2013年2月12日火曜日

キンシャサで観た「梅ちゃん先生」

キンシャサで、昭和20年から17,8年間の東京・蒲田を舞台にしたドラマ「梅ちゃん先生」をじっくり観る機会を得た。


わたしたち夫婦が日本を後にしたのは2011年12月31日夜だったから、NHKの朝の連続テレビ小説は当時、「カーネーション」が放送されていた。

翌年4月になり、次回作の「梅ちゃん先生」の評判を友人からのメイルで知っていたが、それからしばらくして、いつも「NHK・今夜も生でさだまさし」をDVDに録画して送ってくれる友人から、懐かしい建物が出てくるから「梅ちゃん先生」DVD送ります、というメッセージとともにわたしの手元に届いた。20話分ほどが収められていた。


梅子が勤務した帝都大学付属病院という設定で登場する建物


その、途中からの20話分の梅ちゃん先生にはまり込んだ。

その後の物語の展開が知りたくて、NHkの梅ちゃん先生ホームページで見てはいたものの、どうにか実際のドラマを観ることができないかという思いが強くなっていった。

すると!!!

日本の無償プロジェクトで来ているアパート隣人の所長さんが梅ちゃん先生DVD全編を所有されていることが判明。
さっそく借りてきて観ようとするも、高速録画のためにPCでも我が家のデッキでも観ることができなかった。他のプロジェクトで滞在する方がPCに取り入れようと試してくれたりして様々な方々の厚意の末、なんと、お隣の所長さんが日本で新しく購入して来られたDVDデッキ本体まで貸してくださったのだった!!


そして、めでたく全編1話から156話まで、おまけにスペシャル版までキンシャサの自宅アパートで視聴を完了した!!


梅ちゃん先生を見続けたダイニングとリビングソファ




朝ご飯のときも、夜の晩酌、ご飯のときもずーーっと夫と観つづけた。
お借りしていた最後のディスクをデッキに入れたときもまだ12話分とスペシャル分があるから大丈夫と寂しさを払拭できたが、あと5話、4話・・・とカウントダウンするときの寂しさといったらなかった。
とうとう最終回を終えて出演者のテロップが流れ、撮影ロケ地名が流れたときは呆然としてしまった。


そう。最初に友人が梅ちゃん先生のDVDを送ってくれた理由は、社会人2年目の我が息子の母校がロケ地として登場するからなのであった。
梅子が勤務する病院の建物や池のある庭は、息子が体育会応援部員として活動した4年の間に学園祭演舞会の野外ステージを観るためなどに訪れた懐かしい、思い出の場所だ。
2011年3月下旬、応援部第五十五代主将として迎えるはずだった息子たちの卒業式は大震災直後の混乱のために中止となった。
その後、3月31日にタクシーで就職先の会社寮に引っ越して行った息子を見送り、そして改めて5月連休時に行われた卒業式で紋付はかま姿で出席したいという息子の希望に添い、息子の大学まで行って着付けし、卒業式会場の講堂には絶対に入るな!!と言う息子の申し出を忠実に従った母は、梅ちゃん先生によく出てくる庭の池のベンチで缶紅茶を飲みながら卒業式が終わるのを待ったのだった。(その後、汗びっしょりの紋付はかまを受け取って母はすごすごと1人帰宅した・・・。)

着物一式抱えて慌てて自宅を飛び出したわたしは、ジーパン姿だった。
あのとき、きちんとした格好をしていたら講堂に入り込んで、息子の応援部主将として最後の舞台を見ることができただろうに、とずい分あとになって後悔したのだった。

思えば、大学に入学してボート部に入部すると言っていた息子が応援部に入部したと知った時、愕然として、やくざ稼業に脚を突っ込むなんて、とがっかりしたのも懐かしい思い出だ。
それが、春恒例のボート部の大学対抗レースの応援部の活躍を観、演舞を観ていくうちに、応援部ファンになってしまい、他大学の応援部ステージまで観に行くようになったのだった。

そんなこんなの懐かしい息子と応援部の思い出の場面も湧き出てくる「梅ちゃん先生」なのだった。


いつも、梅ちゃん先生の物語にはまり込みすぎて、毎回見終わると、あれ?ここはどこ?・・・。
あそうだ、わたしは今、キンシャサにいるのだった!・・・と時代も場所も気候も何もかも違いすぎる居場所にとまどうのが常だった。


昨日2月11日、アジアの女性で新年ランチ会があった。
ドイツ人男性と結婚している中国人マダムが、夫にはコンゴの国を発展させたいという夢があるのよ、と言った。
皆が、この国の発展ねえ・・この国はどう進んでいくのかしら。
少しずつ、少しずつ、かな。
すると、韓国人マダムが、1950年の時点では、コンゴの国と韓国の経済力は全く同じだったのよ。なのに、コンゴの国の状態はこの有様よ、と嘆いた。

梅ちゃん先生の物語の始まりは終戦直後の蒲田だった。
あんな貧しく、生きるのが大変な時代をくぐり抜けて、頑張って国力を付け、少しずつ庶民の生活が改善され、経済も高度経済成長のときを迎え、公害やら色んなマイナス要因も一緒にここまで発展してきたんだなあ、という時代の変遷もしっかり見えてくる物語設定でもあった。

日本は最初から豊かな国ではなかったのだ、ということをこのドラマを視聴した日本人たちは再び思い起こせただろうし、また是非アジアやアフリカの人々にも、日本にそんな時代があったことを知ってほしい。

翻訳業の知人の女性が、現在の出版社の現実として、もはや戦前,戦中、戦後の時代を舞台にした小説は売れないから切り捨てられようとしている、と嘆いているのを、つい最近聞いてびっくりした。
あの厳しい悲惨な時代を忘れてはいけないと強く思う。


梅ちゃんは昭和4年生まれなのだそうだ。
そして梅ちゃんの息子たちは、昭和33年と36年生まれ(?だったかな)だ。
まさに梅ちゃんはわたしの母と、そして梅ちゃんの子どもたちはわたしと年代的に重なる。
どうか、梅ちゃん一家が今もつつがなく蒲田の町で元気に生きていますように。


日本の敗戦国からの復興の厳しい時代に一生懸命生きた人々の、温かくもたくましい生きる息吹を感じる良い物語を観せてもらった。

みなさん、ありがとうございました。


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