2014年9月22日月曜日

こぼれ話4 : アフリカセミナー ”エボラ出血熱” in 赤羽

我が家隣の赤羽文化センター(正面ビルの下方階、濃い目のベージュ部分)
9月20日夕方6時から、JR赤羽駅正面の赤羽文化センターで、NGO団体”アフリカ友の会”主宰者であり公衆衛生学ドクターの徳永瑞子さんの「エボラ出血熱」についての講演があり、キンシャサのプロジェクトに関わる慶応大生と横浜市立大医学生、そして夫と共に参加した。
ほぼ毎月、徳永さん企画で開かれるアフリカセミナーの一環だ。

タイムリーな題目だったせいか、数十名の参加者は、アフリカで活動をする人たち、医療従事者たちで熱気あふれる会場だった。


わたしたち家族は、確か1993年の1月に中央アフリカ共和国の首都、バンギでエイズの母子感染予防のNGO活動を開始するために滞在を始めた徳永瑞子さんに出会い、かれこれ20年来のお付き合いになる。
かのじょはそれ以来ずっと、バンギを拠点にしてエイズ母子感染予防、エイズ啓蒙活動、エイズ患者と家族の援助、そして、栄養啓蒙活動や給食活動、子どもたちの学校設立運営、と着実に現地に根付いた活動を広げていっている。

かのじょは大学の教授職にあり、長期休暇に入ると学生を引率してバンギに入り込んで活動を続けている。
現在、中央アフリカ共和国は戦闘状態が続いていて、かのじょの活動は停止されている。
そこで、かのじょはこういう時だからこそ、日本の人々にアフリカについて色んな角度から理解を深めてもらおうと、地元、東京都北区赤羽で月1回の間隔でアフリカセミナーを企画し、今回で10回目になる。
今年2月か3月には、徳永さんはカメラマンと共に戦闘状況のバンギに入り、あちこちに散らばった患者たちを探し回っている。
また、今夏は、かのじょの学生たちと共にカメルーンのヤウンデに入っている。

かのじょのアフリカとの関わりは40年程前にさかのぼる。
最初のアフリカでの活動は、20年ちょっと前に自身で著した「プサ・マカシ」で読める。
この著書でカネボウ・ヒューマンドキュメンタリー大賞を獲得し、テレビドラマ化され、このときの賞金がかのじょの活動の基金となっている。


まず、かのじょの今回の講演は・・。
かのじょが1976年、コンゴ民主共和国(当時、ザイール)北部のヤンブク村に長期滞在していた時、すぐ近くのヤンブク教会病院のイタリア人シスターが死亡、という第一報からエボラ出血熱大発生が始まった、という話から始まった。
それから18年後の1995年、今度はザイール中央部のキクイットでエボラ出血熱が大発生しているそうだ。
どちらもエボラ出血熱の死亡者のほとんどは医療従事者など患者との接触者だったそうだ。


エボラ出血熱とは・・。
原因はエボラウイルスで、症状として、発熱、頭痛、強い脱力感で、マラリアと同じ症状を呈するそうだ。その後、嘔吐、下痢、発疹、肝機能、腎機能異常と進み、さらに出血傾向へと進むとのこと。
(必ずしも出血が伴うわけではないそうだ。)
治療方法はなく、致命率が50~90%と非常に高い、恐怖の感染症だと説明される。

コウモリが感染原因だとも言われ、ガボン共和国で過去5年間でエボラ出血熱が原因で約5500頭のゴリラが死んでいる、という報告もあるそうだ(安田二朗獣医師による)。

アフリカでは、この病気は”森の中から来る”と言われているらしい。
「森の神様(精霊)が怒って病気を起こしている。」とアフリカの人々は考えている、と徳永さんは話していた。
サルを食べる、コウモリを食べる、象牙を採る、など、人と野生動物との関係を見直す必要がきている、とも。


今回のエボラ出血熱の発生は、
「2013年12月、ギニア共和国(首都コナクリ)において2歳男児死亡→母親、3歳姉、祖母も死亡」
これが発端なのだという。
その後、今年8月8日にWHOのチャン事務長が、”Public Health Emergency of International Concern”を発令したことから、日本で恐怖が広まる。


エボラ出血熱は、患者の皮膚に触れただけでは感染しないそうだ。
エボラウイルスが、粘膜や皮膚の傷に入りこんだときに感染すると考えられる。

人間の体で粘膜が外に露出しているところといえば、口腔粘膜と眼球の球結膜だけ。
だから、患者の嘔吐物などがかからないように、口を覆うマスク、そして、目を覆うゴーグル、そして、万が一の傷のために手袋。それから長靴。
この4種類の装具着用が必要と考えられるが、宇宙服のような重い防御服が果たして必要なのか疑問だとも話されていた。
炎天下のアフリカであのような防御服を着用しての活動は1時間しか持続できず、細かい医療作業の邪魔にもなるということを聞き、合点がいった。


徳永さんは、エボラ出血熱拡散流行の一大原因は、何といっても貧困だ、と言われる。
政治混乱下での貧困、さらに1987年に制定されたバマコ・イニシャティブだと主張されていた。
そのイニシャティブが制定されたことで医療費が有料になり、かれらが病院からさらに遠ざかり、患者がいないから病院が機能しなくなるという悪循環に陥っているのだそうだ。

確かに。
症状が現われて家族ですぐに病院へ連れていく、ということができていれば、こんなに流行しなかったのではないかと思われた。

徳永さんが今夏滞在したカメルーンでは、ラジオで、「握手しないで。ハグしないで。」と定期的に呼びかけていたそうだ。
エボラウイルスが体の粘膜から、そして傷口から入り込むことに注意する、という正しい知識も、人々の混乱を防ぐために必要なのだとも感じた。


かのじょがカメルーンから帰国したときに成田空港でもらった資料プリントには、「エボラ出血熱発生国は5か国(ギニア、リベリア、シエラレオネ、ナイジェリア、コンゴ民主共和国)」と記されている。
コンゴ民主共和国は確か現時点では北部のみのエボラ熱発生だと認識するが、このプリントでは国全体が赤く塗られている。
国土の広いコンゴ民主共和国全体が赤いのは、インパクトが強すぎるなあ、などとちょっと不平等(?!)に思えてしまうのだが。

エボラ出血熱の講演資料


徳永さんは最後に、ウイルス性疾患の場合、ウイルスが体を通過していくときに必要なのは、栄養と体力なのだと力説していた。
十分な栄養、水分補給。点滴はとても有効な治療だろう。
ゆっくり休養できる環境。信頼できる医療を受けられる環境。

日本では当たり前に受けられるこのような治療が、アフリカでは難しいのだ。

今回のエボラ発生のアフリカの国に施した日本からの援助品は防御服だった、と聞く。
本当に必要な援助品は何なのか。
徳永さんは、それは絶対に栄養剤だときっぱり言われた。

海外からの医療従事者の感染予防よりも、アフリカのエボラ出血熱に苦しむ患者側に立った、本当に必要な援助を考える。
こんな「目からうろこ」の視点の必要性も、かのじょの今回の講演からもらったように思う。

余談だが、この講演会で、わたしは2年前に二人でコンゴ川下りの旅を敢行した作家のマチさんと大学院生のシンゴくん、そして、20年前にバンギで大変お世話になった鹿島建設のカマタさんに再会した。
なんともうれしいおまけをいただいた!
ありがとうございました、徳永さん。

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