2013年7月31日水曜日

キンシャサに路線バス走る

 今年1月23日の現地の新聞に、「政府発注のバスが50台、キンシャサに到着」という見出しで始まる記事を見つけた。



2013年1月23日付 キンシャサの日刊紙 "Observateur"より


 記事によると、1月20日、コンゴ民主共和国政府が発注していた200台のバスのうちの第1次隊、50台がコンゴ河河口の港湾都市BOMAに到着し、運輸通信省によって受理された。
BOMAからは陸路で大キャラバンよろしく、50台のバスが列を成して警官たちにしっかりガードされ、21日にキンシャサに到着したのだそうだ。
キンシャサ到着をアピールするかのように、駐車灯を点滅させながらのバス大行進の光景が目に浮かぶ。

2700万米ドルの投資だというから、コンゴ政府の大英断にわたしは拍手喝采した。
3月末には残りの150台が届く予定だ、と記事に書かれている。
昨年、キンシャサで開催されたフランス語圏会議を前に、キンシャサ中のタクシー、タクシーバス、バスが3日間のストライキを起こし、キンシャサの通勤客の足が乱れ、大混乱を起こした。
これを機に、今まで政府運営の交通網を持たなかった政府は、ついに公共交通機関を整備することを決断したのだということだった。

コンゴの運送機関(Transports du Congo)ということから、この政府運営のバス会社は、”TRANSCO”と命名されたということが載っていた。
そして、この新バス会社の料金はどうなるのかということがキンシャサ市民の一大関心事だ、と記事は結ばれていた。


まず、わたしたちの目を引いたのが、キンシャサの中心を走る6月30日通り沿いに建てられたいくつもの屋根付き、ベンチ設置のバス停だった。


左側に旧バス停 右側に新バス停(まだ使用禁止のロープが張られている):6月30日通り


上の写真は6月4日に撮影したものだ。
このバス停は夜には照明が灯る。

そして間もなく、”TRANSCO”と書かれた、レインボー模様の白い車体のバスが登場した。


バス停を発車するTRANSCOバス(右側のブルーの車は旧来のプライベートのタクシーバス):6月30日通り


 このバスは、日本で見かける路線バスと全く同じだ。
座席もつり革も、キンシャサ市民の目には画期的なものに映ったはずだ。
とっても快適な車内に見えるし、乗客もとても行儀良く乗っているようにも見える。
まだ満員状態の新バスを見かけたことはないが、立っている乗客は神妙な表情で(?)つり革に手をかけているのも見える。
そんな車内の様子を見るにつけ、一度乗ってみたいなと思うのだが、いかがなものか。
(わたしたち日本人は乗り合いバス乗車を禁止されているし、外国人が乗車しているのも見かけたことは皆無だ。)



持ち手の付いた座席と天井から下がるつり革 車内も整然としている


 このバスは、ドイツのメルセデス製だそうだ。
見るからにスマートなバスだ。

そして、料金は一律1乗車500コンゴフランだと聞く。これは、旧来のタクシーバスなどと同じ料金だ。しかも、TRANSCOバスのほうが運行区間がより長距離なので、乗り換えなしで行ける場所だったら返って運賃は安く上がるとも聞く。

バスの正面上部には、行き先が掲示されている。
これもこの国では画期的な改良点だ。

新バスの発着は6月30日通りの始点とも言える鉄道のキンシャサ中央駅かな、という印象を持つ。
夫が言う。
驚くことに、中央駅のバス停では、バスを待つのに列ができているよ、と。
この国の人は列を作って待つということができないのか、と何度あきれ返ったことだろう!
ところが、バスを待つのにかれらは列を作っている、と言うのだ。

中央駅からまっすぐ6月30日通りを走ってキタンボ市場まで。もっと先のキンシャサ郊外の交通拠点のイーペンまで。それから今日は、サッカースタジアム近くの大通りを走るTRANSCOバスも見た。さらに、キンシャサ中心部から空港方向に位置するリメテ地区を走るルムンバ通りにもTRANSCOバスは走っていた。
聞くところによると、バスの運行時間は朝5時だったか、そのくらいから日没後の19時までだそうだ。

すでに政府の計画台数の200台がキンシャサに到着済みだとも聞いた。
でも、キンシャサ中心部からンジリ空港までの路線バスはまだ運行されてないようだ。
我が家の運転手に訊くと、ポワルー産業道路が完成して、その先の道路も完成したら、キンシャサ~ンジリ空港間はTRANSCOバスで結ばれるはずだ、というのだった。

また少しずつ、,少しずつ、市民の日常生活が良い方向に向かっているように感じる新バスの走るキンシャサの街だ。
このバスが平和の象徴となり、キンシャサの人々の足となって、メンテナンスもしっかりなされ、末永く大切に運行されるようにと願うばかりだ。

2013年7月27日土曜日

七月~キンシャサでの日々

今日もキンシャサは厚い雲に覆われて、薄日すら差さない肌寒い一日が暮れようとしている。
(午後3時の気温は23℃だった。)


十日前、キンシャサのあちこちで白い粉を頭からかぶった若者を見かけた。
最初は、シラミ退治のために粉をかけられたのかと思っていたら、その日は、バカロレア試験のインターネット上での結果発表の日だったという。
良い結果を得た学生はお祝いの意味で白い粉を頭からかけられる。
そんな学生の家族たちも、やっぱり白い粉をかけて喜び合うのだという。

バカロレアとは。
辞書には、フランスの国家学位の一つで、中等普通教育の終了資格証明であると同時に大学入学資格証明でもある、と書かれている。
コンゴ民主共和国でも、バカロレア試験が実施される。
もちろんフランスとは別個のコンゴ(民)独自の試験内容だろうが、わたしのフランス語の先生(コンゴ人)が言うには、このバカロレア試験の結果をもって、コンゴ国内の大学はもちろん、家庭の経済事情が許せばベルギーやフランスなど外国の大学にも入学できるそうだ。

キンシャサの日本大使館では、今月上旬に日本への国費留学生選抜試験が実施されたと聞く。
選抜枠は3人だとも聞く。
今年はどんな学生が選ばれ、日本留学の切符を手に入れたのだろう。

学生、生徒たちは9月の新学期まで休暇に入っている。
(バカロレア試験を無事通過した学生たちの大学入学は10月だそうだ。)
子どもたちの学校の休暇中、外国人家庭の多くが自国に帰国しているから、キンシャサの外国人数は確実に減っていると感じる。

ゆっくり、何事もなく、キンシャサのどんより曇り空の日々は過ぎてゆく。


今日は、午前中に友人の車で買い物に出かけた。
アパートそばの路上で野菜を売るマダムがすかさず、「マダム。あなたが好きな野菜が入荷してるよ。」と声を掛けてきた。
帰りに寄るから、と出発して車に乗り込む。

そして、午後、アパートすぐ横に構える、野菜の”店棚”まで行った。

野菜売りのマダムと店棚
かのじょは、ビニルに小分けしてきっちり結んで古板で組み立てられた棚に陳列して売っている。


15束に小さく分けられたカイワレ大根タイプの野菜

わたしが時々かのじょから買う野菜は、長さ10cmちょっとくらいの、日本のカイワレ大根のように小さな葉の野菜だ。小さいけれど、茎に筋があって噛み辛い野菜だ。
熱湯で茹でておひたしにして食べるとすこし苦味があっておいしい。

上の写真は15束に小分けされて、全部で4000コンゴフランだ。
なんという名前の野菜か知らない。
コンゴの人たちがどのようにして食べるのかも知らない。
かのじょの店でしか見かけない野菜だ。

我がアパート前のコトー通りには、この野菜売りの屋台と奥に雑貨売りの屋台がある。

商品がきっちり整頓して並ぶ、トタン屋根付きの店棚

そして、ここより1ブロック手前の角にパン売りの屋台、そしてその前に携帯電話のユニテのカード(料金支払いシステムのカード)売りの屋台も並ぶ。


コトー通りの看板と屋台の2店 コトー通りの行き止まりが見える

こんな一見のどかな住宅地の小さな通りだけれど、やっぱり歩いて外出することは避けたほうがいいと言われている。
わたしが週一回通う刺繍の先生の自宅も同じコトー通りなのに、車での往復だ。
そして、もうひとり、トルコ人マダムの自宅もその隣だ。
素敵な庭と自宅を持ち、日本文化贔屓で、ティータイムでお客のときはかのじょの”生け花”で出迎えてくれる。そして、鉄瓶で日本茶を入れてくれる。

乾季の七月。
キンシャサ、コトー通り。
いつか、キンシャサを離れたとき、懐かしく思い出すコトー通りなのだろう。

2013年7月24日水曜日

コンゴの巨大パパイヤ


先週初め、我が家の家政婦が大きなパパイヤを抱えて出勤してきた。

長さ30センチ以上のまだあおい大きなパパイヤだった。

あと2、3日すると食べごろになります。
果肉は赤いんですよ。
ふつうのパパイヤより甘くないけど、とっても美味しいんですよ。
ふつうのパパイヤは甘ったるいけど、このパパイヤは程度の甘さで。
わたしはこのパパイヤのほうが好きです。

こんなことを言って、巨大パパイヤを推薦した。
そして、5ドルです、と言った。

彼女からバナナを買うとき、20本ほどで三千フランだから、巨大パパイヤ一個が5USD(約4700フラン)は割高なのか、妥当値なのか。
ともあれ、彼女の子どもたちの学費に回されるのであれば、それでもいいかと思う。

7月17日 まだあおい巨大パパイヤ


室内に放置していたら、3日で熟してきた。


7月20日 食べごろのパパイヤ


さあ、食べごろかも。。
彼女も、いい塩梅に熟してきたから今夜あたり食べると良い、とアドバイスしてきた。

カットしてみると・・・。



赤い果肉と黒い種
甘ったるくない、深みのある甘さの果肉

果皮を剥いて果肉だけにして、食べやすい大きさに切って皿に並べた。
サヴォワで買ってきたチーズも同じくらいのサイズに切って、テーブルに置く。

なんと、どちらも赤ワインに合う!
甘みは抑え目だが、決して熟してない甘さではない。
深みのある控えめな甘さだから、赤ワインとチーズと並べて味わうと美味しい。
翌日、家政婦に美味しかったよと伝えると、我が意を得たり!とばかり誇らしげな表情になった。

家政婦に頼まれていた巨大パパイヤの種を渡すと、また相好をくずす。
種をしっかり乾燥させて、庭のあちこちに蒔くのだそうだ。
発芽するかどうかが難しいようだが、いったん発芽すると、一年で成樹するという。
そしてほどなく実を結ぶのだそうだ。
「桃栗三年、柿八年」ということから考えると、なんと早い成樹だろう。

パパイヤは、バナナと同じく、コンゴでは一年中食べられる。
町のあちこちで、パパイヤの木の幹の上部に密生するあおい果実を見かける。
パパイヤはたんぱく質を分解する酵素を含んでいるらしく、食後に食べると心なしか胃腸がさっぱりする。
また、黒い種を乾燥させて粉にするのか分からないが、腹を壊したときの薬になるとも聞いたことがある。
確かに。
見た目は日本のラッパのマークの胃腸薬に似てるし。
(関係ないか。)

2013年7月23日火曜日

ベルギー新国王の祝賀ゴルフコンペ

 7月21日は、コンゴ民主共和国の旧宗主国であるベルギーの建国記念日だ。

昨日のその建国記念日に、国王アルベール2世(79)が退位し、長男のフィリップ皇太子(53)が即位。ベルギー新国王が誕生した。

それを祝って、同日、日曜日にキンシャサ・ゴルフクラブで祝賀ゴルフコンペが催された。


ゴルフコース途中の休憩所


即位式の7月21日の”21”の数字にこだわって、
① 参加費21USD
② 午前9時21分各ホール一斉スタート
③ 21ホール(18ホール+3ホール)のプレイ。

各コースのグリーンに立つポールの上にはベルギーの国旗が付けられ、参加者はベルギー国旗の赤、黄、黒の色をどこかに着用してプレイすること、と参加規定に記されていた。

まずは、赤、黄、黒の色をまとった72人の参加者が集合して最終ホールのところで記念撮影する。全体が国旗になったような色合いだ。
そういう遊び心がまた楽しい。
皆が本当にこの日の企画を楽しんでいた。

二人一組になって二組ずつが18のホールから9:21ぴったりに合図音とともに一斉にプレイを開始した。
わたしは10番ホールスタートのグループだった。

わたしは、キンシャサの日本大使館に勤務するベルギー国籍のゲルダさんと組むように指示されていた。
彼女は40代とは思えないカモシカのような脚、美しい体形、美貌の持ち主で、ドラコン賞をよく取るほど飛距離抜群のゴルフ上級者だから、クラブ側の発表を見たときは、緊張感が増した。
彼女に迷惑はかけられない。
当日のわたしたちの同伴者は、ベルギー人と韓国人のムッシュたちだ。
とにかく、キンシャサでこれから先どのくらいコンペに参加できるのだろう、ひとつひとつのコンペを大切に楽しもう、と心に決めてスタートに立った。


始まってみると和気あいあい、とても楽しくプレイができた。
ティーアップのときだけ、2人とも球を打つ。そして、どちらか良いほうの球を選んで、交互に打っていくという方式でのプレイだった。

当然、ほとんどのホールでゲルダさんの球が採用された。
かのじょの球の飛距離には目を見張った。
たまにわたしの球が採用されたが、それはわたしの球の飛距離が勝っていたからだけではない。
彼女はしっかり作戦を持っていた。
わたしの球を採用して2打目で彼女が抜群の飛距離を駆使してグリーンに載せられると算段したときは、彼女はわたしの球を採用した。(もし、かのじょの球を採用した場合、次の打者はわたしになる。そうすると、絶対に2打目でグリーンに載せることは不可能だ。)

わたしは、池があるだけで緊張して池に球を落としてしまうが、かのじょはそこのところもしっかりわたしをフォローしてくれた。
もし池に落としても、1ペナルティーで次にわたしが絶対池の向こうに飛ばすから大丈夫!!
かのじょのその言葉で救われた。

もし平均して5打で各ホールを終えたら、スコア90が出せる。
それは、かのじょのいつものスコアと引けを取らないはず・・・。

”平均5打”。わたしは密かにこの数字を目標にした。

わたしたちはインコースからプレイが始まったが、池が少ないコースが前半に来たのも幸いした。
インコースが終わった時点で、”平均5打”の目標は達成されていた。

アウトコースもどうにか”池ポチャ”を免れながら進んだ。
もうひとつ、この苦手な8ホールすらクリアできれば。
かのじょからそのホールの作戦を聞いた途端に意気込んで、何とわたしは空振りした!!
ムッシュたちが、ま、そういうこともあるさ、と優しく慰めてくれる。
ゲルダさんも、平静心で、平静心で、と柔らかな声で言ってくれる。
このホールだけ、目標は達成できなかった。
かのじょは、内心悔しかったはずだ。
でも彼女は、まだばん回できるから、と自身を諭すように言った。

18ホール終了した後も3ホール付け足しでプレイが続く。
3ホールだけ再プレイして良いスコアのほうが採用されると聞いたが、もう皆の戦闘心は萎えていた。
ゲルダさんは休憩所でアルコールをすすめられてほろ酔い気分だ。
そんな風に21ホールが終了した。


スコアはゲルダさんが集計してくれた。
わたしたちのスコアはどうだった?
うん、悪くないよ。
かのじょは表情が緩んだ。
そばで聞いていた同伴者のベルギー人、エリックさんが言った。
きっとあなたたちは何かの賞を取ると思うよ。


一斉スタートのプレイだったから、ほぼ同時に終了し、皆がメインパイヨットに戻ってきた。
乾季の気持ちよい空気の中で、ゆっくりとアペリティフをとりながら参加者たちはそれぞれの結果を披露し合っている。
夫は初心者と回って結果は散々だったといいながら、新発売のプリムスビールのレモン果汁入りを飲んでいる。
皆、満足げな表情でくつろいでいる。

そしてベルギー料理名物のフリッツ(フライドポテト)と肉料理が運ばれ、皆に振舞われた。
3時過ぎのランチだ。
デザートは、砂糖衣のナッツがサンドされた四角い巨大スポンジケーキだ。
ベルギー国旗を模している。
赤はベリージャム、黄はレモンジャム、黒はチョコレート。

それから表彰式が始まった。
まず表彰されたのは、なんとベストドレッサー賞。
男女それぞれひとりずつが選ばれた。
うーん、さすがにおしゃれなムッシュ、マダムが選ばれる!
かれらは、ベルギー国旗の3色すべてを上手にコスチュームに取り入れている。
選ばれたムッシュは、立てた襟に黒でラルフローレンだかのロゴが入っている真っ赤なポロシャツを着て、黒のパンツに鮮やかな黄色のベルトがおしゃれの達人を思わせた。

表彰は続いていく。
カテゴリ1(上級者グループ)で日本の柳田さんが呼ばれた。
やっぱり、柳田さんはすごいゴルファーだな。

そして何組目かで、わたしの名前が呼ばれた。
あれ?聞き間違いかな、と思ったら続いてゲルダさんの名前も聞こえた。
間違いない。ゲルダさんが立ち上がった。
とっさにわたしも立ち上がる。
開催者側から満面の笑顔で迎えられた。
おめでとう!
夫が、わたしたちはカテゴリ3(初心者グループ)の2位だ、と言ったが、何位賞なのかはっきりわからないままだった。


ベルギー新国王祝賀コンペの賞品


賞品の酒二本をいただいた。
ゲルダさんとも握手して二人の健闘を喜び合った。
ゲルダさん、ありがとう。
かのじょは強くて真っすぐな人だ。
一緒にプレイして、ゴルフ以外のことでも学ぶことが多い人だと感じた。

いつもゴルフのことで適切な指導やヒントを授けてくれる柳田さんが、このAMARULAはコーヒー味で甘くて美味しい食後酒だよと、わたしにプレゼントしてくれたから賞品は三本になった!
がんばったね、と言われたようで、かれの心遣いが胸にしみた。

このコンペをもって、キンシャサ・ゴルフクラブのコンペは終了し、休暇に入る。
キンシャサでは、子供たちの学校休暇に合わせてすでに多くの外国人が本国に戻っている。
7月、8月とゴルフコースが閑散とするシーズンに入る。


コンペの締めくくりに、ベルギー国籍の方はご起立くださいとアナウンスがあった。
参加者の半数以上が起立した。
ゲルダさんも起立している。
そして、ベルギー新国王の誕生を祝って国歌を斉唱し拍手しあった。

フィリップ新国王は、第7代ベルギー国王になるのだそうだ。
先代のアルベール2世は、2010年のコンゴ民主共和国独立50年記念祝賀会にキンシャサ入りしていると聞く。
旧宗主国として現地の人々を翻弄し権益をむさぼった長年の悪政に対して憎まれ、それと裏腹に懐かしまれ、複雑な思いを寄せ続け合い、切っても切れない関係が続くベルギーとコンゴ民主共和国。
ベルギーは,南北地域の言語対立から国家分裂の危機も言われ、新国王には手腕の試されるところだろう。
日本の皇室とも深い繋がりがあるようだ。

かれらの歌声と拍手を聞きながら、わたしもベルギーの国の発展を祈ったのだった。


2013年7月20日土曜日

コンゴ流オレンジの食べ方

キンシャサは乾季真っ只中。
5月19日夜以来、雨は一滴も降っていないから、まるっと2ヶ月、降雨量ゼロだ。
といっても、キンシャサの空気が乾燥しているとは感じない。

肌に乾燥を感じなければ、突っ張りもしない。(と言ったら、夫が、大通りで車が停車すると物売りが寄ってくるけど、最近、リップクリーム売りをよく見かけるよ、という。コンゴの人たちは乾燥を肌で感じているのだろうか。)

そして、街路樹や歩道の植え込みやゴルフ場の芝も木々も青々として元気だ。

これは、多分にコンゴの大地を北半球、南半球に上下しながら流れる大河、コンゴ河の存在が大きいと考えられる。南北半球を流れるから乾季雨季が流域によって異なり、水量が極端に減少することがないように思う。
乾季でも、コンゴ河の水が蒸発し上空はほとんど常時、二、三層の厚い雲に覆われ、太陽が隠されるから気温は上がらない。
水蒸気で上空が微妙なところで飽和状態を保っているから、決して雨は降らず、乾燥もしない。
朝晩、空気が冷えるから、露がたっぷり降りる。
だから、緑は衰えずに生き生きとしたままだ。

普段は午後から日差しが出るのだが、昨日,今日は午後になっても太陽は隠れたままだった。
だから、今日は午後になっても、室温は22,3℃。
肌寒くて、カーディガンを羽織った。
いよいよ乾季たけなわ、といったキンシャサだ。

乾季のコンゴの果物といえば、オレンジだ。

今日、フランス語のコンゴ人の先生がレッスンの時に”一緒に食べましょう”と言って、一個ずつビニルに入ったオレンジを二つ、テーブルに置いた。
初めて見る、外皮が剥かれたオレンジだった。


ひとつずつビニルに入れられた皮むきオレンジ


オレンジは、外皮だけきれいに剥かれている。
てっぺんは逆円錐形にくり抜かれて、元の状態に蓋が被さっている。
蓋を開けると、赤い粉がふりかかっていた。


赤ピーマンの粉のふりかけ


先生は、7月末がいちばん美味しくなるのよ、と言いながら、むしゃむしゃと上手に中身だけ食べている。このオレンジは多分、バコンゴ(コンゴ南西部)からのものね、とも付け加えて、おいしそうに食べている。
この状態で街頭で売られているのだそうだ。
ふりかかっている赤い粉は、赤ピーマンの粉だという。
コンゴ料理に欠かせない、”ぴりぴり”と言われている赤唐辛子のパテ風のものとは違うのだそうだ。

かじると微妙な味だ、頭の中で「なんでミカンに一味唐辛子もどきなんかが!?」と一時、錯乱状態になるが、よく味わってみると、オレンジの甘さと赤ピーマンのピリ辛が絶妙なハーモニーを醸し出している、かも・・・。
オレンジの甘さをピリ辛風味が微妙に抑え、味に深みを与えているのだ。
ミスマッチにびっくり!

わたしは、白い内皮をどんな手が触っているかと想像して、しっかり白皮部分を剥がしながら食べる。
先生は、ある程度食べ進んだところで、くるりっと白い内皮を内側にひっくり返して、オレンジの中身を表に出してかぶりつき、最後の最後まできれいにオレンジの中身を食べ、再びひっくり戻して内皮だけになったものを外にして戻し、ビニルに収めて小さく縛った。
見事な食べ方だ。口も手も最小限の汚れだ。

これが、コンゴ流オレンジの食べ方、かあ。
日本の蜜柑の皮のように柔らかくないから、外皮だけナイフで剥いて、てっぺんを逆円錐形にえぐって赤ピーマンの粉をふりかけて、上手に中身だけ食べる。

日本のネーブルなどの硬めの皮のかんきつ類にも、この食べ方はお勧めかも。
そして、赤ピーマンの粉をふりかけて食べてみてほしい、な。

2013年7月16日火曜日

アルプスをたずねて・・・St Jean de Maurienne の街で


サン・ジャン・ド・モリエンヌ大聖堂



大聖堂の中

娘の夫の故郷 St Jean de Mauriene の大聖堂で宗教上の結婚式を挙げ、故郷の家族、知人にお披露目のパーティーを開きたい。

むすめたち二人の希望で、南仏アンティーブ市役所での入籍式から2年近く経った7月6日にかれの故郷の教会での結婚式とパーティーを設定し、二人と娘婿の両親とでその日に向けて綿密に準備が進められた。

わたしと夫はキンシャサにいて心苦しくも何もできないまま、出発の日を迎えた。
わが子のように(多分片思いで)思うヨウムのぽんを、わたしたちの旅行中、運転手のところに預けることになり、涙の別れを済まし、7月3日の夜のトルコエアー便でキンシャサを出発した。

早朝、イスタンブールに到着。午後の便に乗り継いでパリへ。
パリのリヨン駅近くのホテルに一泊して、翌朝、リヨン駅からTGVに乗車した。
途中でTerに乗り継いで、東京から来た息子と合流し、7月5日14時、サン・ジャン・ド・モリエンヌ駅に到着した。
ひんやりとした、空気の澄んだ、アルプスの山々に囲まれた美しい街だった。

前日にすでに東京から来ていたわたしの父と妹たちとホテルで会ったときには、感慨深いものがあった。
北九州の八幡で独り暮らしをする今年9月で90歳を迎える父がひとりで上京し、東京の妹宅で数日を過ごしたあと、妹たちと共に飛行機と汽車を乗り継いで、孫娘と曾孫娘と孫娘の婿、そして、かれの家族に会いたい一心でたどり着いたアルプスの街だった。


挙式当日は、朝から爽やかに晴れ渡っていた。
聖堂での式のために、娘は祖父(わたしの父)に作ってもらったシックな花柄の着物を選び、ひとりで着付けをすると言う。
娘が着付けをする間、孫の子守に来てほしいと前々から言われていた。
1歳1ヶ月になる孫娘はまだ歩けないが、あちこち這い回り伝い歩きをし、目が離せない。
日本の童謡をたっぷり歌って聞かせるチャンス!、とばかり、おばばは孫にへばりくっついて遊んだ。


サン・ジャン・ド・モリエンヌの街の中心に建つ、ステンドグラスの美しい大聖堂に双方の家族、知人が集まり、午後3時から結婚式が始まった。

厳かな聖堂の雰囲気の中、粛々とミサが始まる。
厳かな中で、ユーモアのある神父様が時々笑いを誘う。
神父様のよく響く声量でミサが行われ、そしてご自身で歌う聖歌とともに、式は進められた。
ふたりの結婚式の立会い保証人として、娘が高校生のときに交換留学生として滞在した北フランスのリセの友人、そしてわたしの息子の二人が、聖句だか結婚誓約保証文?だかを朗読する。
小さいときに仏語圏アフリカに暮らした経験からか、中高とフランス語を学んだ経験からか、滑らかに朗読するのを聴いてほっとする。

その間も、わたしと娘の義父とで孫娘の子守役は続く。
義母と我が夫は新郎新婦の介添え役なのだ。

厳粛な、それでいてホットな式の雰囲気の中で娘は静かに泣いていた。

式が無事終わったことを告げ、ふたりを祝福する鐘楼の鐘が幾重にも幾重にも温かく鳴り渡っていくのを聴いたとき、全身が身震いするくらい大きな感動が広がった。



ふたりの結婚披露宴は、大聖堂から車で70kmほど行ったブドウ畑の中の古城に準備されていた。
夜9時過ぎまで明るい爽やかな季節の中、夕方の庭で披露宴はゆっくりアペリティフから始まる。
娘の留学時のホストファミリーの両親の二夫婦と再会する。
なつかしい。
かれらの家族から娘のフランス滞在は始まったのだ。
わざわざ、娘の結婚式出席のために北フランスから駆けつけてくれたことに感謝する。

アペリティフだけの招待客、ディナーまでの招待客、というふうに招待状を出しているのだそうだ。
ディナーは夜9時過ぎから古城のなかの広間に入って行われる。


古城広間でのディナー~手作りカードが添えられて


アペリティフ、ディナーを通してたくさんのかたたちと出会う。
フランスでは、会場のテーブルフラワーの注文、料理のメニュー、シャンパンやワインの選定持込みから、カメラマンや司会者の手配までなにもかも個人で準備しなければならないと聞く。
すばらしい式から披露宴の移動のバス手配、そして披露宴の進行を目の当たりにし、娘たち夫婦、娘の夫の両親の苦労はいかばかりだったか、と感謝の気持ちで胸はいっぱいになる。

遠路はるばる来てくれた日本からの娘の友人にも感謝するばかりだった。

披露宴パーティーの各テーブルに置かれたフラワーアレンジメント


宴では、おしゃべりや楽しい趣向、歌やダンスが明け方まで続いた。
これが、フランスの慣習なのだ。
日本との違いにびっくり。

娘の夫の両親は、結婚式前夜の家族だけのアペリティフや、結婚披露宴の翌朝の古城ベランダでの招待宿泊客のためのブランチまで用意してくれていた。
ブドウ畑の中のベランダでのブランチのなんと心地よかったことだろう。


挙式前夜、私たち家族のために用意されたアペリティフのセッティング


式の翌日、娘の夫の87歳になる祖父が、自身の趣味で建てたアルプスの山の山荘に自身の運転で私たちを案内してくれた。
山の天気は変わりやすいと言うが途中で雨が降り出した。
雨が止んだら、向こうのイタリア方面に猫の頭のようなとがった山々が見えるよ。

ホントだ!!
雲がはらわれたあと、見事なアルプスの景色が広がった。

山荘の隣にはくん製のための木小屋まであり、庭にはプラムやりんごの果樹、リラの木が植えられていた。
地下の石造りのカーヴ(貯蔵庫)で冷やされたビールやミネラル水のおいしかったこと!

天井から梯子が下りて2階に上がるといくつものベッドが並んでいるんだ、子どもたちが小さかった頃は、休みに入るとこの山荘で過ごしたものだよ。

アルプスの少女ハイジの世界そのものだった。
アルプスの麓の街、サン・ジャン・ド・モリエンヌには、古くからのチーズと蜂蜜の店があり、ロベール祖父はそこでたくさんのお土産をわたしたちに持たせてくれた。
アニメの中でハイジのおじいさんが山で作った丸い大きなチーズを籠に背負って麓の街に売りに行っていたチーズ屋の店構えそっくりだった。


サン・ジャン・ド・モリエンヌ最後の夜は、街で評判だというビストロで四世代が集まって食卓を囲んだ。

またいつか、この街を訪れる時があるといいな。
そしてまた、皆で楽しく食事ができたらな。
皆が健康で幸せでありますように。

そんなことを思いながら、翌朝サン・ジャン・ド・モリエンヌ駅で、ミラノから来たTGVに乗り、一路パリへ向かったのだった。

サン・ジャン・ド・モリエンヌ駅からパリ・リヨン駅へ TGV

2013年7月3日水曜日

L’éléphant vert: 大地を踏みしめて生きる~アフリカの音

L’éléphant vert: 大地を踏みしめて生きる~アフリカの音: 絵本 アフリカの音 表紙 アフリカに生きる人々が大地を踏みしめる音が、生活の響きが確かに聴こえてくる絵本を知っている。 沢田としきさんが描く、「アフリカの音」(講談社)という絵本だ。 この絵本のサブタイトルに、”A STORY OF WEST AFRICAN...