2012年5月8日火曜日

コンゴで話される言語

これはキンシャサ中心部、Avenue du Commerce(フランス語で商店通りとか、商人通りの意味)にある、”サンポール書店”の店内だ。カトリック団体の経営で独自の出版物を取り扱っている。日本では、”女子パウロ会出版”で知られている。

わたしは、この書店で、「Republique Democratique du CONGO」、「Atlas du Jubile d'OR de la RD CONGO」、「Un Croco a Luozi」を買ったことがある。コンゴの歴史の本、コンゴ独立50周年(?)の地図帳、そして漫画形式で描かれたコンゴの昔話。どの本にも”Imprimerie MEDIASPAUL Kinshasa”  ”Imprime en RDC”(印刷所・メディアポール キンシャサ、コンゴ民主共和国で印刷)と記され、フランス語で書かれている。

わたしが今住んでいる国、コンゴ民主共和国は、1885年、ベルギー国王・レオポルド2世が個人で領有するコンゴ自由国となり、1908年にベルギー国の植民地となる。ベルギー支配は1960年6月30日に独立するまで続く。(隣国のコンゴ共和国は旧フランス領。)
そんなわけで、コンゴ民主共和国の公用語はフランス語、と明記されている。フランス語といっても、話されているのはベルギー人の言い回しの、アフリカ訛りのフランス語だけれど。

しかし、キンシャサの現地人同士の会話は、リンガラ語だ。怒鳴りあっているような、けたたましい言い合いのように聴こえるリンガラ語。ビールやコーラのラベルにも、アルファベット表記のリンガラ語が書かれている。

我が家の家政婦、フロランスは、フランス語はコンゴ民主共和国の”Langue officielle”(公用語)であり、リンガラ語、スワヒリ語、チルバ語、キコンゴ語の4言語は"Langue nationale"(国家語)だ、という言い方をする。

リンガラ語はキンシャサと、赤道州で話され、スワヒリ語はコンゴの東半分、5州で話される。チルバ語は中央の2州、キコンゴ語が南部の2州の言語だ。

彼女の話によると、子どもたちの学校では、どの教科もフランス語で授業を受け、フランス語を国語のように学習するそうだ。
英語の学習は12,3歳から始まるというから、日本と同じだ。
キンシャサの流通言語はリンガラ語だが、学校ではリンガラ語は学習しないそうだ。彼女の言い分では、リンガラ語は独自の文字を持たずアルファベット表記であり、文法も簡単なので学校で習う必要は無いのだそうだ。学校では、フランス語だけが飛び交うことになる。しかし、子供同士の会話になるとリンガラ語になるとは興味深い話だ。

フロランスはバコンゴの出身だからキコンゴ語が彼女の母語。夫もバコンゴ出身だが、夫婦の会話はリンガラ語だという。理由はキンシャサに住んでいるから。ところが、子どもたちとの会話はフランス語にしているそうだ。日常でもフランス語で話していると、子どもたちがフランス語授業に入りやすいから、というのが彼女の言い分だ。

またフロランスの説明では、郡部のほうの学校では、仏語での授業の比重が軽くなり、現地語での授業が増えてくるようだとも言っている。

キンシャサに住むコンゴ人でも皆が流暢なフランス語を話すわけではないようだ。会話、読み書きなどフランス語の学校教育をしっかり受けてきた人とそうでない人の差だろう。
中央アフリカのバンギにいた頃に受けた印象では、植民地時代にしっかりしたフランス語の学校教育を受けた年配の人のほうがはるかにしっかりした読み書き能力を備えていたように記憶している。

フロランスは現在45歳。独立後に生まれてはいるが、コンゴ動乱の前に初等、中等教育は終わっている。彼女はキコンゴ語、リンガラ語、フランス語を話す。フランス語に関しては読み書きも一応できる。そんな彼女の思考言語は面白いことにリンガラ語なのだそうだ。

さて、1992年から1995年まで滞在した中央アフリカ共和国(旧フランス領)の首都バンギでは、英語は全く通じなかった。外国人子弟のための学校もフレンチスクールのみだった。

現在のキンシャサでは、結構、英語も通じる。フレンチスクールもあればアメリカンスクールもある。日本大使館の子どもたちは皆さんアメリカンスクールに行かれている。

キンシャサに存在する、もっとも大きな女性の会は、”International Women's Club” と、”Kin Accueil”
があり、前者は英語圏女性の会、後者は仏語圏女性の会の集まりだと言える。わたしは、前者に入会しているが、月1回のアメリカ大使公邸でのモーニング・カフェの集まりが象徴するように、英語が第1言語の会だ。といっても、仏語しか理解しないメンバーのために、必ずミーティング時とメイル案内では仏語訳も入る。後者はベルギー大使館参事官夫人が中心の活動らしいが、現在、参事官夫人が不在だと聞く。わたしの印象では、現在、前者のIWCのほうが活況があるように思う。

家政婦のフロランスは、大学出の夫が英語ができないことを残念がっている。彼に英語能力があれば職業選択も有利なのにと。英語はフランス語の次に(!)大切だと言って憚らない彼女は、子どもたちの英語教育を重視している。
英語の比重が重くなっているのは世界じゅうの傾向なのかもしれない。

アフリカ大陸はヨーロッパ列強の陣取り合戦で勝手に分割され植民地にされていった。その時の単位のまま独立し、国家となった国々。宗教や言語の異なる部族が同じ国民となり、旧宗主国の言語を公用語とする国が多く存在する。
去年、スーダンが南北に分かれたが、マリ共和国もそれに続くのか。これから、国家の分割が進み、”本来の単位”になってゆくのかもしれない。

途上国支援で教育の重要性が説かれる中、根本の国語教育はどのように考えられてゆくのだろう。

4 件のコメント:

  1. 興味深いお話ですね。
    単一言語の日本からすると
    とても複雑な事情だなぁという印象を持ちます。

    フランス語も英語も話せる人が増えると
    コミュニケーションはとりやすくなるのでしょうけれど
    リンガラ語のようなその土地独特の言語が
    これからもきちんと残っていきますように。

    世界的に、大多数の流れだけが尊重されるという傾向に
    圧されてしまわないように…どの国・地方の言葉も、文化も…
    と、そんなふうに感じます。

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  2. 言語の裏側には、政治、経済、文化、民族問題がありますよね。とくに、他民族国家だとそうですよね。参考になります。ありがとうございました。

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  3. 学校で母語(キンシャサであればリンガラ、バコンゴであればキコンゴ)を
    どのように教えているのかというのは気になっています。
    母語が学校でしっかり教えられていないとしたら、母語の習得よりもフランス語
    が優先されているのではないだろうかと心配(?)してもいます。
    この件は「キンシャサの若者たち」にも聞いてみましょう。

    清水

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  4. コメントをありがとうございます。
    今、わたしは「モブツ・セセ・セコ物語」を読んでいますが、この国は資源が豊富なばかりに水面下で欧米中国に操られて、なんという不幸な国なんだろう、と痛感します。この本の中にも、フランス語に苦悩する米国側・・、というくだりが出てきますが、”統治”の面で言語は重要なポイントなのでしょう。途上国の公用語、って一体何なのでしょうね。英語が台頭してきているのもその辺の事情が絡んでるのか、と勘ぐりたくなります。

    また、文字を持たない言語の弱み、みたいなものも感じます。
    ぜひ、「若者」に聞いてみましょう。今日、若者の1人がマラリアでダウンしたそうで心配しています。

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