2014年4月30日水曜日

連続のブービー賞

この前の土曜日,日曜日と連続で、夫婦でゴルフ・コンペに参加した。
土曜日は、キンシャサ・ゴルフ・クラブ主催のコンペ。
日曜日は、月例の日本人仲間での日本大使杯コンペ。
どちらも午後からの炎天下でのプレイだった。

土曜日のコンペは、1週間前の土曜日に開催されたのが、後半で激しい雷雨に見舞われ(目の前の竹やぶに落雷してびっくり仰天!!!)中止となり、延期になっての仕切りなおしのコンペだった。
キンシャサはただいま雨季真っ最中なので、今度もまた雲行きが怪しくなり心配したが、無事終了。ステイブルフォー式という、わたしにはイマイチ点数の付けかたの理解できないやりかたで加点されて競争する。
コンゴ人のムッシュ(マタタ・ポニョ首相の側近と聞く。)とベルギー人のムッシュ、そしてわたしの三人での楽しいプレイだった。
かれらは明らかにわたしより若く、ウイットに富んだジェントルマンたちだった。
結局ベルギー人ムッシュは後半の見違えるようなガンバリで第3カテゴリーで2位を獲得した。確か得点は38だった。
早く帰らないとマダムが機嫌悪くなるんだと心配していたが、たくさんの賞品土産でほっとした表情で帰っていったのが印象的だった。

で。
わたしは、ブービーの人が2人表彰会場にいなくて、繰上げの繰上げでまたまたわたしはブービー賞を獲得したのだった。(スコア25だったかな。)
クラブ主催のブービー賞をいただくのは昨年末から三度目のことで、ちょっと恥ずかしい。
でも!
こんな賞品をいただいた。


クラブ主催コンペブービー賞でゲットしたビーチサンダル

キンシャサ・ゴルフ・クラブのマスコット、オカピのマークの付いたビーチサンダルだった。
なんとカワイイ!
素敵なキンシャサ・スーベニールになったぞ。


そして、翌日の日曜日。
昨日の炎天下の18ホールプレイがたたったのか、朝から偏頭痛がひどい。
休もうかなあとも思ったが、大使が帰国され、ゴルフ仲間の2人が一時帰国で、参加者は8人だけだ。ここで欠席するわけにはいかない!
くすんだ赤でも、紅一点として参加したい!、という一心でプレイ開始。
同伴者のムッシュ二人は何度か優勝経験のあるムッシュたちだ。
とにかく、かれらの点数になるべくついて行こうと決心。
何度も棄権が頭を過ぎったが、ショートホールでパーを取り、ドラコン賞のかかったハイジの丘コース(”アルプスの少女ハイジ”でハイジとペーターがソリで滑り降りていた坂のイメージそっくりのコース)で、皆がラフに突っ込み、なんとまさかのドラコン賞を獲得したからには、根性でプレイしなきゃーという心境になった。
同伴者のノブさん、マスオさん、ありがとうございました!

終わってみて、わたしは連日のブービー賞をゲット。
おまけに参加者8人(プラス初参加のかたが1人。)だったから、ブービー賞にラッキーセブン賞をダブル受賞してしまう。
そして、奇跡のドラコン賞までいただいて。

三箱のゴルフボール,計9個をもらって、ホクホクだった。
キンシャサゴルフクラブには70パーセントのコースに池が横たわっていて、わたしのボールはどうも池がお好きのようなのだ。1回のプレイに4,5個はボールをなくすのでありがたや~、の賞品だった。


BB賞 + ラッキー7賞 + ドラコン賞

ところで。右肩、右首がコリコリで火曜日だと言うのにまだ偏頭痛が続いている。

しかしなあ、いつになったら優勝に絡むことができるようになるんだろう。

今夜の、というか日付変わって深夜フライトで南ア、ヨハネスブルグ、そしてケープタウンに行ってきます。では!

2014年4月21日月曜日

日本で限定発売中のコンゴ・キヴ産コーヒーのこと

ドトール コンゴ・キブ産コーヒー


今月初め、夫がfacebookの友人からの情報を”シェア”した。
なんと、日本のコーヒーショップのドトールがコンゴ・キヴ(”Kivu”だから、わたしは”キヴ”と明記することに。)産のコーヒーを4月1日から数量限定販売をしている、というものだった。
コンゴ産の、しかもキヴ産のコーヒーが存在し、それがはるばる日本で限定ではあるが発売されている、とは驚きだ。

豊富な天然資源があるばかりに欧米諸国からいじくられ、国境を接するルワンダから移民、難民が流れ込み、つい最近まで戦闘状態が続き(と聞くがこれからもいざこざは続くのだろう。)、現在は難民救済のためにいろいろな国際機関が入り込んで援助が展開されるコンゴ民主共和国東部地域、北キヴ州と南キヴ州。
最近、石油埋蔵が明らかになったキブ湖を隔てて国境を接しているのがルワンダだ。
キヴ湖に沿ったルワンダ側の都市、ギセニに暫定政府が置かれていた時期もあったようだ。
(facebookの投稿に、コンゴ産のコーヒーがルワンダ産コーヒーとして販売されていたと聞く、というのを見つけたが・・。)



ドトールのコンゴ・キブ産コーヒーのパッケージ。キブ湖か?

パッケージを拡大してみると、色合いの控え目な、ちょっと古めかしい感じの絵が描かれている。
コーヒーが置かれたテーブルの向こうに湖が見えて雪の被った白い?山々が見える。
キヴ湖とゴマの山々だろうか。
キヴ湖から北に見て,手前にゴマ(コンゴ民主共和国)とギセニ(ルワンダ)の市街が広がり、その向こうの右に活火山のニイラゴンゴNyiragonngo山が、そして左にニアムラギラ山が見えるのだそうだ。
ふむ・・。
確かに、右側の山は富士山のような形をしている。
北キヴ州の州都ゴマは,アフリカ大陸東寄りを縦断する大地溝帯の西リフトバレーに位置するとWikipediaで見た。


コンゴ民主共和国の地図を見てみよう。

キンシャサKinshasaはコンゴ南西部に、また、北キブ州の州都ゴマGoma,南キブ州の州都ブカヴBukavuと、その南北2都市の間に広がる湖であるキヴ湖Lake Kivu は北東部に見つかる。

コンゴ民主共和国東部国境に並ぶ4つの湖の上から3番目がキブ湖でその向こうはルワンダ


もうひとつ、州別に色分けされた地図で見てみよう。


コンゴ民主共和国の11州 東部の北キヴ州都ゴマGomaと、南キヴ州都ブカヴBukavuの間の南北にキヴ湖が広がる

南北のキヴ地方は風光明媚なところで、ゴマGomaは特に気候もよく、野菜産地としても有名なところだと聞く。
(わたしの仏語教師の母親はゴマ出身でキンシャサとゴマを頻繁に往復しているが、気候もいいし、野菜、果物も新鮮で安いのだとうっとりして言う。また、ゴマ中心街にはアフリカ布地の高級ブティックVLISCOも店を構え、他の高級店も軒を連ねているとも言い、長い間戦闘状態だったところとは似ても似つかない説明を受けるのだった。)

国連の世界食糧計画WFPに勤務する友人が最近、ゴマに移動して行った。 
1ヶ月ほど前のことだったろうか。
これからがWFPの活躍のときだと言って。

キヴに停戦の状態が訪れたからこそ、キヴ産コーヒーが流通し始めたのか。

夫がキンシャサでもキヴ産コーヒーを買えるのかな、とあちこち探したようだ。
そして、やっと地元のスーパー”jiji”で、こんな2つのコーヒー豆を挽いたものを見つけてきた。

茶色のパッケージのほうは、エカトール州産のもので、包装紙はぼろぼろだけど、2014年11月何日かの賞味期限スタンプが押されている。
”Cafe Delice O.N.C. 添加物無しの粉コーヒー  コンゴ民主共和国R.D.Congo”と書かれている。

”O.N.C.”とは、コーヒー公社Office Nationale du Cafe のことらしい。
ずいぶん前にコンゴ民主共和国の国営企業が民営化されたから、このコーヒー公社も現在,民営化されている可能性がある。

Wikipediaに再度目をやると、
「コーヒーは、石油に次いで貿易規模が大きい一次産品であるため、経済上も重要視されている。大体、北回帰線と南回帰線の間(コーヒーベルト)の約70カ国で生産されてる。」
という説明がある。
なるほど。コーヒー生産がそれほど経済上のウェイトを持つものだとは。
石油だ,銅だ、レアメタルだと地下に眠る天然鉱物資源に頼るのもいいけど、食品のコーヒー生産にも確固とした道を作っていってほしいな。

友人が数年前にキンシャサに滞在していたときには、小さな麻袋に入れられて木彫りの小さなマスクが付いたパッケージに入れられたコーヒー粉がキンシャサで売られていて、ちょうど良いお土産になったという話も聞いたことがある。
でも、現在のこんなぼろぼろな紙袋に入ったコーヒーを選ぼうとはユメにも思わない。

夫は小さいほうのCafe CARIOCAのほうを試してみていたが、胃がやられるほど酸味が強いと言っていた。

夫がキンシャサ市内で見つけてきたコンゴ産コーヒー


ということで、夫は遂にキンシャサ市内でコンゴ・キヴ産のコーヒーを見つけられなかった。

日本でコンゴ・キヴ産コーヒーが飲めて、現地キンシャサで飲めないとは不思議な話だ。


facebookからドトールのコンゴ・キヴ産コーヒーの情報が広まり、キンシャサ関係の日本人たちが続々と試飲して書き込みをしている。評判も上々のようだ。

ドトールがこのコンゴ・キヴ産コーヒーを企画するにいたった経緯をぜひとも知りたいなあ。パッケージの絵もどんな人が描いたのだろう、と想像はどんどん膨らんでいく。

2014年4月18日金曜日

結婚記念日 in キンシャサ

質素な二人だけの祝いの宴

4月17日。
わたしたちの32回目の結婚記念日。
キンシャサで過ごす3回目の結婚記念日。
二人だけの、キンシャサ我が家での質素な祝宴。

今日、キンシャサ中心街にあるエリック・カイザーで前菜用にチーズとほうれん草のキッシュと、デザート用にシューケットを買っておいた。
ワインを1本開ける。
食事は肉と野菜料理数品のいつものパターンだ。

どこか高級レストランに食事に行くこともない。
プレゼントの用意があるわけでもない。
テーブルに花1本もない。
ただ普通にワインを開けて、無言で乾杯して、キッシュとワインの相性がばっちりだね、などと言い合い、普通に食事して。
BGMも、普通にDVD「さだまさし・NHKビッグショー」と「由紀さおり&ピンクマルティーニコンサート」をセットして、「風に立つライオン」に聴き入り、ピンク・マルティーニのティモシー・ニシモトさんのパーカッションが良いね、などと言い合って。

今度アフリカのどこかに赴任するときも、このDVD2枚と、”今夜も生でさだまさし”の「いつでも夢を・大震災支援特別編」と「さだまさし大震災支援長崎コンサート」のDVDは絶対持って行こうね、とDVDセレクトなんかもし合って。

さだまさしの「関白宣言」の人生最後の場面の歌詞にしんみりしたりして。
夫婦でほぼ同じ時期に人生を終われたらいいよね、とわたしが言うと、夫婦ってどっちかが先に逝ったら片方も後を追うように亡くなるらしいよ、と夫が言う。

お互い20代後半で結婚し、今や、夫は60歳。

1歳3ヶ月の娘を背負ってネパールの夫のところへ行き、8歳の娘と4歳の息子を連れて中央アフリカ共和国へ赴任する夫と渡り、そして、子育て終了と同時にコンゴ民主共和国へ夫婦で十数年ぶりのアフリカの地を踏んで。

これからも夫婦で人生の流れのまま進んでいこう。

昨日、夕方近く、電話が鳴る。
キンシャサの日本人の友人からだ。
東の空に二重の虹が見えるわよー!!

昨日、午後遅く、東の空に二重の虹が架かる


二つの虹が寄り添うように東の空を横断していた。


2014年4月15日火曜日

キンシャサゴルフクラブのコンペ

キンシャサゴルフクラブ コースにカラスが群がる

先週土曜日、キンシャサゴルフクラブ主催のコンペが開催され、わたしたち夫婦で参加した。

”ゴルフクラブ主催のコンペ”、なんて以前はほとんど聞いたことがなかった。
キンシャサにある会社がスポンサーになってコンペが頻繁に開催されていたように思う。

クラブ会員が減少していて、コンペを開催して企業PRをする魅力が無くなったのか、はたまた、コンペのスポンサーになるほどキンシャサで高利益を上げる企業が減ったのか。


クラブ会員は確かに、この3年間で1年にほぼ10人ずつ減少し続けて現在の会員数は210人強だという。

フランス企業の携帯会社は、昨年、スポンサーとしてコンペを開催したことがあったが、自社製品の賞品、そして参加賞を用意して、相当な額を費やすのだとキンシャサ在の社員のマダムがこぼすのを聞いたことがある。
小麦粉会社がスポンサーのときは入賞者に小麦粉が大量に配られ、機械会社がスポンサーのときは自家発電機が優勝者に提供された。
そして、昨年末にはキンシャサでも勢いに乗るサムソンがコンペスポンサーとなり、優勝賞品はもちろん、参加者全員によるくじ引きの賞品として、計3台の大型テレビが提供されていた。
サムソン主催コンペのとき、成績発表のときはゴルフ場の敷地内のキンシャサ・サークル・クラブの建物内のラウンジに移ってアルコールやオードブルが用意され、主催者のスピーチもあり、華々しい雰囲気が漂うコンペだった。

キンシャサ・ゴルフクラブのコンペ参加費はだいたい20米ドルくらいだ。もちろん、参加者はクラブ会員限定だ。


そして、先週土曜日はスポンサー無しのキンシャサクラブ主催のコンペだった。

スポンサーがいなかったから華々しさはなかったし、また、参加者も少なかった。
賞品も各部門優勝者にワイン2本ずつくらいのものだったが、それでも、ゴルフ好きが集まった。
土曜日は午前中勤務の会社もあるということで、朝からの出発組と、昼過ぎからの出発組みに分かれた。
そして、わたしは夫とともに、午後出発グループに参加した。
夫は13:20スタート。コンゴ人2人のグループで。
わたしは13:30スタート。ベルギー人男性と女性ひとりずつのグループで。

わたしのグループのベルギー人マダムはフラマン系女性で、ご主人がキンシャサ一豪華なホテル勤務だということだった。キンシャサ生活はまだ1ヵ月という、わたしと同年代の女性だった。
一度、女性ゴルフ会で会ったことがある。
もうひとりは、ベルギー人ムッシュでキンシャサ生まれのキンシャサ育ちということだった。
奥さんがキンシャサで薬局を経営していて、かれは奥さんのガードをしているんだとウィンクして自己紹介した。
ふたりとも、まず英語と仏語とどちらで話しましょうか、とわたしに訊いてきた。
英語で、というと、かれらは最後までずっと英語で話してくれた。
ムッシュは、ルールに精通していて、いろいろなことを教えてくれた。
スコアは、123といつもと変わりなし。
でも、3人でプレイを楽しむことができた。ムッシュはルールにはとても厳しい姿勢だったが、その中に必ずユーモアが混じっていた。

そして、プレイ終了後、暑かった一日が終わり、日没と共に涼しい風がゴルフ場パイヨットを通り抜け、結果発表までの間、和やかなスポーツ後のドリンク交換でとても和やかな雰囲気だった。
残った参加者は40人くらいで少なかったが。

わたしのグループで一緒だったベルギー人マダムが帰っていった後、夫のグループのコンゴ人ムッシュのテーブルに座った。

コンゴ人ムッシュからビールのプレゼントが届く。隣のテーブルからワインのプレゼントが届く。
見渡すと、パイヨットの中はそれぞれほぼ、母国語別に座っているのが分かる。
韓国グループはいつも最大で閉ざされた雰囲気を作る。
アメリカ人グループはお隣のピザ屋から注文したピザを取って楽しそうだ。
日本人はわたしたち夫婦だけ。
わたしの隣に座るコンゴの男性は、キンシャサのプロテスタント系大学の関係者であり、他会社も経営していると言う。教育は国で一番重要なものだという、コンゴ人にしては物腰の柔らかい男性だった。
かれは、アジアの人はいつも社会を閉じていて交わらないから,今夜は楽しい時間を持てたと言っていた。
わたしたちこそ、ゴルフを通して多くの人と知り合うことができて、本当に楽しい。


こんなとき、ああ下手でもゴルフを続けていて良かったと思い、炎天下を18ホール回れる健康に恵まれて幸せだなあ、と痛感するのだった。

同じ週の半ば、夫が帰宅途中にキンシャサのメイン通りで脇道からの侵入車に激突されるという事故に遭った。いくつもの幸運が重なって奇跡的に夫も運転手も怪我もなく、本当に胸撫で下ろす事故であった。

そんな4月第二週。
色んなことがわたしたちを通過して行き、そして無事に週末を迎えることのできた土曜日夕刻。
ゴルフで汗を流し、色んな出会いがわたしたちキンシャサ生活に彩りを添えてくれることに感謝し、夕風に当たりながらアルコールで心地よい疲れを癒しながら会話を楽しむゴルフ場での夕刻をこれから先、度あるごとに懐かしく思い出すことだろう。

来月5月17日,18日,19日はキンシャサ・オープン・ゴルフが開催される。

2014年4月8日火曜日

キンシャサの小豆

あっという間に、4月も1週間が過ぎた。
キンシャサの雨季もあと1ヵ月ちょっとだ。


さて。
キンシャサ生活であまり行くことのないスーパーマーケット、”Hasson et Freres”。
2年前と比べて、改装して充実してきたと聞いていたし、また肉屋の豚肉がとてもきれいで美味しいという評判も聞いていた。

先々週の木曜日、キティーさんがそのHasson et Freresに行くというので、かのじょに店案内をしてもらった。
かのじょは以前このスーパー近くのアパートに住んでいた。また、夫の事務所も近くだというだけあって、常連客のかのじょはこのスーパーの情報をしっかり把握している。
ここはスーパーとはいえ、野菜も肉も魚もそれぞれに専門店が入り、会計も個別になっていた。
そして、それぞれに新鮮な商品が並ぶ光景にちょっと小さな感動を覚えてしまった。

まず、かのじょは野菜コーナーに入った。
わたしが今まで決して入らなかったコーナーだ。
野菜はわたしが常用するスーパーとそんなに変わらない。ただ、豆類が何種類か陳列されているのに目を見張る。
そして、そこに、何と今までずっと探し求めていた”小豆”かな?という豆を発見する。
それは日本の小豆のように決して赤っぽくはない。


わたしはその時、30年近く前に住んだネパールのカトマンズで見つけた小豆のことを懐かしく思い出していた。
その小豆は、カトマンズ庶民の野菜露天市場、”タラカリ・バザール”で買うことができた。
その小豆も赤くはなくて、どちらかというと緑っぽかった。ただ、形と大きさからして、これは小豆に違いないと思って煮ると、しっかりアズキ色に煮上がり、しっかり”ぜんざい”や”あんこ”にして味わうことができた。ネパールの食材で和菓子が楽しめたのだ。


で、キンシャサの小豆はというと。

赤っぽくはないキンシャサ小豆 ”MBWENGI”

この豆に付いた、野菜売り場の表示は、「KIN MBWENGI  2000CF/100g」、「キンシャサ ウェンギ 約200円/100g」。
日本の小豆のように赤っぽくもなければ艶もない。
でも、形と大きさからして、きっと小豆であるに違いない。
カトマンズの経験から、挑戦あるのみ!と思って購入を決意する。

量り売りのお兄さんに200グラムください、と言ったら、どうやって食べるのですかと質問された。わたしは日本人だから、水でぐつぐつ煮て、砂糖を入れて甘くしてデザートとして食べるのだと言うと、顔をしかめてイヤーな顔をされた。
甘く煮るなんて!!!、と言うのだ。
かれらの言い分は、豆は塩味で副食として食べる、のだそうだ。トマトや野菜と、或いはピーナッツペーストといっしょに煮て塩味で食べるものだと。


そこで今度は、わたしは中央アフリカ共和国のバンギでのボーイとのやり取りを懐かしく思い出すのだった。
当時の我が家のボーイ、フランソワ伯父さんは名コックでもあった。
ある日、わたしが金時豆をぐつぐつ水で煮ていて、とうとう最後に砂糖を入れようとした途端、かれは止めろー!!、とすごい剣幕で台所にすっ飛んできて、わたしの腕をむんずと捕まえて、砂糖壷を押さえたのだった。
豆に砂糖を入れるとは、不届き千万!!、言語道断!!
そんな勢いだった。

いやいや、フランソワ。わが祖国、日本では、豆は甘く煮るものなのだ。
いくら説明しても、しばらくは砂糖をわたしに渡してくれなかった。

それくらい、アフリカの人々には、豆を甘く煮る、ということは奇妙なことに映るのだなと思われる。


でも、フランス語教師から聞いたことによると、コンゴ民主共和国のカサイ地方ではサツマイモと一緒にこの小豆を甘く煮るのだそうだ。
わたしに言わせると豆を甘く煮るなんて信じられないけどね、と付け加えて。かのじょの出身地キブではやっぱり豆は塩味で食べるものだそうだ。
キブ地方(東部)では、この豆を”KUNDE”、クンデと言うのだそうだ。

ちなみに日本から持参した日本の小豆を同じ容器に入れて同じように撮影してみると。

日本からの小豆の美しいこと!

フランス語教師が、まあ、なんと美しい!粒が揃ってまるで薬のカプセルのようだ!、と感動していた。ホント! キンシャサの豆に比べると、艶やかで宝石みたいだ。


購入したMBWENGIを、前の晩から浸水させて、翌朝からぐつぐつと2日間煮続けた。
すると。

しっかり、小豆、だった!

ほら、ご覧の通り!
二度茹でこぼして灰汁(アク)をしっかり取った。
そして、味もしっかり、小豆に煮上がった!

最初は、”ぜんざい”として、二度目は”あんこ”として、神楽坂の”紀の善”を想いながら味わったのだった。