2020年12月25日金曜日
キンシャサ中央駅前広場のクリスマスツリーの
2020年11月29日日曜日
キンシャサで買ったイエス様降誕の黒檀の置物
もうじき12月だと思い立って、キンシャサで買ってきた黒檀のイエス降誕の置物を引っぱり出して我が家のリビングに飾ってみた。
この降誕人形を日本で飾るのは初めてのこと。
高さ15,6cm。土台は幅10~12,3cmほどの楕円形で、黒檀の木片をくりぬいて作られているから、パーツを失くす心配もない。
これからは毎年、この時期になると我が家のリビングに飾ろう。
この飾り物を観ていると、キンシャサ時代のいろいろなことが思い出される。
キンシャサの中心から離れた工場区域のようなところにある教会に併設されたキリスト教関連のものだけを売るブティックで、キンシャサを去る最後の最後に購入したものと記憶している。
土産物用のブティックではなかったから、訪れる客も少なかったし、応対してくれる店員もシスターやシスター見習いのような物静かな女性たちだった。
値踏みするということもなく、価格は定価で静かな中で選べた。
教会というより、すべてが木製で誂えられた、シンプルで静寂な雰囲気のお御堂だったなあ。
5年ほど前のことだ。
2020年10月30日金曜日
キンシャサのSapeur元気かな
今回も東京から更新します。
もう何年前になるのかな。サプールSapeurという言葉でコンゴの男性たちのオシャレっぷりがNHKテレビで紹介されて反響を呼んだのは。
カラフルな背広を着てゴミ箱をひっくり返したような街を闊歩する男性軍団。
コンゴと言っても、登場する舞台はブラザビルのほうのコンゴでした。
友人の奥村恵子さんは、本当にオシャレなサプールはキンシャサのほうよと力説していましたっけ。キンシャサ・サプールのほうが黒っぽい色使いで、斬新なスタイル。より自由な発想でオシャレを楽しむという姿勢で、ノーマルな背広姿の男性たちはいなかったように記憶しています。
日々の食費にも事欠くような暮らしの中で、着道楽の極みのような男性たち。
めちゃくちゃ、かぶいていました。
変なものにお金を使われるより服に浪費されるほうがマシよ~なんて、おおらかに容認していたかれらの奥さんたちは、アフリカンプリントの質素でクタクタな巻きスカートを着ていましたっけ。
この画像は、インターネットで見つけたものですが、こんな派手派手なカラフルな背広に身を包んで歩くムッシュにキンシャサの街の真ん中で遭遇したことがありました。
その時、写真を撮ってもいいですかと声をかけると、いいよ、どうぞ~とポーズを取って、お金を要求することもなく颯爽と歩き去ったムッシュ。
それもそのはず!サプールたちは、”世界一お洒落で平和を愛するジェントルマン”と言われているのでした。
でも、アフリカの女性たちはマーケットマミーと言われるように、子育てをしながら市場で野菜やそこで作った料理を売って、一家を支える大黒柱。
オシャレなんてしてられない、生活力たくましいオバチャンたちなのでした。
こんなオバチャンが道端で野菜を売って一日を終えて家路に着く途中、我が家のドアをたたいていました。
2013年5月にキンシャサの我が家アパートの玄関ドア前で撮った写真です。あれ。このときはちょっとおめかしをしていました。毎朝、野菜を仕入れて、アヴェニュー・コトゥの屋台で野菜を売って、家に帰ってから売れ残りの野菜で夕飯の支度をして・・・という生活で、家族が皆健康でいてくれる。そんな幸せがあるかい!、と豪快に笑うオバチャンでした。
コンゴ民主共和国では、エボラ出血熱やマラリアの恐怖にさらされ、挙句にコロナウィルスに見舞われて、経済活動にも大きな影を落としているだろうけど、皆、元気にしているかなあ。
どんな苦難の中でも、笑い飛ばしてたくましく生きていると信じます。
この前、NHK「世界は欲しいものであふれている」の番組で2週にわたって、ロンドンで日本の着物が注目されていることが紹介されていました。
自由な発想で、世界から集まる人々が、着物を楽しんでいる姿にびっくりし、開眼させられました!
たとえば、こんな!
帯はヘビメタな革ベルトを締め、なんと頭にはアフリカ女性のシンボルと言える共布のターバンを巻いている!
番組の終わりで、ナビゲーターのJUJUさんが、いちばん着てみたい着物はアフリカ女性のスタイルだーって言っていました。
アフリカに生きる一般の既婚女性たちには、日々の中でなかなかこんな余裕は生まれないだろうけど、キンシャサのオフィスレディや女子大生たちは、確かにオシャレを楽しんでいたことをはっきり思い出します。
かれらの日々の暮らしがずーっと守られますように。
2020年8月17日月曜日
古切手のなかのコンゴインコ
日本から失礼します。
キンシャサにいるとき、コンゴインコを飼っていました。
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2014年6月18日にわたしのヨウム、ポンと一緒に撮った写真です。しっぽの先だけが鮮やかな朱色で、体毛はグレーでした。
コンゴインコとは言わずに、”ヨウム”と言っていました。現地語のリンガラ語で、”チャクゥ”と言っていたことを思い出します。
チャクゥは、人間の言葉を話すだけでなく、しっかり理解してコミュニケーションを取れる賢鳥だと言われていましたが、我が家の「ポン」は最後まで一言も話さず、一芸たりともせず、わたしたちに決して懐くこともせず、特に男性には攻撃的でさえありました。
くちばしや足の爪がとがっているので、ポンを移動させるときには夫は皮手袋をはめて捕まえ、もうギャーギャー泣き叫んですごい格闘を繰り広げるのでした。
わたしは餌を水をかごの中に入れるときは、素手を入れて取り換えていました。
それでも、怯えてかごの端っこにいるのでした。
きっと、捕獲のときにものすごい怖い思いをした経験が体に染みついているのだろうと夫と話しました。
お隣の日本人ドクターのところのチャクゥも話芸も何もしませんでしたが、おとなしいチャクゥでした。
かれのチャクゥも、我が家のポンも、わたしたちが帰国の時、日本人の友人宅に引き取られましたが、最終的に、我が家の運転手として勤務していた穏やかなコンゴ人家庭のところに行きました。
そして、今年の初め、運転手から夫のメイルに連絡が入り、ポンが亡くなったことを知りました。人間と同じように70年、80年は生きると言われるヨウムですが、かれは多分10年も生きなかったと思います。最後まで、人には、特に男性には懐くことはなかったそうです。
かわいそうなポンでした。
コンゴ、カメルーン一帯に生息し、賢鳥だということでペットと乱獲されて絶滅危惧種になっているそうですが、キンシャサの緑と池の多いゴルフ場を群れを成してのびやかに独特の鳴き声を発しながら飛んでいたヨウム達のことを思い出します。
今も、ことあるごとに我が家のポンを思い出して、胸が痛むのでした。
さて、昨日、この10年近くの間に集まって切り取っていた外国の古切手を、整理して切手収集帳に収めようと思い立ち、行動に移しました。
切り取った古切手を1,2時間、浸水すると自然に紙からはがれます。
流水で糊成分をよくとってから、平たいものの上に水でぬれた古切手を並べて乾かします。
乾くと、これまた自然にはがれて行きます。
そのままにしておくと、紙なのでぼよんぼよんに波打っているし、完全に水分を取る意味でも紙にはさんで軽く重しをして、平たくしてしっかり乾燥させると出来上がりです。
これは、ビニル板に貼って乾燥中の外国の古切手たち(一部!)です。きれいでしょう!
わたしは、こうやって小さいときから古切手を集めて、図柄の美しさを楽しんでいました。
これも、わたしの父が教えてくれたことだと思います。
家族で1992年に中央アフリカ共和国のバンギに滞在した時からは、子どもたちも一緒に古切手のこういった作業をして、収集が始まりました。
日本の切手も世界からの切手も、季節を感じ、どこの国からのものなのかを知ることも楽しいものでした。
この古切手たちの中に、チャクゥ、ヨウムの切手を見つけられますか。
・・・・・。
上から2段目。左から5枚目です。
これです!
カメルーンからの切手ですが、どのようにして我が家にやってきたのかは覚えていません。
わたしのポン!
おかえり!
2020年3月12日木曜日
ブカブに生きるムクウェゲ医師
読みながらずっと感じ続けたことは、ムクウェゲ医師の信念を貫き通して生きてきた強い姿勢への感動だ。
「すべては救済のために」(あすなろ書房刊)
(原題は、”Plaidoyer pour la vie” 命の擁護)
デニ・ムクウェゲ著 (ベッティル・オーケルンド協力)
加藤かおり訳
2019年4月15日初版発行
失礼だけど。こんな強面のお方なのだけど、幼い頃からの子どもらしい思い出が文章のあちこちに散らばっていて感受性豊かな子どもだったんだろうなあ、と思うとともに、奥様との出会いにもかれの純粋さを感じ、さらに、我が身に起こる強運を強調して書くくだりにも、ムクウェゲ医師の滑稽なほど真摯な姿勢が見て取れて、かれの人間性への魅力が垣間見えるところだ。
さらに、牧師である父親や信心深い母親たち家族の中で育ったムクウェゲ医師の人生哲学も圧巻だ。
小さい頃に医師になって故郷の人たちのために働くと決心してそれに向かって進む彼のぶれない強さは、フランスに留学して医師としての研鑽も積みながらフランスに残って家族とともに穏便に生きるという選択のほうに魅力を感じても当たり前であるはずなのに、かれは家族で話し合って、自分の生まれ故郷に戻ってきているところにも感じられる。
さらには、その後も脅迫が続いて自分の身に危険を感じて家族とともに他国へ避難しても、わずかな逃避期間を経て、かれはいつも命の危険の待つ故郷のブカブに舞い戻っているのだ。
それから、この本の中で、ムクウェゲ医師の歩みとともにコンゴ民主共和国の現代史も細かく描かれていて、この国の抱える奇妙な運命と悲運についてもしっかり納得しながら読めるのも興味深い。
アフリカ大陸の中のコンゴ民主共和国の位置(「すべては救済のために」より) |
アフリカ大湖地方~南北キブ州周辺(「すべては救済のために」より) |
ジョセフ・カビラ政権から脅迫や圧力を受け続けたムクウェゲ医師が「唯一の希望の光」と語っていた大統領選がようやく2018年12月末に実施され、2019年1月に野党候補のフェリックス・チセケディ氏が政権を握った。
しかし、現在も変わらず、南北キブ州一帯の治安は安定せず、ムクウェゲ医師の苦悩も続いているのだと想像する。
世界有数の天然資源大国でありながら、その採掘代金は真っ当な政府ルートを通されないまま他国へ運ばれていくと聞く。キブ州には、天然資源採掘問題に加えて、隣国からの難民も流れ込み、政府絡みなのか外国の資本絡みなのか、きな臭い武力紛争が続いていると思われる。
ムクウェゲ医師の自伝の物語を加藤かおりさんの訳で読めてよかった。
(かのじょは、ブルンジで生まれ育ったガエル・ファイユの自伝「ちいさな国で」でも素晴らしい訳をみせている。)
これからもムクウェゲ医師の真摯な活動をしっかり見守っていきたい。