2013年7月16日火曜日

アルプスをたずねて・・・St Jean de Maurienne の街で


サン・ジャン・ド・モリエンヌ大聖堂



大聖堂の中

娘の夫の故郷 St Jean de Mauriene の大聖堂で宗教上の結婚式を挙げ、故郷の家族、知人にお披露目のパーティーを開きたい。

むすめたち二人の希望で、南仏アンティーブ市役所での入籍式から2年近く経った7月6日にかれの故郷の教会での結婚式とパーティーを設定し、二人と娘婿の両親とでその日に向けて綿密に準備が進められた。

わたしと夫はキンシャサにいて心苦しくも何もできないまま、出発の日を迎えた。
わが子のように(多分片思いで)思うヨウムのぽんを、わたしたちの旅行中、運転手のところに預けることになり、涙の別れを済まし、7月3日の夜のトルコエアー便でキンシャサを出発した。

早朝、イスタンブールに到着。午後の便に乗り継いでパリへ。
パリのリヨン駅近くのホテルに一泊して、翌朝、リヨン駅からTGVに乗車した。
途中でTerに乗り継いで、東京から来た息子と合流し、7月5日14時、サン・ジャン・ド・モリエンヌ駅に到着した。
ひんやりとした、空気の澄んだ、アルプスの山々に囲まれた美しい街だった。

前日にすでに東京から来ていたわたしの父と妹たちとホテルで会ったときには、感慨深いものがあった。
北九州の八幡で独り暮らしをする今年9月で90歳を迎える父がひとりで上京し、東京の妹宅で数日を過ごしたあと、妹たちと共に飛行機と汽車を乗り継いで、孫娘と曾孫娘と孫娘の婿、そして、かれの家族に会いたい一心でたどり着いたアルプスの街だった。


挙式当日は、朝から爽やかに晴れ渡っていた。
聖堂での式のために、娘は祖父(わたしの父)に作ってもらったシックな花柄の着物を選び、ひとりで着付けをすると言う。
娘が着付けをする間、孫の子守に来てほしいと前々から言われていた。
1歳1ヶ月になる孫娘はまだ歩けないが、あちこち這い回り伝い歩きをし、目が離せない。
日本の童謡をたっぷり歌って聞かせるチャンス!、とばかり、おばばは孫にへばりくっついて遊んだ。


サン・ジャン・ド・モリエンヌの街の中心に建つ、ステンドグラスの美しい大聖堂に双方の家族、知人が集まり、午後3時から結婚式が始まった。

厳かな聖堂の雰囲気の中、粛々とミサが始まる。
厳かな中で、ユーモアのある神父様が時々笑いを誘う。
神父様のよく響く声量でミサが行われ、そしてご自身で歌う聖歌とともに、式は進められた。
ふたりの結婚式の立会い保証人として、娘が高校生のときに交換留学生として滞在した北フランスのリセの友人、そしてわたしの息子の二人が、聖句だか結婚誓約保証文?だかを朗読する。
小さいときに仏語圏アフリカに暮らした経験からか、中高とフランス語を学んだ経験からか、滑らかに朗読するのを聴いてほっとする。

その間も、わたしと娘の義父とで孫娘の子守役は続く。
義母と我が夫は新郎新婦の介添え役なのだ。

厳粛な、それでいてホットな式の雰囲気の中で娘は静かに泣いていた。

式が無事終わったことを告げ、ふたりを祝福する鐘楼の鐘が幾重にも幾重にも温かく鳴り渡っていくのを聴いたとき、全身が身震いするくらい大きな感動が広がった。



ふたりの結婚披露宴は、大聖堂から車で70kmほど行ったブドウ畑の中の古城に準備されていた。
夜9時過ぎまで明るい爽やかな季節の中、夕方の庭で披露宴はゆっくりアペリティフから始まる。
娘の留学時のホストファミリーの両親の二夫婦と再会する。
なつかしい。
かれらの家族から娘のフランス滞在は始まったのだ。
わざわざ、娘の結婚式出席のために北フランスから駆けつけてくれたことに感謝する。

アペリティフだけの招待客、ディナーまでの招待客、というふうに招待状を出しているのだそうだ。
ディナーは夜9時過ぎから古城のなかの広間に入って行われる。


古城広間でのディナー~手作りカードが添えられて


アペリティフ、ディナーを通してたくさんのかたたちと出会う。
フランスでは、会場のテーブルフラワーの注文、料理のメニュー、シャンパンやワインの選定持込みから、カメラマンや司会者の手配までなにもかも個人で準備しなければならないと聞く。
すばらしい式から披露宴の移動のバス手配、そして披露宴の進行を目の当たりにし、娘たち夫婦、娘の夫の両親の苦労はいかばかりだったか、と感謝の気持ちで胸はいっぱいになる。

遠路はるばる来てくれた日本からの娘の友人にも感謝するばかりだった。

披露宴パーティーの各テーブルに置かれたフラワーアレンジメント


宴では、おしゃべりや楽しい趣向、歌やダンスが明け方まで続いた。
これが、フランスの慣習なのだ。
日本との違いにびっくり。

娘の夫の両親は、結婚式前夜の家族だけのアペリティフや、結婚披露宴の翌朝の古城ベランダでの招待宿泊客のためのブランチまで用意してくれていた。
ブドウ畑の中のベランダでのブランチのなんと心地よかったことだろう。


挙式前夜、私たち家族のために用意されたアペリティフのセッティング


式の翌日、娘の夫の87歳になる祖父が、自身の趣味で建てたアルプスの山の山荘に自身の運転で私たちを案内してくれた。
山の天気は変わりやすいと言うが途中で雨が降り出した。
雨が止んだら、向こうのイタリア方面に猫の頭のようなとがった山々が見えるよ。

ホントだ!!
雲がはらわれたあと、見事なアルプスの景色が広がった。

山荘の隣にはくん製のための木小屋まであり、庭にはプラムやりんごの果樹、リラの木が植えられていた。
地下の石造りのカーヴ(貯蔵庫)で冷やされたビールやミネラル水のおいしかったこと!

天井から梯子が下りて2階に上がるといくつものベッドが並んでいるんだ、子どもたちが小さかった頃は、休みに入るとこの山荘で過ごしたものだよ。

アルプスの少女ハイジの世界そのものだった。
アルプスの麓の街、サン・ジャン・ド・モリエンヌには、古くからのチーズと蜂蜜の店があり、ロベール祖父はそこでたくさんのお土産をわたしたちに持たせてくれた。
アニメの中でハイジのおじいさんが山で作った丸い大きなチーズを籠に背負って麓の街に売りに行っていたチーズ屋の店構えそっくりだった。


サン・ジャン・ド・モリエンヌ最後の夜は、街で評判だというビストロで四世代が集まって食卓を囲んだ。

またいつか、この街を訪れる時があるといいな。
そしてまた、皆で楽しく食事ができたらな。
皆が健康で幸せでありますように。

そんなことを思いながら、翌朝サン・ジャン・ド・モリエンヌ駅で、ミラノから来たTGVに乗り、一路パリへ向かったのだった。

サン・ジャン・ド・モリエンヌ駅からパリ・リヨン駅へ TGV

2 件のコメント:

  1. みなさんのあたたかいお心のこもったお式や披露宴、
    その前後のご滞在と、すばらしい時をすごされましたね。
    ほんとうにおめでとうございます。

    hiroさんのお父様もご出席なさったとのこと
    以前からお話を伺っていただけに
    とてもうれしく思いました。

    Yukiちゃんご家族、そしてみなさんが
    末永く健康でおしあわせにおすごしになりますように
    お祈りしております。

    そのときそのときの情景がアルプスの風景とともに目に浮かび
    じぃんと、わたしの心にも深く刻まれました。
    こちらまであたたかでしあわせな気持ちになりました。
    ありがとうございました。

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  2. someiyoshinoさん、うれしいコメント、そしてスカイプメッセージもありがとうございます。
    キンシャサに戻って雑用に追われていましたが、いつもむすめたちのことを心に留めてくださっている皆さまに娘の結婚式の報告ができたかなとほっとしたところです。地球にはいろんな街が存在するのですね。そして、いろんな街でそれぞれの人生を生きる人々がいるのですね。NHKのわたしが大好きな「世界街歩き」は、まだ続いているかな。
    わたしは、人との出会いがますます好きになりました。そして、そんな出会いを大切にしようと思うのでした。
    これからもよろしくね。

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