2013年公開の映画 「キンシャサ シンフォニー」より |
リンガラミュージックの大御所、パパウェンバのバックミュージシャンとしてパリで活躍した日本人女性のケイコさんが雑誌の取材目的で2日前にキンシャサ入りした。そして、コンゴの森で流通と人類文化学を研究する院生のシンゴくんがキンシャサに戻ってきたというので、かれらとわたしたち夫婦で、キンシャサ中心地にある中華レストランで食事をした。
シンゴくんは、今回、森を流れる川に、村人と共に木を切り倒し木材に加工して橋を架けたことを目を輝かせながら話してくれた。
村人と共に設計図から起こした、木製の立派な橋だった。
これまでは、運送用バイクを人力で持ち上げて川を渡り、荷運びにも大きな労力を使っていただけに、橋が架かったことで物資の流れがどう変わるんだろうという期待と、そして、雨季にも耐えうるメンテナンスをこれからどうやって村人が進めていくのだろうという問題も交じって、これからのフィールドワークがますます面白いことになりそうだと話していた。
過酷な環境の森の中にシンゴくん独りで入っていき、現地の食事をとり、マラリアにもかかり、怪我や病気のリスクの中での調査は相当なパワーが要るだろうになあ、と細身のシンゴくんを見て心配すると共に、会うたびにたくましくなるかれに目を細めるキンシャサの母(わたし!)だった。
そして、ケイコさんは、今回もキンシャサの下町地区での民泊滞在を選び、キンシャサのレスリングのコスチュームの取材(とか?)で治安揺れ動くキンシャサに飛んできたのだった。
キンシャサらしい庶民の町でキンシャサを感じて取材したいというスタンスを崩さない女性だ。
かのじょの滞在する場所は、夫の仕事上、わたしたちは出入りを禁止されている地域だ。
特に、大統領選が予定されていた12月半ばに向けて街全体が不安定になっている現在はなおさら入っていけない。
日暮れて走るキンシャサのメインストリート、6月30日通りを目を皿のようにしてケイコさんはびっくり仰天していた。
こんなにきれいな大都会のキンシャサがあったのか!!!、と。
ちょっとカッコよく写りすぎ?キンシャサ夜景の絵葉書 |
これは、市内の本屋でやっと探し出した、キンシャサの絵葉書のうちの1枚だ。
ちょっと良く撮影されているなと思われるが、キンシャサのメインストリートの6月30日通りを夜、車で走ると、確かにここはアフリカの大都会だ。
正面の石造りのビルは交通部門関連会社(2年ほど前に国営から民間に移行)の建物、手前の高層ビルは雑居オフィスビルだと理解している。
こんなきれいなキンシャサがあったとは!!!、とケイコさんは心底驚いていた。まるで違う国に来たようだとまで言っていた。
それもそのはず、ケイコさんの民泊する地区は、庶民の地域のレンバ地区からさらに10kmほど入り込み、コンゴ人でもあまり行かない(行きたくない?)とかいう地域だということだ。
ケイコさんは言う。
ごみ箱をひっくり返して、そのごみの上で人々が暮らしているような町だ、と。
いろんなごみが交じり合って、あちこちで煙がくすぶっている、という。
発酵した煙なのか、化学反応を起こして発熱しているのか。
そこで思い出したのが、白戸圭一さん著の「ルポ 資源大陸アフリカ~暴力が結ぶ貧困と繁栄」(朝日文庫)だ。
その第3章で、コンゴ民主共和国を取り上げている。
毎日新聞ヨハネスブルグ駐在員だった白戸さんは2006年7月にキンシャサ入りし、アフリカ庶民の暮らしを見慣れていたはずのかれが腰を抜かさんばかりに驚いた光景のことを、2ページ以上を割いて写真入りで描写している!
”通訳者として雇った若者ビリーの知人宅(57歳男性)を訪れた時のことだった。
マブングさん宅には行き場を失ったゴミが押し寄せ、家に近づくには長さ50メートル、高さ10メートル、幅10メートルほどのゴミの山をかき分けて進まなければなかったのだ。腐った残飯に始まり、紙類、シャンプーや洗剤などのプラスティック製容器、果ては注射器、家畜とおぼしき動物の骨まで捨ててある。ビルなどの建造物と膨大な人口を残したまま、行政機能だけが消失した大都会の哀れな姿だった。
「1990年代後半に行政が崩壊して、ゴミ収集が行われなくなったんです。私の家はたまたま周囲より低い土地にあるので、地域の人々が捨てたゴミが雨のたびに流され、自宅前を埋め尽くしたのです。もう手の付けようがありません。」
マブングさんは諦め顔で肩をすくめた。
(中略)
幹線道路から路地裏に入れば、未舗装道路は汚水の海。素足の子どもたちが、犬の腐乱死体が浮く水溜まりで遊んでいる。コンゴで5歳未満の子どもが死亡する確率は2007年現在、千人当たり161人。病気が蔓延しないほうがおかしい。キンシャサ市民には申し訳ないが、私は未だかつて、これほど汚い街を見たことがない。”
そして、白戸さんは続けている。
”私はこうした劣悪な衛生状態の下で暮らすことが、どれほど危険なことかを身をもって知る羽目になった。マブングさん宅を訪れ、調子に乗ってゴミの山を歩いたその日の夜、激しい喉の痛みと共に高熱を発したのだ。ホテルのベッドで一晩のたうち回った揚げ句、翌朝、在キンシャサ日本大使館の医務官に連絡を取った。大使館内で診察してもらったところ、呼吸器に急性の炎症があるという。「何か吸い込んだのではありませんか」という医務官の問いに、私は「昨日、ゴミの山から舞い上がる埃を吸い込んだかもしれません。軽率でした」と答えながら頭をかいた。”
わたしも、前回の滞在時にキンシャサの下町地区、庶民の市場、船着き場辺り、キンシャサ郊外の村、そして、バンドゥンドゥ方面や、マタディ、ボマ方面も訪れている。
確かに、キンシャサ中心部からちょっと外れると、ゴミの山。特に、劣化しなくて最後まで残るといわれるビニル袋は地表から風に舞って汚い風景を作っていた。
でも、発酵した匂い、化学反応?を起こして煙が立っているくらいひどい、街全体がゴミ溜めになっている地区まで入り込んだことはない。
ケイコさんの話を聞いて、ああ、わたしはやっぱり、キンシャサのごく一部しか観てこなかったんだなあと痛感した。
前回の滞在で出会った、コンゴ人の元外交官を父に持つ女性のことを思い出す。日本語の上手なヨーロッパナイズされた女性だった。
かのじょは小さい頃から日本やヨーロッパで暮らし、コンゴ人男性と結婚してキンシャサに住んではいるものの、どうしてもシテ(コンゴ人庶民の暮らす地域)での生活に馴染めないと暗い表情で言っていた。最後に会ったかのじょから、家族でイギリスに行くと聞いたのが最後。連絡は途絶えた。
街にあふれるゴミや私営のゴミ収集車の話題は違う機会にもう一度触れたい。
国の玄関口と言える国際空港で賄賂を請求される、ビザを取るのも一苦労。郵便局の局員たちはサービス精神のかけらもない。公立の病院や学校はどのように運営されているのか。
10月31日に5枚の絵葉書を日本に向けて再度、ゴンべ郵便局から発送したが、その時は、切手の入っている引き出しの鍵がない、でもちゃんと切手を貼って投函しておくから大丈夫だ、前回も届いただろうと、局員たちから言いくるめられ、葉書1枚7米ドル×5枚で35米ドル(局員たちにとって、大金だっただろう。)を払って郵便局から出てきたが、結局、1か月になるというのに、わたしの投函した葉書は日本に届いていない。
この前も、ゴンべ郵便局の私書箱に手紙を見に行ったが、もうしばらく手紙が入っていない。不審に思った夫のプロジェクトの運転手が、局員に尋ねた。すると、なんと、鍵の掛かった書類棚から出てきたのは、JICA宛ての封書だった。わたしが日本人だから、JICA事務所まで封書を届けてくれという。運転手は、それはかれらの仕事なのだから、引き受ける必要はないと断っていた。わたしは、絶対にかれらはその郵便物を運ぶことはないだろうと思って、JICAの方にこのいきさつを伝えた。
やっぱり、郵便事情も全く変わっていなかったということだ。
ゴミ溜めの上に出来上がったキンシャサの庶民の地域の話をケイコさんから聞いて、次々に色々なことが思い出されて、コンゴ民主共和国の国の成り立ちを憂えてしまった。
12月半ばには、現大統領の任期が切れる。それなのに、選挙の実現は全く見えていない。
12月から1月にかけて、ほとんどの外国人はコンゴ民主共和国から脱出すると見られている。
そんな国に、輝く未来はおとずれるのかなあ。
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