2013年1月10日木曜日

香りを楽しむための果実

芳香剤の役目をする?果実

昨日のブログで、写真挿入ができなくなった、と書いた。
娘と連絡が取れてスカイプでも伝えたのだが娘も分からず、以前からわたしのG-mailに”Chromeにアップロード(?)してください。そうしないと一部、機能しなくなります。”とかいう表示が出ていたのを無視し続けていたのを思い出し、夫に話してChromeをインストール(?)してもらった。
そうして、めでたし、めでたし。
またブログに写真をアップできた!!よかったな~。


ということで、ZONGO旅編は次回にして、今夜は小手調べにちょっとした小話を聞いてください・・・・。



ZONGOから戻ってきた6日の午後、夫とわたしは何と呆れることに旅の疲れも物ともせず(!)、ゴルフをハーフだけ回ったのだった。

ゴルフ場を出る時に、受付横に停車中のカートのかごにゴロンと3つ、大きな柿の親分のような果実が入っているのを見つけた。
あれは何?
受付のムッシュに尋ねた。

ああ、これは香りのための果実なんだよ。部屋に置いておくと良い香りが楽しめるよ。
ひとつでもふたつでも持っていきなさい。
表面に切れ目を入れると、香りがもっとはっきりするよ。

へーえ。食べる果実、ではなくて、香りの果実、か。
ムッシュは決して、食べて美味しいとは言わなかった。
果たして食べられるのかは分からない。

名前を尋ねても、知らないと言う。リンガラ語も知らないと言った。
近くにいたキャディーにも尋ねてみたが、この果実の名前を知っている人はいなかった。

ゴルフ場の16番ホールに行ってごらん。
この実をつけた木が何本か見つかるよ。

わたしが、”ハイジの丘”と(勝手に)名づけた、グリーンに向かってなだらかな下り坂になっている見晴らしの良いコースだ。

その、「香りの果実」をひとついただいて帰り、リビングのテーブルに載せている。
本当に柿の親分だ。
高さ約15cm。最大直径約13cm。

熟した柿の香り、というのかなあ。
わたしの亡くなった祖母が赤く熟しすぎたくらいの柿が好きだったなあと、小さい頃の祖母の思い出がよみがえる。

いや、しっかり甘い西洋梨の香りに近いかもしれない。
部屋中に果実の甘い香りが漂う。
自然の芳香剤だ。

こういう果実の使い方も、ここの人たちの生活の智恵なんだろうなあ。



2013年1月9日水曜日

今年も1週間が過ぎて

早いもので、今年に入ってもう1週間が過ぎた。


年末年始は暦どおりに夫は仕事を続け、今年に入って4日、5日、6日と事務所が休みになったので、夫婦(+ヨウムのぽんちゃん)でキンシャサから140km(雨季中の道路事情を加味して、わたしたちはより良いという情報を得たルートをとったので170kmちょっとの道中だった。)ほど南西にあるZONGOの滝を見に行った。

コンゴ河の支流を落下するZONGOの滝は、雨季ということで水量も豊かで、落差は30mはあるだろうか、ダイナミックな落下の光景が見られた。
滝のふもとからてっぺんまで山道を上り下りして滝を眺められるのだが、てっぺんでは細かい水しぶきが上がってまるでシャワーのようで、太陽光線のプリズムで虹が架かっていた。
滝の傍に広がる”Seli Safari”は地の利を生かして建設された素晴らしいリゾート宿泊施設だった。
自然のエアコンでひんやりした清浄な空気の中でリフレッシュされ、のんびりゆっくり、とても良い滞在だった。

道中は、外国からの船が寄港するBOMAやMATADIへ続く国道をキンシャサから115km地点まで走ったので、大きなコンテナを積載したトラックや、列を成して30台ほどのTOYOTA新車がキンシャサに向かって走行する光景に目を見張ったり、いろいろなところで興味津々の出来事に遭遇した。

ZONGO旅行の3日間のことは、また詳しく伝えたい。


今日は朝起きた時からしとしとと雨が降っていた。
先月の後半から雨が小休止したようだったが、まだまだ季節は雨季。
それでもピークの11月、12月は過ぎたので、これからはそんなに雨は降らないかも。

今日も午前中には雨が上がり、青空が広がる南の空を太陽は元気に通過中。

さあ、アボカドの季節がやってきた。
そして、ZONGO旅途中でパイナップルをぎっしり積載してキンシャサに向かって走るトラックを何度も見たが、美味しいパイナップルの季節でもある。
旅の道中でたくさんの”サフ”という卵大の紫の果物が木にたわわに実っていたし、道沿いの市場では、美味しいマンゴスチンも見つけた。
豊かな降雨量で実った果実や野菜が楽しめる季節なのだ。


昨日から、クリスマス休暇から戻ってきたというメイルが届き、今朝は電話もあった。
またキンシャサに外国人が戻ってきている。
今日、ゴルフ場でも韓国のマダムたちに会った。
来週からはまた、IWC(キンシャサ国際女性クラブ)のモーニングティーが始まる。


1週間ぶりにブログを、と思って開いたら、写真の挿入の項目が消えていて、どうしても写真を載せられないのだ。
困ったなあ・・。
そんなわけで、だらだらとした近況報告になった。


今晩、アルプスの夫の実家に滞在する娘に連絡が取れるかな。

このブログは、コンゴで暮らしてきっと時間を持て余すだろうわたしのために、一昨年暮れに、こちらもまたフランスへ拠点を移していった娘が超多忙な合間を縫って、セッティングしてくれたHPなのだった。
パソコン音痴のわたしがブログのセッティングなんてできようはずもない!

ありがたい、ありがたい。


20年前の中央アフリカ滞在時は、母子で毎月発行する新聞がそれぞれあって、それぞれが手書きで書いてイラストも添えて、それをコピーして手紙に添えて封書で日本へ郵送していた。バンギでは当時、パリ行きの飛行機が発つ日に空港の郵便局カウンターへ持って行き、購入した切手を貼って直接、局員に手渡し郵便袋に入れるのを確かめるということをすれば間違いなく外国郵便は配達されていた。

小学校4,5,6年生だった娘は、”Bonjour便り”を、幼稚園から小学校2年生だった息子は、”ライオンしんぶん”を、そしてわたしは”バンギ便り”という通信を綴っていた。

20年経って、完璧なインターネット社会となってしまうなんて。想像もつかなかった”未来”へ来てしまったんだなあ。


それでは、写真もなく、まとまりのない文章になってしまったが、これで「公開ボタン」を押します。エイッ。

2013年1月3日木曜日

ようこそ、へび年 2013年!~L’éléphant vert: へびのクリクター

新年おめでとうございます。

2013年はへび年。夫の干支でもある。
我が家のハッタリくん、今年9月で60歳になる。ちょっと驚きだ。
30年も一緒に歩いてきたんだなあ。

さて、アフリカといえども、キンシャサで”へび”を見かけたことは一度もない。
へびと暮らすフランスの上品な夫人、ボドさんの物語を紹介しながら(?!)、2013年の皆様の幸せを祈念したいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

L’éléphant vert: へびのクリクター:  絵本 へびのクリクター
キンシャサから、新年おめでとうございます。 2013年はへび年。 へびが登場する絵本、といったら何と言ってもこの絵本、”へびのクリクター”だ。 作者は、以前このブログでも紹介した絵本、”ゼラルダと人喰い鬼”も著した...

2012年12月31日月曜日

良いお年を!

コンゴ河に沈む夕日

いよいよ、2012年も暮れようとしている。
日本では、夜7時半くらい。
紅白歌合戦が始まる頃かな。NHKの番組”行く年来る年”で除夜の鐘を聴き、そして”年の始めもさだまさし”を楽しみにする大晦日を懐かしく思い出している。

昨年のちょうど今頃、友人の車に乗って成田空港に到着しようとする頃だった。
わたしたち夫婦は、いつもおんぶに抱っこで頼ってばかりの友人親子、さださんのNHKの生深夜番組のDVDを送ってくれる友人、妹一家、そして息子に見送られて昨年の大晦日の21:55発の便で成田から出国したのだった。


あれから丸っと一年が過ぎた。
2012年の暮れはキンシャサで過ごすのだ。

コンゴの人たちもすごく浮かれている。
何と言っても彼らには一年でいちばん重要な新年のお祭が迫っているのだ。

我が家の家政婦もうきうきしている。
今日は昼までで仕事も終わり。
彼女は、わたしたち夫婦が大好きなお茶、”ブルグツゥ”の乾燥葉をスーパーのビニル袋一杯に持ってきてくれた。
開けるとミントのような爽やかな香ばしい香りがする。
わたしからの新年のプレゼントです、と。
嬉しいプレゼントだった。
彼女の故郷、バコンゴに伝わる健康茶だと紹介してもらって以来、愛飲するお茶だ。

彼女一家も今夜は教会に行き、そこで皆で新年を迎えるのだそうだ。
運転手たちも今夜は仕事はなし。
教会で夜を明かし家族揃って新年を迎えることを楽しみにしていることが伝わってくる。

夫の事務所の運転手に訊いてみたことがある。
一年を通して、あなたたちのいちばん重要な祭ってなに?
彼がいちばんに挙げたのは、新年の祭だった。
重要なものから順番に3つ挙げてみて、と訊くと、

① 新年
② 6月30日(独立記念日)
③ ノエル(クリスマス)

かれはこの3つを言った。

我が家の家政婦も同意していた。
今夜、家族で教会で夜を明かし、新年は家族揃って子どもたちも一緒にご馳走で新年を祝うのだそうだ。
友だち一家と合流してパーティーを持つこともあるそうだ。
だから女性たちは大忙しなのよ、と楽しげだ。
こどもたちは、その日を楽しみにしているというのだ。


1994年の暮れのこと。バンギに家族で住んでいた年の暮れのことだ。
わたしたち一家は中央アフリカ共和国に長年住んで詳しいJICA専門家員に先導されて、日本の大使夫妻たちと共にバンギを2日がかりで北上し、チャド国境近くの川に棲息する何百頭もの”かば”を見に旅をしたことがあった。
一日目の夜は、国立公園とは名ばかりの地域の入り口付近に、以前ドイツの支援で動物保護のプロジェクトが入り込んでいて、その廃墟として残る宿舎に泊まった。
2日目は国立公園奥の”かば”が棲息する川近くのフランス人ファミリーが経営するロッジに泊まったのだった。
とても素晴らしいロッジだった。
ロッジを経営する若いフランス人オーナーが、「国立公園とは名ばかり、チャドからの密猟者が入り込み、動物が激減している、日本の支援を受けられないものか」、と真剣に大使に直談判していたことを思い出す。

そして帰り道に、ある村で大晦日の夜を迎えた。
日もとっぷり暮れて、わたしたち一行は道路に面した地元食堂のテラスで食事を取っていた。
その間、何組もの子どもたちが行列を作って歌を歌いながら練り歩いてくるのだ。
とっても楽しそうに、こんな歌を歌いながら。

♪ Bonne annee
 Bonne annee, Papa
 Tu es gentil.
 Donez- moi du pain ♪

”du pain” のところが、時に、”Donez-moi dix franc” に代わったりしながら練り歩き、新年おめでとう、とおねだりする歌を歌い、大人たちからお菓子やお金(多分)をもらっていた。

そのことを家政婦に話したら、初めて聴く歌だ、わたしたちは歌わない歌だと言っていたが。
それでも、子どもたちには、クリスマスと同じくらいに、待ちに待った楽しい新年の祭なのだと感じる。


この一年、夫婦元気にキンシャサで過ごすことができた。
街中を自由に歩くことはできないが、危険な思いもすることもほとんど無かった。

いま、新聞やテレビのニュースで、わたしたちが家族で3年間滞在した思い出深い、隣国の中央アフリカ共和国の国家危機が報道されている。
すでにフランス人やアメリカ人などが国外退去をしたと聞く。軍事クーデターで政権を取った現大統領がまた反乱軍から政権を奪回されようとしているのだ。
アフリカ大陸のあちこちの国で紛争が起こっている。原因は複雑に絡み合い、解決の糸口は簡単には見つからないように思われる。
地球全体が平和になることなんてあるのだろうか。

2013年が皆様にとって良い年となりますように。

ヨウムのぽんちゃん大ピンチ!!

12月25日、こちらではクリスマスの祝日だった。
その日の夕方、我が家のヨウム、ぽんちゃんは日射病(?多分・・)で、瀕死の状態だった。


ことの顛末はこうだった。

わたしたちは、朝、ベランダ正面にヨウムのぽんちゃんのかごを置いたのを忘れて、そのままゴルフに出かけた。
この季節、南回帰線より南から太陽は地球を照らすので南緯4度のキンシャサといえども、南寄りに太陽は移動する。
我が家のベランダは南向きで、ぽんちゃんのかごは、朝から夕方まで太陽が照りつける場所に置き忘れられたのだった。


その日は、太陽の照りつける暑い一日で、ゴルフ場でも傘を差してプレーをする人たちを多く見かけたほどだった。
プレーを終えて昼食を済ませて帰宅したのが午後3時。
そうだっ!!ぽんちゃんをひなたに置いたままだった、と思い出したのが帰宅直後。
ベランダに直行した夫は彼の異変に気づく。
かごの床に敷かれた新聞紙を立ててその陰にぽんちゃんは隠れようとせんばかりにうずくまっていた。

すぐかごを日陰に置いて、様子を見守るが、ぽんちゃんは平衡感覚を失ったようで、かごの床をうろうろよたよた這い回るだけ。
いつもは、かごの上部の止まり木に止まっているのに、その止まり木に這い上がれないのだ。
くちばしの力も、脚力も弱ってるかのようだった。
夫が、革手袋をはめてかごの中に手を突っ込む。
普段は皮手袋を見ただけでぎゃあぎゃあ騒ぐのに、その時は無抵抗のまま、夫の手に抱かれて、止まり木に載せられる。
夫が止まり木に止まらせようとするのに、ぽんちゃんは脚に力が入らない様子で、やっとのことでかろうじて止まり木に引っかかった、という塩梅だった。
水を体全体に振り撒いた。
水を飲ませようとくちばしのところに持っていくといくらか飲んだ程度だった。

わたしは、もしこれが人間の幼児だったらどうするだろうかと考えてみた。
氷枕で頭を冷やして涼しいところに寝かせるはずだ。
そう思ってエアコンの効くリビングにかごを移す。
もう祈る想いで、ぽんちゃんを見守る。
眼をとろんとさせて閉じようとするので、必死で励ます。
そして謝り続けた。
朝から午後3時まで、太陽に照らされ続けていたのだ。
ごめんね、ぽんちゃん。
ごめんね、ぽんちゃん。

ふとしたことで、ぽんちゃんは止まり木の左端に止まると尻尾の先の赤い羽根部分を、飲料水用の容器に入った水に浸せることに気づいたようだった。
それからだ、ぽんちゃんは尻尾の赤い羽根をじっと水に付けては羽をぷるぷるっと振って水しぶきを上げる動作を繰り返している。なんだか、赤い尻尾を水に浸けることによって、上がった体温を下げようとしているかのような動作だった。
その動作を繰り返していくうちに、だんだん脚に力が入り少しずつ、快復しているのが見て取れた。
ちょっと水っぽいがうんちもしている。

とにかく、傍で静かに声を掛けて励まし続けた。
眼を閉じたら、もう二度と眼を開けてくれないような気がしてならなかった。
ごめんね、ぽんちゃん。
パチンコに夢中になった若夫婦が、車に置き去りにした乳幼児を高温になった車内で日射病死させる、という記事を思い出して、わたしたち夫婦は同じことをしたのだ、と悔やんでも悔やみきれない自己嫌悪に陥った。

しばらくして、止まり木の右側に自ら体を移動させ、水から尻尾の赤い羽根を出して一連の動作を止めた。
やっぱり生きる智恵だったのか。
だいぶ落ち着いてきた。
よかった。

その晩は、涼しい浴室にかごを置いて寝た。
浴室の隣がわたしたちの寝室なので、夜中に何度も何度もぽんちゃんを覗いて、ちゃんと止まり木に止まっていることを確認した。

翌日午後から、食欲も出てきた。

ヨウムのぽんちゃんは、こうやってわたしたちにはなくてはならない存在になっている。



大きく口を開けて発声練習?
 これは、寝起きのままぽんちゃんのところに直行して、ぽんちゃんと発声練習をしているところだ。
台所の窓から夫が隠し撮りした写真だ。(見苦しい寝起き姿だけど、思い切って公開しよ!)
まだ言葉は出ないが、話しかけるとぽんちゃんもパクパクと一緒に口を動かす。
言葉を真似ようとしているのか、うるさいマダムだなあ~ひとりに(一羽に?)させといてくれよ~と抗議しているのか。

数日前には、お隣のドクター宅のヨウムと初対面した。
お隣のヨウムと比べて、ぽんちゃんは体つきなどからまだ幼鳥だと感じた。
お隣のヨウム君は、威嚇するかのように啼き続けていた。
ぽんちゃんは、かちこちに固まって微動だにしなかった。
それがまた何とも可愛かった。

夫は、朝起きた瞬間からぽんちゃん、ぽんちゃんと連呼している。
こどもたちが赤ちゃんの時に聴いて以来の優しい声で話しかけている。
時々、おい!何か喋ってみろ!!、とか言ったりしながら。

2012年12月29日土曜日

キンシャサのクリスマス風景

キンシャサ中央駅前広場のクリスマスツリー


キンシャサでは、クリスマスの数日前になってやっと色々なところでクリスマスの飾りつけが始まった。


上の写真は、キンシャサ中央駅前の広場にドーンと設置されたクリスマスツリーだ。
地元の銀行がスポンサーになっているらしく銀行名のプレートが付けられ、てっぺんの星には、黄色いバナナが三本横たわる銀行のトレードマークも見える。

こうやって見ると、なんだかとっても立派な駅前広場に見えてしまうから不思議だ。
この広場の向こう(6月30日通りの起点)に中央駅があるが、発着するのは朝と夕方に運行されるキンシャサ近郊までの通勤電車のみの名ばかりの駅だ。
それでも最近、その通勤電車用に新しい電車が投入されたようだ。

壊れかけていた駅前広場もいつの間にか修復整備されて、クリスマスイブの夜は大勢の観衆で賑わったそうだ。
とても平和な光景だ。

夜には、ブルーのイルミネーションが点灯する。



点灯された中央駅前のツリー


6月30日通り突き当たりにブルーに光るツリーが!

真っ暗なキンシャサの夜だからかな、わたしのカメラの技術がないのかな?
まるで闇夜だ。

真っ暗ついでにあと3枚ほど、キンシャサのクリスマス風景を。

6月30日通りの銀行のツリー照明

6月30日通り 別の銀行ではこんなイルミネーション

6月30日通りに遂にオープンしたパン屋のカフェ”Chez Victoire”では、こんな風景が見られた。

ショウウインドウに描かれたサンタクロース



本当に暗い。

ゴンベ郵便局前の広場はメイン道路に面していないのでさらに暗かった。
せっかくだから、昼間に行ってみると・・・。


3本の塔の中のクリスマスツリー

この方向の先に進んで左側に立派な建物のコンゴ中央銀行があり、そこの玄関前にとても上品なクリスマスツリーが飾られている。おそらく、ここのツリーがいちばん早く設置されたように思う。
夜には、白い照明で丸い輪のイルミネーションがいくつも重なる素敵なツリー照明が観られる。そしてその前の街路樹にも白い照明が飾られている。
写真に撮りたいなあと思ったが、撮影の許可をもらえなかった。
残念。

最後に。
フランスの娘のブログにも載っていた子豚ちゃんの丸焼き料理を、キンシャサのスーパーでも見つけた!
肉屋のおじさんから、どーぞ撮ってください~、とお許しをいただいたので、パチリ!



ベルギーから届くハムやパテや子豚ちゃんたちが並ぶ肉屋
キンシャサは電気事情が悪いからか、電力を使うクリスマスイルミネーションは、人々が集う広場と国立の中央銀行、そして地元の銀行くらいでしか見られない。
一般の店やスーパーストアーでは、窓ガラスにペンキを吹き付けてクリスマスの絵を描いて雰囲気を出している。

それにしても・・・常夏の国のクリスマスはどうもピンと来ない。

2012年12月27日木曜日

ンガリエマ修道院お御堂のクリスマスイブミサ

クリスマスイブの夜のお御堂 側面

12月24日午後8時半にンガリエマ修道院横にあるお御堂で、厳かに質素にイブのミサが始まった。


今夜は、正面祭壇の前にマリア様とヨゼフ様が馬小屋の中で羊たちとともに鎮座している。

正面左右、お御堂中央部の左右にはいつも通り、石膏のイエス様像、マリア様像が静かに穏やかな表情でわたしたちを見下ろす。はるばるローマから運ばれてきた像なのだと聞いたことがある。
植民地時代のしっかりした建造物の修道院だ。
ずいぶん長い間、ここで信者たちを見続けている像なのだと思うと、さらに尊く見えてくる。

祭壇後部の左右の棚には白いレースの布が敷かれ、その上の花瓶には庭に咲く南国特有の花が飾られている。
シスターたちが日々大切に手入れされるお御堂の美しさは清々しい。
中村寛子シスターが、わたしはここの祭壇が大好きなんです、と言われていたことを思い出す。
正面の壁の大きな十字架は木製のシンプルな十字架だけのものだ。
手前右端には大切に手入れされた古いオルガンがあり、コンゴ人男性が座っている。
お御堂内は、それだけだった。

お御堂内に据え付けられた木の机と椅子には、ぱらぱらとしか参列者はいない。
ンガリエマクリニック敷地内にあるお御堂だからか。
手術室の看護士なのだろうか、手術着らしきままで参列している女性もいれば、頭に傷を負い、腕にギブスをはめたままの患者らしい女性もいる。そう考えると、病院に関係した人たちなのかなとも思える。
確かにお御堂前の駐車場には車はほとんどない。


質素で静かなお御堂に、周辺からのかえるの鳴き声だけが聞こえてくる。
暑い。
ここはアフリカなのだと思う。

時間前に、おそろいのアフリカ布地で作られたブラウスとロングスカートに、薄手のスカーフで頭を覆い、胸にフランシスコ会シスターたちの十字架ペンダントを下げたアフリカ人シスターたちと、ローマから派遣されてここで奉仕する外国人シスターたちが静かに入場し、お御堂前部の椅子に座る。聖書や聖歌集など2,3冊を抱えて入場するシスターもいる。

わたしたちは、出迎えてくださったポーランド人シスターが導いてくださり、すでに中央あたりの椅子に座っていた。
机の上には、いくつかの聖歌の譜面と歌詞のプリントと、そしてイエス様誕生の物語のプリントが置かれている。
聖歌の歌詞は、リンガラ語のものもある。

いよいよ時間だ。
オルガンが鳴り渡り、外国人神父様が襟元に刺繍がほどこされている白装束姿で後ろから登場する。
手には白いレース布地で包んだ赤ちゃんのイエス様人形を掲げている。
神父様は祭壇の数段の階段を上がり、馬小屋の飼葉桶にそっとイエス様を置かれた。

神父様の祈りも、シスターが朗読する聖書の言葉もさっぱり理解できず耳を素通りしていくが、息子が通っていた暁星のお御堂でのクリスマスミサを思い起こして重ねてみる。
アフリカの聖歌はやっぱり明るい。
アフリカ人シスターたちは手拍子(全てが4拍子だ)し、オルガンのほかに、タムタムと団子三兄弟のようなコンゴマラカスと金属の打楽器が入る。神父様も緩やかに手拍子されている。
手でしぐさを作るということは、人間の自然な感情表現のように思える。
わたしが大好きな聖歌 ”今宵、イエス様がお生まれになった”を楽しみにしていたが、この聖歌は聴けず残念だった。初めて聴くリンガラ語の聖歌もあった。”聖しこの夜”、”荒れ野の果てに”はわたしも一緒に歌う。
声に出して「歌う」と、なんだかマリア様やイエス様も喜んでくれているような気分になる。
「神に賛美」とはこういうことかな。
信者ではないけれど。

そして祈りの中で、いよいよイエス様がお生まれになったという場面で周囲の人たちと祝福の声を掛け合う。
信者ではないわたしと夫は、いつものことながら戸惑うところだ。

世界中で地球が回って12月24日の夜を迎えた土地の教会で、イエス様の誕生を祝福するミサが順々に行われていく。
24日から25日にかけて、約48時間、それぞれの風土に育ったやりかたで祝福のミサが続くのだ。
そんなことを、二千年も前にマリア様やイエス様は想像されただろうか。
不思議だなあとあらためて思う。


そうしてミサは終わった。
終始、アフリカらしい厳かな雰囲気だった。

夜10時になっていた。
お御堂の出口のところで、ポーランド人シスターが、Joyeux Noel!(クリスマスおめでとう!) よくミサに足を運んでくれましたね、と声をかけてくださった。
他のシスター方も、”Hiroko!” と声を掛けてくださる。
中村寛子シスターと同じ名前。わたしたち、同じ名前だから「ンドイ、なのよ。」といろんなシスター方に紹介してくださった。寛子シスターが繋いでくださったご縁を嬉しく思う。

あまりに厳かで質素で静かなアフリカの夜のクリスマスミサ。
カメラを向ける気にもなれなかった。
冒頭の写真は、申し訳程度に、お御堂から出て車に乗り込んでぐるっと回った時に、側面からそっと撮った一枚だけの写真だ。