かのじょは、ご主人の赴任地キンシャサに滞在して3年が過ぎたらしい。毎年、12月に入ると早々に、子どもたちや孫たちが近所に住むというカリフォルニアの自宅に戻り、長いクリスマス休暇を経て、4月が近づいたころキンシャサに戻ってくる。
かのじょは本当に料理上手、もてなし上手の、わたしより一回り近く年上のおしゃれなマダムだ。
そのかのじょがときどき、かのじょの居心地抜群の台所を開放して、かのじょのレシピを紹介する料理教室を開いてくれるのだった。
春雨サラダの作り方を説明するマダム・キム |
あるときは、かのじょからヴェトナム風生春巻き、揚げ春巻きの作り方を習った。
かのじょは大量に揚げ春巻き用に春巻きを冷凍するコツを教えてくれた。
冷凍する前に、オーブンで焼いて焦げ目をつけてから冷凍すること、食するときは、予め自然解凍してから、熱する前の食用油に入れてゆっくり揚げることを教えてくれた。
あるときは、彼女自身も知りたいからと、サムサの専用コックを招き入れて、一緒にサムサの作り方を習った。
デザートのレパートリーも広いかのじょから、独自のココナッツシロップのかかるキャロットケーキも伝授してもらった。
かのじょの台所は、真ん中に大理石の調理台が備え付けられている。
そして、巨大な冷凍庫と、がっしりした電気オーブンコンロが鎮座している。
それから、今日は料理の日と決めて一日台所で過ごす彼女のために、エアコンとテレビとDVD,CDデッキも備わっている。
音楽やかのじょの好きな韓国ドラマを楽しみながら明るく衛生的で涼しい環境の中で料理をして過ごす一日がかのじょにとって至福のときなのだそうだ。
そうやって調理されたものがジップロックに入れられてきちんとかのじょ自慢の冷凍庫に並んでいる光景は圧巻だ!
(かのじょがカリフォルニアで過ごす数ヶ月間、かのじょの夫はこの冷凍庫のストック品のお陰で豊かな食生活をキープできるのだそうだ。)
今回の料理教室は、かのじょが作る奥深い味のサラダドレッシングとタイ風春雨サラダの作り方を教えてほしいとお願いしたことから企画してくれたクラスだった。
今日の生徒は、わたしを含めて3人だ。
かのじょは、まず料理教室の前に、美味しいコーヒーを入れてくれる。
一息ついたところで、スタート。
かのじょから、今日のランチには牛肉のファーを用意しているからね、とアナウンスが入る。
どうりで。
玄関に入ったときから、美味しい香りが漂っていたもの!
ドレッシングも、春雨サラダのタレもわたしは味見しながら調味料を足していくから分量は分からないのよ、だから、しっかり何を大さじ何杯入れたかをチェックしておいてね。
サラダドレッシングには、たっぷりとマスタードを混ぜた。
春雨サラダのタレには、レモンの新鮮な絞り汁と魚油と赤唐辛子を使った。
どちらにも、かのじょは結構な量の砂糖を混ぜた。
そして、かのじょはどちらにもハンドミキサーを使った。
ふ~む。
かのじょの台所には、いろんな調理道具が並んでいる。
調理台の下には、ざるやボウルがきちんと整頓されて収納されいる。
茹で野菜を洗う専用の水として、ペットボトルに湯冷まし水を入れて何本もストックされているのが並ぶ。
茹で麺を急速に冷ますためには、巨大冷凍庫に巨大製氷皿が入っていて大量の氷をストックしている。
どれも見習いたい、アフリカ生活の中での料理の知恵だ。
今日は遅めのランチになるからと、かのじょは合間を縫って、自然解凍していた揚げ春巻きを用意してくれ、揚げたての春巻きをいただく。
春雨を、かのじょはまず浸水しておいてから、熱湯で茹でた。
ほんの1,2分茹でて、茹で状態をストップするためだと言って、大量の氷水に茹で上がった春雨を流し込んだ。
春雨サラダに混ぜる野菜として、たまねぎのクシ切り、現地セロリの葉(アジアセロリの代替品かな)、青ねぎ3cmカットのものが用意されていた。
かのじょはキャロットケーキの作り方のリクエストに応えて、大量のにんじんのせん切りも用意していた。
キャロットケーキの作り方の説明を受けながら(わたしには復習となりながら)、温まったオーブンにケーキを入れたところで、わたしは、依頼を受けていたミルクゼリーの作り方を披露した。
タヒチの友人からもらった冷凍ストックしていたバニラを半本混ぜ合わせて寒天を溶かし、砂糖と牛乳を混ぜてタッパーウエアの容器に入れて冷蔵庫で固めるだけというシンプルレシピで、すぐに終了。
キムさんは、さあここでわたしが作っていたケーキで休憩にしましょう、と言う。
すべて調理台の周りでいただく休憩の楽しみ。
ほやほやふっくりのシフォンケーキのなんと美味しかったこと!
サラダドレッシングも、タレの混ぜられた春雨サラダも、キャロットケーキも4等分されて、お土産としてお持ち帰りにしてくれる。
うれしいな!
それから、かのじょは、牛肉を丁寧に処理して(筋や膜を本当に丁寧に薄くそぎ落として赤身肉だけにした!)、牛筋を一晩かけて煮込んで旨味を取ったスープにいろいろな調味料をてきぱきと混ぜて塩で味を調えて掛け汁を準備する。
最後に、米粉でできたファー麺を茹で、ヴェトナムの麺料理、ファーが手際よく出来上がったのだった。
なんと美味しかったことか!
深い味わいのスープには一滴の醤油も魚油も入れられなかった。
かのじょの料理教室では、いつもかのじょの調理の知恵満載で、目からうろこ状態になる。
そして、料理の間にかのじょが用意してくれている休憩スナックがまた楽しみだ。
さらには、夫たちに、とお土産として用意してくれる。
もちろんキムさんは、特製の牛肉スープとファー麺と具を別々にしてお土産にしてくれた。
このお土産に、わが夫は本当に幸せそうに舌鼓を打つのだった。
マダム・キムは、二人の子どもたちを育てながら、32年間ずっと夫の赴任地のアフリカ各国を渡り歩いてきた人だ。
この32年間ずっと、この調理器具と共に家族のために料理してきたのよ、とさっぱりと言う。
でも、わたしはかのじょから聞いたことがある。
ずっとずっと前、かのじょの夫がアメリカ留学中に、祖国で政変が起き共産勢力が入り込み、夫も祖国に戻れず、かのじょと子どもたちも祖国から脱出できず、かのじょは友人一家と小さな舟を買って、夜の海をひっそりと子どもと友人一家と脱出。嵐に巻き込まれながら、着いたところはマレーシアだった。マレーシアでは受け入れてもらえず、オーストラリアなどを渡って、夫も家族の行方を探し、7年振りだかにアメリカで再会を果たしたという話を。
そんなかのじょは、よく子どもたちの話しをする。
アメリカに渡って、アメリカ人として生きてきて、いろいろな困難にも遭ったことだろう。
32年間ずっとアフリカ勤務だったというのだから。
そんな環境で、お嬢さん、息子さんを立派に育て上げている。
息子さんは母の、医者になってほしい、という希望を実現して、カリフォルニアで医師として活躍しているそうだ。おじょうさんもキャリアウーマンとして子育てと仕事を両立していると聞く。
二人とも料理が得意なのだとも聞く。
わたしは、かのじょのそんな自慢話が鼻に付くと思ったことはない。
一生懸命生きてきた真摯な彼女の姿勢を感じるからだろう。
かのじょもかのじょの夫もとても温厚な夫婦だ。
70歳代後半の夫は、現在も現役で勤務を続け、この前も数組の友人夫婦を自宅での夕食に招待してくれた。
昨年の満月の夜には、かのじょたちの住むアパート屋上のパイヨットでのお月見夕食会を企画して接待してくれた。ヴェトナムでもお月見を楽しむ習慣があるのよと言って。
夫婦そろっての温かいおもてなしがとても心地よくて楽しい。
いつもいつも、ありがとう、マダム・キム。
東京で、そしてかのじょたちの住むカリフォルニアでの再会が楽しみだ。
今回の料理教室は、かのじょが作る奥深い味のサラダドレッシングとタイ風春雨サラダの作り方を教えてほしいとお願いしたことから企画してくれたクラスだった。
今日の生徒は、わたしを含めて3人だ。
かのじょは、まず料理教室の前に、美味しいコーヒーを入れてくれる。
一息ついたところで、スタート。
かのじょから、今日のランチには牛肉のファーを用意しているからね、とアナウンスが入る。
どうりで。
玄関に入ったときから、美味しい香りが漂っていたもの!
ドレッシングも、春雨サラダのタレもわたしは味見しながら調味料を足していくから分量は分からないのよ、だから、しっかり何を大さじ何杯入れたかをチェックしておいてね。
サラダドレッシングには、たっぷりとマスタードを混ぜた。
春雨サラダのタレには、レモンの新鮮な絞り汁と魚油と赤唐辛子を使った。
どちらにも、かのじょは結構な量の砂糖を混ぜた。
そして、かのじょはどちらにもハンドミキサーを使った。
ふ~む。
かのじょの台所には、いろんな調理道具が並んでいる。
調理台の下には、ざるやボウルがきちんと整頓されて収納されいる。
茹で野菜を洗う専用の水として、ペットボトルに湯冷まし水を入れて何本もストックされているのが並ぶ。
茹で麺を急速に冷ますためには、巨大冷凍庫に巨大製氷皿が入っていて大量の氷をストックしている。
どれも見習いたい、アフリカ生活の中での料理の知恵だ。
今日は遅めのランチになるからと、かのじょは合間を縫って、自然解凍していた揚げ春巻きを用意してくれ、揚げたての春巻きをいただく。
春雨を、かのじょはまず浸水しておいてから、熱湯で茹でた。
ほんの1,2分茹でて、茹で状態をストップするためだと言って、大量の氷水に茹で上がった春雨を流し込んだ。
春雨サラダに混ぜる野菜として、たまねぎのクシ切り、現地セロリの葉(アジアセロリの代替品かな)、青ねぎ3cmカットのものが用意されていた。
かのじょはキャロットケーキの作り方のリクエストに応えて、大量のにんじんのせん切りも用意していた。
キャロットケーキの作り方の説明を受けながら(わたしには復習となりながら)、温まったオーブンにケーキを入れたところで、わたしは、依頼を受けていたミルクゼリーの作り方を披露した。
タヒチの友人からもらった冷凍ストックしていたバニラを半本混ぜ合わせて寒天を溶かし、砂糖と牛乳を混ぜてタッパーウエアの容器に入れて冷蔵庫で固めるだけというシンプルレシピで、すぐに終了。
キムさんは、さあここでわたしが作っていたケーキで休憩にしましょう、と言う。
すべて調理台の周りでいただく休憩の楽しみ。
ほやほやふっくりのシフォンケーキのなんと美味しかったこと!
台所の調理台に載ったキャロットケーキ(左端)とシフォンケーキ(右端) |
サラダドレッシングも、タレの混ぜられた春雨サラダも、キャロットケーキも4等分されて、お土産としてお持ち帰りにしてくれる。
うれしいな!
それから、かのじょは、牛肉を丁寧に処理して(筋や膜を本当に丁寧に薄くそぎ落として赤身肉だけにした!)、牛筋を一晩かけて煮込んで旨味を取ったスープにいろいろな調味料をてきぱきと混ぜて塩で味を調えて掛け汁を準備する。
最後に、米粉でできたファー麺を茹で、ヴェトナムの麺料理、ファーが手際よく出来上がったのだった。
マダム・キム特製の牛肉ファー |
なんと美味しかったことか!
深い味わいのスープには一滴の醤油も魚油も入れられなかった。
かのじょの料理教室では、いつもかのじょの調理の知恵満載で、目からうろこ状態になる。
そして、料理の間にかのじょが用意してくれている休憩スナックがまた楽しみだ。
さらには、夫たちに、とお土産として用意してくれる。
もちろんキムさんは、特製の牛肉スープとファー麺と具を別々にしてお土産にしてくれた。
このお土産に、わが夫は本当に幸せそうに舌鼓を打つのだった。
マダム・キムは、二人の子どもたちを育てながら、32年間ずっと夫の赴任地のアフリカ各国を渡り歩いてきた人だ。
この32年間ずっと、この調理器具と共に家族のために料理してきたのよ、とさっぱりと言う。
でも、わたしはかのじょから聞いたことがある。
ずっとずっと前、かのじょの夫がアメリカ留学中に、祖国で政変が起き共産勢力が入り込み、夫も祖国に戻れず、かのじょと子どもたちも祖国から脱出できず、かのじょは友人一家と小さな舟を買って、夜の海をひっそりと子どもと友人一家と脱出。嵐に巻き込まれながら、着いたところはマレーシアだった。マレーシアでは受け入れてもらえず、オーストラリアなどを渡って、夫も家族の行方を探し、7年振りだかにアメリカで再会を果たしたという話を。
そんなかのじょは、よく子どもたちの話しをする。
アメリカに渡って、アメリカ人として生きてきて、いろいろな困難にも遭ったことだろう。
32年間ずっとアフリカ勤務だったというのだから。
そんな環境で、お嬢さん、息子さんを立派に育て上げている。
息子さんは母の、医者になってほしい、という希望を実現して、カリフォルニアで医師として活躍しているそうだ。おじょうさんもキャリアウーマンとして子育てと仕事を両立していると聞く。
二人とも料理が得意なのだとも聞く。
わたしは、かのじょのそんな自慢話が鼻に付くと思ったことはない。
一生懸命生きてきた真摯な彼女の姿勢を感じるからだろう。
かのじょもかのじょの夫もとても温厚な夫婦だ。
70歳代後半の夫は、現在も現役で勤務を続け、この前も数組の友人夫婦を自宅での夕食に招待してくれた。
昨年の満月の夜には、かのじょたちの住むアパート屋上のパイヨットでのお月見夕食会を企画して接待してくれた。ヴェトナムでもお月見を楽しむ習慣があるのよと言って。
夫婦そろっての温かいおもてなしがとても心地よくて楽しい。
いつもいつも、ありがとう、マダム・キム。
東京で、そしてかのじょたちの住むカリフォルニアでの再会が楽しみだ。
マダムヒロコの今日のお話、ヨダレを我慢するのが大変です。
返信削除東京に戻ったら是非マダムキムのレシピ教えてね!