2014年3月18日火曜日

日本コンゴ文化会館 1周年記念祝典

慶応大学と提携するキンシャサ教育大学(Institut Superieur Pedagogique)敷地内にある日本コンゴ文化会館が開館して丸1年が経ち、先日、3月13日に開館1周年記念祝典が催された。


毎年、春休みと夏休みに慶応湘南藤沢キャンパスの長谷部葉子先生とコンゴ出身のサイモン先生が学生を伴って休暇中、キンシャサに滞在される。
この春もキンシャサに滞在され、祝典の準備を日本とキンシャサの日本語クラスの教師、学生と共に進めておられた。


思い返せば、わたしたち夫婦がキンシャサに到着したのが2012年1月1日だった。
その後、慶応大学プロジェクトに携わる、長期滞在中の日本の学生たちに出会ったのが3月。
かれらは、もうじき僕たちの日本語クラスの拠点となる文化センターの建設が始まります、と言って建設予定地を案内してくれたのだった。
(その時、既にキンシャサ教育大学のひとつの教室を借りて日本語クラスは開講されていた。)
建物の入り口に当たるところに記念モニュメントのような石が立っていたのを思い出す。


2012年3月頃 日本コンゴ文化会館建設予定地


そして、春,夏、そしてもうひとつの春を経て、慶応大学建築専攻の指導教授と学生と現地の大工さんが、慶応大学の学生の設計図を基に日本政府の草の根無償資金で会館を完成させたのが、2013年の3月。
同年3月12日に、大勢の日本とコンゴの関係者を招待して、開館式を催している。


2013年3月12日 日本コンゴ文化会館 開館式

当時のJICAの所長さんと日本大使館の領事部のかたの剣道の模擬試合も披露され、大勢の人々に日本の文化センターのお披露目をした。


2013年8月24日 日本コンゴ合同シンポジウムにて~アカデックス小学校生徒が踊る”ソーラン節”

その年の夏には、また慶応大学の先生や学生が大勢でキンシャサ入りし、初めて医学部の参加もあり、教育分野、建築分野に加え、保健医療分野の活動も始まっている。

そして、夏期活動後半の8月24日には、文化会館で日本とコンゴの合同のシンポジウムを開催。
保健医療チームのアカデックス小学校での調査報告、日本の戦後から取り組まれた母子手帳の配布や栄養指導車巡回制度で向上した日本の保健事情について、また、コンゴ人医師の現状報告など、とても興味深い内容であった。
キンシャサ郊外のキンボンドに建設運営されているアカデックス小学校の生徒たちも先生に引率されて来場し、日本の学生たちの指導で学習した”ソーラン節”を来場者の前で披露している。教育チームの実習指導の成果の発表でもある。
また建築チームが取り組むアカデックス小学校の建築進行状況も報告された。
すばらしい日本コンゴ合同のシンポジウムだった。


会館内には、日本語指導者の会議室、日本語教室、そして大教室があると記憶している。
大教室では、畳が敷かれて、キンシャサ在住の日本人の柔道有段者の指導の下で、柔道教室が日曜日を利用して行われているとも聞く。

また、昨年6月、バイオリンの玄人跣(はだし)の腕前を持つ大使館員がかれ自身の企画で、キンシャサのオーケストラの弦楽器メンバーと共演で、この文化会館でお別れコンサートが開かれた。
爽やかな風が心地よい休日の午後のコンサートだった。

昨年11月には、慶応OGでコンゴ音楽を自ら勉強しつつ、アカデックス小学校での音楽指導で長期滞在中だった女性のミニコンサート、そして、コンゴのお笑いコント芸人の舞台も楽しんだ。


こうやって日本コンゴ文化会館での活動をふり返ると、着実に日本とコンゴの文化交流の場を提供してきているなと感じる。

そして、2014年3月13日。迎えた1周年記念祝典。
1日目の祝典と日本料理会。
2日目には書道などのワークショップが開かれている。

わたしは、その祝典で、スピーチを依頼された。
どうしよう。祝典でのスピーチなんて未経験だった。
期待感ちょっぴり、不安感いっぱい。

それでも、この文化会館に集い日本語や文化を学び指導するコンゴや日本の青年たちの真摯な様子を伝えたかった。素晴らしいかれらの活動をわたしの知っているところで披露したいという想いも強かった。
そして、わたしはダイレクトにその想いを伝えたいと思って、フランス語でのスピーチを決心した。
日本語講座の第1期生で、日本派遣生に選抜されて日本滞在も経験している語学堪能なエロンゴさんというコンゴ人青年がわたしのフランス語文を添削してくれた。
そして、かれがわたしのスピーチのときにマイクを握ってサポートしてあげるよ、と約束してくれたのだった。なんと温かい思いやりを持った青年だろう。

2014年3月13日 日本コンゴ文化会館1周年記念祝典でスピーチをした!

わたしは、コンゴと日本の間にいくつもの橋を架けている若者たちの活動をひとつの実話で紹介した。
昨年,キンシャサを訪れたわたしの友人のひとりが東京の小学校で音楽教諭をしている。かのじょが、小学校の生徒たちと歌って楽しめるコンゴの歌を紹介して欲しい、とこのプロジェクトで活動するコンゴ人青年たちにお願いをした。
かれらは、いろいろと話し合って、コンゴで長い間,愛唱され続けている歌、”コンゴ独立の歌 Independance Cha-Cha”をわたしたちの前で歌ってくれた。独立の喜びに沸くとても明るい歌いやすいメロディーに、わたしたちはすぐに大好きになった。何度も一緒に歌ってステップも教えてくれた。
その歌を日本に持ち帰った友人は、早速、歌詞を「新入生歓迎の歌」に作り変えた。そして、4月に入学してくる小学校1年生の歓迎会で歌いましょう、と在校生に教えた。在校生たちもすぐにその歌が大好きになった。歓迎会で歌って迎えられた新入生もまたすぐにその歌が大好きになった。
そうやって、友人によって歌詞を作り変えられた”コンゴ独立の歌”を歌って交流する小学生たちをかのじょはDVDに撮った。
それから間もなく、友人が勤務する小学校にコンゴ民主共和国出身の神父様が話をするために来校された。
その神父様に、”コンゴ独立の歌”のメロディーで歌って楽しく交流する小学生たちの様子を撮ったDVDを観ていただいた。コンゴ出身の神父様はその様子に感激して涙を流して喜んだ。

友人から聞いた話をスピーチで伝えた。
その時コンゴの若者たちがコンゴと日本にひとつの素晴らしい橋を架けたのだ、とわたしは感じた、と。

わたしの下手なフランス語を、会場が静まり返って耳を傾けてくれた。
そして、コンゴの若者たちが日本の音楽教諭に教えた歌が”コンゴ独立の歌”だったと伝えたときには、会場にとても嬉しそうな温かな笑いが広がった。それから、コンゴ出身の神父様が涙を流して喜んだと言ったときは、深い感動のどよめきがわたしにも伝わってきた。

これからも、日本とコンゴの間にたくさんの橋が架かりますように。
わたしにもコンゴの文化を教えてください。
皆でわたしたち双方の国のことや文化を学んでいきましょう。

言えた!!わたしの言いたかったことを拙いながらも伝えることができた!!
達成感と共に、耳を傾けて聴いてくださった来場者に心の奥底から感謝の気持ちが湧いてきた。

そんな機会を与えてくださった長谷部葉子先生と、わたしをサポートしてくれて励ましてくれたエロンゴさんにもスペシャル感謝だ。


今回の1周年式典でもキンボンド小学校の生徒たちが、日本の学生が教えてきた日本の歌を、そして日本からはるばる運ばれてきた鍵盤ハーモニカの演奏を披露して式典に花を添えていた。
一生懸命な小学生の合唱や演奏に,今度はわたしが感動の涙を流す番だった。


鍵盤ハーモニカで”きらきら星”を演奏するアカデックス小学校の生徒たち



キンシャサ滞在もあと数ヶ月になったが、ここで繰り広げられる日本とコンゴの若者たちの真摯な取り組みをわたしなりに(夫と共に!)応援していきたい、と思うのだった。

日本コンゴ文化会館1周年、おめでとうございます!

3 件のコメント:

  1. 寛子さま 素晴らしいリポートをありがとうございます!
    1周年のお祝いを申し上げます!! 私も参加したかった~! 
    子供たちの演奏を聴きたかったー♪
    井上ご夫妻のおかげでたくさんの素敵な出会いができたのは、私だけではないとわかっていますが、お蔭で私はいつも感動しています。
    井上さんのお蔭でコンゴの子供たちと繋がったことがうれしいですw
     あと少しになったコンゴ滞在を元気に楽しんでくださいね!

    チェロ子

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  3. あれ。何でかな、わたしのコメントが消えたのでもう一度。
    チェロ子さま、いつも温かいお付き合いをありがとう! そして、こちらこそ、チェロ子さんのお蔭で素敵な交流が広がり、ありがとう!、です。
    鍵盤ハーモニカには、”ド”のところとか何箇所かに可愛らしいシールが貼られていました。ハンサムボーイのシバタ先生が貼ったのかな、なんて。どの子も誇らしげに楽しげに演奏していました。
    そして、合唱も良かったです!
    無理とは分かっていながら,叫びます!
    Come to Kinshasa again !! ~です。

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