宿舎の庭に咲く花 |
キンシャサのIWC(国際女性クラブ)で出会った友人たちの中に、ひとりのアジアの若い女性がいる。
彼女のご主人はヨーロッパの人。
年齢より若く見え、お国訛りの英語でよくお喋りする屈託のない明るい女性だった。
ほどなく彼女は妊娠してお腹が大きくなっていった。
出産予定日がわたしの娘の予定日に近く、彼女に会うたびに、ああ、わたしの娘もこれくらいのお腹になっているんだろうなあと、娘と重ねて見ていたように思う。
彼女は自分の国に帰って出産し、そしてキンシャサに戻ってきた。
かわいらしい男の子だった。
彼女はIWCの、ちょっと勝手なことを言う先輩ママたちのアドバイスを受けて戸惑いつつも、コンゴ人女性の養育係を置いて子育てに一生懸命だった。
男の子は、やっぱりわたしの娘の赤ちゃんと誕生日が数日しか違わず、その子に会うたびに、ああもう首が座ったなあ、とか、表情が豊かになっていくなあ、とやっぱりわたしの孫と重なり、かれに会うのが楽しみだった。
彼女自身もわたしの娘と年齢が近く、どちらの夫もヨーロッパの人だし、彼女たち親子を見ると、娘のところもこんな日々を送っているんだろうなあと目を細める気持ちで見ていた。
とっても活発な元気な子で、クリスマスの頃に彼女の家に友人たちで集まったときに、抱っこされてくるくると動き回るととっても喜んでいた。愛嬌が良くてハンサムボーイで彼女の自慢の息子だった。
彼女の家には、ベビー用品があちこちに見られた。
椅子やオルゴールモービルやクッション床材やいろんなものをヨーロッパから持ち込んで、育児環境を整えていた。
父親のキンシャサ勤務が終わるまで、この子はここで大きくなっていくんだなあと思って見ていた。
一昨日の朝、突然、IWCの別のアジアの友人から電話があった。
彼女の赤ちゃんが病気でキンシャサの病院に入院したと言う。
輸血が必要になって、かれと同じ血液型を探しているので協力して欲しいという電話だった。
わたしもできる限りの情報を集めた。
いろいろな制約を受けたのが辛かった。
そのうちに、IWCの会長名で会員全員にメイルで呼びかけが始まった。
そして2人の血液提供者が見つかった。
キンシャサの医師たちは病気の原因がつかめなかったようだ。
急遽、アフリカで熱帯病の権威がいるという病院に飛行機で運ばれた。
ヨーロッパに搬送するよりもその病院のほうが熱帯病に詳しいし、距離的にもより近いということもあったのかもしれない。
皆で祈った。
乳幼児の病気は深刻だけど、輸血も完了したし、良い治療が受けられる今の時代だもの。
今朝、電話が鳴った。
最初に血液型探しで電話をくれた友人だった。
彼女は泣いていた。
彼女の赤ちゃんが今朝早くに亡くなった、という知らせだった。
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