これは、今から60年前の、まだキンシャサがレオポルドヴィルと言われていた頃のベルギー領コンゴの独立前後の1年半の間、領事館勤務の夫と共に暮らした一人の日本人女性の滞在記だ。
アフリカの国々を外交官として赴任し、大使として活躍されたT大使から、「剣と蝸牛の国コンゴ― 黒い大陸の明るい人たち」という貴重な本を貸していただき、内容を書き留めながらむさぼるように読み終えた。
大使からの、”60年前のコンゴを楽しんでください”というメッセージに誘われるように。
著者の山本玲子さんは、夫のレオポルドヴィルの領事館(当時は、在キンシャサ日本大使館ではなく、在レオポルドヴィル日本領事館だったのだ。)勤務の命を受けて、前任地のパリのオルリー空港からエアフランス機に搭乗。マルセイユに寄港した後、一路南下して仏領コンゴのブラザヴィルに降り立ったのだった。
空港からタクシーでコンゴ川の船着き場へ移動して、船で対岸のレオポルドヴィル(現・キンシャサ)へ到着するというルート。当時はレオポルドヴィル(現キンシャサ)への直行便がなかったのだ。
著者はフランス語の堪能な方だったようで、またご夫婦で好奇心旺盛な方だったと見受けられ、わずが1年半の間に、当時まだ運行されていたオナトラ社の豪華客船に乗ってレオポルドヴィル(現キンシャサ)からスタンレーヴィル(現キサンガニ)までコンゴ河を上り、1800kmを1週間かけて船旅を楽しみ、そこから陸路で、”アフリカのエデン”と呼ばれたキブ州へ、そしてルワンダ、ブルンジも訪問して、かのじょの感性で旅日記が綴られている。
イツゥーリの森にすむピグミー(この本の中では、”倭人族”と書いてピグメというルビをふっている!)のこと、ルワンダとブルンジの王さまの違い、そしてその後大虐殺が起こるツチ族とフツ族の関係のことも描写されていてとにかく面白い。
又、エリザヴェートヴィル(現ルブンバシ)訪問の時のことも記されていて、銅の一大産地として発展する町と人々の印象を語る文章にも興味注がれた。
そしてなんといっても、かのじょの洞察力と分析力のすばらしいことには圧巻だった。
コンゴ人がおしゃべり好きで言葉を大切にすること。雄弁家ぞろいであること。だから、政治の場でも話し合いが広がり過ぎて先に進まず時間切れになってしまうこと。かれらのイマジネーションが膨らみ過ぎてそれが嘘をつく結果になってしまうこと。
言語の面からも、宗教の面からも、精神構造の面から、そして、かれら独特の慣習法(先住民族が土地に対して権利を持っているという考え。)に基づいて行動すること。いろいろな角度からコンゴの人たちを見つめている。
そして、コンゴの将来のことについてもしっかり展望を持っていて、水力資源と人的資源の豊富さ、農業にも無限大の可能性を持っていることを取り上げて、そこに交通網の整備が加わればどれだけの可能性を秘めた国だろうとまとめている。
ただ、アフリカの人たちは突然、欧米からの文明の利器を見せつけられて、精神面の向上をおざなりにして「近代化」を推し進めるということを見誤ってしまうのはとても危険なものを含んでいる、と危惧してもいる。(まさに、その後に続くモブツ政権の登場を予見しているようにも感じ取れる。)
夫婦で1960年6月30日の独立前後のコンゴに暮らし、わずか4日後に起こったコンゴ動乱にも巻き込まれて、船で対岸の仏領コンゴ、ブラザヴィルに避難するという経験を通して、彼女の目に映ったコンゴ人の悲劇についてもしっかり書いている。
そして、最後の結びとして、著者の言葉に深く賛同した。
「アフリカ人たちは否応なしに新しい生き方をすることを欲求されているのです。新しい生き方が近代文明を真似ることでないとすれば、かれらが自分で創造しなければならないことです。自分で自分を超えながら。」
この本の題名、「剣と蝸牛の国」について、私自身の記憶整理のために記しておきたい。
カサヴブ大統領の主宰したバコンゴ族の政党、アバコ党は、もとは一般化したキコンゴー(その地域の言語)の純化運動を趣旨にした文化活動のグループだった。その後、このアバコ党は百数十万のバコンゴ―人を完全に組織し、その強力な結束が、コンゴの独立を実現した最大の要因だと言われている。そのことから、カサヴブ氏はコンゴで”独立の父”として尊敬されている、という。
また、アバコ党はバコンゴ―王国(レオポルトヴィルから南西のバコンゴ地方から旧仏領コンゴ、アンゴラに掛けて、14,5世紀ころに栄えた王国)の過去を精神的な支えとしている。
バコンゴ―王国の権力の象徴は「蝸牛と剣」で、その後、アバコ党の微章となった。
”剣”は権威を示し、”蝸牛”は指導者に要求される資質を示す。
すなわち、かたつむりのように、指導者たるものは一歩一歩正確にゆっくりと黙って、そして忍耐を持って進むべきだということを表す。
著者は、「この”蝸牛”の性格をそのまま人格化したような印象を受けるのが、現カサヴブ大統領です」と書き、コンゴ―人たちはカサヴブとも言わないし、また大統領とも言わず、皆、必ず、『国家元首~Chef d'Etat』と呼ぶのだと記している。
著者は、カサヴブ氏にもルムンバ氏にも実際に会っている。
この表題のいきさつを知ったとき、コンゴ独立の歌のことを思い出した。
キンシャサの大学生に、コンゴの国の代表的な歌をわたしたち日本人に紹介してくださいと言ったとき、かれらはちょっと相談してすぐに歌ってくれたのが、この独立の歌、「アンデパンダンス・チャチャ」だった。
歌詞の中には、カサヴブの名も、ルムンバの名も入っている。
コンゴの国の4つの言葉(リンガラ、スワヒリ、チルバ、バコンゴ)全部が入って歌われているということだ。とても明るくリズミカルで、かれらの独立の喜びがあふれている歌。
わたしはキンシャサを離れる日が近づいた時、レストランの生バンドの人たちにリクエストして、「アンデパンダンス・チャチャ」を歌ってもらったことはとても良い思い出だ。
著者は、その後にコンゴの大統領として1965年11月から12年近くもの間政権を握り、コンゴ民主共和国の発展を著しく混乱に陥れたモブツ時代のことをどうとらえているのだろう。
その混乱の時代を生き延びるために国民たちに起きた精神的変化についてどのように考えておられるのだろう。
追記:
著者、山本玲子さんはご存命なら87歳くらいでしょうか。
これだけ、好奇心いっぱいに生きてこられた女性ですから、きっと今も目を輝かせて、コロナ禍で苦しむ世界をかのじょ独特の分析力で見つめていることと信じます。
ご縁があったらぜひお会いしたいかたです。
こんなに興味深い滞在記を著してくださり、ありがとうございました。
そして、T大使にも、こんなにすばらしい滞在記の本に導いてくださり、ありがとうございました。
お二人に心から感謝申し上げます。
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