2014年1月15日水曜日

キンシャサの日本語講座の学生たち

キンシャサの国立教員大学ISPで、慶応大学が日本語講座プロジェクトを開いて2年以上経つだろうか。

わたしたち夫婦が、教鞭をとる慶応大学の学生たちに出会ったのが、ちょうど2年前のことだった。

そして、春と夏には多くの学生たちが休暇を利用してキンシャサにやってきた。
日本語講座と、もうひとつ、キンシャサ郊外に現地の児童のための小学校運営プロジェクトに参加するためだ。

キンシャサの国立教員大学には、長期滞在で日本語を教えに来ている慶応大学の学生たちもいた。
そして、この2年ちょっとの日本語プロジェクトで、コンゴの若者たちも着実に日本語を身につけ、教える側に着く優秀な若者も出てきた。
日本語が身につくと、立ち居振る舞いも日本人っぽくなるのだなあ、と思うほど、日本人らしい、いやもしかすると日本人以上に律儀なコンゴの若者たちだ。


長期滞在でこの日本語プロジェクトに携わってきた日本の1人の学生が、2日前にキンシャサを後にした。かれの本来の学業にもどるためだ。
その学生の送別会を先週土曜日の夜、我が家で開いた。
かれと、そして日本語プロジェクトをコンゴ人として支えていくことになる3人のコンゴの若者たちと、わたしたち夫婦の友人も交えての夕食会だった。

治安も不安定で自由に街中を歩けない状況にあり、衛生状況も電気水道設備も良くないところで、マラリアという病気もある。
日本食を毎日食べられる状況からはほど遠く、食糧調達事情も難しいといった中で、かれらは毎日、真摯に日本語講座で教鞭をとり、自炊をして、手洗いで洗濯をしていた。

本当に見上げた若者たちだった。

そして、最後の長期滞在の学生が本国に戻っていったのだった。

日本の学生からプレゼントと、心のこもった手紙をいただいた!(うるうる)



送別会をやった同じ日の朝、リコーダー教室にスカイプで参加したとき、わたしはマユミ先生からとっても感動的な話を聴いていた。

マユミさんたち友人が昨年3月にキンシャサに来たときのこと。
キンシャサの日本語プロジェクトに携わる日本とコンゴの若者を我が家に招待して夕食会を開いた。そこで、小学校で音楽教師を勤めるマユミさんは、コンゴの若者からコンゴ独立の歌、 ”Independance Cha Cha”を教えてもらった。
その歌を聴いて、わたしたちはすぐ覚えて何度も歌って、大好きになった。
独立を果たして喜びに沸き立つ、とっても明るい、軽快なテンポの曲だった。
日本に帰って、マユミさんは、その歌を、かのじょが勤務する小学校の新一年生の歓迎ソングに作り変えよう、と取り組んだ。
そして、出来上がった”ようこそ、わたしたちの小学校へ”の歌で新一年生を迎え、かのじょの小学校でも多くの児童に親しまれたということだった。

そして、昨年末に、かのじょの勤務するカトリックの小学校に、日本で活躍するコンゴ出身の神父様が来校したのだそうだ。
コンゴ出身の神父様ということで、コンゴ独立の歌で新一年生歓迎ソングを作り皆で一年を歓迎したときの様子を録画したDVDを神父様に見せたのだと聞く。
神父様は、その様子を見て、歌を聴いて、涙を流して喜んだ、と言うことを、11日のリコーダー・スカイプ教室でマユミさんが話してくれた。

遠く本国から離れた日本の小学校で、母国で誰もが愛して歌い継がれる独立の歌が編曲され歓迎ソングとして生まれ変わって歌われている!
コンゴ出身の神父様の感激が伝わってくるような話だった。


同じ日の夜に開かれた我が家での夕食会で、マユミさんからのその報告を日本とコンゴの学生たちに披露した。
かれら若者こそが、マユミさんにコンゴ独立の歌を歌って踊って聞かせてくれたのだったのだから。
かれらのどの顔もが喜びに輝いていた。
ほんの小さな一点かもしれないけど、遠くはなれた地球の2つの点が繋がったぞ、架け橋になったんだ!、という喜びだったと思う。

そんなこんなの繋がりの喜びをあちこちに撒いて、交わりは続いていくのだろう。

また、この春には慶応の学生たち、先生たちがキンシャサにやってくると聞いている。
それまで、コンゴの日本語教師たち、がんばれー!!

そして、わたしたちは、このプロジェクトを通過していった若者たちの輝く未来を応援し続けています!!

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