2013年2月27日水曜日

タヒチからの友人

友人からのプレゼントの生け花


IWC(国際女性クラブ)で出会った友人にタヒチ美人の魅力的な女性がいる。


初対面のときからとってもフレンドリーな女性で、わたしが、フランス語がとても上手ね、と言うと、だってわたしの母国語だもの。

ユーモラスな言い方に彼女の人懐こいキャラクターが覗いた。
タヒチ出身なのよ。

ゴーギャンの絵に出てくる自然美の女性そのものだと思った。(肌の色は日本人と同じだけど。)



彼女のお宅を訪ねると、庭にはいろいろな熱帯の花や植物が植えられていて、自然な手入れに感心する。
シトロネール(レモングラス)や、ハーブたちも青々と育っている。

きっと料理上手でもあるのだろう。
お手製のココナツケーキは逸品だったしなあ。

庭師が庭の植物たちに消毒薬を散布しようとしたので、体を張って阻止したのよ~、と笑う。
体に害のある薬品はまかないから、へびやかえるが庭に来るのよ。
あっけらかん!と言う。


先週、数人の友人を我が家のランチに招待したら、彼女は、上のような長さ数十センチもあるシュロか何かの木の皮でくるりと巻いたフラワーアレンジメントを抱えて持って来てくれた。
わたしの家の庭の植物と花で作ったのよ、と。
何とセンスの良い贈り物だろう!


彼女は、昨年末のIWCクリスマスバザーのときも、大きなクリスマスリースを生花と枝でいくつも作ってバザー品として提供していたことを思い出した。

IWCのランチ会のときには黄色い生花を髪のサイドに挿して現れたり、とてもナチュラルな女性だ。

ヨーロッパの食品ブランドの会社に勤務するご主人と家族で、ニューカレドニアからコンゴに赴任してきたそうだ。

誰かがちょっと皮肉っぽく言った。
天国から地獄に来たようなもんだね、と。

でも、彼女はきっとキンシャサ生活も自然体で入り込んで彼女なりにエンジョイするんだろうな。

2013年2月24日日曜日

キンシャサのオクラ

キンシャサに来て間もないころ、日本大使館員の奥さんに現地野菜市場”ジギダ”を案内していただき、初めてここにも”オクラ”があることを知った。

”ジギダ”に行くたびにオクラを買っていたら、最近ではキンシャサ中心街のスーパーマーケットやジュスティス通りの路上野菜売りのマダムのところでも買えるようになった。

気をつけて選ばないと、時々、筋の硬いオクラがあったりするが、日本のものとほぼ同じだと言える。


ある時、わたしがオクラを買って台所に置いていたら、家政婦が驚いて、日本人はオクラを食べるのか!!、と言う。
食べるよ、と(わざとらしく)平然として言うと、更に続けて、日本にもオクラがあるのか!!、と目を皿のようにして言う。
もちろん!!

うっへえ~、アフリカから遠い遠い日本なのにねえ。
日本にもオクラがあるんだ・・・、と遠い目をして感心した。

わたしのフランス語の先生も同じリアクションをした。
日本って、遠い国で文化もことごとく違うと思っていたら、日本人もオクラを食べるのねえー!
はいー、食べるんですよー。



前菜として我が家でヒット中!


オクラにハムや茹でたにんじんのせん切り、かつおぶしなどを混ぜて醤油で和えて食べるのだが、最近、「オクラそうめん」というレシピをネットで発見してからは、ちょっと我が家のマイブームになっている。

オクラとそうめんをつゆ(しょうゆ、みりん、だし汁を混ぜ合わせて熱し、冷蔵庫で冷やす。)で混ぜ合わせて、レモンや七味を入れて食べる。
冷たくてさっぱりして、暑い国の前菜にもってこいだと思っている。



※ ネタばらしをすると・・・我が家にはそうめんはないので、こんな代替品で食べるのだが、これがまた結構イケル。 ↓


  ”Capellini”というスパゲティーの細麺だ。ちなみに、”天使の髪の毛”という意味なのだとか・・。



家政婦やフランス語の先生の話では、コンゴの人たちはオクラのことを、(口をしぼめて)「ドゥンゴドゥンゴ」と言っている。それがリンガラ語なのかどうかは知らないそうだ。
家政婦の出身地のバコンゴでは食べないのだとも言った。
バンドゥンドゥ、ルブンバシ、カサイといったコンゴ南部地方で食べられるようだ。
そういった地方出身の人たちがキンシャサに来て、ドゥンゴドゥンゴの食習慣を広めたのだろうということだった。

コンゴの人たちは、オクラを細かく切って、玉ねぎ、ねぎ、にんにくなどと一緒に油で炒め、塩味の干し魚を混ぜ、トマト味にしてフフ(マニョック、とうもろこし粉を火にかけながら練り上げたもの)と食べるのが一般的な食べ方のようだ。

フランス語の先生は、さらにこんな話もした。

ドゥンゴドゥンゴは安産に良い野菜と言い伝えられていて、妊娠8ヶ月、9ヶ月になると母親から安産のために食べなさいと言われてたくさん食べたわー、と、ちょっと寂しげな目になって懐かしんでいた。(彼女は出産直後に男の子を亡くし、以後赤ちゃんを授からないまま、夫と離婚している。)

日本で安産のために妊婦が食べさせられるもの、ってあったかなあ。


ネットで調べると、オクラ Okra は、アオイ科トロロアオイ属の植物、または食用とするその果実のこととあり、英名 Okra の語源は、ガーナで話されるトウィ語の nkrama からきたものだそうだ。
アフリカ北東部が原産で、エジプトでは紀元前200年頃にはすでに栽培が始まっていたという。
日本へは,江戸時代終わりに渡来。
本格的に普及したのは昭和40年頃なのだそうだが、沖縄県、鹿児島県、伊豆諸島などではそれ以前から食されていて、そういったところでは、「ネリ」という日本語で呼ばれていたとも記されている。

独特の食文化っておもしろいなあ。

二度目のアボカドの季節

丸っこいほうのアボカド


キンシャサに来て、2度目のアボカドの季節を迎えている。


我が家の家政婦が言うには、アボカドの季節は、12月、1月、2月だ。

今週初めに、キンシャサ郊外の芸術家夫妻の自宅とアトリエをIWC(国際女性クラブ)で訪問したとき、センスの良い森の中の美術館のような建物のある敷地内にたわわに実ったアボカドの木を見つけた。

確かに今、アボカドの季節を迎えているのだ。

上のアボカドは3日前に家政婦が我が家に持ってきたものだ。
そのときはまだ緑色がつるつるときれいだった。
家政婦の、2、3日外に出しておけば食べ頃になるよ、というアドバイスに従って今日まで待ったのだった。
手のひら大のアボカド2つで1,000コンゴフラン(約百円)だった。


わたしたちはアボカドを半分に切って、わさびと醤油で食べたり、半分に切ったアボカドに縦横に切れ目を入れて表皮をひっくり返してこさいで取って、茹でジャガイモ、茹でえびと混ぜて食べたり、あるいは半分に切ったアボカドのくぼみにマヨネーズで和えたツナサラダを盛って、アボカドと一緒に掬って食べたりしている。

アボカドは”森のバター”と言われる。
掬うとこってりとして、まるで半分溶けたバターのようだもの。
また、栄養価,カロリーともに高いということももちろんあるだろう。

だからなのだろうな。
わたしは、アボカドを掬って食べるたびに、ちびくろサンボの物語で、森の中で喧嘩して溶けてバターになったトラの場面を思い出す。
トラがとろりと溶けたバターになっても、トラの縞模様のシマだけは、すーっとひっぱって持ち上げると細長い紙の紐みたいに取れるのかなあ、などと想像しながら。


  ”とらのわ ぐるぐる ばたー になった”


子どもたちが小さいときに一緒にあそんだ「かるた」の中の絵まではっきりと思い出す。

2013年2月14日木曜日

コンゴのデザイナーズチェア

OK!PLAST社の新発売プラスティックチェアの広告



こんなおしゃれなプラスティックチェア新発売の広告が”BIZ CONGO”という現地のインターネット情報会社から夫のパソコンに入った。
脚部分はアルミ製だ。

製造・販売元は、以前からコンゴのプラスティック製品を一手に引き受ける、”OK!PLAST”というブランドだ。


でも・・・。
OK!PLASTの製品は全くローカルな冴えない(失礼・・)製品ばかりだった。






こんな赤いシールがペタン!と貼られ、町の路上食堂や茶店、集会場、木下床屋(木陰で開店する床屋)、村の庭先などに置かれるテーブルや椅子。
マダムたちが頭に載せるたらい。
水を貯めたりする大中小のバケツ。
あらゆる配水管。
そして、スーパーマーケットで使われるビニル袋もOK!PLASTの製品なのだそうだ。

おそらく、コンゴじゅうにこのブランドのプラスティック製品は流通しているのだろうと思われる。


路上の食堂の椅子やテーブルに

バコンゴ地方のETAKA村で 庭先に椅子とたらいが見える



もちろん、我が家のベランダにもプラスティックの椅子とテーブルが置かれている。
青のほかに、白、黒、黄色、エンジなどの色も町なかで見かける。

そして、食料貯蔵用としても。

ふた付きでカチっと閉まるが実は隙間だらけ!

もっと大きなサイズのプラスティック密閉(?)容器は、衣類収納用として我が家で活躍している。
また、部屋のゴミ箱、ベランダの大型ゴミ箱もOK!PLASTの製品だ。



貯めた水は濁って沈殿物が・・

そして、断水に備えて貯水用の大型バケツも必需品だ。



・・・というように、今までのOK!PLASTの製品は「おしゃれ」の概念からは程遠い製品ばかりだった。


脚がアルミ製のデザイナーズチェアー(と呼びたくなる!)は、日本製に比べたらもちろん品質はお粗末だとは思うが、OK!PLAST社の意気込みを評価したい!

上の5色の他に、白と赤もあったように思う。
まだ、キンシャサでも一部のスーパーマーケットでしか扱われていないようだ。

早速、南アフリカ資本のスーパーマーケット敷地内にあるアイスクリームショップ内にこの椅子が登場した。
正方形のテーブル(テーブルは確かアルミ製でOK!PLAST製品ではない。)にショッキングピンクとペパーミントグリーンの椅子が2脚ずつ置かれている。
その色の組み合わせになるほど~!、と感心。


夫がリメテ通りにある工場を訪ねて販売店情報を得て、わたしたちも早速購入した。
とりあえず、オレンジを2脚!
わたしたちが購入した時は確か1脚18ドルだったが、何故だか値下がりして現在1脚16ドルだそうだ。
これが高いか安いか・・。
もちろん、ダイニング椅子として考えれば破格値ではある。

”Artisanat et Developpement”という現地の木製品の家具屋でオーダーすると木のダイニング椅子1脚が95ドルなのだから。
わたしは、1,2年のコンゴ滞在であれば、ダイニング椅子としても充分使えると思うのだが。



家具付きで、しかも古くさい家具ばかりの我が家のリビングがちょっと明るくなった、かな。

アルミ製脚部のシンプルなデザイン

2013年2月12日火曜日

キンシャサで観た「梅ちゃん先生」

キンシャサで、昭和20年から17,8年間の東京・蒲田を舞台にしたドラマ「梅ちゃん先生」をじっくり観る機会を得た。


わたしたち夫婦が日本を後にしたのは2011年12月31日夜だったから、NHKの朝の連続テレビ小説は当時、「カーネーション」が放送されていた。

翌年4月になり、次回作の「梅ちゃん先生」の評判を友人からのメイルで知っていたが、それからしばらくして、いつも「NHK・今夜も生でさだまさし」をDVDに録画して送ってくれる友人から、懐かしい建物が出てくるから「梅ちゃん先生」DVD送ります、というメッセージとともにわたしの手元に届いた。20話分ほどが収められていた。


梅子が勤務した帝都大学付属病院という設定で登場する建物


その、途中からの20話分の梅ちゃん先生にはまり込んだ。

その後の物語の展開が知りたくて、NHkの梅ちゃん先生ホームページで見てはいたものの、どうにか実際のドラマを観ることができないかという思いが強くなっていった。

すると!!!

日本の無償プロジェクトで来ているアパート隣人の所長さんが梅ちゃん先生DVD全編を所有されていることが判明。
さっそく借りてきて観ようとするも、高速録画のためにPCでも我が家のデッキでも観ることができなかった。他のプロジェクトで滞在する方がPCに取り入れようと試してくれたりして様々な方々の厚意の末、なんと、お隣の所長さんが日本で新しく購入して来られたDVDデッキ本体まで貸してくださったのだった!!


そして、めでたく全編1話から156話まで、おまけにスペシャル版までキンシャサの自宅アパートで視聴を完了した!!


梅ちゃん先生を見続けたダイニングとリビングソファ




朝ご飯のときも、夜の晩酌、ご飯のときもずーーっと夫と観つづけた。
お借りしていた最後のディスクをデッキに入れたときもまだ12話分とスペシャル分があるから大丈夫と寂しさを払拭できたが、あと5話、4話・・・とカウントダウンするときの寂しさといったらなかった。
とうとう最終回を終えて出演者のテロップが流れ、撮影ロケ地名が流れたときは呆然としてしまった。


そう。最初に友人が梅ちゃん先生のDVDを送ってくれた理由は、社会人2年目の我が息子の母校がロケ地として登場するからなのであった。
梅子が勤務する病院の建物や池のある庭は、息子が体育会応援部員として活動した4年の間に学園祭演舞会の野外ステージを観るためなどに訪れた懐かしい、思い出の場所だ。
2011年3月下旬、応援部第五十五代主将として迎えるはずだった息子たちの卒業式は大震災直後の混乱のために中止となった。
その後、3月31日にタクシーで就職先の会社寮に引っ越して行った息子を見送り、そして改めて5月連休時に行われた卒業式で紋付はかま姿で出席したいという息子の希望に添い、息子の大学まで行って着付けし、卒業式会場の講堂には絶対に入るな!!と言う息子の申し出を忠実に従った母は、梅ちゃん先生によく出てくる庭の池のベンチで缶紅茶を飲みながら卒業式が終わるのを待ったのだった。(その後、汗びっしょりの紋付はかまを受け取って母はすごすごと1人帰宅した・・・。)

着物一式抱えて慌てて自宅を飛び出したわたしは、ジーパン姿だった。
あのとき、きちんとした格好をしていたら講堂に入り込んで、息子の応援部主将として最後の舞台を見ることができただろうに、とずい分あとになって後悔したのだった。

思えば、大学に入学してボート部に入部すると言っていた息子が応援部に入部したと知った時、愕然として、やくざ稼業に脚を突っ込むなんて、とがっかりしたのも懐かしい思い出だ。
それが、春恒例のボート部の大学対抗レースの応援部の活躍を観、演舞を観ていくうちに、応援部ファンになってしまい、他大学の応援部ステージまで観に行くようになったのだった。

そんなこんなの懐かしい息子と応援部の思い出の場面も湧き出てくる「梅ちゃん先生」なのだった。


いつも、梅ちゃん先生の物語にはまり込みすぎて、毎回見終わると、あれ?ここはどこ?・・・。
あそうだ、わたしは今、キンシャサにいるのだった!・・・と時代も場所も気候も何もかも違いすぎる居場所にとまどうのが常だった。


昨日2月11日、アジアの女性で新年ランチ会があった。
ドイツ人男性と結婚している中国人マダムが、夫にはコンゴの国を発展させたいという夢があるのよ、と言った。
皆が、この国の発展ねえ・・この国はどう進んでいくのかしら。
少しずつ、少しずつ、かな。
すると、韓国人マダムが、1950年の時点では、コンゴの国と韓国の経済力は全く同じだったのよ。なのに、コンゴの国の状態はこの有様よ、と嘆いた。

梅ちゃん先生の物語の始まりは終戦直後の蒲田だった。
あんな貧しく、生きるのが大変な時代をくぐり抜けて、頑張って国力を付け、少しずつ庶民の生活が改善され、経済も高度経済成長のときを迎え、公害やら色んなマイナス要因も一緒にここまで発展してきたんだなあ、という時代の変遷もしっかり見えてくる物語設定でもあった。

日本は最初から豊かな国ではなかったのだ、ということをこのドラマを視聴した日本人たちは再び思い起こせただろうし、また是非アジアやアフリカの人々にも、日本にそんな時代があったことを知ってほしい。

翻訳業の知人の女性が、現在の出版社の現実として、もはや戦前,戦中、戦後の時代を舞台にした小説は売れないから切り捨てられようとしている、と嘆いているのを、つい最近聞いてびっくりした。
あの厳しい悲惨な時代を忘れてはいけないと強く思う。


梅ちゃんは昭和4年生まれなのだそうだ。
そして梅ちゃんの息子たちは、昭和33年と36年生まれ(?だったかな)だ。
まさに梅ちゃんはわたしの母と、そして梅ちゃんの子どもたちはわたしと年代的に重なる。
どうか、梅ちゃん一家が今もつつがなく蒲田の町で元気に生きていますように。


日本の敗戦国からの復興の厳しい時代に一生懸命生きた人々の、温かくもたくましい生きる息吹を感じる良い物語を観せてもらった。

みなさん、ありがとうございました。


2013年2月9日土曜日

紫色の果実 ”サフ”  

今日も暑い一日だった。
我が家では、昨日の午前中から断水が続いている。

古いアパートだから、劣化した水道管のメンテナンスを始めた途端に水圧で水道管のあちこちに亀裂が生じ、収拾がつかなくなったようだ。
昨夜、夫がアパート敷地内の水道管の修理現場に行ったら、修理人たちは携帯電話に付いた小さな照明だけで作業をしていたらしく、我が家の懐中電灯を持って行っていた。

二日目の午後5時現在も水は出ない。
今日は洗濯機も回せなかった。
この断水、いつまで続くのかなあ。


さて、コンゴで初めて食べた果実、サフの話題に移そう。


大きなアボカドと5個の”サフ”


上の写真のキウィみたいな形をした5個の果実が、”サフ”だ。
長いほうで7センチちょっと。
紫色をしている。
形だけはキウィに似ているが、皮に毛はないし、キウィと違って触るとごつごつと堅い。


1年前、家政婦が昼食用にサフを一つだけ持ってきた。
第一印象は、「わあ、関東の丸っこい茄子の小型版だ。」だった。
彼女はコーヒーカップにサフを入れてそこに熱湯を注いで蓋をし、数分蒸らした後、熱湯を捨てて、それからスプーンで美味しそうにすくって食べた。
彼女の大好物なのだそうだ。
彼女の末娘も、アボカドは嫌いなのに、サフは好んで食べるのだという。


コンゴに来て、初めて見る果実だった。


今年一月にゾンゴに行ったとき、サフの木を村のあちこちで見た。
運転手が、あれがサフの木だと教えてくれた。
けっこう大きな木に、紫の小ぶりの茄子のような実がたくさん枝の先っぽにくっ付いていた。
バコンゴ・・・キンシャサよりも南の地方の果実なのだそうだ。
どうりで。
中央アフリカでは決して見なかった果実だった。

バコンゴ出身の家政婦には小さい頃から馴染みの果実なのだろう。
美味しそうなサフを見つけたら買ってきて。
そう頼んでいたら、今週の始めに買ってきてくれたのが上の写真のものだった。
5個で千フラン(約百円)だったかな。

サフにはいろんな形があるのよ。
今日のはめずらしく大振りなサフだけど、きっと美味しいはずよ。
彼女は太鼓判を押した。


早速、彼女に教えてもらって準備する。

① まず、鍋に熱湯を用意する。

② サフを洗って、皮を荒く削いで落とす。(”むく”のではない。皮が硬いから歯ざわりを良くするために削ぎ落とすのだそうだ。ちょうど、ごぼうの皮を削ぐ要領だ。)

③ サフがしっかり隠れるくらいの容器に皮を削いだサフを入れて、サフの上に小さじ1杯くらいの塩を載せる。

④ そこに煮えたぎった熱湯をサフが浸かるくらいたっぷりと入れて蓋をして3~5分待つ。
   (大きめのサフだったので5分耐えた!)

⑤ それから熱湯を捨てて、そのまま蓋をして3分間ほど蒸らす。


⑥ 完了!そのままスプーンですくって召し上がれ!


果肉は厚さ数ミリだけ。
真ん中には大きなベージュの種が入っていた。(底上げされたー!という気分。)


サフの実を掬ってみると・・・


おおー、酸っぱ~い!!

以前、家政婦にサフってどんな味?と尋ねたとき、、
「ビタミンCたっぷりー!!、って味ね。」
という表現をしたが、まさにそれは的確な説明だったと感心した。

味は本当に酸っぱい。
でも果肉は滑らかで、和菓子の白あんのような舌触りだ。
蒸した里芋に近いが、繊維がないからもっともっと滑らかだ。
バニラアイスクリームにトッピングして食べたら美味しいだろうなあ、と思った。
なかなかイケル!


美味しいー!!、と言ったら家政婦は次の日には、親指大の細めのサフを持ってきてくれた。
こっちもきっと美味しいはずよ、と。



説明を追加



サフは、コンゴの南部地方の果実だけど、キンシャサの人たちにもポピュラーなようだ。
色んな人に訊いてみたが、どの人も知っていた。

ビタミンCたっぷりだよ。
睡眠効果があるから、夜ぐっすり寝られるよ。
食べていると、居眠りを始める人もいるくらい!
(?? それは誇張し過ぎでしょう。)

残念なことに、サフの旬は1月と2月だけなのだそうだ。
アボカドと同じ季節なのだ。

サフの旬が終わったら、オレンジの季節が始まるよ。

そうやって、果実や野菜の旬を楽しんで、自然に栄養のバランスを取っているのだと感服する。

アフリカは常夏の国だから、年中同じ季節で,同じ食べ物なのだろう、なんてとんでもない誤解だ。
いつかも書いたが、コンゴにもしっかり”歳時記”は存在する。

サフの旬を楽しもう。




2013年2月8日金曜日

ほうれん草の中から!

コンゴのほうれん草


ただいま、夕方の5時。
日が西に傾きかけているが、今日も太陽が照りつけて暑い一日だった。

昨夜は稲光がすると思ったら雨が降り出し、夜中も降り続いたようだ。
だから、厚い雲が一掃されて、ギンギラ太陽の照りつける好天気になったのだな。

部屋の温度計は30度を指している。
昨年はこんなに暑かったかなあ。
まだまだ5月半ばまで雨季は続くが、雨のピークは過ぎた。
ゴルフ場の白い小ぶりの”きのこ”もシーズンを過ぎて見かけなくなった。


今日は、午後から市内のスーパーマーケットを2店回り買い物をした。
ここのところ、そろそろ底を突きかけているケーキ用の小麦粉を探しているのだが、どこのスーパーにも無い。
店の在庫があるときに買い貯めておかないと、キンシャサじゅう一斉に在庫が消えてなくなったりする。
日本米に近い米しかり、”わさび”しかり!
クッキングシートも無くなっている。

小麦粉は諦めて、野菜コーナーでみずみずしいほうれん草を見つけたので買ってきた。
ここのほうれん草は、しっかり緑色だけど、肉厚で日本の”つるむらさき”に似ている。
背丈が長いほうれん草だと、茎が堅くなっているけど、今日見つけたものは小ぶりで柔らかくて鮮やかな緑色をしていた。


帰宅してビニル袋からほうれん草を取り出すと、なんと!、てんとう虫がくっついて来ていた。


長細い2つのホシがあるてんとう虫

てんとう虫を捕まえてカメラに収めようとしたら、ブーンと飛んでいって日が差し込む窓の網戸に止まった。
てんとう虫、っていうくらいだから、お天道様が好きなんだろうなあとか考えながら、アフリカで初めて出会ったてんとう虫をしばし見つめていた。

数年前、友人とアヴィニョンに滞在した時、お土産屋の年配マダムが、幸せを運ぶてんとう虫よ、と言って、小さな木でできたてんとう虫をくれた。
ブローチにしようと思って、どこかの引き出しに仕舞ったのだけどなあ。
どこに仕舞いこんだかなあ。

今日も長閑な平和なキンシャサの町だった。





2013年2月5日火曜日

ヨウムのぽんちゃん

我が家にヨウムのぽんちゃんが来て一ヶ月半が経った。


ぽんちゃんは毎日、パームヤシの実10粒と殻付きピーナッツ10個と乾燥とうもろこしの粒20粒ほどを食べて、水を飲んで少しずつ大きくなり、体毛が当初は黒っぽいグレーだったのが少しずつ明るいグレーになって、幼鳥から抜け出ているようだ。

パームヤシの実は、ヨウムの尻尾の毛の赤い色をきれいに保つ役目をしているのだそうだ。
パームヤシはゴルフ場内に木があるので、キャディーに頼んで週に二回くらい集めてもらっている。
下の写真のパームヤシの量で5、600フランくらい。
日本で飼うとこんな見事な自然のパームヤシなんて入手できないだろう。



パームヤシの実



殻付きピーナッツ




ピーナッツは、殻付きの生のものでないと食べない。
ピーナッツの殻を大きく突き出た上くちばしと舌で挟んで、カチン!と勢い良く割って中身だけ上手に食べる。
乾燥とうもろこしの粒も、上くちばしと舌でカリコリと音を立てて噛み砕いて食べている。
ゴルフ場のキャディーが、ヨウムが食べる果物だと言って持ってきた果物をあげても一口二口食べただけだったし、雑穀もパンも食べない。
止まり木の枝の皮を剥いで食べてはいるが、ぽんちゃんの常食は、パームヤシの実、殻付きピーナッツの中身、乾燥とうもろこしの粒、そして水だ。



ぽんちゃんは一時期、ずいぶんとわたしたちに懐いてきたかなと思える時期もあった。
ところが最近、なんとなくストレスを溜め込んでいるように思える行動が目立ってきた。

わたしたちが鳥小屋に顔を近づけて話しかけると、ガアガアと口を大きく開けて威嚇するように鳴くのだ。時に、口を大きく開けすぎて、ガアーーー、っと声を限りに鳴くので、オエーっと喉を詰まらせることもある。くちばしの付根が張り裂けるのではないか、というくらいに口を大きく開けて鳴く。そんなに鳴かなくてもいいんだよと話しかけるけど、分かってないんだろうなあ。

小屋の鉄枠を拭こうと思って触ってもギャー!
洗濯物の黒っぽいものを小屋の上に落としたときなんか、びっくり仰天したぽんちゃんは、ギョエー!!!、とこちらが驚くほどの奇声を張り上げた。
怖がりだった幼い頃の息子の姿と重なって思わず笑ってしまう。

朝未明、野鳥の鳴き声(ヨウムの仲間の声なのか!)に呼応してか、ぽんちゃんも高音を張り上げて鳴き続けている。

さらに、籠の側面にくちばしと二本足でしがみついて、羽を大きく広げてばさばさと羽ばたいている。
羽ばたくと白い粉のような小さなものが辺りに飛び散っている。

時々、スプレー容器に水を入れてぽんちゃんに水浴び代わりにかけてあげるのだが、そのときももの凄い鳴き声を上げる。
毎日でも水をかけてあげることは大切なことのようだが、あまりに大騒ぎするから躊躇ってしまう。
キンシャサでやっと探し当てて買った中国製のスプレー容器は、噴霧スプレーではなくて水鉄砲様の、水の塊で飛び出るスプレーだった。
ぽんちゃんには恐怖に感じるのかも。



もしかしたら、鳥小屋が小さくなったのかもしれない、と大きめの鳥小屋を探していたら、夫の工事現場で猿を飼おうとして作ったという鉄筋製の空の小屋があったといって夫がもらってきた。
鉄筋製だからひとりでは抱えきれないほどの相当な重量だが、大きさとしては充分だった。


そうして、ぽんちゃんはがっしり重くて大きい小屋に移った。



鉄筋を利用して作られた小屋



鉄格子の間から ~ 止まり木の皮が食べられて剥がれている




止まり木は、体操女子の段違い平行棒のように二段で取り付けた。
ぽんちゃんはいつも高いほうの止まり木にいて、餌を食べる時だけ下段の止まり木に移ってそこから顔をグーッと下方に下げて床に置かれた餌を上くちばしと舌で挟んで取って食べている。
ほとんど床に降りないし、また物音がしたり、わたしたちがベランダに出ると、慌てて上段の止まり木によじ登る。

そんなに慌てて餌をポトンと落としてまで下段から上段に移らなくてもいいんだよ、わたしたちは何にもしないよ、と言っても慌ててヨタヨタと移動する。

餌を食べた後、パームヤシの実をくちばしにたくさんくっつけて、♪おべんと付けてどこ行くの~♪状態だが、くちばしを止まり木にこすり付けて上手にくちばしに付着した実をこさぎ取っている。



つくづく、ぽんちゃんは我が家に来る前はどこの家で飼われていたのでもない、野鳥だったのだと痛感する。
言葉も発しないし、相変わらずわたしたちの顔が近づくとぎゃあぎゃあと威嚇する鳴き方をする。

小屋は広くなったのに。
居心地が良くないのかな。
どうしてだろう。

かれに遊ぶためのおもちゃを買ってあげようと思って、スーパーのペットコーナーで”小鳥用玩具”と英語で書かれたベル付きミラーを買ってきて上から吊るしてみた。
ぽんちゃんは自分の顔を見たことがないのだもの。

興味津々で、しばらくはミラーの中の自分に見入っていた。
そして揺れるとチリンチリンと鳴るベルの音にも耳を澄ましていた。

でも。
翌朝には、2個のベルもミラーもチェーンの一つ一つもすべて見事バランバラン!に分解されて床に飛び散っていた。
あーあ。



家政婦は、マダムたちが四六時中話しかけてやらないからだと言った。

そこで、わたしは先週から毎日30分くらいソプラニーノ(小型リコーダー。高音が出て、小鳥のさえずりの練習用リコーダーだと聞く。)をぽんちゃんに聴かせることにした。

夕焼け小焼け、赤とんぼ、七夕、みかんの咲く丘、とんぼのめがね、雨、ゆりかご、ぞうさん、ちょうちょ、木の葉のお舟、海、朧月夜、夏の思い出、里の秋、虫の声、旅情、富士山、こいのぼり、雪、村の鍛冶屋、古時計・・・思いつく限りのメロディーを演奏する。

ぽんちゃんは静かに聴いている。
高音に特に反応して、目を閉じてうっとりと・・かどうか知らないが、半目状態で確かに気持ちよさそうに聴き入っている。
そんな可愛らしい様子にわたしはプッ、と噴出しそうになる。

ソプラニーノの音色は確かにきれいだ。
わたしだって、キンシャサの夕焼け空に響く(?)日本の童謡や唱歌についしんみりとなって、ぐっとこみ上げるものを感じたりもする。


ぽんちゃんの心に響いて穏やかになってくれたらいいなと思う。



独りで餌を食べていて、わたしの気配にびっくりして餌を落として、慌てまくって上段の止まり木によじ登るぽんちゃんの様子に、ああ、まだまだこの子はわたしたちに心を開いていないのだと痛感する。
夫は、身を守るための野鳥の習性なのだからそう簡単には懐かないだろうと言う。


「パンパカパ~ン♪、パン、パカ、パンパカパ~ン♪ 今週のハイライト!!
ぽんちゃんがついに話すようになりました!!!」

こんなアナウンスができる日が来るといいな。