突然、中央アフリカ共和国の内戦のニュースが世界中に流れた。
イスラム教徒とキリスト教徒の対立が激化し、その後、大統領が国外逃亡して無政府状態となり、理性も秩序も何もかもが無くなった中央アフリカ共和国からの報道には目を耳を覆うものばかりだ。
1993年から中央アフリカ共和国の首都バンギのブエラブ保健センターで、エイズの母子感染予防、エイズ患者支援のNGO活動(アフリカ友の会)を続ける徳永瑞子さんが、そんな内戦状態にあるバンギに戻り4週間滞在してきた、というメッセージを今朝、フェイスブックで見つけた。
以下、フェイスブックの徳永さんからの帰国第一声のメッセージだ。
「今日、中央アフリカ共和国より帰国しました。バンギには(2月)28日から(3月)25日まで滞在しました。1年4ヶ月ぶりの訪問です。NGOアフリカ友の会では、バンギでエイズ患者さんの支援、栄養失調児のケアを行っています。1年前から内戦が続き未だに銃声が聞こえます。内戦の被災で栄養失調児は今までの10倍、エイズ患者さんたちは避難生活で継続治療ができず症状を悪化させています。かれらを助けるためには、お金が必要です。皆様の一食分を寄付してください。お友だちにも呼びかけてください。
郵便振替 00100-2-658734 アフリカ友の会 です。
よろしくお願いいたします。徳永瑞子」
徳永さんは、助産婦であり、公衆衛生学のドクターでもある。
徳永さんが”アフリカ友の会”をバンギのブエラブ診療所内に立ち上げ活動を開始した当初から、同じアパートに住んでいたわたしたち家族は間近に見てきている。
現地に住み、エイズに苦しむ患者やその家族に寄り添い、良い活動をしているなあと思ってきた。
かのじょは、いつかはこの活動を現地スタッフだけで運営できるようになればとも言っていた。
そして、かのじょが活動拠点を日本に移し大学で教鞭を取るようになってからも、長期休暇になると学生たちを連れてバンギに戻っていた。
かのじょは、エイズの母子感染予防、エイズ患者と家族の支援だけでなく、エイズ患者の生活自立のための仕事支援にも関わっている。さらに、栄養失調児の給食活動、子どもたちの学校教育、と活動の柱を増やしてきた。
そんな中での突然の内戦勃発だった。
徳永さんは、エイズ患者たちの病状を心配しながらもバンギに戻れず,現地からの連絡に一喜一憂する心境をアフリカ友の会の会報誌に綴っている。
1ヶ月以上かかってキンシャサに届いたアフリカ友の会会報誌12月号 |
中央アフリカ共和国は、わたしたち夫婦が現在滞在するコンゴ民主共和国の北に隣接する国だ。
首都のバンギはコンゴ河の支流のウバンギ川沿岸に広がり、川向こうのこちら側はコンゴ民主共和国なのだ。
今朝も、キンシャサで視聴できるフランスからのテレビ放送”France24”のニュースで中央アフリカ共和国のことが映像とともに報道されていた。
そんな内戦状態のバンギに徳永さんは入国を果たしてブエラブ保健センターにたどり着き、4週間の滞在を終えて帰ってきたのだ!
すごい行動力だ。
かのじょの訪問は現地のエイズ患者たちや家族に大きな安堵感と喜びをもたらしたことだろう。
もしかすると、ほとんどの患者たちは奥地に避難し連絡の取れないままだったかもしれない。
徳永さんの現地の詳しい報告を待ちたい。
アフリカ友の会の会報誌は偶数月に発行され、キンシャサのわたしたち夫婦のところにも郵送されてくる。
また、徳永さんは、昨年11月から全12回の予定で”アフリカに親しむことへの支援活動セミナー”と位置づけて、「アフリカセミナー」をアフリカ友の会事務局のある東京都北区赤羽の文化センターで企画開催している。
アフリカ友の会URL: http://www4.ocn.ne.jp/~africa93/
まだまだ内戦状態にある中央アフリカ共和国のバンギに戻って活動してきた徳永さんの行動力に感動し、かのじょの運営する”アフリカ友の会”を、そしてバンギから帰ってきたばかりのかのじょから届いたメッセージをぜひ多くの方たちに紹介したいと思ったのだった。