2013年4月16日火曜日

再び、キンシャサへ

キンシャサの我が家ベランダからの風景

しばらくぶりにブログ画面に向かっている。
4月に入って初めてのブログ更新だ。


3月21日夜、東京から2人のわたしの友人、真弓さんと美智さんが驚くほどたくさんのお土産を抱えてキンシャサの我が家に到着した瞬間から、お祭のような日々が始まった。
翌日から実質5日間のキンシャサ滞在しかない日程で、いかにキンシャサを味わってもらえるか、夫とずいぶん前からスケジュール表を作り、何度も何度も書き換えて、練りに練ったスケジュールだった。

友人のひとりと我が夫が、キンシャサ郊外のKinkoleeという、コンゴ河沿いに現地レストランが並ぶ町で食べたコンゴ料理で体調を崩してしまい、とても心配したが、わたしたちの用意した”キンシャサ体感ツアー”は奇跡的にほぼ達成できた。(・・と思うのは自身だけ、かな。)

わたしのリコーダーの師でもある真弓さん、生徒の美智さんとわたしで結成した”スリー・グレイシーズ”の初舞台も実現できた。


中年女性の星!? ”スリー・グレイシーズ”

今まではわたしひとりで感動していたことたちを、彼女たちと共有できる幸せを感じまくった5日間を終え、今ひとつ体調の冴えない夫を残し、わたしは友人二人と共に3月27日21:55キンシャサ発のエール・フランス便でパリに向かった。

翌朝早くにパリ到着。久しぶりのパリはやっぱり格調高い上品な街だった。
娘の警告通りに冬用コートを持参してよかった!
3月も終わりだと言うのに寒いことこの上なかった。
3人でパリで一泊したのち、それぞれの目的地に別れて発っていった。


わたしが娘一家の住む南フランス、地中海沿いの美しい町、アンティーブに到着したのは、3月28日夕方近くだった。


ペイネ・愛のモニュメント前で

4月初めの復活祭の頃は、南フランスの気候は不安定らしく、2日晴れが続くと1日中雨模様、という周期だったように思う。
天気の良い日は、母娘三代でジュアン・レ・パン、アンティーブの町や海辺を散歩した。
娘の夫が仕事オフの日は、カンヌやニースへ買い物へ出たり。

孫(という言い方には実感が伴わないが。)と過ごす日々は本当に楽しかった。


孫とたくさんの童謡や唱歌を歌い、手遊びなんかもして。

くるくると活発に動く彼女に、遠い昔の娘の面影を見たりして。

ああ、この小さな娘もいつかは母になるのかと未来を思ったりなんかして。


孫の手!


このかわいらしい手で、”キラキラお星さま”をしたり、”ぱちぱち上手、上手”をしたり(フランスのおばあちゃんは、「ブラボー! ブラボー!」と言うのだそうだ。)、二本指で小さなものを摘まんでじっと眺めて口に入れようとしたり、どんどんいろんなことを吸収してゆくのだろう。


そうして、やっぱりいつもどおりに時間は流れて、4月11日18:30、キンシャサにランディング。
わたしの”お祭”は終演。


また、人も町も何もかもが混沌としたアフリカの大都市、キンシャサでの日常生活が始まった。
楽しみを見つけて、夫とヨウムのぽんと共に元気にやっていきます!

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