2013年6月11日火曜日

寒いー!!キンシャサの朝

我が家のベランダから西の空を望む

今、朝8時10分。
気温23℃。
色んな鳥のさえずりが空を響き渡っている。

寒い!!

本当に寒い。
キンシャサでは5月19日夜の雨ーキンシャサ・オープンゴルフ最終日の夜のパーティーが始まったときだったーが最後で、乾季に入った。

冒頭の写真は今朝撮った写真だ。
空には厚い厚い雲が垂れ込めて、どのくらいの厚さの雲をくぐり抜けたら太陽に出会えるのだろう、と想像して呆然となるくらい、ぶ厚い雲の層だろうと思われる。
キンシャサ全体が重く、暗く、そしてひんやり、肌寒い。


”キンシャサは乾季です。”というと、ああ、雲一つない青空が広がり、太陽がギンギン照りつけて、きっととんでもなく暑いアフリカなのだろう、と思い描くのだろう。
ところが。
期待を裏切るようだが、キンシャサの乾季は気温が低めでとても凌ぎやすい季節なのだ。
キンシャサの(コンゴ民主共和国は広大は国土だからキンシャサに限って書き進める。)乾季の間は、本当に1滴たりとも雨は降らない。
降らないけれども、いつもいつも空はどんより曇り、重く厚い雲で覆われ、太陽が顔を出せないでいる。
午後になって、ぶ厚い雲の切れ間から太陽が顔を出すと気温ももちろん上がるけれど、それでも室内にいる限り、空気はひんやり気持ちがいい。
重く厚い雲からは今にも雨が落ちてきそうなのに、絶対に雨は降らない。この微妙なバランス具合といったら、ない。
かといって、そんなに湿度も感じないし、もちろん乾燥しているとも感じない。

以前にも書いたが、軽井沢かどこかの夏の高原の気候だ。

雨が降らないのだったら、草木の緑も枯れてしまうね、と思うなかれ!
我らがコンゴの大河のお蔭で(多分)、朝晩には緑は露でしっとり湿り、乾季の間もしっかり草木はきれいな緑を保ったままだ。

キンシャサの乾季というベストシーズンを考えるとき、コンゴの大地をくねくねとうねって流れるコンゴ河の存在の偉大さを感じないではいられない。

わたしのフランス語の先生(コンゴ人女性)は、これがわたしたちの”秋”なのよ、と言う。
確かに去年も今年も、いよいよ乾季になるなあ、と空気の変化を感じる頃、空には日本の秋を思わせるようなうろこ雲が空一面に広がった。


雨季から乾季に移動するころ、うろこ雲が広がる


彼女は昨日もオフホワイトのパンツ、白い木綿のブラウスに真珠のネックレスを付け、デニムの長袖ジャケットを羽織って、すっかりシックな秋の装いだった。

わたしたちも夜は厚手の毛布にすっぽりくるまれて寝ている。

ゴルフプレイヤーにとっても6月7月8月はベストシーズンだ。
プレイ中も、汗をかかない。

昼近くになって、ひょこっと太陽が顔を出したりする。
今は、北回帰線辺り(ちょこっとだけ南)を通過中だから、南緯4度のキンシャサで見える太陽は東から北側の空を通って北中(!)し、西へ沈む。
春分の日よりちょっと前くらいから秋分の日ちょっと過ぎくらいまで、我が家の南向きの窓からはお日さまの日差しは入ってこない。
これが不思議だった。
北回帰線より北に位置する日本列島からは、一年中お日さまは南の空から顔を出しているのだから。

ということで、外にいても、我が家にいても、お日さまとは顔を合わせない日々が続くキンシャサの乾季だ。
紫外線で痛めつけられた(きっと!!)お肌にはしばしの休息のときなのかもしれない。

キンシャサの人に乾季っていつからいつまで?、と聞くと皆が口を揃えて、5月15日から8月15日(或いは20日)までだ、とこれまたぴしゃりと日にち限定で言ってくる。
なにを根拠に言っているのか。それがまたおもしろい。

さあ、今年のベストシーズンも楽しまなくちゃあ。

2013年6月8日土曜日

ンガリエマ浄水場拡張工事プロジェクト完成!

コンゴ河に突き出た取水管上の桟橋からンガリエマ浄水場を望む


完成予想図の赤点線囲み部分が今プロジェクト;ンガリエマ浄水場拡張工事プロジェクト・パンフレットより


私たちが住むキンシャサのアパートに、日本の建設会社の方たちが住んでいる。
かれらがキンシャサに駐在し、2011年7月から工事を開始した、”ンガリエマ浄水場拡張工事”が、6月初めに完了した。


この国の水道は、”RESIDESO”という水道局が運営している。
キンシャサ全体で一日50万トンの水が消費されるのだそうだ。
そのうちの8万トンが既存のンガリエマ浄水場で供給されていた。
そして新たに一日3万トンの水を供給するべく建設・設置されたのが、このンガリエマ浄水場拡張工事プロジェクトである。
日本国政府の無償援助プロジェクトだ。


浄化される一日11万トンの水は飲める状態でこの浄水場を出て行くのだそうだ。
我が家の水道水はこのンガリエマ浄水場からの水だ。
3階の我が家にたどり着くまでの水道管や水槽タンクが古いからなのだろう、我が家の水道水では水質が良くなったという実感は湧かなかった。
ところが、1階のアパート入り口の水道水をバケツに汲んでみて驚いた。澄んで透明な水なのだ。
それくらいに、ンガリエマ浄水場からの水道水は確実に水質が改善されたのだそうだ。


日本政府援助の浄水場の拡張工事プロジェクトが完成し、水道水の水質が大幅にアップしたことを、キンシャサのどれだけの住民が知っていることだろう。
わたしが参加するIWC(国際女性クラブ)で、そのような水道水の話題は一度も出たことはない。
わたしたちの水道水の水質がグンと良くなりましたよー!、とスピーカーで街じゅうに宣伝して回りたいくらいだ。


浄水場の建て屋~右の黒い管がコンゴ河からの取水管

右の建物が今プロジェクトで建てられた事務棟


 プロジェクト現場は、キンシャサの真ん中を走る6月30日通りのソシマット交差点から細いでこぼこ道に入り、800メートルほど進んだ突き当りのコンゴ河そばにある。

浄水場の門をくぐり敷地内を進むと、視界が一気に広がって雄大なコンゴ河が一望できる。
大河がちょうど曲がった内輪部分の河岸にある現場なので、河にせり出した半島のようなところに浄水場敷地が横たわっているように見える。
そんなオープンスペースの河岸に白とブルーの事務棟、浄水棟が建つ。

現場は人の目に付かない奥まったところにある。
だから、浄水場が新しく建設されたこと、そして水道水の水質が改善されたことがあまり知られていないのはしかたがない。

今日来たコンゴ人の仏語先生に、我が家の隣に住む日本の会社、日本の技術員たちが建設したンガリエマ浄水場拡張工事が完了したことを話すと、
「そういえば昨夜のテレビニュースで日本の援助で浄水場が完成したと言っていたわ。」
彼女はキンシャサのテレビニュースで知ったのだった。


日本の援助現場はどこも理路整然として、技術もすばらしい。
所長さんの方針で仕事環境を工夫して整えたプレハブ工事現場事務所にも感動したものだ。
わたしはかれらのプロジェクト現場を幾度となく訪れた。訪れるたびにスタッフの皆さんが歓待してくれた。

また、この浄水場から眺める夕陽の美しいことと言ったらなかった。
広大なコンゴ河の上に夕陽が赤く染まってゆき、いよいよコンゴ河上の地平線に沈むかと思うその前に夕陽は川の上空のもやにかき消されて見えなくなってしまうのだったが。


2012年 建設中の現場に沈む夕陽


そして、6月4日。
このプロジェクト施設をコンゴ政府に引き渡しする直前の多忙な時に、わたしは最後の見学をお願いした。
技術者の皆さんは、それぞれの持ち場で最後の点検に一生懸命に取り組まれていた。
まるで手塩にかけて育んできた娘を嫁に出す父親のような心境に違いない。
多忙な中を、所長さんと技術員のかたがわたしの見学に付き合ってくださった。


完成した、コンゴ河からの取水管、それに続く浄水棟施設は本当に素晴らしかった。



コンゴ河に突き出た歩行スペースの右下に黒い取水管が通っている

浄水棟の施設

浄水棟の施設


浄水システムは日本の様式で、機械装置はすべて日本の製品だ。
それ以外の建築資材はコンゴで調達したものだと聞いた。

浄水場を見渡すと、建て屋もコンゴ河との境界を囲んだ鉄柵も、白とブルーで統一され、とてもクリーンな印象を持つ。(どこの浄水場も白とブルーなのだそうだ。)


このプロジェクトに関わったすべてのスタッフの皆さんの2年間の活動が結集されて完成したンガリエマ浄水場の最後の見学を終え、わたしは大きな感動を抱えて帰宅したのだった。

この浄水場施設が、これから先ずっとコンゴ政府の手でキンシャサ市民のために適正に運用され、維持されていくことを願う。

ンガリエマ浄水場の事務棟玄関前に立つプロジェクトの碑

2013年6月4日火曜日

第5回 アフリカ開発会議

キンシャサ6月30日通り沿いの風景


6月3日。
横浜で開催された3日間の第5回アフリカ開発会議(TICAD)が終わった。

20年前から5年ごとに開催され、今年で5回目となる”アフリカ開発会議”。
安倍首相の「TICADを契機として,アフリカと日本の経済を新たに躍動させるべく、誠意を持って本会合に臨む。」の言葉で始まった会議だったが、疾風怒濤のごとく、日本を駆け抜けていったのではないだろうか。

アフリカに絡んだイベントも多く企画されたことだろう。
今回のことで、アフリカがちょこっとは日本で話題に上る機会も増えたのではとキンシャサから想像している。

アフリカ54カ国から51カ国が参加し、39カ国から”首脳”が来日したそうだ。
でも、”首脳”って?
大統領や首相を含む大臣クラスのことを指すもの?
この国RDC(コンゴ民主共和国)からは大統領も首相も参加していない(外務大臣だけなのかなあ。)と聞く。ちょっとガッカリ。
(同時期に、モロッコ、マラケシュでアフリカ開発銀行の会合が開催されていたことを昨夜のフランスの衛星テレビ放送ニュースで伝えていた。)

この横浜での会議にほぼ全部と言っていいアフリカの国々の各政府が真剣に祖国の実情を訴え、真剣に祖国の発展と将来のために来日、参加したことをわたしは信じたい。

アフリカの国々で中国が官民共に援助と商売を繰り広げていることが日本のメディアで大きく取り上げられ、天然資源採掘権狙いの援助だと非難されているのは知っている。
では、欧米諸国のアフリカでの動向は伝えられているだろうか。
アフリカの旧宗主国でありアフリカを知り尽くしているヨーロッパ諸国、そして地球のリーダーとでも言わんばかりのアメリカの影が、キンシャサに住んでいてちらちらと見え隠れする時がある。
アフリカ国家にもアフリカ住民にも疎い日本人は、これからいろいろな試練が待ち受けていそうだ。

でも!と思う。
アフリカの治安の悪さ、気候、文化や思考の大幅な相違ばかりが強調され、日本人はアフリカに対して慎重になりすぎたようにも思う。
アフリカへの政府支援も大切だが、「民間部門の進出は、アフリカの成長の原動力として必要不可欠だ」(安倍首相)の言葉を、キンシャサ生活で日々実感している。


RDC(コンゴ民主共和国)に限って見ていくことにする。

RDC(コンゴ民主共和国)は、豊富な地下資源を有するばかりに欧米諸国から狙われ、東部では内戦状態が現在も続いている。
豊富な地下資源を有する国の悲劇だ。
RDCに豊富に横たわる天然資源として、ダイヤモンド、銅、コバルト、レアメタル各種、金、石油、亜鉛などが挙げられる。
(余談だが、アメリカが広島や長崎?に投下した原子爆弾の材料(ウラン)は、RDC産のものだということはよく知られていることだ。)


2011年の一人当たりGDP(国内総生産)世界ランキングでは、他のアフリカ諸国を抑えてRDCが186位で最下位だった。
モブツ政権時代(1965年11月~1997年5月)に、かれの悪政で国は行き詰まり、1990年代に起こった”Pillage(略奪)”で国民の生活は崩壊、モラルのかけらも無くし、キンシャサの在外公館もキンシャサの外国人もすべて国外退去する。

そんな時代から20年。
東部の戦闘状態は相変わらずだが、この国の経済は外面だけでも(?)、上向きなようだ。
2013年の経済成長率(GDPの前年比)を見ると、RDCは世界第5位、8.8%となっている。
ちなみに1位から5位までここ数年の間に内乱で国政が乱れた国で占められている。
「崩壊→秩序へ」をたどる国が高い経済成長率を示すのは理解できることだ。
RDCも東部のことを除外して考えると、国政修復中だと言えそうだ。

この国が抱える問題点のひとつに、国土が広大すぎて都市間が陸路で結ばれていない!、ということが挙げられる。
(国土面積235万k㎡。日本の6.3倍!)
(人口6600万人。日本の人口の半分ちょっと!)

熱帯雨林を蛇行して走る大河、コンゴ河は、全長約4370kmでナイル川に次いでアフリカ第2位。世界第5位。また、流域面積約369万k㎡。アマゾン川に次いで世界第2位。
そんなコンゴ河も、キンシャサから上流のキサンガニ間1600kmのみ航行可能だが、その間の定期航路は存在しない。
怪しげな海路か、これまた墜落事故も珍しくない空路に頼るしかない、という国内道路未整備の実情。
(コンゴ河を利用した輸出入品運送について記すと、キンシャサから下流に滝があり、コンゴ河口からキンシャサまでのダイレクト航行は不可能。下流のマタディ~ボマ~河口までは航行可能なので、船で運ばれて来た荷物は大西洋からコンゴ河を上り、マタディで陸揚げされ、そこからキンシャサまでトラック輸送されている。)


また、電気、水道などの生活インフラも整っていない。
そして文化の違いなのか、金銭感覚、時間感覚、衛生感覚のルーズさに驚き、自己弁護の雄弁さ、巧みな詭弁にはただ呆然とするばかりだ。
長い間、植民地の住民としてヨーロッパ人たちから虐げられてきた経験、モブツ時代に藁をも摑んで懸命に生き延びてきたしたたかさなどに由来する人格形成なのか。人間関係にも辟易することだろう。


そんな国情ではあるが、民間部門の進出はRDCでの日本の位置づけに重要なポイントになるはずだ。
1990年代のPillage以来キンシャサに戻っていないのは日本の企業だけではないか。

欧米の企業や商売の進出はいわずもがな、中国もいわずもがな。
そんな中で韓国人のたくましさ、民間部門での活躍ぶりには目を見張る。

キンシャサの街中を走行する自動車は圧倒的に日本車が多い。
しかし、家電製品のほうは、まず日本製品を見かけない。空港などの公共機関に設置されるテレビやエアコンは、韓国製品だと思って間違いない。携帯電話機器も韓国製品ばかりで圧巻だ。
最近、フランスの携帯会社Orangeがキンシャサに進出してきて、大々的に店舗を展開している。
自宅に固定電話を持たないキンシャサの人々には、携帯電話は必需品。
そんな中で、日本製の携帯電話は全く出回っていない!


 日本政府の無償援助プロジェクトも首都のキンシャサだけではあるが、3年前くらいから徐々に再開され、現在、市内道路、浄水場整備、保健衛生プロジェクトの建物とソフト面、人材育成センターの建物とソフト面でのプロジェクトが進行中だ。
今回の会議で、日本政府はアフリカ支援への相当額の資金援助を明言している。


キンシャサが活気付いているという証拠として。
冒頭の写真のビルは、6月30日通りに建つ数棟の近代的ビルの一つだ。
私たちがキンシャサに来た2012年1月1日時点でほぼ完成していたが、1階部分の店舗はずっとシャッターが降りたままだった。
6月30日通りから入り込んだ側面にレバノン人経営のクリーニング店が入り、角のところにパンとケーキの店兼カフェが入ったのが昨年10月くらいだったか。
そして、コンゴ庶民のパン工場Victoire直営の喫茶店が入店し、昨年のクリスマスは電気事情で暗闇のクリスマス街灯の中をこの界隈がひときわ明るかったことを思い出す。

クラウンビル 6月30日通り沿いのカフェ2店




今年に入って、側面の店舗にフランス?からの紳士服の店が入り、そして、先月末、スペインのユニクロ的存在のZARAが市内外れの冴えない店舗から引っ越してきた。
1年半かかって全てのテナントが揃ったのだった。


華やぐクラウンビルのテナント
キンシャサのコンゴの人々皆が、ここの店を利用しているかといえば決してそのようには思えないし、6月30日通りにはストリートチルドレンを見かけるが、少しずつ、少しずつこの国が、そしてアフリカの他の国々も平和を基底に経済が上向くことを願っている。

アフリカ支援の鉄則。
アフリカ自身の意志を反映する”オーナーシップ”と、国際社会の”パートナーシップ”。

アフリカ自身の取り組みを、サポートする日本であってほしいし、アフリカ自身にもしっかり責任を持って国づくり(平和、安定、公正)を進めてほしい。
将来の国づくりを担う子どもたちにバトンタッチする、あなたち自身の国、なのだから。

2013年5月25日土曜日

キンシャサでいちばん最初の教会ー再考ー

 
キンシャサでいちばん最初の教会

キンシャサでいちばん最初に建てられた教会 (la premiere chapelle )のことをもっとよく知りたいと思って、キンシャサ・オープンゴルフが終わって、2日ほどここへ通って調べてみた。
"la chapelle"ということだから、わたしもチャペルと呼ぶことにする。


車から降りてチャペルの周りを回ってみた。
すると、思いのほかコンゴ河がチャペルの後ろに迫っていることがわかった。
コンゴ河岸の草の生えた低地部分から50メートルほど入ったところで土地が一段高くなっていて、そこにチャペルが建っていた。

錠のかかった鉄扉から覗くとチャペルの後ろに広くゆったり流れるコンゴ河の川面が見えるのだった。

コンゴ河岸から一段高いところに建つチャペル


チャペルの奥行きは正面の幅より長い。
長方形の建物だ。


チャペル側面


2度目に来たとき、わたしが車から降りてチャペルを覗いていたら、チャペル前の道路を隔てた正面の扉が開いて、1人の年寄りのコンゴ人男性が現れた。
チャペル関係者だと言う。
チャペルの中に入りたいのなら、20米ドルを払いなさい、と言う。
20米ドルというのは約20000コンゴフラン!!
そんな高い入場料を言ってくるなんて。
今度来たときに見せてください、といって断る。
(というわけで、チャペル内部を見ることはできなかった。)


チャペル正面扉左の塀に埋め込まれた説明パネルをもう一度読んでみる。


"PREMIERE CHAPELLE

DE LEOPOLDVILLE

CONSTRUIT EN 1891

PAR LE REVEREND SIMS AARON

REPRESENTANT LEGAL DE

L'A.B.F.M.S."


「レオポルドヴィルのいちばん最初のチャペル。

1891年、ABFMS公認の代表者、シムス・アーロン牧師によって建立される。」



さて。ABFMSとは何の略語だろう。

"American Baptist Foreign Missionary Society"

(アメリカ・バプテスト外国宣教師協会)

なんとこのチャペルはカトリックではなく、プロテスタントのバプテスト派の礼拝堂だったのだ。
しかもシムス・アーロン牧師はアメリカ人かどうかはわからないが、アメリカ・バプテスト外国宣教師協会からの派遣者だったのだ。

また、レオポルドヴィルというのは、1966年以前のキンシャサの都市名だ。
(1966年にモブツ大統領が国名をザイール、首都名をキンシャサと改名している。)


インターネット情報では、このチャペル名を"la Chapelle Sini"、或いは"la Chapelle SIMS"としているが、上のパネルにはチャペル名は書かれていない。

このチャペルのことを知っている我が家の運転手に訊いてみた。
かれはこう言うのだ。

このチャペルに名まえなんてない。
ただ、"Premiere Chapelle"と言うだけだ。

またかれは、ABFMSのreverend(牧師)によって建てられた、とあるのだから、この教会はプロテスタントだ、と最初から言っていた。
(彼自身、熱心なバプテスト派の信者だ。)

当初、このチャペルの屋根は藁葺きだったようだ。
でも建屋は当時のままのはずだ、と運転手は言う。
この教会は、もう現在は礼拝には使われていないだろう、とも言う。
そして、このチャペルのことを知っているコンゴ人は少ないだろう、とも。

コンゴ河で川幅がぐっと広がっている地点、そしてすぐ下流に滝があって船が下流へは進めない、言い換えるといよいよこの地点から上流のキサンガニまで船旅が始まるという地点の河岸に百年以上もひっそりと建つ小さなチャペル。

キンシャサの中心地区から外れた,緑深い住宅街の一画に建つ"le Premiere Chapelle"、第一チャペル、再考、でした。

2013年5月21日火曜日

第15回 キンシャサ オープン ゴルフ !!

5月17日、18日、19日の3日間、キンシャサ・ゴルフクラブで、第15回キンシャサ・オープンゴルフが開催された。

キンシャサ・ゴルフクラブ入り口そばのパイヨット




キンシャサ・ゴルフクラブ入り口に立てられたスポンサー掲示とキャディ

わたしの昨年のキンシャサ・オープンゴルフのブログ中でつぶやいた願いが叶って、夫婦で初参加を果たした。


”15e OPEN GOLF DE KINSHASA 2013”は、5月16日(木)7時からの前夜祭カクテルパーティーで幕が上がった。

ルブンバシからの参加チームはお揃いのスコットランド衣装で登場

コンゴ南部にある大鉱山都市ルブンバシから20名ほどがお揃いのスコットランド民族衣装で参加し注目を浴びている。1人のメンバーに、あなたはスコットランド出身なのですか、と訊くと、南アフリカ出身です、という答えが返ってきた。
皆とても陽気だ。
オープンゴルフに参加しないクラブメンバーももちろん出席できる。わたしの刺繍のフランス人の先生夫妻もいる。ご主人がスポンサー企業の携帯会社Orangeのキンシャサ駐在員なのだ。

ヨーロッパ、アフリカ、もちろんコンゴ両国から集まったプロと、第1、第2、第3の各カテゴリーに分かれてアマチュア・ゴルファーも参加するキンシャサ・オープンゴルフだ。
今年で15回目という。
聞くところによると、アフリカの他の国でもこういったオープンゴルフを開催しているのだそうだ。
ただ、ナイロビ・オープンゴルフはプロだけの参加だそうだ。


プロと第1カテゴリーの参加者はstroke play。普通の数え方でスコアカードに記入していく。最終日には、パター回数を競う企画もある。
日本人は冨永大使と無償援助浄水場プロジェクトのコンサルタント業務に携わる柳田さんの2人が参加している。

第2,第3カテゴリーは、stable-ford。ハンデにより各ホールのパー数が決まっていて、各パー数より2打オーバーしたところでプレイ打ち切りとなる。
参加者が全部で200人近くともなるとそういった方式になるのだろう。
わたしたち夫婦、大使館勤務の日本人青年はこのプレイ方式での参加だ。

前もってオープンゴルフ参加費を払い、そのときにいろいろな参加グッズをもらう。
3日間分の朝食券、3日間分の飲み物券とサンドイッチ券(その2種類にはキャディ分チケットも付いている。)、3日間分のキャディ券のチケット綴りも入っている。
それから3枚のポロシャツがあり、各日の着用ポロシャツの指定を受ける。




ルールブックやティー、筆記具などのこまごまとした参加グッズを眺めていると緊張感が一気に高まるのだった。


和気あいあいとしたパーティー会場だったが、翌日のスタート時間が発表されると、皆の表情が引き締まった。
いよいよ明日から3日間のキンシャサ・オープンゴルフが始まる。
明日に備えて、早めのパーティー終了だった。(かな?)


さあ、初日。
5月17日(金)はコンゴの祝日だ。
今日はハイネケンが担当スポンサーだ。
夫は早朝から落ち着きがなく、オープンゴルフの朝食風景を見に行ってくるといってゴルフ場に向かう。

配布された3枚のポロシャツのうち、紫色のポロシャツを参加者は着用のこととなっている。
わたしは12:50 10番ホールからスタート。(夫は12:00 1番ホールから。)
スコアカードをもらい、パートナーと顔合わせ。
スコアカードを交換する。
1人欠席で、BCDC(ベルギーの銀行)勤務のベルギー人、パトリックさんと2人でのプレイだ。
初参加なので緊張しています、と言うと、かれも初参加なのだという。
リラックスしてやりましょう、と言われとても紳士的で楽しい相棒だった。
2人ともステーブルフォード式プレイなので、スコアカードに結構な数の×が記入されていく。
太陽がぎらぎらと照りつける。
プレイ前の緊張と炎天下にいることで疲労困憊。
それでもゴルフを楽しむことができた。
8番ホール終了のとき、小高い丘から見た真っ赤な大きな夕陽の感動的だったこと!!



2日目、18日(土)はBCDC(ベルギーの銀行)が担当スポンサー。
着用ポロシャツは白とグレーのもの。
今日は12:10 1番ホールからのスタート。(夫は12:50 10番ホールスタート。)
スラッとして短パンの良く似合うレバノン人マダムのグラディスさんと、オランダ人のキュートなヴィヴィアンさんの女性3人グループでのプレイだ。

この日がいちばん緊張した。
わたしが最初にティーアップ。
なんと初球からバンカーへ。
1ホール目からスコアカードに×が記入された。
飛距離はないが直球でフェアウエイをキープするグラディスさん。
飛距離抜群なのにあちこちに曲がるヴィヴィアンさん。
皆,一生懸命だ。
グラディスさんはプレイ中も煙草を離せない。

半分プレイ終了のときに、プレイ時間オーバーの注意を受け、休憩なしで後半のプレイへ。
この日のスコアカードには×が随分並んだ。
自分のゴルフをする、と言う課題なんか完全に吹っ飛んでしまっていた。
とてもフレンドリーなマダム達なのに、なぜか気を遣ってしまっていた。

それでも、終了後にわたしたち同じレベルだから、またゴルフをご一緒しましょう、と言って電話番号の交換をした。



最終日、19日(日)はフランスの携帯会社Orangeが担当スポンサーだ。
着用シャツは紺とオレンジ色のものだった。
朝早く7時に10番ホールスタート(夫は7:40 10番ホールスタート)ということで、二人で朝6時半に自宅を出発。


朝6時半頃の6月30日通り オレンジ色の朝日が!


6月30日通りをゴルフ場に向かって進みながら、右前方にきれいなオレンジ色に輝く朝日が見え続ける。
よーし、今日こそ、悔いの残らないように自分のゴルフをしよう、と朝日を拝みながら決意する。
3日目だというのに体は軽い。

10番ホール前で2人のムッシュと顔合わせしてスコアカードの交換。
体も声も大きなベルギー人ディディエさんと、小柄で穏やかなフランス人ブルノーさん。
楽しい雰囲気がうれしい。
とにかくしっかりと自分のボールを見続けよう。
いくつかのラッキープレイといくつかの奇跡的なロングパットが決まり、最終日のスコアがいちばん良かった。

最終ホール,最終プレイのあとのなんと清々しかったことだろう!
わたしを支え続けてくれたキャディのデビおじさんに感謝の言葉と心付けを渡すととても喜んでくれた。
来年も腕を磨いて参加できたらな。
もう来年のオープンゴルフのことに想いが移る。


楽しい3日間のゴルフだった。

3日間とも夜には成績優秀者の表彰式とスコアカードでのくじ引きというお楽しみがあった。
初日と2日目は、思い思いのドリンクを片手に、ゴルフ会場に張られた大型テントの下で行われた。
成績優秀者にはその日の担当スポンサーからの賞品が授与され、くじ引きでも担当スポンサーからの提供品に加え、ブリュッセル航空からキンシャサ~ブリュッセル往復航空券が、コロンゴ航空からはキンシャサ~ルブンバシ往復航空券が各日、提供されていた。


最終日の夜は8時から(実際の開始は9時すぎていたけれど)、ゴルフクラブ内のホールで着席ディナーパーティーがあり、参加者は着飾って会場に現れた。
150名以上はいたように思う。
ルブンバシチームのメンバーは、やっぱりスコットランド民族衣装姿でバグパイプ音楽にあわせて踊りながら入場。

会場のテーブルは、国別に分かれていたように思う。
韓国のテーブルには10人(うち4人はマダム)が、日本のテーブルは5人が座った。インド人参加者も目を引いた。アラブ系の参加者も目立つ。アフリカ各国からのプロゴルファー参加者もちらほら目に留まる。日米親善コンペで顔なじみになった面々もいる。
でも圧倒的にフランス人、ベルギー人が多いようだった。


後夜祭ディナーパーティー


いよいよ総合成績優秀者発表が始まる。

プロの1位は、ベルギー人、2位はわたしがレッスンを受けるコンゴ人ジャンクロード、3位はやはりキンシャサゴルフクラブ所属のプロ、カップンバだ。

一般参加男性成績優秀者にKASHIWAさんというアメリカ人がいた。両親のどちらかが日本人だそうだ。かれは第3カテゴリー部門で1位だった。

一般女性部門1位、そしてパター部門1位に輝いたのは第1カテゴリーに属する韓国人女性のキムさんだった。かのじょのパター数は18ホールで24パター。各ホール1パターちょっとで沈めたことになる。すばらしい。

シニア部門1位に輝いたのは、われらが日本の冨永大使だった。
カテゴリー1に属する大使は3日間の成績は良くなかった、と肩を落とされていたから、名まえを呼ばれた時はキョトン!、とされていた。
アフリカの良木で作られたゴルファーをかたどったトロフィーを抱えて本当に嬉しそうだ。
タンタン作家として知られるメートル・オーギー作のトロフィー。
おめでとうございます!!

そして、最後に10数名ほどの名前が呼ばれた。かれらは木製のティーアップしたゴルフボールのトロフィーを手にしている。

いいなあー。

わたしはよほどウットリ羨ましげな眼差しをしていたのかなあ。
ティーアップゴルフボール・トロフィーを手に着席された冨永大使が、ぼくはこのシニア部門1位のゴルファーのトロフィーをもらったから、こっちのゴルフボールトロフィーはマダムにあげよう!、と言われて、わたしにくださった!!!

わーーーい!!!!!



”OPEN DE KINSHASA-2013
17-18-19 Mai 2013”


これからのわたしの人生の中で、2013年 キンシャサ・オープンゴルフに夫婦で参加できた、とても良い思い出のトロフィーになることだろう。
冨永大使、ありがとうございました!


最後に今日、ゴルフクラブから夫のところに送信されてきた「2013年 キンシャサ・オープンゴルフ
結果」を見てみよう。

プロ部門参加者      10人 (女性0人)
第1カテゴリー参加者   30人 (女性3人)
第2カテゴリー参加者   35人 (女性4人)
第3カテゴリー参加者   43人 (女性15人)

総参加者数         118人(女性22人)

夫が言った。
この3日間、どこかに旅行していたような感じだったなあ、と。
元気に夫婦で3日間のプレイをまっとうできたという幸福感でいっぱいだ。
心から参加してよかったと思えるキンシャサ・オープンゴルフの3日間だった。

この企画に関わったすべてのかたに感謝します。
ありがとうございました。

2013年5月17日金曜日

キンシャサ最古の教会

キンシャサでいちばん古い教会


今週火曜日、IWC(国際女性クラブ)の造船工場見学のあと、フランス人メンバーの車に便乗して帰宅する途中で、近くにキンシャサ最古の教会があるからその前を通って帰ろうということになった。
そんな教会が今も残されていたなんて。
知らなかった!


コンゴ河岸からすぐの一段高くなったところにこの教会は建つ。

キンシャサからコンゴ河を下流に向かって行くとすぐに滝があってこれ以上は下流に船を進められないという地点からほど近いところ。
言い換えると、上流のキサンガニ~キンシャサ間の滝のない区間だけ船の運航が可能だというキンシャサの最終地点からほど近いところ。
さらに付け加えると、1870年だか80年代にベルギー人探検家スタンレーがコンゴ河を探検したときに基点にしたという地点からほど近いところ。

そんな場所に、1891年に教会が建てられた。


とてもこじんまりしたかわいらしい教会だ。
20m四方くらいしかないのではないか、と思うくらい小さい。
屋根に十字架は立っていない。
その代わり、中央入り口ドアの上の三角部分に十字架模様の鉄枠がはめ込まれている。
アメリカの絵本の”ちいさなおうち”(岩波書店)を思い出させるような外観だ。

辺り一帯、今では住宅地になっていて、近くにはドイツ人一家が経営する雑貨屋、”SYMPHONIE DES ARTS”もある。
緑深い地域だ。
百年前はなにもない場所だったのだろう。
何人の神父がどのようにしてここへたどり着いたのだろう。


わたしたちが中央アフリカのバンギにいたころ・・・1994年だったと思う。
キリスト教布教百年祭がバンギのノートルダム大聖堂で開かれた時のことがよみがえってくる。
コンゴ河の支流のウバンギ川を遡って2人だか3人の神父が1894年に上陸した。
その地点に初めて建てられた教会がサンポール教会で、赤レンガの質素な美しさを持つ建物がその当時、ウバンギ河の傍に建っていた。
百年祭ミサが行われたバンギ・ノートルダム大聖堂の壁には、ウバンギ川に浮かんだ小舟からまさに上陸しようとする2,3人の神父を描いた垂れ幕が大きく掲げられていた。


キリスト教のキンシャサ上陸はそれより3年前だったのだ。


中央アフリカ共和国もコンゴ民主共和国、そしてコンゴ共和国も、カトリック、プロテスタント合わせてキリスト教徒が多い。
1960年の独立時点で、コンゴのカトリック教徒は四百万人に上り、全人口の40%近いものだったと言われる。

この春、キンシャサの大司教であるローラン・モンセングオ・パシンヤ枢機卿がローマ教皇庁の改革の仕事において教皇を助ける8人の枢機卿のうちの1人に選ばれている。
もちろん、この8人の枢機卿のうち,モンセングオ枢機卿はただひとりのアフリカ出身者だ。
モンセングオ枢機卿の人となりをコンゴの人たちに尋ねると、読書家で勉強熱心な人だという答えが返ってくる。コンゴ人からの信望も厚いのだなあと感じる。
「モブツ・セセ・セコ物語」の本の中でも、モブツ大統領に対して厳しい提言をし続けてきた人物として描かれている。


キンシャサ最古の教会を後にして、そんなこんなを思い出しながら帰路に着いたのだった。


鉄扉の左側の銅版に教会の説明書きがある


2013年5月13日月曜日

英国大使館のガーデンバーベキューを楽しむ

2012.7.27  BBQの夜  in 在キンシャサ英国大使館 


キンシャサのグランドホテルを過ぎてコンゴ河沿いの道を一つ入った通りは、ゆったりとした区画が続き、とてもきれいに整備されたところだ。

その辺り一帯のコンゴ河沿い道路はキンシャサ市内で唯一、外国人の徒歩が可能な場所だ。
朝や夕方には、散歩やジョギングを楽しむ外国人たちが行き交い、ごみごみしたキンシャサの街中とはだいぶ雰囲気が変わる。
そこにはアメリカ大使公邸、英国大使館と官舎、ドイツ大使館、おしゃれなアパートなどが並ぶ。



そんな治安の良い地域にあり、白い壁に囲まれて威厳のある構えの英国大使館内の庭で、毎週金曜日の夜、ガーデンバーベキューが設営され、一般に公開されて食事を楽しむことができるのだ。

もちろん、英国大使館敷地内に入るのには、門衛のゴルカ兵たちの厳しいチェックを受けなければならないし、英国大使館が発行する"Oasis Club"会員カードを持つ人と同伴でなければ入場できない。
敷地内の庭はとても良く手入れされていて、個人宅の庭のようなアットホームな空間が広がる。
ここのガーデンバーベキューはわたしたち夫婦がキンシャサで唯一楽しめて憩える場所だ、と胸を張って紹介できる。


夫はまず最初に、Oasis Club会員のコンゴ人の知り合いに連れてきてもらったのだそうだ。
そして、夫婦で英国大使館のゆったりした庭でバーベキューの夜を過ごすために、Oasis Clubの会員になった。
会員になるには、所定の用紙に必要事項を記入して、年会費とともに英国大使館に提出すれば問題なく会員カードを発行してもらえた。
それが、昨年の4月28日なのだった。

それからほぼ月1回のペースでここを訪れている。
メニューは毎回同じだ。
生野菜のサラダ、バーベキューと相性抜群のピラフ2種、野菜煮込み料理、パン、そしてソーセージ、キャピテンという白身の川魚、鶏肉、豚肉、牛肉のバーベキューに、最後はフルーツポンチとケーキ2種で締めくくられる。
バーベキューの味付けがとても美味しく、ピラフとのコラボレーションを毎回楽しんでいる。

まず、会員はひとり20ドル、非会員だと25ドルを払って、チケットを買う。
ビール、ワインの飲み物は別に買わなければならない。20ドルの飲み物チケットを買って、希望の飲み物と交換にチケットにパンチで穴を空けてもらう。
ビールはどのビールも3ドルだからビール1本につき3つの穴が、ワインは赤も白もグラス1杯5ドルだからグラス1杯につき5つの穴が空けられる。
チケットに20個の穴が空くと終了。
また新たに飲み物チケットを購入しなければならない。

ここの食事で唯一残念なのは、デザートの時の紅茶がない、ということだけだ。
本場イギリスの美味しい紅茶があったら満点なのになあ。


昨年7月27日金曜日は、ちょうどロンドンオリンピックの開会式と重なった。
そのときの様子をブログに書いたが、敷地内の建物の白い壁が大スクリーンとなって開会式画面が映し出され、臨場感溢れる開会式を楽しめたのはとても良い思い出になった。

初めて夫婦でここを訪れ、Oasis Clubの会員となって1年が過ぎたなんて驚きだ。
先週の金曜日にBBQに出かけて、2年目の会員継続手続きをした。


そろそろキンシャサも雨季が明ける。
金曜のBBQの庭で、わたしはひんやりとした乾季の空気をキャッチした。

 「乾季来ぬと目にはさやかに見えねども、空気の軽さにぞおどろかれぬる」

運転手が言った。あと1週間うちにも乾季が始まるよ、と。

昨年、乾季の頃、BBQの庭でバッタに会った。

BBQの夜の庭で出会ったバッタ
6月、7月の英国大使館のBBQの夜が今から待ち遠しい!