサインを絵葉書にしたセット。
やっぱりうれしいプレゼント。
こうやって、丁寧に番組が作られているんだなあという想いも伝わってくる。
前回採用された時のプレゼントはゴンべ郵便局の私書箱宛てに郵送してくれたんだったな、ということも思い出された。
本当にありがとうございました、スタッフの皆さん。

5月半ばだったか。
キンシャサで日本に帰国するという出張者のナオコさんに生さださんへの葉書を託した。
そして、その葉書がさださんによって読まれたときには、日本の友人からメイル、LINE、メッセンジャーに続々と、今あなたの葉書が読まれているよー、という連絡が舞い込んできた。
その実況中継もどきのメイルたちに狂喜乱舞せんばかりにわたしは喜び興奮した。
こんな写真を添付してくれた友人も!

NHK「生さだ」でわたしの葉書が読まれた!

この葉書は、3月に訪ねた「ローラ・ヤ・ボノボ」というベルギー人女性が運営する、森で仲間からはぐれた成人ボノボ、親が捕獲されて孤児になった赤ちゃんボノボの救援施設で買い求めたものだ。
さださんは番組中で、かれの知識でボノボのことも話したと聞く。
コンゴ民主共和国の一部の森にしか生息しないボノボのことを日本の視聴者にも知ってもらえたかな。
5月28日のことだった。

今年1月、生さださんに葉書をキンシャサのゴンべ郵便局から投函したのだが、不採用だったのか、番組に葉書が届かなかったのか。
最後にもう一度、ゴンべ郵便局から投函にチャレンジだ、と思っていたら、帰国前のてんやわんやの日々に郵便局を訪れる時間も持てないままキンシャサを後にした。

ならば、機上で、月夜のサハラ砂漠上を通過中に、星の王子さまとサンテグジュペリさんの対話姿を見つけて(!)、さださんに報告葉書を書こうと意気込んでいたのだけど、結局、席がど真ん中で、窓際席全てが満席の上に、最後部の窓も塞がれて、サハラ砂漠の”サ”の字も見えず仕舞いだった。
せっかく、満月間近の月夜だったのに。

でも、パリから乗り継いで降り立った空港が、”リヨン・サンテグジュペリ空港”だった!
リヨンは、サンテグジュペリさんの故郷だったのだ。
空港で見つけた星の王子さまの絵葉書に、わたしは、またまた性懲りもなく、生さださんに便りをしたため、帰路のサンテグジュペリ空港で投函したのだった。
そんなに何度も読んでもらえるはずもないのだけど、サハラ砂漠のことを書きたくて。
生さださんに葉書を投函するのが日常化してしまったかな。
今月から、生さださんをしっかり視聴することができる。

そうやって、小さな喜びをたくさん見つけて、東京暮らしも楽しもう。
来月はまた、夫が別案件の調査で4週間ほどキンシャサに戻る予定だ。
そんなこともあって、またしばらく、今度は、「キンシャサ便り よもやま話」ということで、ブログでキンシャサのことを綴っていきたいと思う。
もうしばらく、お付き合いください。

2017年6月4日日曜日

キンシャサ便りふたたび37 ありがとう!キンシャサゴルフクラブ

キンシャサゴルフクラブの午後の打ちっぱなし練習場(2017.5.30.撮影)
2012年1月1日にキンシャサに降り立ち、途中で2年東京に戻り、また2016年9月にキンシャサに来て、キンシャサとのお付き合いも足かけ5年以上。
自由に歩き回れないキンシャサに暮らし、何が楽しかったか、って。
色んな人たちに出会えたこと。
日本とは違う、興味深い文化を見聞きする楽しみを持てたこと。
そして、自然の中でゴルフを満喫できたこと。

ちっとも上達しなくて、しょんぼり落ち込んだこともあったけど、3回のキンシャサオープンゴルフにそれぞれに3日間、元気に参加できて、ゴルフを通してもたくさんの国の方たちと出会えて。
何より、自然の中で、より元気をもらったように思う。
ゴルフを週に3、4回も楽しめた体力と機会を持てたことは最大の感謝だ。
すべてのこと、すべての方たちにありがとうございました!!!

5月30日。
早めに仕事を終えて帰宅した夫と、最後のキンシャサゴルフクラブで打ちっぱなしの練習へ行く。
うれしい汗をかいて、ふっと見上げると、陽が傾いて、練習場が心なしか寂しげに映ったのは気のせいか、な。
5月31日。
夫と最後のコースを回る。
キャディーはいつものオリビエ。夫はジョゼと共に。二人とも、とても穏やかな礼儀をわきまえたキャディーだった。かれらにも、ありがとう。


10Hグリーンに向かう夫 白い鳥の群れがいつも楽しげだ(2017.5.31.撮影)
キンシャサは乾季に入り、空いっぱいに雲が広がり太陽が隠れている分、過ごしやすい気候になってきている。これから3か月は絶好のゴルフ日和が続くだろう。

コースのあちこちにこんもりした小山みたいな盛り土があって、わたしは勝手に「初恋の丘」とか名付けてわざわざその盛り土の上に立って空を見上げて雑念を振り払うのが好きだった。
そんなときに、ふうっと爽やかな風が吹きわたろうものなら至福の瞬間となる。
本当に心洗われる時だった。

コースの前半は池だらけで、気が抜けない分、後半は風景を楽しんだ。

8Hから9Hへ向かう途中に咲いていたハイビスカス(2017.5.31.撮影)

9Hが終わって休憩所に向かうところのアボカドの木からも美味しい実をたくさんもらった。

左の円形建物が休憩所 右奥に新しく建った男女別トイレも!(2017.5.31.撮影)

10Hが終わったところには、たわわに実ったパパイヤの木があって、これまた美味しかったな。
採っても採っても、次から次に実が付いて、さすが常夏の国のパパイヤの木だと思った。

10Hグリーンから11Hに向かうところに立つパパイヤの木(2017.5.31.撮影)

13Hは「キンシャサ富士」がティーアップ位置から一直線のところに聳え立ち(でもないけど。標高数十センチ?!)、富士山越えー!っと叫んでドライバーを振ったものだった。
16Hは、「ハイジの丘」と呼ぶ、なだらかな下り坂のコースで、ボールの行方を追いながら気持ちよくプレイのできるコースだった。左のラフには数本の高い椰子の種類の木が並び、柿の親分みたいな実が成っていたが、食用ではなくて、室内に置いて芳香を楽しむ果実だと教えられた。そして、グリーン方向に進んだラフの決まった場所に、ティーアップしたボールと同じ白いキノコがにょきにょきと生えるのだった。雨季最後の頃のキノコは、ボールよりはるかに大きなお化けキノコがお目見えした!

ティーアップボールより大きく育ったキノコ~手前に置いた白ティーと比較してみて!(2017.4.29.撮影)
食べられないよ、と聞いたので放っておいたら、しばらく経つと、干しシイタケそっくりに枯れていて、これまた美味しく見えるのだった。

17Hは、以前にブログで紹介した、「月は東に日は西に」コース。
日本人ゴルフコンペで陽が沈みかけの頃に最終組のわたしたちのグループが17Hに着いたとき、まさに陽は西にオレンジ色に輝きながら沈みかけ、ふっとグリーン向こうを見ると、まん丸お月様のてっぺんがちょうど顔を出したところだったのだ。
わたしは、幻想の世界を独り、スコーン、スコーンとウッドを振り続け、グリーンに来た時、大きな満月の全景を拝んだのだった。まさに、神がかりのような時間だった。

そして、18H。
左右にウェンゲの大木やピンク色濃淡いろいろの花を付けた大木が並び、最後まで自然の中で鳥のさえずりを聴きながらのキンシャサゴルフクラブのコース。

18Hをグリーン横から眺めた風景

尾だけ朱色で体はグレーの、コンゴのオウムであるヨウム。鮮やかなブルーの色で、まさに”幸せの青い鳥”だと思えたコルドンブルー。これまた華麗で美しいブルーのカワセミ。小人すずめ?みたいな”ンブンジ”はいつも群れを成して飛んでいたところが、物語「スイミー」を連想させた。それからカナリアのような黄色い小鳥もいたな。

18Hからクラブテラスを望む

わたしを元気にしてくれたキンシャサゴルフクラブ全てにありがとう!
また逢う日を信じて。
さようなら!!!

2017年5月30日火曜日

キンシャサ便りふたたび36 カサブブ地区のバーベキューレストラン

5月26日。先週金曜日の夜、夫の仕事絡みで、また個人的にも大変お世話になっているコンゴの方に招待されてカサブブ地区にあるレストランへ。
そこでうれしいことが二つあった!

バーべキューレストラン風景 中庭から
一つ目!
金曜日の夜はライブ演奏で楽しめるレストランだった!
夜7時に到着した時にはすでにライブは始まっていて、天国の響きのような柔らかいリンガラミュージックが緩やかに漂ってきた。
そして、わたしが、独立祝歌”Independance cha cha”をリクエストすると、さっそく演奏してくれたのだ。
キンシャサでおそらく最後になるだろう、ライブで聴くコンゴ独立の祝い歌。
本当に、何度聴いても、独立に希望を抱いてうれしく歌い踊るコンゴの人々の心意気が伝わってきて、幸せになる。このときの気持ちを忘れずに国造りにまい進してください、応援してますよー!なんて、ひとり熱くなるのだった。(幸せな人!)
ちなみに、このレストランのそばには、初代大統領カサブブさんの像の立つロータリーがある。


中庭のステージを囲むようにテーブルが点在する

夫がリクエストした、パパウェンバの歌、”サイ サイ”(Sai Sai)は却下された・・・。古すぎたかな?


二つ目!
このバーベキューレストランに来た時から、どこか、こんな雰囲気の場所にきたことがあるぞと思った。
もちろん、初めての場所だし、カサブブ地区という場所柄なのか、外国人客はまったく見かけない。
そして、招待してくれた方が、このチケットを持って、あちらのテーブルから並んでください、と案内してくれたとき!
閃いた!!!
あ、このスタイルは、わたしたち夫婦が大好きで、以前よく通った金曜日夜だけの会員制("Oasis Club"と言ったなあ。)の英国大使館B.B.C.パーティーとそっくりだ、ということを。

お皿を持ってサラダを取り、ピラフを選び、焼き肉のコーナーまで進んでいって、まさに英国大使館庭でのB.B.C.のスタイルそのままだと思ってうれしくなった。
今回の二度目のキンシャサ生活で、英国大使館のB.B.C.パーティーのことは聞かれなくなっていて、すでに存在しないとも聞いていた。
もう、英国大使館内の解放的な広々とした庭でのバーベキューを楽しむことはないんだなあ。そう思うと、ちょっと寂しくなったものだ。
会員になると一人20米ドルでバーベキュー料理を楽しめた。デザートも付いての料金だったが、飲み物は別で、やはりチケット制だった。キンシャサに長期で滞在する慶応大生たちを一緒に連れて行くと彼らは本当に幸せそうに何度もお替りをしていたな。日本からのお客さんもよくお連れしたな。
いろいろな思い出と共に英国大使館B.B.C.パーティーの夜が懐かしくなる。

そうそう、この夜、招待してくれたコンゴのムッシュとも、英国大使館B.B.C.パーティーでよく出会っていたんだった!
それをかれに伝えると、そうだよ、このレストランは英国大使館B.B.C.パーティーを運営していたムッシュがやってるんだよ。
へえー、どうりで!
焼肉コーナーで料理する白い服のコックさんは、英国大使館B.B.C.にいたムッシュだ!
(ちなみに、夫情報によると、このレストランの経営者はコートジボアール人だとそうだ。)

こんなところで、また、あのときのバーべーキューの味と雰囲気を楽しめるなんて!
こういう形での再会にしみじみ感謝感動する夜だった。

やっぱり、ここに住んでいる人たちからの情報って貴重だな。

テーブル席から中庭を望む

このカサブブ地区のバーベキュー屋さん、ADELIZE。

駐車場で降りて、レストラン ADELIZEへの入り口


毎週金曜日夜にライブ演奏があるよと言って、手書きの案内をくれた。
Orchestre L-MOD
Chaque vendredi
Chez ADELIZ
En concert
No, contact 0900926006/ 0810160249

わたしたちの隠れ家レストランにしておきたい気もするけど。
せっかく良い雰囲気で料理もおいしいレストランだから。
レストラン情報をおすそわけしましょう。
キンシャサにお寄りの時はどうぞ。

乾季に入ったキンシャサの、ひんやり涼しい夜の和やかな会食だった。

余談として・・・。
このグループの女性のボーカリストが、なんとなく、今回のベルリン映画祭で銀熊賞だったかを受賞したキンシャサを舞台にした映画、”Felicite”の女性主人公と重なってしかたなかった。勝手にだけど。

映画”Felicite” 至福という意味の仏語で、主人公の名前。