2012年11月7日水曜日

キンシャサ・フランコフォン・サミット

先月、10月12日(金)から14日(日)の3日間、キンシャサで第14回フランコフォン・サミット(フランス語圏会議)が、中部アフリカ地域で初めて開催された。(アフリカ大陸の国として、せネガル、ベナン、ブルキナファソに次いで4カ国目。)

わたしたち夫婦は、その前日の夜の便でキンシャサを出国したので、開催当日のキンシャサの街の様子は分からない。会議開催前のキンシャサの街や人々の様子を振り返りつつ、書いてみたいと思う。


10月にキンシャサでフランコフォンサミットが開催される、ということはわたしたちが今年1月に来たときから話題になっていたと思う。
街にはビル工事があちこちで始まっていて、外資系ホテルチェーンがホテルを開業するだの、大型ショッピングモールができるだのという噂があちこちで聞かれた。

そして、乾季の終わり8月後半ころだったろうか、揃いの作業着を着て仰々しいマスクを装着した作業員が街の道路清掃を始めた。

それから、キンシャサのいちばん大きな道路、6月30日通りの街灯に、コンゴ民国の国旗とフランコフォニーの会旗が対になって翻った。


6月30日通り沿道に掲げられた1対の旗(信号機直下に見える)
次に、 6月30日通りの花壇がきれいになり、花壇囲み石が紅白に塗られ、緑色のゴミ箱が街のいたるところに設置されたときには、夫婦で拍手喝采した。
(ゴミ箱を設置したはいいけど、果たしてごみ収集車なんてあるのかねえ・・と憂えていたら、ちゃんとバイクでゴミ回収に回っているのだそうだ。夫の目撃談・・。)


街角に設置されたゴミ箱
ちなみに、上の写真中のトタン板で囲われていたところには、”ドロボウ市場”という愛称で賑わう屋台が軒を連ねるお土産横丁があった。サミット開催の2,3週間前に突然、全区画が撤去された。
主要道路沿道の非近代的でみすぼらしい(?多分)屋台や小屋は撤去されたようだった。


”mbote ” (リンガラ語で”こんにちは”の意)と書かれた仏語会議を歓迎する看板
 6月30日通りのソシマット交差点の2箇所に上の写真のような ” mbote  ” (リンガラ語でこんにちは、の意。)、” Souriez  ” (フランス語で笑ってください、の意。)と、サミットでキンシャサを訪れる人々を歓迎するメッセージが掲げられた看板が立ち、歓迎ムードが街中に漂うように感じられた。

また、6月30日通り沿いの銀行ビル正面の全面を、カラフルなプリント写真で被ってサミット開催を祝う銀行もあった。


6月30日通りに面する銀行の建物一面にサミット歓迎の垂れ幕が飾られる


更に、外国人客で賑わうパン屋やカフェ、スーパーマーケットなどには、無料のカラーの新聞、”Courrier francophone”が置かれて自由に取って読むことができた。

2012年10月11日の日付の第3回 ”Courrier  francophone ”
この、”フランコフォニー便り”の無料新聞がどのくらいの頻度でどのくらいの部数を発行したのかは分からないが、わたしが会議開催前日までに手に取ったのは3回だった。

”Editorial”(社説)最後に発行者代表名が記され、コンタクトのためのパソコンアドレスも明記されている。そして、第14回仏語圏会議のオフィシャルスポークスマンではない、とも添えられている。
オールカラーで12面に渡って、仏語圏会議のこと、キンシャサの食文化、現在のトピックス、博物館などの見どころ紹介など内容満載だ。
使用する紙質は上質のものだ。
どんな団体がスポンサーなのだろう。

新聞紙面右下に見える、5色の丸いマークがフランコフォニーのシンボル旗で、その中に、コンゴ民国の珍獣、オカピが覗いている。

また、イエズス会が運営する、” CENTRE  CULTUREL  BOBOTO ”(ボボト文化センター)内にある手工芸の売店、骨董品店は、カラー版パンフレットを作成し、営業時間延長のお知らせの紙~”フランコフォンサミット期間中前後の10月8日~20日の間、9:30~20:30まで営業。木彫り、陶芸、彫金、絵画、骨董などのコンゴ民国の土産品があります。”~といった内容のチラシがホッチキスで留められていた。
ドロボウ市場の屋台が撤去されたのだから、期間中、陳列品も充実して多くの客を迎えたことだろう。


前回2010年のスイス・モントルーで開催された会議にはオブザーバーを含め75カ国が参加したそうだ。
今回のキンシャサ会議には実際どれだけの国が参加したのかは分からないが、フランスのオランド大統領はじめ10数カ国の国家元首がキンシャサ入りしたそうだ。
開催前から、会議参加者の受け入れホテルの容量不足が言われ続けていた。ホテルの建設や改築に着手したものの、結局新規オープンした規模の大きいホテルは一つだけだった。


闇夜に七色に輝くリバーサイドホテル

七変化のリバーサイドホテルのイルミネーション

ンガリエマ教会から目と鼻の先。
コンゴ川そばに立つモブツ政権時代の既存の建物を、中国が突貫工事で改築した高級ホテルだと聞くリバーサイドホテル。レストランフロアもあるのだそうだ。
停電が頻繁にあるキンシャサの夜にレーザービームみたいなのがサーっと光り、キンシャサの闇夜に燦然と(!!)輝く。
この国の電気事情にあるまじき行為だと憤慨し、センスの無さに頭を抱えてギョッ!!っとしていたのはわたしだけだったのか??

そんなあちらこちらで体裁を繕うキンシャサの街を後にし、サミット開催の前夜にキンシャサのンジリ空港から出国したわたしたち夫婦が見たものは、ボノボ、マウンテンゴリラやオカピといった絶滅危惧種のいるコンゴ民主共和国のPRと動物保護を求める大きなカラーの垂れ幕と、そして、夜8時を過ぎているのに出国手続きの空間と待合室の天井を張り替え、蛍光灯照明を取り付ける作業員で溢れ返る空港ロビー風景なのだった。


キンシャサ・フランコフォン・サミットが終わって3週間ちょっと。
6月30日通り沿道に取り付けられたコンゴ民国とフランコフォン・サミットの旗たちは、見るも無残な姿を晒して放置されたままだ。
歓迎の看板もそのまま。
雨季のキンシャサでどんどん惨めな光景になってゆくのか。がっかりだ。

会期中の3日間は直前になって国民の休日となった。
キンシャサ市内で混乱も紛争も無く平穏の内に会期を終え、フランスのオランド大統領を(日帰りだったが)迎えて演説する場面がフランス国内のニュースで幾度となく放送され、世界中に、というとオーバーだが、コンゴ民主共和国をアピールできたことはよかったと思う。

さあ、これからこの国はどの方向に進んでいくのか。
アムネスティ団体が、サミット主催国のこの国で続く悲惨な紛争を指摘し、「コンゴ政府は、国内・東部の暴力を阻止するための緊急措置を実施し、人権侵害を行うすべての人間に対し責任を問わなければならない」とコメントしている。

キンシャサに暮らしていて、東部の紛争・危機状況が全く伝わってこないことが不思議だ。
ビルがあちこちに建ち、着飾った人々が行き交うコンゴ民国の首都キンシャサ。
それでも、貧民の数は底知れず。政府がしっかり機能しているとは言い難い。

天然鉱物が埋蔵し、豊かな森林資源を有し、世界の大国がこの国に近づいてきている。

コンゴ民国の人たちには国の真の発展のために「今」こそ正念場だ、と肝に銘じてほしい!

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