2012年11月29日木曜日

平和なキンシャサのパン工場

 今日、東京の知人が、朝日新聞11月24日夕刊の第一面に掲載された記事、

  「 コンゴ 平和どこに ~ 武装組織 M23,東部を制圧 」

をメイルに添付して送ってくれた。
こんなに大きく、ゴマ、サケの街の写真、地図とともに取り上げられたのなら、首都のキンシャサも危ないはず!、と心配いただくのも当然だろう。

こちらで視聴できる”フランス24”という衛星放送テレビのニュースでも、繰り返し、コンゴ東部地域の闘争の様子が映像で流されて伝えられている。

JICAキンシャサ事務所からも逐一、コンゴ東部情報がわたしのメイルに情報をいただいているし、夫も地元の日刊新聞で情報を得ているので、不安はないし、東部の紛争地域から随分離れたキンシャサでは緊迫した空気は感じられない。

東部のゴマ、サケのある地域は、気候も穏やかで豊かな農作物生産地帯であるのに加え、金、ダイヤモンド、レアメタルなどの天然資源が眠る地域で、コンゴ民主共和国にとってとても重要な地域なのだ。
地理的には、コンゴの東端に位置し、ルワンダと国境を接し、ツチ族のジェノサイドのあったときに多くのツチ族がコンゴ東部に流れ込み、そのまま定住しているとも聞く。
今回、ゴマ、サケの街を占領した反政府勢力のM23の背後にはルワンダ政府が付いているとも噂されている。
ルワンダは公用語がフランス語から英語に変わった国。
もともとコンゴとルワンダの闘争に、欧米諸国が首を突っ込んできて、かき回しているように思えてならない。
はて・・・・。

難民が移動し、疫病も蔓延し食糧事情も悪化していると聞く東部地域だが、コンゴ領土の真反対、西端に位置するキンシャサは、M23によるゴマ占領の情報を受け、デモや集会が一部地域で行われたようだが、穏やかな毎日が流れているだけだ。


そんな昨日、IWC(国際女性クラブ)の企画で、キンシャサの地元民地域”シテ”地区にある、”Pain Victoire”の大きなパン工場の見学に行ってきた。


オートメーション化された工場内
ごちゃごちゃしたシテ地域にありながら、工場敷地内はとてもよく整備されていた。
工場入ってすぐのブースは、洗面台が横にずらっと並んでいて、直角に曲がった次の一辺には、日本のデパートなどのトイレでもよく見かける電動乾燥機が据え付けられていた。
そして、いよいよ工場内へ。
わたしたちはフランスパン製造コースを見学するということだった。

巨大な機械が、巨大な空間に配列されていて圧倒される。
イタリアや日本からのパン製造の機械なのだそうだ。
まず通路の左側に数個の背の高い機械が並んでいるのが見えた。
小麦粉貯蔵庫なのだそうだ。それぞれの機械に入れられて小麦粉の重量も機械制御され管理されている。
その貯蔵庫の前に”コンゴ民主共和国産”と書かれた白い小麦粉の袋が山積みされている。

小麦粉貯蔵庫、重量計、混ぜ合わせてこねる機械、第一次発酵、成形、粉まぶし、パンの上のライン引き、第二次発酵、と機械はゆっくり正確にフランスパンを製造してゆく。
大きなウェーブの凹凸のあるテフロン加工の鉄板の上に落とされるフランスパンを重なりがないか工員がチェックして、ウェーブのくぼみに一列に2つずつフランスパンが並ぶ。それらはベルトコンベアーに載って巨大オーブン室へ流れてゆく。

発酵室内とオーブン内は、均等に発酵し焼けるように、パンを載せたテフロン加工の鉄板がゆっくりとぐりぐりと上下左右に動くのが見える。温度と湿度はやはり機械制御で管理されているのだそうだ。

20年前にバンギで見たパン屋のオーブンでは、波打ったトタン板(当時の庶民の家の屋根に使われていたのと同じトタン板だった!)の凹凸を利用して、くぼみ部分にフランスパンを横たわらせて、満タンに載せたトタン板をそのまま庭のオーブンに入れて焼いていた。そんな光景を懐かしく思い出す。
キンシャサのビクトワールパン工場でも、トタン板そっくりの凹凸板にフランスパンを載せて焼いていたが、違うところは、そのトタン板がしっかりした作りの黒いテフロン加工の板になっていた、というところだ。
20年も経ち、ここはコンゴ一の設備と規模を誇るビクトワールパン工場なんですから!

そしてもうひとつ、感心したこと。
それは、ただ一つの原料を除いて、すべてコンゴ国産のものを使用しているということ。
ただ一つの例外は、イースト菌。
これはフランス産のものだった。


こんがり香ばしく焼かれたパンが、トタン板から、下に置かれた大きな青いプラスティックかごに落とされていく。
フランスパンが満載されたかごがどんどん高く積まれていくと、工場の最後尾に並ぶ数字が付いた両扉のドアのところまで運ばれる。そして、もう一つ先のドアが開かれると、そこにトラック、あるいはパン売りのママたちが待ち受けているのだった。

この工場は、レバノン人経営なのだそうだ。
わたしたちに、流暢な英語とフランス語で丁寧に説明してくれたフランス人男性はビクトワールパン工場のディレクターだということだった。
彼の説明によると、この工場は、一日24時間、週7日間、毎日休みなく、一日70万本(わたしの耳には、seven hundred thousandと聞こえた。)のフランスパンが製造されているのだそうだ。ここでは、フランスパンのほかに、小ぶりの山形食パンも製造されていた。
この工場は、コンゴの人々に働く場を確実に提供しているのだ、ということにも大きな感銘を持つ。

このビクトワールパン工場の前を朝6時くらいに通ったことがあるが、工場内にはたくさんのアフリカ女性たちが焼きたてパンを、「Pain Victoire」と茶色の文字が書かれたベージュの大きなプラスティック”たらい”にぎっしり立てて入れられたフランスパンを受け取って、そのたらいを頭に載せて街に散らばっていくのだった。
そんなコンゴのママたちの伝統的な労働力を、パン販売網に組み入れているパン会社のシステムにも共感を覚える。

一時期は、七千人のママたちが毎朝小さな村から工場まで来てパンを受け取り、それぞれの村で売っていたそうだが、トラックが普及して、直接工場まできてパンを持っていくママたちは、現在では二、三千人ということだ。
ビクトワールパンの工場はコンゴ国内ここの一箇所だけ。
あとは、トラックや飛行機(?)でどこかまで輸送され、それ以外は、全部、ママたちの手でコンゴ中にビクトワールパンが届くのだ、と想像してひとり感動していた。
きっと1本五百フランのフランスパンを売って百フランか二百フランの儲けにしかならないのだろう。たらい一杯に50本のフランスパンを入れて、全て売りさばいても五千フランから一万フラン(五百円から千円)にもならないだろう。
現在、慶応大学の英語講師として勤務するコンゴ人のサイモン先生の母親は、毎朝パンを売って子どもたちの学費を稼いで学校にやったという話を思い出す。


さて、工場見学のあと、新しくシテ地区に”Chez Victoire”というパン屋兼カフェを開店したので、そこへ移動して、菓子パンの試食をしましょう、ということになった。
工場から車で7、8分のところに、そのカフェはあった。

シテ地区にあるビクトワールパン直営カフェ一号店


工場もカフェもわたしたちが時々訪れるジギダ野菜市場の近くの、シテ地区、つまり庶民のカルチェにある。
シテ地区のカフェ一号店は新しくモダンな明るい清潔な内装で、多くの地元の若者たちで賑わっていた。平和そのものの光景だった。

フランスパンや小ぶり食パンのほかに、たくさんの種類の菓子パンがガラスケースに並んでいる。
IWCメンバーが、シティーマーケット(外国人が利用するスーパーマーケット)内のパン屋の半分の値段に設定されている、と驚いている。
シティーマーケットでは、フランスパンは1本1000フランだが、ここのシテ地区のChez Victoireのカフェでは、1本500フラン(約50円)だ。ドーナッツが250フラン(約25円)。
どれも見た目もきれいで、とてもおいしい菓子パンだった。
庶民でも買えるように、最高価格のチョコパンでも1500フラン(150円)にしている、と仏人ディレクターは言っていた。
店内の国産のペットボトル入りレモネードが500ml入りで500フラン。
千フランで菓子パン2個と飲み物が買えるのだ。
ちょっとしたお礼のチップとしてコンゴ人に渡す金額として、ビール代やお茶代分の五百フランから千フランという相場は妥当だな、と思う。


”Chez Victoire”シテ地区店内 IWCメンバーと共に
キンシャサ市内のゴンベ地区(外国人居住地域)の6月30日通りに面したクラウンビル1階に、”Patachoux”というケーキとパンのカフェが開店して1ヶ月ほどになるが、近々、同じビルのその隣に、この”Chez Victoire”(おそらくコンゴ2号店)が開店する。
果たして価格設定は?
シテ地区店の倍の設定になるのか。

キンシャサには、こうやってこざっぱりしたカフェが増えている。
先ほど出てきた外国人が利用するシティーマーケットには、ペットショップコーナーもできたと聞く。
ペットショップこそ、なんだか平和の象徴のような気がする。
たしかにそのスーパーマーケットは、外国人と富裕層のコンゴ人しか利用しないが、それでも、キンシャサの治安が安定してきた証拠かなあ、と思っていた矢先のゴマ地域の闘争悪化のニュースだった。

反政府勢力のM23軍は、キサンガニやキンシャサまで進軍する可能性を示唆していたが、今日夕方のJICAからの情報によると、MONUSCO(国連平和維持軍)情報として、M23が今朝から占領地域から撤退を始めている、とのことだ。

我が家の家政婦は、わたしたちキンシャサ市民は、”souffrance”(心身の苦しみ、苦悩)を持っている、という言い方をしていた。すべてはコンゴ政府が決めることだから、と言うのだ。

コンゴ中の人々に、毎日おいしいパンが届く平和な日々が続きますように。

2 件のコメント:

  1. 初めてお便りいたします。
    パンビクトワールの工場の話を見つけ、驚くと共に喜んでしまいました。というのも文中にある日本の機械メーカーに
    働いているからです。
    実はホットドッグ(ソーセージロール)のようなパン製品を
    つくるラインの設置の為に出張者を送り込み、彼らが2日前に帰国したところでした。
    私達の会社は栃木県の宇都宮市にあるレオン自動機という会社で饅頭等、自動的にあんこを包む機械その他を製造している会社です。
    キンシャサに会社の人間を送りこむ為に、情報を探していて
    "ボノボの森から”を見つけました。貴重な現地の情報を大変興味深く、楽しんで読ませていただいています。
    この場をお借りして御礼申し上げます。

    レオン自動機
    早川 友康

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  2. 早川様
    こちらこそ、嬉しいお便りをありがとうございます。

    パン・ビクトワールのディレクターが、自慢げに日本の機械を使っている、と言っていた理由が、そして、なぜだか私に聴こえやすいようにゆっくり説明してくれた理由がわかったように思いました。
    レオン自動機の社員の方たちが一生懸命に設置されるのを目の当たりにしたばかりだったのですものね。
    貴社社員の方々にお会いできていたらなあ、と残念です。

    夫のプロジェクトの運転手の話では、パン・ビクトワールの直営カフェは、もう一軒、やはり庶民のシテ地区にすでに営業しているそうです。
    わたしたちが美味しく試食したクリームたっぷりのパンなど、きっと貴社の機械が活躍して製造されているのでしょう。
    パン・ビクトワールはキンシャサ市民に幸せを届けるパン屋だなあと感心した見学会でした。

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