2020年8月17日月曜日

古切手のなかのコンゴインコ

 日本から失礼します。
キンシャサにいるとき、コンゴインコを飼っていました。


説明を追加


2014年6月18日にわたしのヨウム、ポンと一緒に撮った写真です。しっぽの先だけが鮮やかな朱色で、体毛はグレーでした。

コンゴインコとは言わずに、”ヨウム”と言っていました。現地語のリンガラ語で、”チャクゥ”と言っていたことを思い出します。

チャクゥは、人間の言葉を話すだけでなく、しっかり理解してコミュニケーションを取れる賢鳥だと言われていましたが、我が家の「ポン」は最後まで一言も話さず、一芸たりともせず、わたしたちに決して懐くこともせず、特に男性には攻撃的でさえありました。
くちばしや足の爪がとがっているので、ポンを移動させるときには夫は皮手袋をはめて捕まえ、もうギャーギャー泣き叫んですごい格闘を繰り広げるのでした。
わたしは餌を水をかごの中に入れるときは、素手を入れて取り換えていました。
それでも、怯えてかごの端っこにいるのでした。
きっと、捕獲のときにものすごい怖い思いをした経験が体に染みついているのだろうと夫と話しました。
お隣の日本人ドクターのところのチャクゥも話芸も何もしませんでしたが、おとなしいチャクゥでした。
かれのチャクゥも、我が家のポンも、わたしたちが帰国の時、日本人の友人宅に引き取られましたが、最終的に、我が家の運転手として勤務していた穏やかなコンゴ人家庭のところに行きました。

そして、今年の初め、運転手から夫のメイルに連絡が入り、ポンが亡くなったことを知りました。人間と同じように70年、80年は生きると言われるヨウムですが、かれは多分10年も生きなかったと思います。最後まで、人には、特に男性には懐くことはなかったそうです。

かわいそうなポンでした。
コンゴ、カメルーン一帯に生息し、賢鳥だということでペットと乱獲されて絶滅危惧種になっているそうですが、キンシャサの緑と池の多いゴルフ場を群れを成してのびやかに独特の鳴き声を発しながら飛んでいたヨウム達のことを思い出します。
今も、ことあるごとに我が家のポンを思い出して、胸が痛むのでした。


さて、昨日、この10年近くの間に集まって切り取っていた外国の古切手を、整理して切手収集帳に収めようと思い立ち、行動に移しました。
切り取った古切手を1,2時間、浸水すると自然に紙からはがれます。
流水で糊成分をよくとってから、平たいものの上に水でぬれた古切手を並べて乾かします。
乾くと、これまた自然にはがれて行きます。
そのままにしておくと、紙なのでぼよんぼよんに波打っているし、完全に水分を取る意味でも紙にはさんで軽く重しをして、平たくしてしっかり乾燥させると出来上がりです。



これは、ビニル板に貼って乾燥中の外国の古切手たち(一部!)です。きれいでしょう!
わたしは、こうやって小さいときから古切手を集めて、図柄の美しさを楽しんでいました。
これも、わたしの父が教えてくれたことだと思います。

家族で1992年に中央アフリカ共和国のバンギに滞在した時からは、子どもたちも一緒に古切手のこういった作業をして、収集が始まりました。

日本の切手も世界からの切手も、季節を感じ、どこの国からのものなのかを知ることも楽しいものでした。

この古切手たちの中に、チャクゥ、ヨウムの切手を見つけられますか。

・・・・・。
上から2段目。左から5枚目です。



これです!
カメルーンからの切手ですが、どのようにして我が家にやってきたのかは覚えていません。


わたしのポン!
おかえり!

1 件のコメント:

  1. なおと申します。
    数年前ブログを拝見してコメントしました。
    久しぶりに覗かせていただきました。

    ポンちゃん亡くなってしまったんですね。
    最後まで誰にも懐かなかったんですか…
    それはポンちゃんにとってとても淋しい鳥生でしたね。
    仲間から引き離されて心に傷があったのかもしれませんね。
    頭のいい鳥なので
    元の場所に帰りたかったんだろうなー

    我が家にもヨウムがいて大好きな子達なので読んでいて涙が出てしまいました。

    今はきっと沢山の仲間たちと幸せに暮らしている事を願ってポンちゃんのご冥福をお祈りします。

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