2017年4月26日水曜日

キンシャサ便りふたたび31 キンシャサ ゴミ事情

キンシャサのメイン通り、6月30日通りには、緑色をした円筒形のゴミ箱が等間隔で品よく並んでいる。
下の2枚の写真は、その6月30日通りで撮った写真だ。


これらの写真を見る限り、キンシャサのゴミ事情はすばらしい、と思われるだろう。
ゴミ箱からゴミが溢れ返っているのでもないし、周囲もきれいだ。右の写真では、ちょっと見えにくいかもしれないが、黄色い帽子にベスト姿の清掃員が通りの清掃までしている。

ところが実情は全く違うのだった。
ゴミ箱からゴミは溢れ返っているし、ゴミ箱周辺にもゴミの山。
清掃員は市の職員ではなくて、NGOが雇っている清掃員だと聞く。
このゴミ箱のゴミは定期的に公的な収集車が来て、公的な清掃員が存在し、公的なゴミ処分場に運ばれてしっかり処理されているのか?どこまでも”はてなマーク”が続いて懐疑的な眼差しで見てしまう。

だって、一歩街中に入った通りでは、こんな光景が目に入ってくるのだから。



この2枚の写真は、カビンダ通りのゴミ収集場の近景と遠景だ。
メイン通りのゴミ箱からゴミが集められて、大きなゴミの山として庶民の住む地区の隅に集積されて点在しているのではないかと想像してしまう。こんなふうに。
白戸圭一さんの著した「ルポ 資源大陸アフリカ」(朝日文庫)の中のキンシャサのゴミ溜め都市の箇所を思い出してしまう。
燃えるゴミも不燃ごみもペットボトルも瓶、缶類もごちゃまぜだ。

市内を走るウィレリー通りも一見、きれいに清掃されているかに見える。



でもやっぱり、同じウィレリー通り横にもこんなゴミの山が存在する。



ポワルー道路のゴミ事情を見てみると。


ポワルー道路の工事を請け負うキンシャサの建設会社のオーナーがこんなゴミ箱を置いたのだそうだ。


オレンジ色のオシャレなゴミ箱だ。
そして、案の定、ゴミ箱周辺にまでゴミが山積されている。見るに見かねた建設会社がゴミの収集までやっているというのだが。
果たして、その収集されたゴミはどこに運ばれているのだろう。

以前、住んでいたモティ・ホテルアパートのゴミ置き場には定期的に収集車が来てゴミを運び出していたようだし、アパート前の平和通り角のゴミ箱周辺に山積するゴミも、三輪小型トラックだかオートバイだかがリヤカーを引いて現れて運び出されているのを朝早くに何度か見かけた。
でも、公的なゴミ収集はもはや行われていないと聞いた。

6月30日通りでは、ゴミを集めてどこに運ぶのか、こんな小型トラックも見かけた。



また、6月30日通りを走る、ちょっと先進的な有料?ゴミ収集車も見かけたことがある。いや、きっと有料なのだろう、その証拠に、その車の側面には電話番号が大きく掲示されていた。




”STEP Recycling” と大きく書かれた、見るからにゴミ収集車と分かる車だったが、はて、やはりその車で集められたゴミの行き先はどこへやら、である。

キンシャサの老舗ホテルの駐車場に面したゴミ置き場で、朝早く、ゴミ運搬トラックが横付けされている光景にも出会ったことがある。


また、日本大使館前には、こんなゴミ収集車が来てゴミを載せて行っていた。


飲料会社の運搬車がゴミ収集車に再利用されていたのだった。

前述したカビンダ通りにもNGOの雇用人だと思われる清掃員が働いていた。


車窓越しに撮った写真なので見えにくいだろうが、6月30日通りの清掃人と全く同じユニフォームを着て働いている。

ンジリ空港を越えたキンシャサ郊外のコンゴ河の中の砂州を利用して、ゴミを埋め立てて、住宅街を作ろうという完成予想図が大きく掲げられているのを、前回の滞在の時にグランドホテルに続く道路端で見たことがあった。今はもう撤去されているが、小耳に挟んだ情報によると、すでに埋め立て地は完成しているとも聞いた。
そういうゴミ再利用なら歓迎だが、ゴミからの浸出液や有害物質が川に流れ出ていると考えると恐ろしくもある。

キンシャサに来た当初からずっと、ビールの空き瓶を持って行かないとビールを買えないというルールがあったのだが、最近ではそのルールも崩れて、ビール瓶が一般ごみとして出されている。
以前にも書いたが、ペットボトルでの飲料水の種類が増大し、ペットボトルのゴミもやたらに目に付く。

ゴミ処理能力を超えた物資が大量にキンシャサに入り込み、そのゴミがキンシャサ中に溢れ返っていると痛感する。
昨年は、ゴミが排水溝を詰まらせ、雨水が溢れ返って洪水がキンシャサで起こった。

キンシャサに本格的なゴミ処分施設ができるのはいつのことなのだろう。

2017年4月21日金曜日

キンシャサ便りふたたび30 また逢う日まで!


わたしのゴルフ帽子 with しょうこさん制作の布バッジ&青い鳥の羽

たくさんの思い出をわたしたちにプレゼントしてくれて、しょうこさん夫妻が今夜の便でキンシャサを離れる。
寂しいな。本当に寂しいな。

2012年のあれは何月だっただろう。9月の初めくらいだったかな。
突然、キンシャサ・ゴルフクラブの休憩コーナーで、フランス人のムッシュから日本語で話しかけられた。
わたしの奥さんは日本人です、キンシャサにもうすぐ来るので、お友だちになってください。

その次にムッシュに会ったとき、わたしの奥さんと電話で話しますか、と電話をしてくれて、初めて話をしたゴルフ場でのこと。
それがしょうこさんとの(声での)出会いだった。
わたしは、それからずーっとしょうこさんと一緒に過ごしたキンシャサだ、と思っていた。
よくよく考えたら、お互いの帰国や休暇、転勤なんかで細切れのお付き合いだったんだな。
それでも、わたしはフランスのしょうこさんのお宅へ、そしてしょうこさん夫妻は東京の我が家を訪ねてくれている。
2014年8月にはわたしたちは東京に戻った。
その前に、しょうこさん夫妻は転勤でキンシャサを離れていて、ふたたびキンシャサに戻ってきたのは、2016年3月か4月くらいだったか。
わたしの夫がポワルー道路の街路灯設置プロジェクトでキンシャサ滞在が始まったのが2016年6月で、わたしが追ってこちらへ入ったのが同年9月半ば。
それから、毎週火曜日、木曜日の早朝ゴルフを一緒に楽しんだ。

しょうこさん夫妻最後の参加の4月キンシャサ日本人ゴルフコンペ 


昨年9月にわたしのキンシャサ滞在が始まってから、わたしは全く料理に取り組めないでいた。お客さんを招いて食事会を、なんて到底無理な状態だった。
以前のキンシャサ滞在の時に、頻繁に起きた断水と停電で不自由したこと、特に来客予定の日に断水と停電でパニックになったときのことがよみがえってきて、トラウマ状態に陥ってしまったのだ。

その時に、しょうこさんは力まずにそのままでいていいじゃない~とさりげなく支えてくれた。
ゴルフのあと、我が家でランチしていくように、とこれまた自然に誘ってくれた。
ゴルフから一緒に帰宅したしょうこさんは、そのまま手際よくランチの用意をして、ご主人のお昼休み帰宅に合わせて、夫妻にまじってランチをした。
ささっと準備をするしょうこさん特製ランチの美味しかったこと!さりげなさの何と心地よかったことか!涙が出るくらいうれしかった、ありがたかった。
そうだな、料理なんて力まずにできる範囲で取り組めばいいんだ、お客さん招待はまだまだ考えなくていいんだ。
そう思えるようになってきた。
しょうこさん宅でのランチは、わたしが3月初めに新しい家に移って、しょうこさんの車での送迎が終わるまで続いた。
本当に、本当に、ありがとう!しょうこさん!フレッドさん!

4.19。キンシャサ・ゴルフクラブでの一緒の最後のプレイ

わたしは、しょうこさんも含めてキンシャサ日本人女子会をまた我が家で開くことができた。
わたしにはうれしい復帰だった。


今頃、空港到着したくらいかな。
また逢う日まで!
ぜひ、元気で再会しましょう。


~と書いたところで、今夜、わたしたちは夫の会社も絡んだ交通プロジェクトのかたたちとの会食に出かけた。
よかった。救われたな。
大人数で食卓を囲めて、寂しい夜を紛らわすことができたのだから。

帰る道、ずっと雨が降っていた。
本当にキンシャサで久しぶりの雨。
なみだ雨かな。

しょうこさん夫妻はもう機上の人よね、きっと。


帰宅してみると、わたしの携帯にしょうこさんからメッセージが届いていた。
飛行場のラウンジから送信されたうれしいメッセージだった。

出発当日お昼ぎりぎりまで、わたしたちキンシャサ日本人マダムとカフェで過ごしてくれたしょうこさん。最後の荷物をスーツケースにぎりぎりいっぱい詰め込んで来たわよーって笑顔でカフェに現れた。

また、お互い元気で再会を楽しみに!!!
これまでずっとありがとう!!!
これからも、どうぞよろしく!!!

2017年4月15日土曜日

キンシャサ便りふたたび29 きのこと蝶々

またまた、ゴルフ場の話題で恐縮だが、どうしてもわたしのキンシャサの思い出として忘れないうちに書き留めておきたくて。


今週木曜日、4月13日。
しょうこさんとシルビーさんの三人での早朝ゴルフのときに、今日はやけに白蝶が飛んでるねえ、という話になった。蝶々のふ化がどこかで大量に発生したのかしら、と。
ここはアフリカ、常夏の国。
4月だったら、日本は春だから、蝶々がひらひら~なんてこともある季節だが。
しょうこさんの家の庭にも今朝、たくさんの蝶々が飛んでいたという。
はて?今まで、キンシャサの4月で蝶々が大量に飛んでいた、なんて記憶はないのだけど。

本来なら雨季真っ只中のキンシャサだが、今年は本当に雨が少ない。
我が家のボーイもフランス語のコンゴ人の先生も、だんだん、気候が変わってきていると言う。
昨年も雨が少なかったのだそうだ。
広大な熱帯雨林(コンゴ一帯は世界三大熱帯雨林のひとつだ。)の木が伐採され続けて植林がなされていないから森林破壊が進み、それが気候変更の原因になっているのだ、とかれらは主張する。
ドキリ!イロコの木を日本に持ち出したわたしは胸が痛んだ。

それで、4月の半ばに蝶々が大量発生したのかはしらないが、木曜日はやたらに白い蝶がキンシャサを飛び回っていたようだ。




で、その日。
ゴルフ場から車で10分少々の我が家に到着して、ふっとリビングの窓を見ると。
なんと、白蝶が一羽、とまっていた!
わたしが乗った車にくっついてきたのかな。
いやいや、やっぱり、この日、キンシャサで白い蝶が大量ふ化したのだろう。


それから、もう一つ、ゴルフ場でこんなものが目に留まった。



大きさのほどは、ゴルフボールより2回りほど小さいくらいかな。
でも、草むらでドデン!と存在感があって、「でかいきのこだー!」と思わず声を上げてしまったほど目についた。
フェアウェイからほんのちょっと入ったラフにニョキっと顔を出した白いきのこ。
だれにも触られずによくぞここまで大きく成長したものだ。
食べられたら美味しそ~!とは、連れの感想。
わたしは、このきのこを見つけて、”あるもの”を思い出していた。
赤羽の我が家に置いてきた、これだ!




2013年5月17,18,19日の三日間、開催されたキンシャサ オープンゴルフのときに当時の日本大使からいただいたものだ。
ゴルフの腕の素晴らしい大使はシニア部門で優勝されて、コンゴ人木工作家のオーギーさん制作の木製トロフィーを手にされた。
また、入賞者にはやはりオーギーさん作のティーアップゴルフボールの木製の賞品も手渡されたのだが、その両方を受賞した大使が、わたしにはこの優勝トロフィーで十分だから、3日間頑張ったマダムにがんばり賞で、このゴルフボールトロフィーをプレゼントしよう、とわたしにくださった思い出のものなのだった。わたしの成績はビリから数番目だったのに。
あのときの感動を今もしっかり昨日のことのように思い出す。

というわけで、わたしは、ニョキっと、ドデンと生えた立派なきのこと、この思い出のトロフィーを重ね合わせていたのだった。

また、ひとつ、キンシャサの思い出をブログに残せてよかった、よかった。

今年こそ、しょうこさんとキンシャサ オープンゴルフに参加できる、と楽しみにしていたら、突然、かのじょはご主人の転勤で来週、キンシャサを出てしまうことに。本当に寂しい。

2017年4月10日月曜日

キンシャサ便りふたたび28 オジギソウ、見つけた


キンシャサ・ゴルフクラブで見つけたオジギソウ

オジギソウ。
わたしが小学生の頃、宝物のように思っていた植物。
ずっと、オジギソウは夏になるとそこらじゅうに生える雑草だと思っていたが、どうも記憶違いだったかも、と思えてきた。オジギソウを知らないという友人も、道端に生えているのを見たことがないという友人もいる。もちろん、日本人の友人だ。
はて?
考えてみると、鉢植えで大切にじっと見入っていた記憶もよみがえってくる。

まず、オジギソウについて調べてみると。
マメ科の小低木。
園芸では一年草として扱われ、高さ20~90cm。
葉は羽状複葉で、ものが触れると急に閉じて葉柄から垂れ下がり、また夜になると閉じる。
夏、桃色の小花が球状に集まった花を付ける。
ブラジル原産で、日本には江戸末期に渡来。
ねむりぐさ、とも言われ、夏の季語。

わたしは、小学生の頃、種が飛んで道端で芽を出すひまわり、コスモス、オシロイバナ、三色すみれ、ホウセンカ、百日草、キンギョソウ・・・名前を挙げると限りなく続いてしまうくらい(!)園芸植物を根っこごと抜き取ってきて、「わたしの花壇」に移植して、一本一本に咲く花を楽しみ、花が枯れて種ができると種を大切に保管して、翌年、花壇にその種をまくのも楽しみだった。
オジギソウはその中の園芸植物の一つだったのかもしれない・・・。

あるいは・・・。
ある時期、オジギソウは月刊誌「科学」(学研)の付録になって、大人気の園芸植物になって、あちこちで見られた、という記述も見つけた。
さもありなん!
小学生のわたしには、さわると葉っぱが閉じる、というか、植物なのに「動く」という”草”が不思議でならなかった。(食虫植物なんて存在もまだ知らない頃だった!)
わたしはあの頃、雑誌「科学」の大ファンだった。

でも、道端でも見つけられた気もするのだが。
あ!オジギソウだ、と思うと、咄嗟に手が出て葉っぱに触り、葉っぱが動かなかったらがっかり、しょんぼり~なんてことが結構あったようにも思う。
同じような葉をして、同じような名前の付く低木の”ねむの木”の葉っぱは決して動かなかった!


前置きが長くなったが、そんなわたしの宝物のように思ってきた「オジギソウ」にまた、キンシャサでも出会ったのだった。
今年3月7日。キンシャサ・ゴルフクラブの12番ホールから13番ホールに向かう道端で。
あ、オジギソウだ、と思って葉っぱに手を伸ばすと、しっかり葉っぱは閉じたのだった。
1993,4年頃、中央アフリカ共和国に家族で滞在していた時、首都のバンギからちょっと離れたところにピクニックに行ったときにも草むらに、オジギソウを見つけた。
アフリカにもオジギソウが生えている!!!その時の感動もよみがえってきた。

でもねえ。日本人の感性にはまいるなあ。
葉っぱが閉じる、イコール、「おじぎする」と考えるのだもの。
それで、命名したのか! オジギソウ!
これまで、滞在してきた国で、挨拶の時にぺこりとおじぎをする国の人たちを知らない。
コンゴのこの国で、一度、ぺこりと体を曲げて挨拶をする光景を見たことがあった。その時に尋ねると、昔(?)、どこかの王国の中に、酋長さんにぺこりと体を曲げて挨拶をするところがあったのだということだった。

では、このオジギソウのことを、コンゴの国の人たちはどう呼んでいるのか。
ゴルフのわたしのキャディによると。
リンガラ語(キンシャサ周辺の国語)では、”MATITI”、マティティ。
スワヒリ語(かれの出身地ルブンバシや東部のほうの国語)では、”MAYANI”、マヤ二。
かれらのだれもがよく知っている植物だ、と言う。
マティティ、マヤ二、にはどんな意味があるの?、と訊いてみた。
そしたら何と、ただ「葉っぱ」という意味だと言う。
どんな植物の葉も、マティティ、マヤ二、なのだそうだ。
花、はどんな花も、「花」。
ただ。それだけ。

はー???
大ざっぱすぎー!!!!!
確かに、中央アフリカ共和国滞在時、この花の名前は何?、と訊くと「黄色い花です。」、「赤い花です。」という答えしか返ってこなかった。
それに比べて、日本人なんか、ありとあらゆる植物に名前がある。
”ホトケノザ”なんて、ホントに仏様が座っているかのようで、なるほどなあ、と感心するネーミングだった。
”フタリシズカ”、”ヒトリシズカ”にも恐れ入り谷の鬼子母神だった!
日本人が繊細すぎる?

ちなみに、それぞれ、リンガラ語、スワヒリ語の”ボンジュール”は、”MBOTE”、”YAMBO”。
かれらは、葉っぱを閉じることを、挨拶をしている、とは捉えていない、どころか、単なる「葉っぱ」なのだなあ。

日本人は、挨拶をするとき、体を曲げて挨拶をするのよ。
この草は、触ると葉っぱを閉じるでしょう~こんにちはと握手をすると、日本人のする挨拶のように、ね。体を曲げて挨拶をすることを、日本語では「お辞儀をする」というから、この植物のことを、わたしたち日本人は、「オジギソウ」というのよ。
~こんな私の説明に目をまん丸くして聞き入るキャディたち。
今では、なぜだか、わたしの近辺のキャディたちは、「OJIGI-SO」と言って挨拶をしてくる。

キンシャサ・ゴルフクラブには、日本と同じ、つゆくさ、も見かける。
同じ青いきれいな花を付けて品よく咲いている。

熱帯の植物というと、ハイビスカスなど木に咲く大柄の花しか想像しないが、キンシャサ・ゴルフクラブには日本で見かけるひっそりした草花も咲いていてうれしくなる。