2013年8月6日火曜日

ちぐはぐなコンゴ民主共和国

今日新着のメイルの中のアマゾン案内メイルの中に、米川正子著 ”世界最悪の紛争 「コンゴ」”(創成社新書)という本を見つけた。著者は国連難民高等弁務官職員として人道支援に携わった経験を持つ方なのだそうだ。
ぜひ読んでみたい本だ。

この本のサブタイトルに、「平和以外に何でもある国」という一文を見つけた。


今日午後からのコンゴ人教師のフランス語レッスンの後のことだ。
わたしの授業で今日は仕事終了なのだと言って、さっそく遅い昼食のため(?)にパンとジュースを取り出した。
美味しいパンなのよー、と言ってわたしにも半分分けてくれたパンが本当に美味しい。
新装開店したキタンボ市場のビクトワールカフェで買ってきたのよ。
ふかふかの食パンに熟れたアボカドを挟んだだけのシンプルなパン。
塩味も何も添加されてない、”素”のアボカドだけのパン。
こんなに美味しいとは!
そのパンをかじりながら、かのじょが口火を切った。

「母が昨日、ゴマに向けて出発したのよ。」

「え! ゴマって紛争地帯で危険地域でしょ!」

「それは、ゴマの郡部のことよ。ゴマの中心部は平和でなんでもあるわよ。」

「高級婦人布地のVLISCOのショップもゴマにあると聞いたけど。」

「そうよ、何でもあるのよ。ゴマの市民はお金持ちが多いからね。」

「でも、同じゴマの一部で戦争が何年も続いているのに、かたや中心部は平和で物資豊富でぜいたく品まで揃っているなんて信じられない。」

「わたし達の国は、石油も他の天然資源もダイヤモンドも豊富で、だから周辺諸国も欧米諸国もわたし達を放っておかないのよ。どんどん介入して。ルワンダはもう仏語圏ではなく英語圏になったしね。戦争はこれからも続くわよ。」


どこかよその国での戦争だとでも思っているような言い方だ。

キンシャサだってうわべは平和な都市に見える。
政府運営の路線バスが走り始めた。
わたしには平和の象徴のように思えるきれいなバスだ。
でも、同じ6月30日通りで停車中の車に擦り寄って物乞いをするストリートチルドレンも存在する。

キンシャサのVLISCO; 高級婦人布地ブティック

そして、驚くことに先月26日から28日まで3日間、”Kinshasa Fashion Week”なるものが開催された。
2,3ヶ月も前のことだろうか、キンシャサ市内の大きな道路脇のあちらこちらに、”Kinshasa Fashion Week”の大型の宣伝看板が掲げられた。
奇抜なスタイルのアフリカ女性のカラフルなおしゃれな看板だから、人目を引いた。
こんな世界最貧国にファッションショーか。
これも平和の象徴ってことで、市民が楽しめる娯楽企画ならいいかも。
そんな思いでキンシャサの町に不釣り合いなファッショナブルな看板を見ていた。

それにしても、”Kinshasa Fashion Week”についての詳細情報は全く漏れ伝わってこなかった。
IWC(国際女性クラブ)やアメリカ、イギリス各大使館からのニュースメイルにも入ってこなかった。
そして当日聞いた驚愕の事実。
ファッションウィークの入場料1日券がなんと1人150米ドル。
2日券だと300米ドル。3日通し券を購入すると300米ドルが割り引かれて150米ドルだというのだ。
なんとばかげたことか。
この国の人々の月額生活費より高い1日入場料なのだ。
狐の化かし合いみたいな浮世離れした企画に愕然とした。

あるサイトからこの”Kinshasa Fashion Week”の映像を見ることができた。
コンゴ人のスタイリストが主催したコンゴ初のファッションショーは庶民レベルでは到底手の届かない異次元の空間できらびやかに開催されたようだ。
そんなばかげた入場料を払って来場するコンゴ人が多く存在したということに、この国のちぐはぐさを強く感じてしまった出来事だった。


そして8月。

キンシャサの墓地;ギターを模った墓碑に花輪が置かれている

8月1日は”両親の日”(la fete des parents)でコンゴ(民)の祝日だった。
午前中は亡くなった両親たち、つまり先祖を思うということでお墓参りをするのだと聞く。
実際、キンシャサ・ゴルフクラブ傍の墓地は多くのコンゴ人家族で賑わっていた。
墓地近くの路上では花売りの人も出て、まるで日本の春分,秋分の日、お盆のような人出だった。
混雑する墓地風景に平和感が漂っていた。
そして午後からは両親を大切にする時間として、家族で過ごす風習なのだそうだ。
(この国ではどこまで核家族化が進んでいるかは分からない。不思議に感じるのは、キンシャサの夫婦は結構な晩婚だということだ。)


キンシャサのゴンベ地区という外国人が多く住む地域に住んでいるわたしたちには、本当のコンゴ人たちの日常生活は見えてこないのかもしれない。
シテ地区という庶民が住む地域にわたしたち外国人が入り込むことはできない。
コンゴの富裕層や外国人が出入りするスーパーストアと、庶民居住地域の小さな雑貨屋とでは品揃えも価格も違うのだという。(付け加えると、石鹸にしてもトイレットペーパーにしても、プラスティック製品にしても、いろいろな国産品を見つける。)

外国人が住むアパートの家賃はべらぼうに高い。
およそキンシャサに住んでいることを忘れてしまうような超高級アパートの家賃を聞いて、我が家のアパートの家賃より”0”が一つ多い(ちょっと言い過ぎ、かな)のに驚嘆したことを思い出す。
”Utex”という布地工場の跡地に建つ、これまた、そのまま東京に持っていっても見劣りしないようなオシャレな低層アパートの家賃の高さにもびっくりした。そのうえ、ユーロでの支払いなのだそうだ。
(外国人が住むノーマルな2LDKから3LDKのアパートの家賃として、三十万円から百万円近くか。)
ヨーロッパで活躍したコンゴ(民)出身の有名なサッカー選手が、引退後に祖国で安定した高収入を得て暮らすために外国人向け高級アパートを建築したとも聞く。

何もかもが驚愕の二重経済構造のこの国。
超富裕層と一般庶民との差には愕然とする。
というか、超富裕層か貧困層に見事に分かれて、中間層が存在しないように感じる。
そして、キンシャサにいると、東部で続く戦争が異次空間での出来事のように思えてならない。

冒頭に紹介した本のサブタイトル、「平和以外に何でもある国」、言い得ているなあと苦笑してしまう。
本当にちぐはぐな不思議な国だ。

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