2012年3月12日月曜日
キンシャサの1周年祭
昨日11日、朝6:15。衛星テレビ放送”フランス24”をつけると、東日本大震災慰霊祭の模様を中継していた。野田首相のスピーチに続き天皇皇后夫妻の姿が映し出された。退院間もない天皇のスピーチを聞き、わたしも黙祷した。一年前、渋谷のホテルロビーに避難したわたしがテレビ画面で初めて津波映像を観た時の大きな衝撃を思い返しながら・・・。
さかのぼって、キンシャサの街が国際女性デーで賑わった3月8日の夕方6時から、グランドホテル近くにある日本大使公邸で、”東日本大震災・1周年祭”が開催された。
世界じゅうの各日本大使館で3月11日前後に、大震災の犠牲者の慰霊と復興のPR、そして感謝の意を込めて開催されたのだそうだ。
日本大使館から招待状を受け取っていたわたし達夫婦が6時ちょうどに到着すると、大使公邸前にはすでにたくさんの車が停まり、続々と招待客が入っていっていた。
セキュリティーチェックを終え、大使夫妻、大使館員の出迎えを受ける。大使夫人は深い紫色の絽の着物姿で招待客を迎えている。やはり民族衣装はこういう場にふさわしいなと、ちょっと誇らしげに思う。
IWC(インターナショナル・ウイメンズ・クラブ)の代表二人と、並ぶ列で前後し挨拶を交わす。IWCだけではなくキンシャサの女性グループや、コンゴの色々な団体からも日本へ義援金が送られたそうだ。
公邸の庭に向かうスペースの両サイドには被災地から届いた児童が描いた絵が説明書きと共に展示され、足を止めて見入る招待客の姿もあり、徐々に慰霊祭の雰囲気になっていく。
パイヨット軒下にはシックな色合いの折り鶴のオーナメントが吊るされている。
その丸窓のところには横に切った竹を花器にして、落ち着いた色合いの小さな花が活けられたり、そこここに慰霊の心づくしが感じられる。
庭はもうすでに先客で賑わっていた。
間もなく、庭じゅうに響くアナウンスがあり、庭の一番奥に設けられたひな壇にライトが当たりコンゴ民主共和国と日本の二つの国旗が飾られる壇上に日本大使が現われた。二国の国歌が流れた後、黙祷。そして大使のスピーチが始まった。
わたしはほとんどフランス語を聞き取れなかったが、現在の被災地の復興状況、日本の食品の安全性、そして被災地への支援、義援金等の感謝が述べられたのだという。
夫のプロジェクトに関わるこの国の大臣や職員、キンシャサ市長に挨拶して回る。
アフガンの地雷撤去プログラム勤務の後コンゴに来たというアメリカ人男性と夫が話し込んでいる。
そして、国費留学生として20数年前に日本に滞在したという二組のコンゴ人家族を紹介された。一組は夫が医者だというコンゴ人夫妻とお嬢さんと息子さん。夫妻は日本語が驚くほど堪能だった。もうすっかり日本人の雰囲気だ。お子さん二人とも日本生まれなのだそうだ。
もう一組は、夫がタンガニーカ湖の賢魚(!)を研究する生物学の大学教授で、奥さんは何と日本の方だった!いく子さんとおっしゃるとっても控えめな女性は愉快なご主人と4人のお嬢さんと出席されていた。お嬢さんたちも立ち居振る舞いが日本的だ。
お二人は、ご主人が京都大学留学中に結婚。長女は日本で生まれ、次女以下3人はコンゴ生まれなのだそうだ。政情不安定で在外公館も外国人も一斉に引き揚げた時もこの国で暮らし、さぞ大変だったことでしょうと訊くと、「大変でした。」と一言。三人のお嬢さんの出産の時は、ンガリエマ修道院で活動する中村寛子シスターが支えてくれましたと静かに話された。
また、キンシャサに長期滞在し日本の無償援助プロジェクトで働く日本人がこんなにいるのかと改めて思い知らされた。キンシャサの国連機関に勤務する日本人も数名いる。ゼミの一環でキンシャサ郊外の現地小学校建設NGOで滞在する慶応大学生3名と大阪大学の先生にも出会った。
招待客はもちろん皆、なんらかの形で東日本大震災を支えてくださった方たちばかりだろう。300名くらいはいたと思う。
わたしは残念ながら出会わなかったが、キンシャサのトルコ人学校の関係者も出席していたと聞いた。
ここのトルコ人学校の生徒も日本の被災者を支援してくれのだそうだ。公邸に飾られていた日本の被災地児童の絵は、この1周年祭の後、トルコ人学校に展示されて交流を持つのだと聞いた。
この1周年祭に来ていたIWCの代表二人はフランス人とオーストラリア人の女性。
海外に流れるニュースは日本国内のものよりはるかに詳しいと聞くから、きっとわたしたち日本人以上に被災状況を知っているのかもしれない。彼女達に日本への支援をありがとう、と伝えると、今まで日本が色々な国に支援をしてきているからこそ、今度のことでは日本に支援が集まったのは当然です、そしてあんなに大きな被害に遭いながら現在も途上国援助を続ける日本は素晴らしいと思います、と言っていた。
会場から帰る招待客に、福島の工芸品の小さなお土産が手渡された。
こけし、起き上がりこぼし、織物のコースターがコンゴに届いていて、どれか一つを選んでもらっていた。また、それが福島の工芸産業の復興にも繋がるのだなあと感じた。
わたし達は冒頭の写真の、会津の起き上がりこぼしの張子をいただいた。
アフリカで期せずして出会ったにこにこ笑顔の小法師に和む夜だった。
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キンシャサの東日本大震災慰霊祭ではたくさんの方と出会ったんだね。
返信削除フランスでも毎日のように東日本大震災に関する番組が放映されています。
色々なことが思い返されてなんだか複雑というか上手く言葉でいい表せない気持ち。
いただいた置物、かわいいね。