”Tour de France”.。
今夏は、7月5日(土)から7月27日(日)までの開催で、101回目なのだそうだ。
1903年、フランス人の自転車選手兼ジャーナリストのアンリ・デ・グランジュが創設した、フランスを舞台にした国際的規模のロードレース。
2度の世界大戦時以外は毎夏開催される、フランスの夏の国民的行事となっている。
ジロ・デ・イタリア、ブエルタ・ア・エスパーニャと共に世界三大ロードレース(グランツール)といわれる。
コースは周辺国のベルギー、イタリア、ドイツ、スペインも含む約3600km。
それを約20のステージに分け、1チーム9選手で3週間ほどをかけて走るのだとか。平坦な舗装道路から山岳地帯の急勾配の傾斜面のコースもあり、テレビを見ていると怪我で棄権する選手も出て過酷なレースだ。
通算成績を毎日集計し,全ステージの総合タイム首位の選手が優勝。
勝者には名誉の”マイヨ・ド・ジョンヌ”と呼ばれる黄色のシャツが贈られる。
わたしたちが5月に南アのヨハネスブルグから喜望峰に飛んだとき、”Tour de Cape”という自転車競技があることを知った。
アップダウンの続く断崖絶壁の、強い海風に当たりながらの海岸線のコースはかなり厳しいレースだろう。それでも、海外からの(日本人も!)参加もあって盛況だそうだ。
そして。
ここ、コンゴにもなんと、”Tour de Congo”なるものがあった!
”Tour de la Congo”のマーク |
今年で2回目の開催。
6月18日から25日まで、コンゴ民主共和国内の703kmの距離、7つのステージを走り抜く自転車競技だった。
Tour de la Congoスタート (FecocyのH.P.より) |
まず、コンゴ南東部のコルウェジ→リカシ→ルブンバシ(カタンガ州)へ。
第1ステージのコルウェジ、リカシ間は、シマウマ、鹿などの動物が見られるようだ。
第2ステージでは鉄橋を渡っていた。
そして、第3、第4ステージ。
西部→キンペセ(バコンゴ州)→キンシャサへ。
キンシャサでは、スポンサーなのだろう、選手たちは”Hotel KWILU”というホテルに泊まっていた。
”KWILU”といえば、わたしたちの贔屓のコンゴ産さとうきび焼酎のメーカーだ。
そのKWILU直営ホテルなのだろうか。
確かに、KWILUは直営のバーも持っているし。
なかなか感じの良いホテルだったが、キンシャサのどこにあるのか。
話を元に戻して、最後の第5、第6、第7ステージ。
東部→ケンゲ(バンドゥンドゥン州)→セレ→キンシャサへ。
第7ステージでセレからキンシャサ入りし、トリアンフ通りのサッカースタジアムがゴールだったようだ。
トリンフ通りのサッカースタジアム前のTour de la R.D.Congoゴール(fecocyのH.P.より) |
北部の赤道州や、停戦になったばかりの東部の南・北キヴ州はルートに入っていなかった。
わたしは、このツール・ド・コンゴの自転車競技をフランスからの衛星放送、”TV5”の特集番組で知った。
思えば、ここ1,2年でキンシャサ市内を競技用自転車で疾走する選手たちをよく見かけるようになった。しっかりしたスポンサーが付かなければ、自転車も競技用スーツも入手できないはずだ、と思っていた。
テレビ番組で観る限り、競技ルートは舗装道路(国道1号線がメインルートだった?)を走っていたし、動物保護の自然公園、そして、キンシャサ郊外にあるボノボ保護園辺りも通り、コンゴ観光PRも兼ねたようなルートだったように思う。
それでも、過酷なコースだったのは間違いなく、タイヤが外れる事故が起こったりしていたし、もちろんバイクや自動車の伴走が続いていた。
Total(石油),Scole(飲料),RawBank(銀行),Bank Africa(銀行),AVIA(レンタカー)など多くのスポンサーも付いて、沿道の人々の声援を背にツール・ド・フランスと比べて見劣りしない盛り上がりだったように感じる。
参加国も、コンゴのチームはもちろん、フランス,ベルギー、アフリカからは、コート・ジボワール、ルワンダ、ブルキナ・ファソ、タンザニア、ガボン、マダガスカル、そして嬉しいことに、中央アフリカ共和国からの参加チームを見つけた。
この自転車競技大会の正式名称は、
”Tour Cycliste International de la R.D.Congo”
主催は、
La Federation Congolaise de Cyclisme (Fecocy)
この国、コンゴ民主共和国に平和が続く限り、(少しずつかもしれないが)発展を続けると確信する。
平和が続いて、この ”Tour de la R.D..Congo”の自転車競技も続いて発展し、立派な国際競技大会に育つことを祈り続けたい。
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