披露宴会場に入場する新郎新婦 夜10時を回っていた |
満面の笑みの新郎ときれいな花嫁さん(カップルの両端は、新婦の両親?) |
結婚式の招待状 |
木箱の蓋には二人の写真が貼られ、”着席テーブルナンバー31”と書かれていた。
そこには、”両家の息子と娘の結婚式にあなたがたをご招待する慶びに溢れています”という文面が新郎新婦の名前とともにあり、9月1日16時からの教会での挙式案内と、20時半からのパーティーの案内が記されていた。
果たして、アフリカの結婚式とはどんなものなのか。新郎新婦の衣装、披露宴の場所、形態、風習などなど、わたしはすべてのことに興味津々だった。
まず、「20時半からの披露宴」というあまりに遅い開始時間に戸惑った。
夫は、本人に前もって尋ねると、9時くらいの会場入りで構わないと言われたそうだ。
結婚式会場はキンシャサ市内の現地人の居住地区、マトンゲ地区にあり、白い椅子カバーに白いテーブルクロスの掛かった、とても明るく清潔な屋内の結婚式会場だった。
9時半 まだ空席の目立つ披露宴会場
会場にいる招待客は十名にも満たない。9時になっているというのに、だ。
テーブルは、親族、職場、友人関係に分かれていたように思う。そして、わたしたちは6人の日本人のテーブルだった。
会場は話し声も聞こえないくらい大音響の音楽が流れている。会場前方の端に、音楽の生バンドもスタンバイしている
会場のスタッフは男女とも白いブラウスに黒のスカート、ズボンといったシンプルな服装。新郎新婦入場の直前に、スタッフたちは赤いスカーフを取り出して首に巻き始めた。
1時間ほどして会場は満席になる。150名ほどか。
さすが、着道楽の国の人たちだ。イブニングドレスの着こなしや、カラフルなワイシャツやネクタイの組み合わせに感心する。女性の90パーセントは西洋風のイブニングドレスだ。
結局、新郎新婦の入場は夜10時だった。
結婚行進曲に合わせ、西洋スタイルの真っ白な衣装に身を包んだカップルが登場。後ろにはかわいらしい、ドレスアップした小さな介添え役が続いている。
介添え役の小さな紳士淑女 |
そして、新郎新婦へのお祝い品授与の時間へ移って行く。
この風習にわたしは一番驚いた!!
まず、現金の贈り物のかた、お並びください、というアナウンスがあり、新郎新婦が立つところに列を作って一組ずつ現金を招待客の前で直接二人に渡し、それを新婦の母親がバッグに入れていっていた。
次に、品物の贈り物のかた、どうぞ!!
続々と品物を抱えて並び始める。品物のプレゼントの招待客のほうが圧倒的に多い。
鍋・食器・炊飯器を持って並ぶ招待客 |
おしゃれなイブニングドレス姿の女性たち |
延々と続くプレゼントを持つ招待客の行列 |
食器、鍋、炊飯器、扇風機、ミシン(日本のSINGERミシンだった。)、3段の台所網棚・・となんだかプレゼントが段々大型になってゆくのが面白い。皆、それぞれに考えて選んだ自慢の贈り物、といった風体でどっかり並んでいる。
どんなに大きな贈り物でも、披露宴会場まで持参して、皆の面前で手渡すのだ。
昔の風習の名残なのか。
ダブルベッドのマットレスから、電気コンロ・オーブン、洗濯機まで!!!
会場スタッフがよろけながら運んでくる。落として壊しやしないかとハラハラしてしまう。
その度に、贈り物を新郎新婦が受け取り、新婦の母親がその置き場所を指図している。
披露宴の後、新居までどうやってあれだけの荷物を運ぶのだろう、とわたしは余計な心配をするくらいだ。
そして、新郎の母親も贈り物を持って行列に並んでいた。国会議員だという彼女は、とても存在感のあるオシャレな女性だ。新郎の母親が涙を流しているよ、と夫がわたしにそっと言う。
新婦の母親は宴の間新婦の隣に座り、お祝い品授与の時は新婦の横に立って贈り物を受け取ったり置き場所を指図したりして大活躍だが、新郎の母親は親族席に座って、普通の招待客と同じように行列に加わって新婚カップルに贈り物を手渡している。
やっとお祝い品授与式が終了。
12時近くになっていた。
それから食事時間になるということで、会場の後方に食事が用意されていた。
わたしたち日本人は、運転手の勤務時間のこともあるし、夜中の外出も気がかりだし、ここでおいとますることにした。
とても残念だし、失礼にも当たるなあと思いつつも仕方がない。
後で聞いた話だと、夜が更けるまで宴は続き、足のない招待客は会場で夜を明かしたのだそうだ。
キンシャサの始めての結婚式は、西洋式の結婚式だった。
(内心、アフリカ衣装の花嫁姿というものを楽しみにしていたのだが。)
もちろん新郎新婦の両家が経済的に豊かな家であるからこその披露宴だったのだろうとは思う。
驚いたことは、開始時間が遅いということ。
そして興味をひいたのは、どんなに大型のものであろうと新婚カップルへの贈り物を招待客の面前で披露して直接渡すということ。
それから、花嫁の母の存在が大きいということ。
アフリカの結婚式に何度か出席してみないと確かなことは見えてこないのだろうが、そんなことを感じた第1回目の結婚披露パーティーであった。
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