2012年12月31日月曜日

良いお年を!

コンゴ河に沈む夕日

いよいよ、2012年も暮れようとしている。
日本では、夜7時半くらい。
紅白歌合戦が始まる頃かな。NHKの番組”行く年来る年”で除夜の鐘を聴き、そして”年の始めもさだまさし”を楽しみにする大晦日を懐かしく思い出している。

昨年のちょうど今頃、友人の車に乗って成田空港に到着しようとする頃だった。
わたしたち夫婦は、いつもおんぶに抱っこで頼ってばかりの友人親子、さださんのNHKの生深夜番組のDVDを送ってくれる友人、妹一家、そして息子に見送られて昨年の大晦日の21:55発の便で成田から出国したのだった。


あれから丸っと一年が過ぎた。
2012年の暮れはキンシャサで過ごすのだ。

コンゴの人たちもすごく浮かれている。
何と言っても彼らには一年でいちばん重要な新年のお祭が迫っているのだ。

我が家の家政婦もうきうきしている。
今日は昼までで仕事も終わり。
彼女は、わたしたち夫婦が大好きなお茶、”ブルグツゥ”の乾燥葉をスーパーのビニル袋一杯に持ってきてくれた。
開けるとミントのような爽やかな香ばしい香りがする。
わたしからの新年のプレゼントです、と。
嬉しいプレゼントだった。
彼女の故郷、バコンゴに伝わる健康茶だと紹介してもらって以来、愛飲するお茶だ。

彼女一家も今夜は教会に行き、そこで皆で新年を迎えるのだそうだ。
運転手たちも今夜は仕事はなし。
教会で夜を明かし家族揃って新年を迎えることを楽しみにしていることが伝わってくる。

夫の事務所の運転手に訊いてみたことがある。
一年を通して、あなたたちのいちばん重要な祭ってなに?
彼がいちばんに挙げたのは、新年の祭だった。
重要なものから順番に3つ挙げてみて、と訊くと、

① 新年
② 6月30日(独立記念日)
③ ノエル(クリスマス)

かれはこの3つを言った。

我が家の家政婦も同意していた。
今夜、家族で教会で夜を明かし、新年は家族揃って子どもたちも一緒にご馳走で新年を祝うのだそうだ。
友だち一家と合流してパーティーを持つこともあるそうだ。
だから女性たちは大忙しなのよ、と楽しげだ。
こどもたちは、その日を楽しみにしているというのだ。


1994年の暮れのこと。バンギに家族で住んでいた年の暮れのことだ。
わたしたち一家は中央アフリカ共和国に長年住んで詳しいJICA専門家員に先導されて、日本の大使夫妻たちと共にバンギを2日がかりで北上し、チャド国境近くの川に棲息する何百頭もの”かば”を見に旅をしたことがあった。
一日目の夜は、国立公園とは名ばかりの地域の入り口付近に、以前ドイツの支援で動物保護のプロジェクトが入り込んでいて、その廃墟として残る宿舎に泊まった。
2日目は国立公園奥の”かば”が棲息する川近くのフランス人ファミリーが経営するロッジに泊まったのだった。
とても素晴らしいロッジだった。
ロッジを経営する若いフランス人オーナーが、「国立公園とは名ばかり、チャドからの密猟者が入り込み、動物が激減している、日本の支援を受けられないものか」、と真剣に大使に直談判していたことを思い出す。

そして帰り道に、ある村で大晦日の夜を迎えた。
日もとっぷり暮れて、わたしたち一行は道路に面した地元食堂のテラスで食事を取っていた。
その間、何組もの子どもたちが行列を作って歌を歌いながら練り歩いてくるのだ。
とっても楽しそうに、こんな歌を歌いながら。

♪ Bonne annee
 Bonne annee, Papa
 Tu es gentil.
 Donez- moi du pain ♪

”du pain” のところが、時に、”Donez-moi dix franc” に代わったりしながら練り歩き、新年おめでとう、とおねだりする歌を歌い、大人たちからお菓子やお金(多分)をもらっていた。

そのことを家政婦に話したら、初めて聴く歌だ、わたしたちは歌わない歌だと言っていたが。
それでも、子どもたちには、クリスマスと同じくらいに、待ちに待った楽しい新年の祭なのだと感じる。


この一年、夫婦元気にキンシャサで過ごすことができた。
街中を自由に歩くことはできないが、危険な思いもすることもほとんど無かった。

いま、新聞やテレビのニュースで、わたしたちが家族で3年間滞在した思い出深い、隣国の中央アフリカ共和国の国家危機が報道されている。
すでにフランス人やアメリカ人などが国外退去をしたと聞く。軍事クーデターで政権を取った現大統領がまた反乱軍から政権を奪回されようとしているのだ。
アフリカ大陸のあちこちの国で紛争が起こっている。原因は複雑に絡み合い、解決の糸口は簡単には見つからないように思われる。
地球全体が平和になることなんてあるのだろうか。

2013年が皆様にとって良い年となりますように。

ヨウムのぽんちゃん大ピンチ!!

12月25日、こちらではクリスマスの祝日だった。
その日の夕方、我が家のヨウム、ぽんちゃんは日射病(?多分・・)で、瀕死の状態だった。


ことの顛末はこうだった。

わたしたちは、朝、ベランダ正面にヨウムのぽんちゃんのかごを置いたのを忘れて、そのままゴルフに出かけた。
この季節、南回帰線より南から太陽は地球を照らすので南緯4度のキンシャサといえども、南寄りに太陽は移動する。
我が家のベランダは南向きで、ぽんちゃんのかごは、朝から夕方まで太陽が照りつける場所に置き忘れられたのだった。


その日は、太陽の照りつける暑い一日で、ゴルフ場でも傘を差してプレーをする人たちを多く見かけたほどだった。
プレーを終えて昼食を済ませて帰宅したのが午後3時。
そうだっ!!ぽんちゃんをひなたに置いたままだった、と思い出したのが帰宅直後。
ベランダに直行した夫は彼の異変に気づく。
かごの床に敷かれた新聞紙を立ててその陰にぽんちゃんは隠れようとせんばかりにうずくまっていた。

すぐかごを日陰に置いて、様子を見守るが、ぽんちゃんは平衡感覚を失ったようで、かごの床をうろうろよたよた這い回るだけ。
いつもは、かごの上部の止まり木に止まっているのに、その止まり木に這い上がれないのだ。
くちばしの力も、脚力も弱ってるかのようだった。
夫が、革手袋をはめてかごの中に手を突っ込む。
普段は皮手袋を見ただけでぎゃあぎゃあ騒ぐのに、その時は無抵抗のまま、夫の手に抱かれて、止まり木に載せられる。
夫が止まり木に止まらせようとするのに、ぽんちゃんは脚に力が入らない様子で、やっとのことでかろうじて止まり木に引っかかった、という塩梅だった。
水を体全体に振り撒いた。
水を飲ませようとくちばしのところに持っていくといくらか飲んだ程度だった。

わたしは、もしこれが人間の幼児だったらどうするだろうかと考えてみた。
氷枕で頭を冷やして涼しいところに寝かせるはずだ。
そう思ってエアコンの効くリビングにかごを移す。
もう祈る想いで、ぽんちゃんを見守る。
眼をとろんとさせて閉じようとするので、必死で励ます。
そして謝り続けた。
朝から午後3時まで、太陽に照らされ続けていたのだ。
ごめんね、ぽんちゃん。
ごめんね、ぽんちゃん。

ふとしたことで、ぽんちゃんは止まり木の左端に止まると尻尾の先の赤い羽根部分を、飲料水用の容器に入った水に浸せることに気づいたようだった。
それからだ、ぽんちゃんは尻尾の赤い羽根をじっと水に付けては羽をぷるぷるっと振って水しぶきを上げる動作を繰り返している。なんだか、赤い尻尾を水に浸けることによって、上がった体温を下げようとしているかのような動作だった。
その動作を繰り返していくうちに、だんだん脚に力が入り少しずつ、快復しているのが見て取れた。
ちょっと水っぽいがうんちもしている。

とにかく、傍で静かに声を掛けて励まし続けた。
眼を閉じたら、もう二度と眼を開けてくれないような気がしてならなかった。
ごめんね、ぽんちゃん。
パチンコに夢中になった若夫婦が、車に置き去りにした乳幼児を高温になった車内で日射病死させる、という記事を思い出して、わたしたち夫婦は同じことをしたのだ、と悔やんでも悔やみきれない自己嫌悪に陥った。

しばらくして、止まり木の右側に自ら体を移動させ、水から尻尾の赤い羽根を出して一連の動作を止めた。
やっぱり生きる智恵だったのか。
だいぶ落ち着いてきた。
よかった。

その晩は、涼しい浴室にかごを置いて寝た。
浴室の隣がわたしたちの寝室なので、夜中に何度も何度もぽんちゃんを覗いて、ちゃんと止まり木に止まっていることを確認した。

翌日午後から、食欲も出てきた。

ヨウムのぽんちゃんは、こうやってわたしたちにはなくてはならない存在になっている。



大きく口を開けて発声練習?
 これは、寝起きのままぽんちゃんのところに直行して、ぽんちゃんと発声練習をしているところだ。
台所の窓から夫が隠し撮りした写真だ。(見苦しい寝起き姿だけど、思い切って公開しよ!)
まだ言葉は出ないが、話しかけるとぽんちゃんもパクパクと一緒に口を動かす。
言葉を真似ようとしているのか、うるさいマダムだなあ~ひとりに(一羽に?)させといてくれよ~と抗議しているのか。

数日前には、お隣のドクター宅のヨウムと初対面した。
お隣のヨウムと比べて、ぽんちゃんは体つきなどからまだ幼鳥だと感じた。
お隣のヨウム君は、威嚇するかのように啼き続けていた。
ぽんちゃんは、かちこちに固まって微動だにしなかった。
それがまた何とも可愛かった。

夫は、朝起きた瞬間からぽんちゃん、ぽんちゃんと連呼している。
こどもたちが赤ちゃんの時に聴いて以来の優しい声で話しかけている。
時々、おい!何か喋ってみろ!!、とか言ったりしながら。

2012年12月29日土曜日

キンシャサのクリスマス風景

キンシャサ中央駅前広場のクリスマスツリー


キンシャサでは、クリスマスの数日前になってやっと色々なところでクリスマスの飾りつけが始まった。


上の写真は、キンシャサ中央駅前の広場にドーンと設置されたクリスマスツリーだ。
地元の銀行がスポンサーになっているらしく銀行名のプレートが付けられ、てっぺんの星には、黄色いバナナが三本横たわる銀行のトレードマークも見える。

こうやって見ると、なんだかとっても立派な駅前広場に見えてしまうから不思議だ。
この広場の向こう(6月30日通りの起点)に中央駅があるが、発着するのは朝と夕方に運行されるキンシャサ近郊までの通勤電車のみの名ばかりの駅だ。
それでも最近、その通勤電車用に新しい電車が投入されたようだ。

壊れかけていた駅前広場もいつの間にか修復整備されて、クリスマスイブの夜は大勢の観衆で賑わったそうだ。
とても平和な光景だ。

夜には、ブルーのイルミネーションが点灯する。



点灯された中央駅前のツリー


6月30日通り突き当たりにブルーに光るツリーが!

真っ暗なキンシャサの夜だからかな、わたしのカメラの技術がないのかな?
まるで闇夜だ。

真っ暗ついでにあと3枚ほど、キンシャサのクリスマス風景を。

6月30日通りの銀行のツリー照明

6月30日通り 別の銀行ではこんなイルミネーション

6月30日通りに遂にオープンしたパン屋のカフェ”Chez Victoire”では、こんな風景が見られた。

ショウウインドウに描かれたサンタクロース



本当に暗い。

ゴンベ郵便局前の広場はメイン道路に面していないのでさらに暗かった。
せっかくだから、昼間に行ってみると・・・。


3本の塔の中のクリスマスツリー

この方向の先に進んで左側に立派な建物のコンゴ中央銀行があり、そこの玄関前にとても上品なクリスマスツリーが飾られている。おそらく、ここのツリーがいちばん早く設置されたように思う。
夜には、白い照明で丸い輪のイルミネーションがいくつも重なる素敵なツリー照明が観られる。そしてその前の街路樹にも白い照明が飾られている。
写真に撮りたいなあと思ったが、撮影の許可をもらえなかった。
残念。

最後に。
フランスの娘のブログにも載っていた子豚ちゃんの丸焼き料理を、キンシャサのスーパーでも見つけた!
肉屋のおじさんから、どーぞ撮ってください~、とお許しをいただいたので、パチリ!



ベルギーから届くハムやパテや子豚ちゃんたちが並ぶ肉屋
キンシャサは電気事情が悪いからか、電力を使うクリスマスイルミネーションは、人々が集う広場と国立の中央銀行、そして地元の銀行くらいでしか見られない。
一般の店やスーパーストアーでは、窓ガラスにペンキを吹き付けてクリスマスの絵を描いて雰囲気を出している。

それにしても・・・常夏の国のクリスマスはどうもピンと来ない。

2012年12月27日木曜日

ンガリエマ修道院お御堂のクリスマスイブミサ

クリスマスイブの夜のお御堂 側面

12月24日午後8時半にンガリエマ修道院横にあるお御堂で、厳かに質素にイブのミサが始まった。


今夜は、正面祭壇の前にマリア様とヨゼフ様が馬小屋の中で羊たちとともに鎮座している。

正面左右、お御堂中央部の左右にはいつも通り、石膏のイエス様像、マリア様像が静かに穏やかな表情でわたしたちを見下ろす。はるばるローマから運ばれてきた像なのだと聞いたことがある。
植民地時代のしっかりした建造物の修道院だ。
ずいぶん長い間、ここで信者たちを見続けている像なのだと思うと、さらに尊く見えてくる。

祭壇後部の左右の棚には白いレースの布が敷かれ、その上の花瓶には庭に咲く南国特有の花が飾られている。
シスターたちが日々大切に手入れされるお御堂の美しさは清々しい。
中村寛子シスターが、わたしはここの祭壇が大好きなんです、と言われていたことを思い出す。
正面の壁の大きな十字架は木製のシンプルな十字架だけのものだ。
手前右端には大切に手入れされた古いオルガンがあり、コンゴ人男性が座っている。
お御堂内は、それだけだった。

お御堂内に据え付けられた木の机と椅子には、ぱらぱらとしか参列者はいない。
ンガリエマクリニック敷地内にあるお御堂だからか。
手術室の看護士なのだろうか、手術着らしきままで参列している女性もいれば、頭に傷を負い、腕にギブスをはめたままの患者らしい女性もいる。そう考えると、病院に関係した人たちなのかなとも思える。
確かにお御堂前の駐車場には車はほとんどない。


質素で静かなお御堂に、周辺からのかえるの鳴き声だけが聞こえてくる。
暑い。
ここはアフリカなのだと思う。

時間前に、おそろいのアフリカ布地で作られたブラウスとロングスカートに、薄手のスカーフで頭を覆い、胸にフランシスコ会シスターたちの十字架ペンダントを下げたアフリカ人シスターたちと、ローマから派遣されてここで奉仕する外国人シスターたちが静かに入場し、お御堂前部の椅子に座る。聖書や聖歌集など2,3冊を抱えて入場するシスターもいる。

わたしたちは、出迎えてくださったポーランド人シスターが導いてくださり、すでに中央あたりの椅子に座っていた。
机の上には、いくつかの聖歌の譜面と歌詞のプリントと、そしてイエス様誕生の物語のプリントが置かれている。
聖歌の歌詞は、リンガラ語のものもある。

いよいよ時間だ。
オルガンが鳴り渡り、外国人神父様が襟元に刺繍がほどこされている白装束姿で後ろから登場する。
手には白いレース布地で包んだ赤ちゃんのイエス様人形を掲げている。
神父様は祭壇の数段の階段を上がり、馬小屋の飼葉桶にそっとイエス様を置かれた。

神父様の祈りも、シスターが朗読する聖書の言葉もさっぱり理解できず耳を素通りしていくが、息子が通っていた暁星のお御堂でのクリスマスミサを思い起こして重ねてみる。
アフリカの聖歌はやっぱり明るい。
アフリカ人シスターたちは手拍子(全てが4拍子だ)し、オルガンのほかに、タムタムと団子三兄弟のようなコンゴマラカスと金属の打楽器が入る。神父様も緩やかに手拍子されている。
手でしぐさを作るということは、人間の自然な感情表現のように思える。
わたしが大好きな聖歌 ”今宵、イエス様がお生まれになった”を楽しみにしていたが、この聖歌は聴けず残念だった。初めて聴くリンガラ語の聖歌もあった。”聖しこの夜”、”荒れ野の果てに”はわたしも一緒に歌う。
声に出して「歌う」と、なんだかマリア様やイエス様も喜んでくれているような気分になる。
「神に賛美」とはこういうことかな。
信者ではないけれど。

そして祈りの中で、いよいよイエス様がお生まれになったという場面で周囲の人たちと祝福の声を掛け合う。
信者ではないわたしと夫は、いつものことながら戸惑うところだ。

世界中で地球が回って12月24日の夜を迎えた土地の教会で、イエス様の誕生を祝福するミサが順々に行われていく。
24日から25日にかけて、約48時間、それぞれの風土に育ったやりかたで祝福のミサが続くのだ。
そんなことを、二千年も前にマリア様やイエス様は想像されただろうか。
不思議だなあとあらためて思う。


そうしてミサは終わった。
終始、アフリカらしい厳かな雰囲気だった。

夜10時になっていた。
お御堂の出口のところで、ポーランド人シスターが、Joyeux Noel!(クリスマスおめでとう!) よくミサに足を運んでくれましたね、と声をかけてくださった。
他のシスター方も、”Hiroko!” と声を掛けてくださる。
中村寛子シスターと同じ名前。わたしたち、同じ名前だから「ンドイ、なのよ。」といろんなシスター方に紹介してくださった。寛子シスターが繋いでくださったご縁を嬉しく思う。

あまりに厳かで質素で静かなアフリカの夜のクリスマスミサ。
カメラを向ける気にもなれなかった。
冒頭の写真は、申し訳程度に、お御堂から出て車に乗り込んでぐるっと回った時に、側面からそっと撮った一枚だけの写真だ。

2012年12月22日土曜日

L’éléphant vert: 3人のちいさな人魚 ~ コンゴ河で発見された人魚?

何ヶ月か前に、コンゴ河で捕獲された人魚がYoutube上に載ったのだとか。
そんな話を横で聴きながら、人魚、ってのは、南国でも明るいきれいな海に住んでいないとイメージ崩れるなあ、とか思いながら、一冊の絵本のことを思い浮かべていた。

L’éléphant vert: 3人のちいさな人魚: 3週間ほど前だったろうか、我が家で数人が集まってわいわいと夕食をとっていたときに、コンゴ河で捕獲された人面魚をYoutube上で見た、ということが話題に上った。 不気味な姿で本当に人魚のようだったとか何だとか、話に尾ひれが付いて本当のところはわからないが、”人面魚”というとや...

2012年12月21日金曜日

ヨウムが我が家にやってきた

竹でできた直径30cmほどの円筒形のもの・・・はて、これは??


夫が昨日朝、道路現場事務所に到着すると、上の写真の円筒形のものが立てかけてあったそうだ。

コンゴ人のエンジニアがヨウムを買ってほしいと持ってきたのだった。

”ヨウム”、と聞いて夫は即座に反応。
というのも、キンシャサの我が家のお隣の日本人ドクターが飼っておられるのが、まさに”ヨウム”だからだ。
以前に1週間ほど預かったことがあり、わたしが小学校の時に飼っていた小鳥の可愛らしさがよみがえり、コンゴならではの賢鳥、ヨウムが欲しいとずっと思ってきた。
夫も伝書鳩を飼っていた経験があり、鳥に関しては寛大なところがあった。

円筒形の鳥かごを覗くと、一羽の、お隣さんのところと同じ鳥がいるではないか!
すぐにわたしに電話がきた。

おーい、お隣のドクターのとこと同じ鳥を持ってきているけど、我が家で飼うか!
・・・わーい!
でも、しっかり世話をすると確約できるか?
・・・もちの!ろん!!

ということで、昨夕、ヨウムが我が家にやってきた。
そして、夫は、狭い竹のかごだったらかわいそうだと思って、帰宅途中にあるシティ-マーケットに新設されたペットコーナーへ寄り、さっそくヨウムの鳥かごを買い、それに移して帰って来たのだった。



ヨウムのぽんちゃん



持ってきたエンジニアのおじさんの話によると、このヨウム、生後1年半といい、知人宅で飼っていたから、言葉を話す(リンガラ語?)のだそうだが・・???
交渉の末、わたしたちは80ドルで譲り受けた。

お隣のヨウムのルージュくんと比べると、全体的に小さくて丸っこい。
そして、羽の色のグレーが濃いように思う。
体長25cmくらい。
鋭いくちばし,止まり木をしっかり握る足の4本指の爪はくるりと曲がって長く、まるで魔女のお婆さんのようだ。
威嚇するようにギャアギャアと啼くときに見える舌も、くちばしと同じように黒っぽいグレーだ。
尻尾だけがきれいな緋赤だ。
隣家のルージュくんは、パームの実(朱色のアブラヤシの実)ととうもろこしを食べるが、我が家のぽんちゃんもパームの実をむさぼり食べる。
だから、うんちも立派!だ。
このパームの実の朱色が、ヨウムの尻尾の赤色を鮮やかにするのだと聞いた。

えさを食べる時だけかごの下に下りてくるが、それ以外は、上手にかごの側面をよじ登って,上部の止まり木にとまっている。

いつだったか、コンゴには賢猿のボノボに、賢鳥のヨウム、それから京都大学国費留学生だったキンシャサ大学教授のボンバ先生が研究するタンガニーカ湖の賢魚・・・と、賢い動物が3種もいるのに、コンゴ人ときたら・・・、とぼやき合ったことがあったが、コンゴには独特の賢い動物が生息しているのだ。

昨夕、夫の帰宅を待つ間に我が家のリビングの窓から外の景色を見ていたら、尻尾だけ赤いグレーの鳥が数羽、高い木の枝から枝へとゆっくり飛んでいた。
こんなにも野生のヨウムが飛び交っているとは!驚きの発見だった。


”Wikipedia”によると、この”ヨウム”は、オウム目インコ科。
学名 Psittacus erithacus。
英名 Grey Parrot。
体長33cm。体重300~500g程度。
生息地により大きく異なり、コンゴに生息するものは大型の傾向にあるそうだ。
アフリカ西海岸の森林地帯、ガーナからビクトリア湖周辺、アンゴラ共和国からコンゴ民主共和国など、低湿地の森林から高地の森林などに分布すると記されている。
平均寿命は何と50年前後だそうだ。(ボノボの寿命とどっこいどっこいではないか!)

噂どおり、知能が高く人の言葉をよく覚えるのだそうだ。
人の言葉を真似るだけでなく、言葉の意味を理解して人とのコミュニケーションをとる能力がある、とも。
型はめパズルもこなすともいう。
生涯に2度の反抗期を持つことも知られていて、実際、お隣のルージュくんは只今、反抗期なのだそうだ。

我が家のぽんちゃん、昨日は、狭苦しい円筒形の竹かごに入れられて、大勢の事務所の人たちに覗かれ、がたがた揺られて我が家の到着するや,ぽんちゃん、ぽんちゃんと聞きなれない呼び名で呼ばれ、「ボク、ヘトヘト」と言わんばかりに、まぶたがとろりと閉じかけていた。
そして今朝、わたしが2本の指でとうもろこしの粒をつまんでくちばしに持っていくと、ちゃんと食べてくれた。
でも、ちょっとくちばしが当たると痛かったので、わたしは掌にとうもろこしを一粒載せてみた。
すると、わたしの左薬指付け根を足の爪でガリーっと引っかいて掌に載って、とうもろこしの粒をくわえたのだった。
痛いっ!!

見事にやられた。
ヨウムは、知能が高い分、神経質なところもあるそうだ。
慣れるまでに時間がかかるだろうが、良い友達になれたらなあ。
言葉でコミュニケーションが取れるくらいになったらかわいいだろうなあ。
でも、ぽんちゃん、わたしより何十年も長く生きるんだ!

お隣のドクターが言われた。
遺言書にヨウムの預かり先のことも書いておかないといけまんせんねえ。

2012年12月19日水曜日

白いきのこがニョキニョキ

12月も半ば過ぎ。
まだまだ雨季の続くキンシャサだ。

昨夜も遅くから激しい雷雨で、ゴロゴロ、ピカピカ。
幼い時は雷が心底恐かった。

ピカ!っと光って即ゴロゴロー!!!っと鳴ったら、雷様はすぐ近くに来ているんだよと母は言った。
稲光と音の時間差があると、あ、これはまだまだ、雷様は遠くにいるから落ちてこないし、おへそも大丈夫だ、と太鼓判を押すかのように言い切ったものだった。
それがだんだん、ピカッ、即ゴロゴロッ、ドーン!!!、となるとさあ大変。
タオルケットに汗びっしょりになって包まって体中を(特におへそを)隠したものだった。
そうして息を潜めて、雷様が無事に通過するのを待つだけだった、遠い夏の日。

昨夜は、そんな子どもの頃の「かみなりさま」を思い出すような、ものすごい稲光と雷鳴だった。
時々、ドッカーン!!!!!、と窓ガラスを揺るがすような爆音が響くと、やっぱりびくりとしてしまう。
最近、知人宅で家電に落雷し、火を噴くという事故が起きたばかりだし。
ここのおんぼろアパートには絶対、避雷針とか備え付けられてないよなあ・・と不安になったり。
蚊帳に入っていたら決して雷は落ちてこないよ、と言っていた祖母の言葉を思い出したり。
(幸いなことに、キンシャサではベッドに蚊帳を吊って寝ている。)

十日前の土曜日にも、一晩中、激しい雨が降り続き、翌朝、日本大使杯ゴルフコンペが予定されていたのに、キンシャサ・ゴルフクラブのゴルフ場は、18コース中、15コースが浸水してプレー不能状態になった。
いたるところに広い池が出現し、ゴルフ場に生息する白い鷺のような鳥が水辺で憩ったりして、まるでアフリカ版チャイコフスキー「白鳥の湖」風情であった。

そんなじめじめしたゴルフ場フェアウエイに、「河合の白い肝油ドロップ」をばら撒いたかのように、小粒の白いきのこがあちこちに顔を出した。
どのキャディーも、このきのこは食用で美味しいんだよ、と口を揃えて言っていた。

ふ~ん。
一度食べてみたいものだ、と思っていたら、一昨日、ひとりのキャディーがスーパーのビニル袋2袋分いっぱいにその白いきのこを摘んで持ってきた。
2袋分で5ドル払って入手した。


ザルに移して水洗いしたら、きのこの笠が開いてしまった。


日本のえのき茸より石づきは太くて短い。また、全体的に柔らかくて、洗うと笠の裏のひだが開いてぎざぎざになった。
一本一本を見やすくすると、こんなきのこだ。

採れたては白くて笠が丸い
さて。
このきのこを4等分してジップロック(なんとキンシャサのスーパーで購入可!)に入れて3袋を冷凍した。
そして一袋分のきのこで野菜たっぷりのトマトスープを作った。
トマト缶一缶を入れたけれど、トマトの赤い色がしっかり消えてしまって、茶色のスープになるくらい旨味が出て、きのこの風味たっぷりのスープができた。

クツクツ煮込んで、ご飯にかけて食べたら、う~ん!!ホッペが落ちんばかりだった。(ホント!!)

今朝、まだ雨が残っていたが、ゴルフ場に行くときのこキャディーと出会った。
食べてみたか、味はどうだったか、と訊いて来た。
美味しかったー!!と言うと、また持って来ようかと言う。

この白いきのこの名前は何?
”Chanpignon blanc !”(仏語でそのまんま、”白いきのこ”)

え? ”白いきのこ”、ってなによ。特別な名前はないの?
”知らない”

じゃ、リンガラ語では何と言うの?
”Mayebo ya pembe !”

何のことはない、リンガラ語でも「白いきのこ」なのだった。


雨季の11月、12月、1月の3ヶ月のみ賞味できる”白いきのこ”。
我が家で冷凍したきのこが美味しくいただけるようなら、あと1ヵ月半の間にしっかりストックしたいなあ~。


20年前の中央アフリカ共和国滞在時にも、夫がよく雨季の現場、ボッサンベレから持って帰っていた大きな大きな白いきのこがあった。
現地の言葉、サンゴ語で、「ゴゴチ・ボボ」と言った。
日本の”エリンギ”みたいに白くて石づきが太く、笠の部分はもっと広がっていた。
長さだって30cm、笠の直径も開くと30cmはあったが、笠が開いてしまうと、ひだの中にウジを産み付けるから、笠が開き切る前のゴゴチ・ボボが良しとされていた。
我が家のボーイ、フランソワおじさんはバターでソテーしてしっとり焼いてくれて、それはそれは美味しいきのこ焼きを味わったものだった。

雨季、ってじとじとして雨が降ると道がぬかるむし、怖いくらいの雷雨だし、雨が降るだけ降ったら一つの雲も消え失せ、ギンギラの太陽が照りつけて暑さも容赦ないしなあ・・・と恨めしく思っていたが、こんなに美味しい「白きのこ」を育んでくれるんだもの。
雨季のオマケに思えてくる。

現地の、季節の食材を発掘するのもまた楽しい。

2012年12月11日火曜日

L’éléphant vert: むこう岸には ~ 第1回キンシャサ日韓親善ゴルフとアフリカの国境線と

12月2日の日曜日、初めての日韓親善ゴルフコンペがキンシャサゴルフクラブで開催された。
キンシャサの日本人、韓国人の間に横たわっていた”川”に橋が架けられた日だったと感じる。

そして、アフリカの地図を見て思うこと。
それは、国境線がシンプルに直線に引かれているということ。
民族も経済圏も無視された植民地時代に引かれた境界線が、そのまま国境線として踏襲されたのだった。
国として分けられた地域に昔のような交流は持てるのだろうか。

川の両岸に住む、2人の子どもたちの間に生まれた密かな交流の物語を通して、こんなことを考えてみた。


L’éléphant vert: むこう岸には: 小さい頃、自分が住む町だけが、この世に存在する世界だった。 あの山の向こうも、こっちの坂の向こうも、誰も住んでいない何もない森か山か草地だろうと思っていた。 ある時、坂の向こうにも小学校がある、と聞いた。 へえ・・、向こうにも違う町があるのかもしれない。 坂を越えてみた...

2012年12月8日土曜日

キンシャサ国際女性クラブのクリスマスチャリティーバザー

IWC クリスマスバザー案内状

日付をさかのぼって、先週の土曜日、12月1日に、キンシャサの新しいホテル、Hotel Royal で、IWC(国際女性クラブ)のクリスマス・チャリティーバザーとクリスマス・ランチが行われた。

10月半ば過ぎからIWCの定例会で、クリスマスバザー準備のボランティア募集と、ギフトバスケット作成のための献品、手芸などの制作品提供の呼びかけが始まった。

わたしは、初めてのIWCバザーだったので、今回は客側で参加しようと決めた。

会場のHotel Royal は建物がロの字型で建っていて、中庭部分でバザーが、そしてバザー会場に面した部分のレストランでバイキング形式のランチ会が開かれ、子供連れ家族も多く来場し、とても良い雰囲気だった。


それにしても・・・。
クリスマスバザーの項目の中にあった、「ギフトバスケット」とは何だろうとずっと思っていた。

それは、献品として集まった石鹸、入浴剤、シャンプー、タオルなどの浴室用品、茶、コーヒー、ナプキンなどの台所用品をボランティア委員たちがかごに詰め合わせて中身が見えるようにセンス良くセロハン材とリボンでラッピングし、それぞれ中身に応じて10ドル~15ドルくらいの値札を付けて売る、チャリティー精神満タンのバスケットだった。

集まった献品をそのまま売るより、詰め合わせバスケットとして売る・・・とても良いアイディアだ。


写真が趣味の会員は自身が撮影した風景や植物の写真を使ってクリスマスカードを数種類制作して売っている。
さすが、カードのお国柄のセンスが表されたチャリティー品だ。
わたしも10ドル分、3枚を購入する。

会員が作ったクッキー、ケーキもクリスマスらしいラッピングで雰囲気を盛りたてている。

白磁にクリスマスの図柄やアフリカらしい図柄を描いて売っている会員、大きなクリスマスリースを制作して売っているタヒチ出身の会員もいる。彼女のお国ではどんな風にクリスマスを祝うんだろう、などと想像してみる。

スペインのシスターはキンシャサ郊外に建つ病院施設の運営のための製作品を売っている。木のチップ(ビーズ)を糸で編んだ鍋敷きを買ったら、シスターがとても喜んでくれる。

どんなプロジェクトからの出店かわからないが、テーブルセンター、食事マット、テーブルクロスなどに刺繍をしたものを売るブース、アフリカの布地で制作されたネックレスやブレスレットを売るブースも雰囲気を盛り立てている。
花の写真をポートレートにしたもの、キャンバスに描かれた絵たちも売れられている。

わたしはクリスマスプレゼント用にあちこちで買い物をして楽しんだ。

チャリティー募金箱を見かけなかったが、わたしが見過ごしただけだろうか。
案内状には、「サンタさんと一緒の写真撮影 2:30から4:30まで」と書かれていたが、これも見逃した。
きっと、小さい子どもたちの人気スポットだったのだろうな。


ホテル・ロワイアル中庭 バザー会場

ランチ会は準備が間に合わなかったらしく、随分遅れて始まったが、前菜、主菜、デザートと美味しくいただいた。
40ドルというと少々高いかとも思うが、クリスマスチャリティーだからと納得する。
わたしのテーブルには、マダガスカル出身の子連れ二家族、キンシャサのラジオ・フランス勤務だというフランス出身とコモロ島出身の夫婦、そしてインド出身のエリザベスが座った。エリザベスは今年9月から会員になったばかりだというのに、英語力と積極的なフレンドリーシップを発揮して、ボランティア委員としてすばらしい活躍だった。

IWCのクリスマスチャリティーイベントの様子がつかめた。
残念なことに日本人はわたしだけ。夫は土曜日も仕事だった。
来年は、もっと多くの日本人を誘ってみよう。

ランチを終えて歓談していると、わたしのフランス語の先生から肩をたたかれた。
彼女もいくつか買い物をしている。
知人と、どんな買い物をしたか見せ合いっこをして、品定め。

ホテルを出ると、カーッと暑い太陽が照りつける雑踏のキンシャサだった。

2012年12月6日木曜日

コンゴのクリスマスって?

12月に入って、6日目。
雨が一日中降り続く、ということはないが、やっぱり雨の多い雨季のキンシャサだ。

昨日は、衆議院議員選挙の投票に、大使公邸玄関前の投票所へ夫婦で行ってきた。
そして、今夜は夕方6時から日本大使公邸の庭で、天皇誕生日のレセプションが行われる。

そういえば、天皇陛下はクリスマスの1日前の誕生日だった。
日本の子どもたちはこの日あたりから、楽しい冬休みに入るのだったな。
日本では、節電の中でも、あちこちでクリスマスイルミネーションに町が輝いてることだろう。

キンシャサは、というと今のところ街中でクリスマスの飾りはまったく見られない。
コンゴはキリスト教徒がとても多い国。
キンシャサ市内にも、荘厳な赤レンガのノートルダム教会、白いサクレクール教会などのカトリック教会や、大きなプロテスタントの教会、中村寛子シスターのいらしたンガリエマ修道院の教会、など大中小の教会をあちこちで見つけることができる。
これから、どんなクリスマスの飾りで私たちの目を楽しませてくれるだろう。

さて。
わたしは先日、11月の終わりにLimete5番通りにある、カトリックのブティックに行き、イエス降誕の人形たちを買ってきた。
我が家のリビングにも、クリスマスを感じる場所を作りたかった。

アフリカのブラックウッドで作られた降誕人形

上の写真が、ブティックで購入した降誕人形だ。
14,5cmほどの彫刻が施された木の板と、10cmほどのマリア様、ヨセフ様と3人の博士、そして、飼葉桶に眠る赤ちゃんのイエス様だ。
赤ちゃんのイエス様は12月25日に誕生したのだからそれまでは赤ちゃん人形も飾らないのだが、4cmと小さいのでわたしには大事にしまい込みすぎて失くす可能性が大きい、ということでごめんなさい、すでにマリア様、ヨセフ様の傍に置いてしまった。

果たして、キンシャサ市民の家庭にはどんなクリスマス飾りをするのだろう。

先日のIWC(国際女性クラブ)の”Morning Coffee” のときにも、クリスマス、新年休暇で本国に帰ったり旅行に出るという話題で賑わっていた。
キンシャサの雨季が明けるまで戻って来ないという長期帰国の知人もいて、休暇に出る前のランチ招待の誘いが入ったりする時期でもある。
ランチ会は、今週、来週がピークだ。

我が家は夫婦ふたり。
夫のプロジェクトも休暇に関係なく動くようで、どこか旅行に出ることもできないようだ。
娘には生後半年の赤ちゃんがいて、クリスマス、新年は夫の実家のアルプスで過ごすと言うし、東京の息子もキンシャサまで来るつもりもなさそうだし。
少々がっかり、しょんぼり。

ゆっくりと過ごすクリスマスから年末年始になるのだろう。

2012年12月4日火曜日

コンゴの楽器 ~ L’éléphant vert: 外村吉之介 少年民藝館

前回のプリミティブアートの本紹介に続いて、もう一冊のお勧め本のことを、今回は我が家のコンゴの打楽器を織り混ぜて書いてみました。

下の、L'elephant vert のところをクリックしてみてください。

L’éléphant vert: 外村吉之介 少年民藝館:  少年民藝館 表紙  前回、「直感こども美術館 プリミティブアートってなあに?」の写真図鑑絵本(?)を紹介した。 だったら、あの本もぜひとも紹介しなければ!、と強く思ったのが、これ! 外村吉之介さんが愛情深い文章でつづる、「少年民藝館」。 1984年初版...