2014年1月8日水曜日

コンゴ(民)国道一号線を東へ走る

1月4日、5日の一泊二日で、夫と、夫のプロジェクトのコンゴ人職員マキーラ氏、それに運転手のランド、そしてわたしの4人で陸路、国道一号線視察の旅に出た。


国道一号線は、コンゴ民主共和国を西の海岸港町BANANAを起点に、BOMA、 MATADIというコンゴ河に開けた港町をアンゴラ国境とも接しながら通過し、首都 KINSHASA(コンゴ共和国の首都BRAZZAVILLEをにらみつつ)に到達。
そこから東南方向に、 KWANGO、 KENGE、 MASAMUNA 、KIKWIT、 TSHIKAPA、 KANANGA、 MBUJIMAYI 、KAMINA、そしてコンゴ(民)の大都市 LUBUMBASHIを通って、コンゴ(民)最東南端でザンビアと国境を接する SAKANIAまで、全長3299kmの道のりでコンゴ民主共和国を横断している。

昨年は、その一号線を、KINSHASAから西に、海岸港町のBANANAより手前のBOMAまでの約500kmの行程を走った。日本の援助で建設された吊り橋、マタディ橋までは舗装道路が続いたが、そこを過ぎてBOMAまでの道路舗装は剥がれてでこぼこ道だった。

そして。
今回の旅は、KINSHASAから東へ、KWANGO、KENGEを通過して、KIKWITの150km手前にあるMASAMUNA、そしてそこから少し先までの約380kmの行程をたどったのだった。


キンシャサを過ぎてしばらく行くとMONGATA料金所と書かれた小さな建物が建っていた。
車両によって通行料が決まっていて、料金表がはっきり看板に掲示されている。
ここは州管轄の料金所だろうかと話したが、我々は出張命令証を掲示して料金を支払わなかったので、ここがまだ料金所として機能しているかは不明だ。

シクワンを売る少女とMONGATA料金所(後方)

ほどなく、今度は立派な料金所がそびえたっていた。
こちらのBATSHONGO料金所はFoner(フォネール・道路基金)の運営で、開設されてまだ3,4年だということだった。

BATSHONGO料金所


KINSHASAからBOMAへの道は、港から引き揚げられる荷物を載せたトラックがひっきりなしに往来していたが、KINSHASAを過ぎて東に走る区間ではコンテナトラックは激減。
交通量が少ないからか、それほど傷んでいない舗装道路が、起伏もそれほど大きくなく、低木もまばらな大草原の中をゆったりと延びていて、長閑な牧歌的な風景が楽しめた。

国道1号線沿いには視界が開けた草原が続く


コンゴ最南東端の大都市ルブンバシへ続く送電線が草原上に張り巡らされている


1号線道路は、上り坂があって、それから下り坂の先には川(コンゴ河の支流)があり、しっかりしたコンクリート橋が架けられている。
橋を越えると必ず、集落や市場があった。そして、その始点と終点には必ず村や町の名前が記されたプレート標識が立っていた。

例えば、BATSHONGO料金所を越え20分ほどすると、川幅百m近くもあろうかというクワンゴ川に出た。
コンゴ河支流のKWANGO川と橋

クワンゴ川に架かるコンクリートの橋を渡るとすぐ、クワンゴの活気ある町が広がっていたのだった。

活気のあるKWANGO町のバザール中心地


30分間隔で、”川を橋で渡って村落(あるいはバザール)”のパターンが繰り返されたように思う。


WAMBA川と橋

その後、ワンバ川に架かる橋を渡ってワンバ村へ。

そして、次の大きな町、KENGEでガソリンを入れ、休憩をする。

KENGEの町 ガソリンスタンドで給油中に


KENGEの町でガソリンを満タンにした後、3つの川とそこに架かる橋とそれに続く村を越え、そして、いよいよ夫のプロジェクトで働く現地職員、マキーラ氏の故郷、マサムナへ到着する。

キンシャサの我が家を出発してからから7時間ちょっと経っていた。


MASAMUNA村に到着!

マキーラ氏は3年ぶりの帰省らしく、キンシャサからたくさんのお土産を抱えてきて、とてもうれしそうだ。
もちろん、かれの家族、そしてマサムナ村長さん、女性長さん、青年長さんたちまで1号線沿道の食堂に集まっていて、歓迎音楽と躍りでわたしたちを迎えてくれた。
そして、現地ではきっと貴重であろう、冷たいビールをありがたく、おいしく一気にいただいたのだった。

マキーラ氏帰省の歓迎ランチ会で


マキーラ氏実家での歓迎ランチに感激!



マサムナ村の人々と

マキーラ氏の実家の家族たちに心からのおもてなしに感動し、かれらの歓待に涙が出そうになるほどありがたく思い、何度もお礼を言って、今夜の宿泊場所であるドイツの修道院に向かう。


マサムナ村からほどなく、1号線を緩やかに右折して、丘の上に一面に広がるだだっ広い草原に延びる、細い(車一台がやっと通れるくらいの)土道を車は入っていった。

何もない草むらだけが広がる風景の中を車が進んでいったとき、突然、遠くで人間のシルエットが確認できたときはちょっとびっくりした。元気に走り回る犬たちを連れてゆっくりのんびり夕方の散歩に出ているという風情の白人男性だった。
穏やかな笑顔で近づいてきた男性は、48年間、ここの修道院にある家具工場と機械修理工場で指導する修道士さまであった。

彼と別れて、車はさらに草原の小道を進み、いよいよ修道院建物のある大きな鉄扉の前に到着した。

修道院敷地内の木にはびっくりするほどたくさんの丸い鳥の巣がくっついていた!

S.V.D. NGONDI 教会と修道院の建物

丘の上の草原の中にぽつんと建っている、といった剛健な印象の”S.V.D.NGONDI教会・修道院”であった。

2人のドイツ人の神父さま、修道士さまがいて、村人たちの家具作り指導、機械修理指導、学校運営、そして布教をしているのであった。

緑豊かな敷地内に入っていって、まずわたしたちを歓待してくれたのは、木の枝枝に丸い巣を作って住む小鳥たちの賑やかな夕方のさえずりだった。

そして、白髪の男性がわたしたちを暖かく出迎えてくれた。
このドイツ人男性がウィリー神父さまで、わたしたちの宿泊手続きをしてくれ、それから施設の案内をしてくれた。神父さまは、この修道院に来てまだ1年だと言うことだ。

1981年に建ったというこの教会は、とても頑丈な作りの平屋建てで、地下も備わっていた。
また、一匹の蚊も寄せ付けないくらい寸分の狂いもない建て付けの網戸がすべての窓に備わっている。さきほど草原の中で出会った修道士さまが教会・修道院建設に携わったのだろうなあと、案内してくれる神父さまの話を聴きながら確信した。

宿泊棟には集会室も完備されていて、一度に50人の宿泊者を収容できるという説明だった。

この丘の下に流れる川に設置された簡易水力発電機で施設内の電気はまかなわれ、おいしい地下水が飲めるとも話されていた。
ちょうどわたしたちが訪れたときは発電機タービンの機械が故障し、修道士さまが修理中だとのことで、重油の発電機で代替しているとの説明を受ける。
朝6時半から2時間くらい、そして夕方6時半から夜9時半まで、代替の発電機を動かして電気を使えるということだった。

修道士さまは、夕食後に、修道院内にある、家具と機械修理のアトリエを案内してくれた。
やっぱり、頑丈な作りのシックな建物だと感じる。
アトリエの壁にも十字架が掛けられている。
近くで運営される学校の児童用の机、椅子、学校の書類棚、本棚、そして、教会の机、椅子など、身近で使用される家具の注文を受けて製作中だった。
ここには色々な材質の木材があるんだよ、という修道士さまの言葉に、ではイロコの木もありますかと訊いてみた。
もちろん!
わあ、わたしの名前も”Hiroko”、イロコなんですよ、と言うと、修道士さまは満面の笑みを浮かべて、それはいいなあ、イロコの木はとっても良い木で、丈夫で、船にも使われる木だよ、と褒めてくれた。ちょっと、誇らしい気分だった!

また、同じ建物内にある機械修理のアトリエには、修理のために古いジープが運ばれてきていた。
そして、故障してしまった発電機タービンのコイルを外して修理に取り組んでいる様子も見て取れた。
本国ドイツに新しい発電機の発注をかけて届くのに数ヶ月、コンゴの港から修道院に運ばれるのに数ヶ月掛かると考えると、やっぱり修理して使用するのが賢明だと判断したのだよ、と話してくれた。
また、溶接もしていて、ジープ?のしっかりした中古の車輪を再利用して、鉄板を溶接し、頑丈なリヤカーが完成していた。
夫は、これだけしっかりしたリヤカーがあれば、どんなものでも運べるなあ、としみじみ言っている。
きっと、かれの道路舗装工事現場で時々見かける、ベッド用スポンジや廃材の激しく山積みされて崩壊寸前のごとく引っ張られていくリヤカーの光景を思い出しての発言なのだろう。
研磨機も、溶接機械もすべて本国、ドイツからのものだよと言う修道士さま。
おっと、ひとつ、日本製の機械があったな、ほら、”makita”って日本製だよね。
そうやって、ひとつ、ひとつ、愛用の機械を見せてくれるのだった。

ここは、修道士さまのお城なのだなあ、と感動してしまった。
家具のアトリエでは、木材が運び込まれ、かんな屑が散乱し、ああー、ハイジのおじいさんの山小屋のアトリエと同じにおいがする、と感動は大きく広がっていった。


さて宿泊施設は清潔でとても安心できる施設であった。
各ベッドには蚊帳が付き、各部屋にシャワー(水しか出ないが)も付いていて、手入れの行き届いた宿泊室だと感じた。


宿泊棟 中庭を囲って廻廊のように部屋が並ぶ

わたしたちが泊まった5号室

夜7時からの皆で取る夕食も和やかに美味しくいただいた。
夜は、現在、代替使用中の重油発電機が9時半に止まり、電気が消える。
ろうそくを灯して静かな夜を居心地よく迎える。
夜中、雷の音で目が覚める。外から激しい雨音が聞こえてくる。
ああそうだった、今は雨季だったのだ。
雨季を忘れるくらいに、良い天気に恵まれた旅の一日目だった。



草原の丘で迎える朝は、遠くの山に靄がかかり、空気もおいしく、ひんやりして気持ちの良い朝だった。

教会の廊下から 朝もやがかかる山々


ちょうど日曜日だったので、7時からのお御堂でのミサに参加する。
神父さまの説教は、現地の言語であるキコンゴ語で行われる。
タムタムと、団子三兄弟風マラカスと、違うタイプのマラカスで、手を使って楽しげに歌う聖歌は本当にいいなあ。


ウィリー神父さまのキコンゴ語でのミサ 右側にタムタムなど打楽器を持った参列者が並ぶ



ミサが終わって朝8時半頃、ホームメードのパンと地元で採れたというコーヒーと果物の載ったテーブルで皆が揃って朝食をいただく。

食堂の奥のコーナー オレンジ色の机の上には降誕人形が置かれていた

テーブルの上に、樹木モリンガの葉を粉末にしたような緑の粉が載っているのを発見して、神父さまに尋ねると、やっぱりモリンガの葉を粉末にしたものとのこと。

ここで作っているとのことで、神父さまは一瓶持って帰りなさい、とプレゼントしてくれた!

キンシャサのリメテ地区にS.V.D.教会の施設があるから、欲しいときはそこに伝えておくと、キンシャサに来たときに持ってきてあげる、とも約束してくれたのだった。

さあ、出発の時間だ。
居心地の良い滞在だった。
そして、良い出会いを持てたことに感謝だ。
ありがとう、皆さん!

1月5日、朝9時半に修道院を出発する。



草原の小道を車で進み、国道1号線に出ると、道路を渡った正面にS.V.D.が運営する学校の校庭、校舎が広がっているのが見えた。

校庭には、ドイツらしい遊具が見える。日曜日だけれど、子どもたちが遊具で遊んでいる。

S.V.D.運営の学校 校庭と遊具
校舎壁面に書かれたメッセージ ”Le choix de Chosir, C'est la d'Etudier”
選び取ること、それは学習の喜びだ、という意味かな?
広い校庭に点在するS.V.D.の学校 

さて、旅二日目も、夜半の雨のお陰で晴天に恵まれて出発できた。
MASI MANIMBAからキクイット方面に6kmほど行ったところに、駝鳥の飼育公園が新設されたと聞き、そこまで足を伸ばしてみることにする。

1号線を進むと程なくLUIE川にぶつかり、橋を渡る。
そして、やっぱり村落に出る。
KIWAWA村だ。
ずいぶん前に、とうもろこし、落花生、パーム油、コーヒーなど農産物の集積地として、ポルトガルが開いた村らしい。
どうりで。今まで見てきた1号線沿いの町や村の様相とちょっと異なるものを感じる。
しっかりした村落の形成ぶりを感じる。


そして、駝鳥パーク、”KUZABA AUTRUCHE”へ到着。

駝鳥パーク入り口案内板

なんだ。ここの15羽の駝鳥さんは南アフリカ共和国から連れてこられたんだ。



杭で囲われた駝鳥パークの前で
駝鳥のアップ! あら、美人さん!
新設されたばかり、駝鳥が飼われるところのぐるりを杭で囲っているだけの公園だったが、なんでも30haを確保し、バンドゥンドゥ州からの許可をもらっているらしい。
近い将来、キリンを連れてきて、さらに、絶滅危惧種になっているオカピ(!!)も飼育して、動物パークにしようとしているらしい。
係りのお兄さんから、駝鳥の毛を数本、お土産にもらう。


ここで、国道1号線東進の旅は終わり。
さあ、キンシャサの戻る時間だ。
マキーラ氏の故郷、MASAMUNAで、パイナップルを買い、幾つ目かの町、KENGEで給油。
そしてまた幾つ目かの町、KWANGOで休憩し、一路、アフリカの大都会、キンシャサへ帰りついたのは、夕方5時を回っていた。



12月30日に突然起こったキンシャサのクーデター未遂事件。
結局、首謀グループに相当な犠牲者を出し、政府軍犠牲者合わせて、100名を越えていたということだ。
そんな直後の旅で、少し緊張しての出発だったが、草原の中を進み、コンゴ河の支流の上に架かる橋をいくつも(数えた限り11箇所の橋だった。)渡り、それと同じだけの村や町を通過し、マキーラ氏の故郷の人々の歓待を受け、修道院での素晴らしい出会いを体験し、また一つ、コンゴでのかけがえのない思い出を作ることができた。

国道1号線全長3299kmのうち、BOMA ~KINSHASA~ MASAMUNA(駝鳥パーク)の880kmを走ったことになるが、その距離はたかだか1号線の30%にも満たない。
KIKWITの50km先からは未舗装部分が続くと聞くが、いつの日か、LUBUMBASHI 、終点のSAKANIAまで、国道1号線が整備され、そしてさらに、コンゴ民主共和国の各都市が幹線道路で結ばれる日が来ることを願う。

こういう旅の機会を作ってくれたマキーラ氏と夫に感謝!
そして、安全運転で走行してくれた運転手のランドにも感謝!

2 件のコメント:

  1. こんにちは!!
    いつもながら素晴らしい旅をありがとうございます。
    勝手に想像して涙して嬉しくなってほかほかな気分になりました。
    幹線道路が出来てみんなが安全に通行出来るといいなぁ~て思いました。

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  2. チカさん、いつも温かなコメントをありがとうございます。
    やっぱり、人との出会いっていいな、と思います。
    コンゴの国が政治的に落ち着いて、国全体が平和になって、本来は豊かであるはずのこの国の人々に穏やかな日々を持ってもらいたい、と思うのでした。

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