2013年6月4日火曜日

第5回 アフリカ開発会議

キンシャサ6月30日通り沿いの風景


6月3日。
横浜で開催された3日間の第5回アフリカ開発会議(TICAD)が終わった。

20年前から5年ごとに開催され、今年で5回目となる”アフリカ開発会議”。
安倍首相の「TICADを契機として,アフリカと日本の経済を新たに躍動させるべく、誠意を持って本会合に臨む。」の言葉で始まった会議だったが、疾風怒濤のごとく、日本を駆け抜けていったのではないだろうか。

アフリカに絡んだイベントも多く企画されたことだろう。
今回のことで、アフリカがちょこっとは日本で話題に上る機会も増えたのではとキンシャサから想像している。

アフリカ54カ国から51カ国が参加し、39カ国から”首脳”が来日したそうだ。
でも、”首脳”って?
大統領や首相を含む大臣クラスのことを指すもの?
この国RDC(コンゴ民主共和国)からは大統領も首相も参加していない(外務大臣だけなのかなあ。)と聞く。ちょっとガッカリ。
(同時期に、モロッコ、マラケシュでアフリカ開発銀行の会合が開催されていたことを昨夜のフランスの衛星テレビ放送ニュースで伝えていた。)

この横浜での会議にほぼ全部と言っていいアフリカの国々の各政府が真剣に祖国の実情を訴え、真剣に祖国の発展と将来のために来日、参加したことをわたしは信じたい。

アフリカの国々で中国が官民共に援助と商売を繰り広げていることが日本のメディアで大きく取り上げられ、天然資源採掘権狙いの援助だと非難されているのは知っている。
では、欧米諸国のアフリカでの動向は伝えられているだろうか。
アフリカの旧宗主国でありアフリカを知り尽くしているヨーロッパ諸国、そして地球のリーダーとでも言わんばかりのアメリカの影が、キンシャサに住んでいてちらちらと見え隠れする時がある。
アフリカ国家にもアフリカ住民にも疎い日本人は、これからいろいろな試練が待ち受けていそうだ。

でも!と思う。
アフリカの治安の悪さ、気候、文化や思考の大幅な相違ばかりが強調され、日本人はアフリカに対して慎重になりすぎたようにも思う。
アフリカへの政府支援も大切だが、「民間部門の進出は、アフリカの成長の原動力として必要不可欠だ」(安倍首相)の言葉を、キンシャサ生活で日々実感している。


RDC(コンゴ民主共和国)に限って見ていくことにする。

RDC(コンゴ民主共和国)は、豊富な地下資源を有するばかりに欧米諸国から狙われ、東部では内戦状態が現在も続いている。
豊富な地下資源を有する国の悲劇だ。
RDCに豊富に横たわる天然資源として、ダイヤモンド、銅、コバルト、レアメタル各種、金、石油、亜鉛などが挙げられる。
(余談だが、アメリカが広島や長崎?に投下した原子爆弾の材料(ウラン)は、RDC産のものだということはよく知られていることだ。)


2011年の一人当たりGDP(国内総生産)世界ランキングでは、他のアフリカ諸国を抑えてRDCが186位で最下位だった。
モブツ政権時代(1965年11月~1997年5月)に、かれの悪政で国は行き詰まり、1990年代に起こった”Pillage(略奪)”で国民の生活は崩壊、モラルのかけらも無くし、キンシャサの在外公館もキンシャサの外国人もすべて国外退去する。

そんな時代から20年。
東部の戦闘状態は相変わらずだが、この国の経済は外面だけでも(?)、上向きなようだ。
2013年の経済成長率(GDPの前年比)を見ると、RDCは世界第5位、8.8%となっている。
ちなみに1位から5位までここ数年の間に内乱で国政が乱れた国で占められている。
「崩壊→秩序へ」をたどる国が高い経済成長率を示すのは理解できることだ。
RDCも東部のことを除外して考えると、国政修復中だと言えそうだ。

この国が抱える問題点のひとつに、国土が広大すぎて都市間が陸路で結ばれていない!、ということが挙げられる。
(国土面積235万k㎡。日本の6.3倍!)
(人口6600万人。日本の人口の半分ちょっと!)

熱帯雨林を蛇行して走る大河、コンゴ河は、全長約4370kmでナイル川に次いでアフリカ第2位。世界第5位。また、流域面積約369万k㎡。アマゾン川に次いで世界第2位。
そんなコンゴ河も、キンシャサから上流のキサンガニ間1600kmのみ航行可能だが、その間の定期航路は存在しない。
怪しげな海路か、これまた墜落事故も珍しくない空路に頼るしかない、という国内道路未整備の実情。
(コンゴ河を利用した輸出入品運送について記すと、キンシャサから下流に滝があり、コンゴ河口からキンシャサまでのダイレクト航行は不可能。下流のマタディ~ボマ~河口までは航行可能なので、船で運ばれて来た荷物は大西洋からコンゴ河を上り、マタディで陸揚げされ、そこからキンシャサまでトラック輸送されている。)


また、電気、水道などの生活インフラも整っていない。
そして文化の違いなのか、金銭感覚、時間感覚、衛生感覚のルーズさに驚き、自己弁護の雄弁さ、巧みな詭弁にはただ呆然とするばかりだ。
長い間、植民地の住民としてヨーロッパ人たちから虐げられてきた経験、モブツ時代に藁をも摑んで懸命に生き延びてきたしたたかさなどに由来する人格形成なのか。人間関係にも辟易することだろう。


そんな国情ではあるが、民間部門の進出はRDCでの日本の位置づけに重要なポイントになるはずだ。
1990年代のPillage以来キンシャサに戻っていないのは日本の企業だけではないか。

欧米の企業や商売の進出はいわずもがな、中国もいわずもがな。
そんな中で韓国人のたくましさ、民間部門での活躍ぶりには目を見張る。

キンシャサの街中を走行する自動車は圧倒的に日本車が多い。
しかし、家電製品のほうは、まず日本製品を見かけない。空港などの公共機関に設置されるテレビやエアコンは、韓国製品だと思って間違いない。携帯電話機器も韓国製品ばかりで圧巻だ。
最近、フランスの携帯会社Orangeがキンシャサに進出してきて、大々的に店舗を展開している。
自宅に固定電話を持たないキンシャサの人々には、携帯電話は必需品。
そんな中で、日本製の携帯電話は全く出回っていない!


 日本政府の無償援助プロジェクトも首都のキンシャサだけではあるが、3年前くらいから徐々に再開され、現在、市内道路、浄水場整備、保健衛生プロジェクトの建物とソフト面、人材育成センターの建物とソフト面でのプロジェクトが進行中だ。
今回の会議で、日本政府はアフリカ支援への相当額の資金援助を明言している。


キンシャサが活気付いているという証拠として。
冒頭の写真のビルは、6月30日通りに建つ数棟の近代的ビルの一つだ。
私たちがキンシャサに来た2012年1月1日時点でほぼ完成していたが、1階部分の店舗はずっとシャッターが降りたままだった。
6月30日通りから入り込んだ側面にレバノン人経営のクリーニング店が入り、角のところにパンとケーキの店兼カフェが入ったのが昨年10月くらいだったか。
そして、コンゴ庶民のパン工場Victoire直営の喫茶店が入店し、昨年のクリスマスは電気事情で暗闇のクリスマス街灯の中をこの界隈がひときわ明るかったことを思い出す。

クラウンビル 6月30日通り沿いのカフェ2店




今年に入って、側面の店舗にフランス?からの紳士服の店が入り、そして、先月末、スペインのユニクロ的存在のZARAが市内外れの冴えない店舗から引っ越してきた。
1年半かかって全てのテナントが揃ったのだった。


華やぐクラウンビルのテナント
キンシャサのコンゴの人々皆が、ここの店を利用しているかといえば決してそのようには思えないし、6月30日通りにはストリートチルドレンを見かけるが、少しずつ、少しずつこの国が、そしてアフリカの他の国々も平和を基底に経済が上向くことを願っている。

アフリカ支援の鉄則。
アフリカ自身の意志を反映する”オーナーシップ”と、国際社会の”パートナーシップ”。

アフリカ自身の取り組みを、サポートする日本であってほしいし、アフリカ自身にもしっかり責任を持って国づくり(平和、安定、公正)を進めてほしい。
将来の国づくりを担う子どもたちにバトンタッチする、あなたち自身の国、なのだから。

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