2013年8月20日火曜日

マタディ、ボマまで! 国道1号線の旅

コンゴ民主共和国地図

今日は、マタディ、ボマまでの旅のことを少々。
国道1号線をキンシャサから西に走った車での旅だった。

上に示したコンゴ民主共和国の地図には、コンゴ河の本流と国内の主要な都市だけが載っている。

まず見てわかるのは、コンゴ河本流はコンゴ民主共和国の国内で完結しているということだ。
支流を見ると幾分かは周辺国に延びているところも見られるが、おおよそのコンゴ河が国内を流れているということは、水利権が他国にまたがらないということで、ダムを建設するのに他国間トラブルが発生せずに済むという話を聞いた。
世界第2位の流域面積と水量をほこるコンゴ河の活用領域は多岐に渡りそうだ。

ただ、コンゴ河には多くの滝(段差のある急な流れ)が存在する。
キンシャサKinshasa~マタディMatadi間、そしてキサンガニKisanganiより上流に滝(段差のある急な流れ)が存在するらしい。
だから、大型貨物船は大西洋から入ってバナナBanana,ボマBoma,マタディMatadiまでしか上って来れない。キンシャサまでは海運は不可能だ。
また、キサンガニKisanganiより上流には多くの滝が横たわるからコンゴ(民)第2の都市ルブンバシLubumbashi近くまで水運を利用できそうに思えるが、それも不可能だ。

水運利用で航行可能な区間は、キンシャサ~キサンガニ間だということだ。(現在、定期航路な存在しない。)


では、陸路に目を移すと・・。
国道1号線は、コンゴ河口のバナナBanan~ボマBoma~マタディMatadi~キンシャサKinshasa~キクイットKikwit~チカパTshikapa~ルブンバシLubumbashiを指すらしいが、バナナ~ボマ~マタディ(マタディ橋)~キンシャサ~キクイットと舗装されていて現在キクイットから7,80km地点まで舗装道路が通っているそうだ。そこからチカパまでは道路は未整備の状態だと聞く。そしてチカパからルブンバシ間はまた未舗装ではあるらしいが道路が続いているのだそうだ。
キクイット~チカパ間を流れるコンゴ河支流に中国が建設した橋が架かったので,一応は国道1号線は繋がったようだが、バナナからルブンバシまで舗装道路が整備されるのはまだまだ時間がかかりそうだ。


さて、わたしは今月9日、10日の1泊2日の旅程で国道1号線を辿り、キンシャサ~マタディ~ボマまで訪ねたのだった。

上の地図で見ると、キンシャサからコンゴ河に沿って河口近くまで進む旅だったんだ、と思われるかもしれない。ところが、道路はコンゴ河に寄り添うようにはできていなかった!


キンシャサ~マタディ間は350kmの舗装道路でつながっている。
その国道1号線は河より南側を弓の弧を描くように道路は走っていた。
キンシャサ~バンザングングMbanza-Ngungu~キンペセKimpese~マタディと通過していく。

バンザングングは我が家の家政婦の故郷なのだそうだ。かのじょの話によると、大きな丘がありその下に洞窟が入りくねっていて村人たちの休憩場所となっているのだそうだ。そして乾季のころはとても寒くてみぞれや雪が降るのだというのだが・・(ホントかな)。

そして、キンペセより手前(キンシャサ寄り)、ルクラの町に大きなセメント工場があった。
街じゅうにセメントの細かい粉が舞い散っているような印象の町だった。
夫が懐かしそうに言った。
20年前、中央アフリカ共和国で舗装道路工事に携わっていたとき、このルクラからセメントが来ていたというのだ。当時、コンゴは混乱が続いて入国できない状態だったので、ルクラから陸路(どういうルートだかは不明だが)でコンゴ共和国の首都ブラザビルまでセメントを運び、そこからコンゴ河の水運を利用し、支流のウバンギ川に入って中央アフリカ共和国の首都、バンギまで運ばれて来ていたというのだ。工事の最後のほうはルクラからのセメントを断念し、カメルーンからのセメントに変わったらしいが、陸路でカメルーンから運搬するより、水運でのほうが安くセメントを入手できた、と言うのだった。


キンペセ付近の竹のトンネル!道路がきれい!

キンペセを過ぎたあたりからかなり立派な舗装道路になったが、勾配が続いたりカーブも幾箇所か見られ、マタディで陸揚げされてキンシャサを往復する大型コンテナトラックが横転している光景にも出くわした。




マタディMatadiは、コンゴ民主共和国西部にあり、バコンゴ州の州都だ。
アンゴラとの国境近くに広がる。
また地形面から見ると、岩盤の上に成り立ち、上下の起伏の激しい河港都市だ。
市街中心部の坂道には植民地時代のがっしりした建造物が残り、キンシャサとは違った、独特の雰囲気を持つエキゾチックな街だ。

マタディ橋を背に、橋からすぐの市街地風景

大型貨物船は大西洋からコンゴ河に入り、バナナ~ボマ~マタディのここまでしか進めないのだそうだ。マタディから上流に滝(段差のある急な流れ)が横たわるために、キンシャサまでの貨物船での運搬は不可能だというのだ。(マタディ港はコンゴ河の河口から約150km上流に位置する。)

それで、マタディ港で陸揚げされた貨物は、1908年に敷設されたマタディ~キンシャサ間の鉄道でキンシャサまで運ばれる(逆のルートも)と聞いた。しかし、実際、現在も鉄道がしっかり運行されているのか甚だ疑わしい。
今回もマタディ~キンシャサ間の国道1号線で実に多くのコンテナトラックが往来するのを見た。


マタディ橋からマタディの港町を望む

”マタディ”、とは現地の言葉、キコンゴ語で”石”を意味するのだそうだ。マタディの町を車で走っていて、岩盤を削って道路を建設していったことが見て取れた。
そんな地形のコンゴ河両岸に、ちょうど30年前、日本の援助で日本の技術者たちによって橋長700mのつり橋が建設され、コンゴ河を横切る形で国道1号線がつながったのだった。


コンゴ河をまたいで国道1号線を繋ぐマタディ橋

ボマ側のマタディ橋麓に日本国援助の印、日本国旗がペイントされていた


マタディ橋は、川幅のいちばん狭いところを選んで建設されたと聞くが、それでも橋長700m、中央支間520m。
しかも当初の計画で橋は重い貨物列車が通る鉄道橋として建設され、マタディ橋には鉄道敷設スペースがあるのだそうだ。また、河の水深が100mに及ぶところもあり、流速も速いのだと言う。
さらに、マタディ港に入出港する大型船舶通過のため、桁下高さ50mを確保する必要もあったそうだ。

橋完成以前は、両岸は渡し舟でのみ結ばれ、渡し場はトラックが列をなして渋滞し、夜間は危険が大きく運航されていなかったと聞く。
超満員の渡し舟からの転落事故もあったりで、コンゴの人々はマタディ橋完成を待ち望んだことだろう。

その割りには、わたしのフランス語のコンゴ人教師も我が家の家政婦も、”マタディ橋”と呼ばずに”le pont Marechal”(元帥橋)と呼んでいると言うのだ。
モブツ大統領の時代に完成した橋であり、この橋を ”元帥橋”と名付けたのはモブツ自身だったと言うのだ。
家政婦はマタディの町で育ったから、日本が建設したのは知っていたが、キンシャサ出身のフランス語教師に至っては、この”元帥橋”は中国の援助で建設されたと思い込んでいた。
確かにマタディの町に入る前に中国建設の普通の橋が建設されているので、混同したのかもしれない。

マタディ橋建設当初に存在し頓挫したままのバナナ-マタディ鉄道建設計画が将来いつか実現し、橋に確保されたままの鉄道敷設スペースが活かされるときが来るのだろうか。


さて、マタディを通過してボマに向かう道路は急に舗装状態が悪くなった。
舗装が剥がれて、凹凸だらけになっている。、完全に剥がれて土道になってしまっている箇所もあった。
さらに。もしコンゴ河に沿って道路が続いていたらものの数十kmでボマに到着するだろうに、マタディから急に道路は北上し、ボマまで大きく迂回して走っていた。
コの字を伏せたような形でボマまで約130kmの道のりが続いていた。

夫は、迂回する形状で道路建設をしたには理由があるはずだ。実際、その大きく迂回して走る道路は大きな起伏も大きなカーブも存在しなかった。なだらかな地形を選んで作られた道路なのかもしれない、と言うのだった。


マタディ~ボマ間で見かけた売店 完全土道になっている

マタディ~ボマ間で通過した小さな町 バナナがたくさん!


ボマBomaは、マタディからさらにコンゴ河の河口に数十km下ったところに位置する河港都市。
キンシャサから南西に約300kmのところにある。

ボマ港は、コンゴ河の北岸に広がり、河口から約80kmちょっとさかのぼった地点にある。
この街は16世紀にポルトガルによって作られ、17,18世紀にかけてヨーロッパ諸国の商人による奴隷売買の中心地だったようだ。
1886年に、ベルギーのレオポルト2世私有のコンゴ自由国の首都となり、1929年までベルギー領コンゴの首都だったという。(その後、首都は、現在のキンシャサであるレオポルドヴィルに移転した。)(Wikipediaより)

わたしは、このボマの街をぜひ訪れたいと願い続けていた。
それは、Wikipediaで、コンゴで初めて建設された教会はボマにあり、現在、そこに立派なノートルダム大聖堂が建っていることを知ったからだった。
コンゴ民主共和国でいちばん古い教会は,ベルギーのシャルルロアCharleroiの金属鍛錬工場で1886年9月2日に作られ、1888年9月26日にアフリカ号と呼ばれる舟に積み込まれ、1889年9月21日にボマに到着したと記されている。その教会は長さ25m、幅12m、高さ15メートルだったとあり、こんなかわいい教会の絵が載っていた。(Wikipediaより)



1889年コンゴ初の教会の古い絵;Wikipediaより

そして、わたしたちが泊まったホテルの近くの小高い丘の上に、この最古の教会と、現在のステンドグラスの美しいノートルダム大聖堂が堂々と港に向かって建っていたのだった。


ボマの小高い丘に立つコンゴ最古の教会
ボマのノートルダム大聖堂

同じ丘の上に建つ、ボマの新旧ノートルダム教会


教会を訪れたのは10日、土曜日の朝8時頃。
小中学生くらいのたくさんの子どもたちがほうきを手に教会の敷地内の清掃活動をしていた。
皆の一生懸命な清掃姿に、この教会が皆に大切にされ愛されていることが分かり、わたしもうれしい気持ちでいっぱいになる。
古い教会は中に入ると本当に小さい。中は仕切りも何もない空っぽのスペースだった。
完全にこの教会の役目は終わったのだ。
それでも、本当にきれいに保存されていた。

大聖堂のほうは本当に威風堂々としていて、中に入ると厳かな雰囲気に包まれ正面に祭壇が見える。左右両側にはステンドグラスがずらりとはめ込まれ、とても美しい。
教会は海の安全を見守るかのように、ボマ港に向いて建っていた。


わたしたちが泊まったボマのホテルはボマ港を囲んだ壁のすぐそばだった。

熱い湯でシャワーも浴びられたし、合格点のホテル
ボマ港前のガソリンスタンド風景 壁の向こうが港区域

ボマの街はマタディほど起伏に富んでいなくて、港を見下ろすこともなかったせいか、ボマ港を一望する機会がなかった。
そのせいか、ボマ港の印象が薄いのだが、ボマ港もまたマタディに次ぐ重要輸出入港だそうだ。
今年、コンゴ(民)政府がドイツに発注したバス200台が陸揚げされた港がボマだった。
車両の陸揚げに関してはボマ港なのかもしれない。

ボマの街も本当に古い歴史的な建物が多く残っていた。
キンシャサともマタディとも違う雰囲気が漂う街だった。


帰路、ボマからマタディに戻る途中で北に道を逸れて、コンゴ(民)最大のダム、インガIngaに立ち寄った。
ダム見学の許可をもらうまで時間がかかったが、ダム案内の前に見学者のためのレクチャー室のようなところに通されてきちんとした講義を受けることができた。
”流れ込み式”という様式のインガダムの規模の大きさには度肝を抜かれた。

流域面積世界第2位のコンゴ河に建設されたインガダム(流れ込み式)

コンゴ国内には他にもいくつかのダムがあるようだが、インガはコンゴ全体の電力供給をしているダムだと言えるかもしれない。周辺国にも電力を売っているのだそうだ。
インガダムについては、またいつか書こうと思う。


マタディの街は、宮崎駿監督の映画、”魔女の宅急便”の街のイメージ。
ボマの街は、”千と千尋の神隠し”のイメージ。
途中にあった、ルクラのセメント工場の街は、”天空の白ラピュタ”に出てくる鉱山跡地のイメージ。
コンゴ民主共和国は広いなあ。
そんなことを思いながら、キンシャサに戻っていったのだった。

3 件のコメント:

  1. 素晴らしいです!!
    このブログを観て力を沢山貰えます。
    また、アフリカに行って観たいと思います。
    ジブリの世界が続くアフリカを世に広め混乱を終わらせて...
    観光客を主に生活が成り立つ位の場所になると思います。
    ツアーコンダクター寛さん!!
    これからも、宜しくお願いします。

    返信削除
  2. チカさん、コメントをありがとうございます。わたしこそ力強い励ましをいただきました!
    またぜひ、キンシャサへいらしてください。
    マタディは、地質の専門家であるチカさんにはとてもおもしろい場所だと思います。
    キンシャサにいるうちに、ぜったいにルブンバシを訪れたいです。

    返信削除
  3. hiro様

    突然のコメント失礼します。
    私は、東京の某テレビ制作会社につとめているスタッフです。
    実はこのたび、番組内で掲載する予定のインガダムの写真を探しており、こちらのブログを拝見して是非使用させていただけないかと思いコメントいたしました。

    細かい内容などはこちらのページではお伝えすることが難しいので、もし可能であれば下記のアドレスまでご一報頂けませんでしょうか?
    突然の依頼で大変申し訳ありません。
    何とぞご検討お願いいたします。

    akira.osawa.0826@gmail.com

    返信削除