3月30日に日本の若者3人とKimbondoの「Acadex 小学校」を訪れ、授業に参加した。
Kimbondoは、キンシャサの郊外。中心地から東に車で2時間ほど行ったところにある。途中で2,3の町を通り抜け、徐々に坂道を上がってゆくと、展望が開けてキンシャサ市内を見渡せ気持ちの良い道が続くが、幹線道路から右折した途端に悪路となり、途中で道路が10mも陥没していて迂回路を模索しながら、村の人々に尋ねながらの道中であった。村の人々は皆、”Acadex小学校”を知っていて、最後は小さな子どもが1人代表して、助手席の日本人学生の膝に載って道案内をしてくれた。
そして、とうとうたどり着いたのが、ここ、Acadex小学校の敷地に完成した2棟の校舎と1棟の建設中の校舎であった。
ここで、休暇を利用して帰省中の、Kimbondo出身のサイモン先生(慶応大学講師)が私たちを出迎えてくれた。そして、わたしたちが校庭に入ってくるのを待って、Acadex小学校のかわいい生徒達がぞろぞろと校舎から出てきて2列に並んで、歓迎セレモニーを開いてくれた。
皆、制服を着ている。授業中に身につけるエプロンもかわいらしい。このエプロンは、サイモン先生の日本人の奥さんが幼稚園の先生をされていて、その助言でデザインを決めたのだそうだ。ボタンがなくて、肩から紐が落ちないように工夫されたシンプルなエプロンだ。
生徒たちの間に立つ先生方も見える。
いくつかの歌がお遊戯付きで披露され、一生懸命なおもてなしがかわいらしくて、涙が出た。
そして、生徒たちと共に教室内に入り、授業に参加させてもらった。
そして、生徒たちと共に教室内に入り、授業に参加させてもらった。
今日は、日本からのお客様のために特別なプログラムが組まれているようで、全員が白い校舎に入った。一つの校舎に一つの教室だ。
左の緑のシャツの女性教師は、息子ばかり7人の母親だそうで、家でも学校でも叫びまくっていると話す愉快な先生だ。
白、赤、黄色、青、紫。5色の椅子は、学年別なのだろうか。2008年夏から校舎の建設が始まり、今夏で5年目。ということは、毎秋、新入生を向かえていって現在、4学年の生徒がいるのかな、と考えたりしてみる。
わたしたちは一人一人自己紹介をした。学生達はリンガラ語で、1週間の予定で滞在中の洋一くんとわたしは簡単なフランス語で話す。
学生の1人が、今日はサッカーボールを持ってきているから皆でサッカーをしましょう、と言うと歓声が上がる。どの子達も目が生き生きと輝いている。
その後サイモン先生が、わたしたちの自己紹介の内容を生徒たちに質問してゆく。
どの生徒も真剣に聞いているからすぐ答えられる。
「ヨウイチ」ってさあ、どんなつづりかな?書ける子いるかな?
日本人の名前は生徒たちの耳には奇異な発音に聴こえるのだろう。それでも数名の手が挙がる。
どの子にもやはり難しいらしい。ようやく3人目の子が、チョークで「Youyiti」と筆記体で書いた。
こちらでは、「イ」の音を”yi ”と表すようだ。
わたしの名前はフランス語では発音されない”h ”と、巻き舌で発音される”r ”が入るから、チョークで「Hiroko」と板書した。サイモン先生が、あなたの名前はどういう意味があるのですか?、と訊かれたので、「大きな心を持つ子」という意味です、と説明すると、黒板いっぱいに大きなハートマークを描いてくださった。
生徒の1人が「ようこそわたしたちの学校へお越し下さいました。」と前に出て挨拶をする。
生徒の1人が「ようこそわたしたちの学校へお越し下さいました。」と前に出て挨拶をする。
そして、なんと日本語で、♪大きなくりの木の下で♪をかわいい振り付けと共に大きな声で披露してくれた。毎夏訪れる、日本からの教育学科の学生たちの指導なのかな。
終礼を校庭で行い、放課となる。
と同時に、慶応の学生の審判の下で、男子全員と少数の女子が2組に分かれてサッカーの試合が始まる。
ゴールは、竹3本を組んで作られたもの。
真剣でリズムのある試合展開は、アフリカの人々の身体能力を垣間見る思いだ。
裸足になってやっぱり真剣に遊んでいる。
どの子も髪をきれいに編みこんでいる。あなたの髪はお母さんが編みこんでくれるの?と訊くと、どの子もそうだよとにこにこと答える。
ひとしきり校庭や校舎で遊んで、お腹が空くころに生徒たちは三々五々下校していった。
ひとしきり校庭や校舎で遊んで、お腹が空くころに生徒たちは三々五々下校していった。
Acadex小学校の生徒は現在108人にまで増えたのだそうだ。公立小学校よりも少し安い授業料設定にしているらしく、生徒数が増えると、サイモン先生のポケットマネーから出る負担金が軽減されてゆくのかな、とも思う。
サイモン先生が確保した敷地は広い。ここに、6棟の校舎を建設するのだという。
建設中の3棟目の校舎は仕切りがあって、一角に図書館を作りたいと考えているのだそうだ。
太陽光利用で照明を完備し、生徒たちだけでなく、夜も村の人々のために開館したいのだとサイモン先生は希望を語っていた。
Kimbondoはまだ、水道も電気も通っていない。黄色いポリバケツを頭に載せて共同水汲み場から水を運ぶ女性や子どもたちを見かけた。電気も今のところ太陽光発電に頼るしかない。
サッカーボールを学校に置いておくと、盗まれて明日の朝には対岸のブラザビルの市場に並んでいることでしょう、とサイモン先生は明るく冗談を言われた。
Acadex小学校には数名の先生がいるが、音楽の先生がいないのだという。ここの先生が教えるアフリカ音楽ではない音楽教育を生徒たちに授けたいとサイモン先生は熱心に語っていた。
ここには、楽器といえばピアニカが数台あるだけなのです、音楽教育はこれからのことです、とも話された。
今夏も日本から、建築系の学生と、教育系の学生がこのAcadex小学校にやってくるのだろう。
小学校校庭からすぐ近くに、大工のお父さんが建てた、サイモン先生のご自宅があり、そこに学生たちは滞在するのだそうだ。
そしてまたそのすぐ近くに、フランスのボルドーで心臓外科医をされるお兄さんの家族のための家も建設中だった。こちらも大工のお父さんが手がけているそうだ。
近所の人たちは、サイモン先生のお宅を"La maison japonaise"、そしてお兄さんのお宅を"La maison francaise"と呼んでいると聞いた。お兄さんのお宅の完成済みの一部にご両親がすでに住まわれていて案内していただいき、運良くご両親にお会いすることができた。
肌の色が違うだけで、日本の仕事一途な大工の棟梁と、夫を盛り立てるしっかり者のおかみさん、といった風情のご両親だった。
サイモン先生の私財で敷地を購入し、慶応大学環境情報学部の建築の先生(芸大建築家出身だそうだ)の指導で建築学科の学生が毎年訪れて校舎を建設し(サイモン先生の大工のお父さんも参加している。)、教育学科の学生が授業をサポートし、サイモン先生が経営する小学校、「Acadex 小学校」。
サイモン先生はどういう意図で、ご自身の郷里に小学校を創設されようとしたのか。
サイモン先生ご自身、8人兄弟の6番目で、貧しい家庭でありながら、父親は大工をして、母親はパンを仕入れて売りながら、子どもたちを全員学校に通わせたのだという。サイモン先生は、心からそんなご両親を大切に思い、とても尊敬していらっしゃる。そんなところに、Acadex小学校創設の真意が見え隠れしているように思われる。
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