2012年4月11日水曜日

Lola ya bonobo ~ le paradis des bonobos

    Claudine Andre 監修  ”Le Paradis des BONOBOS ”(Seuil jeunesse 刊)より

これは、クロディーヌさんというフランス人女性と、彼女が主催するボノボのサンクチュアリ、”Lola ya bonobo"(ボノボの楽園)に保護されているボノボたちの写真だ。
"Lola ya bonobo"は、リンガラ語。フランス語では、”Le Paradis des BONOBOS”。「ボノボの楽園」という意味だ。
クロディーヌさんは、AAC(les Amis de Animaux au Congo)というNGO組織を設立。最初はキンシャサのアメリカンスクールの敷地内で、後に、キンシャサから南東60kmの森林を購入して、ボノボのためのサンクチュアリを整えて保護活動をしている。移動した時にAAC(コンゴの動物の友だち)から、ABC(コンゴのボノボの友だち)に改名したそうだ。

車で1時間ほどのキンシャサ郊外にある”Lola ya bonobo”(ボノボの楽園)に、先月最後の土曜日、日本からの青年と夫とわたしの3人は訪れた。

いろいろと調べていたら、クロディーヌさん主宰のボノボサンクチュアリに日本からも援助がいっていることを知った。京都大学霊長類研究所の古市剛史教授の「ビーリア(ボノボ)保護支援会」が募金を募って一部をボノボサンクチュアリに送金しているのだ。
古市教授のグループは、1974年にボノボが発見されて以来、赤道州ワンバ村にボノボの調査に入っていたが、1991年以来コンゴの内戦状態が続き、1996年から調査を中断。ボノボの絶滅を危惧し、どうにか保護支援できないものかという熱い思いが、クロディーヌさんたちのサンクチュアリ支援に結び付いたのだ。
赤道州は、わたしたちが1992年から3年間滞在した中央アフリカ共和国とウバンギ川を挟んで隣接するところで、治安のもっとも悪いところの一つだ。そこのワンバ村では、”ボノボ”ではなくて、”ビーリア”と呼んでいるそうだ。
「人とビーリアはもともとは森に住む同じ家族の兄と弟だった。」という言い伝えがあり、古市教授グループはその考えを尊重し、人間とボノボが共存する形態をとる、”ルオー学術保護区”を作ったのだそうだ。治安の悪化で村民の生活は脅かされ、そうなると共存も困難になり(アフリカでは猿も食肉だ。)、1970年代には10万人いたと推定されるボノボは、現在では1万人を割っているかもしれないと考えられているそうだ。(ヒトにもっとも近い類人猿ボノボを1人,2人と数えるのもおもしろい!)

さて、クロディーヌさんたちは、ボノボ保護のためにサンクチュアリを運営しているだけではない。
サンクチュアリに見学者を集めて啓蒙教育をする、ラジオ放送でボノボを失うことが将来的にコンゴにとって大きな損失になることを訴える、密猟されたボノボをコンゴ政府許可の下に強制的に没収して、ボノボを捕獲して首都へ持ってきてもお金にならないことをPRする、ボノボの運搬ルート、コンゴ河に検問所を設置する、などの活動も平行して行っているそうだ。
だからこそ、古市教授はボノボの救援活動を続けるクロディーヌさんの活動を支援することで、現地に入り込めずにいるジレンマとどうにか折り合っているように感じた。
ビーリア(ボノボ)保護支援会のHPは、http://homepage3.nifty.com/bonobo/

”Lola ya bonobo "の入園料は1人5ドル。コンゴの人たちには高額な入場料だ。しかし、これがボノボサンクチュアリの維持運営に充てられるなら、外国人向け入場料はもう少し高く設定してもいいようにも思う。
ボノボは、涼気を求めてしばしば河川や沼地の近くに住み、木々の中でとても身軽で枝から枝へよじ登ったり飛んだりする、果物、葉、茎が好みで、花、木の実、草、幼虫、羽蟻も食べるが狩りはしない・・・といったことを「le Paradis des BONOBOS」の本で知っていたが、ここはまさにそんな環境だった。
水辺のとこで、母親にしがみつく赤ちゃんボノボ。そばに座っているのは父親かな。2人はとても仲睦まじく子育てをしているふうだった。母ボノボはもっとバナナちょうだい!と飼育員にせがんでいるところだ。

サンクチュアリの森の中を進んでいくと、ちょうど午前中の餌を与える時間と重なったらしく、果物を求めてボノボの群れが集まって来ていた。ボノボの顔は黒くて、唇はピンクだ。赤ちゃんのボノボの後ろ姿なんてヒトの赤ちゃんと変わらない!


こちらは、なんと怠惰なボノボさん!と思っていたら、お腹まん丸の妊婦さんだった。ゴロンと浮かない表情の妊婦だけど、なぜだか足の長い親指と人差し指で何かの棒きれを捕まえている。彼女にとっての和みのつっかえ棒なのかな。

この長い親指の存在が身軽に木々の間を移動することを可能にしているそうだ。

ボノボの親子。真ん中で無心にサトウキビかなんかを食べる赤ちゃんボノボの可愛らしさったらなかった!(豆粒みたいな赤ちゃんボノボだから、よく観てください。)






あらあら、こちらの母親ボノボは寝そべって子育てのようだ。それでも母親と一緒にいる子どもは幸せだろうな。母親のお尻のコブが哀れだった。






スーッとカメラを引くと、左隣にさっきの妊婦さんが。ちょこっとカメラ目線を送ったものの、相変わらず足に棒切れをしっかり挟んでいる。
キンシャサ動物園の日の当たらない檻の中で暮らす、”オヤジボノボ”のゴロン!と寝転がるやるせない姿を思い出してしまった。あのおじさんもせめて、このサンクチュアリに来られたらいいのに、と思う。


ボノボは1928年に初めて存在が確認され、1980年代までは「ピグミーチンパンジー」という表記が一般的だったそうだ。ボノボはチンパンジーの単なる変形だと考えられたらしい。しかしチンパンジーとボノボは別種であり、その呼び名ではチンパンジーと紛らわしいということで、1990年代から、「ボノボ」、「ビーリア」という表記が定着してきたそうだ。

「ボノボ」とは、アフリカの古い言葉で”祖先、長老”を意味するともクロディーヌさんの本にあった。


チンパンジーはアフリカの約20カ国に、ゴリラは約10カ国に生息するが、ボノボはコンゴ民主共和国にしか棲まず、他の類人猿より生息域が極端に狭い。

サンクチュアリの職員によると、生息域は、Bandundu(上の地図の表記は間違いで”B ”で始まる。),Kasai Occidental,Kasai Oriental,Equateur(赤道州)の4州のみだとのこと。

ボノボは、チンパンジーより細くてすっきりした体型で、地面では4本足でこぶしの上で支えながら動き回るが、ボノボはまた後ろ足でとても上手に立って歩くので、立ち姿や寝そべった姿が本当にヒトに近いことを感じさせる。

チンパンジーは図太く攻撃的であるのに対し、ボノボは繊細で平和的だとも言われる。

「ボノボの社会は争いがないのではない。争いが激化しないのだ。」という一文を、長崎大学環境科学部大学院水産・環境科学総合研究科の戸田清教授のHPで見つけた。戸田教授のHPも興味深い。わたしの母校にもこんな研究者がいるのだとうれしくなった。


また、”Bonobo Conservation Initiative"のHP, http://www.bonobo.org/ も興味深いサイトだ。

残念ながら、京都大学のボノボHPにアクセスしたが、繋がらなかった。


母親が密猟者に連れ去られたり、食肉用として売られたり、ペットとして売られていた小さなボノボが”Lola ya bonobo”に引き取られて養育される施設がサンクチュアリ内にあった。すべて小さなボノボたちばかりだ。

数人のボノボたちは取り付けられた遊具で仲良く、あるいはけんかしたりして遊んでいたが、母親役のふたりのコンゴ人女性が椅子に腰掛け、彼女たちのお腹にくっついて離れずにいるボノボが2,3人いた。1人は母親を目前で殺されて間もないボノボの子だと聞いた。養育員のお腹の上でじっとうつぶせにへばりくっついている。その昔、我が息子もよくこんな風にわたしのお腹の上で安心したように寝ていたなあ、と懐かしく思い出したりする。

と突然、もう1人の養育員の女性に叱られて、ギャアギャアとわめいている子の声が響き渡った。

ようやく環境に慣れてきて養育員の膝から抜け出して水浴びをして、濡れたまま養育員の膝に載って抱きついてきたらしい。養育員女性が叱ったら、キイキイギャアギャアと騒ぎ出したということだった。

なんだか、母親に叱られて、泣きながらごめんなさーい、ごめんなさーい、と全身で謝っているようで、心底、人間の子と同じ感情をしているのだなあと抱きしめてやりたくなった。

こんなに養育員にしがみついて離れないボノボの子も、その状態をしっかり受け止めてやっていると、しばらくすると仲間とコミュニケーションを取り始めるのだそうだ。本当に繊細なボノボたちだ。

そして、ボノボ社会が母親社会だということもうなずける。

「ボノボの共同体の中に、本当に”長”はいない。しかし、大人女性の結びつきはとても固く尊敬され、大多数の決議を取り、食物を割り当て、男の攻撃を回避する。」という箇所をみつけたとき、母親社会の集団で育つボノボたちの平和的な様子を思い出し、合点がいく思いだった。



このサンクチュアリに保護されて養育されているボノボたちが、いつかは赤道州やその周辺の生まれ故郷の森に帰れますように。


ボノボは小さく生まれて、ゆっくりと成長する。大人の身長は90cmから110cmほど(もっと背が高いボノボもいるように感じたが・・)で、自然の状態で50歳まで生きられるそうだ。人間と同じような病気に罹り、人間と同じ薬で病気が治るのだとサンクチュアリの職員が話していた。

また、ボノボたちは現地語のほかに仏語、英語、中国語(??)も理解するのだとも言っていた。

この本にはたくさんのボノボたちの写真が掲載されている。そして、ボノボの生物学的位置づけや生態について解説され、”Lola ya bonobo"の活動と役割について分かり易いイラストで説明されている。そして、最後は彼女たちの希望で締めくくられている。






今回のサンクチュアリ訪問ではクロディーヌさんには出会えなかった。きっとボノボのために講演会で世界中を飛び回っているのだろう。

広大な敷地を管理し、ボノボのサンクチュアリを運営してゆくのは多くの困難を伴うだろうと簡単に想像がつく。

コンゴ民主共和国は森林と天然資源の豊かな大きな国だ。周囲は9カ国の国々に囲まれている。地方に続く国内道路は整備されていなくて、河川交通に頼るしかない地方もあるそうだし、民間飛行機会社の国内線は整備されているとは言えない状況にあるようだ。国連職員は国連機で地方出張しているし、キンシャサから行くよりも隣国経由で再入国するほうが簡単に行けるという地方もあるらしい。東部では天然資源の採掘権問題で内戦が絶えないとも聞く。

今、キンシャサ市内は一見平穏だ。市内には、大型スーパー、アパート(外国人向けの)、ホテル、レストランがあちこちで完成している。しかし、その平和が本物かどうかは疑わしい。この国全体に本当の平和が訪れることこそがいちばん望まれることだ。

京都大学のボノボ調査隊員たちは、ワンバ村のボノボたちと再会できたのだろうか。在コンゴ邦人の緊急連絡網に「京大ボノボ調査隊」の名前が載っている。早期に調査が再開されますように。

いろんな援助や保護の手がこの国全域に伸びていってほしい。

それまで、ボノボたち、がんばれ!!

4 件のコメント:

  1. ホント、子どものボノボ、後ろ姿はヒトとよく似てますねぇ。

    「豆粒みたいな赤ちゃんボノボ」というhiroさんの表現も微笑ましく、手元を一生懸命見ているその首の傾け方なんか、人間の子どもとおんなじだなあと感心しました。

    思わず手元に引き寄せたくなります。

    ボノボは一人、二人と数えるのですね!
    ブログを途中から読むと、誰か人間のお話かと思っちゃいますね。

    ボノボというひとつの種を保護しようと、こんなに一生懸命になっている人たちがいることにも感動を覚えました。

    そのことを伝えようと、思いを込めてこうして綴るhiroさんにもとても魅力を感じます。

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  2. someiyoshinoさん、嬉しいコメントをありがとう!!
    ボノボの子を1人連れて帰りたいくらいでした。
    Acadex小学校を訪れた時も、あまりに一生懸命にお遊戯して歓待してくれた子どもたちを1人連れて帰りたい!と思いました。
    ボノボの研究者にお会いしてみたいな。きっと、人間味あふれる方たちなんでしょう。
    いつも、ありがと!!

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  3. hiroさん>キンシャサ在住でいらっしゃいますか?何かご縁があるやも知れません。古市先生にこのブログを読んでくださるようにお伝えしますね。

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    1. うれしいコメントをくださり、ありがとうございます。
      わたしは、今年1月1日に、日本の無償援助プロジェクトのコンサルタント業務をする夫とともにキンシャサにやってきました。

      いつか、古市先生はじめ、ボノボ研究班の方々にキンシャサでお会いできる日が来ることを楽しみにしています。

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