夕方から降り始めた雨の黄昏の中を、わたしたち夫婦は見送りのために、大使公邸に向かった。
公邸サロンで大使夫妻とキンシャサ最後の歓談をし、集まったメンバー全員で写真を撮る。
夜7時半過ぎ、日の丸を付けた公用車にご夫妻が乗り込み、公邸玄関をゆっくり発進。
雨のやんだキンシャサの夜の道を出発されたのだった。
大使と夫とは海外青年協力モロッコ隊員の先輩後輩の仲で、足かけ40年近い付き合いだ。
それから、1992年から95年まで、ほぼ同じ時期に約3年間、お互いに年齢の近い子どもたちを連れて中央アフリカ共和国のバンギに暮らし、いろいろな思い出を共有する。
バンギでゴルフを始めたわたしは、大使が使われていたパターを譲り受け、いまだにお守りのようにキンシャサまで持ってきている。
そして、またほぼ時期を同じくしてコンゴ民主共和国のキンシャサに、今度はお互いに夫婦だけで赴任。かれらはキンシャサへは大使としての赴任だった。
大使、ということで、今回の赴任中はお互いの家庭を訪問しあうということはできなかったが、ゴルフや日本人の食事会で同席する度、変わらない気さくさで接してくださった。
夫人とは、公務の合間に買い物やランチやカフェでのお茶にご一緒し、家族の近況を話したり、とてもリラックスした良い時間を持てた。
夫人は、大使と結婚後、長女を連れて暮らしたガボンから数えて(東京勤務もはさんで)、10カ国ほどのアフリカやヨーロッパの国々を夫妻で二人三脚で歩いてこられている。
大使は、さらに多くのアフリカの国々を兼任国も含めて観て関わって来られたはずだ。
キンシャサ大使公邸は築年数の経った建物ではあったが、メンテナンスに気を配り、隅々まで手入れの行き届いた品格ある住まいだったと感心する。そして、夫人は迎えるゲストのために室内には花を絶やさなかったように思う。
大使は海外青年協力隊出身の初めての大使ということで、アフリカへの経済協力には真のエキスパートだったと感じる。
アフリカをしっかり見続ける眼は、それだけ鋭かったとも思える。
わたしたちキンシャサ在住の日本人ゴルフ仲間で、先週日曜日に大使追い出しコンペを企画した。夫は大使と同じグループで回り、ベストグロス賞を受ける。初めて大使のスコアより良かったと感慨深げだった。当日は雨季の合間のかんかん照りと連日の激務で大使は少々お疲れ気味だったのか。
わたしはと言えば、皆がラフに入れ続けたお蔭で奇跡のドラコン賞をもらった。当日の賞品はすべて大使ご夫妻で用意くださった。
さらに、一昨日、土曜日は、ゴルフクラブ主催の大使送別コンペが開かれた。
日本の無償援助資金で建設された保健センターの開所式セレモニーに出席された大使とそして夫は残念ながらコンペに参加はできなかったものの、セレモニーの後、ご自身の送別コンペ表彰式に参加するためにゴルフクラブに来られた大使がハーフだけだがプレイする姿を拝見した。
プレイに同伴した夫からは、セレモニーを実況中継するテレビを観て大使のスピーチを聴いたキャディたちなどあちこちから声を掛けられていたそうだ。
このコンペに参加したわたしは、今度はなんとブービー賞(があることもつゆ知らず!)となり、二度続けて大使と握手できてしまった!!
大使は、大使そっくりのゴルファー人形をクラブ主催者からプレゼント(タンタン人形作家で有名なオーギーさん制作)されて、満面笑顔でお別れスピーチをされていた。
プレイ後のクラブテラスでのお楽しみ、地元ビールで乾杯 |
キンシャサゴルフクラブの途中休憩テラス |
キンシャサゴルフクラブ・テラス前から18番ホールを望む |
大使夫妻との交わりもまたわたしたちのキンシャサの良い思い出だ。
アフリカに温かい眼を向けていた大使のアフリカでの経験談もいつも興味深いものだった。
昨夜の大使夫妻のキンシャサ出発は、お二人の長い夫唱婦随(時には、婦唱夫随もあったかもしれない・・)の外交官生活の終止符を打つ時でもあったはずだ。
お二人が公用車に乗り込まれたとき、そっと夫人の手が大使の手の上に載っておられた。
これまでのお二人が共に歩いてこられた長い道のりを静かにふり返る瞬間だったのかもしれない。
皆が笑顔で見送られてよかった。
お二人の今までの歩みと、そしてこれからに、万歳! 万歳!! 万歳!!!
これからの幸多い、そして平穏な人生を心から祈ったのだった。
お疲れさまでした、大使夫妻!
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