2017年4月26日水曜日

キンシャサ便りふたたび31 キンシャサ ゴミ事情

キンシャサのメイン通り、6月30日通りには、緑色をした円筒形のゴミ箱が等間隔で品よく並んでいる。
下の2枚の写真は、その6月30日通りで撮った写真だ。


これらの写真を見る限り、キンシャサのゴミ事情はすばらしい、と思われるだろう。
ゴミ箱からゴミが溢れ返っているのでもないし、周囲もきれいだ。右の写真では、ちょっと見えにくいかもしれないが、黄色い帽子にベスト姿の清掃員が通りの清掃までしている。

ところが実情は全く違うのだった。
ゴミ箱からゴミは溢れ返っているし、ゴミ箱周辺にもゴミの山。
清掃員は市の職員ではなくて、NGOが雇っている清掃員だと聞く。
このゴミ箱のゴミは定期的に公的な収集車が来て、公的な清掃員が存在し、公的なゴミ処分場に運ばれてしっかり処理されているのか?どこまでも”はてなマーク”が続いて懐疑的な眼差しで見てしまう。

だって、一歩街中に入った通りでは、こんな光景が目に入ってくるのだから。



この2枚の写真は、カビンダ通りのゴミ収集場の近景と遠景だ。
メイン通りのゴミ箱からゴミが集められて、大きなゴミの山として庶民の住む地区の隅に集積されて点在しているのではないかと想像してしまう。こんなふうに。
白戸圭一さんの著した「ルポ 資源大陸アフリカ」(朝日文庫)の中のキンシャサのゴミ溜め都市の箇所を思い出してしまう。
燃えるゴミも不燃ごみもペットボトルも瓶、缶類もごちゃまぜだ。

市内を走るウィレリー通りも一見、きれいに清掃されているかに見える。



でもやっぱり、同じウィレリー通り横にもこんなゴミの山が存在する。



ポワルー道路のゴミ事情を見てみると。


ポワルー道路の工事を請け負うキンシャサの建設会社のオーナーがこんなゴミ箱を置いたのだそうだ。


オレンジ色のオシャレなゴミ箱だ。
そして、案の定、ゴミ箱周辺にまでゴミが山積されている。見るに見かねた建設会社がゴミの収集までやっているというのだが。
果たして、その収集されたゴミはどこに運ばれているのだろう。

以前、住んでいたモティ・ホテルアパートのゴミ置き場には定期的に収集車が来てゴミを運び出していたようだし、アパート前の平和通り角のゴミ箱周辺に山積するゴミも、三輪小型トラックだかオートバイだかがリヤカーを引いて現れて運び出されているのを朝早くに何度か見かけた。
でも、公的なゴミ収集はもはや行われていないと聞いた。

6月30日通りでは、ゴミを集めてどこに運ぶのか、こんな小型トラックも見かけた。



また、6月30日通りを走る、ちょっと先進的な有料?ゴミ収集車も見かけたことがある。いや、きっと有料なのだろう、その証拠に、その車の側面には電話番号が大きく掲示されていた。




”STEP Recycling” と大きく書かれた、見るからにゴミ収集車と分かる車だったが、はて、やはりその車で集められたゴミの行き先はどこへやら、である。

キンシャサの老舗ホテルの駐車場に面したゴミ置き場で、朝早く、ゴミ運搬トラックが横付けされている光景にも出会ったことがある。


また、日本大使館前には、こんなゴミ収集車が来てゴミを載せて行っていた。


飲料会社の運搬車がゴミ収集車に再利用されていたのだった。

前述したカビンダ通りにもNGOの雇用人だと思われる清掃員が働いていた。


車窓越しに撮った写真なので見えにくいだろうが、6月30日通りの清掃人と全く同じユニフォームを着て働いている。

ンジリ空港を越えたキンシャサ郊外のコンゴ河の中の砂州を利用して、ゴミを埋め立てて、住宅街を作ろうという完成予想図が大きく掲げられているのを、前回の滞在の時にグランドホテルに続く道路端で見たことがあった。今はもう撤去されているが、小耳に挟んだ情報によると、すでに埋め立て地は完成しているとも聞いた。
そういうゴミ再利用なら歓迎だが、ゴミからの浸出液や有害物質が川に流れ出ていると考えると恐ろしくもある。

キンシャサに来た当初からずっと、ビールの空き瓶を持って行かないとビールを買えないというルールがあったのだが、最近ではそのルールも崩れて、ビール瓶が一般ごみとして出されている。
以前にも書いたが、ペットボトルでの飲料水の種類が増大し、ペットボトルのゴミもやたらに目に付く。

ゴミ処理能力を超えた物資が大量にキンシャサに入り込み、そのゴミがキンシャサ中に溢れ返っていると痛感する。
昨年は、ゴミが排水溝を詰まらせ、雨水が溢れ返って洪水がキンシャサで起こった。

キンシャサに本格的なゴミ処分施設ができるのはいつのことなのだろう。

2017年4月21日金曜日

キンシャサ便りふたたび30 また逢う日まで!


わたしのゴルフ帽子 with しょうこさん制作の布バッジ&青い鳥の羽

たくさんの思い出をわたしたちにプレゼントしてくれて、しょうこさん夫妻が今夜の便でキンシャサを離れる。
寂しいな。本当に寂しいな。

2012年のあれは何月だっただろう。9月の初めくらいだったかな。
突然、キンシャサ・ゴルフクラブの休憩コーナーで、フランス人のムッシュから日本語で話しかけられた。
わたしの奥さんは日本人です、キンシャサにもうすぐ来るので、お友だちになってください。

その次にムッシュに会ったとき、わたしの奥さんと電話で話しますか、と電話をしてくれて、初めて話をしたゴルフ場でのこと。
それがしょうこさんとの(声での)出会いだった。
わたしは、それからずーっとしょうこさんと一緒に過ごしたキンシャサだ、と思っていた。
よくよく考えたら、お互いの帰国や休暇、転勤なんかで細切れのお付き合いだったんだな。
それでも、わたしはフランスのしょうこさんのお宅へ、そしてしょうこさん夫妻は東京の我が家を訪ねてくれている。
2014年8月にはわたしたちは東京に戻った。
その前に、しょうこさん夫妻は転勤でキンシャサを離れていて、ふたたびキンシャサに戻ってきたのは、2016年3月か4月くらいだったか。
わたしの夫がポワルー道路の街路灯設置プロジェクトでキンシャサ滞在が始まったのが2016年6月で、わたしが追ってこちらへ入ったのが同年9月半ば。
それから、毎週火曜日、木曜日の早朝ゴルフを一緒に楽しんだ。

しょうこさん夫妻最後の参加の4月キンシャサ日本人ゴルフコンペ 


昨年9月にわたしのキンシャサ滞在が始まってから、わたしは全く料理に取り組めないでいた。お客さんを招いて食事会を、なんて到底無理な状態だった。
以前のキンシャサ滞在の時に、頻繁に起きた断水と停電で不自由したこと、特に来客予定の日に断水と停電でパニックになったときのことがよみがえってきて、トラウマ状態に陥ってしまったのだ。

その時に、しょうこさんは力まずにそのままでいていいじゃない~とさりげなく支えてくれた。
ゴルフのあと、我が家でランチしていくように、とこれまた自然に誘ってくれた。
ゴルフから一緒に帰宅したしょうこさんは、そのまま手際よくランチの用意をして、ご主人のお昼休み帰宅に合わせて、夫妻にまじってランチをした。
ささっと準備をするしょうこさん特製ランチの美味しかったこと!さりげなさの何と心地よかったことか!涙が出るくらいうれしかった、ありがたかった。
そうだな、料理なんて力まずにできる範囲で取り組めばいいんだ、お客さん招待はまだまだ考えなくていいんだ。
そう思えるようになってきた。
しょうこさん宅でのランチは、わたしが3月初めに新しい家に移って、しょうこさんの車での送迎が終わるまで続いた。
本当に、本当に、ありがとう!しょうこさん!フレッドさん!

4.19。キンシャサ・ゴルフクラブでの一緒の最後のプレイ

わたしは、しょうこさんも含めてキンシャサ日本人女子会をまた我が家で開くことができた。
わたしにはうれしい復帰だった。


今頃、空港到着したくらいかな。
また逢う日まで!
ぜひ、元気で再会しましょう。


~と書いたところで、今夜、わたしたちは夫の会社も絡んだ交通プロジェクトのかたたちとの会食に出かけた。
よかった。救われたな。
大人数で食卓を囲めて、寂しい夜を紛らわすことができたのだから。

帰る道、ずっと雨が降っていた。
本当にキンシャサで久しぶりの雨。
なみだ雨かな。

しょうこさん夫妻はもう機上の人よね、きっと。


帰宅してみると、わたしの携帯にしょうこさんからメッセージが届いていた。
飛行場のラウンジから送信されたうれしいメッセージだった。

出発当日お昼ぎりぎりまで、わたしたちキンシャサ日本人マダムとカフェで過ごしてくれたしょうこさん。最後の荷物をスーツケースにぎりぎりいっぱい詰め込んで来たわよーって笑顔でカフェに現れた。

また、お互い元気で再会を楽しみに!!!
これまでずっとありがとう!!!
これからも、どうぞよろしく!!!

2017年4月15日土曜日

キンシャサ便りふたたび29 きのこと蝶々

またまた、ゴルフ場の話題で恐縮だが、どうしてもわたしのキンシャサの思い出として忘れないうちに書き留めておきたくて。


今週木曜日、4月13日。
しょうこさんとシルビーさんの三人での早朝ゴルフのときに、今日はやけに白蝶が飛んでるねえ、という話になった。蝶々のふ化がどこかで大量に発生したのかしら、と。
ここはアフリカ、常夏の国。
4月だったら、日本は春だから、蝶々がひらひら~なんてこともある季節だが。
しょうこさんの家の庭にも今朝、たくさんの蝶々が飛んでいたという。
はて?今まで、キンシャサの4月で蝶々が大量に飛んでいた、なんて記憶はないのだけど。

本来なら雨季真っ只中のキンシャサだが、今年は本当に雨が少ない。
我が家のボーイもフランス語のコンゴ人の先生も、だんだん、気候が変わってきていると言う。
昨年も雨が少なかったのだそうだ。
広大な熱帯雨林(コンゴ一帯は世界三大熱帯雨林のひとつだ。)の木が伐採され続けて植林がなされていないから森林破壊が進み、それが気候変更の原因になっているのだ、とかれらは主張する。
ドキリ!イロコの木を日本に持ち出したわたしは胸が痛んだ。

それで、4月の半ばに蝶々が大量発生したのかはしらないが、木曜日はやたらに白い蝶がキンシャサを飛び回っていたようだ。




で、その日。
ゴルフ場から車で10分少々の我が家に到着して、ふっとリビングの窓を見ると。
なんと、白蝶が一羽、とまっていた!
わたしが乗った車にくっついてきたのかな。
いやいや、やっぱり、この日、キンシャサで白い蝶が大量ふ化したのだろう。


それから、もう一つ、ゴルフ場でこんなものが目に留まった。



大きさのほどは、ゴルフボールより2回りほど小さいくらいかな。
でも、草むらでドデン!と存在感があって、「でかいきのこだー!」と思わず声を上げてしまったほど目についた。
フェアウェイからほんのちょっと入ったラフにニョキっと顔を出した白いきのこ。
だれにも触られずによくぞここまで大きく成長したものだ。
食べられたら美味しそ~!とは、連れの感想。
わたしは、このきのこを見つけて、”あるもの”を思い出していた。
赤羽の我が家に置いてきた、これだ!




2013年5月17,18,19日の三日間、開催されたキンシャサ オープンゴルフのときに当時の日本大使からいただいたものだ。
ゴルフの腕の素晴らしい大使はシニア部門で優勝されて、コンゴ人木工作家のオーギーさん制作の木製トロフィーを手にされた。
また、入賞者にはやはりオーギーさん作のティーアップゴルフボールの木製の賞品も手渡されたのだが、その両方を受賞した大使が、わたしにはこの優勝トロフィーで十分だから、3日間頑張ったマダムにがんばり賞で、このゴルフボールトロフィーをプレゼントしよう、とわたしにくださった思い出のものなのだった。わたしの成績はビリから数番目だったのに。
あのときの感動を今もしっかり昨日のことのように思い出す。

というわけで、わたしは、ニョキっと、ドデンと生えた立派なきのこと、この思い出のトロフィーを重ね合わせていたのだった。

また、ひとつ、キンシャサの思い出をブログに残せてよかった、よかった。

今年こそ、しょうこさんとキンシャサ オープンゴルフに参加できる、と楽しみにしていたら、突然、かのじょはご主人の転勤で来週、キンシャサを出てしまうことに。本当に寂しい。

2017年4月10日月曜日

キンシャサ便りふたたび28 オジギソウ、見つけた


キンシャサ・ゴルフクラブで見つけたオジギソウ

オジギソウ。
わたしが小学生の頃、宝物のように思っていた植物。
ずっと、オジギソウは夏になるとそこらじゅうに生える雑草だと思っていたが、どうも記憶違いだったかも、と思えてきた。オジギソウを知らないという友人も、道端に生えているのを見たことがないという友人もいる。もちろん、日本人の友人だ。
はて?
考えてみると、鉢植えで大切にじっと見入っていた記憶もよみがえってくる。

まず、オジギソウについて調べてみると。
マメ科の小低木。
園芸では一年草として扱われ、高さ20~90cm。
葉は羽状複葉で、ものが触れると急に閉じて葉柄から垂れ下がり、また夜になると閉じる。
夏、桃色の小花が球状に集まった花を付ける。
ブラジル原産で、日本には江戸末期に渡来。
ねむりぐさ、とも言われ、夏の季語。

わたしは、小学生の頃、種が飛んで道端で芽を出すひまわり、コスモス、オシロイバナ、三色すみれ、ホウセンカ、百日草、キンギョソウ・・・名前を挙げると限りなく続いてしまうくらい(!)園芸植物を根っこごと抜き取ってきて、「わたしの花壇」に移植して、一本一本に咲く花を楽しみ、花が枯れて種ができると種を大切に保管して、翌年、花壇にその種をまくのも楽しみだった。
オジギソウはその中の園芸植物の一つだったのかもしれない・・・。

あるいは・・・。
ある時期、オジギソウは月刊誌「科学」(学研)の付録になって、大人気の園芸植物になって、あちこちで見られた、という記述も見つけた。
さもありなん!
小学生のわたしには、さわると葉っぱが閉じる、というか、植物なのに「動く」という”草”が不思議でならなかった。(食虫植物なんて存在もまだ知らない頃だった!)
わたしはあの頃、雑誌「科学」の大ファンだった。

でも、道端でも見つけられた気もするのだが。
あ!オジギソウだ、と思うと、咄嗟に手が出て葉っぱに触り、葉っぱが動かなかったらがっかり、しょんぼり~なんてことが結構あったようにも思う。
同じような葉をして、同じような名前の付く低木の”ねむの木”の葉っぱは決して動かなかった!


前置きが長くなったが、そんなわたしの宝物のように思ってきた「オジギソウ」にまた、キンシャサでも出会ったのだった。
今年3月7日。キンシャサ・ゴルフクラブの12番ホールから13番ホールに向かう道端で。
あ、オジギソウだ、と思って葉っぱに手を伸ばすと、しっかり葉っぱは閉じたのだった。
1993,4年頃、中央アフリカ共和国に家族で滞在していた時、首都のバンギからちょっと離れたところにピクニックに行ったときにも草むらに、オジギソウを見つけた。
アフリカにもオジギソウが生えている!!!その時の感動もよみがえってきた。

でもねえ。日本人の感性にはまいるなあ。
葉っぱが閉じる、イコール、「おじぎする」と考えるのだもの。
それで、命名したのか! オジギソウ!
これまで、滞在してきた国で、挨拶の時にぺこりとおじぎをする国の人たちを知らない。
コンゴのこの国で、一度、ぺこりと体を曲げて挨拶をする光景を見たことがあった。その時に尋ねると、昔(?)、どこかの王国の中に、酋長さんにぺこりと体を曲げて挨拶をするところがあったのだということだった。

では、このオジギソウのことを、コンゴの国の人たちはどう呼んでいるのか。
ゴルフのわたしのキャディによると。
リンガラ語(キンシャサ周辺の国語)では、”MATITI”、マティティ。
スワヒリ語(かれの出身地ルブンバシや東部のほうの国語)では、”MAYANI”、マヤ二。
かれらのだれもがよく知っている植物だ、と言う。
マティティ、マヤ二、にはどんな意味があるの?、と訊いてみた。
そしたら何と、ただ「葉っぱ」という意味だと言う。
どんな植物の葉も、マティティ、マヤ二、なのだそうだ。
花、はどんな花も、「花」。
ただ。それだけ。

はー???
大ざっぱすぎー!!!!!
確かに、中央アフリカ共和国滞在時、この花の名前は何?、と訊くと「黄色い花です。」、「赤い花です。」という答えしか返ってこなかった。
それに比べて、日本人なんか、ありとあらゆる植物に名前がある。
”ホトケノザ”なんて、ホントに仏様が座っているかのようで、なるほどなあ、と感心するネーミングだった。
”フタリシズカ”、”ヒトリシズカ”にも恐れ入り谷の鬼子母神だった!
日本人が繊細すぎる?

ちなみに、それぞれ、リンガラ語、スワヒリ語の”ボンジュール”は、”MBOTE”、”YAMBO”。
かれらは、葉っぱを閉じることを、挨拶をしている、とは捉えていない、どころか、単なる「葉っぱ」なのだなあ。

日本人は、挨拶をするとき、体を曲げて挨拶をするのよ。
この草は、触ると葉っぱを閉じるでしょう~こんにちはと握手をすると、日本人のする挨拶のように、ね。体を曲げて挨拶をすることを、日本語では「お辞儀をする」というから、この植物のことを、わたしたち日本人は、「オジギソウ」というのよ。
~こんな私の説明に目をまん丸くして聞き入るキャディたち。
今では、なぜだか、わたしの近辺のキャディたちは、「OJIGI-SO」と言って挨拶をしてくる。

キンシャサ・ゴルフクラブには、日本と同じ、つゆくさ、も見かける。
同じ青いきれいな花を付けて品よく咲いている。

熱帯の植物というと、ハイビスカスなど木に咲く大柄の花しか想像しないが、キンシャサ・ゴルフクラブには日本で見かけるひっそりした草花も咲いていてうれしくなる。

2017年3月31日金曜日

キンシャサ便りふたたび27 ”ミシリ”~キンシャサのワラビはたまたゼンマイか

キンシャサの”ミシリ”
今回のキンシャサ滞在で初めて知った野菜がある。
「ミシリ」という山菜だ。
上の写真がその「ミシリ」だ。
一束300コンゴフラン。日本円で50円もしない。
1束20本くらいはある。
長さが分かるように置いた歯ブラシが17cmだから、ミシリの全長は30cmほどだろうか。ただ、下の方は茎は堅いから数センチは切って捨てる。
アクが相当強いらしいが、地元の人たちにはポピュラーな野菜だということだ。

昨年9月にわたしが夫より3か月遅れてキンシャサに入ったとき、こっちで見つけたゼンマイで佃煮を作ってみたと食卓に並べてくれたのが「ミシリ」との初めての出会いだった。

夫が調理した「ミシリ佃煮風煮」

なかなか美味しい。舌触りもいい感じだった。
ビールにも合う。

夫曰く~
沸騰した湯に重曹を入れて茹で、冷水にとって洗い、新しい冷水に浸けて冷蔵庫に入れて一晩置く。翌朝、水は真っ黒になっている。そのミシリを切って、油で炒め、しょうゆ、砂糖、だし粉で味付けする。クックパットで検索したレシピらしい。

ここで、ハタ、と気づいた。
この「ミシリ」は、日本のワラビなのか、ゼンマイなのか。

調べてみると。
<ワラビ> コバノイシカグマ科のシダ植物で、草原、谷地、原野などの日当たりの良いところに群生する。採集時期は4月中旬から6月上旬頃。
新芽は食用にされ、ぬめりがあり、くせのない味がする。アク抜きの後、すぐに食べられる。

<ゼンマイ> ゼンマイ科のシダ植物で、山野の渓流のそばや水路の脇など水気の多いところに生える。採集時期は3月中旬から6月上旬頃。
新芽は食用にされ、独特の食感がある。アク抜き後、すぐに食べられない。アク抜き→揉んで乾燥、を繰り返す。

新芽の外観上の最大の違いは、<ワラビ>は小さな芽が3つある。<ゼンマイ>は大きなうずまき状の芽が1つ。
<ワラビ>は緑色もしくは紫色だが、<ゼンマイ>は産毛のような茶色の毛に包まれているので茶色または深緑のような色、ともある。
また、<ワラビ>には微量だが発がん性物質ブタキロサイドが含有されているが、<ゼンマイ>には含まれていないそうだ。
値段は、 ” ワラビ<ゼンマイ ” なのだそうだ。生えている場所(探す場所)を考えるとうなずける?

では、キンシャサの「ミシリ」はどうか。
ぬめりはないし、小さな芽が3つということもないから<ワラビ>ではない。
でも、産毛もないから<ゼンマイ>でもない?
ふむ。
ワラビ、はたまたゼンマイか。
日本には存在しないシダ植物だということにしておこう。


日本は春分の日が過ぎ、桜前線北上中なのだろう。
キンシャサは南回帰線と北回帰線に挟まれた南緯4度に位置するから、この頃にちょっと不思議な現象が起こる。
日本の春分日の直前あたりに太陽の南中高度がぴったり(かどうかは知らないが)90度になることがある。つまり、南中時刻に影がなくなる、ということだ。
そして。その後、しばらくは、太陽は東から昇って、北側(!)に軌道を取って西に沈むのだ。
つまり、日差しは北向きの窓から入ってくることになる。

春分の日の直前あたりから夏至を過ぎ、ふたたび秋分の日の直後くらいまで、太陽の軌道は北側を通る、という日本人として育ったわたしにはまことに摩訶不思議な現象がみられるのだ。

そのことに気づいたのは、子どもと一緒に家族で過ごした中央アフリカ共和国のバンギでのことだった。
バンギは北緯4度。やはり、南回帰線と北回帰線に挟まれたところに位置する。
子どもたちの理科の教科書で、頭をひねくり回して一緒に考えた。
日本は、北回帰線からも外れて北に位置する国だから、一年を通して、南中高度は変わるけど、毎日毎日、太陽は東から顔を出すと南側(!)を通って西に沈んでいくのだ。
そんなこと、考えもしなかった、25年前まで!
ああ、わたしたちは地球に住む地球人なんだー!、と実感したのだった。
なんて。
とんでもない方向に話は進んでしまった。
でも、いちど、熟考されたし!

昨夜、更新したつもりの「キンシャサ・ミシリ」のブログが削除されていることに気づき、今朝早く起きて、もう一度書いたブログ記事でした。

2017年3月27日月曜日

キンシャサ便りふたたび26 久しぶりのAcadex学校再訪

Acadex学校校舎を出て校庭を横切る

3月17日、約3年ぶりに、キンシャサ中心地から1時間半ほどの高台にあるKinbondという地域に建つAcadex学校を友人たち,夫の4人で再訪した。

初めてAcadex学校を訪れたのは2012年3月頃だった。
慶応大学藤沢湘南校の教育チームと建築チームが支援実践する現地の子どもたちのための学校で、初訪問の時はまだ校舎は一棟だけで、広大な校庭が印象的だった。
それから機会があるたびにわたしたちは2度、3度とこの学校を訪ねた。
そのたびに、校庭で生徒たちが歌(日本の歌も!)と遊戯を披露してくれて歓迎してくれたことを懐かしく思い出す。来訪者を受け入れてくれる開かれた学校だというイメージを持つ。

毎年、夏休みを利用して教育科、建築科の学生たちと教官がKinbondに滞在して、学校のカリキュラム運営に関わり、また、2教室続きの一棟ずつが建設されていく予定だと最初の訪問で聞いて、小さな一粒、二粒の種が芽を出して伸びて行こうとするイメージを思い描いた。

それが、なんと今回の訪問で、校舎が着実に増築され、校庭の周りをぐるりと囲んで建っていたのだ。あれだけ広いと感じていた校庭が狭くなってしまっているのにびっくりした。

Acadex学校は現在、幼稚園年中組と年長組、小学校6学年、中学校3学年のクラスができて(何と日本式の学年分け!)、熱心な授業が繰り広げられていた。
地域的に水道が引かれていないから、校内に雨水を貯めるシステムを取り入れて貯水タンクが校内に設置され(安全上、しっかりと施錠されていた。)、水洗トイレなどに利用されているそうだ。
電気は停電が多いのか、時間制限なのか?
だから、屋根の傾斜を工夫設計して、天井からの自然採光で教室が明るく保たれている。
明るい教室で学べる環境は大切な教育条件だと思う。


幼稚園年長クラス アルファベットを書く授業が行われていた

慶応藤沢湘南校で教鞭を取るコンゴ出身のサイモン先生が日本式の学校システムを取り入れた学校を故郷に建てたいという意志を汲んで、長谷部葉子先生率いる教育のゼミ生たちと、建築科の先生とゼミ生たち(後に保健衛生チームも加わる)がAcadex学校プロジェクトを始動したのが約10年前だという。
学校の敷地はサイモン先生所有の土地だと聞いた。
10年の間に、こんなにしっかりと、幼稚園から中学校までの教育の芽が育ち花咲かせていたのだ。

Acadex学校の象徴であるアーチの丸い校門(建築科学生たちの2年がかりの力作だったことも思い出深い!)もそびえ立ち、訪問者を歓迎するかのように花壇が整えられ、小さくなってしまった(!)校庭があり、その校庭をぐるっと囲むように4棟(だったか?)の校舎が建っている。
教員室もある。
内科医でもある校長先生のヴァスティーさんが私たちを各教室に案内してくれた。
彼女はまだ若い女性だが校長先生としての強い責任感を持っている賢明な女性だ。日本語も勉強しているそうだ。

シゲキセンセイから習ったという歌とお遊戯で歓待してくれた年長、年中クラスの園児たち

教育チーム、建築チームに、途中から保健チームも加わって、校内に明るく清潔な保健室も設置されている。展示物が充実していて視覚的にも楽しく、居心地の良い室内だった。





エプロンを使って、あなたたちのお腹の中にはこんな内臓が入っていて、口からご飯を入れるとこんなところを通ってかみ砕かれて栄養分を取って、ここで息をして血液を全身に流し、不要分はうんちやおしっこになって体外に出て行くのだという仕組みをわかりやすくイメージできるようにしたり、模型や有名サッカー選手のポスターを使った展示物で自分の体に興味を持つような工夫がすばらしい。
水道のない校舎内では、雨水が貯められて使われているが、保健室ではピンク色のかわいらしい洗面手洗い器が入り口に設置されていた。
帰るときにもう一度保健室を訪ねると、お腹が痛いという女の子がベッドに横たわっていた。


Acadex学校に向かうために幹線道路から右折すると未舗装の狭い道路がくねくねと続き、今回も道に迷ってしまった。
すると、また、地元の子どもたちがどこからか湧いて(!)きて方向を指してくれる。「日本の学校」と尋ねると界隈の人たちは皆、あそこだよと教えてくれるのだ。
前回は、小さな子どもたちが数名、わたしたちの車に乗り込んでAcadex学校まで案内してくれたが、今回は、自慢の(きっと!)自転車にまたがった男の子二人がついてこいと言わんばかりに先導して案内してくれた。お礼にお土産のキャンディをあげると目を輝かせて受け取った。
そして、到着後もいつまでも、校門の外でじいーっと校内を見つめていた。かれらは、学校に通っていないのかな、それとも、違う学校に通っているのかもしれない。
この国には、義務教育制度がないから、お金を払えないと小学校にも通えないのだ。

ここに通う園児、学童、生徒たちは皆、清潔な身なりをしている。教育熱心な家庭の子どもたちだと想像できる。

Acadex学校が初めて園児と小学校1年生を受け入れてから10年。
来年度には第一期生も高校生になる。そんな彼らに合わせて、今夏には高校クラス設置に向けて始動するそうだ。
高校3年終了時に実施される大学入学資格のためのバカロレア試験対策カリキュラムにも着手するのだろう。
また、来年度には幼稚園年少クラスも設置されるのだそうだ。


コンゴ出身のサイモン先生の夢が、慶応大学で根付き、教官、学生たちにバトンタッチされていき、この10年で大きく大きく育っていっている。
夫が、しみじみと言った。
「最初に訪問した時は生徒数100人と言っていたなあ。でも、今回の訪問で生徒数が400人になったと聞いたよ。すばらしい教育を実践している証拠だなあ。」

すばらしい学校を作り上げてきたこのプロジェクトに関わるすべての方たちの実行力に大感動の一日だった。

※ Acadex学校プロジェクトの記述で間違い箇所がありましたら、ご指摘ください。ご迷惑をおかけすることのありませんように。(筆者)

2017年3月14日火曜日

キンシャサ便りふたたび25 日本大使館私書箱に届いた日本からの手紙

  寝室の大きな窓から、朝陽に向かって列をなして飛んでいくいくつもの鳥の群れが目に入り、一日の始まりを告げる。
そして、リビングの大きな窓から、夕陽に向かってやはり群れを作ってきれいに並んで飛んでいく鳥たちの光景が広がる。
朝陽に向かって一日の仕事に出かけ、夕陽に向かって巣に帰っていく鳥たち。
いくつもの群れが次から次へ空を横断していく。
朝方と、夕方の時間帯のスペクタクル。

太陽がかれらの活動のすべての目印なのか。
たまたま、目指す方向、巣の方向が、昇る朝陽と沈む夕陽の方角と一致するだけなのか。
不思議だなあ、とひとり思いながら眺めている。

やっぱり、大きな窓は視野も心も大きくしてくれる、かな。


さて、引っ越して2日目。
大家さんの関係者でキンシャサの日本大使館現地職員として勤務するかたが、わたし宛ての手紙が大使館私書箱に入っていたからと、わざわざ我が家まで届けてくれた。


4か月かかってわたしの手元に無事届いた日本からの手紙


ホントだ! ”Mme. INOUE Hiroko” と書かれている。
でも、しっかり、”ゴンべ郵便局私書箱3118” と書いているのに、なんでまた日本大使館の私書箱に入っていたんだ?
しかも、キンシャサ到着スタンプは、3回押されていて、いちばん古い日付は”02.Nov 2016”になっている。


3回押印されたRDCキンシャサ郵便局受領スタンプ

またまた、4か月もかかってわたしの手元に届いたのだった。
わたしがここに引っ越してきたからこそ、わたしの身元が分かって届いたのかもしれない、と思うと、”縁”を感じてしまう。

やっぱり、引っ越して正解だったのだ、という象徴のようなこのうれしい手紙。
わたしのハープの先生からの便りだった。
ありがとうございます!!!

腰痛の日々に明るい日差しがサーっと入り込んだような出来事だった。