2017年5月30日火曜日

キンシャサ便りふたたび36 カサブブ地区のバーベキューレストラン

5月26日。先週金曜日の夜、夫の仕事絡みで、また個人的にも大変お世話になっているコンゴの方に招待されてカサブブ地区にあるレストランへ。
そこでうれしいことが二つあった!

バーべキューレストラン風景 中庭から
一つ目!
金曜日の夜はライブ演奏で楽しめるレストランだった!
夜7時に到着した時にはすでにライブは始まっていて、天国の響きのような柔らかいリンガラミュージックが緩やかに漂ってきた。
そして、わたしが、独立祝歌”Independance cha cha”をリクエストすると、さっそく演奏してくれたのだ。
キンシャサでおそらく最後になるだろう、ライブで聴くコンゴ独立の祝い歌。
本当に、何度聴いても、独立に希望を抱いてうれしく歌い踊るコンゴの人々の心意気が伝わってきて、幸せになる。このときの気持ちを忘れずに国造りにまい進してください、応援してますよー!なんて、ひとり熱くなるのだった。(幸せな人!)
ちなみに、このレストランのそばには、初代大統領カサブブさんの像の立つロータリーがある。


中庭のステージを囲むようにテーブルが点在する

夫がリクエストした、パパウェンバの歌、”サイ サイ”(Sai Sai)は却下された・・・。古すぎたかな?


二つ目!
このバーベキューレストランに来た時から、どこか、こんな雰囲気の場所にきたことがあるぞと思った。
もちろん、初めての場所だし、カサブブ地区という場所柄なのか、外国人客はまったく見かけない。
そして、招待してくれた方が、このチケットを持って、あちらのテーブルから並んでください、と案内してくれたとき!
閃いた!!!
あ、このスタイルは、わたしたち夫婦が大好きで、以前よく通った金曜日夜だけの会員制("Oasis Club"と言ったなあ。)の英国大使館B.B.C.パーティーとそっくりだ、ということを。

お皿を持ってサラダを取り、ピラフを選び、焼き肉のコーナーまで進んでいって、まさに英国大使館庭でのB.B.C.のスタイルそのままだと思ってうれしくなった。
今回の二度目のキンシャサ生活で、英国大使館のB.B.C.パーティーのことは聞かれなくなっていて、すでに存在しないとも聞いていた。
もう、英国大使館内の解放的な広々とした庭でのバーベキューを楽しむことはないんだなあ。そう思うと、ちょっと寂しくなったものだ。
会員になると一人20米ドルでバーベキュー料理を楽しめた。デザートも付いての料金だったが、飲み物は別で、やはりチケット制だった。キンシャサに長期で滞在する慶応大生たちを一緒に連れて行くと彼らは本当に幸せそうに何度もお替りをしていたな。日本からのお客さんもよくお連れしたな。
いろいろな思い出と共に英国大使館B.B.C.パーティーの夜が懐かしくなる。

そうそう、この夜、招待してくれたコンゴのムッシュとも、英国大使館B.B.C.パーティーでよく出会っていたんだった!
それをかれに伝えると、そうだよ、このレストランは英国大使館B.B.C.パーティーを運営していたムッシュがやってるんだよ。
へえー、どうりで!
焼肉コーナーで料理する白い服のコックさんは、英国大使館B.B.C.にいたムッシュだ!
(ちなみに、夫情報によると、このレストランの経営者はコートジボアール人だとそうだ。)

こんなところで、また、あのときのバーべーキューの味と雰囲気を楽しめるなんて!
こういう形での再会にしみじみ感謝感動する夜だった。

やっぱり、ここに住んでいる人たちからの情報って貴重だな。

テーブル席から中庭を望む

このカサブブ地区のバーベキュー屋さん、ADELIZE。

駐車場で降りて、レストラン ADELIZEへの入り口


毎週金曜日夜にライブ演奏があるよと言って、手書きの案内をくれた。
Orchestre L-MOD
Chaque vendredi
Chez ADELIZ
En concert
No, contact 0900926006/ 0810160249

わたしたちの隠れ家レストランにしておきたい気もするけど。
せっかく良い雰囲気で料理もおいしいレストランだから。
レストラン情報をおすそわけしましょう。
キンシャサにお寄りの時はどうぞ。

乾季に入ったキンシャサの、ひんやり涼しい夜の和やかな会食だった。

余談として・・・。
このグループの女性のボーカリストが、なんとなく、今回のベルリン映画祭で銀熊賞だったかを受賞したキンシャサを舞台にした映画、”Felicite”の女性主人公と重なってしかたなかった。勝手にだけど。

映画”Felicite” 至福という意味の仏語で、主人公の名前。

キンシャサ便りふたたび35 地図を見つけに本屋へ行く

 2020年の東京オリンピックなんて未来のことだ、と思っていたら、もう3年後のことになってしまった。

 東京都の教育委員会は、2020東京オリンピックを国際交流体験の良い機会だと捉えて、東京都の幼稚園から高校まで、一つの学校が一つの参加国を応援する運動を提案し、活動を始めたと聞いた。
そして!なんとうれしいことに!
友人のご主人が勤務する練馬区立石神井小学校が、このコンゴ民主共和国の東京オリンピックサポート校になったのだそうだ。

わたしの周りの日本人やコンゴの友人たちにこのことを触れ回った。
そして、このキンシャサから石神井小学校に持ち帰れるイチバンのお土産ってなんだろうと考えた。
そして、ひらめいたのが、アフリカ大陸とコンゴ民主共和国の地図だった。

購入した地図2枚を持つ店員女性さんたち
コンゴ民主共和国の全国地図を持つ店員さんたち 左端は責任者のムッシュ

地図はどこで買えるかな。
Justice通りでよくカラフルなコンゴの地図を広げて売り歩くコンゴ人を見かけるけど。
普通の一般的な地図がいいな。
やっぱり本屋さんだろうなあ。
キリスト教出版のパウロ書店以外、キンシャサに存在する本屋は、6月30日通りのこのL.G.L.書店と、以前に住んでいた平和通り近くの本屋しかわたしは知らない。
3年ちょっと前に南アのヨハネスブルグに駐在する商社マン青年がキンシャサの我が家を訪れた時に、訪問国の地図を現地で購入することを趣味にしているというので、案内したのがこのL.G.L.書店だった。その青年は、店の奥から出してきてくれた数種類の地図から1枚を選んでコンゴ民主共和国の地図をうれしそうに持って帰ったことを思い出した。

そうだ、L.G.L.書店に行こう。
今回もやっぱり、店頭には地図は置かれていなくて、尋ねてやっと倉庫から段ボールごと運ばれて見せてくれた。
地図の種類も枚数も少なくなっていて心もとなかったけど、アフリカ大陸全体地図とコンゴ民主共和国の地図と、わたしがイメージしたものが見つかった。

わたしは書店の店員さんたちに、「友人のご主人が勤務する東京の小学校で、あなたたちの国の2020東京オリンピックに参加する選手団を応援することになったので、あなたたちの国のことを学校全体で勉強しようということになり、わたしはその小学校の児童たちのプレゼントとしてこの2枚の地図を選んだのです。」と説明した。とても喜んでくれて、ここの支店の責任者を呼んでくれて、10米ドル安くしてくれて持たせてくれた。
そして、最後に地図を持った店員さんたちと撮影をし、石神井小学校の皆さんに紹介しますと約束してお別れしたのだった。
L.G.L.書店の皆さん、ありがとうございました。

本屋 Livres Pour Les Grands Lacs の案内パンフ




























石神井小学校の皆さんが、この地図でコンゴ民主共和国のいろいろなことに興味を持ってくれて、アフリカ大陸のど真ん中に位置するこの国のことを身近に感じてくれたらいいな。

2017年5月25日木曜日

キンシャサ便りふたたび34 のどの痛みに”ンドンゴ”さん!

小さい頃よく耳にした、”ノドの痛みに龍角散!”(ちょっと違う?)、とかいうCMのキャッチフレーズを思い出す。
調べてみると、二百年も前から存在する東北地方由来の生薬だとか。


コンゴの龍角散? ”ンドンゴ”


先週、金、土、日の3日間、わたしたち夫婦にとって最後になるキンシャサ・オープンゴルフに参加し、疲れ切ってプレイを終えた途端に、わたしは喉をやられてダウンしてしまった。
最初は、手元にあったトローチと葛根湯で乗り切ろうとしたけど、効き目なし。
PL錠を探し出してのみ始めた時、我が家のボーイ兼わたしのゴルフキャディーのオリビエが、喉の痛みにとっても効くからと500コンゴフラン(50円弱)を渡して買ってきてもらったのが冒頭の写真の”ンドンゴ”だ。
かれは、紙に「mudongo」と綴った。
ちょうど大きさも形もニンニクのような種袋が汚い木串に三房刺されていた。
日本でも団子三兄弟だけど、この国でも三房が串に(でも本当に汚い木串!)刺されているということに、ちょっと感動!
で。
これは木に成る花の種子なのだとオリビエは説明した。
一つの種袋を手で揉みほぐすと、小さな赤茶色の粒がたくさん出てきた。
串に刺された種の房は、しっかり干されて、乾燥している。

ンドンゴの粒(爪楊枝のサイズと比較して)

この粒がンドンゴという木の種なのだそうだ。
言われたとおりに、粒を3,4個口に含んでカリカリと歯で噛んでみる。
おおー!
ミントの極みのようなヒンヤリした刺激が口に広がった。思わず、昔懐かしい銀色の”仁丹”と重なった。仁丹よりさらにぴりぴりくる。
オリビエは、そのピーマン胡椒のような刺激成分が喉の毒を洗い流してくれる、という言い方をした。
粒を3,4個カリカリと噛んで呑み込むと、確かに喉に心地良い。
そして、その後に水を飲むように言われた。
水を飲んで毒を流すのだとかれは説明した。
それを10分から20分毎に繰り返す。一房が一日分。
かりかり歯で潰して吞み込んで水を飲んで毒を洗い流す。だいたい、一日で喉の痛みは治まるよと。残りの二房はストック分だと言った。
団子三兄弟の三房なのか、薬といえばだいたい三日分の慣わしなのか。

最初の2回くらいで、喉の痛みが和らいでいくのが分かった。
そして、本当に昨日の一日で喉の痛みが消えてしまった!

オリビエが言うには、本来は森の中の大木だったンドンゴだが、今では、あちこちに植えられ、ンドンゴの種子の房が串に刺されて道端で売られているのだそうだ。
皆、知ってるよ、喉が痛いときにはンドンゴだ、ってね。

それぞれの地で育まれてきた生薬やお茶。
わたしたち夫婦はキンシャサで、モリンガのお茶、ブルグトゥのお茶も楽しんでいる。

コンゴの人たちは、昔から受け継がれてきた生活の知恵を今も活かしていると感じる。
まさに「身土不二」(人間の身体とそこに暮らす土地とは切り離せない関係にあるということ。)の考えだ。
ずっと昔から伝えられてきた、わたしたち日本人の生活の知恵を見直して、取り入れて暮らしたいなと改めて思う。

キンシャサ便りふたたび33 上智大学で開催中の”Africa Week2017”

もっともっと、もっともっと知りたかったコンゴの子どもの文化。上智大学で企画された「Africa Week」に絡めて書いてみました。”ボノボの森”にも転載します。

L’éléphant vert: 上智大学で開催中の”Africa Week2017”: 上智大学「Africa Week」のポスター(馬野晶子氏facebookより) 娘の母校、上智大学で、「Africa Week」と題されて、アフリカを多方面から捉えて見つめてみようという企画が、5月22日から26日まで開催中だという。 なんとうれしい企画だろう! ...

2017年5月10日水曜日

キンシャサ便りふたたび32 キンシャサの通貨の摩訶不思議

5月中旬となり、キンシャサは雨季のしめくくりの時季だ。雨が昨年に引き続き、少ないと言われていたが、ここ2週間ほど夕方から夜中にかけてまとまった雨量で、先週末のゴルフクラブ主催のコンペは中止になり、現在も一部閉鎖が続いている。
街中のアスファルトのはげたでこぼこ道には大きな水たまりができ、迂回する車が立往生し混乱しまくりだ。そんな混沌とした光景を目にすると、ああ、キンシャサだ、と痛感する。

混沌、と言えば・・・。

キンシャサの通貨は、この国の通貨であるコンゴフラン(CF)と、米ドルの2本立てだ。
そして、紙幣だけで、コインは存在しない。
不思議なこと、極まりない。

ヨウムの絵の1000コンゴフラン札と、ホロホロ鳥の絵の5000コンゴフラン札

だいたい、コンゴフランは50CF札から100、200,500,1000CF札くらいまでが一般に流通し、たまに2千CF札とか5千CFも見かける。一時期、一万、二万CFとかの高額CFも見かけたが、現在はほとんど見かけなくなった。

パーム椰子とカンムリ鶴の絵の20000コンゴフラン札 (2013年5月撮影)

米ドルのほうはというと。
どういうわけだか1米ドルはまず受け取ってもらえないので、キンシャサでは5米ドルから100米ドルまでが流通している。

2017年5月現在、概ね、”1米ドル=1350CF~1400CF”
2012年1月、わたしたちがキンシャサ生活を始めたころは、1米ドル=930CFくらいだったから、「1000CF札=100円」だと思って買い物をしようと思ったものだった。
コンゴフランの価値はだんだん下落し、2016年6月には、1米ドル=1100CFになり、今年に入って1米ドルが1300CF台に突入。1000CF=80円ちょっとくらいになってしまった。

この国の前首相が公務員の給料支払いをコンゴフランでの銀行振り込みにして以来、公務員給料は現地通貨のコンゴフランでの支給になったと聞く。この国の通貨をコンゴフランのみに統一しようという政策だと聞いた。コンゴフランのみの通貨社会にするには10年はかかるだろうと言われたらしい。
その頃出回った1万CFや2万CF(単純計算では約10米ドル、20米ドル)といった高額CF紙幣は、現在、どこに消えていったのだろう。とんとお目にかからなくなった。
そして、その前首相は失脚し、政府の表舞台から外れてしまったとも聞いた。

コンゴフラン安に伴い輸入品価格は上がり、それにつれて物価も上がり、一般庶民は軒並みコンゴフランでの生活だから、生活はどんどん苦しくなる一方だ。
(コンゴから出てしまうと、コンゴフランは紙切れ同然で、コンゴフランは外国通貨との換金の対象とはならない。)

ところで、この5米ドル紙幣の写真を見てほしい。

上が本物紙幣、下は偽造紙幣

紙幣の右半分を比較すると、上の紙幣の背景にはプリント模様があるが、下の紙幣にはそれがない。
わたしがある日、ゴルフ場で模様無しの5米ドル紙幣を使おうとして拒否されて、偽札の存在を初めて知った。
なんと、コンゴでは、偽札が出回っているのだ。

昨年12月に、わたしが買い物で100米ドルの旧紙幣を出すと、受け付けてもらえなかった。
これはコンゴでは使用できないから、ヨーロッパで使いなさいと言われたのだ。
100米ドル紙幣では、新札のみ受け取ってくれて、旧紙幣は受け取ってもらえない。
100米ドル旧紙幣の偽札が出回っているという噂が流れているためだと言う。
アフリカの大部分の国が口承文化であるため、噂は瞬く間に広がっていく。
(もちろん、パリの空港で無事に旧紙幣の100米ドルは何の問題もなく使えた!)

また、1米ドル札が使えないというのも不思議なことだ。
1000CFの品物を買うのに1米ドル紙幣を出すと、拒否される。
噂では、1米ドル紙幣を半額で計算してくれることもあるとか。


そして、ボロボロの汚いコンゴフラン紙幣があちこちで出回っているのに、わたしがコンゴフランで普通に支払おうとすると、この紙幣は破れているから受け取れない、だの、端っこが切れているから使えない、だのイチャモンを付けてくる。
米ドルでも同じことが起こる。
先週、フランス語の個人レッスンを受けているコンゴ人女性から、前の週にわたしがかのじょに支払った20米ドル紙幣の端が切れていたらしい。キンシャサでは使えないから、勤務先のアメリカ人に替えてもらえたからよかったけど、次回からは気を付けて、と注意された。
自分たちのことは棚に上げて、紙幣の状態に異常なほど注意を向けるコンゴ人たち。
だったら、アンタのこのお釣りの汚いボロンボロンCF紙幣は何なのさー!、と言いたくもなってくる。
まるでもう、トランプの”ババ抜き”ゲームみたいなものだ。

また、こんなこともあった。
3月に日本から知人がキンシャサに来てアクセサリーを売るブティックで買い物をした。
そして、ついこの前、わたしが久しぶりにその店に入ると、コンゴ人マダムがわたしの顔を見るなり、待ってましたとばかりに、かのじょはこう言ってきた。
アンタがこの前(でもない1ヵ月以上も前のことなのに)ここで買い物をした時この5000CF紙幣で支払ったが、この紙幣は使えないから別の5000CF紙幣に替えろ、と言うのだ。
はー?
その紙幣がわたしの出した5000CF紙幣だっていう根拠はどこにあるのだ!?
でも、憐れみいっぱいで訴えてくるコンゴマダムを前に、結局、わたしは5000CF紙幣をわたしの財布の中の別のものに替えて渡したのだった。
周りのコンゴ人も巻き込んでかのじょの言い分を聞くと、紙幣の通し番号の末尾に”C”が入っているのは使えないのだと言うのだった。
確かに、かのじょが主張してきた5000CF紙幣の通し番号末尾には”C”が入っていた。わたしは、”C”が入っていない5000CF紙幣をかのじょに差し出すと、あちこちから眺め回さんばかりに点検確認して、仕舞い込んだのだった。

ということは、この国には、偽札の米ドル紙幣だけでなく、コンゴフランにも偽札が紛れ込んでいることになる。5000CF紙幣の偽札が出回っているということが新聞に載ったことがあるそうだ。だから、5000CF紙幣が嫌がられるのか。
これもまた噂に過ぎないが、コンゴ政府、というかコンゴ中央銀行自体がそういうものを偽造しているのだということまでまことしやかに聞こえてくる。


スーパーマーケットや小ぎれいなパティスリー、ゴルフ場から、普通の布地屋、路上の野菜売りマダムたち、ほとんどのところで米ドルでの支払いが可能だ。そして、お釣りは米ドル交じりのコンゴフランで戻ってくる。
店舗のレジはすべてコンピューターシステム。
スーパーマーケットのレジのところには、”1米ドル=140CF”とか、”1米ドル=130CF”とか換金レートが表示されている。
南アフリカ資本のスーパーマーケットの換金レートは1米ドル=130CFだと表示されている。米ドルで支払うと他のスーパーマーケットより率が悪いからそこではめったに買い物をしないという外国人の話も聞く。キンシャサは、アフリカの国々の中でも外国人にとって物価の高いことにおいても悪名高い都市だ。

外国人向け価格とコンゴ人向け価格が存在するキンシャサ。
外国人が露店で果物を買うと、現地人の倍の値段で売りつけられる。
わたしは一般庶民地区で買い物をしたことがないから知らなかったが、わたしたちがいつも買い物をするスーパーマーケットで普通に買えるキッコーマン醤油は庶民向けの店には置いていないのだそうだ。一般庶民には醤油なんて必要ないものな。
それぞれが自己防衛して、身の丈で生活している。

わたしなんぞ、米ドル交じりのコンゴフランでのお釣りを前に、頭の中は???が飛び交うばかりだ。
その上に、レジ係員の傲慢さ。
横柄な態度で、この紙幣は使えないときっぱり言ってくるし、お釣りを渡すときは、こちらに落ち度はないとばかりに自信たっぷりにボロボロ紙幣に偽札紙幣(かどうかは知らないが)をよこしてくる。”ババ抜き”のときのポーカーフェイス気取りなのか?
この国で生きて行かねばならない庶民の生きる知恵、自己防衛なのだろうけど。

2017年4月26日水曜日

キンシャサ便りふたたび31 キンシャサ ゴミ事情

キンシャサのメイン通り、6月30日通りには、緑色をした円筒形のゴミ箱が等間隔で品よく並んでいる。
下の2枚の写真は、その6月30日通りで撮った写真だ。


これらの写真を見る限り、キンシャサのゴミ事情はすばらしい、と思われるだろう。
ゴミ箱からゴミが溢れ返っているのでもないし、周囲もきれいだ。右の写真では、ちょっと見えにくいかもしれないが、黄色い帽子にベスト姿の清掃員が通りの清掃までしている。

ところが実情は全く違うのだった。
ゴミ箱からゴミは溢れ返っているし、ゴミ箱周辺にもゴミの山。
清掃員は市の職員ではなくて、NGOが雇っている清掃員だと聞く。
このゴミ箱のゴミは定期的に公的な収集車が来て、公的な清掃員が存在し、公的なゴミ処分場に運ばれてしっかり処理されているのか?どこまでも”はてなマーク”が続いて懐疑的な眼差しで見てしまう。

だって、一歩街中に入った通りでは、こんな光景が目に入ってくるのだから。



この2枚の写真は、カビンダ通りのゴミ収集場の近景と遠景だ。
メイン通りのゴミ箱からゴミが集められて、大きなゴミの山として庶民の住む地区の隅に集積されて点在しているのではないかと想像してしまう。こんなふうに。
白戸圭一さんの著した「ルポ 資源大陸アフリカ」(朝日文庫)の中のキンシャサのゴミ溜め都市の箇所を思い出してしまう。
燃えるゴミも不燃ごみもペットボトルも瓶、缶類もごちゃまぜだ。

市内を走るウィレリー通りも一見、きれいに清掃されているかに見える。



でもやっぱり、同じウィレリー通り横にもこんなゴミの山が存在する。



ポワルー道路のゴミ事情を見てみると。


ポワルー道路の工事を請け負うキンシャサの建設会社のオーナーがこんなゴミ箱を置いたのだそうだ。


オレンジ色のオシャレなゴミ箱だ。
そして、案の定、ゴミ箱周辺にまでゴミが山積されている。見るに見かねた建設会社がゴミの収集までやっているというのだが。
果たして、その収集されたゴミはどこに運ばれているのだろう。

以前、住んでいたモティ・ホテルアパートのゴミ置き場には定期的に収集車が来てゴミを運び出していたようだし、アパート前の平和通り角のゴミ箱周辺に山積するゴミも、三輪小型トラックだかオートバイだかがリヤカーを引いて現れて運び出されているのを朝早くに何度か見かけた。
でも、公的なゴミ収集はもはや行われていないと聞いた。

6月30日通りでは、ゴミを集めてどこに運ぶのか、こんな小型トラックも見かけた。



また、6月30日通りを走る、ちょっと先進的な有料?ゴミ収集車も見かけたことがある。いや、きっと有料なのだろう、その証拠に、その車の側面には電話番号が大きく掲示されていた。




”STEP Recycling” と大きく書かれた、見るからにゴミ収集車と分かる車だったが、はて、やはりその車で集められたゴミの行き先はどこへやら、である。

キンシャサの老舗ホテルの駐車場に面したゴミ置き場で、朝早く、ゴミ運搬トラックが横付けされている光景にも出会ったことがある。


また、日本大使館前には、こんなゴミ収集車が来てゴミを載せて行っていた。


飲料会社の運搬車がゴミ収集車に再利用されていたのだった。

前述したカビンダ通りにもNGOの雇用人だと思われる清掃員が働いていた。


車窓越しに撮った写真なので見えにくいだろうが、6月30日通りの清掃人と全く同じユニフォームを着て働いている。

ンジリ空港を越えたキンシャサ郊外のコンゴ河の中の砂州を利用して、ゴミを埋め立てて、住宅街を作ろうという完成予想図が大きく掲げられているのを、前回の滞在の時にグランドホテルに続く道路端で見たことがあった。今はもう撤去されているが、小耳に挟んだ情報によると、すでに埋め立て地は完成しているとも聞いた。
そういうゴミ再利用なら歓迎だが、ゴミからの浸出液や有害物質が川に流れ出ていると考えると恐ろしくもある。

キンシャサに来た当初からずっと、ビールの空き瓶を持って行かないとビールを買えないというルールがあったのだが、最近ではそのルールも崩れて、ビール瓶が一般ごみとして出されている。
以前にも書いたが、ペットボトルでの飲料水の種類が増大し、ペットボトルのゴミもやたらに目に付く。

ゴミ処理能力を超えた物資が大量にキンシャサに入り込み、そのゴミがキンシャサ中に溢れ返っていると痛感する。
昨年は、ゴミが排水溝を詰まらせ、雨水が溢れ返って洪水がキンシャサで起こった。

キンシャサに本格的なゴミ処分施設ができるのはいつのことなのだろう。

2017年4月21日金曜日

キンシャサ便りふたたび30 また逢う日まで!


わたしのゴルフ帽子 with しょうこさん制作の布バッジ&青い鳥の羽

たくさんの思い出をわたしたちにプレゼントしてくれて、しょうこさん夫妻が今夜の便でキンシャサを離れる。
寂しいな。本当に寂しいな。

2012年のあれは何月だっただろう。9月の初めくらいだったかな。
突然、キンシャサ・ゴルフクラブの休憩コーナーで、フランス人のムッシュから日本語で話しかけられた。
わたしの奥さんは日本人です、キンシャサにもうすぐ来るので、お友だちになってください。

その次にムッシュに会ったとき、わたしの奥さんと電話で話しますか、と電話をしてくれて、初めて話をしたゴルフ場でのこと。
それがしょうこさんとの(声での)出会いだった。
わたしは、それからずーっとしょうこさんと一緒に過ごしたキンシャサだ、と思っていた。
よくよく考えたら、お互いの帰国や休暇、転勤なんかで細切れのお付き合いだったんだな。
それでも、わたしはフランスのしょうこさんのお宅へ、そしてしょうこさん夫妻は東京の我が家を訪ねてくれている。
2014年8月にはわたしたちは東京に戻った。
その前に、しょうこさん夫妻は転勤でキンシャサを離れていて、ふたたびキンシャサに戻ってきたのは、2016年3月か4月くらいだったか。
わたしの夫がポワルー道路の街路灯設置プロジェクトでキンシャサ滞在が始まったのが2016年6月で、わたしが追ってこちらへ入ったのが同年9月半ば。
それから、毎週火曜日、木曜日の早朝ゴルフを一緒に楽しんだ。

しょうこさん夫妻最後の参加の4月キンシャサ日本人ゴルフコンペ 


昨年9月にわたしのキンシャサ滞在が始まってから、わたしは全く料理に取り組めないでいた。お客さんを招いて食事会を、なんて到底無理な状態だった。
以前のキンシャサ滞在の時に、頻繁に起きた断水と停電で不自由したこと、特に来客予定の日に断水と停電でパニックになったときのことがよみがえってきて、トラウマ状態に陥ってしまったのだ。

その時に、しょうこさんは力まずにそのままでいていいじゃない~とさりげなく支えてくれた。
ゴルフのあと、我が家でランチしていくように、とこれまた自然に誘ってくれた。
ゴルフから一緒に帰宅したしょうこさんは、そのまま手際よくランチの用意をして、ご主人のお昼休み帰宅に合わせて、夫妻にまじってランチをした。
ささっと準備をするしょうこさん特製ランチの美味しかったこと!さりげなさの何と心地よかったことか!涙が出るくらいうれしかった、ありがたかった。
そうだな、料理なんて力まずにできる範囲で取り組めばいいんだ、お客さん招待はまだまだ考えなくていいんだ。
そう思えるようになってきた。
しょうこさん宅でのランチは、わたしが3月初めに新しい家に移って、しょうこさんの車での送迎が終わるまで続いた。
本当に、本当に、ありがとう!しょうこさん!フレッドさん!

4.19。キンシャサ・ゴルフクラブでの一緒の最後のプレイ

わたしは、しょうこさんも含めてキンシャサ日本人女子会をまた我が家で開くことができた。
わたしにはうれしい復帰だった。


今頃、空港到着したくらいかな。
また逢う日まで!
ぜひ、元気で再会しましょう。


~と書いたところで、今夜、わたしたちは夫の会社も絡んだ交通プロジェクトのかたたちとの会食に出かけた。
よかった。救われたな。
大人数で食卓を囲めて、寂しい夜を紛らわすことができたのだから。

帰る道、ずっと雨が降っていた。
本当にキンシャサで久しぶりの雨。
なみだ雨かな。

しょうこさん夫妻はもう機上の人よね、きっと。


帰宅してみると、わたしの携帯にしょうこさんからメッセージが届いていた。
飛行場のラウンジから送信されたうれしいメッセージだった。

出発当日お昼ぎりぎりまで、わたしたちキンシャサ日本人マダムとカフェで過ごしてくれたしょうこさん。最後の荷物をスーツケースにぎりぎりいっぱい詰め込んで来たわよーって笑顔でカフェに現れた。

また、お互い元気で再会を楽しみに!!!
これまでずっとありがとう!!!
これからも、どうぞよろしく!!!