2016年10月24日月曜日

キンシャサ便りふたたび8 コンゴキンシャサの郵便切手

郵便切手とは・・・
郵便事業で行われる諸々のサービスの、料金前納を証明する証紙。
また、宣伝媒体として用いられたり、収集品の対象となっており、郵政事業の重要な財源の一つとなっている。
さらに、国際的な郵便ネットワークを統括する国際組織である万国郵便連合(UPU)に加盟している郵便事業体(必ずしも国家ではなく、植民地でも加盟はできる)が発行するもののみが切手として公認されている。
(Wikipediaより)

郵便の国際組織である万国郵便連合に加盟すれば(もちろんその国の郵便局事業が機能しているという前提で)、全世界、どこにでも郵便は届けられるんだな。
だから、郵便切手はそれぞれの国に任され、それぞれの国の通貨で販売されるんだな。
郵便料金もそれぞれの国での自由設定でいいということかな。

キンシャサ、Gombe郵便局で現在、郵便切手として販売されている(おそらく)唯一のものは470コンゴフラン(約45円)のこの切手だ。
(しつこいけど!Gombe郵便局に置かれていた郵便料金カラーパンフレットは米ドル表示になっていた!!)
※フランスへ葉書き6米ドル、日本へ葉書き7米ドル。キンシャサはアフリカ大陸でも1,2位を誇る物価の高い国だとは言え、驚きの高価格設定だ。



470FC(コンゴフラン)の郵便切手 R.D.Congo と表示

美しいコンゴ人?女性の写真とともに、”UNE VRAIE FEMME ATTEND”(本当の女性は待つ),と大きな印字が目に飛び込む。
 ~Une vraie femme pense a son avenir avant de penser a faire l'amour~
 
本当の女性は愛し合う前に自分の人生(将来設計)のことを思い描く。
こんな意味だろうか。
レッドリボンは、HIV/AIDSと共に生きる人々の連帯のシンボルだ。また、AIDSなどの予防に関する教育をその主な目的として1993年に創設されたレッドリボン財団(The Red Ribbon Foundation)のシンボルでもあるという。
世界で初めて、HIV/AIDSが発見されたコンゴ民主共和国(以下、コンゴキンシャサ)。
最近、エイズ関連の情報発信を耳にする機会が減ったように思うが、アフリカではさらに密かに深刻化する病気だ。
この切手はそのHIV/AIDSへの啓蒙活動のひとつなのだろう。


わたしたちが2012年から15年までキンシャサに生活したとき、この国では郵便機能が麻痺していた。私書箱を使用料を払って設置すれば郵便物は受け取ることはできたが、郵便物を発送することはできなかった。
ということは、「郵便料金前納を証明する証紙」である郵便切手はその時点でこの国に存在しなかった?

わたしが以前のキンシャサ滞在時にGombe郵便局で局員に尋ねてみた。
郵便切手はありますか、と。
そして奥から持ってきてくれたのがこれだった。

2013年頃に存在した使用不可能の郵便切手

局員は、これは現在、使用不可能の切手だと断って見せてくれた。
なるほど。
ザイールの国名、ザイールフラン通貨の表示は黒印字の帯でしっかり塗りつぶされて消されている。
そして、”REP DEM DU CONGO”の現国名と、現価格”70FC”(約8円)が同じ黒印字で表示されていた。
ザイールから、コンゴ民主共和国に国名が変わった混乱の時期に、慌てて表示だけを訂正して残った、体裁だけの郵便切手なのだろうか。
わたしは、好奇心から1シート買った。
もちろん、新(現)価格の一枚70コンゴフランの枚数分で。
それにしても、この切手の絵はなんの鳥だろう。しっぽが赤ければコンゴの賢鳥、”ヨウム”なんだけど。背景の山は、東部のキブのほうの山岳地帯なのだろうか。
魅力のない図柄だ。


では。
もっと前のザイール時代の郵便切手はあったのだろうか。
(ちなみに、ザイール共和国の国名は,モブツ・セセ・セコが権力を掌握していた1971年~1997年まで用いられていた国名だ。)
もちろん!存在していた。
当時、とてもカラフルな切手が多種類発行されていたようだ。







キンシャサの水道局のRESIDESO、モブツ大統領とローマ法王のツーショット、ゴリラ、蝶、鳥、動物、木製マスク、滝などの画像が美しく並ぶ。
これらのザイール時代の切手たちは、前回の滞在の時に日常の買い物でよく行ったペルーストアという小型スーパーマーケットの出口のカウンターに埃をかぶって置かれていたものだ。
たまたま目に入り、切手を収集するわたしは興味津々とばかりに見入っていたら売り物だというので譲ってもらった。もう購入価格も覚えていない。

こんなにきれいな印刷の郵便切手はどこで製造されて持ち込まれたものなのだろう。

最初の滞在国のネパールのカトマンズでも、次の中央アフリカ共和国のバンギでも、美しい印刷の切手が豊富にあった。夫がブータンへの出張でお土産として持ち帰った切手もアルバムになって美しい切手が並んでいた。
これらの美しい切手たちは、どこか支援国が印刷して支援品として持ち込まれたものなのだろうと軽く考えていた。

わたしたち一家は、中央アフリカ共和国のバンギに1992年~1995年まで滞在した。
やはりバンギの中心的な郵便局に私書箱を設けて郵便物を楽しみに受け取っていた。
そして、郵便物を送り出すときは、エアフランス(のみが当時、バンギの空港には発着していた。)の週2便だかのフライトのある日に空港内の郵便局カウンターで発送受付をして、目の前で切手を貼ってもらって郵便袋に入れてもらうと確実に日本に届いた。
美しい印刷の切手がふんだんにあって、蝶の収集家に有名な中央アフリカだけあって豊富な蝶の切手、大統領の肖像の切手など多種類選ぶことができた。なぜだか、この国とはまったく関係のない(と思われる)ダイアナ妃の写真の切手もあった。
ある時、日本の皇太子と雅子様ご成婚のとき、なんとお二人それぞれの幼少時の家族一緒のもの、学生時代のもの、お二人の結婚のものなど、絵画として描かれた切手数種類がバンギの郵便局で販売されているのを見つけた。
すぐに日本大使館の知るところとなり、抗議を申し出て販売中止となったと聞く。どうして、はるか遠い、日本がどこにあるかもわからない国民が大多数であろう中央アフリカで日本の皇太子ご成婚の切手が販売されたのだろう。

Wikipediaによると、手紙の表面で目立つ存在であるため、単なる料金支払い済みの証明の意味を超え、様々な図案が施され、さらに印刷技術の進歩に伴い、世界の人々が”趣味”として切手を収集するようになった。国によっては、切手の発行が収入源となり、実際に郵便に使われることのないような切手が発行されたりしていった。収入源として切手に目を付ける行為は、明治時代初期の日本でもあり、海外からの注文に応じて当時の普通切手を増刷し未使用のシートのまま輸出していたとも記されている。
また、切手を商売とするエージェントに切手の製造・販売の権利自体を与えてしまうような場合もあるとも記されている。

はてさて、途上国といわれる国の切手の製造はどこでどのような形態で行われているのか。
郵便事業の一環としての切手の製造・販売が、違う目的になってしまうこともあるのだろうか。
コンゴキンシャサでも、ザイール時代のように、美しい絵柄の切手がこれから何種類も製造・販売されていくのだろうか。

どこで?何のために?
あまり、色眼鏡で見てはいけないかな。

それより何より、海外発送のための、一枚の切手を貼るだけで済む高価格の切手もぜひ販売してほしい。というより、もう少しリーズナブルな郵便料金に下げてもらえたら。
そして、コンゴフランで表示された郵便料金も、パンフレットに記載してほしい。

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