第4回キンシャサ日本大使杯ゴルフコンペ優勝カップ |
さかのぼること、2011年9月。
前々任大使の離任ゴルフコンペとして開催されたのが初回日本大使杯ゴルフコンペだったと聞く。
前々任大使は夫妻でゴルフを楽しまれていたそうだ。
そして前大使が赴任されたのが2011年10月。
前大使もゴルフの上手なかただった。
そのまま、日本大使杯コンペは毎月開催で引き継がれた。
わたしたちが2012年1月1日にキンシャサに到着して、夫は早々の2012年1月30日開催の第5回コンペに初参加している。
わたしは、翌月2月開催の第6回コンペに初参加。
もう心臓バクンバクンの緊張しまくりの初参加で、結果はスコア146。
多分、ブービーメーカー。ビリだったと思う。
女性は他に、在コンゴ民・日本大使館現地職員のゲルダさんがいた。
かのじょは若くてドラコン賞常連の上級ゴルファーだった。
初参加では、ゲルダさんと参事官の3人で回り、どれだけ気遣いいただいたことか。
プレイ後の、成績発表を兼ねた食事会がまた楽しみだった。
ゲルダさんや、大使、参事官、JICA所長、無償プロジェクトで滞在中の企業の方々の和気あいあいとした雰囲気が心地よくて、以来、毎月のキンシャサ生活の”要”だったと思う。
(その後、ゲルダさんは小さいお嬢さんの育児のため、午後開催になった大使杯コンペに参加できなくなった。)
次の第7回コンペ(2012年2月)でも、わたしのスコアは139で、大した進歩なし。
キンシャサの街中は徒歩禁止だったから、緑豊かなゴルフ場は格好の散歩コースだった。
最初は、そんなすばらしい自然の中でのゴルフコースを歩くだけで満足,幸せだった。
その年の5月に、キンシャサ・オープンゴルフが開催され、前夜祭に参加したことで,来年はわたしもオープンゴルフに参加したい!、という意欲が出た。
それからかな、少しずつゴルフを楽しみ始めたのは。
とはいえ、初参加1年後の2013年の2月のコンペのスコアは、144。
それでも、韓国人の友人ソリムさんはゴルフプレイを誘ってくれて、クラブコンペに参加することを勧めてくれ、いろんな人たちとのプレイを楽しみ始めた。
2013年5月には夫婦でオープンゴルフに初参加。
何も分からないままに3日間プレイし、朝から夜までお祭り気分を満喫した。
それから、スコアは130台になり,時々120台を出すようになった。
8月に、韓国に帰るという友人夫婦と最後のプレイをしたときはなんと114を出した。
でも、その後、スランプ状態で伸び悩む。
紆余曲折の後、レッスンプロ(キンシャサ・ゴルフクラブには3人のレッスンプロがいる。)のカップンバさんに行き着く。
カップンバさんは、南東部の銅山都市ルブンバシ出身で、わたしが幼い頃は日本人が町にたくさんいました、と懐かしそうに話し、あいさつのときはボンジュールと言ってお辞儀をするのだった。
カップンバさんは、上手な英語も話す。
キンシャサの3人のレッスンプロのうちで唯一のスポンサーの付くゴルファーだそうだ。
レッスンのとき、わたしが疑問に思うことを尋ねると、まずいつも通りに打ってごらんと言ってフォームをチェックする。その後、理論を持って説明してくれ、だからあなたの場合はここに気をつけてプレイしてみなさい、と的確なアドバイスをくれるのだ。
納得のいく説明だから,すとんと腑に落ちて実践できる気がした。
日本大使杯コンペに参加して2年目の2014年2月のスコアは127。
そして、新しくゴルフ仲間になったミョンスさんという韓国人マダムと毎週ゴルフを楽しむようになり、かのじょのゴルフに対する姿勢に鼓舞されたように思う。
スコアの数え方も、「各ホール、7平均で回る」という数え方から、「各ホール、ダブルボギーで回る」という考え方に変えた。
スコアのカウントの数え方を変えただけで、先月から110台が出るようになる。
7月13日の日本人のポワルー道路完成記念コンペでは、109という新記録を出す。
初めて110を切ったのだ。
そして、翌週の21日。
私たち夫婦にとっては最後のキンシャサ日本大使杯コンペだった。
朝から緊張していたが、1995年7月、中央アフリカ共和国・バンギでの最後の月例・鹿島杯コンペでどうしても優勝したくて、がんばって優勝したときのことを思い出していた。
あのときも、緊張しまくったが、自分を信じて淡々と集中してプレイしたら想いが叶ったではないか。
夫に緊張するから握手してと頼んだ。
こっそり握手してもらってパワーをもらって、さあ出発だ。
仲間2人も優勝を狙う若者とムッシュ。
淡々とプレイをする姿にわたしも集中して心地よく楽しむことができた。
なにより、キンシャサ最後の大使杯コンペで自己記録を更新することだけを考えた。
緊張して硬くなって、納得のいかないプレイをすることはやめようと思った。
日本に戻ってずっとずっと後になって、最後のコンペでのプレイを後悔することはしたくないと思った。
その日は乾季のキンシャサとしては日差しのあるちょっと蒸し暑い日だった。
それでも、緑の中を吹き抜ける風は本当に気持ちよく、これから先の人生で、この日の、この瞬間の、この幸せ感溢れてプレイするわが身のことを懐かしく思い出すのだろうなあ、と思ったりして、独りで感動するのだった。
キンシャサ・ゴルフクラブ9番ホール左のパームヤシ林 |
順調だったわけではない、大ピンチのときもあった。
それでも自分に言い聞かせたこと。
1コース、1コースを丁寧に集中してプレイすること。
コースを終えたら、忘れて次のコースに集中すること。
ひとつ、ひとつ、乗り越えていこう。
18ホールを終えたときの達成感は心地よいものだった。
そして、スコアを計算してみると,108。
自己記録を更新!!
やったー!!
楽しい2年半のキンシャサでのゴルフの締めくくりとして、最高の結果をいただけたことを誇りに思い、またゴルフを通して楽しい交流をいただいたたくさんの友人たちに心からお礼を言いたい。
ゴルフ仲間の皆さん!
キンシャサを離れていった友人も!
そして、キンシャサゴルフコースにも!
この2年半、楽しいゴルフをありがとうございました!!!!!!!!!!
キンシャサ・ゴルフクラブ14番ホール池から13番ホールを望む |
キンシャサ・ゴルフクラブ最終ホール右向こうを望む |
ひろさん~!!!
返信削除おめでとうございます。
嬉しさが日本に居る私にも伝わっていますよ!!ワクワクしました。
帰国後お祝いしましょうね~
寛子さま
返信削除ゴルフもフランス語もたくさんの出会いも、目標達成!!!すご~いです!!
お帰りを待ってま~す。