2017年4月21日金曜日

キンシャサ便りふたたび30 また逢う日まで!


わたしのゴルフ帽子 with しょうこさん制作の布バッジ&青い鳥の羽

たくさんの思い出をわたしたちにプレゼントしてくれて、しょうこさん夫妻が今夜の便でキンシャサを離れる。
寂しいな。本当に寂しいな。

2012年のあれは何月だっただろう。9月の初めくらいだったかな。
突然、キンシャサ・ゴルフクラブの休憩コーナーで、フランス人のムッシュから日本語で話しかけられた。
わたしの奥さんは日本人です、キンシャサにもうすぐ来るので、お友だちになってください。

その次にムッシュに会ったとき、わたしの奥さんと電話で話しますか、と電話をしてくれて、初めて話をしたゴルフ場でのこと。
それがしょうこさんとの(声での)出会いだった。
わたしは、それからずーっとしょうこさんと一緒に過ごしたキンシャサだ、と思っていた。
よくよく考えたら、お互いの帰国や休暇、転勤なんかで細切れのお付き合いだったんだな。
それでも、わたしはフランスのしょうこさんのお宅へ、そしてしょうこさん夫妻は東京の我が家を訪ねてくれている。
2014年8月にはわたしたちは東京に戻った。
その前に、しょうこさん夫妻は転勤でキンシャサを離れていて、ふたたびキンシャサに戻ってきたのは、2016年3月か4月くらいだったか。
わたしの夫がポワルー道路の街路灯設置プロジェクトでキンシャサ滞在が始まったのが2016年6月で、わたしが追ってこちらへ入ったのが同年9月半ば。
それから、毎週火曜日、木曜日の早朝ゴルフを一緒に楽しんだ。

しょうこさん夫妻最後の参加の4月キンシャサ日本人ゴルフコンペ 


昨年9月にわたしのキンシャサ滞在が始まってから、わたしは全く料理に取り組めないでいた。お客さんを招いて食事会を、なんて到底無理な状態だった。
以前のキンシャサ滞在の時に、頻繁に起きた断水と停電で不自由したこと、特に来客予定の日に断水と停電でパニックになったときのことがよみがえってきて、トラウマ状態に陥ってしまったのだ。

その時に、しょうこさんは力まずにそのままでいていいじゃない~とさりげなく支えてくれた。
ゴルフのあと、我が家でランチしていくように、とこれまた自然に誘ってくれた。
ゴルフから一緒に帰宅したしょうこさんは、そのまま手際よくランチの用意をして、ご主人のお昼休み帰宅に合わせて、夫妻にまじってランチをした。
ささっと準備をするしょうこさん特製ランチの美味しかったこと!さりげなさの何と心地よかったことか!涙が出るくらいうれしかった、ありがたかった。
そうだな、料理なんて力まずにできる範囲で取り組めばいいんだ、お客さん招待はまだまだ考えなくていいんだ。
そう思えるようになってきた。
しょうこさん宅でのランチは、わたしが3月初めに新しい家に移って、しょうこさんの車での送迎が終わるまで続いた。
本当に、本当に、ありがとう!しょうこさん!フレッドさん!

4.19。キンシャサ・ゴルフクラブでの一緒の最後のプレイ

わたしは、しょうこさんも含めてキンシャサ日本人女子会をまた我が家で開くことができた。
わたしにはうれしい復帰だった。


今頃、空港到着したくらいかな。
また逢う日まで!
ぜひ、元気で再会しましょう。


~と書いたところで、今夜、わたしたちは夫の会社も絡んだ交通プロジェクトのかたたちとの会食に出かけた。
よかった。救われたな。
大人数で食卓を囲めて、寂しい夜を紛らわすことができたのだから。

帰る道、ずっと雨が降っていた。
本当にキンシャサで久しぶりの雨。
なみだ雨かな。

しょうこさん夫妻はもう機上の人よね、きっと。


帰宅してみると、わたしの携帯にしょうこさんからメッセージが届いていた。
飛行場のラウンジから送信されたうれしいメッセージだった。

出発当日お昼ぎりぎりまで、わたしたちキンシャサ日本人マダムとカフェで過ごしてくれたしょうこさん。最後の荷物をスーツケースにぎりぎりいっぱい詰め込んで来たわよーって笑顔でカフェに現れた。

また、お互い元気で再会を楽しみに!!!
これまでずっとありがとう!!!
これからも、どうぞよろしく!!!

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